1. PODCAST「石を置く」by WORKSHOP VO!!
  2. 石を置く#008(2025.01)
2025-01-10 50:36

石を置く#008(2025.01)

月1回、30分程度、WORKSHOP VO!!の理事3人、小山田和正(おやまだ・わしょう)、赤石嘉寿貴(あかいし・かずき)、髙橋厚史(たかはし・あつし)で、今、興味あること、取り組んでいること、考えていること、悩んでいること、これからのこと、ついでに当法人の活動報告やお知らせなどについてもおしゃべりしています。


2025年1回目、今回(ep.008 - 2025.01 - 50min)は、

・年末年始のこと

・2024年12月8日「第20回 DEATH CAFE VO!!〜さよならのあとで( 詩:ヘンリー・スコット・ホランド  絵:高橋和枝)」について。

・2025年3月9日の「悼む日

・神戸に行く

・宇野 常寛著「庭の話」

・小網代の森

・ハン・ガン ノーベル文学賞受賞記念講演 「光と糸」


という感じの内容です。

次回は、2025年2月初の配信になります。

サマリー

2025年の新年を迎えたホストたちは、年末年始の体験や健康状態を振り返ります。また、デスカフェというイベントでの詩の朗読を通じて、亡くなった人々に対する気持ちやそれに伴う感情の深さを探ります。このエピソードでは、弘前の映画上映に伴うシネマディクトの経験や、冬の雪とそれに対する個々の感情について語られます。また、庭や生態系の保全に関する議論を通して、人間の関与と自然の管理について深く考察されます。さらに、植物の生態と人間の関わりについての洞察が述べられ、半岸という韓国の作家のノーベル賞受賞講演の内容について深く掘り下げられます。過去と現在、死者と生者の関係に関する哲学的な問いも重要なテーマとして取り上げられています。

