はい、打ち合わせキャスト第77回ということで、今回はゲストに久志もさんをお迎えして、
2人の新刊についてお話したいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
多分第77回目にして初登場ということなので、軽く自己紹介いただけたらなと思います。
はい、普段はフリーランスで編集者の仕事をしています。
大体はウェブの記事を作ったりとか、
あとはプロジェクト型というか、みんなで雑誌を作ったり、みたいなのをやったりとか、そんな感じでやっております。
一応ポッドキャストもやられてるんですよね。
そうですね。スリープオーバーラジオというやつと、ポコラジっていうラジオと2つポッドキャストをやってます。
はい、だからアンカーで確か配信されてたんで、これを聞いている方はスリープオーバーラジオを検索していただければ、
久志もさんのラジオが発見できると思います。
はい、ぜひそっちもお願いします。
今回は2人の、2人っていうか、2人の本が同日に発売されたということで、
2人で何かイベントできたらいいねという話をしていて、この回をプロデュースしたんですけど、
明日また似たようなイベントになってしまっているんです。
そうですね。かなり似たものですね。というか同じ、座組も中身も全部同じなんじゃないかと言ってた。
明日ツイッターのスペースでやることになっているやつは、編集士さんが間に入ってくれるという話なので、
あ、そっか。だから座組はそういう意味では違う。
だから、もっと本作りの中の話には明日になるんじゃないかなと思うので、
また別途だと思うんですけど、多分この回は今日配信されるんで、
明日の告知も一応しますけど、ツイッターのスペースで20時だったら8時、夜の8時からスタートされるということなんで、
暇な方はツイッターのタイムラインも覗いてくださいと。
ということで、今回は2人の本の話なんですが、まずさっき私から言いかせていただきたいんですけども、
まずね、本当にお疲れ様でした。
もうね、そのことしか出てこないんですけど、
多分座談会がスタートをやったと思うんですけど、
あの座談会でも、僕思うんですけど、あの場所で喋るのって結構辛くなかったですか?
そうですね、説明をするとですね、
要するに、さっき世知谷さんの本と言っていただいたんですけど、
僕の方は教長で千葉雅也さん、山内智樹さん、独所ざるさんといてですね。
どういう、いろんな、どの言い方をしても大体同じことなんですが、
まず単純にこうネームバレルじゃないけど、そういうこともあります。
で、あとは、やっぱり人文系の、まあこう、リベラルハーツパワーみたいなものもあります。
そして、独所ざるさんはね、公開されてないですけど、
その、まあキャリアというか、ということもありですね。
まあだいぶこう、胸を借りて喋るという感じで、
まあ、ただ、こういうのは一回覚悟を決めれば、あとはもうやるしかない。
ああ、いけました。割と開き直れました。
僕結構そういう、なんか、やったるでって一回なればいけるっていう。
いやでも、年齢も多分一回り以上違う人ばっちばっかりですし、
さっき言われた、そのキャリアとかネームバリューとか、多分もうオーラが違いますよね、きっと。
そうですね、だから僕もかなりこう、まあ負けないぞっていう感じで。
おお、すげえな。
いやだから、まあ座談会も座談会で結構あれでしたけど、
まあ一応その会話っていうのはここでもやってるように、
まあノリとテンポで進んでいきますけど、
本にしましょうってなった時に、
あの人たちが書いた文章の中に自分の文章が混ざるっていうことでしょ?
僕、多分、そっと押してますよ、そんなこと言われたら。
そうですね、まあ文章の方がおっしゃる通りで、そのプレッシャーは強かったし、
で、書いてる内容自体もまあとにかく、
まあプレッシャーって言い方はしてないですけど、まあしんどいっていうことをかなり強く書いてて、
で、まあ書く時に思ってたのは、キャラを出そうと思ってたんです。
単純に、いわゆるこう大雑把に内容とそれ以外のものみたいな風に考えた時に、
内容だけではちょっと戦えないだろうと思ってたので、
なるほど。
はい、まあ、なんかなんとなくこう若者っぽい文章にしようとか、
多分皆さん自由に書くだろうと思ったんで、
僕は結構、若書っぽい、こうなんていうか、理屈っぽい感じの性立て、細かくこう切ってみたいな風にしようとか。
なるほど、なるほど。
で、あとは、これもあんまり普段自分は好きじゃないというか、あんまりやらないんですけど、
はい。
いわゆるこうなんかここ引用してもらおうみたいな、
おー。
見え決めみたいなやつ。
はいはいはい。
もうかなり意識的にもう無理やりもうここは決めてくださいみたいなやつを事前に、
こう編集者としての自分がこうライターとしての自分に発注するみたいな感じで、
うーん。
必ず決めをここで作る、ここで作るみたいなやつを作ってとか、かなりまあ、
まず本当ここに書いてる手法通りなんですけど、
まあ人工、本当人工的だなって感じの作り方をしたんです。
うーん、そうなんや。
でも、まあ4人のその後どう変わったかっていう文章のうち、
千葉先生と東昌さんは比較的その書き方について普段からアウトプットされてるんで、
まあまあおそらくそうだろうなみたいな範囲で、
で、やっぱりその山口さんの文章が一番心に響いたんですよね。
ああっていう感じ。
でも一番共感を覚えたはね、やっぱり世次元さんの文章ですね、これは。
それはすごく良かったですね。
まあこう、そうやな、文章を厳密に作る人って、
何て言うんやろう、原稿を頭から最後まできちんと整えたい人じゃないですか。
僕もそうなんですけど、
そういう人にとってはだから、すべての文に意味があるんですよね。
でも人ってそういう読み方あんまりしなくて、
