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メタ音声配信ラジオ。こんにちは、いわみです。7月7日の水曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日は七夕なんですね。 すごくじめじめしてて、深いな気候ですけど、いかがお過ごしでしょうか。
僕、梅雨は割と、まあ嫌いじゃない方なんですけど、 気温がここまで高いとですね、
やっぱりなんか、 深いだなという感じがしますが、はい、もう少しで夏が来ると思うので、
頑張っていきましょうということで。 短く何か話してみようかなと、エクササイズのつもりで話そうと思うんですが、
最近、割といろいろ本を読んでてですね、結構僕の読み方は、いろんな本をちょこまかちょこまかですね、変えながら、
同時進行で読むっていうやつをやってるんで、結構自分の頭の中でもごっちゃになってくるんですよね。
だから、こういう本を読んだっていうのを、 ラジオとかで喋ると割と自分の中で定着するなっていうのがあって、
別に紹介とかそういうことじゃなくて、 ちょっと今読んでいる本の感想みたいなことを話そうと思ったんですけど、
今ちょっとパッと思いついたのがですね、 読んだ本というよりも、なんか無料で抜粋で読めたですね、小説があったんですけど、
昨日読んだんですけど、 それがちょっと考えさせられるものだったので、それについて話してみようかなと思います。
まず何を読んだのかというと、小説なんですけど、 本屋由紀子さんっていう、僕これラジオで聞いて初めて、あんま知らなかったんですけど、
演出家の方で、賞とかも取ってる、小説も書いている方らしいんですけど、 その方が最近出した本で、あなたにおすすめのっていう、
これは多分短編かな、中編小説集みたいな感じらしいんですけど、 その中でですね、変わったタイトルなんですけど、
「推し子のデフォルト」っていうですね、推し子って推薦の推に子供の子で、 主人公の名前なんですけど、そのデフォルトっていうですね、
中編小説があって、 それがKindleでですね、抜粋版みたいな感じで無料で読めるのがあったんですよね。
ちょっとラジオで聞いて面白そうだったので、 チラッと読んでみたんですけど、すごくですね、
考えさせるというか、これどういう話かというと、 ちょっとした近未来のディストピア小説みたいな感じなんですけど、
この背景というか、もとやさんというのは多分40代ぐらいで、 最近2人目の子供を産んだらしいんですよね。
多分その子供とそのデジタル機器とですね、 向き合い方みたいなのを考えているうちに多分、
想像が飛躍してこういうのが生まれたと僕は想像するんですけど、 大体のその、
小説の世界観でいうと、 その世界ではですね、
人間はもう生まれた時からデジタルコンテンツに ずっと入り浸っているという、
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それでなんというか、世界がそれを、 世間がそれを推奨しているということなんですよね、もう。
もう酷い例というか、その進んだ例でいうと、 赤ちゃんがお腹の中にいる時から電極を差し込んで、
デジタルコンテンツ付けにするというですね、 それが良いことだとされているという世界なんですよね。
こう聞くと結構とんでもないあれに聞こえますけど、 そういう世界を読んでいるとなんかですね、
ああまあそういう世界もあるんじゃないかっていうですね、 説得力みたいのがあるのが不思議だなって思ったんですけど、
細かいあらすじとかはですね、無料で読めるんで、 気になる方は読んでもらうとして、僕がパッと見て思ったのはですね、
読んで思ったのは、自分の意見を持つことというのはですね、 果たしてどのぐらいの価値があるのかなっていうことをですね、
考えたんですよね。 このまあさっき言ってこの小説の世界観というのは、自分の意見を持たないことが、
デジタルコンテンツ付けになって何も考えないことが、 幸せとされるっていうですね、そういう世界観なんですよね。
なんていうか、その理屈として言われてたのはですね、
クソをクソとも思わないようなその、 精神回路になることが一番人間は幸せなんだってですね。
