1. PODCAST「石を置く」by WORKSHOP VO!!
  2. 石を置く#006(2024.11)
2024-11-06 57:07

石を置く#006(2024.11)

月1回、30分程度、WORKSHOP VO!!の理事3人、小山田和正(おやまだ・わしょう)、赤石嘉寿貴(あかいし・かずき)、髙橋厚史(たかはし・あつし)で、今、興味あること、取り組んでいること、考えていること、悩んでいること、これからのこと、ついでに当法人の活動報告やお知らせなどについてもおしゃべりしています。


今回(2024.11)は、
・先月何してた?
・クラウドファンディング『共に耕し、拓く「コファーム型りんご園」で、りんご関係人口創出プロジェクト始動!
・2024年10月6日「第16回 DEATH CAFE VO!!〜絵本:ことりのおそうしき」について。
・2024年10月12日「第17回 DEATH CAFE VO!!〜絵本:てつがくのライオン」について。
・PODCAST「WALKS(さ迷う)No.18(岡田実穂さんと散歩)」について。
・2024年10月28日「⁠⁠⁠SUBURI STUDIO⁠⁠⁠」の『「聴く」ことの力─臨床哲学試論(著:鷲田 清一)』について。
・2024年11月24日(日)映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく(日本語字幕版)』上映会 &『Whole Crisis Catalog をつくる。青森編 #006』開催について。

という感じの内容です。


次回は、12月初の配信になります。

サマリー

このエピソードでは、サルサと農業に関わる日々の経験、さらにクラウドファンディングを通じたリンゴ畑のプロジェクトについて語っています。リスナーは地域に根付いた生活やそれに伴う挑戦を理解し、託す・託される生き方の重要性について考えさせられます。また、長居さんとあつし君が考える哲学的なテーマや文化の保存、リンゴの栽培とその影響についても話されています。デスカフェでの経験を通じて、ペットの死や動物の命について深く掘り下げた話が展開されます。さらに、岡田美穂さんとの散歩において、個人の哲学や多様性についての考察が行われています。ウォークスの重要性や、相手とのコミュニケーションにおける身体的なつながりの大切さについても論じられています。今回のエピソードでは、映画「目の見えないしらとりさん」の上映会についての告知と、参加者とのシェア会の内容が語られます。また、著者の優勢思想や見えない人と見える人の関係についても深く考察されています。

日々の経験
石を置く
よし、じゃあ行きましょうか。
じゃあ、石を置く、今日は6回目になります。
11月号になります。よろしくお願いします。代表の山田です。
理事の赤石です。
理事の高志です。
はい、じゃあやっていきます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
最近のことからいきますか。
はい。
この1ヶ月に、私はどう生きてきたかみたいなやつ。
そうでした。そんなのから入るんでしたっけ。
どう生きてきたか。
たまに。
誰から?
赤石さん?
先週もそんな話をしてないような。
どう生きてきたか。
えー、なんですかね。
最近、自分のグログというか、
農園で研修しているときは、毎日書き忘れた日があっても、
遡って365日、仕事した日はですけど、書いてたんですけど。
林業1年目はまだ毎日書いてたかな、確か。
でも最近6月からずっと書けてなくて。
6月ぐらいからずっと止まったままなんですよね。
あのグログの名前なんだっけ?
