1. うちあわせCast
  2. 第七十七回:瀬下さんと『ライ..
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はい、打ち合わせキャスト第77回ということで、今回はゲストに久志もさんをお迎えして、
2人の新刊についてお話したいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
多分第77回目にして初登場ということなので、軽く自己紹介いただけたらなと思います。
はい、普段はフリーランスで編集者の仕事をしています。
大体はウェブの記事を作ったりとか、
あとはプロジェクト型というか、みんなで雑誌を作ったり、みたいなのをやったりとか、そんな感じでやっております。
一応ポッドキャストもやられてるんですよね。
そうですね。スリープオーバーラジオというやつと、ポコラジっていうラジオと2つポッドキャストをやってます。
はい、だからアンカーで確か配信されてたんで、これを聞いている方はスリープオーバーラジオを検索していただければ、
久志もさんのラジオが発見できると思います。
はい、ぜひそっちもお願いします。
今回は2人の、2人っていうか、2人の本が同日に発売されたということで、
2人で何かイベントできたらいいねという話をしていて、この回をプロデュースしたんですけど、
明日また似たようなイベントになってしまっているんです。
そうですね。かなり似たものですね。というか同じ、座組も中身も全部同じなんじゃないかと言ってた。
明日ツイッターのスペースでやることになっているやつは、編集士さんが間に入ってくれるという話なので、
あ、そっか。だから座組はそういう意味では違う。
だから、もっと本作りの中の話には明日になるんじゃないかなと思うので、
また別途だと思うんですけど、多分この回は今日配信されるんで、
明日の告知も一応しますけど、ツイッターのスペースで20時だったら8時、夜の8時からスタートされるということなんで、
暇な方はツイッターのタイムラインも覗いてくださいと。
ということで、今回は2人の本の話なんですが、まずさっき私から言いかせていただきたいんですけども、
まずね、本当にお疲れ様でした。
もうね、そのことしか出てこないんですけど、
多分座談会がスタートをやったと思うんですけど、
あの座談会でも、僕思うんですけど、あの場所で喋るのって結構辛くなかったですか?
そうですね、説明をするとですね、
要するに、さっき世知谷さんの本と言っていただいたんですけど、
僕の方は教長で千葉雅也さん、山内智樹さん、独所ざるさんといてですね。
どういう、いろんな、どの言い方をしても大体同じことなんですが、
まず単純にこうネームバレルじゃないけど、そういうこともあります。
で、あとは、やっぱり人文系の、まあこう、リベラルハーツパワーみたいなものもあります。
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そして、独所ざるさんはね、公開されてないですけど、
その、まあキャリアというか、ということもありですね。
まあだいぶこう、胸を借りて喋るという感じで、
まあ、ただ、こういうのは一回覚悟を決めれば、あとはもうやるしかない。
ああ、いけました。割と開き直れました。
僕結構そういう、なんか、やったるでって一回なればいけるっていう。
いやでも、年齢も多分一回り以上違う人ばっちばっかりですし、
さっき言われた、そのキャリアとかネームバリューとか、多分もうオーラが違いますよね、きっと。
そうですね、だから僕もかなりこう、まあ負けないぞっていう感じで。
おお、すげえな。
いやだから、まあ座談会も座談会で結構あれでしたけど、
まあ一応その会話っていうのはここでもやってるように、
まあノリとテンポで進んでいきますけど、
本にしましょうってなった時に、
あの人たちが書いた文章の中に自分の文章が混ざるっていうことでしょ?
僕、多分、そっと押してますよ、そんなこと言われたら。
そうですね、まあ文章の方がおっしゃる通りで、そのプレッシャーは強かったし、
で、書いてる内容自体もまあとにかく、
まあプレッシャーって言い方はしてないですけど、まあしんどいっていうことをかなり強く書いてて、
で、まあ書く時に思ってたのは、キャラを出そうと思ってたんです。
単純に、いわゆるこう大雑把に内容とそれ以外のものみたいな風に考えた時に、
内容だけではちょっと戦えないだろうと思ってたので、
なるほど。
はい、まあ、なんかなんとなくこう若者っぽい文章にしようとか、
多分皆さん自由に書くだろうと思ったんで、
僕は結構、若書っぽい、こうなんていうか、理屈っぽい感じの性立て、細かくこう切ってみたいな風にしようとか。
なるほど、なるほど。
で、あとは、これもあんまり普段自分は好きじゃないというか、あんまりやらないんですけど、
はい。
いわゆるこうなんかここ引用してもらおうみたいな、
おー。
見え決めみたいなやつ。
はいはいはい。
もうかなり意識的にもう無理やりもうここは決めてくださいみたいなやつを事前に、
こう編集者としての自分がこうライターとしての自分に発注するみたいな感じで、
うーん。
必ず決めをここで作る、ここで作るみたいなやつを作ってとか、かなりまあ、
まず本当ここに書いてる手法通りなんですけど、
まあ人工、本当人工的だなって感じの作り方をしたんです。
うーん、そうなんや。
でも、まあ4人のその後どう変わったかっていう文章のうち、
千葉先生と東昌さんは比較的その書き方について普段からアウトプットされてるんで、
まあまあおそらくそうだろうなみたいな範囲で、
で、やっぱりその山口さんの文章が一番心に響いたんですよね。
ああっていう感じ。
でも一番共感を覚えたはね、やっぱり世次元さんの文章ですね、これは。
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はははは。
ありがとうございます。
これ非常によく分かるというか、
あの、まあそのある程度の演出はありつつも、
やっぱりリアルに感じてる、まあいわゆるそのまあ凡人というとあれですけど、
一般の人たちが感じてる痛みっていうのがありありとそこで出てて、
共感されるのは多分この文章が一番高かったんじゃないかなと思いますね。
いや、ありがとうございます。
あの、僕は結構なんだろうな、
単純に結構病みやすいタイプっていうか、
あの、神経質なんですけど、
まあそれをこう、なんだろうな、
あんまネタみたいには、
なんかあんまそんなのどうかなってずっと思ってたんですけど、
今回はまあ内容的にもそれを、
自分の場合は本当に深く関わってるんで、
し、えっと、
単純にまあ要を合わせていく商品価値っていう意味でも、
まあ多少は人格を切り振りしてなければ、
はははは。
対抗できないなというので、
なんでまあ共感につながったっていうのは非常に、
そういう意味では良かったなと思います。
だからでも人格を切り振りしてると言っても、
それはだから、熱像してるわけじゃないですよね、だから。
ああ、そうですね。だから、あるんだけど、
今まで販売してなかったものを。
そうしたっていう。
いやでもやっぱりそこは、でもね、なんか今後の文章の中で
戦記になってくるんじゃないかなっていうふうには感じますけどね。
うーん、そうですね。
なんか、自分的にはまあ本当これちょっと本の中で言ってるようなことですけど、
こう、いわゆる内容を詰めてくっていうことへの脅迫観念みたいなのがすごく強くて、
逆にこう、文体とかキャラクターみたいなのをあんまり出さない方がいいみたいな、
こう、内面的な規範がすごく強くて、
でまあそれで結局出なくなるっていう。
うんうん、わかりますわかります。
のもあって、ただやっぱりそれに対してこうどうやって出させるかっていう問題意識はあったんですけど、
じゃあその、なんか避けたいなって思ってる人格の部分をどう出すかっていうポジティブにはあんまり考えたことなかったので。
うんうんうんうん。
でまあ今回はもう出すって決めて作ってこうなったんで、
まあ本当おっしゃる通りというか、こういうスタイルのやつはある程度はやりたいなっていう。
うーん。
やっても、普段ならやってみなかったことをアウトプットして、
まあ結構多くの方に手に取ってもらって、
まあ反響はあったと思うんですけど、その反響を自分なりにどう感じましたかね。
えーと、本そのものっていうかこの自分の原稿ですかね。
はい、もちろん自分の原稿で。
はい、僕自身の原稿に関しては、でもおっしゃっていただいたような感じに近くて、
やっぱり共感に近いことをおっしゃる方が多かったのと、
あとすごい嬉しかったのは、ここ引用してくれっていう部分結構引用されてたんで、
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それはすごく良かったですね。
まあこう、そうやな、文章を厳密に作る人って、
何て言うんやろう、原稿を頭から最後まできちんと整えたい人じゃないですか。
僕もそうなんですけど、
そういう人にとってはだから、すべての文に意味があるんですよね。
でも人ってそういう読み方あんまりしなくて、
キャッチーな部分に目に留まって、その他の印象は割に薄いみたいな、
なんか結構普通な読み方なんですよね。
だからその見栄を切る場所を作っておくっていうのは、実はいいんですよね。
読み手にとっても。
そうですね、結構自分は段落の最初か、もしくは後、
説の最初、後、章の最初、後みたいな感じで、
結構割とパラグラフライティングっぽく、実際にできてるかともかく、
意識としては結構そうしてて、
やっぱりその主張にあたる部分は、まあ言ってみれば、主張なんで。
こう、どういう雰囲気をまとった文でもいいっちゃいいんで。
なるほど、なるほど。
やっぱりその最初、最後のあたりで、この辺でそろそろ飽きてきそうだから、
かっこよさげなのをやるかみたいなのを、ある程度決めてた。
で、そこが実際結構引用されてたっていうのはすごく嬉しかったですね。
そういう読者の反応をある程度イメージした文章の書き方っていうのは、
あんまりしてこなかったんですかね、今までは。
えっと、読者にとって大事な部分を文体的な芸とかを使って何とかしようとするっていうのが初めてだった。
なるほど、なるほど。
普段は文芸というか小説とかっていうのは書かれたりしないですか。
書かないですね。僕はいわゆる、
そうか、なるほど。
ちゃんと編集多い。
あと、自分的にはアイデンティティはブロガーだと思ってて。
僕と一緒やね、それは。はい。
そうなんですよ。あと、倉賀さんのこのラジオの僕がどれくらい好きか、そういうのも後で言いたいんですけど、
それすごいいつも共感してますね。
ブロガーとして書いてるっていう意識は自分はすごく強くて、
倉賀さんは多分それもこう使い分けていくっていうのとかあると思うんですけど、
僕はなんか結構ずっとブロガー的になっちゃって、
どうやってそれを少し仕事に合わせて調整するかぐらいしかできなくて。
それは時間がかかりますね、やっぱり。
そうですね。今回はなかなか難しかったですね、そういう意味では。
そうか、確かにね。だって周りの人たちブロガーじゃないもんね。
でも、どこかで倉賀さんはブロガーかもしれないな、まだ。ちょっとわからんが。
でも、ブロガーっていうのはどうしても一期次単位で物事を考えるんですよね。
そうするとやっぱり単調っていうのが難しくなってくるんですよね。
お疲れ様でした、というのはまさに倉賀さんに言うべきというか。
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いやいや、僕の場合は今回の本はかなり自由に書かせていただいたんで、
しんどさはあったんですけど、いたたまれない苦労みたいなのもなかったんですが、
そこでやっぱり聞いてきたのが、その自己検閲というか自己抑圧がだいぶだったんですね。
で、やっぱり文章を書く上での掛けなさ具合っていうのが、この本の4人の中でそれぞれ微妙に違ってるというか。
せしもさんはどちらかというと自己検閲というか、
心理眼が高すぎるが故に書けないみたいな感じで、
どこかで倉賀さんは多分、書いてるうちに詳細が爆発して、
ボリュームが膨れ上がってしまってまとめきりへんみたいな感じで。
で、たぶん千葉先生も規範性が強く働いてて、うまく書けないっていうことが多かったと思うんですけど、
一人の人間の中に、そういう掛けなさ具合がある程度リミックスされてはいるんですけど、
ノーターというか、人によって強さが違いがあるんですけど、
僕は最初の頃は自分に課す規範がかなり強かったですね。
なるほどね。
不思議に思うんですけど、メルマガは…いやいやいや、
Rスタイルは365日ほぼ欠かさず更新してましたし、
シゴターノとかも週1とかメルマガも週1更新で、
一回も締め切りに遅れたことがないのに、
本は一回も締め切りで書き上げたことがないんですよね。
あー。
で、これって何だろうってずっと思ったんですけど、
やっぱりその本っていうのはこうあるべきだっていう規範性が僕の中でめちゃくちゃ強いんですよね。
なるほど。
