1. LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA
  2. #22:作品が生まれるプロセス ..
2021-12-24 32:48

#22:作品が生まれるプロセス │ 平野啓一郎さん(小説家)

▼本パートのインタビュー映像
https://youtu.be/pXPuSiwZbkQ

【平野啓一郎さんへのインタビュー】
〈12月21日(火)公開〉Talk.1|だれに向けて小説を書くか?  https://youtu.be/4HeFZNDi1Eo
〈12月24日(金)公開〉Talk.2| 作品が生まれるプロセス https://youtu.be/pXPuSiwZbkQ
〈12月28日(火)公開〉Talk.3| 最も影響を受けた作品 https://youtu.be/sx2_ufb--cE
〈12月31日(金)公開〉Talk.4| 小説を書く=○○を創ること https://youtu.be/Ii2SSV-8f4M
平野啓一郎さんへのインタビュー再生リスト|https://bit.ly/31VBdXo

『本心』https://amzn.to/31OGdxm

【平野啓一郎プロフィール】ひらの・けいいちろう/1975年、愛知県生まれ。
北九州市出身。 99年、京都大学法学部在学中に投稿した『日蝕』により芥川龍之介賞受賞。 以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。 2020年からは芥川賞選考委員。 主な著書は、小説では『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』 『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞) 『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』、 エッセイ・対談集に『考える葦』『私とは何か  「個人」から「分人」へ』 『「生命力」の行方 変わりゆく世界と分人主義』『「カッコいい」とは何か』などがある。 16年刊行の長編小説『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)は累計 58万部を超えるロングセラーとなり19年に映画化。 18年に発表した『ある男』で読売文学賞を受賞。
https://k-hirano.com/
平野啓一郎さんのオンライン読書会「文学の森」 https://bungakunomori.k-hirano.com/

▶Spotify(音声/毎週お気に入りの楽曲も流します) https://bit.ly/Spotify_INTERVIEW_YH
▶Apple Podcast(音声) https://bit.ly/Apple_INTERVIEW_YH

【目次】
OPトーク
コロナと作品への影響
作品が生まれるプロセス
クライマックスとラストの描き方
着想はヴィジュアルから?
『ある男』と『本心』の共通点
「平野啓一郎」の分人は誰?
『本心』で描かれた若者の性
現代社会は無菌状態?
EDトーク

▼「会う力」養成講座 https://www.auchikara.com/

▼「月末 YouTube LIVE」開催
日時:12/27(月)
URL:https://youtu.be/Ts0xZoA7D-8
アーカイブ:https://bit.ly/3Dw3rWE

▼番組への感想・早川洋平・堀真菜への質問募集中です。
(いただいた質問は月末のYoutube Liveでお答えいたします!)
https://bit.ly/INTERVIEW_QandA

▼「QR CAFE」(毎月開催)
日時:1月19日(水)
お申し込みURL:https://www.life-upd.com/cafe/index.html
早川選書:『世界一素朴な質問、宇宙一美しい答え』(ジェンマ・エルウィン・ハリス/河出書房新社)https://amzn.to/30jly3O
(※事前に本書を読まなくてもご参加頂けます。お気軽にご参加ください。)

 ▼【聞き手・早川洋平プロフィール】 はやかわ・ようへい/新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、髙田賢三ら各界のトップランナーから市井の人々まで広くインタビュー。近年は欧州を中心に海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。公共機関・企業・作家などのメディアプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を数える。『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』『横浜美術館「ラジオ美術館」』などプロデュース多数。 近年はユニクロやP&GなどのCMのインタビュアーとしても活動している。
https://linktr.ee/yoh.haya

▼【ナビゲーター・堀真菜プロフィール】 ほり・まな/現在、早稲田大学3年生。 コロナウイルスの流行により、人と会いづらくなったことを機に、zoomを通して色々な人の話を聴くことを始める。1年間で200人以上にインタビューを行い、聴くことの魅力に目覚める。 現在、勉強を教えない塾福幸塾と提携し「思考と対話の技術」の提供をする他、学生・若者向け対話サービス『workin’ talkin'』を立ち上げるなど、 対話、インタビューを通じて様々な事業を展開している。プロインタビュアーとして実績を積むため現在奮闘中‼︎
https://koushiro123.wixsite.com/manaroom