カーサ赤石です。
そうだ、カーサ赤石。
カーサっていうのはスペイン語で家なんですけど、赤石家っていう。
赤石家の研修に、自分はサルサとかもやってるんで、サルサのこととか、農業の研修してたときは、研修の日誌書いたりとか。
林業を始めて、林業のこととか、日々何やったとか、そういうのを経営とか書いてたんですけど。
今年の6月から書けなくなったのか。
多分時間がなくなっちゃったなっていうのは、自分でサルサもまた今年になってすごいやり始めて。
毎週結構、行ってないときもありましたけど、ほぼ毎週週末どっかに行ったりとかしてて。
平日も帰ってきてあんまり、どっか行くと、踊りのショーをしたりとかするときもあるんで、その練習をしたりとか。
できることも増えてきて、体が動かせるようになって、疲れとかもあったりするのかわからないですけどね。
そういうので、書けなくなってきたなっていうのは、最近悩みではないですけど、書いてないなっていう。
サルサソースも書けてないなっていう。
書けないってどういうことなんだろうね。書けなくなるよね。
時間必要なんだなって思いますよ。
考える時間。
単純に本当に考える時間というか、本当に時間が必要というか何もない時間。
土日何もしない。
農業やってるときはサルサやらないって決めてたんで、農業しかやらないって思ってたから。
1個しかなかったというか、やることが1つと、もう1つの日誌を書くというか記録を残すっていう、その2つにしか時間を使ってなかったんで。
時間ってたくさんのものにあんまり振り分けられないなっていう風に、それを感じてますね、最近。
クラウドファンディングの挑戦
ありがとうございます。
いやそうよね、サルサソースも途切れがちになってるから、やっぱりその辺はね、途切れがちっていうのもまた1つ生き方みたいなのがあるよね。
あかし君、1ヶ月は?
リンゴを収穫して市場に運んで、していました。
その中に、2行ぐらいの中にすごい時間があるよね、きっとね。
ずっとリンゴを触ってましたね、本当に。
何も考えない時間なの?考えられない時間なの?
考え…あ、でもなんかふとこう、深呼吸した時とか、空見上げた時とか、
やってくるものとかはあるんですけど、なんか思い出たりとか、あの戦火したりとかしてる時は、
なんかもう、あんまり考えようとも形になっていかない感じはありますね。
無心になる?
無心になってる時も、身体が先にすごい動いてて、だから本当にそういう意味ではないかなって思うんですけど、
心が起こってこないっていうか、その感情とか思考とか、そっちより身体の動きの方が優先的だなって思うんですけど、
日々を何か繰り返していると、なんかこう、何か思い出が出てくるような気がするんですよね。
そういう感じですかね。
日々を何か繰り返していると、なんかこう、何か書きたいなぁみたいな気持ちが、僕は逆にこう溜まってて、
毎日何かしら30分とか書いていこうと思うような気がするんですけど、
でもそれでもやっぱ時間足りない感じがありますね。なんか書く時間、もうちょっと書いていたいなぁみたいな、そういう方向で、時間欲しいなって最近思いました。
今思い出したけど、あれだ、この前、長居さんのところのクラウドファンディング、長居さんと厚塚くんのクラウドファンディングの返礼品が届いて。
ありがとうございました。
ジュースとか、たくさんのジャムとか、そしてここ言いたいとこなんだけど、厚塚くんの小説?
ジャンルの小説。
ジャンルの小説。
ジャンルの小説。
ジャンルの小説。
短い、短い、超短編みたいなの。
クラウドファンディングの返礼品として厚塚くんの短編が入ってるっていうのに、すごい驚き。
驚き。
えー。
知らないですけど。
ちょっと入れさせないと。
入れさせないと。
入れさせないと。
入れさせないと。
入れさせないと。
ちょっと入れさせてもらって、書きました。
すごいよね。ちょっとまだ読めてないんだけど。
いいときに読んでくだされば。
読んでから今日望もうと思ったのに忘れてました。
リンゴ買ったらついてくんすか?