で、そこに合わせようとするんだけど、
自分の技術的にも耐えれないし、内容的にも違うからということで、
何回も書き直したりせざるを得ないっていう。
で、それって…
うーんと、ある目標に向かって進んでいっているはずなんですけど、
書けてないから進んでる感じがしないんですよね。
本に言うと進捗感がないというか。
文字は増えてるけど、これで本当にいいんだろうかっていうのが常につきまとってたんですよ。
で、今回の本はそれがなくなった。
もう自分で書いたものがこれでいいんだって開き直れたから、
今回の本は僕はかなり楽に書けましたね。
今回の倉須さんの本は本当に今までと全然違いますよね。
文体、文章の運び方自体は、いわゆる倉須武士とかよく言われますけど、
話の土俵の持ち方がだいぶ違いますね。
自覚としても違うなって感じます。
これは明らかに代表作ですよね。
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まあだから、主張っていうのが初めてできたなっていう感じがしますね。
絶対そういう手応えがあって書かれてるんだろうなって読んでて、ひしひしと感じました。
途中まで、途中までか書き終えた後もですけど、本当にこれでいいのかっていうのはずっと思ってましたよ。
まあ怖いだろうなと思います。
僕はこんなに長いものを作ったことがないんで、あれですけど、
勝手に共感してしまうっていうか、
これを世の中にこういうなんだろうな、
レーベルは、正解者は意外とこういう本はあると思ってるんですけど、
なんか純粋にこのタイトルでこの中身だった時に、
多分今日の一個論点かもしれないですけど、
具体的なツールがもっと紹介されたり、
メソッドを実際に倉須さんがどういう風にやって、
なんとかみたいなことがあったりみたいなところを、
多分かなり意識的に落として、
大きい議論とつなげていくような書き方になってるから、
そこの部分がどっちかに追われるかっていうのは不安。
だからさっき言ったように、自分の中にある規範性があって、
それに沿っておけば大丈夫だろうと思えるわけですよ。
自分の中にある規範って言うと、多分正しいと感じるもんだって。
そこから逸脱したことによって自由にはなったんですけど、
その自由のトレードオフとして不安がやってきたんですね。
これは避けて通れないというか、
そうですよね。
誰かが認めた良いものとか、
これに従ってこういう本はこう書くべきだっていうのに、
従っておけば、多分僕の中では必ず星は3以上つく仕事になる。
2とか1には絶対ならへんけど、
でもその仕事のやり方では、多分豪語にはならないんだろうなという風に、
今のところは感じてますね。
やっぱりその話が大きい議論になってるのは、
最初のノートの定義が大きいからだと思ってて、
基本的に記録してるあるものは大体ノートみたいな感じの定義になってて、
そのことによって、この本全体の議論がやっぱり、
いわゆる道具論っていうか、
人間が自分の外に刻みつけられたものと、
自分の脳みそのあいだのフィードバックでどんどん賢くなっていく。
フィードバックのあり方によっては賢くなっていく。
それはあくまで道具を使うって話であって、
機械に使われることとは違う。
特にこの後半で言った機械に使われるって、
ビッグデータの話とかっていう形で、
最後の方でかなりグーッと展開されてきて、
そうですね。
そうなんですよね。
どうしてもっていう大きい枠組みの中でできてるんで、
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すごく一見するとどこに向かっているのかが、
そんなにページを順番からめくってて、
最初はそんなに分かんないっていう行動になってると思ってて、
これも何か話したかったんですけど、
その一番わからなさの要因って、
こういう本って昔はいっぱいあったと思うんですよ。
そう思います。
梅沢にしろ、川北にしろ、知的生産の大化たちの方は、
別にどこに行くか全然わからない。
川北の発想法なんかも、発想法ってタイトルだけど、
俺の野外区画とかいうのがあってねみたいな、
3つの科学があるみたいな、
そんなこと聞いてないでしょみたいな感じの作りになってる。
そういう本って昔はあった?
ありましたよね。
僕らというか、世代含めていいかどうかは分かりませんけど、
そういうのを見て学んできて、
この道に導かれたみたいなところがあって、
梅沢は最初の方で、
情報社会がやってくるよっていうことを論じた上で、
知的生産の技術が必要だった話だった。
川北さんも発想法というか、野外科学の方法を論じて、
やっぱり各々の射程が広いんですよね。
もともと見てる射程が。
本当ですよね。
個々のノウハウって具体的な話に落ち込むかもしれないですけど、
それはあくまで大きいことをやるための一つのノウハウでしかないという位置づけがあって、
そういうのにワクワクした感じが、
今の本にはほとんど感じられないというのが、
どうしても僕の中ではあったんですよね。
そこを取り戻したいというか、
そういう感じはずっとありました。
非常に狭い意味での、
お金が儲かりますよとか、
目の前でやらなきゃいけないことがすぐに終わります。
すぐかつ楽に終わりますよとか、
それはそれで素晴らしいことなんだけど、
その向こう側にどういう組織の在り方とか、
社会の在り方を見てるんですか?
あるいはその道具について、
その道具はどういうものだと思ってるんですか?
というような話まで、
本当はそっちがやりたい。
それをやるためにそういう話があったり、
あるいはそういう具体的な仕事術みたいなところをやってたら、
気づいたら、それでどういうふうに世界を見たかったんだっけ?
みたいなことが変わってくるみたいな。
自分は知的生産本とか大雑把に言ってビジネス書って言っていいと思うんですけど、
結構そういうものを見てたところがあったんで、
クラスさんの本は優れて、
そういう本の伝統の中にある本だなと思って読んでました。
ありがとうございます。
背中を見て育つ的なことだと思いますけど、
逆に言うと、2010年ぐらいにヒットしたビジネス書を読んできた人たちは、
そういう所定は残念ながら得られなかっただろうなと。
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だって、成立されてないからね、これは。
本の著者がどうとかいうよりも、
短時間で効率的な成果を出すって歌う本が長文だったらダメじゃないですか。
本自体も端的にメッセージを送らないと、メッセージ性が破綻するんで、
だからそういう時代の流れに生まれてしまった本たちなんだろうなと思ってて、
個々の著者とか編集者とかいうよりは、
一つの時間があまりにも多われる中で、
なんとかノウハウをテストしたらああなったっていう感じだろうなと推測してるんで、
僕はもうビジネス書で成功しようとか思ってないんで、1ミリも。
だから好き勝手やらせてもらったという感じですね。
その結果としてかなりクラスさんが感想で、
僕結構「なるほど」ってツイッターで見てて思ったのが、
こういうラジオで喋ってるクラスさんがようやく出てきたみたいな感じのつぶやいてる方がおられて、
僕かなりそれに近い感触というか、
ここで抽象的な、そもそもノートって何なんだろうとか、
デジタルとアナログで記録すると何が違うんだろうって話してるような、
そういう話が好きなクラスさんと、
例えばスクラップボックスどうやって使ったらいいかを話すのも好きなクラスさんみたいなのが、
ちゃんと2人ともが一人の人格として現れてるなっていう感じがありました。
だから元々この喋りが普通の僕で、
本を書く時には僕の中の一部分を本向けにカッティングして提出してるわけですけど、
一番の問題は、僕は趣味というか興味の持ち方が雑食的なんですよね。
1個2千名深掘りするというよりは、いろんなことに手を出す人間なんで、
テーマ別に切断すると、その領域めっちゃ狭いんですよ。
なるほど。
だから僕の力が従前に発揮されるのって、
影響的な本でしかないんですよね。
影響的に書かせてくれないとものすごい狭い。
その幅で勝負するのみたいなことになってしまうんで。
だからそうですね、
クラスター団体という書き手の力をフル発揮させようと思ったら、
カテゴリー選考ではなくて、
連想選考というんですか、
思いつき選考で本を書かせた方が多分いい本を書くんじゃないかと勝手に思ってますけど。
その中でも僕読んだ感じだと、
脳科学認知科学系の文献を使って議論を作っている部分が、
一番本全体を支えているっていうか、
そこがしっかり足場をファスト&スロー的なものとか、
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あそこが一番基本、この本のOSみたいな部分を作っていて、
勝負をかけるぞっていうところにもうちょっと人文っぽいものが出てくるみたいな。
そういう感じの、不尽で戦っている本だなという印象を持ちました。
そのオペレーションは全く考えていないんですけど、
結果的にこうなったって感じですけど、
だいぶ前かな、ヤバい経済学という本がありまして、
めちゃめちゃ面白い本なんですけど、
それ以降、行動経済学っていうのが入ってきたんですけど、
僕としてはヤバい仕事術みたいなの書きたかったんですよ、ずっと。
行動経済学の知見を生かして仕事術っていうのがあって、
仕掛かるべきだと思ったんですけど、結局そういうチャンスはなかった。
常々思ったんですよね、システム1とシステム2の対立の中で、
主体はどうあるべきかみたいなところで。
一般的な議論ってシステム1は良くないなという話になるんですけど、
そんなわけもなくて、システム1がなかったら生物として成り立たないんで、
両方必要だろうという言い方もしたかったんで、
今回は全部言おうとしましたね。
なるほどな。結構途中もずっと直感によってどんどん出させていくっていうことと、
吟味することの重要性っていうのは両方とも入り乱れながら。
そうですね。
出てくるっていう感じですかね。
基本的に単純な原理というか、
1個の方法があればうまくいきますよっていう議論は、
僕は全て前打つ場だと思っているんで、
そんなはずがないと思ったんで、
でも丁寧に両方論じていくと、長くなるんですよね、これは文章というのも。
仕方がない、避けて通れないですね、このボリュームになるのは。
うーん、なるほどな。
あとはちょっと三発的な感想っぽくなっちゃいますけど、
同じようなキー概念っぽいもので、結構自由っていうのが重要になってて、
これだから結局金儲けでもないし、
仕事の合理化はやっぱりあくまで手段っていう風になっていると思うんで、
この本が目指す目的に当たる部分というのは、かなり自由をどうやって獲得するかみたいな風になっているなと思っていて、
クラスターの自由感みたいなのが全体的に結構出ているなと思っていて。
そうですね、だからこれはある種の広い自由論というよりは、
ノウハウとかツールに対する、あるいは情報環境が私たちに向かってくることに対する一種のリベラリズムの作り方っていう言い方をしてもいいって、
思いますね。
いや、そうですよね。そのために基本的にはすごくオーソドックスなスタンスっていうか、
主体をどうやって立ち上げていくか。
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特殊っていうと違うかもしれないですけど、特徴としては主体はただいきなり自分がしっかり考えたから立ち上がるんじゃなくて、
ツールに、ツールというか具体的にはノートに支えられて、
あるいはフィードバックを受けながら主体が立ち上がっていくっていうか、
具体的にはタスクのコントロールできるようにする、
所有している感じにするとか、前に進んでいる感じにするとか、
そういうものはただ観念的にやっててもできてこないから、
ノートに何かしらの仕方で刻みつけることを通じて、
今自分はやれてるなっていう形で主体が立ち上がってくるみたいな。
ノートっていう拡張心態みたいなものにエンパワーメントされて、
きちんと考えて動ける人間がグッと立ち上がってくるみたいな。
そうなんですよね。やっぱり主体って立ち上げるものじゃないですか。
僕はそう思うんですけど。
自己啓発の本の悪いところは、主体がすでにあるものとして、
それを一種のイリアとして大切にしていこうという話なんですけど、
それは結構お寒い感じというか、
関係性とかの中で、ある種の主体って動的なものというか、
僕の中では回っているコマみたいな感じですね。
止まったらこけるじゃないですか。
回っている間だけ立つじゃないですか。
主体ってそういうものだと思うんで。
外部装置を使わない主体って結局環境の刺激に晒されているだけの主体ということなんで、
それは多分主体じゃないようなところを思うんですよ。
なるほど。
結構この本があんまり命令がないのも、
あと命令のように見えてもそれは命令ではないみたいな、
注意書きみたいなのがかなりあるのは関わってそうな気がします。
いや、だって、ノウハウ本でやり方を教えてあげましょうというのは親切なんですけど、