▼関連キーワード #平野啓一郎 #本心 #ある男

Editor : Kimi

00:01
こんにちは、堀間奈です。
インタビュー、この番組はYouTubeとポッドキャスト各プラットフォームよりお届けしています。
YouTubeのチャンネル登録、ポッドキャストの番組のフォロー、皆様よろしくお願いします。
そして、早川さん、今回もよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
さあ、放送日、今日は何の日でしょう?
メリークリスマスですよね。
クリスマスイブですね。
これ、そもそもクリスマスイブってメリークリスマスじゃない。
25日がメリークリスマスですか?今さら40年来てきてわかんないんですけど。
え?だと思ってたんですけど、違うんですか?
でも、24日に人とかに会う時はメリークリスマスって言いますよ。
あ、言います言います。確かに。
じゃあ、問題ないですね。すみません。
クリスマスの別のネタがひっかいてると思うんで、そちらへお戻しします。
ちょっとそこだけ気になったんで。
メリークリスマスイブということで。
早川さん、クリスマス家族でお出かけされたりとか、なんかしないんですか?
もちろんしないです。
え?そうなんですか?
え?だってインドアですからね。
このコロナとか関係なく、もともとだから家にいるし、人が多いとかというのは嫌いなんですよ。
え?でもほら、ご飯予約取ってちょっとおいしいもの食べるとか。
でもどちらかというと、やっぱり家でもしそれだったら取って食べるみたいな感じですかね。
そういうことは、一人見で身軽な時はそういうのあったかもしれないですけど。
嫌いかって言われたら嫌いじゃないと思うんですけど、外出るのが嫌いみたいな。
いつものこのメリークリスマスイブのめでたいかいの引きこもりますけど。
マナさんはどうですか?
私、今年のクリスマスはおいしいもの食べに行きますよ。
もう予約されてる?
予約しました。
ステーキが食べたいなと思って。
さすが肉食女子ですね。
ガッツリしたお肉が食べたいなと思って。
ずっと前からめちゃくちゃ行きたかったお店があって、ウルフギャングってご存知ですか?
ステーキの名店とかなんですか?
どうやらアメリカとかかな?外国から日本に入ってきたステーキの有名なお店みたいな。
アメリカはステーキと言えばアメリカですけど、僕も結構行ったら普通に何気なく入ったところでも普通にうまいですよね。
私、ティーボーンステーキっていうのをずっと食べてたので。
これはクリスマスに行くしかないと思って予約しました。
クリスマスって言ってチキンとかステーキとか結構肉はいいかもしれない。
じゃあもうハッピーメリークリスマス。流れてる頃はティーボーン食らいついてる?
03:04
食らいついてます。夜にはもうむしゃむしゃ行ってます。肉食を。
それは楽しみですね。
それはまたちょっと次回収録の時どんな感じだったかね。
もう年明けてると思いますけどね。
結果聞かせてほしいです。
次回1月の収録、12月の収録の時にまたご報告させていただきます。
ぜひぜひ。
それでは本編の方に入って参りたいと思うんですけれども、今回も前回に引き続き小説家の平野圭一郎さんにインタビューこれからされるんですよね?
そうなんです。実は前回言ってないんですが、やっぱりこのスケジュールの都合上、僕らのこのナレーション部分の収録は基本的には当然インタビューが終わった後に撮りたいんですが、
なかなかそうもいかないこともあってですね、たまにです。結構早めに今回この順番が巡ってきましたが、まだ平野さんに会ってません。
会ってないので、実は何が起きてるか分かりませんので、流れる頃には僕らも知ってるんですが、そういう経緯なんですが、ただですね、平野圭一郎さんは実はもう5年前に1回お目にかかってですね、
やはりこの番組の前身の前身のキクマガ時代に、その時はですね、マチネの終わりという映画にもなってね、2年ぐらい前かな、福山雅春さんと石田恵里子さん、すごい2人の名優ですけども、
が映画化されたその作品についてお話を伺ったので、それ以来5年ぶりに2度目のご登場ということで、僕も今ね、つまりこの撮ってる今日時点はお目にかかって取材今回してないので、どんな話になるか分かんないんですが、
ただ少し面白いのは、5年前には僕はキクマガを改めて聞いてて、平野さんがお話しされてることとか、ちょうど僕と平野さんって5歳年齢が違うんですよ。
当時僕は35歳で平野さんがちょうど40歳を迎えられた頃で、40歳になった時の作家としてのこととか人として40歳みたいな話もされてたので、僕はその時35歳で5年後みたいな感じだったので、今回また5年ぶりにまさに会って、
