今回、早川さんの番組にお招きいただいて、大変よろしく思っています。
私自身も、そういった戦争の経験ですとか、戦争に関する記録を残すということには、すごい価値があると感じています。
リチャードさん、今日はありがとうございます。
今日はですね、リチャードさんの著書、津波の霊たちについて、いろいろとお話を伺っていきたいと思います。
まず最初なんですけど、そもそもなぜ僕がリチャードさんにこのインタビューをさせていただきたいと思ったかということなんですけど、
今、すごく印象的で覚えているのは、
首都高広さんによるですね、大川小学校の悲劇を語り継ぐ講演会の聴講者の多くに、
その首都高広さんは、当事者意識がなかったっていうふうに彼がおっしゃってた文章があったと思うんですけど、
私自身、この9年間、戦争体験者の声を聞いて発信する、戦争の記憶という活動を続けているんですけども、
やっぱり、その戦争の取材を見てきても、当事者でなくても、ないからこそ、まず真実を知ること、
それを忘れないようにすること、
が非常に重要だと感じ続けてきました。
それだけに、今回のリチャードさんのこの本を通じてですね、
やっぱり、あの震災の知られざる真実を知ること、
その上で、今一度、一人一人が震災だったり、
日本、もっと言うと人間の在り方を考えることが、すごく価値があることだと思い、
今回、リチャードさんをお招きして、いろいろお話を伺いたいと思いました。
今回、早川さんの番組にお招きいただいて、
大変嬉しく思っています。
で、私自身も、そういった戦争の経験ですとか、
戦争に関する記録を残すということには、すごい価値があると感じています。
というのも、日本国外ですごい有名な英語の本がありまして、
広島と呼ばれている本です。
それは、アメリカのジャーナリストのジョン・ハーシーさんに書かれたもので、
それは、広島に核爆弾が落とされてから、数ヶ月後に訪れた時のレポートとして残されています。
この本ではですね、いろいろなジャーナリズムに関しても、すごいよく書かれている本ですし、
文章の構成などに関しても、すごいよく書かれている本で、
この本に影響を受けたというところもあります。
今回の津波に関する本を書くときも、参考にしていましたし、
今回のやっぱり、津波に関する災害というのは、その核爆弾とか、そういった被害とは全く違うものですが、
でも、そういった形で、
記録を残すことができるようになっています。
記録を残すことができるようになっています。
記録を残すことができるようになっています。
という意味では、似たことだと思っています。
ありがとうございます。
今、少しその話にも入ったのかなと思うんですけど、
そもそも、この津波の例たちを、やっぱり書こうと思ったきっかけ、
当然、震災が起きたからだとは思うんですけど、
とはいえ、それをジャーナリストとして本にする人、しない人、取材する人、しない人がいると思います。
リチャードさん自身が普段の日々の取材、ニュースソースとして当然、
これを、震災を取材したと思うんですけど、それを
また、本にするというのは別だと思うんですけど、
やはり、なぜ本にしようと思ったんでしょうか?
