00:10
はい、じゃあ行きますね。
今日7回目です。石を置く7回目12月号になります。
代表の山田です。
理事の赤石です。
理事のたかしです。
はい、まずあれかな?赤石さんの海外旅行の話とか。
旅行じゃないか。
一応、遊び半分ですかね。
サルサ、シンガポールで9番サルサだけの
ワークショップと1日ワークショップをして、
夜はパーティーをしてっていうイベントが3日間。
3日間?
3日間ありました。
その中の1日の夜のパーティーで、東京にいるマックさんっていうサルサ、9番サルサを教えてる先生がいて、
その先生のチームに自分も、そのチームのゲストダンサーみたいな感じで入って一緒にショーをしてきました。
お疲れ様でした。
世界中から集まるんですか?
そうですね。シンガポールであったんで、東南アジアの人たち、インドとかマレーシアとかいたな。
あとどこから来てたんだろう、中国?
その周辺の国の人たちが結構来てて、
あれもそういうところでもやってる人いるんだなっていうふうにすごい感動して、
ヨーロッパからも来てたんですけど、
先生たちがヨーロッパの人です、スペインの人とかヨーロッパの人が来てたんで、
東京ヨーロッパ人の先生もヨーロッパに住んでたりとかしてて、
そこから来て、その国の人たちも一緒に来たりとかして、
世界中から来て踊ってました。
2時まで夜中の。
最後の日はもう12時までギブアップしてました。
午後からずっとレッスンあるんですよ。
5、6コマぐらいあって1時間のレッスンが。
03:03
最後の日、その中身に自分たちが踊ったんで、
それまではレッスン受けるとすごい疲れちゃうんで、
あんまり受けてなかったんですけど、最後の日何もなくなったんで、
5コマ受けてパーティーやってっていうので、
12時頃になったらもうすごい眠気がきて、
入って寝ました。
キューバンサルサってまた違うわけ?
そうですね、サルサっていう沖縄おふくりというかがあって、
その中にキューバンのスタイルのサルサとかニューヨークスタイルとかLAスタイル、
あとコロンビアとかクエルトリコとかあるんですけど、マイアミとか、
それぞれ音楽はリズムとかそういうものは似てるんですけど、
でもそれぞれの国の独自の、
日本だったら日本の民謡みたいなのを取り入れたりとか、
そのサルサにそういうものを取り入れていくと、
その国の味がついて雰囲気がやっぱりちょっと変わるんですよ。
だから聞く人が聞くと、これはここの国のだなっていうのがなんとなくわかる。
文化ではないですけど、文化、ダンスだったりとか、音楽、
音楽の方もそういう地元の音楽が混ざって、
そういう独自のサルサになっているし、
踊り自体も1,2,3で踊っていく、
1,2,3,4,5,6,7,8みたいな感じで踊っていくんですけど、
それもやっぱりその国にある踊り、
現地の踊りみたいなのが混ざり合ってちょっと変わって、
独特なスタイルになっていく。
だから踊れなくはないんですけど、
やっぱり噛み合いづらかったりとかする。
それぞれのスタイルごとに。
ステルの人と踊ろうと思うとちょっと、
そのままのスタイルのままで踊っちゃうと、
噛み合わないですよ、うまく。
お互いに歩み寄るではないけど、
リズムは同じなんで、1,2,3,4,5,6,7、
4と8をお休みするっていうところは、
同じそういうルールみたいなのがあって、
表で踊るか裏で踊るかみたいな、
06:02
1,2,3,4,5,6,7,8みたいな感じで踊るのか、
それぐらいの違いなんで。
ちょっとこう踊ってみたら、
これなんかちょっと違うぞってわかる。
そういう面白い、どこに行っても踊れて、
言葉がまず伝わらなくても、
ちょっとこう仲良くなれる。
けどその後は言葉が喋れないとちょっと、