キャッチーな部分に目に留まって、その他の印象は割に薄いみたいな、
なんか結構普通な読み方なんですよね。
だからその見栄を切る場所を作っておくっていうのは、実はいいんですよね。
読み手にとっても。
そうですね、結構自分は段落の最初か、もしくは後、
説の最初、後、章の最初、後みたいな感じで、
結構割とパラグラフライティングっぽく、実際にできてるかともかく、
意識としては結構そうしてて、
やっぱりその主張にあたる部分は、まあ言ってみれば、主張なんで。
こう、どういう雰囲気をまとった文でもいいっちゃいいんで。
なるほど、なるほど。
やっぱりその最初、最後のあたりで、この辺でそろそろ飽きてきそうだから、
かっこよさげなのをやるかみたいなのを、ある程度決めてた。
で、そこが実際結構引用されてたっていうのはすごく嬉しかったですね。
そういう読者の反応をある程度イメージした文章の書き方っていうのは、
あんまりしてこなかったんですかね、今までは。
えっと、読者にとって大事な部分を文体的な芸とかを使って何とかしようとするっていうのが初めてだった。
なるほど、なるほど。
普段は文芸というか小説とかっていうのは書かれたりしないですか。
書かないですね。僕はいわゆる、
そうか、なるほど。
ちゃんと編集多い。
あと、自分的にはアイデンティティはブロガーだと思ってて。
僕と一緒やね、それは。はい。
そうなんですよ。あと、倉賀さんのこのラジオの僕がどれくらい好きか、そういうのも後で言いたいんですけど、
それすごいいつも共感してますね。
ブロガーとして書いてるっていう意識は自分はすごく強くて、
倉賀さんは多分それもこう使い分けていくっていうのとかあると思うんですけど、
僕はなんか結構ずっとブロガー的になっちゃって、
どうやってそれを少し仕事に合わせて調整するかぐらいしかできなくて。
それは時間がかかりますね、やっぱり。
そうですね。今回はなかなか難しかったですね、そういう意味では。
そうか、確かにね。だって周りの人たちブロガーじゃないもんね。
でも、どこかで倉賀さんはブロガーかもしれないな、まだ。ちょっとわからんが。
でも、ブロガーっていうのはどうしても一期次単位で物事を考えるんですよね。
そうするとやっぱり単調っていうのが難しくなってくるんですよね。
お疲れ様でした、というのはまさに倉賀さんに言うべきというか。
あそこが一番基本、この本のOSみたいな部分を作っていて、
勝負をかけるぞっていうところにもうちょっと人文っぽいものが出てくるみたいな。
そういう感じの、不尽で戦っている本だなという印象を持ちました。
そのオペレーションは全く考えていないんですけど、
結果的にこうなったって感じですけど、
だいぶ前かな、ヤバい経済学という本がありまして、
めちゃめちゃ面白い本なんですけど、
それ以降、行動経済学っていうのが入ってきたんですけど、
僕としてはヤバい仕事術みたいなの書きたかったんですよ、ずっと。
行動経済学の知見を生かして仕事術っていうのがあって、
仕掛かるべきだと思ったんですけど、結局そういうチャンスはなかった。
常々思ったんですよね、システム1とシステム2の対立の中で、
主体はどうあるべきかみたいなところで。
一般的な議論ってシステム1は良くないなという話になるんですけど、
そんなわけもなくて、システム1がなかったら生物として成り立たないんで、
両方必要だろうという言い方もしたかったんで、
今回は全部言おうとしましたね。
なるほどな。結構途中もずっと直感によってどんどん出させていくっていうことと、
吟味することの重要性っていうのは両方とも入り乱れながら。
そうですね。
出てくるっていう感じですかね。
基本的に単純な原理というか、
1個の方法があればうまくいきますよっていう議論は、
僕は全て前打つ場だと思っているんで、
そんなはずがないと思ったんで、
でも丁寧に両方論じていくと、長くなるんですよね、これは文章というのも。
仕方がない、避けて通れないですね、このボリュームになるのは。
うーん、なるほどな。
あとはちょっと三発的な感想っぽくなっちゃいますけど、
同じようなキー概念っぽいもので、結構自由っていうのが重要になってて、
これだから結局金儲けでもないし、
仕事の合理化はやっぱりあくまで手段っていう風になっていると思うんで、
この本が目指す目的に当たる部分というのは、かなり自由をどうやって獲得するかみたいな風になっているなと思っていて、
クラスターの自由感みたいなのが全体的に結構出ているなと思っていて。
そうですね、だからこれはある種の広い自由論というよりは、
ノウハウとかツールに対する、あるいは情報環境が私たちに向かってくることに対する一種のリベラリズムの作り方っていう言い方をしてもいいって、
思いますね。
いや、そうですよね。そのために基本的にはすごくオーソドックスなスタンスっていうか、
主体をどうやって立ち上げていくか。
特殊っていうと違うかもしれないですけど、特徴としては主体はただいきなり自分がしっかり考えたから立ち上がるんじゃなくて、
ツールに、ツールというか具体的にはノートに支えられて、
あるいはフィードバックを受けながら主体が立ち上がっていくっていうか、
具体的にはタスクのコントロールできるようにする、
所有している感じにするとか、前に進んでいる感じにするとか、
そういうものはただ観念的にやっててもできてこないから、
ノートに何かしらの仕方で刻みつけることを通じて、
今自分はやれてるなっていう形で主体が立ち上がってくるみたいな。
ノートっていう拡張心態みたいなものにエンパワーメントされて、
きちんと考えて動ける人間がグッと立ち上がってくるみたいな。
そうなんですよね。やっぱり主体って立ち上げるものじゃないですか。
僕はそう思うんですけど。
自己啓発の本の悪いところは、主体がすでにあるものとして、
それを一種のイリアとして大切にしていこうという話なんですけど、
