SNSの変化
2024年11月16日の午前3時です。
なんかいろんな作業をしていたら、あまり眠くなくこんな時間になってしまいましたが、声日記を撮ろうと思います。
昨日の分、昨日というか15日は1日中、日見にいました。
日見のホテルに今晩2泊目をしています。
明日移動して、明日の夜金沢から夜行バスに乗って仙台に帰ります。
今日は何をしていたかというと、私はこのレッスンをメインのSNSにしたいと思っています。
それはどういう意味かというと、主にFacebookに頼っていた、今までに知り合ったいろいろなお友達に時々近況を報告するとか、私が感じていることを書くという、
それはFacebookに頼っていたのは何年前ぐらいまで頼っていたかな、多分10年前から3年前ぐらいまでの間はだいぶFacebookにもたくさん投稿する人だったんです。
そこでつながっていたお友達がたくさんいるんですけれども、多くの人たちは実際に会った人、それから例えばコーチングのコースに行っていたときに一緒に学んだ仲間たちとか、
私の近況を気にしてくれる人たち、それから昔の以前の職場の人たち、そういった人たちに近況をアップデートすることができていないんですよね、ここ2年か3年ぐらい。
それはなぜかというと、Facebookが嫌いになってしまったからです。
Facebookが嫌いになったというのは、Facebookを開けば宣伝広告ばかりが目につくし、多分他の人も私と同じように思ったからか、あまりそこに近況アップデートをする人がいなくなってしまった。
リッスンの魅力
そうすると、私はFacebookを無意識のうちに、今でも無意識のうちに毎日開けてしまうんですが、ついどうでもいい広告を見てしまう。
時間が無駄になってしまうので、自分の時間を大切に使うために、Facebookをまずアプリを削除して、アプリを削除してもブラウザで見に行くぐらいには今でもチェックをしているんですが、そこに何かを書くというようなことはもうだいぶ前からやめてしまっています。
それから、TwitterもXと名前が変わった頃からはほとんど使っていないです。
Twitterはあまり自分では使っていなかったですね。FacebookをメインのSNSとして使っていたので、ただどこかにブログを書いたり、ノートに記事を書いたりすればTwitterでシェアすることはしていたんですけれども、それもTwitterもXになった頃からあまり使いたいという感じではなくなってしまった。
スレッツとかもサービスが始まってすぐにアカウントを作ったりはしたけれども、何かちょっと違うかなと思っているし、インスタは今でもちょっとそんなに違和感は感じないSNSはインスタぐらいなんですけど、
使い方としては。もしくは本当にインスタはなんで嫌いじゃないかというと、あそこには可愛い犬と猫がいっぱい出てくるから嫌いじゃないです。
それからインスタに出てくる宣伝は結構それも見てしまうんだけど、なんかそんなに嫌じゃない、ちょっとした運動の自宅で軽くできるトレーニングの短いビデオとか、
もしくはちょっといい感じのお洋服のコーディネートのビデオとか、そういうものがインスタには出てくるので、なんかそれはそんなに嫌じゃないので、それを見ていても時間をつぶしたという感じにはならないから、今でも使いますが、そこをメインのSNSにするというような感じではない。
となってくると私のSNSはなくなってしまって、もし誰かが私の近況を知りたいなと思ったときとか、もしくは新しくお会いした人にここを見てくださいねなんて言って名刺代わりに使うようなSNSというのは今はもうないんです。
それがちょっと残念だなという思いがあります。
このリッスンを始めたときには全くそういう使い方をするなんて想定もしていないし、今までつながっていた人たちがむしろいない新しい人に、私のことを知らない人しか聞く可能性がないというのがすごく魅力に感じていて、
むしろ本名も出さないし、知らない、今まで出会ったことのない人とつながる機能があったとしても、すでに知り合いになっている人たちとのつながりではなくて、新しい出会いのところが大変面白いと思って使ってきたんですけれども、
これはリッスンのコミュニケーションの機能、コミュニティの機能のところを考えたときに、そしてこの声を通して本当に自分が考えていることとか感じたことをここまで深く表すことが可能なんだということが