ありがとうみたいな感じで終わっちゃうんですけど、
全く英語喋れなくて。
英語喋れるのかもしれないですけど。
勝手に赤石さん喋れるのかなって思ってたんですけど。
スペイン語だけちょろっと喋れる。
そうなんですね。
スペイン語だったから、
1年間いる間に日常会話ぐらい喋れるようになったけど、
英語全然出てこなくて、楽しかったなと思って。
そっちに行くと自分は先生じゃないじゃないですか。
ダンスが好きな1人の人みたいな感じで、
自由に楽しめるんで。
好きな時に踊って、
この曲嫌だなと思ったら踊らなきゃよかったなと。
でもこっちにいると、
先生として行ってしまうと、
この曲嫌だから踊れませんみたいな感じでできない。
常にホストじゃないけど、
ホストにならなきゃいけない。
そんな感じ。
そんな感じでしたね。
じゃああつちくんどうぞ。
僕は変わらずリンゴも出ます。
美女です。
12月の中旬ぐらいまでは萌えで終わったらいいなって思ってます。
10日ぐらいだ。
終わりそう。
だんだん自信なくなってきて、
12月のすぐリスタジオまで萌え出るんじゃないですかね。
こういう感じになってきました。
変わらず僕はリンゴを萌えていました。
じゃあ行きますかね。
すごいだらっとしてるね今日。
全体的に。
09:00
なんかシュワッスの感じが出てきて。
前回の石を置くの配信が
11月の5日だったので、それ以降なんですけど、
まず11月の10日に18回目のデスカフェ。
これがうちのお寺であって、
今回も完全に英語話者の方ばっかりだったんですけど、
テーマというか、使った絵本は
おじいちゃんの極楽極楽っていう、
名作中の名作というか、
使ってたんですよね。
これは知ってたんですけど、
僕が作った絵本は、
おじいちゃんの極楽極楽っていう名作中の名作というか、
これは知らないでしょ?
知らないです。
おじいちゃんと孫の話なんですけど、
おじいちゃんが、
何かあると極楽極楽って言うんだよね。
気持ちいいっていうかさ。
孫と一緒に行って、
孫と一緒にずっといるから、
孫のところとか、おじいちゃんの極楽極楽っていうのは、
一緒に生活してる中で染み付いてるっていうか。
この絵本の途中でおじいちゃんが亡くなるんだよね。
だけど、おじいちゃんの口癖みたいな、
極楽極楽っていう言葉が残ってて、
その極楽極楽っていう言葉が、
孫の男の子の生きる力になっていくというか。
そういう絵本ですよね。
実際は、
そういう話にはならなくて、
みんなそれぞれ、
おじいちゃんとかおばあちゃんの思い出話を話して、
みんなそれぞれが本気で泣いてて、
そういう回だったんですね。
僕何回も読んでるから、あんまり感じなくなってるのかもしれないですけど、
初めて読むと、
自分のおじいちゃんとかおばあちゃんとかを思い出すような、
作りになってるのかなと思うんだけど、
みんなそれぞれいろいろ、
12:03
自分の体験とか経験を、
喋り始めるみたいな感じの回でしたね。
何回も読んでるって、何回も読む機会あるんですか?
買ったら読むでしょ、だって。
読んだら終わっちゃうな。
そう?
何かの度に読みたくなるんですか?
いや、そんなこともないな。
行ったことあったかな?
うちのお寺の絵本ってだいたい、
詩に関することを絵がコレクションしてて、
結構ね、話しする機会とかあるから、
いろんなところに呼ばれたり、
そうすると何か参考にならないかなとか思って、
読み返したりする。
あ、そうだ、思い出した。
この時も直前に、
弘前で話しする機会もらってて、
その時に紹介したんだ、これを。
そうだそうだ、そのままそれを使ったんですよね。
絵本読むこと多いですか?
そんなこともなく、いろんな話をする前に、
何かその時に、これかなって思って読むってことですか?