新年の挨拶と体験
はい、いいですか?
はい。
じゃあ、石を置く8回目になります。
新年1回目。
2025年の1月後になります。
皆さん、明けましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さて、何から話したの?
年末年始とかどんな感じだったんですか?
僕は年座しました。
なんで?
5年間やって、楽しくなって飲みすぎて、夜滑って転んで年座しました。
以上です。
年座で済んだね。
本当に骨いってなくてよかった。
勢いよく行った。
だいぶすごい転びましたね。綺麗に転びました。
めちゃくちゃ痛かった。
それで頭打ってよく亡くなる方というね。
すげえ怖いこと言いますね。
この収録に臨めてよかったなと思って。
本当だね。
今年もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
おかげにみたいな。
おかげさんは?
僕はちょうど年末、仕事が28からお休みだったんですけど、
27の日に風邪を引いて、
せっかくの休みが問題なしになるところだったんですけど、
持ちこたえてはなかったんですけど、すごいだるくて体が。
その後ずっと頭が痛くて、痛いというかズキズキじゃなかったんですよ。
何なんだろう、この頭の重さはと思って。
年を越して。
これはあれだと思って。
腹鼻空炎だと思って。
よくなるんですよ、風邪を引くと。
あまりちょっと風邪が良くないという表現が分からないけど、
鼻に来るんですよね。
ずっと頭痛になるんですけど、
それかと思ってちょっと安心しました。
分かると安心。
あれだと思って思い出して。
咳がなかなか取れなくて、
今日ようやく治って、
体調もなんかいいなっていう感じになって、
俺も元気になって良かったなっていう。
ボロボロの声。
デスカフェでの詩の朗読
ボロボロの声。
そうですね、みんな病気、怪我。
なんでもございれって感じですね。
山田さんは?
忙しかったですよ、やっぱり。
末年し。
ないですよね、休みは。
特に振り返りとか、
来年はどういう年にしようかって、
まずそういう時間はなくて、
ついこの前ぐらいか6日目ぐらいに
やっとなんかちょっと落ち着いて、
そういえば去年はこういう年だったなとか、
今年はこういう年にしようとか、
振り返りができたっていうか、
忙しいですよ。
いろいろ。
いろいろ。
じゃあどうしましょうか、
振り返っていきますかね。
去年、今12月、
前回の石を置くが12月5日に配信してて、
で、その後には
デスカフェぐらいしかなくって、
ホントはスプリーススタジオもあったんですけど、
赤石さんの
体調不良に。
体調不良でね。
キャンセルになったので、
デスカフェしかないんで、
デスカフェは僕、
これは僕のファシリテーターだったんですけど、
12月8日、
もう1ヶ月前ですよ。
本当にまだ
そんなに勇気がなかった気がするけど。
勇気ないですね。
その後だよね、ものすごい振り出したんで。
ヤバいっすよ。
ヤバいでしょ。
うん、ヤバいっす。
吉原も。
吉原もヤバい、ヤバい。
今日、弘前行ったんですけど、
ヤバいね。
そこ4時あったんですね、弘前。
1時間
1時間半前ぐらいに出たんですよ。
1時の
予約っていうか、
今日、病院のいつものガンカフェ。
1時だったので、
いつも1時間ぐらい前に出るんですけど、
今回は1時間40分か30分ぐらい前に出て、
それでやっとギリギリ着くみたいな。
それくらいの時間のかかり方になりますよね。
そうですね。
辛いなっていう。
もう一車線だもんね、弘前もね。
一車線です、もう。
一車線のとこが一車線になってて。
大変だなと思いつつも、ちょっと話がずれたけど、
デスカフェは、
この時は
さよならの後でっていう詩を読んだんですよね。
初めてだったんですよ。
また、英語話者の人たちが多いので、
これは
最後の方に英訳も載ってて、
英語が
原文
それを
日本語訳したもんだから
だから、ちょうどいいなと思ってこれ使ったんですけど、
結構有名な詩で
これ読んだことないでしょ?
読んだことないです。
ヘンリー・スコット・ホランドっていう詩で、
原文とかは全部
ネット探せばあるんですよ。
詩なんですけど、
亡くなった人が
生きてる人にあてた詩っていう感じになってるんですよね。
例えば最初、冒頭は