お互いと比べるのも恐縮ですけど、平野さんはそこから5年経って、僕もちょうど40歳、平野さんが直接の質問で聞いてるか分かんないですけど、あれから5年経って変わったこと、そして5年経っても変わらないものは何なのかっていう本心を聞いてみたいと思います。
それでは早川さんと平野啓一郎さんの対談、第2回をお聞きください。
やっぱり今ちょうど5年前のお話、この間も改めて個人的に聞かせていただいて、何か思い出したんですけど、やっぱり平野さんという小説家なのか小説家という仕事が両方持ってるのかもしれない。
やっぱり今までも例えば東日本大震災とか、要はご自身が先にある意味書いてしまったというか、予見みたいなところで、ある意味辛いみたいなところもあるっていうようにおっしゃってるところもあると思うんですけど、今回も書きながら、当然2年ぐらい前からもメタバースという言葉がこんなに出てたか別ですけど、
06:16
いわゆるこういうバーチャルな話に出てましたけど、その途中で当然コロナがあって一気にDXみたいな話ありましたけど、新聞連載自体はコロナの前ぐらいかな。
そうですね、コロナの前からですよね。
ですよね、僕去年3月に寛美香さんに会わせていただいたとき、まだ連載中で。
そうですね、コロナの前からで、回答途中にコロナになったんです。
執筆中にコロナが起きて何か直接作品に関係あるかっていうと、意外とそうでもないとおっしゃってたように、僕が見た記事だったんですけど、やっぱりそれは平野さんそういう感じじゃないですか。
そういう意味では先ほどの話ですけど、どちらかというと先にちょっと予見しているようなところもあるから、あんまり実際現実がどうこうとか影響を受けたとか。
その現実が起こることであっという間に古びてしまうっていうのはね、やっぱり作家の世界観はちょっとやっぱり貧しいんだと思いますね。
だから特にある程度未来を予見しながら、僕なんか小説書いてますから、それがどれぐらいで僕の書いてる世界に近くなってくるのかっていうのはね、
ドーンとか10年ぐらい経って、あそこに書いてあることがよくわかるようになったとか、2008年、9年くらいですから、今読むとよくわかるとか、顔印象の話とかでよく言われますけど、
当時はやっぱちょっとね、なんかピンとこない人も結構多かったんですよね。
まあそういう意味で言うと社会の変化のテンポもどんどん早くなってるんで、今回は20年後ぐらいの質問で書きましたけど、
まあ書いてる途中で、本当に書く前はメタバーサーはそんなに言ってなかったんですよね、一般の人たちは。
そうですよね。
だからまあ書きながら結構コロナの影響もあって、その世界観の近くなってきたとは思いますけど、
読者がより理解しやすくなったかなと思いましたけど、連載中に書いてる内容自体がそんなに変わるってわけではなかったですね。
今、主人公というか設定の話も伺いましたが、作家のことだと思うんですけど、やっぱり何かその作品作る時に、まずどこから手をつけますか?
まあね、よく作家というふうに、まあいろんなタイプがあると思いますけど、なんかハッと閃いたとかね、
いうイメージを持つ人もいるかもしれないですけど、僕はね、話の思いつき自体はもう日常的にあるんですよね。
こんなのは面白いんじゃないかなとか、なんか面白いんじゃないかなっていうのは。
だけどね、まあそれをいきなり飛びつくわけじゃなくて、しばらく頭の中で転がしてると、可能性のあるものはだんだんね、
このテーマであの話も書けるなとか、雪だるま式に膨らんでいくんですよね、最初の着想が。
で、ダメなアイディアはね、やっぱ転がしてる間にだんだん摩耗してって消えてなくなっていくっていう、やっぱダメだなって感じがしてくるんですよね。
09:00
だから頭の中で一つの主題が膨らんで、物語ぐらいの規模までになったときに、これで書けるかもしれないなっていうふうに予感し始めて、
僕の場合は一番重要なのは、やっぱりクライマックスの場面を想像するってことなんですよね。
それがこう、いろいろこう、おじゃおじゃ説明抜きにその世界観っていうのを凝縮して、
象徴しているような場面っていうのがクライマックスとしてイメージできれば、これ書けるなって思うんですよね。
あとはそこに向かって書いていけばいいんで。
その段階になって、まあその思い描いたイメージっていうのが、
例えばマーチネの場合だったら、コンサート会場で舞台に立っている人と客席にいる女性がいて、