うん、何か話のネタないかなみたいな感じで。
っていう時にペラペラ読んで、
あ、そっか、こういう話だったのかみたいな感じで、
それをうまくミンクスして使っていくとかっていうのをやるかも。
そうやって話しする機会とかがあれば、
何か引いて、
で、何か残っていきますよね。
何か誰かに話す機会がやっぱりあれば。
うんうんうん。
両方の中にも。
うん。
何か、読んで自分で完結って、
何か前もこんな話してるような気がしたけど。
してました。
やっぱり何か誰かと誰かに話をする。
うんうんうん。
あれば何かなおいいんだなって今思いました。
そう。
これはだから何だろうな。
僕らが意思決定とかするときに、
15:01
何か生きてる人たちだけで意思決定してるって思ってるかもしんないけど、
実際は結構亡くなった人の意見って強かったりするよねっていうような話の中で紹介したい本ですね。
うん。
例えば僕なんかは結構先に亡くなってる友人とか、
家族もそうだけど、
そういう人に恥ずかしくない生き方をしたいとか。
うん。
あの時亡くなった友人は何て言うかなとか考えたりするんだよね。
意思決定するときに。
うん。
だから結構みんなそうなのかな。
何か僕だけなんですかねこれは。
うん。
どうなんすかね。
何か俺は何か父親がこう、
何だろう。
こう、別にやり残したことがあるかどうかっていうのは分かんないですけど。
うん。
なんかこう、もっとこういうことなんかしたかったかなとか。
急にやっぱり死が、もうちょっと長く生きられるみたいな、
がんの手術とかして、
で、もうちょっとこう長く生きられるって思ってた矢先に、
なんかその手術の合併症みたいなので、
急に何かこう亡くなってしまったから。
うん。
だから、なんかもうちょっとこうなんかしたかったのかなとか思って、
何が何がっていうのはないんですけど。
うん。
だから、その、やっぱなんか急に、
まあいつ死ぬか分からないというか自分自身ですけど。
うんうん。
だからこそなんかやっぱ、
やりたいというか、自分が生きたいように生きるというか。
うん。
っていうのってすごい、何だろう。
それをすごい考えますね。
うん。
なんかやっぱりやりたいように、やりたいようにっていうか、
なんかわがままじゃないですけど。
うん。
自分の生きたいようにやっぱ、生きるのが一番いいだろうなっていう。
うんうん。
急にこうなんか苦しくなって、やべえ死にそうってなって、
まあ後悔なく毎日やりたいことやって生きたなって思えるんだったら一番いいなって思うというか。
18:00
うんうんうん。
自分自身がですけどね、それは。
っていう時になんかこう、うん、死んだ後になんかそういうのとか考えて。
うん。
だからなんかそう、その亡くなった人のなんかそういうものっていう影響もあるなっていう。
あるよね。
うんうんうん。
みんながみんなってわけじゃないかもしんないけど。
うんうん。
結構あると思う。
っていう話をするときにこの絵本を使って、その直後のデスカフェということで、これもそのまま使った感じでした。
うん。
次行きますか。
はい。
えっと次がまたデスカフェです。19第19回デスカフェ。
これもあつし君の。
はい。
フォシリテーターで。
はい。
えっと、11月の17日に、あのうちのリンゴベースでやる予定だったんですけど、雨も降り、会社の方もいないということで、
急遽あの法営寺に場所を移して、山田さんと2人で宮沢賢治の山梨に取り組みました。
難しかったなこれ。
すごい教科書による、乗るようなそういうお話なんですけど、改めてこう頭からゆっくり、このときあれですよね、その山田さんが読んで、で僕もなんか朗読してみたいな。
そうそうそう。
すごいキモいよね、キモいおじさんたちが。
朗読してた。
お互いの声聞き合いながらこう。
スタジオのあれですかね。
そういう感じで進めていって、だから意外と僕があの時間を経て思ったのは、やっぱり意外と難しい話だったんだなっていう。
あと、何ですかね、なんかあの光と影の話。
ああ、はいはい。
意外とその文章であったり、その文章から組んだ絵からも光と影の描写を大事にするような雰囲気が絵本全体にあって、
21:06
それはそれで、なんか生と死の教会みたいな感じのことを考えるんですけど、やっぱりすごい、何ですかね、なかなか取り尽くしまがないというか、手応えがないような感じもあって、
そういう感じの話を山津さんとずっとしてたなっていう感じでしたね、僕個人としては。
ずっとなんか周辺の話してた感じ。
そうだね。
すごい動いてるけど、どこにも至らないみたいな感じの。
はい、いいだね。
すごいなんかでも儚い話なんだよね。
すごい、ずっと儚いですよね、なんか。
ずっと儚いの、これは。
儚いの、浮かないっていうレイヤーが何重にも重なっててね。
こんなにいろんな種類の儚いが。
そうそうそう。
あるんですね、ケンジさんみたいな。
カニの話なんだよね。
そうですね、あらすじがカニある川に住んでるカニの話で、最初のパート1がカニの兄弟2匹が、
なんですかね、川の奥底から見た世界を見ながら2匹で会話してるっていうシーンがパート1。
で、パート2はまたそのカニの兄弟の話、その会話がメインで始まるんですけど、
後からお父さんも出てきて、山梨、山にある果物、雑種っていうかその野生の山の梨が川に落ちてきて、
24:03
それがそこに沈んでるんですけど、沈みながらその山梨が発酵していって、おいしいお酒になるぞみたいな感じでお父さんがカニの子供たちを連れてって追いかけるみたいな。
で、クラムボンって聞いたことある?
