1. 気づくと変わる心理学 〜心のリスキリング〜
  2. #54 知らない場所、知らない道..
2025-03-18 16:10

#54 知らない場所、知らない道。覚えられない、たどれない。

今回は、『 知らない場所、知らない道。覚えられない、たどれない。』のお話です。


お伝えしている心理学ですが、
皆さまにとっての日常的で、身近な話題とも自然とつながっています。
その見方・活かし方を、ご紹介します。

今回は、「知らない場所、知らない道。覚えられない、たどれない。」について。
知らない場所、知らない道を行くときの、覚えられない、たどれない問題。それは、心の中身を知り、生き方の癖を知る、手がかり。どんな意味があるのか、何が起きているのか。気づくヒントが得られます。

第2回目「心の仕組みは、世界共通。誰もが持つ、親・成人・子ども。」
ともリンクするお話です。

まだ聞いた事がない方も、
何本か聞いて番組に興味を持ってくださった方も、
気づくと変わる、いつもと違う変化を味わってみませんか?

サマリー

このエピソードでは、知らない場所や道を進む際の記憶力と心のメカニズムについて探求しています。心理学の観点から、心の中の「親・成人・子ども」という状態に関連して、道順を覚えられない理由について、考察。特に、迷った際の対処法や自動再生する過去のデータが現在に与える影響に焦点を当てています。