さよならの後でっていうタイトルの後に
私は今でも私のまま
あなたは今でもあなたのまま
私とあなたはかつて私たちはそうであった関係のままで
これからもあり続けますっていう感じで始まっていく
詩なんですよね。
だから、
この詩の中で
自分が
亡くなったっていう立場でこれを読む人
読む人と
それから
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
それから
自分の
もう既に亡くなってしまった親しい人を思い浮かべて
読む人がいて
そこに結構大きな
開きがあったっていうか
理解にすごいそこに開きがあったなと思う回でしたね。
その開きについても
その当日は話になったんですか?
うん、なったね。
なかなかその中身をどこまで喋ったらいいんだろうみたいな
迷いながら
話してるんだけど
なんかね
英語原文で日本語訳
にしてるっていうところがあるんで
だからちょっとこうニュアンスが
違うのかもしれないなっていうところがあるんだけど
結構ね
この詩の日本語訳の通り読んでいくと
例えば
人生を楽しんでとか
微笑みを忘れないで
私のことを思ってくださいとか
私のために祈ってください
っていう風にして続いていくのね
これがなんとなくこう
うざったいっていう感じになる
確かに
まとまりついてきますね
そうそうそうそう
俺はだから
この辺りをどう理解するかっていうところ
があったんだけど
結局ね
悲しみに暮れている
生きている人が
亡くなった人の
気持ちになって
自分に当ててるっていう
だと思うんだよね
だから
例えば微笑みを忘れないでっていう
ところとか
前編そうだけど
微笑みを忘れないでっていうところを言うと
もう悲しくて悲しくてしょうがなくって
微笑みを忘れないでっていう
悲しみに暮れてるっていう
自分に対して
当ててる詩っていうか
いる感じがあるんですか
自分で
例えばもう微笑みを忘れてしまったような自分がいて
それを亡くなった方をいっぱい通して
自分に伝えてるっていう構造になってるんだと思うんだよね
英語の原文がそういう表現なんですか
全体を読んで通すと
日本語も英語もそうなんだけど
だからすごい
こいつ雑対なみたいな感じるかもしれないけど
こいつっていうのは自分なわけよ
やっぱりこの構造
生きてる感じあります
ではじゃあ分かりかけてる
亡くなった人を通して
自分に当てた手紙みたいな感じ
そうそうそう
自分が亡くなったらこうしてほしいなっていう思い
自分の思いっていう
自分が亡くなったらこうしてほしいという思いではなくて
どちらかっていうと
親しい人を失った人のことだと思う
親しい人を失った人
亡くなった人のつもりでというか
それで書いてる詩みたいなことですか
そうだね
それで
その亡くなった人を借りて
自分にメッセージを寄せて
最後の方に
どうして私が忘れられてしまうことがあるでしょう
私はしばしあなたを待っていますっていう詩が最後半にあるんだけど
こういうところとかも
親しい人が亡くなった時に
私たちは忘れないみたいな感じになってくるんだよね
やっぱり親しい人を失くすると
そういう気持ちって自然に湧いてくる
そういう気持ちを
私たちは忘れない
私たちは忘れない
親しい人を失くすると
そういう気持ちって自然に湧いてくるもんだと思うんだけど
その人に対して
どうして私が忘れられてしまうことがあるでしょうっていうか
全然普通に暮らしなさいよっていうさ
忘れるわけがないじゃないみたいな感じで
そういう言い方構造だと思うんだよね
みんなともそういう感じの話になったんですか
いやちょっとこれは
僕が今言ったことを
ようなことを
僕が言いました
この場所では
僕も参加者となって
今言ったようなことを言った
機会があれば
読んでみてもいいかもしれないですね
ネット検索すると日本語訳も全部出てたりするし
英語訳も全部出たりしてるので
ありますね
未来の予定
あとで読んでみます
これあれなんだよね
それこそ
素振りスタジオとか参加してくれてる
ユウさんからもらったんだよね
このさよならの後でっていう本
本にだった
綺麗な本だね
確かにイギリスだと思ったな
なんかすごく有名みたいで
ポストカードとかになってたり
売ってたりするっていう詩が
どっかに載ってた
次は来年4月からできたらいいなっていう感じの