分かってきたときに、SNSというのが手軽にたくさん多くの人とつながるという場ではなくて、もう少し深く知り合うというか、まさに温度を持って温度感を感じながら人とつながるという場だというふうに考えると、
どうして私はこの場に今まですでに出会ってきた大切な人たちのことをここに呼ばないんだろうというふうに非常に最近考えています。
過去の振り返りと未来への展望
なので、まず今日私がしたことは本当に小さな一歩ですが、リッスンのアイコンを写真を登録していなかったんですけれども、私の写真をアップしました。
あきこというのはもともと本名で、そこをフルネームにする必要はないかなと思ったので、そこはそのままにしてありますが、私のことを知っている人たちもこのリッスンにご招待していこうと思っています。
そのために、まず私が多分するのは簡単なんですけれども、フェイスブックのポストの中にフェードアウトしてしまっていたので、
フェイスブックのほうに最近はここに声日記というのをアップしていますという記事を投稿してリンクを貼ることですね。
そうすることで、フェイスブックで私のことを気にしていてコメントをくれていたような人たちには、
ああそうか、もうフェイスブックは使わないけれども、こっちにいるんだということがわかってもらえるから、それをやろうと思って、そのための準備みたいなことを今日は進めていました。
それで、そのための準備というのがもう一個あって、リッスンニュースの中で私が自分で話したウェブ上に私のブログの過去に書いてきたブログの残骸みたいなものがいくつもありますというふうに話して、
自分が話したことが自分の耳の中に入ってきていて、その残骸はどうなっているかというのを見に行っていました。
ハテナブログとノートの私の記事を読んでいたんですけれども、それが結構面白くて、自分の過去に書いたものを読むことに結構な時間を使っていました。
それを読んでいて、面白かったのは、自分が同じ人間で10年ぐらい前からずっと同じことを考えたり、同じというかね、今でも共感できることを10年ぐらい前から考えたり求めたり、
していたんだなということ。そして10年ぐらい前にはいろいろ苦しんでいたんだけれども、今もっと自由になれたね、成長できて自由になれたねと思える部分もあったりしました。
そういう自分の記事を概要欄に貼りながら、それについて感じたこととか、その思いを声日記に残すというのも面白くてやってみたいと思うんですが、
それは声日記なのかという気もするし、ちょっと恥ずかしいというかチャレンジングでもあると思います。
でも自分のためにはそれをするとすごく、これは薪を燃やしきりたいためがゆえになんだね。薪が100%燃やしたいという話をリッスンニュースの中で話して、
本当にもはや人生の思い残すことはそのことしか考えていないというぐらい、自分という薪をこの一生の中でいかにして全部を燃やすかということをずっと考えている中で、
10年前に考えていたことを振り返って思い出すことがあったり、そこからはちょっと進んできたねって思えるところがあったり、
そのレビューをするというか振り返りをしながらこれから進んでいく道について考えるというのは私のためにとても有意義だなという気がしています。
それを声日記にアップするということは、以前フェイスブックによく投稿していた頃のこととすごく共通性があるというか、そんな感じのことをいつも投稿してきたので、そんなにやりなれないことではないかなというふうにも思っています。
なので、そんなことを少しずつ進めていきたいと思います。
で、声日記でイラクで何食べたというタイトルでそれをやるのも結構いいねと思っています。
というのは、イラクにいてどうしているかなって思ってくれている人にとっては、ちょうどイラクで何食べたっていう話をするのは元気にしているよっていうシンプルな報告でもあり、
そういうふうに私のことを気にしてくれる人に対して、今はこういうふうに考えているんですよねという話を聞いてもらうということも喜びでもあり、
何食べたの話から入るっていうのは考えてみれば、うまいこと切り口を決めたなという感じもしています。
そんな感じで、今日してきたことは、昔の残骸を発掘して、その残骸をどのように今から私という薪を燃やしていくために活用しようかなということと、
またこの声日記の使い方のチャレンジとして、名詞代わりのSNSというぐらいの頼り方を知ってしまってもいいんじゃないかっていうことをずらずらと考えていた1日でした。
では、声日記として以上にします。聞いていただいてどうもありがとうございました。おやすみなさい。