やっぱりそこで主体性が覚われるということが必ずあって、
一番僕が思っていたのは自己啓発症で主体性を持ちましょうって言われて、
主体性を持ったとしたら、それは果たして主体的なのかどうかということなんですよね。
うんうん。
もうだって影響されちゃっているじゃないですか、主体性を持とうと。
だからその危うさを一回考えた上で主体っていうのを考えないと、
誰かにとっての主体性でしかないよなと思っていて、
だからでも教える方としてはこうしなさいとかって言いたくなるのは当然のことであって、
だからどう吟味するか、そう言ってほしい人もいると思うんですよ。
こうしなさいって言ってほしい。
だからそこを完全にやめるっていうのもなんか違うなと思う。
だからこの本は技法っていうのを全くなくしても成立するんですよね。
技法っていうのをぺりぺり剥がしていっても成立するけど、
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でもやっぱり目印になるものがあった方が読者にとっては親切かなと思って、
その技法っていうのを折衷案として出てきたみたいな感じですね。
いやーなんかここは本当厄介っていうか、やっぱり原理的に考えるとさっき倉須さんが言ったように
デッドロックになっちゃうとか、
要はこうなんかをやった方がいいんじゃないって言いたいんだけど、
命令するとその中身が後ろ下がってしまう。
じゃあ何も言わなかったら何も起きないしみたいな感じで。
だから個人的に各々の人が自由にやってほしいと思うんですけど、
自由にやってくださいっていうのは結局何も言ってないに等しいなっていうのに
数年前に気づいたんですね。
自由にやってくださいって言ってその人がやるのって
それまで自分がやってきたやり方を引き継ぐことだけなんですよ、基本的には。
そうですね。
そこにバイアスがある以上それは変えられないから。
でも変化のきっかけとなるものはやっぱり提示した方がいいし、
それはやっぱり技法とか、別に今回は技法って言いましたけど、
技法じゃなくてもいいんですけど、何か目印になるものを提供した方が
変化っていうのは呼びやすい。
それが押し付けにならない形をどう留めるかっていうのが
最近ノウハウ本で考えてる重要ポイントですね。
やっぱりどういうテクニックや文章上の技芸とかも含めて
デザインとかもそうだと思うんですけど、
どうやって自由に向かって、自由やあるいは
自分から道具を使って何かをしようっていう方向に
方向づけていくっていうか、エンパワーメントしていく
っていうようなことの工夫をすごく考えて書いてらっしゃったんだろうな
っていうのはすごく伝わってきたし、
個人的には僕その問いが結構自分の中でもずっと、
僕なんか教育の仕事をちょっと前までしてたので、
やっぱりすごい考えてたんですよね。
押し付けにならないように、あるいはこうなんだろうな、
自分は何かをしたらって言うんだけど、
実はそれを上回ってほしいと思ってるみたいな。
わかりますね、それは。
当然ね、つまりそれをそのままやられて
僕の見込み通りになっていくと、僕よりもアホなやつになっちゃうわけなので、
当然、自分が思いもよらない風になった方がいいし、
当然それをこっちがどう受け止められるかってことは別問題としてはあるんですけど、
まずそもそもで自分を超えてくるような風になるにはどうすればいいかみたいなことを結構考えてて、
それとやっぱり陥るところは同じことって言うか、
どれぐらいの中小度のことをどういう形で相手にサーブするっていうか、
渡すかみたいなことを結構悩みながらやってたんで、
そうか。
自分は結構、
はい、どうぞ。
すいません、結構自分の原稿もそうなんですけど、
僕はかなり具体的なところからいくのが好きで、
はい、わかりますよ。
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とにかくディティールをめちゃくちゃ細かくして、
もういらないよってくらい細かくしていき、
すると向こうがやったときに自分の経験との差分が出るんで、
はいはいはい、わかりました。
そこから考えてもらうみたいなことを結構考えがちで、
だから原稿でもかなり追加数で何分喋ってとか、
いるかみたいなやつをどんどん入れていくとか、
あと具体的にこういう子にこういう話をしてみたいなのとかを入れたりとか、
そうか。
結構割りかし、
あれでも全然足りないっちゃ足りないですけど、
技術をなるべく、描写とかをなるべく入れていくことから始めるっていうスタイルが割と好きで、
なるほど。
クラスターのどちらかというと、
もうちょっと逆まで言うとあれですけど、
もう少しこう、ぼやかしたやり方で、
自分でそこに当てはめてみてくださいっていうような感じのスタイルだなと思って。
そうですね。で僕はノウハウの具体的な、
自分が読むときですけど具体的なやつを切り取って、
大体飛ばすんですよ。
いや、めっちゃわかります。わかりますわかります。
その原理性だけ教えてくれたらいいからって、
僕思いながら読んでるんで、
それに合わせるとこういう書き方になるわけですけど。
なるほどな。
僕自身は、
なんか単に草っていうふうにネットっぽく言ってるんですけど、
笑えることを書くみたいな。
はい、わかります。それはいいと思います。
なんかおもろいことをやたら細かく書いていくっていうのを結構、
一応話最後までそれで聞いてもらうようにして、
っていう風に結構やってみたって感じですね。今回のは特に。
だからそのディティールが細かく、
めっちゃ細かくなると、さっき言ったようにその、
個人の差っていうのが出てくるから、そのまま実行はできないじゃないですか。
僕ぐらい抽象的になると、
そもそもどう実行していいかわからないから実行できないんですよ。
一番問題はその中間のノウハウなんですね。
その適度に抽象的で、
なんとなくできる感じがするけど、
あとは自分に任せてやったらいいっていうのを、
フレームワークの整理の仕方っていうのが、
イデアが形成されやすいんですね。
こうあるべきだみたいなのが。
これはその、読んでる人が勝手に、
内的に想像しているものであって、
別に著者はそこまでこだわっているわけではないにしろ、
GTTとかもそうなんですけど、
なんか万人に通じますよの定義で来るじゃないですか、あれ。
うんうん。
だから自分もできるように思うんですけど、
まあできないですね。
で、始めからめっちゃ具体的な方法で、
この作家さんとかこの人がこう書いてるっていう場合って、
もう方法論がその人に俗人化してるから、
まあ方法を盗もうとか、参考にしようって感じになるんですけど、
あの、マスレベルに向けられたノウハウ、
抽象化されたノウハウって、
そうか、抽象化されたノウハウが問題なんやな。
その、誰にでも通じるような気がしてしまうと。
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で、まあ大体うまくいかないと。
こういう時に、その底を埋めようとするんじゃなくて、
もっと自分をノウハウに合わせようとしようとしちゃうんですね。
うん。
これが一番まずいと僕は思ってるんで。
だから、その今回の方はだから、
一般、抽象度はだいぶ上げて、
で、具体的なフレームワークとかを一切提示せずに、
その原理性だけを解いたと。
まあだからそれによって、
多分ものすごく物足りなかった人もいるでしょうけど、
でも見る限り、
まあこういうの面白いねって言ってくる人が結構多かったんで、
まあだから、読者はいたんだなというのを再確認した次第ですね。
そうですね。僕なんか2つぐらい思ってるのがあって、
1個は、あのさっきのその大きい話と具体的な話っていうのをどう繋ぐ、
中間の言葉を作るかみたいなのを、
僕なんか大学の時に、
岩隆先生っていう先生のところで結構長くいて、
パターン・ターンゲージの人ですね。
あ、そうですそうです。
で、岩先生なんか結構ずーっとそれのことを言っていて、
はい。
で、なんか岩先生の言い方だと、
方向性に関するものとして、
目的とか方向性に関わるミッションっていうのがあります。
で、そして他方で誰でも間違いなくそのままやれば利用できるマニュアル、
手順書ってものがありますと。
で、どうやってこのミッションとマニュアルの中間を作るかみたいなことをかなりずーっと言っていて、
で、パターン・ターンゲージがそこに当たるんだっていう風に、
先生自身は言っていて。
で、それは具体的には、
これは元々のクリストフ・アレクザンダーっていう建築家が作ったこのメソッドなんですけど、
結構先生はかなり独自にアレンジしてて、
はい。
で、基本的にはある状況、シチュエーションがあって、
そこに問題が生じて、
それに対する解決策の一つの模範例みたいなものを作ると。
はい。
で、そういう形式で書いていくんです。
はい。
で、そこに、その問題のところにフォースっていう何か概念があって、
その問題を生じせしめてる力みたいなものを作るんですよ。
例えば、朝起きなく遅刻しちゃうが問題だとしたら、
その、夜更かしして、なんか深夜の番組とか見たいみたいな気持ちが働いていたり、
なんか、いやいやでも寝なきゃいけないって思って寝なきゃっていう風に、
思いすぎて寝れなくなっちゃうみたいなことがあったり、
いくつかの複数の規範性みたいなものの間で、
どうしようって思って解決策にたどり着けない。
うんうんうんうん。
で、そこをほぐしてあげる解決策を例示し、
あとは大体の場合は事例が載ってるんですよね。
うんうんうんうん。
実際こういうことがありましたみたいな。
39:01
で、これをその中間に当たるミソッドなんだっていう風に言ってて、
で、自分も今回実際にそのパターンを書いて載せようかなっていうのをちょっと思ったんですけど、
はい。
今回結果的にはちょっとその説明をしたりとかっていうのも考えると若干手間だなって。
そうですね。
現行の整合性が若干難しくなるなっていうので、
ひたすら事例を集めていくっていう感じにしたんですけど、
なんかここの結構中間の言葉をどう作るかっていうのはやっぱり、
ビジネス上、とりわけ知的生産系はやっぱり、
さっきので言うとマニュアルを作るっていうのが一番こう、
まあ商品価値が出やすいんで、
そうですね。
で、ミッションはもうお金儲けか仕事の効率化で決まってるから、
ミッションはもう不要、だとしたらマニュアルがあるだけでしょっていう理屈になってるものはすごく多いんで、
うーん、そうか。
そういう意味で、クラスターのもう一個言いたかったのは、
そもそもミッションを新たに作り出そうとしてるっていうのがすごい良かった、面白かったです。
あー、確かにね。
そういえば、ビジネス風の話は全くしてないな、そういえば。
いや、そうなんですよ。
つまりこの本を読んで何が得られるかということは自明ではないんですけど、
それはすごい、僕これ自分が知的生産の本を読むときに、
なんか良い本、悪い本のかなり手前の評価基準として、
そういうこと。
必ずしも自明ではない。
で、それって他のジャンルの本だったら当たり前じゃないですか。
学ぶってそういうことだから。
確かに。
哲学書とか何か書く前からだいたい分かってんだったら、最初から入門書しか読まなくていいわけ。
そうですね。
入門書とかはこうね、手っ取り早く、だいたいこいつはこういうことを言っているって整理するためにあるわけだから、
それでいいと思うんですけど、やっぱり原点は当然、読む前に分かんなかったことが分かるために読むわけだから。
そうですね。
で、結構この本はかなりそういう本というか、
例えば何でこの本を書いたのかとかって後書きまで分からないんですよね。
そうですね。
後書きで、どういう書き方したかな、何でみんなノートを使わないのかっていう。
はい、そんな感じ。
それが初発の動機だったんだとか、
結構こう、なんだろうな、
あ、つまりこれ多分レジュメが必要な本なんですよね。
うん。
整理して、もう一回読者が再整理すると、多分かなり違った総合文字の本だと思ってて、
僕も実際クラスターに、レジュメまでは行かないですけど、結構割とここにはこういうことが書いてあって、それが面白いみたいなのをお送りして、
こういうふうに多分読む本だなって思いました。
これ結構いろんな人が着目点が違うのが面白いなと思って、
42:00
これまでの本って、エヴァノートわかりやすかったらDSとかスクラップボックス使いってみました?みたいな、
当然そう思って書いてるから、ツール使ってほしいと思って書いてるから、その通りの結果になってるんですけど、
今回だから、そもそも僕があんまり読者を動かそうとしてないというか、
日常生活のおいてノートをつけることを何かに使ってくれたらいいなと思ってるだけなんで、
だからどっかにフォーカスはしてないんで、その反面だから読む人がどこに焦点合わせるかとか、
どんな文脈で読むのかっていうのが、かなり人によって違ってて、
これってそういうことになるんやなぁと、ちょっとびっくりしましたね。
いやでもそうと思いますよ。やっぱり、なんていうのかな。
主題はめっちゃ大きいですからね。だからこの主題にまず、主題に興味があるかというのもあるかもしれない。