ちょっと検討させて。
じゃあ厚塚くん、クラウドファンディングについて説明して。
僕今妻と2人で会社リンゴ畑やってるんですけれど、
それで今年の春先にクラウドファンディングに挑戦しまして、
その内容がざっくり言うとリンゴ畑っていうものを、
リンゴ農家じゃなくてもだったり青森県に住んでなくても
リンゴ畑に関われるみたいなことを始めるための資金集めとして
クラウドファンディングをしたんですけれど、
その返礼品の話を今尾山田さんはされていて、
中に僕の小説が入っていたという。
それを今度赤石さんにリンゴをお送りするので、
ちょっと贈ろうか贈らないかちょっとやってみているっていう。
食べ直にも出品してて、
食べ直だと3キロしか使ってないので、
もっと欲しいなって人は個別に連絡くださいっていう。
僕は10キロしかあったんで、
10キロ買ったら小説ついてくるのかなって。
3キロと10キロって全然違うから。
7キロ埋めるために小説入れておきます。
地域とのつながり
今はちゃんと10キロね。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
クラウドファンディングすごくてさ、
僕の勘違いかもしれないんだけど、
長居さんとかもちょっと話したことがあって、
すごいびっくりすると思うんだよね。
ごめんね、僕の理解を話すんだけど。
全然いいです。
例えば僕はお寺の住職をしてて、
言ってみれば、
この土地に完全に根付いちゃってるわけよ。
もうどうしようもないじゃん、この土地に根付いてるわけだからさ。
ここで何とかやっていくしかないっていう感じ。
これを継続していこうと思うと、
この土地に根付いてるわけだからさ、
ここで何とかやっていくしかないっていう感じ。
そう思うときに、
もうそこからは逃れられなくて、
土地に根付いてるっていうところが、
地域の中で何とかやりくりしていくしかないっていうようなのが一つあって、
それでも畑とか田んぼとかやってる人も結構一緒だと思うんでね。
その土地に根付いちゃってるから、
どう頑張ってもこの地域と一緒に歩んでいくしかないっていうところがあるんだけど、
永井さんと篤地君がクラウドファンディングでやろうとしたっていうのは、
そこから外れることなんだよね。
すごい挑戦をしてるわけ、それ。
例えば、
ここに、うちのお寺ホウェージって言うんだけど、
ホウェージの長年歩んできた何百年という歴史をこれからもつなげようと思ったときに、
それは別に外国でもいいんじゃないかみたいな感じの話なんだよね。
つむいでいくってのはどういうことなのかっていうところに挑戦してるのがすごい面白い、クラウドファンディング。
で、いいですかね。こんな理解だったけど。
いやいや、全然、ありがとうございます。いい感じにわかめていただいて。
いやー、そうか、そうっすよね。
前、小山田さんとお話したときに、永井と一緒に、
なんかその託す、託されるみたいなお話されてたと思うんですよね。
自分で何事かを成すっていう生き方だけじゃなくて、
誰かから託されるっていうことであったり、
誰かに託すっていう、そういう生き方もあるといいんじゃないかみたいなことをおっしゃってたんですよ、小山田さんが。
なんかその、その頃から何か、
長井の中で託す、託されるが結構キーワードになってきたみたいで、
なんか今そういうことも考えているようですね。
素晴らしいですね。なんかそういう感覚反応的なものが。
近いかわかんないですけど、林業とか山でやってるじゃないですか。
自分、今林業やってて。
なんかその、それこそ林業を支援する人って、
この地域にいらっしゃるんですかね。
そういう人たちが力を貸してくれるというか、
実際に山に入るっていうのは難しいから、そういうクライドファンディングというか、
何て言うんですか、サブスクミュニケーションっていうか、
そういうクライドファンディングっていうか、
どういう形があってもいいなって思ったのは、
山を整備して、山があるからやっぱ、
こうやって山を整備して、
山はこうやって、
山を整備して、
山の中に、
こうやって、
山があるからやっぱ山というか森というか あるから水がその流れてダムに溜まる水っていうのは山に降った水がこう川を湧いていく
