ということで、いよいよ本編に入ってきたんですけど、5月ですかね、リリースされたのは今年、本心。
はい。
私も早速読ませていただいたんですけど、以前、去年、まだ新聞連載陣ですね、私の方の番組で挿絵を描いてくださってた、菅美香さんにインタビューする機会があって、まだ連載中だったので、彼女からももちろんいろんな話を伺っているんですけど、
こうしてね、今完成して、私も改めて読ませていただいて、舞台が20年後の日本で、メディアが進化して、死んだ人間を仮想空間上に再現するAI技術、VF、バーチャルフィギュア。
これを主人公の昨夜がですね、自由視を希望していた母親の本心を探るために、自己死してしまった母親をVFで蘇らせると。
関係者との面会によって、自分が知らなかった母親像が徐々に明かされていくというふうに、
そういう本当のざっくり解説だと思うんですけど、この着想のきっかけと、あといつ頃、どんな感じだったんでしょうね。
いくつかの考えが合流して、それを一つでうまく表現できるものとして、バーチャルフィギュアっていうのを思いついたんですけど、
だんだん親が亡くなったり、施設に入って認知症になったりっていうようなことを経験する世代になってくると、
まず一つはね、親の認知症になったりすると、
うん。
今まで自分の記憶になる、記憶の中にある親と、自分のことさえもう認識できなくなってしまって、
突拍子もないことを喋ったりするような母親、あるいは父親との同一性の問題っていうのは、結構やっぱりみんな悩むんですよね。
同一性。
自分が知ってた親と、同期になった後の親が変わってしまうっていう。
あるいは、極右的な雑誌とか散々読んでてね、実家に帰ったら親がすごいなんか差別主義者になったとか。
ああ、はい。
だから、やっぱり生きてる人間は、自分のことを認識できなくなってしまう。
だから、やっぱり生きてる人間っていうのは、ずっとそういうふうに変化し続けていって、
うん。
自分の知ってる他者っていうのはね、必ずしも固定されてないんですよね。
はい。
でも、それがある意味では人間かなっていう気がしていて、
うん。
まあ、亡くなった人の悲しみをどういうふうに癒すかっていうときに、メディアとしては、まず肖像画っていうのが書かれていた時代があって、昔。
ああ、はい。
それから写真になって、動画になって、メディア自体の情報量が増えていくと、
うん。
次はやっぱり、インタラクションが求められるようになっていくんじゃないかっていう気がするんですよね。
うん。
今の流れからすると。
はい。
だから、会話ができるとか。
うん。
まあ、そういうふうな存在をAIで作ろうっていうのは、実際、この小説を連載してる途中も、美空ひばりをAIでよみがえらせるとか、
ああ、ありましたね。
なんか、いろいろありましたけど、
うん。
一つの発想だと思うんですよね。
はい、はい、はい。
で、そのときにでも、基本的に、で、その、それを可能にするのは一つは、今、日、その、ブログとか、
はい。
ソーシャルメディアとかで、あとメールとかで、人間が亡くなるときに膨大なライフログを残して亡くなりますから、
うん。
まあ、それを学習すれば、
はい。
かなりそれっぽいことをしゃべれる、あの、AI人間ができるんじゃないかっていうことを考えていて、
うん。
まあ、それが一つの着想になったんですけど、
はい。
その場合、やっぱり、過去は学習できますけど、未来は学習できないんですよね、AIっていうのは、当然のことながら。
そうですね。
だから、その生身の人間が、
うん。
やっぱり、こう、刻々と変化していって、こう、意外な一面を覗かせたり、昔とはもう完全に違う存在になってしまったって感じるような経験は、
はい。
AIにはないんですよね。
うん。
