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2025-07-11 24:01

第4回 震災をきっかけに見つけた道。徳島で「寄り添う医療」を実践する

番組第4回では、徳島県立三好病院の循環器内科医・前川裕子先生をゲストに迎え、MCの大野航佑・武岡綾香が「人に寄り添う医療」をテーマにお話を伺います。東日本大震災をきっかけに始まった前川先生の地域医療の歩みと、故郷・徳島で再び地域と向き合う現在の姿を通して、医師としての新しい生き方と幸せのかたちを探ります。ぜひお聴きください。


▼出演

MC 大野 航佑(徳島県病院局)

MC 武岡 綾香(徳島県立三好病院事務局)

ゲスト 前川 裕子先生(徳島県立三好病院 循環器内科 副部長)


▼トピック一覧

・テレビで見た津波の映像が背中を押した。被災地に向かう決断の背景

・循環器専門医として着任し人手不足の現場を一般内科から支援

・循環器チームを結成し地域医療体制を強化したプロセス

・「細く長い支援」で学んだ患者と地域に寄り添う診療姿勢

・地域医療はキャリアの妥協ではない―若手医師へのメッセージ


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サマリー

このエピソードでは、前川祐子医師が東日本大震災を契機に岩手県の被災地に向かった経緯や、その後の地域医療に関する活動を紹介します。彼女の経験を通じて寄り添う医療の重要性やチーム医療の形成についての洞察が深まります。震災をきっかけに徳島に戻る決意を固めた医師の体験が語られ、地域医療への思いがさらに強くなる様子が描かれています。特に、医療体制の整備や患者との絆が医師としてのやりがいに繋がっていることが強調されます。