毎回地中に染み込んで湧いてちょっとずつ流れて川になって
でそれが下流の人たち自分たちもだけどそういう人たちの飲み水になるだろうし食べ物を作るための水にもなるだろうし
なんか全部つながってるからなんかそういう人たちなかなかその関心を寄せるっていうのは難しいんだけど
そういうのできたらいいなと思って
文化の保存と精神
違う場所に住んでる人がなんかその全然関係ないと思われるような場所のことの人たちを助けるっていうのは絶対どっかでつながってるだろうから
なんかそういうのいいなっていう
長居さんとあつし君がやろうとしたのはそのもう一歩先で
場所も関係ないんだよね
例えば今の長居さんとあつし君がやってること
その土地じゃなくてその考え方とか思いとかを輸出しちゃうっていうか
そうわかる
例えばうちのお寺でいうとうちのお寺が大事にしてきたもの
だけどこの地域はもうダメだから
じゃあうちのお寺のこういう伝統っていうのを守るためにはどうしたらいいんだろうって考えたときに
じゃあそのうちのお寺が大事にしてきたものを輸出しちゃうっていうような感じ
だからこの土地はもう多分なくなっちゃうかもしれないし
このお寺もなくなっちゃうかもしれないけど
大事にしてきたものは誰かに託されていくっていうことだよねあつし君
デスカフェの活動
そうですね
あるリンゴ畑を
そこにいろんな人が集まって充実していくっていうものでもあるんですけど
その集まった人たちが離れていくっていうこともまた多分想定されていることで
青森のリンゴの文化的な土壌みたいなのって調べてみると結構ものすごくて
栽培方法とかももともとリンゴに全く適していない土地に
リンゴの木を根付かせたのが青森県なので
それを温暖化でどんどん土地がリンゴに
どんどんリンゴが育たなくなってくるって言われているので
知識とか知恵とか文化的なものを
外国のどこかでイタリアとかフランスとかニュージーランドとか
もうなんかリンゴもうすでにいっぱいやってるところで
やってみるのもやってみるのもっていうかそういう生き残り方があるんじゃないかみたいな
話は本当に妄想の妄想みたいなレベルで
喋っていることはあって
それがどこまで実現されていくかはわからないですけど
今回クラファンで思っていたよりたくさんの方々からご支援いただいたので
お金を出してくださったっていうのもやっぱり一つ衝撃ではありましたね
思うとっていう感じですけど
でも長居がどう考えているかはまたちょっとわからないので
僕の個人的な考えとして今ベラベラ喋っています
そうですね
またそういうのもまた一緒に考えていけたら
いいですね
そういうのもまた一緒に考えていけたらいいですね
そうですね
おしゃべりが過ぎました
適当にカットしていただいていいですか
僕喋っているときに
長いバージョンですか今日は
そうかもそうなるかも
じゃあ
はい
はい
ありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
じゃあちょっと
ワークショップ5のほうの振り返りを
まだ入っていなかったんでしょう
まだ入っていなかった
挨拶だったので
そうですね
前回が10月3日にこの石オークを配信しているので
それ以降ということになるんですけど
まず10月6日は第16回のデスカフェ4が開催されてますね
これはうちのお寺でやったやつで
そうです今回も100%イングリッシュスピーカーの皆さんが
集まっていただき
完全に英語だけです
今回は
小鳥の葬式という絵本を使いました
これは読んだことありますか
ないです
これがですね実は1970年
78年に発行されたやつで
だからもう50年以上前になるのかな
50年くらい前になるのか
発行されたやつで今も読み継がれている絵本で
子どもたちが公園で遊んでいて
小鳥の死骸を見つけるというか
ちょっと暖かかったのがだんだん冷たくなっていくみたいな感じで
それを子どもたちが身を見守って公園の
グラウンドに穴を掘って埋めて
お葬式
はじめの頃はお葬式ごっこみたいな感じで
やってたと思うんだけど
みんなでそれをしている時に
なんかやっぱこう
弔うという気持ちに気づくっていうか
そういう感じの絵本で
この時の話は
ペットとか動物の死っていうのと