だから、まあ、そこのところを書いていくことで、こう、人間っていうのは何なのかっていうことを、
うん。
もう一回、問い直せるんじゃないかと思ったのが一つと、
はい。
あとは、中高年になって親を亡くすと、それはもう非常に大きなショックのはずなんですけど、
うん。
結構、社会ではその悲しみが、こう、割と大きくなってしまう。
うん。
悲しみが、こう、割と放置されてるっていうか、
ああ。
まあ、大人になって親が亡くなるっていうのはよくあることだし、
みんな経験するでしょ、みたいな。
悲しみとか孤独っていうのは癒されないまま生きてる人たちが、
はい。
まあ、結構たくさんいて、
うん。
やっぱり親が亡くなった悲しみっていうのは、こう、いくつになってもケアされるべきものなんじゃないのかなっていうふうに、
はい。
思っていたのが一つと、まあ、格差問題っていうのも考えていた中で、
うん。
まあ、シングルマザーの子供でっていう設定なんですけど、
うん。
母とかも、こう、母がいて、子がいてっていう設定でしたけど、
そうですね。
格差がどんどん拡大していって、低所得者層でシングルマザーの母親と子供の家庭だと、
まあ、とにかく労働時間がすごくもう多くて、もう会社でヘトヘトになるまで働いて、
家に帰って、もうその母と子だけで過ごすっていう時間になると、
はい。
僕の言葉で言うと、やっぱ分人がこう、親子の分人か、その職場の分人かぐらいにすごく限られてくると思うんですよね。
うん。
外で友人関係とか築こうとしても、お金も時間もないっていう。
はい。
そうすると、やっぱりこう、母子間の関係っていうのがすごく濃密になると思うんですね。
うんうんうん。
で、そういう状態で母親を亡くすと、
はい。
やっぱり一般にこう、社会的な関係がこう十分にあって、
親が亡くなって悲しいけど、友人とか恋人とかと過ごす時間の中で、少しずつ物作業が進んでいくっていう人たちと、
ちょっと違うと思うんですよね、その喪失感っていうのは。
うん。
だから、まあ、そういう主人公を設定して、
うん。
まあ、その心の悲しみを、
はい。
そのAIを通じて何とか紛らそうとするっていう物語がいいんじゃないかと。
うん。
で、その時にもう一つは、やっぱりこう、今、まあ、ちょうど最近、Facebookがメタバースとか、
ね。
いうことを言ってますけど、
今まさに。
やっぱり、過疎空間が相当充実してくると思うんですよね。
はい。
そうすると、フィジカルな世界でお金がないとか、こう、自分の容姿が不満だとか、いろんな理由で生きづらさを感じてる人たちが、
はい。
その、過疎空間に行けばすごくこう、解放されるっていうような経験をした時に、まあ、そこに入り浸るってことを、社会はもう批判できないと思うんですよね。
そう。
あそこに書いてあることがよくわかるようになったとか、まあ、2008年、9年かなぐらいですから。
うんうんうん。
今、読むとよくわかるとか。
うん。
顔印象の話とかでよく言われますけど、当時はやっぱちょっとね、なんかピンとこない人も結構多かったんですよね。
ああ。
まあ、そういう意味で言うと、社会の変化のテンポもどんどんどんどん早くなってるんで、今回は20年後ぐらいの相撲で書きましたけど、まあ、書いてる途中で、本当に書く前はね、メタバースはそんな言ってなかったんですね、一般の人たちは。
そうですよね。
うん。
だから、まあ、書きながら結構、まあ、コロナの影響もあって、その世界観がこう、近くなってきたとは思いますけど。
うん。
読者がより理解しやすくなったかなと思いましたけど、返済中に書いてる内容自体がそんなに変わるってわけではなかったですね。
うん。
今、その、まあ、主人公というか、設定の話も伺いました、まあ、昨夜のことだと思うんですけど、やっぱり何かその作品作るときに、まずどこから手をつけますか?