確かにね、そりゃそうだ。
そうですね、僕でもこれすごい、なんだろう、年齢とかが全てじゃないですけど、
クラシスさんと同じくらいに自分がなった時にこういうのやりたいなと思いました。なんか羨ましかったです。
例えば、僕が10年前にこの企画を持ってきたとしても、書けなかったでしょうね、きっと。
ここに並べてある知見を知ってましたけど、この形では多分語れなかったでしょうね、きっと。
いやそういう感じします。つまり僕メルマガとかブログもかなり昔からファンに見てるんで、
別にこうなんだろうな、特に人文系はたまたま、最近出版された、あるいはクラシスさんが読まれたようなものも入ってるけど、
ストーリーライン自体は多分、何だろうな、理論上はっていうか、
もっと前でも作り得るのかもしれない。
ですけど、やっぱり厳にこういうふうにまとまるには多分、相応の時間がかかったっていうことなんだろうなと思って。
そう思いますね。やっぱり書きたいことに加えて、周りの本がこういうことを書いていないっていう苛立ちじゃないですけど、
そこから指名感みたいなのもあったんで、こういうの誰かが書かなあかんっていうのがあったんで。
一番はやっぱり自分が面白いと思える本がないっていうのが引っかかってたんで。
それを今回の本を読み返しても自分で面白かったんで、
これが自己満足とは違う形の一つの調和的な仕事の成果だなという感じはしますね。
いや本当に、ビジネス賞って、今すごく面白いことが書いてあるって信じてる人もいっぱいいる一方で、
45:08
家に売れてるわけで、やっぱりめっちゃ舐められてると思ってて、
つまり、こんなにつまんないタイプの本に決まってるじゃんみたいな風になっていると思ってます。
で、それは梅サボたちの新京都学科まで別に、そこまでは遡らなくてもいいんですけど、
あれはやっぱりそうじゃないものだと思うんですよね。
つまり、普通に仕事を面白くやれる方法であるとともに文明論であったり、人間観であったり、
新しい情報社会がどうなるかということへの展望になっているということが、
つながっていることが当たり前の本。
そうですね。
で、やっぱり、知的生産関連はアウトライナーとかもそうだし、
やっぱり普通に理論上というか、今までないアイディアが結構いろいろ出てきてはいる。
アウトライナーはたくさん言ったら怒られるかもしれないけど、昔から言われるかもしれないけど、
まあ、でもやっぱり進化はしていると思うんですよ。
だけどやっぱり、僕はあんまり関係ない立場だから適当に言えちゃうあれですけど、
ライフハック論断とかも、僕は昔そういうものがあったなと思ってるんですけど、
やっぱりいささかみんながすごく注目するものじゃなくなってきているなという印象があって、
それと、プラットフォームがすごく強くなり、
アプリもインディなものというよりは、やっぱり確立した、きちんとしたビジネスモデルを持っているものが増えてきて、
なんかこう、海のものとも山のものとも知れぬツールをみんなで面白がるみたいなのがあるじゃん。
なくなってきているなっていうこととか、
それは大きくはこの本で言っている、自分なりの方法とか自分なりの道具を作ろうみたいなもの自体が一種、
退潮してきているというか、元気がなくなってきていることと、
実際そういうアプリが増えた、あるいは言説もなんとなくこう、
インディー感のあるものが減っているとか、なんか全部、僕はなんか関係しているように感じていて。
確かにそれはあるかもしれないですね。
僕はこの本はすごく、大きい意味で知的生産系の伝統にっていうのと、
もう少しこの10年にクラスターさんとかが活動をすごく、
伝書籍とか出された頃のなんかこう、
ごちゃごちゃした次々、わけわかんないツールが出てきて、次はこれが熱い、次はこれが熱いみたいな、
あの時のなんかエモーションみたいなのを取り戻すっていうことと、
言葉の、言説の空間に対する2つ、一石を投じているなと思って読みました。
なるほどね、確かに。ライフハックブームって色々あったんですけど、
48:02
1つはツール、テクノロジーが私たちをどこに導くかっていう話に関連したテクニックっていうのと、
あともう1個はブログブームのきっかけと結びついて、
それぞれの人が自分の使い方を公開する事実だったんですね、その頃は。
それがめちゃくちゃ面白かったんですけど、
本当にここ5、6年かな、もう、
何ていうのかな、衰退ということで追いつかへんぐらいの現象をいつも見せてて、
全く見なかったんです。これはでも、その理由は何かわからないですけど、
やっぱり面白くないんですよね。
いやでも本当に僕自身もやっぱり1番ぐらい溜まってしまったどうしようもないバーの
ノートブックのような状態で、もうなんかこう、呼吸できないみたいな感じで、
興味もなくなっていきみたいな感じが、本当にこういう関連で僕が見てるのって、
打ち合わせキャストが多分一番見てて、そこの概要欄とかから、
最近こういうのも出てるんだ、感じで気になればチェックみたいな感じで、
やっぱり前は、僕あれなんですよ、もともとは興味も、こういうことに興味持ったのが中学高校ぐらいで、
早いですね。
僕らが最初に買ったスマートフォンっていうか携帯が、
WilcomのAdSっていう、Advance ES 003シリーズ。
要するにあれですね、なんかキーボードが付いててですね、
Windowsが入ってて、設定ファイルとかをいじくらないと全然まともに動かないみたいな、
そういうやつを買ったんで、結果的にこう、何だろうな、
なんかちょっとしたメモを取るとか、どのアプリ使えばいいんだとか、
何も自明じゃない、ハードを買って、
それがきっかけで結構こう、どういうソフトを入れようかとか、
あとまだギリギリネットランナー的なものっていうか、
ああいうカルチャーも生きてたんで、
だからああいうカルチャーが、やっぱりもうことごとくこう、
淘汰されていって、それに巻き込まれる形で、
ある種ザッタのものも全て根こそぎ死んでいったっていう感じなんでしょうね、きっと。
いやそうですね、だからこれは思い出話っていうよりは今もそうなんですけど、
僕当時のそういう文脈にどれぐらいピッタリ当たるか分からないですけど、
Kazumaさんって昔からすごく面白い人だと思う。
Kazuma Katsuyoさん。
Kazumaさんって最近、一時期若干露出も減ったかなって僕は見てたんですけど、
最近ブログとYouTubeでグッと復活してる感じで、
Kazumaさんは、これ僕どうしても笑っちゃうんですけど、
ペダルで音声入力をペダルでコントロールするみたいなこととか、
51:00
あと両手にスマートウォッチつけるといいですとか、
Kazumaさんって昔からそういうエキセントリックとかSF的な面白さがある人だなって思ってて、
すごいワクワクするんですよね。
もちろんそんなのみんなやるわけないだろうっていうことはあるんですけど、
やっぱり当然こういうライフハック話っていうのは、
こういう言葉も言わなくなりましたけど、やっぱりアーリーアダプターのものというか、
ちょっとエキセントリックだけど効率化してるような気がしなくもない。
だからそうなんだよな。
ブームが衰退したのは、結局しなくもないせいにみんな気づいてしまったっていうことだと思うねん。
だからもう幻想性が暴かれてしまったっていうことなんだよね。
だから今でもKazumaさんに興味を持ってる人は、そういう楽しみ方ができる人だって、
真剣に社会的成功を目指してる人は、今は別のところに吸い寄せられてると僕は思うけど、
でもKazumaさん的なものが自分に直接役に立たないにしても、
その発想に刺激を受けるってことは絶対あるわけで。
いや、ほんとそうですよ。
そういうのはなくなって、今はもう、もっとこじんまりしたビジネスの話が多いからね。
そうですね。
確かに本当に発想が小さくなったみたいなことはあると思うんですよね。
思います。
いや、そうなんだよな。僕だけが、さっきのKazumaさんのペダルとかもそうですけど、
僕がすごい印象に残ってたのは、ライフログの話が出てきたとき。
絶対意味ないだろうと思ったんですよね。読まないでしょみたいな。
だけど、やっぱりなんか面白いなと思ってて。
やっぱりライフログは、さっきのKazumaさんの音声見るのが普通にかなり面白い可能性あると思うんですけど、
ライフログはかなり、その後そういうのを押し進めてた方も結構反省してる人とかもいるのも、
僕はすごくいいなって個別には思ってて。
さっきEvernoteがやっぱり象徴的な例だったんですけど、重くて動かねえよみたいな感じで。
そうですね。
自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が何を使うかっていうのを、自分が
そういうのが一つのムーブメントになっていく感じっていうのは、
最近だとNotionで少し盛り上がった感じはするんですけど。
でもね、Notionは僕の中では袋小路という感じがしていて。
54:01
まあ、NotionはかなりEvernote的な不穏さはあります。
多分、Evernoteより僕は立ちが悪いっていうか、性質の悪さを感じてるのは、
あれがデータベースってことなんですよね、メインが。
だからデータベースっていうのは情報を全て確率的に扱うということで、
Evernoteの良さは逆で、あれ一つのノートに雑多に入れられる、適当に入れられるとこが自由の良さだったんですけど、
その自由さも剥奪されてデータベース化してしまうと。
データベース化すると確かに効率はいいんですよ。
データはあっち行ったりこっち行ったりするとか、入力が均一で済むとか非常にいいんですけど、
そうして均一に残ったデータって何?っていう話。
絶対3年後くらいになってくると思うんですよ。
僕でもNotionはおもろいと思ってるのは、
あれやっぱりUIがすごく可愛いっていうのがあると思ってて、
あのツールはデータベースっていうのはある種の不能さっていうものとすごい関わってる。
なんかテンション上がってこない、何も出立してこない、自分の中にワクワクしないみたいなのがデータベースの問題だと思って。
人間にとってのデータベースの問題だと思うんですけど、
あれはやっぱり絵文字可愛いとか、ときめき要素によって立ち上がらせようとするっていう、
UIで基本的に戦ってるものなんだなと思って。
すげえ今っぽい見た目と表情とかルックを持ってるんで。
確かに。だって女性ユーザーめっちゃ多いもん、YouTubeで見る限りは。
いやーそうですよね。超わかりますよ。
あと今っぽい付き合うんだよな、なんかDiscordとかの感じとか、
今のネットカルチャーをすごく表現、ちゃんと、ああいうツールでするのってすごく難しいじゃないですか。
確かに。
やっぱエバーノートも結構詰まってったのって、UIの迷走ってすごく大きいと思ってて。
うんうん、確かに。
あとトンマダも、結局ゾウさん別に可愛いけど、案外横暗くないし。
そこをやっぱりモーションは一個こうなんだろうな。
データベースとしてダメになったとしても、あのなんかこう、ああいう雰囲気を出してくる。
そういうことか。
っていうのがこう一個、なんだろうな、他の人があの部分真似できるとなんか面白いもの出てくるかもっていう。
うん、確かにな。
いや、Notionで一番最初に驚いたのは、その各ページにアイコンを付けることがもうデフォルトで設定できるっていうので、
エバーノートを使ってた時でも自分でノートのタイトルに絵文字を入れてたんで、だからもうこれ必須やなとずっと思ったんですよね。
あの、デジタルのフラットさっていうのが大量の情報を扱うときにすごく邪魔になってくるんで。
いや、本当です。
ノート一枚一枚に立ち上がるそのエモさっていうのは多分必要で、だからそこは非常によく見ているっていうのと、
でもデータベース的にデータが扱える上に、APIも公開しててガリガリデータ思考でもあるんだよね。
57:03
だから、
そうですね。
同居しないものが同居してるところではあるよね。
うん。
そうか。
もしかしたらそっちにイノベーションがあるのかもなぁ。ちょっと僕には想像ができないですか。
僕は個人的にはやっぱりこう、見た目とか使っている気持ちがいいかどうかっていうのが自分にとってツール選択で大事で、
ノーションは別にそんなにめちゃくちゃ使ったわけじゃないんですけど。
あれはやっぱり、なんだろうなぁ。だからワークフローリーとかにもう少し可愛げがあったら。
可愛げがあったら多分それ、ブランド価値がまあ180度変わるからなぁ。
なんかあれは善に近い気持ちがワークフローリーの根底にはあるからね。
僕でもそっちだったらもうちょっと善できるだろうっていう気もするんですけど。
なるほどね。
若干、こう、こちゃってるなっていう。
確かに。
そうなんですよね。
まあでも結構そういう意味で、少しはその、何ていうのかな、状況が変わってきそうなものがあるなぁと思いつつで、
まさにクラスターの本もそのなんか一つというかすごく大きい本だなって思って見てました。
ありがとうございます。すみません、全然話変わるんですけど、普段情報ツールって何使ってます?