それは結構お寒い感じというか、
関係性とかの中で、ある種の主体って動的なものというか、
僕の中では回っているコマみたいな感じですね。
止まったらこけるじゃないですか。
回っている間だけ立つじゃないですか。
主体ってそういうものだと思うんで。
外部装置を使わない主体って結局環境の刺激に晒されているだけの主体ということなんで、
それは多分主体じゃないようなところを思うんですよ。
なるほど。
結構この本があんまり命令がないのも、
あと命令のように見えてもそれは命令ではないみたいな、
注意書きみたいなのがかなりあるのは関わってそうな気がします。
いや、だって、ノウハウ本でやり方を教えてあげましょうというのは親切なんですけど、
やっぱりそこで主体性が覚われるということが必ずあって、
一番僕が思っていたのは自己啓発症で主体性を持ちましょうって言われて、
主体性を持ったとしたら、それは果たして主体的なのかどうかということなんですよね。
うんうん。
もうだって影響されちゃっているじゃないですか、主体性を持とうと。
だからその危うさを一回考えた上で主体っていうのを考えないと、
誰かにとっての主体性でしかないよなと思っていて、
だからでも教える方としてはこうしなさいとかって言いたくなるのは当然のことであって、
だからどう吟味するか、そう言ってほしい人もいると思うんですよ。
こうしなさいって言ってほしい。
だからそこを完全にやめるっていうのもなんか違うなと思う。
だからこの本は技法っていうのを全くなくしても成立するんですよね。
技法っていうのをぺりぺり剥がしていっても成立するけど、
で、これをその中間に当たるミソッドなんだっていう風に言ってて、
で、自分も今回実際にそのパターンを書いて載せようかなっていうのをちょっと思ったんですけど、
はい。
今回結果的にはちょっとその説明をしたりとかっていうのも考えると若干手間だなって。
そうですね。
現行の整合性が若干難しくなるなっていうので、
ひたすら事例を集めていくっていう感じにしたんですけど、
なんかここの結構中間の言葉をどう作るかっていうのはやっぱり、
ビジネス上、とりわけ知的生産系はやっぱり、
さっきので言うとマニュアルを作るっていうのが一番こう、
まあ商品価値が出やすいんで、
そうですね。
で、ミッションはもうお金儲けか仕事の効率化で決まってるから、
ミッションはもう不要、だとしたらマニュアルがあるだけでしょっていう理屈になってるものはすごく多いんで、
うーん、そうか。
そういう意味で、クラスターのもう一個言いたかったのは、
そもそもミッションを新たに作り出そうとしてるっていうのがすごい良かった、面白かったです。
あー、確かにね。
そういえば、ビジネス風の話は全くしてないな、そういえば。
いや、そうなんですよ。
つまりこの本を読んで何が得られるかということは自明ではないんですけど、
それはすごい、僕これ自分が知的生産の本を読むときに、
なんか良い本、悪い本のかなり手前の評価基準として、
そういうこと。
必ずしも自明ではない。
で、それって他のジャンルの本だったら当たり前じゃないですか。
学ぶってそういうことだから。
確かに。
哲学書とか何か書く前からだいたい分かってんだったら、最初から入門書しか読まなくていいわけ。
そうですね。
入門書とかはこうね、手っ取り早く、だいたいこいつはこういうことを言っているって整理するためにあるわけだから、
それでいいと思うんですけど、やっぱり原点は当然、読む前に分かんなかったことが分かるために読むわけだから。
そうですね。
で、結構この本はかなりそういう本というか、
例えば何でこの本を書いたのかとかって後書きまで分からないんですよね。
そうですね。
後書きで、どういう書き方したかな、何でみんなノートを使わないのかっていう。
はい、そんな感じ。
それが初発の動機だったんだとか、
結構こう、なんだろうな、
あ、つまりこれ多分レジュメが必要な本なんですよね。
うん。
整理して、もう一回読者が再整理すると、多分かなり違った総合文字の本だと思ってて、
僕も実際クラスターに、レジュメまでは行かないですけど、結構割とここにはこういうことが書いてあって、それが面白いみたいなのをお送りして、
こういうふうに多分読む本だなって思いました。
これ結構いろんな人が着目点が違うのが面白いなと思って、
これまでの本って、エヴァノートわかりやすかったらDSとかスクラップボックス使いってみました?みたいな、
当然そう思って書いてるから、ツール使ってほしいと思って書いてるから、その通りの結果になってるんですけど、
今回だから、そもそも僕があんまり読者を動かそうとしてないというか、
日常生活のおいてノートをつけることを何かに使ってくれたらいいなと思ってるだけなんで、
だからどっかにフォーカスはしてないんで、その反面だから読む人がどこに焦点合わせるかとか、
どんな文脈で読むのかっていうのが、かなり人によって違ってて、
これってそういうことになるんやなぁと、ちょっとびっくりしましたね。
いやでもそうと思いますよ。やっぱり、なんていうのかな。
主題はめっちゃ大きいですからね。だからこの主題にまず、主題に興味があるかというのもあるかもしれない。
確かにね、そりゃそうだ。
そうですね、僕でもこれすごい、なんだろう、年齢とかが全てじゃないですけど、
クラシスさんと同じくらいに自分がなった時にこういうのやりたいなと思いました。なんか羨ましかったです。
例えば、僕が10年前にこの企画を持ってきたとしても、書けなかったでしょうね、きっと。
ここに並べてある知見を知ってましたけど、この形では多分語れなかったでしょうね、きっと。
いやそういう感じします。つまり僕メルマガとかブログもかなり昔からファンに見てるんで、
別にこうなんだろうな、特に人文系はたまたま、最近出版された、あるいはクラシスさんが読まれたようなものも入ってるけど、