2人の間だけで何かこう通じ合ってる気持ちがあるんだけど、他のお客さんは知らないっていう場面をクライマックスの場面として思い浮かんだんですよね。
そうすると、じゃあどうしてこの2人はそういうふうなシチュエーションでここにいるのかっていうのが、
さかのぼっていくと物当たり全体がこう見えてくるっていうような発想に近いんですよね。
だからまあ今回は、最後に自宅でバーチャルな滝を見ながら、母親のことを回想して、
その母親に触れたら、バーチャルな存在なはずなのにこう触れることができたっていう場面が、
まあその最初に思い描いたクライマックスの場面なんですよね。
あとはまあ主人公どうするかとかっていうのは、結構脳内オーディションみたいなのがあって、
まあ何歳ぐらいにしたらいいかとか、どういう性格がいいかとかっていうのを、
一人一人どういう主人公であればこの物語を演じ切れるかみたいなところは結構考えますよね。
なんか今マチレの終わりの例を出していただきましたけど、
そうするといわゆるヒラノさんが作品で見えたクライマックスのイメージが、
そのまま本当に最後のクライマックスの文章というかなるかっていうのは、
まあそれは変わる可能性があるってことですね。
いやまあでもクライマックスはもうほとんどそのままですね。
そこを目指して描いていくっていうか、本当のことで言うとそこだけ描ければいいんですよね。
ただその場面だけ描いても何の話かわからないからということで、
そこの場面に至るまでに何があったのかっていうのが僕の物語の描き方で、
それは必ずしもラストではなくて、クライマックスまで行った後、
ちょっと余裕を残して終わるのか、もう一展開あるのかというのは、
そこまで行ってからちょっと考えればいいので、
終わり方っていうのはちょっと微妙に描きながら考えていってるところもありますけどね。
よかったですね。ヒラノさんの説明のおかげで、僕クライマックスとラストをちょっと今混ざってたので、
ヒラノさんが本心でおっしゃってたクライマックスはじゃあそこだったんですね。
それとラストっていうのはまた厳密と違う。
ラストはちょっと違いますね。もうちょっと余裕持たせてとか、
もっともっと面白くするとかね、いろいろあると思いますけど。
僕今回もですし、前回のマチネの終わりの時もそうでしょ。他の作品も読ませていただいて、
12:04
やっぱり今のクライマックスっていう意味でもそうですし、ずっとラストなんかも読んでると、
やっぱりとにかくビジュアルが湧くんですよね。小説ってもちろんある意味、
逆に視覚がないのでそういうものかもしれないですけど、今回改めて日食を読ませていただいて、
その周りのインタビューも結構前にもいろいろ見たんですけど、文芸春秋の中でその受賞インタビューを
拝見した時に、ちょっとマニアックですみません、あれなんですけど、日食はまずデッサンを描きましたっておっしゃってたんですよ。
で、やっぱりね、平野さんっていうと絵が好き、こないだの三転万一館のルーブル美術館の歩き方のウェブマン。
何かを着想する時って、ちょっと逆説的ですけど、平野さんって文字じゃなくて、やっぱりまずビジュアルなのかなって思ったんですけど。
ビジュアルっていうか、やっぱりその一つの世界ですよね。だからそれはもう五感全部が感じとくような。
だから、やっぱりね、描写っていうのは五感が効果的にその場にいるように活性化されるとリアリティを感じるんですよね。
だから、例えばですけど、結界とかで子供がスイミングスクールに通ってる場面とかに描いたんですけど、
スイミングスクールの場面をやっぱりビジュアル専攻で描くとね、あんまり伝わってこないんですよね。
だけど、独特の塩素の匂いとか、外界、外に比べてムッとちょっと気温が高くなってるとか、温度高く設定してある質度の高いムッとする感じとか、
コーチの声がすごく反響してるとか、そういう五感の情報をうまく入れていくと、やっぱり読者は臨場感を感じるんですよね。
だから、そこが抜けてるとね、プールの場面とか描いてもなんかプールっぽくないんですよね。
だから、もちろん人間はやっぱり視覚変調の動物なんで基本的には見えてる光景ですけど、
それより自分の身体を通じてその場所にいるっていうようなことをリアルに自分が感じ取るっていうのが描写の上では重要かなと思います。
今の話がかかってると平野さんが普段感じられてることをこの本心の中で宇宙の発生から何億年も体感するみたいな、
なんかそういう意味では平野さんが普段のある意味なんとなく感じてるのを追体験したような感じしますね。
そうですね、あれはなんか小説内小説じゃないですけど、フィクションの中のフィクションっていうか、