僕自身は、原稿に1回絞り込むとすると、
いわゆる単なるメモ、いや難しいなこれどういう意味ですかね。
頭に浮かんだ順に言うと、基本的にはiPhoneのApple公式のメモに、
純粋に案件とか、要は僕の都合というよりは世界の都合で分けられた、
はいはい。
ものでページが切ってあります。
で、前はこれを通管する、つまり僕の思考側のノートっていうのを作ってたんですけど、
ほいほいほいほい。
これ時代はヘルシーじゃないんですけど、忙しかったりとか、そんなに自分独自の問題意識をそんなに伸ばせてないんで、
基本的には何か考えたことが大体何かに紐づいてるってことになってて、
なるほど。
浮かんだら当該のところに入れますと。
これがまず基本動作ですね。
はいはい。
これがある程度、一番いい状態はこれが溜まっていって、ワークフローに1回コピして、
はいはいはい。
ある程度足して、十分な分量に足したらスクリブナーに流す。
あるいは、もうすごい調子よければいきなりテキストデータに流す。
で、あそこの原稿でも書いたようにガチャガチャ並び替えながらやっていくっていうようなのが一番、
1:00:06
これがまっすぐ進むパターンで、ほとんどの場合まっすぐ進まないんですけど、
今のプロセスが失敗した時に、でも何とかしないといけないっていうことで、
知り合いに相談してそのログが残されたり、
あとあそこで多分入れてないんですけど、身内だけのSNSみたいなやつがあって、
そこにかなり書いていくみたいな。
まあ、だからそれはあそこではチャットを入れたからいいんでしょうって感じにしたんですけど、
チャット、LINEグループと入れたんで、
同じような意味っちゃ意味なんですが、もうちょっとミックスみたいな見た目してるんで、
割とスレッド、掲示板型というかスレッドフロートみたいな感じで、
自分のスレッドを勝手にどんどん伸ばしていく、みたいな形で書いて、
それをコピーしてっていうような感じ。そこからは同じことですね。
やっぱり材料をとにかく貯めてて、材料が思ったよりたまらないかどうかで、
プロセスが複雑になるか単純になるかが決まるっていう構造になってます。
メモはプロジェクトで言いますと、プロジェクトごとにノートが区切られているとして、
ワークフローリーのホーム直下って何が並んでます?
ワークフローリーは僕はそういう作業の時以外は使わない。
なるほど。
ただ、今とかだと途中までやった、残されたものとか。
はいはいはい、なるほど。
つまりあんまり見たくないんです。
ああ、そうか。ホームじゃないんですね。別にホームポジションというわけで。
どっちかというとメモ帳の方が近いんですかね。
そうですね。前はこのメモ帳に入っているものがそのままワークフローリーだったんですよ。
なるほど。
ワークフローリーからそのまま生やすっていう。
多分千葉さんに近いかな。
そうですね、多分。
要するに仕事の事務的なことと、その事務的なことをやってたら浮かんだことみたいなことが全部ワークフローリーでプロジェクト単位切られてっていうような、確か。
なんかそんな感じだったと思うんですけど。
うん、思いました。
僕はそれが結果的に今はiPhoneのメモの方に移っていて、
でも結局はかなり箇条書きに近い書き方をしているんで、アウトライナー的に使っているなって。
なるほどね。
並び替えも割とコピペでしたりしますし。
結構デジタルツールってそういうのでカバーできますよね。
そうなんですよね。
本当これはだから、来年の手続で若干、いや違うんだよっていうところの反応で、ワード批判をしすぎたっていう。
1:03:06
いや別にワードも別にアウトライナーは、そもそもアウトライナー機能はワードにあるしみたいな。
だから皆さんがワードと共に味わってきた苦痛が、あの時ワードに集中しただけのことであって。
そうなんですよね。
でも思ったのはやっぱりワードとスクリブナーは多分一緒なんですけど、
両方ともドキュメントをゼロからスタートさせるんで、だからダメなんですよね。
そうですね。
それはあれは、エバウトみたいにどっかでメモしたらワードのファイルにチュッと入ってくるっていうような使い方ができたら多分印象はだいぶ違ったと思うんですけど、
そうなってないからしんどいというだけであって、ワード自身は、いやでもまあ重いんしなあいつ。
そうですね。別の問題も。
結構いろんな部分が重なって嫌われてるというか。
でもまあたくさんは擁護されると思うけど、あいつはドキュメントエディタープラスアウトライナーっていうけうな存在でもあるから、
間違いなく役立つは役立つんでしょうけど、やっぱり昔のコンピューターのスペックが悪かった時代の記憶が今でも残ってしまってるというのはあるでしょうね、きっと。
そうですね。だからまあ僕自身のプロセスのところでいうと、テキストエディターはもう調子がいい時にしか開かないものってことになってるんで、ある意味、
その憎しみもそんなに今はないです。
なるほどね。
もう最初からたまにしか会わない人みたいな感じで仲良いと思ってない。
仲良くないのに毎日顔を付き合わせると余計に不機嫌さが増していくというのはあるよね、確かに。
そうですね。だから例えば、こういう原稿でお願いしますとかワードファイルでここに書いてください、書式こうなってますけど、
送られてきても別に、来たけど喋んない人みたいな。
いるけど無視みたいな。
そうか、そういう感じか。
そうですね。営釈しかしないみたいな感じです。
僕は結局、その物書きになってから今になるまでワードを使ったことが一度もないんですよ、その文章が。
そうですか、なるほど。
作り分は文章を入れ替えるときに使いますけど、全部テキストエディターベースで、やっぱりそれはウェブだからでしょうね、ウェブ上がりだからでしょうね。
自分で紙の本のデザインするようになったのはカーソル作るようになってからで、カーソルは専用のエディターがあって結局ドキュメント使わないんで、だからほぼ使わないんですね、今でも。
いや、これは結構面白い話ですね。それで言うと、自分もまさにウェブ上がりで、仕事も地方に自分が最初いたっていうのもあって、かなりリモートで仕事をしていくっていうので、
実際にはワードより多分重要なのはGoogleドキュメントで、Googleドキュメント論は本当に入れなきゃいけなかったなと思うんですが、
1:06:08
Googleドキュメントやっぱりいいんですよね。
いいですね、わかります。
あれはやっぱりURLを貼っ付けて人にシェアして見るっていうことがすごく、これ自分だけじゃない、ある程度共有された認識だと思うんですけど、
そういうふうに使う前提っていうのは、機能自体は別にワードでもなんでもね、もちろん今時は大体リアルタイム共有する機能ついてますけど、
やっぱりGoogleドキュメントはそういう意識があるから、他の人が書いてきたりとか、何か過剰書きで疑似録を載せたりとか、
なんかもともと汚されてる存在みたいなのが強いんで、なんかコピペしてくるものって感じはするんですよね。
なるほどね。
僕はさっき言ったiPhoneのメモから、みんなで例えば企画書を作らないといけない。
企画書を実質、例えば新しい企画が始まりますってプレスリリースに流さないといけないってなると、
実質Googleドキュメントでみんなで企画書的なものを作る、アイデア出しをする、それが最終的なプレスリリース原稿に変わるみたいなのが全部同じGoogleドキュメントで起こるみたいなのが結構あるんで、
それはかなり自分にとっては、他社制というか、共同制というか、人が入ってきてアイデアが発展したりするとか、
コアアイデアさえあれば、あとは成分するだけですよねっていう感じとか。
そういう作業の段階は全然苦しくないですか?