ストーリーライン自体は多分、何だろうな、理論上はっていうか、
もっと前でも作り得るのかもしれない。
ですけど、やっぱり厳にこういうふうにまとまるには多分、相応の時間がかかったっていうことなんだろうなと思って。
そう思いますね。やっぱり書きたいことに加えて、周りの本がこういうことを書いていないっていう苛立ちじゃないですけど、
そこから指名感みたいなのもあったんで、こういうの誰かが書かなあかんっていうのがあったんで。
一番はやっぱり自分が面白いと思える本がないっていうのが引っかかってたんで。
それを今回の本を読み返しても自分で面白かったんで、
これが自己満足とは違う形の一つの調和的な仕事の成果だなという感じはしますね。
いや本当に、ビジネス賞って、今すごく面白いことが書いてあるって信じてる人もいっぱいいる一方で、
家に売れてるわけで、やっぱりめっちゃ舐められてると思ってて、
つまり、こんなにつまんないタイプの本に決まってるじゃんみたいな風になっていると思ってます。
で、それは梅サボたちの新京都学科まで別に、そこまでは遡らなくてもいいんですけど、
あれはやっぱりそうじゃないものだと思うんですよね。
つまり、普通に仕事を面白くやれる方法であるとともに文明論であったり、人間観であったり、
新しい情報社会がどうなるかということへの展望になっているということが、
つながっていることが当たり前の本。
そうですね。
で、やっぱり、知的生産関連はアウトライナーとかもそうだし、
やっぱり普通に理論上というか、今までないアイディアが結構いろいろ出てきてはいる。
アウトライナーはたくさん言ったら怒られるかもしれないけど、昔から言われるかもしれないけど、
まあ、でもやっぱり進化はしていると思うんですよ。
だけどやっぱり、僕はあんまり関係ない立場だから適当に言えちゃうあれですけど、
ライフハック論断とかも、僕は昔そういうものがあったなと思ってるんですけど、
やっぱりいささかみんながすごく注目するものじゃなくなってきているなという印象があって、
それと、プラットフォームがすごく強くなり、
アプリもインディなものというよりは、やっぱり確立した、きちんとしたビジネスモデルを持っているものが増えてきて、
なんかこう、海のものとも山のものとも知れぬツールをみんなで面白がるみたいなのがあるじゃん。
なくなってきているなっていうこととか、
それは大きくはこの本で言っている、自分なりの方法とか自分なりの道具を作ろうみたいなもの自体が一種、
退潮してきているというか、元気がなくなってきていることと、
実際そういうアプリが増えた、あるいは言説もなんとなくこう、
インディー感のあるものが減っているとか、なんか全部、僕はなんか関係しているように感じていて。
確かにそれはあるかもしれないですね。
僕はこの本はすごく、大きい意味で知的生産系の伝統にっていうのと、
もう少しこの10年にクラスターさんとかが活動をすごく、
伝書籍とか出された頃のなんかこう、
ごちゃごちゃした次々、わけわかんないツールが出てきて、次はこれが熱い、次はこれが熱いみたいな、
あの時のなんかエモーションみたいなのを取り戻すっていうことと、
言葉の、言説の空間に対する2つ、一石を投じているなと思って読みました。
なるほどね、確かに。ライフハックブームって色々あったんですけど、
1つはツール、テクノロジーが私たちをどこに導くかっていう話に関連したテクニックっていうのと、
あともう1個はブログブームのきっかけと結びついて、
それぞれの人が自分の使い方を公開する事実だったんですね、その頃は。
それがめちゃくちゃ面白かったんですけど、
本当にここ5、6年かな、もう、
何ていうのかな、衰退ということで追いつかへんぐらいの現象をいつも見せてて、
全く見なかったんです。これはでも、その理由は何かわからないですけど、
やっぱり面白くないんですよね。
いやでも本当に僕自身もやっぱり1番ぐらい溜まってしまったどうしようもないバーの
ノートブックのような状態で、もうなんかこう、呼吸できないみたいな感じで、
興味もなくなっていきみたいな感じが、本当にこういう関連で僕が見てるのって、
打ち合わせキャストが多分一番見てて、そこの概要欄とかから、
最近こういうのも出てるんだ、感じで気になればチェックみたいな感じで、
やっぱり前は、僕あれなんですよ、もともとは興味も、こういうことに興味持ったのが中学高校ぐらいで、
早いですね。
僕らが最初に買ったスマートフォンっていうか携帯が、
WilcomのAdSっていう、Advance ES 003シリーズ。
要するにあれですね、なんかキーボードが付いててですね、
Windowsが入ってて、設定ファイルとかをいじくらないと全然まともに動かないみたいな、
そういうやつを買ったんで、結果的にこう、何だろうな、
なんかちょっとしたメモを取るとか、どのアプリ使えばいいんだとか、
何も自明じゃない、ハードを買って、
それがきっかけで結構こう、どういうソフトを入れようかとか、
あとまだギリギリネットランナー的なものっていうか、
ああいうカルチャーも生きてたんで、
だからああいうカルチャーが、やっぱりもうことごとくこう、
淘汰されていって、それに巻き込まれる形で、
ある種ザッタのものも全て根こそぎ死んでいったっていう感じなんでしょうね、きっと。
いやそうですね、だからこれは思い出話っていうよりは今もそうなんですけど、
僕当時のそういう文脈にどれぐらいピッタリ当たるか分からないですけど、
Kazumaさんって昔からすごく面白い人だと思う。
Kazuma Katsuyoさん。
Kazumaさんって最近、一時期若干露出も減ったかなって僕は見てたんですけど、
最近ブログとYouTubeでグッと復活してる感じで、
Kazumaさんは、これ僕どうしても笑っちゃうんですけど、