クラムボンって聞いたことある。
でもクラムボンって何なんだっけ?
話もして、パート1の方にクラムボンが出てくるんですけど、結構最初の方で。
クラムボンってなんだろうねみたいな話もしましたね。
なんだかわからないんだけど。
でもね、なんだかわからないままにしといた方がいいんだよ、このクラムボン。
いろいろ話したけどね、あつし君とは。
いろいろしましたけどね、たぶん触れない方がいいんだよ。
触れない方が面白い。
で、今あつし君が言ってくれたストーリーが、要はね、幻灯なのよ。
あ、そうですそうです。
幻灯。
一番最初にこの小さな谷川の底を映した2枚の青い幻灯ですってところから始まっていくんだけど、
で、今あつし君が言ってたようなストーリーが展開されていくんだけど、
最後は、私の幻灯はこれでおしまいでありますってしまうわけ。
だからこういうストーリーもたぶんその、幻灯だからさ、光の話でさ。
だから、おしまいがあるっていうか。
なんかその幻灯が、あれなんて言うんですかね、映画、映画ではないですけど、なんかそういう。
フィルムをね、バタバタバタバタとやってるっていうか。
動画ではない。
光を当ててこう、スクリーンに映してって昔の、なんかこう映画の原型みたいな。
そうそうそうそう。
お家があって、それをって言うんですけど、
それ、その、誰かの2枚の幻灯が蟹のことなんですよ。
そういう絵法で、結構わけわかんないですよね。
頭からガリガリ見ていくと。
そうなんだね。
完全に、博多さんのサンドウィッチみたいなさ、持ってるこれ。
美味しいなーって思いながら食ってました。
27:01
でもなんかデスカフェにはあんまり向かないかもしれないみたいな話もしましたけど。
分からないですけど。
一歩目をどこに置くかでまた違ってくるかもしれない。
そうですね、なんか。
一歩目ですね。
それで一歩目でまた違うところに行っちゃう。
多分ずっと違う方に行っちゃう感じもするし。
応用力のある童話っていう。
なんでクラムボン、教科書とかに載ってる?
載ってる。
載ってますね。
話覚えてない。クラムボンという単語しか覚えてない。
バンドがあるじゃん。
ん?
バンド。
クラムボン?
分かんないです。
マジで?
マジ。
そっか。
次行きますか?
いいよ。
次が、えーと。
つぶりスタジオ。
11月21日。
今もまだ引き続き、
わしら清一さんの聞くことの力を読んでいますね。
毎回行きつつ戻りつつ。
ほんとね。そうだね、これ。
難しい。
難しいというか、そんなすぐに理解できないなっていう。
今そうだと思って、もう一回ちょっとなんか自分で引いたところにしたら、
なんか入ってき方が違うなと思って。
あ、そう?