震災への第一歩
頼む!来てくれ!!徳島の医師爆増予定ラジオ
こんにちは、頼む!来てくれ!!徳島の医師爆増予定ラジオ
パーソナリティの徳島県病院局大野幸介です。
同じくパーソナリティの三好病院事務局の竹岡彩香です。
この番組では、徳島で働く医療者のリアルな声を通じて
徳島という土地の魅力と、そこで医療に携わることのやりがいを掘り下げていきます。
仕事とプライベートのバランスを大切にしながら、自分らしく成長できる環境
そんな徳島の医療現場を、等身大のトークでお届けします。
遊びも仕事もどちらも諦めたくない、そんなあなたにこそ
ぜひお聞きいただきたい番組です。
これまでの配信では、県南海部病院で活躍する稲葉圭介先生、稲葉香織先生にご登場いただきました。
青い海と潮風が日常にあるロケーションで、チーム性医療やワークライフバランスについてお話を伺いました。
今回の第4話からは、徳島県西部三好市からお届けします。
三好市は、吉野川がゆったり流れていて、周りを山々に囲まれている自然豊かなエリアです。
山と川に囲まれたのどかな風景が広がる場所です。
そんな場所にある徳島県立三好病院で、循環器診療を担い地域診療の要として活躍されているのが、本日のゲスト、前川祐子先生です。
東京大学から千葉大学医学部への返入を経て、医師となり、震災を機に岩手県の被災地で12年間地域医療に尽力された後、
2023年からは地元三好市の三好病院に戻って活躍されています。
前川先生、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。前川祐子です。
三好病院で循環器内科として勤務しています。
自然豊かなこの地域、私のふるさとなんですけれども、この地域ならではの医療についてお伝えできればと思います。
ありがとうございます。前川先生には、東日本大震災をきっかけに最地へ飛び込み、12年間地域医療に向き合ったご経験、
そして故郷徳島に戻って寄り添う医療を実践する現在のお話をたっぷり伺います。
それでは本編スタートです。まずは東日本大震災のお話から伺わせてください。
被災地での活動
前川先生、テレビで津波の映像をご覧になってすぐ岩手の医療機関に連絡を取られたと伺いました。
そしてわずか1週間で岩手へ行こうと決断されたそうですね。
関東でキャリアを積んでいた最中だったと思うんですけれども、前川先生の中でどんな思いが湧き上がって、
どんなふうに気持ちが動いていったかというのを聞かせていただけますでしょうか。
はい。ちょうど地震が起きたときは東京の都内の病院で勤務をしていたんですけれども、
テレビとか新聞とかそういったメディアで流れてくる情報を見て非常にショックを受けまして、衝撃を受けまして、
こんなことが本当に実際に日本の国内で起きているんだって思うと、
そのとき最初は本当に現実のものとは思えないような映画を見ているような感じだったんですけれども、
だんだんこれはただ事ではないと思うようになりました。
何かその意思として自分ができることがあるのであればやらなければいけないのではないかという強い衝動に張られたというか、
それで最初はやっぱり迷ったんですけれども、でも迷ったときは前に進もうとそういう気持ちになって、
それでインターネットで見つけた岩手県の岩手医大の災害対策室に自ら連絡を取ったという経緯になります。
連絡を取ってからどこどこに行ってくださいみたいな指示があるということですかね。
全く東北は1回だけ旅行に行ったことがあるくらいで、縁もゆかりもない土地で知り合いも全くいない地域だったんですけれども、
なのでどこでもよかったんです。岩手じゃなくても宮城でも福島でも行けるところがあったら赴こうと思っていて、
そこで見つけたのがインターネットで岩手医大の連絡先を見つけましたので、そこに最初に連絡を取って、
病院もどこでもいいと行ける場所にお答えをして。
そのときつないでくれたのは、もうその医大の先生とかがつないでくれなかったんですか。
はい。岩手医大の当時の学長が医師の情報サイトにメッセージを発信されていまして、
細く長い支援ができる先生応援支援に来ていただきたいというようなメッセージとともに、
災害支援室という名前だったと思うんですけれども、そこの連絡先が書いてあったんですね。
というわけで、自分から連絡を取りました。
すごいですね。勇気というか決断力みたいなところが。
行かないときっと、なんであのとき自分は動かなかったんだろうって、おそらく時間が経った後で後悔すると思ったんですね。
阪神淡路大震災のときに、自分は大学1年生で東京にいたんですが、
そのときにはやはり同じように悲惨な状況になっていたんですけど、自分は行動する勇気も行動力もなくて、
それが何か後悔というか、即死だろうと言っていたので、
今は医師になったのであれば、何かできることがあるんじゃないかというふうに思って、
後悔したくないという思いもすごく強かった。
突き動かされた。
その当時、巡回医の専門医としてキャリアも積まれていて、
専門医の取得を目指して、お勉強というか研修をされていたものの最中ということだったんですよね。
バリバリの若手で、これから専門医を取ろうと目指して、巡回医専門部員でやっていたところだったんです。
一旦そこを置いて岩手とかに行ってしまうと、もう一回やろうというところが不安に思ったりとか、
キャリアが一旦停止してしまうみたいなところで、迷いとかも当時なかったんでしょうか。
ありませんでしたね。
ありませんでした。
そこは専門医は何も考えずに、助けに行きたいという。
自分が、もちろん巡回機内科医としての専門性を高めることは大事だと思っていたんですが、