ペダルで音声入力をペダルでコントロールするみたいなこととか、
あと両手にスマートウォッチつけるといいですとか、
Kazumaさんって昔からそういうエキセントリックとかSF的な面白さがある人だなって思ってて、
すごいワクワクするんですよね。
もちろんそんなのみんなやるわけないだろうっていうことはあるんですけど、
やっぱり当然こういうライフハック話っていうのは、
こういう言葉も言わなくなりましたけど、やっぱりアーリーアダプターのものというか、
ちょっとエキセントリックだけど効率化してるような気がしなくもない。
だからそうなんだよな。
ブームが衰退したのは、結局しなくもないせいにみんな気づいてしまったっていうことだと思うねん。
だからもう幻想性が暴かれてしまったっていうことなんだよね。
だから今でもKazumaさんに興味を持ってる人は、そういう楽しみ方ができる人だって、
真剣に社会的成功を目指してる人は、今は別のところに吸い寄せられてると僕は思うけど、
でもKazumaさん的なものが自分に直接役に立たないにしても、
その発想に刺激を受けるってことは絶対あるわけで。
いや、ほんとそうですよ。
そういうのはなくなって、今はもう、もっとこじんまりしたビジネスの話が多いからね。
そうですね。
確かに本当に発想が小さくなったみたいなことはあると思うんですよね。
思います。
いや、そうなんだよな。僕だけが、さっきのKazumaさんのペダルとかもそうですけど、
僕がすごい印象に残ってたのは、ライフログの話が出てきたとき。
絶対意味ないだろうと思ったんですよね。読まないでしょみたいな。
だけど、やっぱりなんか面白いなと思ってて。
やっぱりライフログは、さっきのKazumaさんの音声見るのが普通にかなり面白い可能性あると思うんですけど、
ライフログはかなり、その後そういうのを押し進めてた方も結構反省してる人とかもいるのも、
僕はすごくいいなって個別には思ってて。
さっきEvernoteがやっぱり象徴的な例だったんですけど、重くて動かねえよみたいな感じで。
そうですね。
自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が
そういうのが一つのムーブメントになっていく感じっていうのは、
最近だとNotionで少し盛り上がった感じはするんですけど。
でもね、Notionは僕の中では袋小路という感じがしていて。
まあ、NotionはかなりEvernote的な不穏さはあります。
多分、Evernoteより僕は立ちが悪いっていうか、性質の悪さを感じてるのは、
あれがデータベースってことなんですよね、メインが。
だからデータベースっていうのは情報を全て確率的に扱うということで、
Evernoteの良さは逆で、あれ一つのノートに雑多に入れられる、適当に入れられるとこが自由の良さだったんですけど、
その自由さも剥奪されてデータベース化してしまうと。
データベース化すると確かに効率はいいんですよ。
データはあっち行ったりこっち行ったりするとか、入力が均一で済むとか非常にいいんですけど、
そうして均一に残ったデータって何?っていう話。
絶対3年後くらいになってくると思うんですよ。
僕でもNotionはおもろいと思ってるのは、
あれやっぱりUIがすごく可愛いっていうのがあると思ってて、
あのツールはデータベースっていうのはある種の不能さっていうものとすごい関わってる。
なんかテンション上がってこない、何も出立してこない、自分の中にワクワクしないみたいなのがデータベースの問題だと思って。
人間にとってのデータベースの問題だと思うんですけど、
あれはやっぱり絵文字可愛いとか、ときめき要素によって立ち上がらせようとするっていう、
UIで基本的に戦ってるものなんだなと思って。
すげえ今っぽい見た目と表情とかルックを持ってるんで。
確かに。だって女性ユーザーめっちゃ多いもん、YouTubeで見る限りは。
いやーそうですよね。超わかりますよ。
あと今っぽい付き合うんだよな、なんかDiscordとかの感じとか、
今のネットカルチャーをすごく表現、ちゃんと、ああいうツールでするのってすごく難しいじゃないですか。
確かに。
やっぱエバーノートも結構詰まってったのって、UIの迷走ってすごく大きいと思ってて。
うんうん、確かに。
あとトンマダも、結局ゾウさん別に可愛いけど、案外横暗くないし。
そこをやっぱりモーションは一個こうなんだろうな。
データベースとしてダメになったとしても、あのなんかこう、ああいう雰囲気を出してくる。
そういうことか。
っていうのがこう一個、なんだろうな、他の人があの部分真似できるとなんか面白いもの出てくるかもっていう。
うん、確かにな。
いや、Notionで一番最初に驚いたのは、その各ページにアイコンを付けることがもうデフォルトで設定できるっていうので、
エバーノートを使ってた時でも自分でノートのタイトルに絵文字を入れてたんで、だからもうこれ必須やなとずっと思ったんですよね。
あの、デジタルのフラットさっていうのが大量の情報を扱うときにすごく邪魔になってくるんで。
いや、本当です。
ノート一枚一枚に立ち上がるそのエモさっていうのは多分必要で、だからそこは非常によく見ているっていうのと、
でもデータベース的にデータが扱える上に、APIも公開しててガリガリデータ思考でもあるんだよね。
でも僕は思うに、そんな状況でもこうしようと思っている主体がそこにいるわけじゃないですか。
ああー。
自分を誘導させてでもこれをしたいと思っている主体が僕は真の主体と思うんですよ。
うんうんうん。
だからね、やっぱりそういう試みというかが、多分一番大切なんだろうなと。
うんうんうんうん。
なるほどなー。
結構自分はその、何ていうのかな、
そういう主体っていうものを結構、なんだろうな、