知らない場所の経験
こんにちは。明治大学で生涯学習講座の講師をしています、遠藤美保です。この番組では、社会人や学生向けの生涯学習講座を10年以上行ってきた私が、日常生活でも活かせる心理学を、ポッドキャストでお伝えしていきます。
ポッドキャスト歴1年、ただいま2年目です。今回のテーマは、こちら。『知らない場所、知らない道。覚えられない、たどれない。』 今回は、「知らない場所、知らない道。覚えられない、たどれない。」のお話です。
お伝えしている心理学ですが、皆様にとっての、日常的で身近な話題とも、自然とつながっています。その見方、活かし方をご紹介します。今回は、「知らない場所、知らない道。覚えられない、たどれない。」について。
知らない場所、知らない道を行くときの、覚えられない、たどれない問題。それは、心の中身を知り、生き方の癖を知る手がかり。どんな意味があるのか、何が起きているのか、気づくヒントが得られます。第2回目「心の仕組みは、世界共通。誰もが持つ、親・成人・子ども。」とも、リンクするお話です。
皆様、こんな経験はないでしょうか。
例えば、何かの理由で、知らない場所、知らない道を行く必要がある。
仕事上の待ち合わせとか研修とか、食事会とか飲み会とか、何かの趣味の集まりとか、あれこれ。そんなとき、一緒に行く人がいて、その人が案内をしてくれる。「助かるぅ」。連れて行ってもらう、ついていく。そんな経験。
案内をしてくれる人がいて、連れて行ってもらってついていくとき、私の場合、完全にお任せ。
必要な情報を確認したり、その後の段取りを思い浮かべてチェックしたり、楽しくおしゃべりしたり。
時には足の速い人に置いていかれないよう、小走りしてピタッと後ろにつけたり。
グループで行動しているときは、後ろの人が置いていかれないよう、ちょうど中間あたりに位置づけ、案内してくれる人を目視確認。
後ろの人には目印代わりになりつつ、「遅れてます。もうちょっと急いで。」の、めくばせをしたり。
ああ、忙しい。自分としては、あれこれフル活動。ただ、知らない場所、知らない道の場所や道順については、とにかく完全にお任せ。
この状態になったとき、どうやってそこに行くのか、行ったのか。情けないことに、どうやら私は全く覚えられない、そしてたどれない。
行った場所、そこで過ごした時間、人との会話は覚えているわけですから、記憶力に問題はなし。
また、一人で知らない場所、知らない道に行くこともよくあるので、本来なら、そういった力はある。覚えられない、たどれない。そんなはずはないのに。
それなのに、完全にお任せでついて行くとき、その場所、道の道順や行き方については、全く当てにならない。覚えていないし、たどれもしない状態。
とは言え、「うーん、ちょっとは覚えているかも。」 そんな期待と希望的観測から、帰り道、何とかなるだろうと一人帰りしたりして。
すると、途端に、ちょっとは覚えているどころか、「こんな路地を通ったような・・・。あれ?でもこの道につながってたっけ?」
「えー、この記憶、全然違う駅の、この間行った場所の記憶?」
「うわー、覚えてない。こんなに歩いたかな?」
気づけば、目指していた駅と全く違う駅にたどり着き、しなくてもよかったはずの、乗り換えをして帰るルートに変更する羽目になることも。
はー、情けない。
実はこの、帰り道の情けない体験。タイトルには、知らない場所、知らない道としましたが、何度も行ったことのある場所、行ったことのある道でも起きた、実体験だったりします。
道順を覚えられない理由
どういうことかと言うと、ある時、よく利用していた打ち合わせ場所。ずっと行き帰りを案内してくれる、連れて行ってくれる人がいたのですが、たまたまその人が、その時は別件で離れ、初めて一人で帰ることに。
ただ、ちょっと離れたところではあるものの、よく行っていた場所。わざわざスマホのナビを使わなくても、大丈夫。
そんな気楽な気持ちで、いつもの駅を目指した結果。「な、なぜ、この駅に?えっ、うそ。どおりでやけに歩くと思ったなぁ。」な状態になってしまったわけです。
残念すぎる。
さて、この道順を覚えられない、たどれない問題。心の中身、「親・成人・子ども」から掘り下げてみます。
誰でも心の中に、「親・成人・子ども」の状態がある。
「親」は、親や親的な役割の人から取り入れた「行動・思考・感情」が入っている部分。
「成人」は、<今、ここ>にふさわしい「行動・思考・感情」が入っている部分。
「子ども」は、子どもの頃の経験や決断といった「行動・思考・感情」が入っている部分。
この、「親・成人・子ども」から見ると、道順を覚えられない、たどれない原因はどこにあるでしょうか。
行った場所、そこで過ごした時間、人との会話は覚えているわけですから、記憶力に問題はない。
また、一人で知らない場所、知らない道に行くこともよくあるので、本来ならそういった力もある。
覚えられない、たどれない。そんなはずはない。
ということは、大人として覚えてたどる、<今、ここ>にふさわしい「行動・思考・感情」が入っている「成人」の問題ではない。
ある意味、「成人」が登場していないことが問題。そう言えるかもしれません。
そもそも、覚えられない、たどれないという認識、表現が怪しい。
できる、できないで言えば、覚えられる、たどれる力はあるわけですから、事実ではない。
「親」と「子ども」が、関係していそう。
「親」と「子ども」の中身は、過去のデータ。その部分が、記録された動画のように自動再生される部分、と言われています。
そこに「成人」が加わって、通常は特に意識することもなく、瞬間的な出来事の中で、自然とやりとりがつながっています。
そして、「行動・思考・感情」はつながっている。
「親」状態での行動をしているとき、つながっている思考と感情も、「親」の状態。
「子ども」状態での行動をしているとき、つながっている思考と感情も、「子ども」の状態。
外から見える、他人からも分かる、表に出ている行動。そこが、心の中身を捉える大きなヒントになります。
大人としてその力もあるはずなのに、覚えられない、たどれないという言葉。
頼りない、当てにならない行動。自分では見えませんが、おそらく表情も、焦って半べそだったかと。