まあああいう体験がバーチャル空間では今でももうすでにちょっと似たようなサービスありますけど、
あとはね技術的な意味で言うとね、ちょっと話はそれますけど、小説の中のね、
その非日常の世界をどういうふうにこう自由にイマジネーションを膨らましていくかっていう時に、
かなりちょっと小説が枯渇してきてたところがあったと思うんですよね。
現実っていうのがあって、神話っていうものを導入するっていうのはね、マジックリアリズムとか流行りましたし、
15:01
もっとその前は外国っていうのはね、情報があんまりなかったからある意味好き勝手書いていいようなところもあったんで、
カフカナーアメリカとか、まあそういうふうに、あるいはオリエンタリズムって批判されるような書き方のものもありますけど、
あとそれから夢とかですね。
まあ外国に関してはもうネットを通じて情報があふれ返ってるんで、すごく現実になっちゃってあんまり好き勝手なことも書けなくなったし、
夢もね、夢はみんな夢だからいいと思って好き勝手書いてますけど、結構メカニズムがわかってきたんで、
ほんと言うとこんな夢見るはずないっていう夢いっぱいあるんですよね、小説の中とか。
まああと神話っていうのもね、わりとところずっとそれみんな取り組んでやったけど、
ある程度やり尽くしたところもあってっていう中で、
バーチャル空間っていうのはやっぱり小説の場面展開の中で、
全くこうずっと現実の描写が続いていって慣れてきたなっていう時に、
一瞬のうちに場面を転換させるすごく新しい要素になってくると思いますよね、小説の中では。
だから小説的な意味でもバーチャル空間の導入っていうのは結構今後活発になっていくんじゃないかなって気はしてるんです。
今回その日食も改めて読ませていただいて、もちろんある男もね、もう一回読ませていただいた。
これは20番目おめでとうございますって話もありましたけど、
なんかある男を今逆に本心読んでから読み直すと、なんかちょっと勝手に連作のように感じてですね、
なんか今はもういない人の本心を巡る物語っていう意味では通ずるかなと思って、
で、なんかある男の文言で、これちょっとだけ抜粋させていただきますけど、
誰も他人の本当の過去などを知ることはできないはずだった。
自分の目の前にいない時、その人がどこで何をしているのかも。
いや、たとえ目の前にいたとしても本心などというものはわかると考える方が思い上がっているんだろうかみたいな。
本心読んだ後だったので、よりちょっと敏感になったかもしれないですけど、
ヒランさんの中では、まあ全く同じ型が書いてあるのでね、通じないってことはないと思うんですけど、どうなんでしょう?
そうですね、まあ特に第4期の仕事っていうのは一定の連続性があって書いてることでもあるし、
マチネの割にで、過去は変えられるってことをテーマにしましたけど、変わってしまうってこともあるっていうな。
ある男はそれを戸籍を変えるっていうようなことで、実際にやろうとした男の話ですし、
今回の小説ではバーチャルの存在っていうのは過去からしか学習できないけど、今度はそこに拘束されてしまうっていう。
まあその過去は変わるって話と、ある意味対になってるようなところもあって、
一つの小説を書くとやっぱりこの次それをもうちょっとこういう形で発展させたいとかっていうのはあるので、
大体僕の話はこういろいろなテーマが、一本の線じゃないですけど複数の線で連続しているっていうところはあると思うんですよね。
今回はやっぱりね、咲夜、三好、母、伊妃、藤原、ティリー、岸谷、他にもいたと思うんですけど、
18:04
僕の中ではこの辺りの人がすごくやっぱりイメージあったんですけど、
ひなのさんの文人って全てがその人にあるもんですけど、やっぱりひなのさんの文人もこの中にいるんでしょうか?
そしてメインの文人って言い方が正しいのわかんないんですけど、なんかそれは特にやっぱり咲夜なのかとか、どんな感じなんでしょう?
あんまり自己投影しないようにはしてますね。
おっしゃってましたよね。
まあ咲夜なんて僕よりももっと、僕ってよりも今の若い人っていうかその20年後の若者っていうのはかなりやっぱりイメージしましたよね。
で、ちょっとやっぱりお母さん死んであんなにこう嘆いてるっていうのはね、
30になろうっていう青年としてどうなのかとか、女の子と同棲しててこう本当にこう指一本振れないっていうのはあり得るのかな?
確かに。
そういうことをやっぱり今のおじさんの感覚だと考えてしまいますけど、
例えばこう性っていうものの対する捉え方っていうのがすごく変わってきていて、