苦しくないですね。
なるほどね。
だから人とグループワークをしたり、その過程で資料を作ってみんなにプレゼンテーションするとか、そういうことは全然嫌じゃないんで。
だから多分、営業マンになった方が幸せだったんだと思う。
それはどうか分からないけど。
でも、だから基本的なリテラシーとして文章がスペック的に欠けないってわけじゃないですよね。
でもある欠けなさが絶対に立ち上がってくる時があるっていうのがあって、
それがやっぱりさっき言われた、まっさらな汚れていないドキュメントに直で向き合う時が一番それが高く出るんですよね、きっと。
きついですね。これはちょっと自分の原稿とライティングの哲学全体にも関わるんですけど、
やっぱりかなり千葉さんが議論をリードしてくださってるっていうのははっきりあるだろうと思って、
それは単純に司会みたいなことっていうよりは、
やっぱり勉強の哲学以来の精神分析系のモデルっていうのがすごくみんなにとってしっくりきたっていうのが、
具体的には神経症によって批判がどんどん強くなっていく。
1:09:05
特に寺井さんの本でも引用の仕方としてかなり真面目不真面目みたいな部分とか、
結構そこで、あの本もそうだし、
これからの知的生産本面白時代がもし来るとしたら、すごく大事なセオリーとしてみんなが使うようになるだろうと思ってて。
僕自身は神経症的な不安っていうのはあるんですけど、
うつの方が多分近くて、実際そういう感じでもあるし、
書く時のモデルっていう意味でも、要はこう、
僕本当に布団から出るなかなかって思っちゃう。
うん、分かる分かる分かる。
それってもう規範とか超えてるっていうか、
確かに。
単に真っ白もしくは真っ黒になってしまっていて、
しなくちゃとかもう具体的な形を伴わなくなってしまってるっていうか。
だから自分的にはそのうつ的なこう、なんだろうな、
うつをどういう病理のモデルとして思うかって難しいですけど、
自分の感覚だと、
その、なんか代謝が起きなくなってるみたいな感じなんですね。
インもアウトもできない。
はいはいはいはい。
で、僕のやり方はやっぱり、どうにかこう、なんだろうな、
うつの時にこう、お風呂入れたら偉いね。
うんうんうん。
歯磨きできたら偉いねみたいな。
はいはいはい。
そういう感じでですね、
じゃあ喋るのはできるかな、
チャットを送るのはできるかなみたいな感じで、
できそうなあたりを少しやって、
少しずつ代謝を良くしてできる。
うんうんうんうん。
じゃあ汗出るようになってきましたねとか、
そういう感じで、
かつ当然全然違うレベルで締め切りとか、
時間制限っていうのがあるわけなんで、
そのリハビリ過程のものっていうのも可能な限り資源として活かしていく。
はいはいはいはい。
なんかこう、うつ病とコスパ中みたいなのが混じった方法論みたいなのが、
自分のやり方だなって思ってます。
山の話はいろいろ面白いところがあるんですが、
やっぱりうつ、僕も軽度の状態になったことありますけど、
やっぱり価値を肯定する力が脳からなくなるんですよ。
うんうんうんうん。
だからもう無なんですよね。
で、さっき言われたちっちゃく動いていくっていうのは、
価値を肯定する筋肉を少しずつ動かしていくような感じがあって、
それは見事なやり方やなというふうに、
一番思いましたね、その話は。
1:12:02
いやそうなんですよね。
だからこの自分の原稿でやりきれなかったなと、
あとクラスターさんの本がすごく僕はいいなと思ったことと同じことなんですけど、
さっきのうつのモデルとか、
モデルをあんまり、文字数ももちろんあるんですけど、
うんうんうんうん。
大きいモデルの部分をやっぱりかなり、
エモーションと文体でかなりごまかしてて、
なんか、要は調子悪いやつが現れたみたいな感じの。
自分の中ではその調子悪さについてのこう、
イメージは持ってるんですけど、
うまくこう、モデルとして展開するまでは至らなかったなという感じがあって、
なるほど。
なんか本当はうつと、
あとはなんかアホダンスっぽいことをちょっとやりたかったんですよね。
うんうんうん。分かる分かる。
はい、だからさっきのその、なんだろうな、
根ころんでる状態からこう、なんだろう、
じゃあ歯磨きがどこにあったら歯磨きできるようになるのか。
うん、分かる分かる。
なんか、例えばアレックサーとかでこう、
なんか塗ったら勝手に黒とか湧くんだったら入るかもしれんみたいな。
うんうんうんうん。
だからこう主体の側じゃなくて環境の側をうまいことコントロールして、
まあこれアホダンスのあの、あんまり間違ってる方の用法で。
いつも分かります分かります。
はい、以上を読みました。
あの、アフォードをね、こう、
あのいろんなものが語りかけてくる状態っていうのを作って、
その間をこう、自分がなんとなく移動していくと結果的に正座が見えてきて、
みたいな、なんかそんな感じの、
だからうつでもこうなんか、
意識網羅落としたままフラフラなんか歩き回ってたら勝手に言語できてたみたいな。
(笑)
なんかそういう感じの、こう、理論までいかないけど、
まあモデルらしきものっていうのをちょっと作りたかったんですけど。
なるほど。
なんかあんまり展開できなかった。
いやでもまあ、そう、なんていうんだろうな、
あの、ある種モデル化されなかったことが、
少なくともあの現行では良かったなと思うんですけど、
あの、本当にそういう状況に近くなってくると、
もう抽象的な話は理解できなくなってくるから、
(笑)
その生身の人がどうしてるかって話やったら、
まだ脳は許容できるから、
だからあの現行はあの現行で良かったと僕は思いますね。
確かにまあ、現に調子悪い人がお呼びいただいた時に、
こうギリギリ需要可能性みたいなのはこっちの方が高いかもしれない。
そうそう。
まあそれぞれ別にまた新たな現行を立てるというのはありと思いますけど、
ああいうその、何やろうな、生身をさらけ出すっていうことの意義は多分あると思いますね。
うんうんうん。
うーん、そうか。
いやでもこう、例えばその何もできない時でもこういう風にしたら、
自分はこう動くかもしれないっていうのは、
その半分自分を他者性にさらしているというか、
誘導してもらっているわけですけど、
1:15:00
でも僕は思うに、そんな状況でもこうしようと思っている主体がそこにいるわけじゃないですか。
ああー。
自分を誘導させてでもこれをしたいと思っている主体が僕は真の主体と思うんですよ。
うんうんうん。
だからね、やっぱりそういう試みというかが、多分一番大切なんだろうなと。
うんうんうんうん。
なるほどなー。
結構自分はその、何ていうのかな、
そういう主体っていうものを結構、なんだろうな、
バラしていく方に結構考えがちで、
はいはいはいはい。
つまり習慣とか行為の束みたいなものっていうのが、
主体をこう、結果的に構成するっていう風に思ってて、
それがこう例えば、人に何か説明するときとかさっきのモデルみたいなのを作るとか、
あるいはこう責任を取らなきゃいけないとか、
そういう場合にはその、習慣の束としてのこう、人格らしきものがそれを引き受けざるを得ない。
はい、そうですね。
なんだけれども、実際のこう、ことっていうのはやっぱり、
具体の行為や習慣がただ散らばっていて、
で、主体はまあまさにさっき倉下さん言われたように、
まあほんのわずかに、こう、その方が見られる。
だけど実行力があることはすごく少なくて、
やっぱり、非常に体力があったりすると、こう、
主体、自分のこう主体としての自分の命令を自分の体が聞けるんだけど、
はい。
ほとんどの場合は命令もよく聞こえない。
自分の場合はよく聞こえないし、聞こえても説教やんみたいな感じで、
なるほど。
全然こう、うまく動いてくれなくて、
だからどうやってこう、なんだろうな、
自分がたまたまやりそうなことみたいなのをどうやって、
うんうんうんうん。
ポジティブに展開していくかとか、
はい。
あの、生産性につなげていくかみたいな、
でもあんまり生産性って考えすぎるとその行為が仕事になって嫌になっちゃうんで、
それ不思議ですよね、あれ。あれ不思議なんですよね。
いやそうなんですよね。ブログ好きなのに毎日ブログ書くの仕事にはしたくない。
(笑)
うん。これなんか人間がロボットと大きく違って、やっぱりそのコンテキストっていうのが情報解釈に大きく影響を与えて、
だから全く同じことをしてるはずなのに、自分の解釈の仕方というか、
気分によって捉え方が全く変わってくるということを考えたときに、
やっぱりその環境をどうデザインするとか、心の文字をどう持っていくかということを外して、
人間のノウハウというのに固めないと思うんだよね、これは。
いやそうなんですよね。だからその環境との調整ということが必ず、
まあ調整っていうか、アフォーダンス系のね、椅子に座るときに向こうから光が入ってきて、
ちょっとずつハンドルを切ってみたいな話とかすごい出てきますけど、
本当にそういうことっていうか、すごく微細な調整が意識してないことも含めて、
行われ続けているっていうふうに思ってて、
1:18:00
だからそれをノウハウの本にしたときに抽象的に習わないとすごく理解できる。
つまり、毎回、毎回とは言わないけど、やっぱり時々もう1回当てはめ直すみたいな。
はいはいはい。
単に手順を覚えても、やっぱりそれを調整したり、自分に合うようにカスタムしなきゃいけないし、
その自分もリズムで変わっていくからまた調整しないといけない。
そうそうそうそう。そこなんだよね。
自分が変化するってことが加味してない人がね、結構多いんだよね。
いやそうなんですよね。だからやっぱりこれ道具やノウハウの話が面白い。
ノウハウを自分が実行しなきゃいけないっていうことがすごい重要っていうか、
こっちの自分なるもののパラメーターが結構動くから、
前は自分にフィットしてたけど、もうダメみたいなことがあるから、
だから多くのノウハウ本の人間観ってのは非常に冷たいもの。
固定的というかね、経済学のモデルの人間なみたいな感じで。
いやそうなんですよね。毎回こういう、もっと先行が変容する可能性とか、
まさにモドケ台風じゃないけど、だんだん変わってっちゃったりとか、
条件が見えない変数がちょっと動いただけで全体のバランスが崩れたりとか、
そういう不確実さっていうのがものすごく大きい前提で、
僕は囲まれてるっていうイメージなんですけど、ノウハウとか道具とかに囲まれてると、
より堅牢かみたいな。ガクンと落ちても戻ってくるのが早いとか、
落ちてるんだけどギリのところで止まれてる状態にできるとか、
結構そういう、こうなんていうんだろうな、
なんかちょっと知的生産本の未来みたいな話をいっぱいしちゃってますけど、
自分は特にグリッドみたいな方法がありましたよね。
やり抜く力できないやつですよね。
そうです、そうです。とか、あるいは人文系に目を移してもケアを開くシリーズとか、
やっぱりこう、人間が非常に崩れやすいっていう前提にどう向き合うかっていうのを
みんな考えてるところだと思うんで、
知的生産の議論っていうのがそこと接点を持つ可能性っていうのが自分は一番、
少なくとも自分ができそうで、
みんなもある程度興味を持つかなっていうラインとしてその辺を持ってて、
今回のが一応、その一発目っていうか、前からノートとかでは似たようなこと書いてたんですけど、
ちょっとずつ、調子悪い中でどうやって騙し騙しやるかみたいな話を、
1:21:01
今回やっぱり文章って具体的なところに落とせたのはすごい良かったので、
なるほど。
なんかいろんな領域でそういう話をもうちょっとやりたいなと思ってます。
やっぱりこう、調子悪い中でちょっとずつやっていくっていう工夫の話って、
少し前のスーパービジネスマンからすると、完全に負け組の発想じゃないですか。
逆に何もしなくていいんだ、開放型の人たちからすると、
無駄な足掻きをしてるわけじゃないですか。
もっと自由で何もしなくていいじゃないかっていう話、
その両極端に入らない話なんですよね。
そうですね。
ダメな中でも何かしたいっていう、
そのしたいっていう意思は笑わないっていうところがあって、
僕はそこが一番大切やなと。
結局どっち先の両極端って、
反対側の人間は確実に笑うことになるわけですよね、あいつらは。
それはやっぱり人間感としてはちょっと貧しいという感じがするんで、
意思してしまう、何かを心がけてしまう人間性っていうのもやっぱり人間性の一つだと思うんで、
だからそういう弱さを含めて意思してしまう人間っていう中で、
どんな工夫があるのかっていうのを書き出すっていうのは、
なんて言ったらいいんやろ、難しいな、
適切なジャンルが思いつく、名前が思いつかないですけど、
逆に新しいジャンルになりうるというか。
僕結構気持ち的には、
この領域はある程度ポジティブに思ってて、