デスカフェでしたね
僕この前あれですよ
弘前大学に
1コマ
毎年
講義っていうか
医学の1年生の子たちへの
クラスみたいなやつを1コマ
毎年頼まれてて
それこの前行ったんですよね
その時に
なんかいろんな話の中で
このデスカフェとかも
様子とかも紹介したら
帰りに
女の子が寄ってきて
来年から参加したいって
言ってた
そういうこともあるんだなと思って
ポツポツ
うん
じわじわね
じわじわ
じわじわがいいんだと思います
そう
そう思います
そうだよね
うん
これだけでも回数
20回
これで20回だから
どんだけコンスタントにやってるとこも
なさそうだなと思うけど
来年はまたちょっと
引き続きで
頑張っていきたいと思います
はい
ということで
今年は終わりですね
あと
あの
告知しちゃうと
3月の
9日でした
9日だ
うん
1週間
でこの時はまた映画上映もあって
どんな風になるのか
そろそろ準備しないと
ダメですね
シネマディクトでの経験
今回って第2部の
上映なんでしたっけ
うん
あ、そうそうそう
うん
えーと
弘前の
はい
レースでの映画ですね
レースでの映画ですね
レースでの映画
はい
今日はさ
シネマ
あの
シネマの
シネマの
どうすれば
うん
よかったか
うん
っていう映画
ドキュメンタリー映画
まぁ確かに知ってるんだけど
うん
赤井さん知ってる?
いやあの
なんか
流してくれたやつで
あーうん
初めて
初めて
うん
メールもらって
シネマディクトで
やるよ
って
友達に
メールを
送ってくれたんですけど
あの
あの
あの
シネマディクトで
やるよ
って
友達から
メール来て
知ってるよ
って返した
今日の朝
来たんだ
今日の朝
どうすればよかったか
これ上映画やりたいっすよね
うん
うん
ちゃんと見てない
シネマディクトに
見に行って
うん
半時間見て
うん
多分
2年後ぐらい
2年後ぐらい
なんか
自主上映とか
できそうな感じが
するんだけど
うん
この
IQ会社だと
うーん
シネマディクトで
やるのが
2月
うん
20
何日
じゃなかったか
18
28
9って書いてあるかな
8、9
うん
22から
28か
うんうん
1週間しかないからね
うん
見に行かないと
うん
雪が
今もすごいことに
映ってるかもしれないね
本当に
電車も
走ってるかどうか
大丈夫ですか
春が早いらしいよ
本当ですか
春が早いんですか
うん
えー
みんな言ってる
うん
希望じゃなくて
希望かもしれないけど
来てほしいって言える
あーそうかもね
別日ですよね
本当に
本当に
本当に
雪がないって
幸せです
本当そうだよね
うん
初めてなんか
初めてじゃないけど
なんかこう
3年目
なんですけど
うん
こっちに住む
雪のないところに住んで
3年目
うん
雪とその影響
うん
うん
うん
なんかこう
ダウン起きて
れば何とか
こう
家の中
過ごせるっていう
うん
そんな
ストーブとか
ガンガン
開かなくても
うん
うん
雪片付けは
しなくても
いいしね
楽だなって
思いながら
そうだね
そう
それでも
自分の
嫁さんに
広崎に帰りたいですか
っていう
雪に帰りたいですか
っていう
問いを
この前あの
昼間
1日ぐらい
ちょっと
天気が良かった日が
あって
この
何日か前に
ありましたね
あったよね
あの時に
この隙に
雪かきしなきゃ
って思って
4時間ぐらい
昼間だよ
うん
やったんでね
その後に
この雪のない人たちは
この4時間を
すごい
効率的に
作ってるんだろうなって
思って
考えちゃダメです
悔しい思いが
ダメです
困る
困る
から
でもあっという間に2時間とか3時間経ってることあって
時空が違う気がします。本当に。
確かに。
雪に落ち潰されてるかもしれないね。
ありそう。
じゃあ足なんか持ってきてんの?話的に。
話っていうほどじゃないですけど、来週神戸に行くことになって
冬から一旦逃げます。
何日間くらい?
半泊4日で、仕事もあるんですけど
それ込みでちょっと羽根伸ばしてこようかなってことで、行ってきます。
久々に雪がないアスファルトを踏みしめれるのかと思うと、うずうずしてます。
幸せを感じられるなんて。
それはそれで楽しみなんですけど、どうせ帰ってこないといけないんで。
あまり先読みすぎちゃダメじゃない?
飛行機?
飛行機ですね。