それからグリーフみたいな話になっていった回でしたね
要は人じゃなくて自分のペットを失った時の悲しみとか
あるいは道端で
動物が死んでた時の違いみたいなやつとか
同じ命なのに全然印象違うよねとかっていう話とかしてた回でしたね
哲学のライオン
こんな感じでした
トラックで軽トラで走ってるんですけど
道路で轢かれて死んでる猫とか
狸とか
小鳥の死骸とかもあったんですけど
なんかこう
その一瞬だけで結構振って
痛む気持ちの手前まで
持っていかれる感じがあるなって
思いました
偶然であったものに対して
そうですね偶然ですね
本当に自分とは全く無関係の動物たちが
道路で死んで転がっているのを見ると
なんかもう勝手に痛み始めているみたいな
でも2、3秒後にはもう振ってなって
忘れてはないですけど
運転に集中していたりとか
そういう光景がよくありますね
山とかね、俺も山走ってると鹿とか
鹿はよっぽどじゃないと死なないけど
ちっちゃい動物とかは轢かれて
やっぱ死んでたりとかするから
そういう気持ちがグッて出てくるけど
やっぱすぐ忘れるではないけど
何月くらいかな
田んぼに水が入り出したりとかして
カエルがすごい道路を横断していく
めちゃめちゃ轢かれてて
俺も運転してると雨上がりとかすごい
ぴょんぴょんぴょんぴょん起こってて
轢きたく、轢かないように運転はしてるんだけど
なんか申し訳ないではないけど
そう思いながらするんですけどね
何とも言えないというか
轢きたくはないけど
そんなゆっくり走るわけでもないからと
気持ちの大きいところがよくわかんないというか
そんなことは
鹿すごいね、鹿の死骸か
ドキドキ
よっぽどじゃないと車の方がへこむらしいですよね
塩尊とか結構あるみたいな
あとほらペットでも犬とか猫とかはあるけど
カブトムシとかあるじゃん
それがまたちょっと気持ち的に違ってくるみたいな話とかしてた
カブトムシか
同じ命なのに違うのねとかっていうのが面白かった
違う
そんな回でしたね
次が10月12日だ
17回のデスカフェ
僕のリンゴベースの方で17回目
今回は哲学のライオンという
詩人の工藤直子さんが文を書いていて
町慎太さんが絵を描いているという絵本なんですけれど
これはあるライオンがいて
カタツムリにライオンは哲学しているのが似合っているよって
カタツムリに言われるんですよね
って言われたからライオンは哲学をするんですよね
いろんなポーズをとってみたりして
これが哲学だみたいな感じでやっていて
夕方まで哲学をし続けて
もう哲学するのも疲れたからカタツムリのところへ行こうといって
カタツムリに会いに行くんですけど
その時の会話がとてもいい絵本です
っていう
なので
今回参加者は僕も含めて2名で
2人でずっと喋っていたんですけど
今回も直接詩に関わる絵本ではなかったんですけど
哲学っていう言葉を詩に置き換えた時に
その絵本の中に
その絵本のクライマックスで起こっていることと
重なってくるんじゃないかみたいな感じがありまして
ざっくり言うと
カタツムリとライオンの間では
哲学っていう言葉に対する意味の捉え方というか
認識みたいなのがすれ違ってるんですよね
それは最初から最後までずっとすれ違ったままで
お互いにとっての哲学はこうだみたいな感じでずっと行くんですけど
すれ違ってるんだけれど
それは美しいねみたいな
そういうお話なんですよね
これは深読みしたお話の解釈の一つなんですけど
だから詩について考える場面でも
おそらく厳密に詩に対する意味付けとか認識が
完全に一致するってことはないんでしょうけど
すれ違ってたり微妙にずれてることに対して
それは美しいねとか
そういうことが言える場がきっとデスカフェなんだろうなっていうお話を
いやーなんか素晴らしいね
そういうこれは多分デスカフェのための
ハウトゥー本じゃないですけど
そういう指針的なものになり得る絵本だったなと
振り返って思います
素晴らしいですね
ありがとうございます
ちょうど
デザイン文脈なんですけど
多言世界においては
これ高くて買えないんですけど
高くて買えないからなんかチラチラ書評みたいのを読んだりしてて
それを今ちょっと思い浮かべながら
詩に出て
何から話したらいいのかな
何から話したらいいのかな
