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2025-08-09 26:19

読書メモ『弱さ考』井上慎平


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サマリー

井上慎平著の「弱さ講」は、強いビジネスパーソンが求める弱さへの理解を深める内容です。競争社会での成長のプレッシャーや、そこから生まれる自らの弱みについて考察し、システムの外に出た視点から得た洞察を共有しています。井上慎平の「弱さ考」では、人間の弱さとそれに対する社会の見方に焦点を当て、自己啓発の文脈での矛盾について考察しています。このエピソードでは、著者の弱さに対する表現が強さを感じさせる点にも触れています。

帰省と気候についての考察
こんにちは、いわみです。
8月8日の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。
例によって、また久しぶりの音声配信になってしまいましたが、
夏休みですね、それぞれの実家に帰省してまして、おとといかな、帰ってきました。
その間ね、音声配信はできなかったっていうのが、一つの言い訳としてあるんですが、
最近はどっちにしても、それで高知から最初に埼玉に行って、後半は神奈川に行ってっていうですね。
最近うちの帰省のパターンはだいたいね、どっちかが先でどっちかが後っていうパターンなんですが、
今回は埼玉が最初だったので、ジェットスター、クラス航空ってやつですね。
今までは羽田が多かったので、なんとなくというか、取りやすいし乗りやすいし子供もいるから、
JALとかANAとかを使っていたんですが、今回は初めてジェットスター。
結構安かったと思いますけど、あまり相場をよく分かってないんですが、
でもそうは言っても、やっぱり夏休み期間だから、たぶんね、ちょっとは高い。
確か1人片道9000円くらいあった気がしたんですけど、
でもたぶんJALとかだと倍まではいかないのかな。
でも本当に時期によって飛行機ってね、全然価格が違って、まさにダイナミックプライシング。
あんまり明確に比較はできないと思うんですけど、今回はそれを使ったと。
よく言われているように格安航空ってすごい狭いし、サービスがどうのこうのって言いますけど、
僕はそんなに感じなかったなと思う。座席もそんなに狭く感じなかったというか、
別にJALのエコノミーだってそんなに広くないから、もしかしたら前後の幅は10センチくらい違うのかもしれないけど、
そうは言っても1時間ちょっとのフライトなので、本でも読んでいれば着くという感じで過ごしてきましたが、
何をやったかっていうのをね、いつもここではあんまりしゃべりませんけど、
一つ言いたいことがあるとしたら、これ転校の話なんですけど、
転校好きだなって僕のラジオよく聞いている人は思うかもしれませんが、
予想に行くたびに日本全国各地と今住んでいる高地の気温とか湿度みたいなのを比較したくなるっていうね、
ちょっとこれは半分もう病気だと思うんですけど、やっぱり比較したくなるんですよね。
それで明らかに言えることは、高地よりも東京の方が暑いっていうことですね。
これははっきりしました。気温で言ってもたぶん2,3度違いますね。
これ何でなんだろうなって、皆さんがどういう常識を持ったかわかりませんけど、
僕の常識からするとこれはちょっと驚きだったんですよね。
南に行けば行くほど地球は暑いものっていう単純な思い込みがあったので、
東京と高地で行ったら明らかにその緯度は何度か違うはずだから、
普通に考えて高地の方が暑いだろうとずっと思ってたんですけど、
引っ越して住んでみて思うのは、高地は結構気温は高くならないっていうね。
これ別にどうでもいいかもしれませんけど。
夏に東京に行ったのは本当に3年ぶりぐらいですけど、
こんなに暑いんだってちょっとね、本当に具合悪くなりそうになりましたね。
あれ皆さんよくやってますねってね、感心しちゃうんですけど。
特に先週、だから8月のね、前回からね、
7月の30ぐらいに帰ったんで、8月2日3日ぐらいにその辺をね、通ったわけですけど。
電車のね、ホームとかの熱気がね、これやばいなっていうぐらいの熱気でね。