そうである前に自分は医師であり、また一人の人間であるので、
それを思うと巡回機の勉強、研修はまた時間が経ってからでもできますけれども、
被災地の支援は今しかできないと思ったら、
行きたいという思いに関して、キャリアが一旦中断するということに関しての迷いはありませんでしたね。
そうなんですね。
当時にも自分が見ていた患者さんとか、つながりのある人たちとかもいたりしたので、
そういった人たちを置いていくというか、いいのかなというそこはありましたけれども。
縁もゆかりもなかった岩手県に移住されて、12年間そこで細く長く支援を続けられたということだったんですけど、
最初の岩手県の病院での初年度ってどんな始まりだったんですか。
岩手医大の災害支援室から宮古病院を紹介してくださって、
そこの宮古病院というのが、巡回機の先生が一人常勤でおられるんですけれども、
60代で外来だけやっていて、入院診療はやっていないと、
心臓が立てているといった検査などもやっていないという状況で、
巡回機内科医が足りないということをお聞きして、
巡回機医として何かをしようと思っていこうと思ったわけではないんですけれども、
それであればより自分が活かせる役割があるのかもしれないなと思ってそこに行きました。
ただやっぱり最初は巡回機というよりも一般内科として、
何でも必要なことがあったら何でも受けて何でもお手伝いしますというスタンスでやっていたんですけれども、
病院自体は高台にあったので、病院機能自体は保たれていまして、
私が行ったのも震災から3ヶ月経ってからなので、
診療とか検査とか生活自体は通常体制に戻っていました。
町の様子は瓦礫がまだ山積みになっていたりとか、
もちろん避難所、まだ仮設住宅ができていない時期だったので、
避難所から病院に来る方もおられたりして、
病院の設備というよりも人手不足が問題としては大きかったんですね。
自分のご専門以外の診療とか不安とかは特になかったんですか?
ありましたけども、やるしかないと。
たった一人ではなくて、周りにもともとおられた先生とか、
それぞれの専門でやられている先生たちの力ももちろん借りながらだったので。
中にはPTSDと呼ばれているものもあると思うんですけど、
心身がショックで落ち込んじゃってみたいな患者さんもいらっしゃったんじゃないかなと思うんですけれども、
内科で診療されている先生がお話を聞く、
精神のところにもアプローチしていく必要とかもあったんじゃないかなと思うんですけど、
そのあたりどういう感じだったんでしょうか?
患者さんたちは自分から喋ろうとはしなくて、
震災の時のこととかは。
私も初対面だったりとか、患者さんとの付き合いが短い中で物質系に聞くこともできないので、
そのためにもやっぱり一回短期間行って、
終わりでは寄り添ったことにはならないと自分で思っていたので、
最初から長期的に滞在するという。
チーム医療の形成
腰を据えてそこに留まって一緒に生活をすることで、
被災された方々と思いを共有できるように。
行く都に飛ぼうと思った時から決められとったってことですね。
前川先生、今日僕初めてお会いしたんですけど、
すごい話しやすいし、声もいいから。
そうなんですよ。
声も早く話をして気が楽になった方とかもいっぱいいるんじゃないかなと思いますね。
私の声は人を眠くさせる。
それがいいんだと思いました。
癒されるというか、喋りたくなっちゃう自分のこともみたいな。
心が疲れた時は前川先生の話。
いいですね。
マンパワーの足りない現場で奮闘されている中で、
聞いたところによると最終的には
循環機チームというのが出来上がってきたという話を伺ったんですけども、
どんなふうに仲間を呼び込んでチームという形にしていったのか教えていただいてもいいですか。
先ほどお話ししたように、最初循環機200病院に来た時、
循環機は60代の先生が1人だけで、
私は若手が1人いれば、
入院診療とか、救急患者さんの対応とか、
そういうこともやりやすくなると思いまして、
一般内科から始めて2ヶ月経った頃に、
循環機内科としての入院診療を受け持たせてもらうようにしたんですね。
それまでは、循環機疾患による心不全とか不生命とか、
そういう方の入院は他の科が受け持っていました。
例えば消化器内科とか、
時には脳神経下科とか皮肉疾患とか、
そういった全く心臓とは関係ない先生が、
私が行く前は入院診療を持っていたんですけれども、
それを私が引き受けさせてもらうようになりまして、
あとは心筋梗塞の患者さんはどうしても人手がいるので、
私1人いても緊急治療がまだできない環境でしたので、
そういった方は2時間かけて救急車とか、
ドクターヘリで森岡まで搬送をしていたんですね。
そういう24時間365日、
自分が循環機疾患に関しては受けますっていうスタンスで、
2年間やったんですけれども、
ちょうど震災の後、震災の年ですね、
岩手医科大学に新しい勤事が行われまして、
循環機内科のその先生が、
都病院を手助けしなければいけないというふうに思ってくださって、
今までは岩手医科大学とは関わりがなかったんですけれども、
ただゼロから岩手医大が立ち上げていくのは難しいから、
どうしようかというふうに思っておられたところに、
私がいたので、若い人1人いて、
若い世代ができているんだったら、
震災を契機にした決意
人を送りやすいというふうに思ってくださって、
2年経って、2013年度から、
岩手医科大学から若手の先生を2人、
常勤医として派遣してくださるようになったんですよ。
それで若手が3人になって、
緊急対応とかもかなり、そこから充実するようになりまして。
この若手の方が2名来られて、