私が、私っていうのがなんとなくまた、
この間の説明も受けたから、説明で話聞いたからなんか、
その受け取り方がまた変わるんだなと思って眺めてたんですけど、
前回はあれですね、なんか迎え入れるということっていうところを読んでて、
なんかあれですよね、ホスピタリティだったり、
なんだ、そう、私っていう話が出てきて、
私、そのなんかさっき聞いたところで、
私っていうためには他の私っていうことももう前提にしているっていうところがなんか、
30:08
いや、そうだなと思って。
誰かがいないと私、誰かっていうか、私じゃない私っていうのかな。
私じゃない私っていうのは、親田さんも私って言うし、
自分自身も私って言うし、
ってことは、誰かがいて初めてやっぱ私って言えるんだなっていうか、
じゃなきゃ私っていう必要もなくて、
だから何かするにしても、
なんですかね、そんなことはありえないんですけど、誰もいない世界とかっていうのは、
本当に誰もいない世界っていうのはやっぱりありえないから、
それを想像するっていうのはすごい難しいんですけど、
だからこそなんか本当にずっと、
誰かと関わりながらじゃないと、
赤石一月っていうなんか、
ものが何なのかっていうのがよくわからないというか、
でもそれはなんかずっとそれはそう思ってるというか、
いろんな人にやっぱ会うことで、
自分っていうか、
他人に何か言われるからとかじゃないですけど、
いろんな人と出会って話をして、
関係を持ったりして、
自分っていうか、こういうの嫌いなんだなとか、
感じのことにイライラするんだなとか、この私が。
私を理解するためには、
私の中で考えてたら私はないって、
私以外のものを探し続けることによって、
私がぼんやり浮かび上がってくるっていう話でしょ。
あるね、それは。
そう、なんか、
高校生とか、年齢じゃないのかもわかんないですけど、
特定の人ばっかりにずっと囲まれて、
狭い環境の中でいると、
33:00
それはそれでその時の私っていうものの中に、
押し込まれるというか、
なんだけど苦しいじゃないですか、
苦しくなる時がある。
それがすごくいい場所だったらいいんですけど、
だけど、それで苦しくなって、
亡くなっちゃう人もいるだろうし、
だけど本当は私ってそんな狭くないよねっていう、
狭い範囲の中で規定されるっていうか、
ものじゃないかなって思う。
規定されやすくなるのか、小さい世界にいると。
って思いますけどね、やっぱり。
なるほどな。
なんで、自分はやっぱほんといろんな、
丸く言ったら別に逃げるじゃないですけど、
逃げるとかではないかな。
本当に興味が向いた方でいて、
そうするとまた全然知らないタイプの人がいたりとか、
するじゃないですか。
自衛隊行ったり、買い物行ったり、
コンビニでバイトしたりとか、
本当、漁船乗ってみたり、
城で働いてみたりとか、キューバ行ってみたりとか、
で、本当にいろんな人、いろんな、
同じ人はいないと思うんですけど、
だからなんかそういう風にいろんな人に会って、
自分にとってすごく気持ちいい思いだったりもするし、
すごい嫌な思いもしたりとか、
行く中で自分は、この中にいる自分って、
なんかそういうものに反応するんだなみたいなのに気づいていくっていうか、
気づいていける。
だから、
だからそれを避けていくってわけじゃないですけど、
自分ってそういうやつなんだなとか、
そういうのに反応しやすいんだなとか、
だけど、
なんとも言えない、難しいな、難しいんだけど、
だから自分ってそんなすごい固まってるわけじゃないっていうか、
なんか結構、もっと、なんだろ、
そんな固められるようなものじゃないっていうか、
そういうふうにしてて、
36:06
そのこれだって思ってる方がきっと楽ではあると思うんですけど、
だけど楽じゃないときもあるというか、そのせいで、
自分ってこういう人間だって思う力強さもあるし、
だけどなんか脆さもあるっていうか、
どっちでもない状態にいられてるっていうのかな、今は。
そこがなんか心はすごく、心っていうのか、
この自分はものすごく安定してて、
何にでもなれるんじゃねえかっていう状態。
だけど、赤い鹿好きだっていうふうにみんなは認識してくれてて、
猿ってようが、林業で木こりやってようが、
っていうところがなんかその、私っていう話。
いろんな人と関わらなければ、私っていうのものがわからないんじゃないかっていうところ。
分かってるようで分かってないですけど、自分は。
いや、でもそうだよね。
あつし君もいらっしゃる?私の話してた?
うんうん、してましたよね。
なんかこう、岡井さんの話聞いてて、
高橋あつしであれば、僕個人のみで成立する私とかって、
やっぱないって言ったらあれですけど、ない感じが最近は少しずつ強くなってて、
今現在関係がある人たち、その人たちそれぞれと、やっぱ対面したときに出てくる自分とか、
さっきの絵本の極楽の話でもしてた、いなくなってしまった人たちであったり、
同じ、今現在の世界にはいるけど遠く離れてしまって会うことが難しい人たちとの記憶であったり、
39:10
昔それを呼び起こしてくれる何かで立ち上がってくる自分とかもあるし、
やっぱりこう、
純粋に自分一人だけで成り立つ私っていうのは、なんかすごい逆にきついんじゃないかみたいな感じですかね。
その、この前の素振りスタジオへ行って、考えてはいたんですけど、僕も私のこととか、なかなか、
でもこう、そういう自分のその強いアイデンティティというか、そういうのを持つことで、やっぱりこう、生き続けていられる人たちもいるでしょうし、
何が良いか悪いかはその時々によるでしょうし、いろんな広がりが、私ってこう、
なんかこう、私とか僕とか俺とか、結構やっぱそれがないと生活はできていけない、なんかそういうすごい身近な単語ですけど、
初めて見ると沼というか土壺というか、そういう感じだなーって改めて確認して、2月26日の素振りスタジオ楽しみだなーってなってます。
確かにね、私ってなんか、平仮名で3文字で私とか、僕とか俺とか、わーとか言ってるけど、なんか深く考えちゃうと、深くてよくない。
本当に考えると、それってなんで私、わーとか言えるんだろうなって思っちゃうね。
本当になんか、多分いろいろ社会が成り立たなくなるというか、
社会が成り立たなくなるから、一応私って言いとかなきゃいけない。
一応っていうのが結構大事というか、
42:06
子供?