バラしていく方に結構考えがちで、
はいはいはいはい。
つまり習慣とか行為の束みたいなものっていうのが、
主体をこう、結果的に構成するっていう風に思ってて、
それがこう例えば、人に何か説明するときとかさっきのモデルみたいなのを作るとか、
あるいはこう責任を取らなきゃいけないとか、
そういう場合にはその、習慣の束としてのこう、人格らしきものがそれを引き受けざるを得ない。
はい、そうですね。
なんだけれども、実際のこう、ことっていうのはやっぱり、
具体の行為や習慣がただ散らばっていて、
で、主体はまあまさにさっき倉下さん言われたように、
まあほんのわずかに、こう、その方が見られる。
だけど実行力があることはすごく少なくて、
やっぱり、非常に体力があったりすると、こう、
主体、自分のこう主体としての自分の命令を自分の体が聞けるんだけど、
はい。
ほとんどの場合は命令もよく聞こえない。
自分の場合はよく聞こえないし、聞こえても説教やんみたいな感じで、
なるほど。
全然こう、うまく動いてくれなくて、
だからどうやってこう、なんだろうな、
自分がたまたまやりそうなことみたいなのをどうやって、
うんうんうんうん。
ポジティブに展開していくかとか、
はい。
あの、生産性につなげていくかみたいな、
でもあんまり生産性って考えすぎるとその行為が仕事になって嫌になっちゃうんで、
それ不思議ですよね、あれ。あれ不思議なんですよね。
いやそうなんですよね。ブログ好きなのに毎日ブログ書くの仕事にはしたくない。
(笑)
うん。これなんか人間がロボットと大きく違って、やっぱりそのコンテキストっていうのが情報解釈に大きく影響を与えて、
だから全く同じことをしてるはずなのに、自分の解釈の仕方というか、
気分によって捉え方が全く変わってくるということを考えたときに、
やっぱりその環境をどうデザインするとか、心の文字をどう持っていくかということを外して、
人間のノウハウというのに固めないと思うんだよね、これは。
いやそうなんですよね。だからその環境との調整ということが必ず、
まあ調整っていうか、アフォーダンス系のね、椅子に座るときに向こうから光が入ってきて、
ちょっとずつハンドルを切ってみたいな話とかすごい出てきますけど、
本当にそういうことっていうか、すごく微細な調整が意識してないことも含めて、
行われ続けているっていうふうに思ってて、
だからそれをノウハウの本にしたときに抽象的に習わないとすごく理解できる。
つまり、毎回、毎回とは言わないけど、やっぱり時々もう1回当てはめ直すみたいな。
はいはいはい。
単に手順を覚えても、やっぱりそれを調整したり、自分に合うようにカスタムしなきゃいけないし、
その自分もリズムで変わっていくからまた調整しないといけない。
そうそうそうそう。そこなんだよね。
自分が変化するってことが加味してない人がね、結構多いんだよね。
いやそうなんですよね。だからやっぱりこれ道具やノウハウの話が面白い。
ノウハウを自分が実行しなきゃいけないっていうことがすごい重要っていうか、
こっちの自分なるもののパラメーターが結構動くから、
前は自分にフィットしてたけど、もうダメみたいなことがあるから、
だから多くのノウハウ本の人間観ってのは非常に冷たいもの。
固定的というかね、経済学のモデルの人間なみたいな感じで。
いやそうなんですよね。毎回こういう、もっと先行が変容する可能性とか、
まさにモドケ台風じゃないけど、だんだん変わってっちゃったりとか、
条件が見えない変数がちょっと動いただけで全体のバランスが崩れたりとか、
そういう不確実さっていうのがものすごく大きい前提で、
僕は囲まれてるっていうイメージなんですけど、ノウハウとか道具とかに囲まれてると、
より堅牢かみたいな。ガクンと落ちても戻ってくるのが早いとか、
落ちてるんだけどギリのところで止まれてる状態にできるとか、
結構そういう、こうなんていうんだろうな、
なんかちょっと知的生産本の未来みたいな話をいっぱいしちゃってますけど、
自分は特にグリッドみたいな方法がありましたよね。
やり抜く力できないやつですよね。
そうです、そうです。とか、あるいは人文系に目を移してもケアを開くシリーズとか、
やっぱりこう、人間が非常に崩れやすいっていう前提にどう向き合うかっていうのを
みんな考えてるところだと思うんで、
知的生産の議論っていうのがそこと接点を持つ可能性っていうのが自分は一番、
少なくとも自分ができそうで、
みんなもある程度興味を持つかなっていうラインとしてその辺を持ってて、
今回のが一応、その一発目っていうか、前からノートとかでは似たようなこと書いてたんですけど、
ちょっとずつ、調子悪い中でどうやって騙し騙しやるかみたいな話を、
今回やっぱり文章って具体的なところに落とせたのはすごい良かったので、
なるほど。
なんかいろんな領域でそういう話をもうちょっとやりたいなと思ってます。
やっぱりこう、調子悪い中でちょっとずつやっていくっていう工夫の話って、
少し前のスーパービジネスマンからすると、完全に負け組の発想じゃないですか。
逆に何もしなくていいんだ、開放型の人たちからすると、
無駄な足掻きをしてるわけじゃないですか。
もっと自由で何もしなくていいじゃないかっていう話、
その両極端に入らない話なんですよね。
そうですね。
ダメな中でも何かしたいっていう、
そのしたいっていう意思は笑わないっていうところがあって、
僕はそこが一番大切やなと。
結局どっち先の両極端って、
反対側の人間は確実に笑うことになるわけですよね、あいつらは。
それはやっぱり人間感としてはちょっと貧しいという感じがするんで、
意思してしまう、何かを心がけてしまう人間性っていうのもやっぱり人間性の一つだと思うんで、
だからそういう弱さを含めて意思してしまう人間っていう中で、
どんな工夫があるのかっていうのを書き出すっていうのは、