まずは
まあデザイン文脈ではあるんだけどなんて言うんだろうな世界はどうできてるか っていうような感じの話で
んで
何から話したらいいのかな
世界が みんな平等だよねっていうかまあいろんな人いるよねみたいなこれ今あのなんていうのかな
多様性っていう一つの言葉なんだけど
それが
一つの入れ物一つの皿の上に乗ってる
乗ってて 多様性っていうのはもうなんか
すでに多様性ではないっていうさ
いうような話なのよ
あの
だから その話でいくと
あそうバンワールドワールドっていう言葉があってそれが今のあの話なんだけどだから
世界は一つみたいなやつ それそれが結構暴力的っていうか
一つの価値観によって 一つの世界があるっていうか
なかなか難しくて言葉にできないんだけど だからそうじゃなくて
うんと
散歩と哲学
要はあし君の世界と僕の世界は 違うお皿に乗ってますっていうか
っていう世界観 これを何かデザインで読み解いていくみたいな感じの話らしいんだよね
だから今のライオンとさ片つもりもその話さ だから
そういう話かなって今聞いてる 聞きながらちょっと思い浮かべてたりした
うんどうなんか今想像しちゃったのは うん
まあ松石くんと小山田さんの皿は あるてか別な皿に2人は乗ってるんだけど
あっちテーブルの上に乗ってますみたいな うんそうだねそうそうそうそうそう
面白いですね
だから無限だよねそうやって考えるとね もしかしたらテーブルももしかしたら違うくて
ねー そうだからその
片つもりのいう哲学とライオンの哲学は 全く違う皿に乗ってるっていうか
そうですね うん それを僕らは一緒くたにして考えようとするから
結構そこに そこで多様性が失われていくっていうのが
確かに多様性って言った時どういう風な 多様性を想像してるかっていうのはなんか
その同じ皿の中で 同じ皿の上でたくさんなものがいろんな食べ物が乗ってんのか
別な皿ごとにいろんな食べ物が乗ってんのかみたいな
また違いますもんね 違うよね
食べたいものを食べていますみたいな状態になってんのか
皿のものを食べてるのか
うん
いやなんか素晴らしいですね もうちょっとその辺を深めて
そうですね
はいじゃあちょっと次があれですわ
あ 次はあれだ ポッドキャストだ
フォークスの
18番 18号として 岡田美穂さんっていう方と僕は
散歩しながら話をしてました
岡田さんとは結構 古いんですけど
青森 レインボーパレードを立ち上げた人で
その頃からの付き合いなんですけど
パートナーの方を亡くされたりしてて その間に
その時もいろいろ関わったりもしたんですが
その後 パートナーの方が亡くなってから
青森にはいなくなっちゃったんですよね 大阪に行っちゃって
だから結構久しぶりに会って話したみたいな感じの散歩になってますね
これは 聞いてないでしょ
聞いてる 聞いてた
マジで
なんかこれは僕は感想を言えないので 楽しかったとしか言えなくて
楽しそうにしてないね
なんかあの 山田さんが岡田さんに
なんかもうすごい色々やってますよねって
こう言った時に岡田さん いや全然何もできてなくてって
笑いながらおっしゃってたところがなんかすごいきました
そうでしたか
でもなんかこう 笑っちゃいました
で力が抜けるというか
そうっすよね
これが印象的だったなぁと
そうっすよね
結構多分ね 外から見たらすごい
戦ってる人みたいなイメージって結構あると思うんですけど
なんかそういう話って まあ僕がコントロールしてるわけじゃないけど
あんまりそういう話したくないなぁみたいなところがあって
岡田さんのなんか人柄っていうの
まあ おしゃべりしながら感じてもらえたらなぁみたいな感じではしゃべってたのかな
これはちょっと 岡田さんいい?
大丈夫ですか?
了解です じゃあこれはこれで一応聞いてくださいということで終わりたいと思います
ウォークスの重要性
で次が 素振りスタジオその前
10月の28日だったかな
8でした
8でしたね
いい?岡田さん任せて
はい
今は和志崎岡津さんの聞くことの
聞くことの力
聞くことの力
臨床哲学資論
ですね
まあでも自分が今すごい
なんかずっと
終わってから
あの小山田さんのそのウォークスと関係があるというか
うん
なんかその
場所?