子供が私っていう言葉を覚えた。
私は私、なんていうのかな、他の子供も私って言ってると、いや私みたいな、
そんな話をなんかどっかで、子供にとっての私ってなんか、
全然面白い。
名前?名前みたいなものが最初って思っちゃうのかな、私。
そうかもね。
なんで私っていうの?みたいな。
いいなあ、なんか不条理劇とかでありそうですよね。
いやそう。
いや本当そうね。
面白いですよ。
それが4章だったかな、4章5章という感じで、
なんかやっぱダンスとかにも存じるというか、
ああっていうのはいつも思うんですよね。
ダンスに勝手に、俺は連付けて考えちゃうんですけど、やっぱり。
ダンスっていうのがやっぱ、人と人のなんかこう、
なんか混じり合いじゃないですけど、
なんかその他にも出てきたのがやっぱりこう、
何だろう、迎え入れることで、
なんか自分自身が変えられていくっていう、
なんかそうダンスもそうだよなあと思って、
相手をリードしてるつもりなんだけど、
女性がそれをフォローしてくれてて、
自分をなんか受け入れてくれててとか、
それはお互いにこう、
何だろう、それをずっと交換し合ってるんですけど、
その中で自分、失敗することがあって、
その中で自分、
失敗するつもりはなかったのに失敗しちゃったりとか、
相手のリズムに合わせてとか、
相手の動きが少し違うことで自分が失敗したりだとか、
その逆もあったり、
すごい上手く噛み合って、
すごい楽しい気持ちになっていったりとか、
なんかそういう、
でもそれって、
じゃあダンスを踊ろうって、
その人と踊ろうって思わなければ、
それってないわけで、
失敗も、失敗とか言ったり、
楽しい思いをしたり、
そういう感じになるっていうのはなんか、
45:03
その相手を受け入れる、
踊ってみよう、
で踊ってみようって、
思わなければそれって、
何も起こらないからやっぱ、
傷ついたりもするかもしれないし、
嬉しい気持ちになるかもしれないしっていう、
そういうものを受け取れる、
ではあるなっていう、
相手を受け入れることで、
うん。
楽しいってなんか、
思うのは多分、
あれなのかな今話聞いてると、
自分が変えられてしまう、
自分に変化が起きるみたいなのが楽しいのかな、
やっぱりね、
ダンスとかで。
自分に変化が起きる。
迎え入れるっていうことが、
変化を受け入れるっていうか、
そう聞かれると、
なんで楽しいんだろうって話だよね。
自分勝手に、
だから支配し、
相手を支配するから楽しいっていうわけでも、
なさそうじゃないでしょ。
そうですね。
うん。
なんか交換してるんでしょ、ここは。
いやそれは、
交換してると思うんですけどね。
自分が、
自分はこういう風、
この曲のこの、
ここでこういうことしたいな、
こういう技したいな、
その曲の雰囲気とかに合ってるなって自分は思って、
そういう風なことを伝え、
伝えて、
で、
女性は、
あ、それね、
ってやって動いてくれるっていうか、
あ、それねって思ってくれて、
る。
うん、
それみたいな感じの時もあったりするし、
その時はやっぱり、
うん、
違ったかって思ったりとかして、
同じリードして動いてはくれるんだけど、
うん、
リードして動いてくれるっていうところは一緒なんだけど、
その、
それねっていうやっぱ、
なんていうんですか、
共感じゃないけど、
なんかそこが大事なんですかね、やっぱね。
うん。
うん。
48:01
という意味では、
それねっていう風にちゃんと受け止めてくれてるっていうか、
っていうのがやっぱり、
表情だったりとか、
表情ですよね、なんか踊ってると本当に、
ずっとは見てないですけど、
見て、
うん、
そういうので感じ取ってるっていうか、
難しい。
まあじゃあ次が、
11月24日、
目の見えないしらとりさんアートを見に行く、
日本語字幕版上映会、
と、
ポールクライスカタログを作る、
青森編、
6、
日本語字幕版上映会、
はい。
僕は、
大満足、
大満足、
でしたけど、
小山さんは、
どうでしたか?