それも飛ぶか飛ばないとかあるし。
ちょっと少しでも暖かいとこに行こうっていう。
なるほどな。あれ?神戸、震災のあれじゃないの?
30年になるんだっけ?
あ、そっか。
30年ですね。
ちょうどそういう時期に行くの?
神戸に2,3年くらい前も同じ時期に行ったんですけど、三宮っていうところで、ホテルから歩いて行ける距離のとこに公園あって、
そこに震災のモニュメントっていうか記念品置いてましたね。
ロウソクっていうか光ともしてました。
30年、17日だ。
あ、そっか。15日には帰ってくるので。
でも、何ですかね、そういう空気とかもしかしたらあるかもしれないですね、滞在。
被ってる。
ちょっとまた帰ってきたら教えてください。
ちょっといろいろネタ仕込んできます。
赤井さんはその手土産的な今日は話は?
手土産的な、何かいろいろあるなと思って。
なんか最近、庭の話っていう本読んでたんですけど。
誰?
宇野さんっていう、おそインターネットっていう。
最近、最新?それ。
これ一番新しい。
宇野恒博さん。
ひいまと退屈の倫理学とか中道体の世界とか、いろんな今まで読んだ本とか何個か引用されてて。
今さっき、某の活動とかちょっとずつ広まっていくっていうのが、そういう感じだなと思って。
その話でこの本の中で書かれてたようなことに近いなと思える。某の活動自体が。
SNSを使わない。個人的には使ってるかもしれないですけど。
某自体は何も発信してないわけじゃないけど、SNSのプラットフォームに乗ってないっていう。
だけど別に間口を閉じてるわけではない。
庭っていう比喩を使って、自然と自分の持ち物っていうのかな。
自分の家に庭っていうのがあるけど、外部との接触が立たれてるわけじゃなくて、ちょっとだけ開かれてる。
外部にも開かれてて、だけど自分は管理もするんだけど、完全には管理できないっていうか。
支配しきれないっていうものがある。それが庭っていう。
だからそういういろんな、自分たちが管理しなくても勝手にそこで生態系が作られていくし、
外から来たものと、外からもしかしたら植物の種が飛んできて、知らない植物がそこで芽生えたりとか。
虫たちもどこからかやってきて住み着いたりとか。
だけど放っておくと、やっぱ庭が荒れていってしまう。
だから人間の手もちょっと入れることで、庭っていうものが保たれていく。
もともといっぱい本が書いてあるんですけど、
SNSのそこに乗らないっていうことがすごい。
今、承認されることっていうのにすごくみんなが飢えているっていう話がある。
なんかすることで評価されたりとか。
で、承認されようとしてしまうっていう。
だからそこから抜け出るには、じゃあどうしたらいいんだっていう話を、ずっと庭の話。
承認、FacebookとかXとかそういうもののプラットフォームからどうやって抜け出そうかっていう。
そうじゃない場所を作るためにはどうしたらいいんだろうみたいな話が書いてあって。
だからSNSに乗らなくてもいいよなっていう。
庭っていいな。
いいですね、庭。
庭、いいなと思って。
その本の中に出てくる話というか、実際の場所が小亜二郎の森っていうのがあって、
小さい網で大きい城の森。
神奈川県の三浦半島の下の方にあるんですけど、
山っていう風にしては、そんなでかい山っていう、いわゆる山じゃないんですけど、
山からこの海っていう繋がりをすごく小さくしたバージョンのそういう場所があって、
山あって谷沿いを水とかが流れていって、途中に湿地帯があって、もうちょっと行くと木形があって、
海があるっていう、みんな繋がってるんですけど、2時間ぐらいで上から歩いて降りていける。
昔はその湿地のところで田んぼとかやったりお米作ったりしてたらしいんですよ。
だけど使わなくなってササヤブだらけになっちゃってた。
手を入れる前は。
人間とかも入らないような場所だったんですけど、誰だったか忘れちゃったんですけど、
そこを再生した団体があって、それを始めた人がいるんですけど、
そこに行くと色んな生態、植生がどんどん変わっていくのがそこだけで見れるっていう場所になってて、
その庭の話と同じなんですけど、
人間の手を本当に離れちゃうと、だからササヤブだらけになっちゃう。
ササ強いんで、ササだけじゃないけど、その勢いがすごすぎて、他の植物とかが成長できなくなったりとかしていて、