まあ、もちろん、私は東京に住んでいましたので、
その時にやはり地震を体験して、その後すぐに東北に向かいました。
私はその時に新聞社のレポーターとしての仕事をしていましたので、
やはり毎日、そういった何かしらの記事を新聞社に、
レポートとして提出しなければなりません。
で、それを数ヶ月行っていったところ、
やはり現地のいろいろなストーリーを毎日レポートをしている際に、
その読者たちはやはり大いに興味を持ってくれてはいました。
でも、そのストーリーは2000単語から3000単語の英語ぐらいの長さの、
比較的短いものしかできないので、
全体的なストーリーというところは伝えることもできずに、
あと、人々の苦しみや悲しみというところも伝えるのは、
やはり難しいです。
そういったところで、私は今までにノンフィクションブックを書いたことがあるので、
そういった形で大震災について伝えるといいと考えました。
でも、本にしたとしても、そのすべて、大震災すべてについては書けません。
ですので、私がやろうと思ったのは、人のストーリーにフォーカスをして、
そこから全体を見るようにする。
そこで選んだのが、大川小学校でのストーリーです。
それをまずはじめに、
フォーカスして書きまして、
その後に、海外でいうゴースト、霊ですね。
霊的な現象も含めて、いろいろなストーリーをこの本に書きました。
今、まさにインタビューを何度も何度も繰り返して書き上げた本とおっしゃいましたけれども、
私もインタビュアーの端くれとして、
いわゆる震災というものすごくネガティブな状況の中で、
話を聞くのは非常に難しいと思います。
ましてや、震災、
そして当然、リチャードさん、日本語、本当はペラペラだと思うんですけど、
まあ、とはいえネイティブではないので、
いわゆる震災、言葉、そして外国、日本が長いと言われる外国の方なので、
いわゆる端的に言って、震災というネガティブな状況、言葉、外国人というその3つの、
あえて言いますが、ハードル、チャレンジングなことがある中で、
なぜここまで、やっぱり日本人の私が読んでも本当に本質に迫った素晴らしい本だな、と。
なぜここまで本質に迫ることができたと、ご自身でお思いでしょうか。
もちろん、何度もインタビューしたからこそだと思うんですけど、
そもそもインタビューするのもハードルだと思いますし、コミュニケーションも含めてなんですけど、
いわゆる3つのハードルをどう超えたのかっていうのを伺いたいですね。
先ほど、私が日本に長く住んでいるから、日本語が上手だと言われましたが、
あまり実は話せないんですね。
特に真面目な話ですとか、難しい話というのは、なかなか理解するのが難しいです。
でも、私には秘密兵器がおりまして、それは会社のアシスタントの方です。
彼女は通訳、翻訳などを私のためにしてくれて、
日本語でのこの会話というののコミュニケーションの間に立ってくれる、とても有能な方です。
そのアシスタントという名目ではありますが、
彼女はジャーナリストとしても優れていて、長く一緒に、
働いています。
現地に行ったときに、やはりコミュニケーションが壁となることは多々ありました。
それは、私が外国から来たということで言葉が違うというのが、
大きな要因となっていました。
それとは別に、被災者の皆様は、苦痛を経験され、悲しみを経験されていて、
その中に子供を亡くした親御さんもいらっしゃいますし、
子供全員を亡くされてしまった親御さんもいらっしゃいます。
そして家や家財道具など全てをなくした方もいらっしゃって
そういった方々とお話しコミュニケーションを取るときは
やはりアプローチが難しい問題とはなってきます
そういった中でこのアシスタントの彼女は思いやりがあり気遣いもあり
そういったコミュニケーションの面で優れたところを持っておりまして
人に共感する能力とかそういったものも優れているので
彼女の功績がすごい大きいというのはあります
先ほど申し上げた通り日本国外から来た私にとってはなかなかこういった問題が難しいということはあるのですが
小学校の親御さんの中には日本の官僚制度とかそういったところに不信感を持っていたりする方もいらっしゃいますが
そういったことを普通に話すというのはなかなか日本ではされていないので
その日本国外から来た私だからこそ話せる話しやすいということもあったようで
そういった面では私が日本国外から来たというところはプラスの面ではありました
今いろいろお話を伺う中でこれも伺いたかったんですけど
なぜやっぱりこの本書のタイトル
高台でも3.11 津波の霊たちの後の副題ですね
3.11 死と生の物語
英語でもGhost of the Tsunami
Death and Life in Japan's Disaster Zoneとありますけど
いわゆる日本語だとやっぱり生と死
つまり生が先に来て死が後なんですけど
やはりこれは現代でも法題でも死と生ということで死が先に来てます
なぜ死と生の物語だったんでしょうか
これはリチャーさんの中で何かやっぱり順番意味があったんでしょうか
死と生という形のサブタイトルにしたのは意図的なものでした
普通だったら生と死という順番なのかもしれないのですが