これ子供とかお年寄りとかね、本当に命に危険があるぐらいの暑さだよなって。
ホームの多分ね、気温は40度間違いだと思うんですけど、
地形的なものっていうよりも、多分人口のね、照り返しとかそういう暑さですよね。
あの暑さは結構慣れない身にはね、相当応えたなと思って。
もうね、東京には住めないなと改めて思った夏休みの規制でした。
本の紹介と「弱さ講」
今日の本題はですね、
夏休みの暑さに関してですね、
本の紹介というか、本について、読んだ本について紹介を、紹介がてらしゃべってみたいと思うんですが、
まず先に何の本かというと、井上新平さんという方が書いた、「弱さ講」っていうのですね。
弱さの講というのは考えるってことですね。
サブタイトルは、「強いビジネスパーソナルの人たちが弱さを考える。」
サブタイトルが先に来るパターンですね。
どうでもいいですけど、
多分3ヶ月くらい前に出た新しめの本で、わりと話題になっているので、タイトルとかね、書類とか見たことがある方も多いと思うんですが、
僕、前々から気になっていたんですね。
読んでみたんですが、
これね、主に旅行中に、移動中とかね、寝る前とか、旅先で読んでいたので、結構途切れ途切れなんですね。
でも読み終わってから2,3日経つので、
ちょっとね、その細かい内容の部分がだんだん薄れてきて、
うまく紹介できないということを言い訳から入っているということをね、最初にさらに言い訳しているわけですけど、
せっかく読んだのに、
読み終わってから2,3日経つので、
ちょっとね、その細かい内容の部分がだんだん薄れてくるんですよね。
これ言っておきますけど、最初にね、この紹介といっても、
一冊のね、こういうビジネス書というか本のね、紹介をする、
うまく紹介できないということを言い訳から入っているということをね、最初にさらに言い訳しているわけですけど、
せっかく読んだんだから、ちゃんとアウトプットしておこうというのがまずね、
第一の僕の目標ではあるんですよ。目標というかそのね、目的というか。
すごいね、面白かったし、今の自分に刺さる部分がたくさんあったんですよ。
でもこのね、自分にどう刺さったのかというのをね、
そのうまくね、説明するのが結構これは難しい本だなと思ったんですね。
何が難しいのかというと、別に一つのね、ポイントとか一つのメッセージにね、
だけを伝えてもね、その刺さったポイントがあまり伝えられないということなんですけど、
正直ね、最初の一章、二章ぐらいはね、割とよくある本だなというか、
正直あんまり面白くないなって思っちゃったところがあるんですけど、
後半ぐらいからね、中盤から後半にかけて深みが増していくというか、
そういう僕は感想を持ちましたね。
でも一回脱線しちゃうと、これね、最初このラジオで、今ラジオでね、
本の紹介をする前に、いくつかネットでね、調べちゃったんですよね。
レビューとか、他の人が紹介してるやつとノートとかね、調べちゃうと、
どうもやっぱりそっちに引っ張られてね、自分がその時何を思ったかなということがね、
さらに今薄まっている状態でね、参ったなと思っているんですが、
そういう時に僕は最近やってるやり方として、
目次をね、読み上げながらボソボソと喋っていくっていう、そんなことを試してみたいんですけど、
この本は第1章から第7章、最終章があるから、8章たてで始めにと終わりがついているっていう感じですね。
第1章が始まりの部分、始めにの続きみたいな感じで、第1章は強さを求めて弱くなった。
これはサブタイトルにもあるように、強いビジネスパーソンを目指してうつになった僕のことなんですけど、
弱くなった僕のことなので、どういうふうにダウンしてしまったのかみたいなことが最初の方に書かれているわけですね。
第2章が成長のレースからは降りられないのか。
ここで多分あれですね、今まで過ごしてきたビジネスの世界に疑問を呈しているようなことですが、
第3章がなぜ時間を無駄にしちゃいけないと思ってしまうのか。
これはより深く切り込んでいく感じで、第4章、能力主義って苦しくないか。
最初の方に敗者にしか言えないことって、負けた者にしか言えないことっていう。
ここを僕は最初に、この辺からほっと思って読み始めたんですけど、
敗者にしか言えないこととは何かっていうのは、