すぐにチームとして見れるような体制になったんですか。
そうですね。その先生方も若手といっても、
やはり大学とかいろんな病院で経験を積んで来られた先生でしたので、
緊急治療、緊急対応にも特に問題なく。
本当にその時はすごく嬉しかったです。
そうですね。仲間が増えると、やっぱりちょっとこうね。
2人で2年間頑張って踏ん張って、
若手来てくれたっていうね。
先生がいてくれたからこそですね。
そこは、いいえいいえって思いながらも、
心の奥底では、自分が土台を作れたのかなって思って、
そこを誇らしい気持ちになったりします。
そこからは、今まで森岡に送らなければいけなかったような患者さんも、
大抵の患者さんは宮古病院で治療を完結することができるようになりました。
しかも一時的にではなくて、
人事異動がありながらも、
継続して予定外から2名あるいは3名医師を送ってもらえるようになりました。
本当ですね。
先生がいたからこそです、本当に。
12年間にわたる医療業務の中で、
宮古の皆さんと深い絆を築かれながらも、
徳島に帰ろうと考え始めたきっかけは何だったんですか?
私は宮古という地は、
震災が起きてから知ったぐらいの、
ここに縁も怒りもないところにいて、
長く腰を据えていられたのも、
医療をやらなければ支援をしなければという使命感だけでは絶対続かなかったと思います。
この土地の地域の人たちにすごくよくしてもらって、
自分が医師としてやりがいを持って、
必要としてもらえる存在として、
勤務できたことが多かったので、
それこそも、1年ごとに、あと1年って思いながら、
金谷姫寺にやっていって、
このまま永住してもいいんじゃないかなって思うくらいに、
愛着の多く、第二の故郷といってもいいくらいに、
すごく大切な場所になったんですけれども、
徳島に戻ろうと思うきっかけになったことは、
大きなことは2つありまして、
大きなこと2つの前に、
医師になったときに、
最終的には地元の徳島に帰って、
徳島に帰りをしたいっていう思いを持っていましたので、
向こうに都に永住をしてもいいなって思う反面、
やっぱりふるさとへの思いっていうのは、
ここで断ち切れないままではあって、
ずっと迷ってはいたんですけれども、
1つは、2019年に祖母が亡くなりまして、
100歳の天寿を全うした大王像だったんですけど、
ずっといつか徳島に帰ってきてよ、
いつか帰ってきてよって、
帰省するたびに言われていて、
私もいつか帰るけんなって言って、
もう少し、もう少しと思いながらいたんですけれども、
私がこちらに寄居をして、
こちらに戻ってきて医療をする、生活をすることは間に合わなくて、
本当にそれがすごく心にぽっかり穴を開けた出来事の1つだったんですけれども、
もう1つは、都病院での医療体制、
中間期の医療体制が整ってきて、
ずっと自分がいなければいけないだろうって思いながらやってきたんですけれども、
いつしか自分がいなくなっても、
医療の体制が揺らぐような状況ではなくなってきて、
万弱になって、これからもずっと続いていってくれるだろうって思えるようになったので、
自分があそこにいなければっていう思いよりも、
いつしか自分がそこにいたくて、
やりたいことをやらせてもらっているっていう気持ちに変わっていって、
それで残っていたんですが、
だったらこちらに戻ってきて、本来の夢に思いに戻って、
徳島で地域医療をやってもいいなっていうふうに思えるようになったっていうのがあります。
地域医療の実践
ありがとうございます。
また徳島に戻ってこられてからのお話は、
この次回以降でじっくりとお聞きできたらと思っております。
本日は震災で芽生えたシメというテーマをじっくりお聞かせいただきありがとうございました。
ありがとうございました。
12年間の都での奮闘ですとか、
人に寄り添う医療にたどり着くというお話は、
医師を目指す方だけじゃなくて、
多くのリスナーさんのお胸にも届いたなと思っております。
先生の行動力とか決断力とか、
人に寄り添ってじっくり人を見ていこうという気持ちというのが、
本当に私も見習いたいなというか、
本当に関心させていただきました。
ありがとうございます。
今日お話ししたことが、
リスナーの皆さんのこれから進路を考える方々にとって、
何かヒントになれば、一言になれば幸いです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
最後にお知らせとなります。
徳島県では、
常勤はもちろん週1回の非常勤ですとか短期応援など、
さまざまな形で医療に関わってくださる医師・看護師の仲間を募集しております。
まずは話だけでも聞いてみたいという方は、
番組概要欄の問い合わせ先までお気軽にご連絡ください。
あなたの経験が徳島の医療現場を支えます。
よろしくお願いします。
次回の第5話も、引き続き前川先生にご登場いただきます。
次回は先生が働く徳島県立三好病院について、
いろいろとお話を伺っていきます。
診療科同士の距離が近くて、すぐに相談できてすぐに助け合えるような雰囲気ですとか、
若手医師がどんどん成長していける工夫についてもたっぷりご紹介しますので、
ぜひお聞きください。
感想や質問は、ハッシュタグ、
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それでは次回の配信でお会いしましょう。
お相手は大野孝介と、
竹岡彩香でした。
前川先生、そしてリスナーの皆さん、ありがとうございました。
さようなら。
さようなら。
24:01

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