確かに。
そういう経験したことないっていう人がものすごく、ものすごい数になってますし、20代とかでも。
やっぱりそのプロセスも性的暴力とかの問題があるから、
同意をきちんと得てからじゃないとそういう関係になるべきじゃないっていう風になってきてて、
それはそれでまあ理由のあるもんだと思いますけど、
結構やっぱそれをうまくできる人、みんながうまくできることではない気もするんですよね。
だからだったらこうやっぱりリアルなそういう関係っていうのは難しいっていう風になっちゃう人もいると思いますし、
あと寿命が伸びてってやっぱり精神年齢がだんだんっていうんですか、
昔の人の方がやっぱり早熟だと思うんですよね。
人生50年とかいう時代の人の方が。
どんどんそうなってますよね。
そういう意味で言うと今の20歳前後ぐらいの人の感覚が、
20年後はその30前後ぐらいの若者たちがそういう感覚なんじゃないかっていう風なことをイメージしていて、
まあそういう意味ではあんまり、僕だったらやっぱり三好って人と同棲してたら、
もうちょっとやっぱり自分がこう彼女に関心を持ったら、
そうですね。
なんかアプローチがあるんじゃないかと思いますけど、
まああえてやっぱり僕だったらっていうのをちょっと抑制しながら書くべきだなと思って書いてましたね。
ただ小説はね、なんかそのやっぱり1年とか2年とかかけて書きますから、
自分が興味ない人間についてやっぱり書けないんですよね。
ある意味自分がこう映画監督とか舞台演出家みたいな存在として小説家っていうのをちょっとイメージするなら、
キャストとして舞台に上がる意味のある登場人物を集めて書くってことになりますし、
まあ音楽みたいに捉えるんだったら必然性のある楽器編成みたいなこととして登場人物たちを集めてくるんで、
自分そのものじゃないけどやっぱり強い興味を持てる人たちっていう感じですかね、登場人物が。
平野さんおっしゃってたように、やっぱり佐倉と三好が同棲して何もないというかね、
そういうのが僕なんかもやっぱりなかなか感覚がん?と思ったんですけど、
でも作品の中で読んでると、まあ確かに今もうすでにそういう人もちろんいるだろうしそうだし、
21:05
やっぱり全然自然というか未来というかこの辺に関しても今ありそうですよね。
そうですね、やっぱりね、僕が若い時はね、小さい時から性的なコンテンツに、
やっぱりちょっと囲まれすぎたと思うんですよね。
で、もうそれをやっぱりこう、その男性性をすごくこうプッシュされるような、
普通にテレビ見ても7時とか8時台でも女の人の裸とかいっぱい出てましたし、
刑事ドラマとか見たら必ずそのベッドシーンとかあるし、
やっぱり幼稚園とかぐらいの、保育園とかぐらいの頃からなんかそういうセックスの場面とかドラマとか映画とか、
ちょっと見ちゃダメみたいなね、普通にありましたよね。
これ何なのかなみたいな。
でもそれに比べるとうちの、まあ僕子供は今8歳と10歳なんですけど、
彼らなんて結構無菌状態ですよ。一切そういうのテレビとかでうっかり見る機会もないまま成長していってるし、
コンビニにも本の雑誌とかね、昔はもう普通にあったし、
漫画とかもね、ちょっと前に松本泉さんっていう気まぐれオレンジロード、
漫画を描いた漫画家さんが亡くなって、
僕はもう、彼が漫画ジャンプに連載した時に、
ジャンプ黄金時代の少年時代だったんで、ずっと連載で読んでいて、
僕との剣とか筋肉マンとか、なんかいろいろそういうキャプテン翼とか。
ありましたね。
人気コンテンツの中で、ちょっとそのエッチなみたいな。
ちょっとドキドキした。
迷路系ラブコメみたいなものとしてあって、
まあそういうの小学生の時とか読んでて、
彼亡くなった時にどういう漫画だったかなと思って、
久しぶりにAmazonのKindleでフリーで入ってたんで、
ちょっと見たんですけど、結構ね、やっぱやってることはもうちょっと犯罪的なんだ。
今じゃもうアウトですね。
女の子の下着盗んだりとか。
本当の犯罪ですね。
裸の写真撮ろうとしたりとか、ちょっともうセクハラだらけですよ。
それコミカルに描いてるし、
そのなんていうか、その中の男女のやりとりとかね、
心理描写とかすごくこう、なんていうか、
才能のある漫画家さんだったと思いますけど、
そのお色気シーンに関してはね、
まあもう全部ダメみたいな漫画だったんですよね。
でもそういうのにすごく囲まれて生きてたし、
まあもう一つ例を挙げると、
志村健さんがね、
僕。
僕が亡くなった時も、
ちょっと最初はグー、じゃんけんぽんとか、
その志村さんが作ったものとかって、