そのなんか皆そういう
場所を誰かの中に場所を求めているというか
誰かの中に自分を
置きたいというか言いたいというか誰かの中にいたいっていう
それで初めて
なんか自分っていうものが
ここに存在するというか
そういう話があって
岡田さんのその
2回その先月
先月じゃなくて先々月
先々月と先月やる
でその
なんだその
目が
目が勝ちあった時
にその
シンクロする感じ
またその岡田さんがやってる
歩きながら話をする
してる時と
シンクロしてるよねっていう
うん
でその違い何なんだろうっていう話
2回に渡ってそこを
深掘った感じで
なんかその中で出た
その
なんか歩くこと
がもう
相手のその
歩幅というか
スピードとか
自然に話すためでもあると思うんですけど
やっぱりその
スピードを自然に
感じて
その合わせたりとか
相手も合わせてると思うんですけど
でもうその
話す前にそういう
相手の動き
に合わせてる時点では
なんか自分の中にはその人が
いるというか
それってすごい
その
それ
なんか話すよりも何よりも
それだけでこう
なんて言うか
話すことの前に
そういうことが大事なんだなっていう風なのがすごい
感じ
話す前
もちろんその
大むがえしの話とかも出てきたじゃないですか
ただ大むがえしするのと
やっぱり
例えば
ただ
ただ大むがえしするっていうその
小手先のテクニックというか
を超えたその
大むがえしネクストって言ってましたけど
うん言ってた
だからなんか
ただ大むがえしするのって
ただの小手先の
そうそうみたいな
テクニック使ってる感じで
なんか恥ずかしいじゃないけど
できないみたいな
だけど
相手そのスピード補充とかを合わせるみたいな
ことがあっての
そうだよねっていう
のってその
大むがえし
言葉がいい言葉はないですけど
うん
なんかそれがあっての
うんなんかその
あそれが辛かったんですね
って言えるっていうか
た時に
なんか
本当に相手に
相手に伝わるっていうか
うん
あのその
本の中にも出てきますけど
ただお茶を
初めてこう
お茶の話出てきましたね
そうね
あの
誰かが私に
いっぱいのお茶をくださったなんて
これが生まれて
初めてですっていう
そう
だからただお茶を
入れてもらっただけで
すごく幸せな気持ちに
人は慣れたっていう
言葉もいらずに
うん
だからなんかその
言葉の前にそういうものが
あるんだなっていう
それ
それを
なんかそのウォークス
歩くこと
歩くだけで
まずそこに
シンクロするところ
あーなるほど
いるっていうのはなんか
すごいなって
思ったというか
どういうことかみたいな
うん
うん
なんかありましたね
踊りもそうなんだろうな
っていう風なのは
相手が自分の中に
いるかどうかっていう
身体と時間
うん
ところがすごい
その言葉の
コミュニケーション
でもそうですけど
どっちが先か
何なんですかね
どっちなんですかね
言葉よりも先にやっぱり
そういう身体的なものみたいな
そうねー
があるのか
うん
そうねー
他人を入れる
隙間っていうのを
自分で持ってこないと
それになりたくないもんね
うん
言葉が先になるにせよ
身体的なものが先になるかもしれない
うん
そうですね
魔の話とかも出てきてます
うん
でもその
ウォークスをやるっていう
その人のために
時間を取るっていうか
自分の時間もそうだし
相手も
時間を取って
あーそっか
場を用意する
ではないですけど
まずそこで
もしかしたら成り立っちゃってるのかもしれない
そうね確かに
うん
うん
なんか話ししようよって
いや時間ねーしみたいな
感じになってたら
いやしょうがねーなーみたいな
そしたらもしかしたら
上手くいかないかもしれない
雨かなーとか思って
自分で
さっさと歩いちゃってたら
そうね
うん
時間はあるけど
お前と話しする時間はない
みたいなね
そう言ってもらえるだろうしね
ははは
切りついてますね
ははは
うん
そうですね
そうね
思いがけなく
ウォークスと繋がってきたのが
とても嬉しかったですね
うん
僕もそこまでちょっと
考えてやってたわけじゃないので
そうですよねなんか
うん
けどなんかそこに
そっかっていう
そう
うん
生まれたということで
いやでもこの前面白かったっすね
うん面白かったです
うん
なんか頑張って深掘りするのもいいなって思いましたよ
そうねほんと
そうそうそう