例えば企業家はすごくメンタル壊しやすいですよ、みたいな話とか、
それにそういうエビデンスにくっついたサービスみたいな、
コーチング、メンタリング、ちゃんと資格持ってる人がやります、的なやつとか、
あるいは結構知り合いの若いライターの人が、
あるアーティストへのインタビューを音楽誌に載せてたんだけど、
結構な紙幅をメンタルコントロールをどういう風にしてますかっていうところに割いてて、
インディーズで活動していくってすごく困難なことだから、
そういうことが絶対あるっていう風に、
記事を告知する時にそういう問題意識で聞いてましたっていう風に言ってて、
結構こう、いろんな領域でそういう、
本当に大きく言ってしまえば一種の人間感の変化っていうか、
さっき倉田さん言われたみたいに、
弱々しくしかしなぜか意思してしまう人。
つまりさっきの話も企業とかじゃやめればいいじゃんって。
そうそうそう、そういう話になるからね。
企業も音楽もね、つられたからやんなきゃいいじゃんみたいな。
いやいやっていう、でやっぱり大抵の哲学でも、
1:24:02
やめりゃいいじゃんではないけど、やめりゃいいじゃんって思うんですけどね、
みたいな感じの感想は結構あって、
そこをもうワンステップいきたいっていうか、そこまでが前提なのでは。
逆に言うと、本当にやめさせなきゃいけない段階の人って、
周囲が絶対サポートしない。
自分ではやめれなかったりするんで。
仕事とか、僕は本当にきつい時とかは、
そういうおかげで助けられたりとかもあるんで。
いやいいんだよ、別にいいんだよっていうか、
良くないけど、もう知らんでしょみたいな。
でも募集みたいな感じで。
いやー、そのね、知らんでしょっていうね、
ある種のゲーム外というか、
番外からの察してっていうのがね、やっぱいるんですよ。
いや本当そうなんですよね。
だから、当日たちはまず気持ちをやりくりしていくっていう話がもちろんあるし、
同時並行で、そっちはね、もうクリエーションの議論というよりは、
ちょっとまあかなり外部の議論ですけど、
まあもうただ単に停止する時もあるとか。
なんかそういうことも組み込んだというか、
むしろそっち側が7、8割ぐらいを占めていて、
自由自在に動ける状態ってのは1割、2割ぐらいしかないですよねっていう、
前提の知的生産みたいなことができると結構、
僕は梅沢とか川北とかから、
特に川北はそうですけど、
やっぱりその弱い部分が面白いんだけど、
メインはやっぱりまあ景気良い時代の人たちだなみたいな。
そうやね、それはそうだ。
まあ元気だな、お前らみたいな感じがある。
確かにな。
暗い時代の知的生産論みたいな。
いやでもそれはね、あると思うわ。
やっぱりこの本を書いて、
3日ぐらいの間、ものすごい好反響だったわけですよ。
で、Amazonのレビューとかも6つ目ぐらいまで全部星5やったんですよね。
で、もうこんなんほとんどやらせやんって思われるぐらい星5やったんですけど、
その次ぐらいがちょっと低い評価がついたんですね。
で、当然、もの書きを10年ぐらいやってるから、低評価には慣れてるんですけど、
もらった感想のうちで、
ノート術、期待してたようなノート術の本じゃなかったみたいなものがあったんですよね。
それはまあ、期待させてしまったこっちが悪いんですけど、
周りに揃えさそうとする圧力っていうのが、確実に今このインターネットにあるなと感じたんですよ。
そういう、多分梅沢の頃、特に京都の人たちっていうのは、やっぱりその「おもろいやん」っていう褒め方というか、
あると思うんですよ。
でも、今それが多分いなくなりつつあるこのインターネットの中で、
どう知的生産を、特に独自の知的生産を発芽させていくかっていうのは、
1:27:04
これはこの時代なりの問題意識になるんじゃないですかね、きっと。
いや、本当そう思いますし、倉知さんの本の最終章も、さっきちょっとビッグデータ批判的なのがあると少し言いましたけど、
基本的には結構ダークですよね、世界観は。
人間観は非常にダークな時代に力強く脳と片手に突き進んでいくみたいな感じですけど、
世界観は非常に、あまり良い状況じゃないんで、こういうセットアップが必要っていう設計になってるなと思って。
だから、牧歌的ではないよね。だって今、僕らが何も意識しなかったら、レコメンドに囲まれてしまうわけで、
そのことを疑いもしないよね、きっと。
うん。
うん。で、やっぱそれは、間違ってるとまでは言わへんけど、不自然やなとは思うね、それは。
あー、なるほど。
うん。
なるほどな、確かに確かに。不自然、うん、そうですね。
なんか、批判したいっていうよりは、こう、違和感を感じてる人の角盛りですよね。
うん、うん、うん。
それも若干わかる、わかりづらいって言ったんですけど、複雑ですよね。つまり、ふざけんなっていうほどの感じではないですよね。
はい。
反動的ではないし。
だから、その選択肢の一つとして何かがあるのは別にいいんですけど、
動機のようになってること自体がちょっと怖いなという感じかな。
うん、うん。
いや、そうですよね。いや、だから、本当、個人的にはそういう、こう、なんか、ダーク、ダーク知的生産みたいなのが、こう、
闇の知的生産ね。
そう、いや、そうです、そうです。
現状認識が現れてくるだろうという、現れきつつあるという現状認識及び予測でもあるし、自分も一定コミットしていきたいなっていう風に思ってますね。
結構それもあって、自分の原稿であんまり自分のことを書くときに「鬱」とかそういう、なんだろうな、
結構具体的なことを意味する言葉をあんまり使わないようにしたんですけど。
はい、はい、はい、はい。
だから、調子悪いわーとかなんかやだーとかはあったけど、
なるほど。
鬱はね、具体的にこう、つまり定められたものなんで、そういう言葉を使うかっていうのは結構悩んだんですけど、自分的には、
いや、もう今後はある程度そういう人なんだっていう、みんなに別に知られてもいいし、
なんか、そういう前提で、さっき言ったような不安定な中でどういう風に考えるのかとか、
仕事をするのかしないのかとか、という話をもうちょっとしたいなと思ってます。
やっぱり、バカなんですね。仕事をしないっていう。
いや、仕事をしない選択を提示する本なんて本当にないよ、この世の中で。
1:30:05
いや、あれ迷ったんですけど、まあ突っ込んでよかったなって。
いや、もう、あれは本当に素晴らしいというか、ロックでしたよね、あれは。
中指でしたね、あれは。
いや、でも、あれは。
一応言うと、あれですね、つまりいろいろ、僕のはかなり、実際のツールの名前とかが大量に出てくる現行で、
手を変え、品を変え、なんとか文字を作って、という、一種本当に脅迫的な感じでどんどん進んでいくんですけど、
最後のところで急に、もう全部やめて美女を止まりに行きました、みたいな話が入って、
で、締め切りが最後書いてあってめっちゃ破ってるっていう。
いやー、なんていうかな、そう、まあ千葉さんも言ってたけど、その締め切りってだいたい20底30底になってて、
最初の締め切り破ってもまあ大丈夫みたいなのもあるし、
徳島さんもなんか2回くらい締め切り送らせてもらったみたいな話があって、
あのー、世の中、人間が決めたことって、いくらでも動くんですよね。
いや、本当ですよ。
万有引力は動かせないかもしれないけど、人間が決めたシステムに沿うものって、実はいくらでも慎重性があるというか、変わるというか、
そこがね、見えにくくなってる時代の中で、やっぱり、その、物知してもいいよっていう、
いや、物知する可能性というのを提示したっていうのは、まあ僕はでかいと思う。
結局、僕もそういう事態の状況になった時に、やっぱり逃げるっていう選択肢が真っ先に消えるんだよね。
いやー、そうですよね。
だからそれがちゃんと提示されたのはね、えらいし勇気があったなと思いますね、あの話は。
いやー、だから千葉さんも最後に「賭け」っていうのを言ってくれて、
僕はすごい共感するっていうか、だからバカンスとは、要はサイコロ振れっていうことなんですよね。
だから、例えば、編集者との関係が切れるかもしれないみたいなことももちろんあるし、
これは何でもそうですよね。単位でも、本当に機械的に時間で切る先生なんだったらもちろん、
そうですね。
バカンスしたらダメだけど、まあ、売れても送って、おもろいってなって単位来るかもしれない。
そうですね。はい。
それでまあ今時そういうのやると、それはそれでコンプライアンスってなっちゃうかもしれないけど、
まあ、ね、常にその可能性に満ちてるわけだから。
はい、そうですね。
コンプライアンスなんか破るかもしれない。
(笑)
で、やっぱりそういうこうグレーなラインで、実際我々の体はグレーに作られてるわけなんで。
確かに。
それがどうしてもなくなっちゃった時に、やっぱり一回グレーゾーンにこうにけ込んで、まあダメかもしんないけど、
まあでも僕の経験的に、まあそれ単に自分の目測が、割と当てがいいからかもしんないですけど、
1:33:05
まあ今のところは、あとまあ怒られてもいいですからね。
そうそう。怒られてもいいね。別に怒られてもいいし、学校の評価が下がってもいいし、
ブロガーとしての知名度がなくなっても別にいいんですよ。
いや、いいというか、悪影響は出るんですけど、自分が思っているほどのインパクトはないということを気づけるんですね、実際にやってみると。
で、実際にやらない限り、そのインパクトの目測の誤りが修正されないままなんですね。
自分の思い込みの中でずっと生きてしまうことになるんで、一回ルールぶっちゃけてみるっていうのはすごくいいと思います。
何でもいいんやけど、ブログとかで企画してみんな記事書いてくださいみたいなことを募集するとするじゃないですか。
そうすると、めちゃくちゃ細かくルール聞く人がいるんですよ。
はいはいはい、おりますね。
僕としては、例えばテーマがAって募集しても、Bのこと書いてきても、まあいいかって普通にエントリーする予定やけど、
このどこまでがAなんですかみたいな話を突き詰めてきはる人がいますね。
だから、やっぱりそういうルール観で今強いんかなとは結構思いますね。
やっぱりそれは本当にそういう特質の人もいると思うんですよ。
もちろんね。
だけど、やっぱり単純に本来というか普段そういう風にしてないんだ。
つまりその人にとってもそれは全然居心地がいい状態ではなくて、緊張してっていう。
つまり、倉須さんみたいな著述家の人のところで、やったこととかないし勇気を出してみたいな感じで、
なった結果そういうロボット迷惑出力みたいなことが起きるみたいな。
それをリラックスさせるっていうか、
さっきのバカンスとかも自分の中では非常に同じようなものなんですけど、
結局その締め切りでやばいって言って、
神経症的なものか鬱的なものか分からないんですけど、
やっぱりリズムがおかしくなってるっていうことだと思ってて、
それをやっぱり戻さないといけないっていうか、
そういう時には大概ビジネス的なあれで言うと、
1か0か的な状態というか、
もう出さない=死ぬ、仕事ない=死ぬ、みたいな。
あるいは一種の世界系的な状態っていうか、
もう俺の原稿が出ないからこの雑誌も終わっちゃうし、この世界も終わるみたいな感じに。
それをどうやって、もっと中間があるよっていうことを、
自分の体が理解するためには、やっぱり瞬間的にすごいリラックスしたり、
それによって結果的にめっちゃ怒られるかもしれないけど、
1:36:01
でも怒られた方が良くて。
なるほど。
長い目ではそれは中間が分かるってことだと思う。
確かに。
さっきの締め切り20族30族みたいな話じゃないけど、
あれもこの場であんまりそういう風に議論できなかったんですけど、
単に本当の締め切りがどっかに隠してあるからまだいけるっしょっていう話ではなくて、
やっぱり実際には相互調整が行われるわけですよね。
そうですね、確かに。
編集の人に明日までとか言って、
明日までに対して向こうがノリノリで返してきたってことは、
明後日までなんだからみたいな、常にやり取りの中で。
はい、確かに。
それで金曜とかまで引っ張れれば、何だっけ、手間の平気だったのかみたいな。
なるほど。
やっぱりその交渉の契機にもなるっていうか。
だからそうか、対話が開かれるわけですね、その瞬間に。
そうですね、そこまで行けるための、なんだろうな、
ためっていうか、交渉するための体力をやるためにもバカンスがあるっていう風に結構思います。
おお、なるほどね。
自分は結構、とりあえずビジホ行って、
温泉の元とか突っ込んで、
ああ、ああ、みたいな、もうやだみたいな。
感じになると意外と、
いや、待って待って、なんとか別にできるでしょ、みたいな風になってきたり結構するんで。
そうか、やっぱりその場所を変える、現実との場所を変えるっていうのは結構気分的にも大きいんでしょうね。