今の小学生とかにもこう受け継がれてるんですよね。
なんか。
あー。
これで、知らないけど志村健ってどんな人なのかっていうのを
うちの子供とか関心持ってて、
こうYouTubeとかで昔のコントとか見せてやろうと思って、
探すんですけどね。
まあドリフのはそうでもないけど、
そのドリフの後のはね、
24:00
ほぼセグハラネタなんですよね。
昔バカ殿とかね。
バカ殿とか。
普通にね、ちょっと今言ってもはばかられるのはありましたね。
そうそうそうそう。
あとこう空港で、例えば、
手荷物検査場で、
美女が来たら、
はい。
なんかこう、もう体触りまくるとか、
なんかそういうの。
だからね、もう見せれないんですよね。
うんうん。
だけど、昔ってもうそういうのがもう、
普通だったから、
そういう中で育ったから、
やっぱ性に対してすごくね、
煽られてた少年時代を送ってた気がするんですよね。
うんうんうん。
そういうのがない中で、
まあ一方で、
AVとかへのアクセスはね、
もうネットが登場して簡単になっちゃったってとこもあるし、
そうなんですよね、ほんと。
若い人の性意識っていうのはどういう風になっていくのかっていうのは分からないんだけど、
でもね、自分の中にやっぱり相当そういうコンテンツに煽られながら、
成長してったってことのね、
自覚があるんですよね。
うんうんうん。
そうすると、
普通だったらこうなるんじゃないかっていうその発想そのものにもね、
世代的なものは相当あるなと思うんですね。
男女が同棲したらもう当然、
そういう風になるだろうっていう思い込み自体は、
なんか結構、
非常に時代的な思い込みなんじゃないかって気もしてるんですよね。
だから未来を考えるときに何だけその、
昭和50年とかに生まれたおじさんの発想っていうのを
混ぜちゃいけないなと思いながら描いてます。
もう一つだけ伺いたいんですけど、
なんかお話しかかって、
まあ僕も昭和55年なんだより、
まあだいたい同じですけど、
子供も今13歳、
8歳、
3歳というんですけど、
やっぱりおっしゃる通りその、
無菌状態で、
そういうなんか変なシーンはないんですけど、
その一方で、
そうスマホとか、
まあ親としてはいろんなコントロールするのはありますけど、
まあぶっちゃけたぶん解除してる人はいくらでもできるようなことあるじゃないですか。
そういう意味では手に入るものの、
角度量は圧倒的だと思うんですけど、
そうすると、
だからまあ、
まさに平野さんもそこは分かんないとこでしょ。
本当にこの若い世代のこれからの生って、
どういう感じなのかなっていうのは、
まともに読めないのかな。
いや、分からないですよね。
で、やっぱりいろんなコンテンツがありますから、
ひどいのもありますしね。
どこにどういうふうにアクセスしちゃうかっていうのは、
まあ親はコントロールしきれないとこもあるし、
まあ子供が自分なりに学んでいくプロセスもあると思うんですけどね。
まあ表向きの世界ではやっぱり、
女性の人権とかミート運動とか、
そういうものの教育っていうのが、
粛々と行っていかないといけないと思うんで、
その価値観を身に付け打った上で、
そのコンテンツを本人たちはどういうふうに判断していくかっていうのは、
ことになるとは思いますけどね。
具体的な、
AVとかこう揃えて、
これはいいけどこれはダメとか、
そういうコントロールの仕方はもう、
もちろんね、できっこないと思いますから。
でもなんか本心の話にまた戻りますけど、
やっぱりなんかそのさっき教えてた無菌。
無菌とかつまりやっぱり、
まさにVFが出てきてるんですけど、
何かと接する切散、
どちらかというとやっぱり非接触。
まさにこのウイルスの時代に、
27:01
無菌を感じる話ですよね。
もちろん人の心は感じるんですけど。
だから、
あんまり免疫っていうのを比喩的に拡大しちゃいけないですけど、
小学校とか中学校とかでの、
その先生たちの態度とか、
そういうことで言うとやっぱり今はすごく良くなってると思うんですよね。
問題はあると思いますけど、
僕の頃とかもうとにかく体末がひどくて、
普通に殴られましたよね。
まあでもそういうのも絶対ないですから今。
確かに。
まあ大人の嫌なところもいっぱい見たし、
でもそれがね、やっぱりある意味ちょっとこう、
なんていうんですかね、
人生勉強になったところもあるんですよね。
あります。
だから今はやっぱり、
昔の方が良かったと全然思わないんですけど、
そういう経験せずにだんだん大人になっていくから、
やっぱり結構、僕ぐらいが見てもやっぱり、