それはそのシステムの外側にいるというか、システムに組み込まれていない人にしか気づけないことがあるよっていうね、そういうことだと思うんですよ。
つまりだから一つの会社でいうと、その会社にどっぷり使っている人は、その会社の文化とかやり方に疑問を抱かない。
もしくは疑問を抱いたとしても、それはあんまり口に出せない。
口に出してしまうと、自分の立場が弱くなったりとか、まずくなったりするから、全部それ飲み込んでいかなきゃいけないっていうね。
よくあるといえばよくあるし、僕にも身に覚えがたくさんあるんですけど、そこに疑問を呈せられるのは、基本的にはそのシステムの外にいる人ってことですね。
で、この井上新平さんの場合は、元々どっぷりね、うつになる場合は、井上さんはニュースピックスのパブリッシングって本を出している部署の創刊編集長っていう立場だったわけですけど、
だから会社のシステムをどっぷり使っている方の、むしろ他の人を管理する側の人だったわけだけど、そこで頑張りすぎてうつになってしまったと。
で、面白いなと思ったのは、僕がさっき言ったシステムの外にいるっていうのが、負けたことによってね、システムの外。
まあ負けたっていうね、これはこの本に書いてあるからそう言って読んだわけで、別に僕はそのことを負けたとは別に思ってはいないですけど、
そこからね、最前線からドロップアウトすることによって、見えてきたし言えるようになったことがあるっていう。
たぶんこの本の根幹となっているのはそうですよね。
今まで最前線にいた人が、そこから離れて、今まで言ったことを、今まで言った世界に関して、
それっておかしかったなっていう、そういう立ち位置というかね、全体の構図はそうですよね。
物語と偶然の考察
具体的にどこでそれを思ったかっていうのはもうちょっと忘れちゃったんですけど、
読みながらね、井上新平さんは結構ね、村上春樹的な考え方をするなって感じた部分がいくつかあって、
特に後半の方だったと思うんですけど、この説明は自分の言葉で、本とあまり関係ない部分も入りますけど、
言ってみると、世の中に起きている出来事っていうのは全てね、全部偶然なんだっていうね、そういう考え方ですよね。
それをね、人間の頭で理解するには、そこに物語というかストーリーを作らないと人間は理解できないから、
だから物語をデッチ上げているっていうね、そういう立ち位置で物を考えているわけですよ、この本ね、後半の方は。
例えばで言うと、この本では井上さんは大学をね、多分優秀な大学を卒業して、最初ダイヤモンド社かなんかに勤めて、そこからスタートアップのニュースピックスの編集長になって、
バリバリ結果を残して、その結果頑張りすぎて移りになったと。
で、しばらく休養して今ね、今に至るっていうことですけど、言ってみればこのストーリーもね、本当にそうかどうかってのはね、分かんないってことを本人が言っているわけですよ。
本当にそうか分からないってのは、移りになった原因が果たしてね、それだけなのかっていうのは、本人にすら分からないっていうことなんですよ。
一つのその結果というか、物事が発生するのに、そこにね、人間ってのそのストーリーというか、これがこうなったからこういうふうな結果ができたっていうことを理解するわけですけど、果たして本当にそうなのかっていうのは分からないし、
もっと言うと、本当はそうじゃないっていうことを多分言いたいと思うんですよ。
さっき村上春樹の例を出したので、今覚えていることを言ってみると、確かにね、ねじ巻き鳥クロニクルっていう本だったと思うんですけど、
この登場人物がね、自分の世界観を語るときに、こういう例を持っているんですよ。
みんなね、エビグラタンが出てくるっていうふうにね、当たり前に信じているけど、私はそうは思わないっていうね、ちょっと変わった女の子の反応があったりとか、
そういう話が出てきて、私はむしろエビグラタンの素を入れてチンすると、何だっけな、マカロニグラタンみたいなのができて、
エビグラタンの素を入れてチンすると、マカロニグラタンみたいなものが出てくるっていうふうにね、当たり前に信じているんですよ。
ちょっと変わった女の子の話だったと思うんですけど、そういう話が出てきて、私はむしろエビグラタンの素を入れてチンすると、
何だっけな、マカロニグラタンみたいなものができて、出てくることもあるし、むしろそういう場合があった方が安心するみたいなね、