いや面白かったよね。
面白かったですね。
うん。
映画、
映画、
映画、
映画、
映画、
映画、
映画、
映画、
映画、
映画、
映画、
映画、
映画ってどんな感じですか?
もう一緒に美術館行ってみたいな。
あ、そうだね。
これは、
あの、
素振りスタジオで一回、
あの、
書籍版の方を読んでて、
それには、
赤井さんと一緒にね、
これ素振りスタジオで何回か読んできたやつで、
それのドキュメンタリーで、
まあ、
本のまま、
うん。
うん。
文法的には、
その、
白鳥さんが、
あの、
映画、
いや、
美術館に一人で行くまでの話とか、
そういうきっかけの話であるとか、
実際にそういう、
様子を撮影してるとか、
いうような内容で、
でも、
なんか、
白鳥さんの、
うん。
なんか、
いい意味で、
いい意味でのなんか適当さみたいなのが、
すごく、
幸せな気持ちにさせるっていうか、
文章では、
なんか、
多分、
分かりにくかった、
うん。
なんすかね、
その、
51:00
適当さというか、
言い合わせの振る舞いというか、
うん。
言葉とかも、
うん。
いいよね。
うん。
結構、
あの、
強くないっていうか、
うん。
意見とか譲ったりする感じじゃない?
うん。
こう、
すごい、
戦っていくみたいなスタンスは、
ほとんどないというか、
ないない。
うんうん。
席を譲りますよね。
なんかこう、
あの、
そうそうそう。
イキメンタリーを見てる感じは、
うん。
こう、
自然に、
そう。
引いていく、
方なんだなっていう。
うん。
へえ。
本の感じとまた違います。
俺本の感じで、
なんか白鳥さんどういう感じだとかを、
また思い出してない。
ちゃんとまた読み直してないからあれですけど、
うんうん。
やっぱ違う、
そういう違う印象を受けるって感じなんですかね。
うん。
そうだね、
その動きとか言葉の柔らかさとかは、
やっぱり映像ならではって、
雰囲気がすごく柔らかくて、
なんかね、
楽しんでるんだよね、
なんか生きてる、
生きるってことは。
そうですね。
うん。
うんうん。
うん。
うん。
なんか僕たちとは違う楽しみ方を人生でしている感じ。
あ、そうそうそうそうそう。
そうだね。
うん。
なんかこう、
なんすかね、
人生論とか、
人生こうやったら、
楽しいとか幸せとかって言われることとは多分、
うん。
違うっていうか、
なんですかね、
本当に、
うん。
違う枠の楽しさの中を生きてるような、
うんうんうんうん。
感じがしました。
そうだよね。
うん。
この前話した、
ワンワールドワールドの話みたいな感じでさ、
全然、
平取さんはまた別のお皿に乗ってて、
そこでものすごい楽しんで生きてる感じが、
うん。
直ってきてよかったですよね。
うん。
感じでしたね。
うん。
うん。
54:00
この後のシェア会も面白かったよね、やっぱりね。
うん。面白かったですね。
やっぱり同じ映画見てもさ、
あの、
見てるところとか、
違うだなっていうのがすごく、
あのシェア会だと分かるから、
うん。
あそこねーとか、
うん。
分かるわーみたいな、
うん。
やっぱこう、
普段の映画の見方ではできない、
うん。
ことだったんで、
うん。
新鮮で楽しかったですね、あの時間も。
そうですよねー。
うん。
なんか細かい内容がちょっと思い出せないなー。
うん。
いやこれでもね、
今日までに、
あのー、
書き起こしてジンを作ろうっていう計画でいた、
うん。
ですよ。
全然、全く手つけてない。
うん。
ジン溜まってって。
あ、でも3冊溜まってるから今のやってないやつ。
うん。
うん。
早くやらないと。
これ一応あの、
ジンできたら送ってくださいっていう約束があって、
平取さん?