些細なことなんじゃないかなっていうようなことでも、
結構傷つくっていうようなことをね、
若い人とか言いますし、
それは別に悪いことじゃないけど、
あんまり清潔すぎる中で育つと、
ちょっともう病気になりやすいとかっていう話とちょっと似ていて、
っていうところはありますからね。
まあ社会はそれでもこう、
感知性に配慮しながら、
っていう社会を作っていかないといけないと思いますけど、
そういう意味では大変なところもありますよね。
あとはもう一つはそのやっぱり、
その接触っていうことが今回一つのテーマにもなっていて、
ああ、やっぱり。
バーチャルな存在の一番違うところはやっぱり、
触覚が満たされないっていうところだと思うんですよね。
どんなにリアルでもそのVFの母親に触れられないっていうのは。
それはちょっとやっぱりコロナ、
途中でコロナになったんで、
そのことが社会的にすごく大きな関心になったんで、
なんていうのかな、
まあそういう形でみんなが触れるか触れないかっていうことに、
あの関心を寄せるようになるかどうかっていうのはちょっと想像しなかったんで、
書きながら面白かったところではあるんですけど。
エンディングのお時間です。
インタビューでは皆様からの早川さんへの質問や番組への感想、
取り上げてほしいテーマなどを募集しております。
エピソード説明欄のURLからどしどしお寄せください。
またいただいたご質問等は月末のYouTubeライブでお答えしていく予定です。
今月のライブは12月の27日月曜日正午12時からです。
配信ぜひ見に来てください。
ぜひぜひ。年内最後ですからね。
年越しそばでも食べながら。それちょっと早いか。
年越しそばっていつ食べるんですか?
31日じゃないですか。
27日早すぎるか。
気が早すぎますそれは。
カップヌードルにしましょうって。違うか。
皆様何かね、ぜひリラックスしてお飲み物飲みながらでも遊びに来てください。
さあそしてエンディングのお時間ですけども。
私冒頭でめっちゃクリスマスウキウキしながら楽しみなんですよみたいな感じで言ったと思うんですけど。
30:00
実はたいして別にそこまでクリスマスは好きではないっていう。
そうなんだ。なんでですか。
一番人生、人生っていうかクリスマス楽しそう楽しい時期じゃないですか。大学生とかどうですか。
ただなんか私イルミネーションが好きじゃなくて。
そうなんだ。
夜景は好きなんですよ。
なんか考え方変なのかもしれないですけど。
なんでわざわざ電力を使ってその人々を楽しませるためにそこに電力を使ってるんだろうって考えてしまうんですね。ひねくれてるんですけど。
いやいやいやそれはなんかほら別に変なんですよね。
なんかエコの観点からなんか別に実はそんなエコとかそういう交渉の話じゃなくて単純に。
単純にです。もうただ気持ち的に嫌だっていう。
そうなんだ。なんか嫌な思い出でもあるんですか。そういうわけじゃなくなぜかずっとそう思ってる。
なんかねあのポップな感じのイルミネーションの空気感にどうも馴染めないんですよね私。
じゃあまあ理屈はわかるんだけど。そうするとあんまり具体名出すとディスるみたいになるから言いませんけどクリスマスだけじゃなくていわゆるいろいろ建物でねイルミネーションとかこうライティングされてるものとかってめちゃくちゃあるじゃないですか。
あります。
そういうのも全部ダメってことある意味。
なんか一色の装飾なんか木とかにぐるぐるこう。
ありますね。
ああいうのは好きなんですけどただこうカラフルになると嫌になりますねなんか。
ああそうなんだ。それはなんかなんか目にチカチカしてやだとかなんかあんまりなんかそういうのでやだっていうんじゃなくてまあでもこんな電気使ってまでみたいに思うのか。
思っちゃうんです。だからそれを見てるカップルとかを見てケッとか思っちゃうんですよ。
そうなんですね。このなんか若年寄りみたいな。いや年取っても別にあんまりイルミネーション嫌いっていう人はそうですね聞いたことないんですけど。
ただまあその一色のシンプルなのがいいっていうのはそれはちょっとわかりますね。LEDとかのね青い綺麗なものでシンプルなっていうのはあるかもしれない。
そうどちらかと言うとねクリスマスよりお正月とかの方が好きだったりするんですよね。
そうなんだ。じゃあまたお正月になったらお正月話もねぜひ伺いたいと思います。
それではまた次回皆様とお目にお耳にかかれますことを楽しみにしております。ごきげんよう。
素敵なクリスマスを。
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