そうなると、他の虫とか鳥だったりとかそういうものとかも少し減っていっちゃう。
で、そのササヤブとか買って、道とかちゃんとつけたりとかして歩けるようにしてっていうふうに人間が少し手を入れてあげることで、
庭と生態系の保全
虫とか鳥とかもすごい増えてきたらしくて、だから一概にその人間が、やりすぎたらやっぱダメだなっていうところはあるんですけど、
やっぱ少し手を貸してあげるというか、手を入れるっていうのが、今その環境を破壊とかするなみたいな感じじゃないですか。
だけど、確かにすごい大規模にやっちゃうと多分ダメなんだろうなとは思うんですけど、
やっぱ少し人間の手が入るっていうのは必要な条件というか、豊かにその人間関係とかもしかしたらそうかもしれないですけど、
そこ見に行きたくなって、鎌倉から近かったの。1時間ぐらいで行けるんですよ。
人間の手を入れてもいいっていうか、本の中で紹介されてたので、庭を作る人でジル・クレマンっていう人がいて、
動いている庭っていう本とか書いたのかな。その中でその紹介されてた言葉が、できるだけ合わせてなるべく逆らわないっていう言葉がすごいなんか、
できるだけ合わせるけど、なるべく逆らわないっていう、その表現いいなと思って。
いいね。これ映画あるね。動いている庭。
本の中で書いてたけど、植物たちが勢いがあるグループがあったら、そのままにしていくとそいつらどんどん領地を拡大していっちゃうんで、
一定のところで人間がそれを抑えてあげて、そいつらを避けて道が生きていく。また違う年になるとまた違う植物が生えてきて、
そいつらちょっと残そうかなみたいな、人間のその採用みたいなので残されて、また違うところに道ができていくっていうので、いつも庭の様子がどんどん変わっていく。
そうだなと思って、自分も今木を切ってるからやっぱり、日の木だけ植えすぎるとやっぱ問題だらけになるし、かといってそれ全部切ったら切ったらやっぱ問題が起きるし、土石でになっちゃったりとか、
たぶんそこに住んでた虫とかが住む場所なくなっちゃったりとか、鳥とかも身を隠してたのに一気に切られちゃうと、じゃあどこ行こうってなっちゃうし、だから程よく、だからできるだけ合わせてなるべく逆らわない的な、そういう感じで関わっていくっていうのはいいんだろうなっていうのが、
本読んでてなんか、面白いなぁと思いました。
半岸のノーベル賞受賞演講
いや、いいな。
このジル・クレマンっていう人の本も読んでみたいなって思いました。
エル・ニワ。
あとなんか、多自然ガーデニング。
それはまた違う人が書いた。
そんな本です。まだ読み終わってないですけど。
素晴らしいね。
面白いですね。
民芸の話とかも引用したりとかしながら、いろんな話が、宇野さんすごいなんかいろんなジャンルをすごい網羅してて、いろんな話が出てくるのですごい面白い。
このプラネッツ・クラブっていう、宇野さんが主催してるなんかあるんですよ、そのグループが。
俺そこの会員みたいになってて。
本当?
で、そこでなんか動画とか、なんだろう、本当に他ジャンルの人たちを招いて、月2回ぐらいあるのかな。
この人たちの話を、あと多いですけど、見たりとかして。
そんな手土産ですが。
面白い。
読んでみたくなった。
気になりますね。
読みやすいです。なんか哲学書っていうほどの、そこまではいかないけど、すごい読みやすい。
最近なんか本読んだりしてますか、2人は。
最近なんか読んだよっていうのは。
最近、なんか読んでるって言ったらあれですけど、ノーベル賞、ノーベル文学賞取った韓国の作家の方で、半岸さんっていう方が、
半岸さんっていう方がいるんですけど、その方がノーベル賞の受賞講演でした話の英文バージョンを書き写してます。
何それ。
12月の暮れから、なんかじわじわ空いた時間に書き写してて。
英語で?
英語の方です。
英語で。
英語で、韓国語はちょっとなっていうか、なんか全然ノータッチなので、でもなんかこう何かつかみたいなと思って。
英文でもその講演の文章が配信っていうかPDFであったので、それ印刷してノートに書き写しています。
翻訳も出てるのか。
出てる。
でもなんか、まだちょっと見たくないなと思って、とりあえず書き写して。
でも全然意味は、うん、あれなんですけど、そんな明確には読めないんですけど、その分かる単語を追って、半岸さんは何を言おうとしているんだろうなって。