えっとー、
あのー、
作者の、
うん。
あかん。
監督の方とか。
へー。
これなんか今思い出したのはやっぱ、
あれかな、
平取さんを、
なんかその、
だから目は見えないけど、
普通の、
ね、
あの、
こうやって目が見える人たちと同じような、
生活、
うん。
を教えられてきたんだったけど、
今思い出したのは。
うんうんうんうん。
だけど。
だから目が見えないんだからもっと頑張んなきゃいけない。
あーそう。
みたいな、
あのー、
育てられたってことですね。
あーそう。
なんかその、
熊谷さんだっけ、
熊谷さん。
うん。
ファビリーの、
夜の、
うん。
の話とか。
頭にこうよぎって。
うん。
あのさっき、
あのー、
厚木さん、
厚木くん言ってた、
なんだろう、
違う、
世界を、
生きてるんじゃないけど、
同じ世界生きてるけど、
多分、
全然見えてると、
見えてるっていうの?
うん。
感じてるものを、
感じてるとか、
見てる世界が違うというか、
うん。
うん、
なんか、
自分、
うん、
なんだろう、
その、
熊谷さんの話でいくと、
自分の体に合うように、
世界をこう、
作っていくじゃないけど、
うん。
なんかその、
リハビリっていうか、
トイレに座るときに、
こういうものが、
自分には必要だな、
自分の体にこう、
合わせていくことで、
うん。
この世界も、
57:00
自分、
自分の、
なんか、
オリジナルの、
自分の、
自分の、
自分の、
自分の、
自分の、
自分の、
自分の、
自分の、
自分の、
なんか、
オリジナリティな生き方みたいな、
うん。
感じになってて、
うん。
それってなんか、
全員、
どんな人にでも、
言えることだなって思う。
うん。
だから、
うん、
なんかこう、
うん。
自分、
うん。
自分が楽しいなって思うように、
うん。
生きていったらいいんだろうなっていう、
うん。
単純なんですけど、
うん。
めちゃくちゃ、
うん。
それが難しいのかもしれないですけど、
うん。
なんかこうしなきゃいけないとかって、
うん。
なんかそういう、
うん。
思い強いじゃないですか、
うん、
思い強いんですよ。
うん。
一部ありますけど、
勿論。
うん。
そうじゃないとうまくいかないところもあるし、
うん。
安全に、
ふふん。
自分だけっていう風になったらやっぱ、
うまくいかない、
うん。
うまくいかない、
うん。
生活テキストの社会、
うん。
その中で
うん。
うまく生きていけなかったりとか、
うん。
することもあるけど、
うん。
うん、
けど、
ん?
目が見えないからこそできる楽しみ方みたいなところにこう思考できるっていうか
だから自分
それぞれが見てる世界って違うはずだから
そういう楽しみ方で生きていけるはずだよなっていうのをなんかさっきそういうの話
白鳥さんのそういうのを思い出してそんな風に思いました
白鳥さんがさ、映画の中でさ
ちっちゃい時に目が見えないから
人の倍努力しなきゃいけないっていうような育てられ方をしてきたっていうことを
話しするシーンがあって、その時に
その後に白鳥さんがその話をずっと聞いてて
じゃあ目の見える人たちは頑張らなくていいんだって思ったっていう
いいなって、ずるいなって思ったって話しするシーンがあって、それすごい印象的だね
言ってましたね
頑張らない
こんな感じかな、時間がねもう1時間ぐらいになっちゃったね
早いもんです
今後の予定としては12月8日、今週だ、今週日曜だ
テスカフェがこのお寺で、これは本年度最後になりますね
1:00:05
12月8日、大江寺でテスカフェがあります
26日が、さっき言ったけど、素振りスタジオ
ちょっと先だけど3月8日はまた第3回のリターンということで
広崎市のスペースでね、痛む日っていうのを設けるというような予定ですね
原稿はどうなってるんだっけ
連載の方
連載止まってます
止まってるね、一応どうなんだ
考えてます
考えてますか、了解です
じゃあこのぐらいですね、じゃあ次が、来年だ、来年の配信になりますね
じゃあ今年はお疲れ様でしたということで
また会うけど、とりあえず石尾君をこれでお知事さんに
はい
はい、じゃあまた来年
また来年
お疲れ様でした
お年を
お年を、バイバイ