心の状態を見直す
「子ども」の可能性が高いと思います。
「子ども」は、子どもの頃の経験や決断といった「行動・思考・感情」がつながって入っている部分。
実際に子どもだったときは、確かに覚えられないし、たどれませんでした。
何でしたら、大人に手をつながれて、連れて行かれています。
その間は、とにかく、ついていくのに必死。何かを覚える余裕も、タイミング良く、分かりやすい目印を見つける力も情報もありません。
毎日を生きる、ついていく、そう決めていたと思われる時期。
それなりに寄り道もして、怒られたりもしましたが、目的があるときは、とにかく、ついていく。
そんな子どもでした。
知らない場所、知らない道を進むとき、案内をしてくれる人に、ただついていく。
結果、覚えられない、たどれない状態になる。
心の中身は、「子ども」状態で自動再生されているのでは?
安心、安全で居心地も良く、何も問題なしであれば、「子ども」状態での自動再生を満喫しても良い。
効率も良いし、慣れている「行動・思考・感情」で安定稼働、それでOK。かも、知れません。
ただ、それだけでは心もとない。
いざという時は、自分で自分の道を決める、覚える、たどる。そうでありたい。
変化の時代、過去のデータは適宜見直して、ブラッシュアップしないとズレてしまう。
それでは、生きにくくなるのではないでしょうか。
それに、実際のところ、ある時こんなこともありました。
決まった時間に必ずつかなければいけない、私にとっては知らない場所、知らない道。そこを知っている場所、知っている道だと、言い切る人。
決まった時間に必ずつかなければならない、知らない場所、知らない道の場合、
「親」と「子ども」の自動再生
私の中の「親」の部分は、遅刻厳禁。人をお待たせするなんて言語道断、人に迷惑をかけるな。そんな強いメッセージが取り込まれているため、早め行動。できれば、1時間前についていれば安心な基準。
心の中の「成人」は、そうは言っても、妥当なところでどうだろうと、その場所のあたり、食事やお茶をできるところや、ちょっと落ち着けるスペースはないかと調べ、道順とかかる時間も把握した上で、無理のない範囲で決めようとします。
とは言え、そこを、知っている場所、知っている道だと言い切る人。以前行ったこともあり、余裕。だとか。それなら一安心、良かった。安心してお任せして、ついて行くことにしました。
そして、現地到着。早めに着いたので、一緒に食事をしつつ、それでもですね、「余裕をもって、ちょっと若干早めに行きませんか?」という私に、「大丈夫、大丈夫。」。その人にとっては余裕、のタイミングで出発しました。
サッサッと歩きつつ、ついて行きながら、「あっちの方角だよね?」と方角だけ見つつ、「そろそろかな?」と、時計もチラチラ。「ん?まだかな?」 「まだ?あれ?何か心なしか焦ってない?迷いました?って聞いてみたほうがいいかな。」 「え、でも何だか、えっ」。時間は、刻々と迫ってきます。
そのうち我慢しきれず、「あの、まだですか?」、…無言。「これ、絶対迷ってる。」、そう確信して、じっと見つめ始めたものの、「大丈夫。行ったことあるから。」、多少キレ気味なその人。「はぁ、遅刻だ」
結局、ギリギリ間に合ったものの、汗だく。ぜいぜい言いながらの到着。その人からは、何のお詫びも解説もなし。何なら、「間に合ったんだから、問題ない。」と、どうも上から目線な気配すら、醸し出していたような。
いかがでしょうか、この、道案内をしてくれた人。途中迷っても認めず、ギリギリになってもお詫びすらしない、上から目線な気配。これは、自動再生された「親」状態での「行動・思考・感情」になっているのでは?ある意味、認められない、お詫びできない、その人にとっての「親」状態。
「成人」であれば、「大丈夫だと思ったけど、迷ってる。あそこの人に、道を聞いてみましょうか。」とか。「ごめん、先方に遅れそうだと電話するから、道を調べてもらってもいい?」とか。いくらでも、他の対応方法はあったはず、
「親」状態の、道を案内してくれる人と、「子ども」状態の、私。過去のデータ同士、お互いが引き合い、自動再生された、やり取り。軌道修正がされないまま、流されてたどり着いた結果。
「親」と「子ども」は、過去のデータ。「成人」は、現在のデータ。過去の「大丈夫」「いつも」や、ついていくと決めたやり方、思い込みにこだわって、<今、ここ>の可能性を狭めるのは、危険。<今、ここ>の「成人」でチェック。自分の「親」、「子ども」の中身、自動再生されるやり取りを整理。
いつもと違うデータを、試したり、収集したり、最新のものに入れ替えたりしてみては、いかがでしょうか。
ちなみに、「成人」の姿勢は、まっすぐ。意識して、姿勢をまっすぐにして、呼吸を調える。それだけでも、「成人」の行動を刺激。つながっている、「成人」の「思考」「感情」も刺激されます。
今起きている問題、解決策はないと思っている課題。「成人」を刺激、「親」と「子ども」の自動再生に気づくだけでも、解決策を見つけるヒントにつながります。
では、今回覚えていただきたいポイントは、「知らない場所、知らない道。覚えられない、たどれない。」まずは、気づくこと。そして、いつもと違う変化を、味わってみませんか?
ここまで聞いていただき、ありがとうございます。最後に、番組からのお知らせです。気づくと変わる心理学を、また聞きたいと思った方は、お聞きのポッドキャストアプリで、番組フォローとレビューをお待ちしています。
フォローしていただけると、最新話が更新された際、通知がきます。また、レビューしていただくことで、番組の改善につながりますので、できれば、★5評価をお待ちしています。
そして、お聞きのあなたからの疑問・質問・感想も、様々な媒体でお待ちしています。
Spotifyでお聞きの方は、エピソードごとのQ&A画面、「番組へのメッセージは、こちら」から。
Apple Podcastでお聞きの方は、「レビューを書く」から、コメント付きでレビューできます。
来週も、火曜日の朝6時に更新されます。お相手は、遠藤美保でした。ありがとうございました。
16:10

コメント

スクロール