なんて言ったらいいんやろ、難しいな、
適切なジャンルが思いつく、名前が思いつかないですけど、
逆に新しいジャンルになりうるというか。
僕結構気持ち的には、
この領域はある程度ポジティブに思ってて、
例えば企業家はすごくメンタル壊しやすいですよ、みたいな話とか、
それにそういうエビデンスにくっついたサービスみたいな、
コーチング、メンタリング、ちゃんと資格持ってる人がやります、的なやつとか、
あるいは結構知り合いの若いライターの人が、
あるアーティストへのインタビューを音楽誌に載せてたんだけど、
結構な紙幅をメンタルコントロールをどういう風にしてますかっていうところに割いてて、
インディーズで活動していくってすごく困難なことだから、
そういうことが絶対あるっていう風に、
記事を告知する時にそういう問題意識で聞いてましたっていう風に言ってて、
結構こう、いろんな領域でそういう、
本当に大きく言ってしまえば一種の人間感の変化っていうか、
さっき倉田さん言われたみたいに、
弱々しくしかしなぜか意思してしまう人。
つまりさっきの話も企業とかじゃやめればいいじゃんって。
そうそうそう、そういう話になるからね。
企業も音楽もね、つられたからやんなきゃいいじゃんみたいな。
いやいやっていう、でやっぱり大抵の哲学でも、
これはこの時代なりの問題意識になるんじゃないですかね、きっと。
いや、本当そう思いますし、倉知さんの本の最終章も、さっきちょっとビッグデータ批判的なのがあると少し言いましたけど、
基本的には結構ダークですよね、世界観は。
人間観は非常にダークな時代に力強く脳と片手に突き進んでいくみたいな感じですけど、
世界観は非常に、あまり良い状況じゃないんで、こういうセットアップが必要っていう設計になってるなと思って。
だから、牧歌的ではないよね。だって今、僕らが何も意識しなかったら、レコメンドに囲まれてしまうわけで、
そのことを疑いもしないよね、きっと。
うん。
うん。で、やっぱそれは、間違ってるとまでは言わへんけど、不自然やなとは思うね、それは。
あー、なるほど。
うん。
なるほどな、確かに確かに。不自然、うん、そうですね。
なんか、批判したいっていうよりは、こう、違和感を感じてる人の角盛りですよね。
うん、うん、うん。
それも若干わかる、わかりづらいって言ったんですけど、複雑ですよね。つまり、ふざけんなっていうほどの感じではないですよね。
はい。
反動的ではないし。
だから、その選択肢の一つとして何かがあるのは別にいいんですけど、
動機のようになってること自体がちょっと怖いなという感じかな。
うん、うん。
いや、そうですよね。いや、だから、本当、個人的にはそういう、こう、なんか、ダーク、ダーク知的生産みたいなのが、こう、
闇の知的生産ね。
そう、いや、そうです、そうです。
現状認識が現れてくるだろうという、現れきつつあるという現状認識及び予測でもあるし、自分も一定コミットしていきたいなっていう風に思ってますね。
結構それもあって、自分の原稿であんまり自分のことを書くときに「鬱」とかそういう、なんだろうな、
結構具体的なことを意味する言葉をあんまり使わないようにしたんですけど。
はい、はい、はい、はい。
だから、調子悪いわーとかなんかやだーとかはあったけど、
なるほど。
鬱はね、具体的にこう、つまり定められたものなんで、そういう言葉を使うかっていうのは結構悩んだんですけど、自分的には、
いや、もう今後はある程度そういう人なんだっていう、みんなに別に知られてもいいし、
なんか、そういう前提で、さっき言ったような不安定な中でどういう風に考えるのかとか、
仕事をするのかしないのかとか、という話をもうちょっとしたいなと思ってます。
やっぱり、バカなんですね。仕事をしないっていう。
いや、仕事をしない選択を提示する本なんて本当にないよ、この世の中で。
いや、あれ迷ったんですけど、まあ突っ込んでよかったなって。
いや、もう、あれは本当に素晴らしいというか、ロックでしたよね、あれは。
中指でしたね、あれは。
いや、でも、あれは。
一応言うと、あれですね、つまりいろいろ、僕のはかなり、実際のツールの名前とかが大量に出てくる現行で、
手を変え、品を変え、なんとか文字を作って、という、一種本当に脅迫的な感じでどんどん進んでいくんですけど、
最後のところで急に、もう全部やめて美女を止まりに行きました、みたいな話が入って、
で、締め切りが最後書いてあってめっちゃ破ってるっていう。
いやー、なんていうかな、そう、まあ千葉さんも言ってたけど、その締め切りってだいたい20底30底になってて、
最初の締め切り破ってもまあ大丈夫みたいなのもあるし、
徳島さんもなんか2回くらい締め切り送らせてもらったみたいな話があって、
あのー、世の中、人間が決めたことって、いくらでも動くんですよね。
いや、本当ですよ。
万有引力は動かせないかもしれないけど、人間が決めたシステムに沿うものって、実はいくらでも慎重性があるというか、変わるというか、
そこがね、見えにくくなってる時代の中で、やっぱり、その、物知してもいいよっていう、
いや、物知する可能性というのを提示したっていうのは、まあ僕はでかいと思う。
結局、僕もそういう事態の状況になった時に、やっぱり逃げるっていう選択肢が真っ先に消えるんだよね。
いやー、そうですよね。
だからそれがちゃんと提示されたのはね、えらいし勇気があったなと思いますね、あの話は。
いやー、だから千葉さんも最後に「賭け」っていうのを言ってくれて、
僕はすごい共感するっていうか、だからバカンスとは、要はサイコロ振れっていうことなんですよね。
だから、例えば、編集者との関係が切れるかもしれないみたいなことももちろんあるし、
これは何でもそうですよね。単位でも、本当に機械的に時間で切る先生なんだったらもちろん、
そうですね。