っていうのを考えながら、書き写しているっていう。
あれだよね、記念講演も韓国語でしょ?
記念講演も韓国語でされてたんですけど、
英訳です、英訳。
英訳の方、だから多分原文とはまたニュアンスも変わってきてて、違うところもあるんだろうなと思いつつ。
でも、まあそれでも何かには触れれるんじゃないかなと思って。
いや、本当そうだよね。
日本語訳公開されてすぐに読んで、で、いいんだよね、やっぱり。
俺、今ウェブサイトを見てるんだけど、
現在が過去を助けることができるのか、
聖者が死者を救うことはできるのかという問いと、
それが全く逆になって、
過去が現在を助けることはできるのか、
死者が聖者を救うことはできるのかっていうところに、
問いにさっき言ったのがだんだん変わってきたみたいなのが書かれてて、
それ結構ね、グッときたわ。
なんかこう、いろいろ問いが変遷してっててっていう、
で、その中でそういう問いが出てきて、
それが反転してみたいな。
そういうのを書くっていうのをちょいちょいやったりとかするの?
いやー、でもなんか、初めてですかね、英文。
なんか受験勉強みたいな感じで、
いい点を取るための勉強みたいなのの仕方で英文を書き写すみたいなのはあったけど、
なんかこう、この人は何を言っているんだろうっていうのがすごい知りたくて、
そういう思いで書き写しているのは初めてだと思います。
急にやろうみたいな感じ?
なんか、読みたくてというか。
その書いてあるままを別に読むわけじゃなくて、書きながら?
そうか、そうですね。
なんか、ちゃんとゆっくり追いながら自分の体を通しながら、
この人はどういう言葉の組み立て方というか、
どう繋げていくんだろうなっていうのを知りたくて、
そんな一気にできるわけじゃないんですけど、
でもなんかゆっくりゆっくりこう、ちょっとずつちょっとずつやってみてます。
たぶん翻訳読んだほう早いんでしょうけど、すげえ気になりますし。
書いている写狂みたいな感じの。
写狂に近いと思いますね。
でもその問いの話すげえ気になりますね。
これはね、ちょっと、
え、そのスピーチの内容がそれってことですか?
大山さんがさっき言ってたやつは。
そうね、結構メインで書かれてるのが、
そのスピーチの内容がそれってことですかね。
大山さんがさっき言ってたやつは。
あのね、そうね、結構メインで書かれてるのは、
生者が死者を救うことはできるのかっていう問いを持ってたと。
だけどだんだんだんだん、その問いが、
そのスピーチの内容が、
そのスピーチの内容が、
大山さんがさっき言ってたやつは、
そのスピーチの内容が、
大山さんがさっき言ってたやつは、
だけどだんだんだんだん、
その問いが、
逆になっていくんだよね。
過去が現在を助けることはできるのか。
過去が現在を助けることができるのか。
死者が生者を救うことはできるのか。
っていう問いに変わっていったっていう話を、
後半結構メインで話してて。
初めて聞く問いの形だなと思いました。
それは、
過去が現在を、
死者が生者をっていう。
本当に過去が現在を助けている、
死者が生きているものを救っていると感じる時があったっていうのがあって、
そのスピーチの中にね。
で、これはこういう時でしたみたいな話が書いてある。
ちょっとこの辺りは、
ゆっくり考えていきたいですね。
過去と現在の問い
時間が必要ですよね。
時間が必要だよ、時間とあと自分の経験とかさ。
そういうのちょっと脇に置きつつ。
ああ、こういうことがあって分かる時が来るのかなって思うけど。
まあこんな感じですね。もうちょっと1時間ぐらいまた
終わっちゃったんで、そろそろ
切りたいと思うんですけど。
まあ予定されているイベントとしては3月9日。
そろそろその準備もしていかなきゃなというところがあるので、
またよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
石を置く事態はまた
2月初めぐらいに
やりたいと思います。
じゃあ今日は皆さんありがとうございました。
最後に何もない?大丈夫ですか?
ないです。
じゃあありがとうございました。
ありがとうございます。
50:36

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