なんていうかちょっと言い方がニュアンスが違って、 これだけ聞くとなんかとんでもないことに聞こえるかもしれませんけど、
ある意味それって真理だなって思うんですよね。 つまりその自分の意見みたいな持たずに、周りから来たものをすべて受け入れて、
それで幸せになれるんだったらですね、 人っていうのは、
人っていうか生き物っていうのは、生き物としての幸福っていうのはまあ、 それでいいじゃないかっていう考え方ですよね。
もちろんそれはなんていうか不自然なことだし、 この小説にはもう一人その
主人公というか、二人いるんですけどその母親が、 もう一人その、一人のおしこさんっていうのはそのデジタル、
デジタル付けの子供をデジタル付けにすることにすごく 積極的なお母さんで、もう一人の、ちょっと名前忘れましたけどお母さんは
そういうのはもう全然すごく嫌いなんですね。 まあそういうデジタルコンテンツも使いたくないし、
子供もそうやって育てている。なるべくその自然と 触れ合わせて育てたいと思っているっていうですね。
両極端な、二人の母親が描かれているっていう、 そういう小説なんですね。
今の、今現在の価値観でいうと、その主人公じゃない方の、 なんていうかそのデジタルコンテンツはあまり、
小さいうちは触れさせるべきではないっていう意見の方が、 どっちかっていうと何ていうか根強いというか主流なのかなって思うけど、
この先どうなっていくかって本当に僕もわかんないなと思っていて、
なるべく早めのうちからですね、デジタルコンテンツにというか、 そういうデバイスというかを操れるような
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体制をつけていった方がいいとも思わなくもないし、 今のうちはまだ自然とかに触れ合っておいて、
その非認知能力みたいのを鍛えた方がいいみたいなことを言いますけど、
その非認知能力みたいのを鍛えた先に何があるのかっていうことですね。
例えば20年後ぐらいの世界で、その非認知能力が鍛えてですね、 自分で物を考えられる人間がですね、
果たしてそれが幸せな世界になっているのかっていうのはですね、 それは誰にもわからないというか、
下手をしたりですね、この小説にあるみたいに、 何も物を考えずに、その脳内で垂れ流される
デジタルコンテンツをずっと消費しているのが、 そこに疲れとかないようにですね、多分それは技術改良とか、
そのもう、なんていうか、 遺伝子改良までされているような世界で、
それをずっと垂れ流して、それがないとやっていけないような、 要するにそのブロイラーというか、
そのあれですよね、マトリックスというところの、 カプセルに入った人間みたいな状態になるのが、
良いとされる世界っていうか。 よくベーシックインカムの議論の中で、人はその、なんていうか、
働かなくなったら堕落するみたいなので、賛否が分かれますけど、 僕もどっちかというとですね、僕はベーシックインカム
賛成で、人は働かなくなっても結構いろいろ楽しく生きていけると思うんですけど、 その働くっていうのに縛られているのは古い時代のというか、
人が作り上げた意識だったと思っているんですけど、 ちょっとこの話は本題とそれますけど、何が言いたいのかというとですね、
ちょっと自分でもよく分からなくなってきたので、 時間も時間なのでちょっとまとめたいんですが、
なんていうかですね、 今良いと思って、今良いとされているもの、自分が良いと思っているものがですね、
果たしてずっと良いものなのか、それが普遍的なものなのかって考えだすとですね、 結構あやふやというか、むしろ間違っているものが結構あるんじゃないかなと、
僕は思っていてですね。 だからどうするっていうのは話はですね、この話、この話題に関しては、
これは子供のデジタルコンテンツとか教育方針とかについての話ですけど、 本当に分からないんですよね。
なるようにしかならないと考えるしかないというか。 だから別に子供にスマホずっと見せているのは、もう多分今の風潮では別に悪いとか、
僕も思わないし、ちょっと分からなくなってきたので、この話はもっとまとめてからですね、
テキストにしてみようかなと思いました。 暑いですが皆さん楽しい一日をお過ごしください。
いってらっしゃい。さようなら。