あすし君この前の素振りスタジオはなんか
感想ありますか
いやーでも
ウォークスの
話もですし
その
あれですねお茶の話は
ずっと
噛み締めてますね
うん
そのあれだ
ホームページの方の報告の方で
うん
映画上映会の告知
これが生まれて初めてです
なんて言われることはあったか
ってクエスチョンマークっていうのが
なんかずーっと
ぐるぐるしてるというか
大西さん
追われてるみたいな
追いかけてきてると思って
いやほんとそうだよね
これこういう状態
ないもんね
こんなこと言われたことないもんね
確かに
うん
うん
ちょっとこの辺
この辺でちょっと素振りスタジオは
時間的な問題で
次に行きましょう
はいじゃあ次がですね
いやこれ告知になるんですけど
11月24日
日曜日
映画
目の見えないしらとりさん
アートを見に行く
上映会
そしてその後の
シェア会として
ホールクライシスカタログを作る
青森編
No.6
開催されるわけですけど
これ僕ら
大西さんは
素振りスタジオでね
結構初期の素振りスタジオで
これ読んでいて
確かに
読んだわ
一回目バーって読みました
ほんと
どう
感想的なものはある
いや
もう一回
上映会までに今度ゆっくり
読んでみようと思ったんですけど
一番
気になったのが
あの
著者の方としらとりさんが
優勢思想の
のところ
でしらとりさんが
誰にでも
あるものとして
優勢思想
だったり差別意識を
あえていくっていう
ところ
残ったので
ちょっとそれ意識しながら
二回目
24日までに
もう一回読んでみようかなっていう
優勢思想とその考察
感じ
そうですね
ちょうど
もうちょっと
読み返してたんだけど
さっきの
多言世界の話と
つながってくるの
そうやって見ちゃうんだけど
あの
えっとね
106ページなんだけど
どうした
やりたい
106ページですか
用意してない
いいよいいよ
読むから
水戸芸術館で
鑑賞ワークショップを企画した
森山さんの言葉を
今一度思い出したい
ワークショップの
目的は見える人と
見えない人の
差異を縮めることではなかった
と言ったのだが
まさにそこだったっていうところから
ツラツラあるんだけど
これあれなんだよね
さっき言ったやつ
同じ皿に
見える人と見える人が乗ってない
っていう話
そういう話です
そう
今日も優勢しそうとか
そういうのにもつながってきそうな感じが
するよねその世界観が
そうですね
リハビリの
夜とかもそうですよね
動ける
天井車の動きに
近づけていく
じゃなくて
その人独有の
動きというか
うん
自分なりの
道具を使って
自分の体に
フィットさせていくというか
この世界を
その話とか
今思い浮かびました
そう
そうなんですよね
また読むと面白いです
うん
今まで読んだ本とかを
また読み直すのか
うん
また
中道体の世界とかに
戻ったりとかしようね
みたいな話してましたけど
そうね
中道体に戻るね
いろんな本に戻ると
また違う
見方が
できるんだろうな
うん
そうね
ほんとこの
もう一回
パラパラ読み直すとね
違うところにまた
今の興味
視点で行っちゃうから
面白いなと思って
読み返してましたけど
そのドキュメンタリー
11月の24日
ですね
ウェブサイトの方には
アップしてますけど
場所が
五所川嵐の方へ行きで
5時
からですね
はい
青森県初
っていうことを
言うんですが全然伝わってないんで
伝えようとはしてないのかもしれない
ちょっと頑張った方がいいんですか
まあ
5、6人くらいは来てほしいな
と思うけど
来なかったら来ないで
まあ
話は充実しますからね
そっちの方が
まあまあ
集めたいんだか集めたくないんだか
なんだろうって
まあ
11月の24日
興味ある方は
これ聞いてる人もどのくらいいるのか
わかんないけど
誰に言ってるんだって話
一応喋りかけておきまして
まあ
ということでじゃあ
このぐらいにちょっと今日
1時間になってるかもしれないですよね
1時間番組になっちゃいましたね
じゃあとりあえず
この辺で
終わりたいと思いますけど
あとじゃあ
1ヶ月後の
配信になりますので
また頑張って
あとそれから
シンガポール
あるから
そういう話もまた来月
聞かせてもらえると思います
じゃあありがとうございました
ありがとうございました
57:07

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