ちょっとだいぶ詳細は違うと思いますけど、大筋でいうとこういうね、セリフがあったわけですよ。
このセリフがさっき言ったね、物事にストーリーをでっち上げてるっていうのとどう繋がるのかっていうと、
何かそれに至る道筋を作ってそこに至っているっていうのは、基本的には勘違いであるっていうことですよね。
基本的に人間の人生とか世界の成り立ちっていうのは、無数の偶然がね、たまたまそこで結びついてそれが広がっていく。
もしくはいろんな出来事に結びついていくっていうことで、それを後から見て、
これがね、このタイミングでこの出来事が起こったのは今までこういうことがあったからだっていうね、
そういう筋書きというかストーリーを作ってね、人はそれによって物事を理解した気になるわけだけど、
それはね、全然真実ではないっていう。
弱さと真実の探求
じゃあ何が真実なのかっていうと、まさにそれはたまたまそうなったっていうね、それだけっていう。
でもその全部の出来事がたまたまそうなっただけっていうのは、
ほとんどの人によってそれはね、もう怖すぎて耐えられないっていうことですよね。
全部の出来事がたまたまそうなったってことは、つまりこれから起こることも何一つ誰も予想できないっていうね、そういうことになりますよね。
それは多くの人にとって耐えがたいね、大げさに言うと恐怖みたいなことになってしまうので、
人間は何かね、ストーリーをデッチ上げてとは本人は思っていないけど、ストーリーを結びつけて作り上げて、
それによって世界の成り立ちを理解するっていうね。
言ってみれば結構哲学的というか、壮大な話ですよね。
で、その辺が僕のね、この本を読んだ感想というか、読んで思ったことなんですけど、
ここでやめておいてもいいんだけど、なんかね、僕読み終わって、
読んでる最中もちょっとね、もやもやするものはあったんですけど、最後にあえてそれをね、ちょっと言語化してみようかなって。
これは多分ね、他の紹介とかでは誰も言ってないことだと思うんで。
この本はね、その弱さ講は前編を通してね、すごくね、よくできてるし、よく書けてるんですよ。
僕はね、多分そこにね、なんかね、違和感を感じてしまったというか、この違和感をちょっと言語化してみると、要するにこの書いている人はね、
頑張りすぎてうつ病になって、今もそれが治ってないっていうふうに書いているんだけど、
本のね、その出来というか、構成とかね、書き方とか、その本に関しては、
全然その、回復してない人の書き方じゃないわけですよね。
ところどころで、全然あの頑張れないとか集中力が出ないとか、本が読めないとかね、人と話せないみたいなの書いてあるけど、
その書き方とそのね、書かれ方というか、表現みたいなのが、
むしろ強い人の書き方になっている。
書いている内容はね、弱さについて書いてるんだけど、その書き方自体がね、めっちゃ強いなと思って、
僕はね、そこに多分違和感を感じてしまったんですよ。
だからね、まあ別にこんなね、いい本だったから、別に腐すことはないんですけど、
そんなになんていうんだろうな、残る本ではないなという感じがしたんですよ。
そういう本だったら多分ね、忘れ去られているタイプの本だなと思ってしまったんですよ。
それね、さらに言ってしまうと、これは多分ね、ニュースピックスっていうね、その媒体というか、
その本、媒体というか、ニュースピックスは本も出してますけど、
ニュースピックス的なものにね、共通して言えることなんじゃないかなっていうね、
結構ひどいこと言ってるのは自分でもわかってるんですけど、これは誰も聞いていないという体でね、しゃべっちゃいますけど、
だから別の言い方で言ってみると、その本人の大変さみたいなのがあんまり身に染みて伝わってこなかったなっていうことでもあるんですよね。
うつ病ってすごい大変だと思うし、それがね、結局は一生治らないっていうことでもあると言いますから、
多分その家中にいる本人はね、相当大変だなってことはわかるんですよ。
でもそれはその一般論として、他の情報と組み合わせて僕はそう思うだけで、
この本を読んだだけでは、この著者がね、そんなに大変には思えないっていうか、そう感じてしまったわけですよね。
もちろん本はね、全部自分で書いているというか、編集者もいますから、