バカンスしたらダメだけど、まあ、売れても送って、おもろいってなって単位来るかもしれない。
そうですね。はい。
それでまあ今時そういうのやると、それはそれでコンプライアンスってなっちゃうかもしれないけど、
まあ、ね、常にその可能性に満ちてるわけだから。
はい、そうですね。
コンプライアンスなんか破るかもしれない。
(笑)
で、やっぱりそういうこうグレーなラインで、実際我々の体はグレーに作られてるわけなんで。
確かに。
それがどうしてもなくなっちゃった時に、やっぱり一回グレーゾーンにこうにけ込んで、まあダメかもしんないけど、
まあでも僕の経験的に、まあそれ単に自分の目測が、割と当てがいいからかもしんないですけど、
まあ今のところは、あとまあ怒られてもいいですからね。
そうそう。怒られてもいいね。別に怒られてもいいし、学校の評価が下がってもいいし、
ブロガーとしての知名度がなくなっても別にいいんですよ。
いや、いいというか、悪影響は出るんですけど、自分が思っているほどのインパクトはないということを気づけるんですね、実際にやってみると。
で、実際にやらない限り、そのインパクトの目測の誤りが修正されないままなんですね。
自分の思い込みの中でずっと生きてしまうことになるんで、一回ルールぶっちゃけてみるっていうのはすごくいいと思います。
何でもいいんやけど、ブログとかで企画してみんな記事書いてくださいみたいなことを募集するとするじゃないですか。
そうすると、めちゃくちゃ細かくルール聞く人がいるんですよ。
はいはいはい、おりますね。
僕としては、例えばテーマがAって募集しても、Bのこと書いてきても、まあいいかって普通にエントリーする予定やけど、
このどこまでがAなんですかみたいな話を突き詰めてきはる人がいますね。
だから、やっぱりそういうルール観で今強いんかなとは結構思いますね。
やっぱりそれは本当にそういう特質の人もいると思うんですよ。
もちろんね。
だけど、やっぱり単純に本来というか普段そういう風にしてないんだ。
つまりその人にとってもそれは全然居心地がいい状態ではなくて、緊張してっていう。
つまり、倉須さんみたいな著述家の人のところで、やったこととかないし勇気を出してみたいな感じで、
なった結果そういうロボット迷惑出力みたいなことが起きるみたいな。
それをリラックスさせるっていうか、
さっきのバカンスとかも自分の中では非常に同じようなものなんですけど、
結局その締め切りでやばいって言って、
神経症的なものか鬱的なものか分からないんですけど、
やっぱりリズムがおかしくなってるっていうことだと思ってて、
それをやっぱり戻さないといけないっていうか、
そういう時には大概ビジネス的なあれで言うと、
1か0か的な状態というか、
もう出さない=死ぬ、仕事ない=死ぬ、みたいな。
あるいは一種の世界系的な状態っていうか、
もう俺の原稿が出ないからこの雑誌も終わっちゃうし、この世界も終わるみたいな感じに。
それをどうやって、もっと中間があるよっていうことを、
自分の体が理解するためには、やっぱり瞬間的にすごいリラックスしたり、
それによって結果的にめっちゃ怒られるかもしれないけど、
でも怒られた方が良くて。
なるほど。
長い目ではそれは中間が分かるってことだと思う。
確かに。
さっきの締め切り20族30族みたいな話じゃないけど、
あれもこの場であんまりそういう風に議論できなかったんですけど、
単に本当の締め切りがどっかに隠してあるからまだいけるっしょっていう話ではなくて、
やっぱり実際には相互調整が行われるわけですよね。
そうですね、確かに。
編集の人に明日までとか言って、
明日までに対して向こうがノリノリで返してきたってことは、
明後日までなんだからみたいな、常にやり取りの中で。
はい、確かに。
それで金曜とかまで引っ張れれば、何だっけ、手間の平気だったのかみたいな。
なるほど。
やっぱりその交渉の契機にもなるっていうか。
だからそうか、対話が開かれるわけですね、その瞬間に。
そうですね、そこまで行けるための、なんだろうな、
ためっていうか、交渉するための体力をやるためにもバカンスがあるっていう風に結構思います。
おお、なるほどね。
自分は結構、とりあえずビジホ行って、
温泉の元とか突っ込んで、
ああ、ああ、みたいな、もうやだみたいな。
感じになると意外と、
いや、待って待って、なんとか別にできるでしょ、みたいな風になってきたり結構するんで。
そうか、やっぱりその場所を変える、現実との場所を変えるっていうのは結構気分的にも大きいんでしょうね。
僕やったことないからわからないですけども。
もちろんね、今とか特にできる状況によってもできない人もいるしとかもありますけど、
あれ本当可能な限り、
特に自分とかの方に共感するような、結構、どういう理由であれ、結構テッドロックっていうか、
体がカチコチになっちゃう人とかは、結構そういう劇薬系はやった方が結果的にいいことが多いんじゃないかなと思います。
まあでも本当にだから、その交渉というか調整が、この世の中から失われつつあるというか、
電気屋さんで家電買うときも、昔は値切るのが当たり前だったわけですけど、
今は一番安いところでポチるわけじゃないですか。
交渉というのがないですね。交渉がないっていうのは、だから、
線引きが動く経験をしたことがないというか、
提示されてるけどもっと安なるの?みたいなことを、世界の認識が書き換わったことがないというか。
だからやっぱり解釈がいらなくなってるってことですよね。
だからそれはノートが必要ないと思っちゃうっていうことだと思う。すごくネタ完成だと思うし。
なるほど。
ノートを読み返して認識が前と変わっていることに気づいたりするっていうのが結構後半部で重要な機能として書かれてると思うんですけど、
あれってやっぱり、要は自己像とか固定化されてないっていう前提がある。