僕やったことないからわからないですけども。
もちろんね、今とか特にできる状況によってもできない人もいるしとかもありますけど、
あれ本当可能な限り、
特に自分とかの方に共感するような、結構、どういう理由であれ、結構テッドロックっていうか、
体がカチコチになっちゃう人とかは、結構そういう劇薬系はやった方が結果的にいいことが多いんじゃないかなと思います。
まあでも本当にだから、その交渉というか調整が、この世の中から失われつつあるというか、
電気屋さんで家電買うときも、昔は値切るのが当たり前だったわけですけど、
今は一番安いところでポチるわけじゃないですか。
交渉というのがないですね。交渉がないっていうのは、だから、
線引きが動く経験をしたことがないというか、
提示されてるけどもっと安なるの?みたいなことを、世界の認識が書き換わったことがないというか。
だからやっぱり解釈がいらなくなってるってことですよね。
だからそれはノートが必要ないと思っちゃうっていうことだと思う。すごくネタ完成だと思うし。
なるほど。
ノートを読み返して認識が前と変わっていることに気づいたりするっていうのが結構後半部で重要な機能として書かれてると思うんですけど、
あれってやっぱり、要は自己像とか固定化されてないっていう前提がある。
1:39:03
変わりうる。むしろ変わった方が良くて。
それに気づけるし良いっていうことだと思ってて、
やっぱり環境の側も自分の側も変化するし、変化するから調整が必要なんだとか、解釈が必要なんだっていう、
世界観をすごくはっきり出してるんだなと思う。
変化は、隠れたキーワードとして変化があるんか。自由と変化っていうのが一つがこの本のキーワードだなっていうのはちょっと思ったね。確かに。
いやすごいあると思いますね。
だからやっぱり読んで内容に反論があるっていうよりは嫌だって感じの反応の人もいたじゃないですか。
はい、わかりました。
見させてもらって。
結構その人たちはやっぱり、もっと自分自身のことじゃなくて、もうちょっと手先で何とかしたいのに、
うーん、そっかそっか。
なんかでかいこと言ってる。
そんなもん求めてなかったのにみたいなね。
もっとパッと何かないの?みたいな。薬くれみたいな感じっていうか。飲んだら元気になるやつくれみたいな。
まあそらな、ダイエットサプリを求めて薬を来たら、ジョギングしましょうって言われたようなもんやって。
まあそらね。
あの本はかなり漢方とジョギングの進め方が多い。
みたいなところよね。そりゃそらそら。そりゃそうですね、確かに。
うーん、そっか。
いやいやいや。結構話してて自分の本で発見するっていうのが、今回の方はだいぶ多いですね。
なんかいろんな指摘を受けていろんな発見を自分でしてますね。
こういうのもあるんだよね。自分が書いた本やから自分でわかってるでしょっていう思いもあるかもしれないけど、そんなことないんですよね、これ。
書いてみてその意味がわかるっていうのが結構たびたびある。
今回結構倉須さんはなんだろう、すごく感動したりちょっと傷ついてるような感じとかすごくなんだろう、
ちょりつろスタイルとか具体的に書くこととかもそうですけど、結構なんか気持ち的にもすごくいろんな変化があったんだろうなーっていう感じが、
前回のポッドキャストとかSNSとか直接のDMとかもそうですけど、やっぱり「主張だぜ」っていうのが出るとすごいいろんな変化をするんだなと思って、
それもなんかすごい純プュアに羨ましかった。
自分もそういうぐらいの大きい、いろんな変化の契機につながるようなものを作れたらいいなっていう。
やっぱり、全部自分のせいの本みたいな、自分のを全部「はいどうぞ」って差し出したような感覚があって、
それに対するフィードバックがやっぱりより大きく返ってくるっていうのはあって、
1:42:00
一見すると、全部自分だしすると、なんか怖いというか、ダメージがよりダイレクトに返ってくる予想もあったんですけど、むしろなかったですね、今回は。
そうなんですよね。相対的に言ってるか、全然ポジティブだし、自分自身に対する批判とかっていう風に感じないみたいな。
「いざかや」と思って入ってきたら「スナックやったんですね、すみません」みたいな、そういうすれ違った感はあるけど、
傷つけられたっていう感じはほぼ受けなかったですね、今回は。
なるほど、なるほど。
だからやっぱり守ろうとするから余計に痛みやすいっていうことがあるのかなとは思いますけど。
そうですね、本当。やっぱりそれは本当に思いますね。やっぱりオープン戦略が基本的には正しいんですよね。
勇気はいらないですけどね。
そうなんですよ。だから本当にSNS的な問題っていうか、オープン戦略すると不利だっていう感覚になりやすくなっちゃってるんで、これ本当に良くない環境っていうか。
確かに。
やっぱあれも書籍だからオープンな戦略がポジティブに働くんだと思ってて。
確かにね。
やっぱみんなね、結果的に違うって思った人であってもやっぱりお金払って買って、一定は個子据えて読むわけ。
うん、そうですね、確かにそうか。
やっぱりだいぶ違うなと思って。
そうやな。ウェブページやったら最初の一段落ぐらいで罵倒が投げかけられるわけだからな。
いやそうなんですよね。あとはあの内容だとどっちかっていうとスルーとかも絶対あると思う。
確かに。
で、無封もきついじゃないですか。
無封は無封できついよね。
いいですよね。あの分量が無封だったらもうやばいと思うんですよね。
やっぱりそういう意味では、僕が今オープンにしたいよって言えてるのは、やっぱり長年読んでくれてる読者さんがいるからだと思いますわ、それは。
うんうん。
ある程度そこが一回分になってるから、一回分、基礎部分になってるから、それほどの絵もあんまりショックにならないっていうのはあるかもしれない。
あーでもそれは自分も、僕はそんな大きいものは描いてないですけど、ずっとレトリカっていう導入紙をずっとやってて、これが2012年とかに最初のやって、11年とかから活動してて。
いいですね。
そうなんですよ。で、僕ツイッターとかブログは2007年とかから活動してるんで、やっぱり、何だろうか、古い、ずっとこう、で、僕だから2007年って、えっと、だから何歳?高校生とかなんで。
1:45:00
すごいな。
で、今でも見てくれてる人とかがいて、そういう人たちはまあほぼ子供っていうか親戚の子供みたいな感じで、多分、で、なんか本とか出せるようになって良かったわねみたいな。
なるほど、なるほど。
感じとか、あとは一緒にやってる仲間とか、基本的にそこに向かって描いてるっていう感じが強いんで、今回とか本当に、さすがにもうちょっと広く想定しましたけど、
はい。
基本はこう、何だろうか、仲間うちがこう、仲間うちだからっていう理由じゃなく楽しんでくれるものみたいな。
うーん。
こう、みんなが、何だろうな、義理だからっていう変な後ろめたい気持ちなくRTできるものを作るみたいな。
うん、分かる、分かる。
そういう人がこう、堂々とこう、昔の読者が堂々と、相変わらず面白いの作ってるねみたいな感じで思ってくれるようなもの作るって思えてること自体がまあかなり幸福なことなんで。
うーん、確かに。
まあだからそれもあって結構その、自分の方法はとりあえず身内を作った方がいいですっていうニュアンスを結構迷ったんですけど、そういうの嫌な人絶対いるから。
そう、当然。
はい、特にこう、ライターはまあそうでもないと思うんですけど、小説とか書かれる方とかはやっぱりかなりプロ説を開示したりするのが嫌な人ってすごくたくさん具体的に知り合いでもいるんで。
はい。
まあいろいろ考えたんですけど、まあ僕のやり方の方が、方がっていうかまあ僕のやり方がいい場合も多いなと思ったんで。
いやー、これね、たぶん本にも出てきたけど、本にも出てたかな、この前のトークで聞いたか忘れたけど、一人でやってできるんだったら別にいいんですけど、もしできないとかストレスが過剰になりすぎる場合は、その自分のこだわりを一旦捨ててみるのは結構有効な戦略やなと思いますね。
いやー、そうですね。で、これはやっぱりこう、今日なんか僕全体で言いたいこととして、ビジネス書とかメソッドと多分人間感の兼ね合いみたいな話をしたいんですけど、
文学系とかやっぱり、僕未だにいわゆる日本文学っぽいものというか、小説的なものであったり、つまりこう、なんか、なんか打材っぽいイメージとかですね。なんかめっちゃ苦しんでて、なんか天才なんだけどみたいなものとか。
なんか天才信仰と、こう、苦しみ、努力的な製品とかもそうかもしれないけど、やっぱそういうのが混じったようなボヤーンとした創作感っていうのは、やっぱ未だに書く読むとかで書いてる方とか見てても、やっぱり、
ある程度、特に文学に近ければ近いほどそういう印象が強いんですけど、なんか苦しんだ方がいいみたいなのって結構あるなと思ってて、僕はもう苦しさやばいんで、これ以上いらないんで。
1:48:00
(笑) 楽になれば楽になるほどいいとしか思えないんで。まあ、同じ心境に来たら役立ててくれと。そういう感じで。
(笑) 確かにそう。最後の命綱みたいな感じですね。
自分的には本当にそうですね、僕もなんか孤独にこうやってとか、大学生の時とかはそういう方がかっこいいかなみたいな思ったんですけど、
まあちょっとかっこよさは追求する余裕がないので、コラボレーションしたりオープンマインドのかっこよさみたいなのは、それはそれで追求していった方がヘルシーかなという感じですね。
ヘルシーだし、たぶん仕事のクオリティーは上がると僕は思うけどね、きっと。
そうですね、特に今のいろんな言葉の需要する環境だと一定程度開きながら作っていった方が、クオリティ的にも需要されやすさ的にもいいんじゃないかなという気は別問題として僕もそう思います。それはそれでそう思います。
協力することであって、その作家の天才性とか才能が損なわれるという危惧があると思うけど、たぶんね、そんなもので損なわれることはないと思うよ。
いや本当ですよね。そういうことは僕は時はそうの話とか、天才たちの複数さとか、共同性、コラボレーション性みたいなことにすごく興味があって、
あとアーティストインレジデンスとか、どっかでみんなで行ってやるとか、コレクティブを作りましょうとか、そういうのすごく興味があって、結構自分のやり方もかなりそういう風に作っていく。
で、人だけじゃなくていろんなツールも仲間みたいな感じで、今日はスイキャス先生にお願いするかみたいな。
なるほどね。
そういう意味じゃないですかね。友達がいっぱいいるみたいな感じで。
いやでも、道具と自分のインタラクションを考えるんやったら、その道具の部分に他人を当てはめても何ら不思議がないわけで、
他人が入ってきた途端に別の声に感じられるとしたら、たぶんクリエーションっていうものを己だけの力だけでやってるっていう錯覚が強すぎるような気がするね。
まあだから結構その辺への違和感とかが、ワードへの敵対して、純白で孤独で一人で向き合うみたいな、仮想的としてちょっとワード先生にあまりヘイトが行き過ぎた。それはそれで反省してるんで。
確かに。
そうか。
はい、もう結構時間になったので。
いやそうなんですね。僕も若干心配してました。これってこんな長い番組だったっけ?
2冊分の話題だったんで、今回は話が膨れ上がって、一応そういうことにしてきました。
1:51:01
僕は大変楽しかったです。
何か告知したいことあれば最後にどうぞ。
告知は、直近では特になさそうですが、レトリカっていう同人誌を作るっていうのが自分の活動にとっては一番基盤になっていて、どうにか今年、いや今年度かなみたいな感じなんですけど、やっております。
なのでそれ出たらっていうのと、そのまあ制作の途中の過程みたいなのは結構ポッドキャストで喋ってることが多いんで、さっき言ったようにスリープオーバーラジオとあとポコラジってやつあるんで、これなんかあの、
まあ、ラジオ出たらその告知のところに自分も貼っ付けたりするんで、なんとなくツイッターを見るでも良し、何かしらチェックしやすい感じにしようと思うので、聞いてもらえたら嬉しいです。
はい、じゃあその辺のURLは概要欄に貼っておきます。
というわけで、今回の感想等、あるいは私は執筆でこんなことで苦しんでるっていう話があれば、ハッシュタグ打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせアルファベットでキャストまでいただければクラスターがチェックしたいと思います。
というわけで今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
はい、ありがとうございました。
01:52:23

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