そのよく書けている部分とか、すごい出来上がっている部分は編集者の力もあるし、
この人はね、著者の人がもともとたくさんの本を書いてきた編集長でもあったわけだから、
そういうスキルが高いってこともあるんだけど、それを差し引いてもあんまり我がこととしては迫ってこないなっていうね。
もう一つ別の言い方をすると、ビジネス書なわけですよね。
自己啓発的というか、書いてある内容はね、その自己啓発とかビジネスの世界を否定するっていう文脈にあるんだけど、
その書かれ方とかスタイルみたいのが完全にビジネス書の自己啓発的な書かれ方なので、
たぶんね、入れ物が違和感があるのか、ただ単に、僕の趣味はもっと多分泥臭くて欠点が見えるようなものが好きなだけなのかもしれませんけど、
あまり欠点が見えなかったなっていうことですかね。
欠点について書いてある文章が欠点が見えなかったらね、
別に本来それでもいいはずなんだけど、その文章の書き方と書かれている内容っていうのは離れているというか、別物として考えてもいいわけだけど、
なんか後半の方で批判してるみたいな喋り方になっちゃったので、最後に別の話というか、別の角度から言ってみたいんですけど、
すごく面白い本だったし、皆さんにお勧めできる本ではあります。
書店にも平積みされていると思うし、話題にもなっているから、興味のある方は読んでみると後悔はしないと思います。いい本でした。
それで今の全体の流れからすると、全体の流れに沿った本だなと思ったんですよ。
社会のルールとの矛盾
全体の流れっていうのは、よく言われている言葉を使っちゃうと、脱成長みたいなことですよね。
今まで成長することがいいこと、経済的に豊かになることがいいことっていう疑いようのないルールが世界中にあって、みんなそのルールにのっとって動いてきて、そろそろそれがみんなおかしいんじゃないかと思っているっていうね。
大きな流れの転換点に来ているとは思うんですけど、その大きな流れの中の一つの点ではあると。
でも確かにこの本には脱成長の話も出てきたんだけど、著者の人はこの脱成長はおそらく無理なんじゃないかっていうね。
全世界のトレンドとして脱成長っていうトレンドは多分実現しないんじゃないかってことを書いてあったと思うし、それに関しては僕もそうだなと思うんですよ。
だからこの本はいわゆるニュースピックス的な層っていうかね、人たちにはすごく刺さったんじゃないかと思うし、そういうめちゃめちゃ最前線で頑張っている人は一般の人と比べると一般というか多くの人と比べると鬱とかになりやすい傾向があるんじゃないかなと想像するんですよ。
やっぱり真面目な人ほどその反動がきやすいと思うし、競争ゲームの中で過ごしてきた人は一つの軸から外れてしまうと途端に不安になるんだろうなっていうのは割と想像できるんですよね。
僕自身はどうなのかっていうと、他の人がどう思っているのか知らないけど、僕は最初からあんまりそこにいないなっていう自覚があるんですよ。
そこっていうのは競争レース。もともとそういう企業とかに最初勤めていないキャリアから始まったので、それはそうだよなとも思うんですけど、その文脈でいうと僕は最初からシステムの外にいた人間だなってことも思うわけですよ。
簡単に言うと、大企業的な資本主義的な競争レースに乗らなかったっていうね。
今からはね、僕みたいなっていうとすごい語弊がありますけど、競争レースに乗らない、もしくは降りた人の方が主流になるし、乗り続けていく方が少数派になっていくっていうのは既に起こっていると思うし、そういうトレンドが来てるなっていうのは間違いないと思うんですよ。
そういう中の一つの考え方として、この弱さ講という本を読んでみると面白いんじゃないかと、そんなことを思いました。
かなりだらだら喋ったので、後で余裕があるときに音声を文字起こしして、ちょっとわかりやすくノートにまとめてみようと思うので、感想としては多分そっちの方が読みやすいと思いますので、そちらもよかったらお読みください。
まだ書いてないですけど、そんな感じで今日は終わりにします。お聞きいただいてありがとうございました。良い一日をお過ごしください。さようなら。
26:19

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