まあね、よくこう、作家というふうに、まあ、いろんなタイプがあると思いますけど、なんか、はっとひらめいたとかね、
うん。
いうイメージを持つ人もいるかもしれないですけど。
はい。
僕はね、話の思いつき自体はもう、日常的にあるんですよね。
うん。
こんなの面白いんじゃないかな、とか、面白いんじゃないかなっていうのは。
うん。
だけどね、その、まあ、それをいきなり飛びつくわけじゃなくて、
うん。
まあ、しばらく頭の中で転がしてると、可能性のあるものはだんだんね、あ、このテーマであの話も書けるなとか、
うん。
こう、雪だるま式にこう、膨らんでいくんですよね、最初の着想が。
はいはい。
うん。
で、その、まあ、いろんなアイディアはね、転がしてる間にだんだん摩耗してって、消えてなくなっていくっていうか、やっぱダメだなって感じがしてくるんですよね。
うんうん。
だから、頭の中でこう、一つの主題がこう、膨らんで、まあ、物語ぐらいの規模までになったときに、まあ、これで書けるかもしれないなっていうふうに予感し始めて、
うん。
僕の場合は一番重要なのは、やっぱり、クライマックスの場面を想像するってことなんですよね。
へえ。
それがこう、いろいろこう、おちゃおちゃ、
はい。
説明抜きに、その世界観っていうのをこう、凝縮して、象徴してるような。
そういうような場面っていうのが、こう、クライマックスとして、
はい。
イメージできれば、あ、これ書けるなって思うんですよね。あと、そこに向かって書いていけばいいんで。
うん。
で、その段階になって、まあ、その思い描いたイメージっていうのが、まあ、例えばマーチネのワニだったら、
うん。
もう、コンサート会場でこう、舞台に立ってる人と客席にいる女性がいて、
はい。
まあ、二人の間だけで何かこう、通じ合ってる気持ちがあるんだけど、他のお客さんは知らないっていう場面を、クライマックスの場面として思い浮かんだんですよね。
はい。
じゃあ、どうしてこの二人はそういうふうなシチュエーションでここにいるのかっていうのを、だんだんこう、遡っていくと、
うん。
物当たり全体がこう、見えてくるっていうような、
うん。
発想に近いんですよね。
ああ。
だから、まあ、今回は、あの、最後にこう、自宅でバーチャルな滝を見ながら、
うん。
お母親のことを回想して、
はい。
その母親に触れたら、バーチャルな存在なはずなのに、こう、触れることができたっていう場面が、
うん。
まあ、その、最初に思い描いたクラ、クライマックスの場面なんですよね。
あとは、
まあ、
まあ、主人公をどうするかとかっていうのは、結構、脳内オーディションみたいなのがあって、
へえ。
まあ、何歳ぐらいにしたらいいかとか、
ええ。
こう、どういう性格がいいかとかっていうのを、
うん。
やっぱりこう、一人一人、こう、どういう主人公であれば、この物当たりをこう、演じきれるかみたいなところは、結構やっぱ考えますよね。
うん。
なんか今、マチネの終わりの例を出していただきましたけど、
そうすると、いわゆる平野さんが、こう、作品で、まあ、見えたその、
うん。
まあ、クライマックスの、
うん。
イメージが、そのまま本当に、えっと、最後のクライマックスの文章、文章というか、なるかっていうのは、まあ、それは変わる可能性があるってことですよね。
いや、まあ、でも、クライマックスはもうほとんどそのままですね。
あ、そのままですか。
そこをまあ、目指して書いていくっていうか、まあ、本当のこと言うと、そこだけ書ければいいんですよね。
ただ、
ああ、なるほど。
まあ、その場面だけ書いても、何の話か分からないからっていうことで、まあ、そこの場面に至るまでに何があったのかっていうのを書くっていうのが、まあ、僕の物当たりの書き方で、
へえ。
で、それはね、必ずしもラストではなくて、
クライマックスまで行った後、まあ、ちょっと余韻を残して終わるのか、もうひと展開あるのかっていうのは、まあ、そこまで行ってからちょっと考えればいいので、終わり方っていうのは、ちょっとね、微妙にこう、書きながら考えていってるところもありますけどね。
あ、よかったですね。平野さんの説明のおかげで、僕、そう、クライマックスとラストをちょっと今、混ざってたので、あの、平野さんがそう、あの、この本心でおっしゃってたクライマックスは、じゃあ、そこだったんですね。
うん、うん、そうですね。
それとラストっていうのは、またゲミツと違うんですね。
ラストはちょっと違いますね。もうちょっと余韻持たせてとか。
はい、はい、はい。
あの、まあ、もっと、もっと面白くするとかね、まあ、いろいろあると思いますけど。
まあ、僕、今回もですし、前回のマチネの終わりの時もそうですし、まあ、他の作品も読ませていただいて、やっぱり、まあ、今のクライマックスっていう意味でもそうですし、ずっと、まあ、ラストなんかも読んでると、やっぱりとにかく、ビジュアルが湧くんですよね。
まあ、小説ってもちろん、そう、ある意味、逆に資格がないので、そういうものかもしれないですけど、今回、改めて、日食を読ませていただいて、その周りのインタビューも、結構、前にもいろいろ。
うん。
見たんですけど、文系春秋の中で、その受賞インタビューを拝見したときに、ちょっとマニアックですみません、あれなんですけど、日食はまずデッサンを描きましたっておっしゃってたんですよ。
で、やっぱりね、平野さんっていうと、絵が好き。この間の3年前に近かったルーブル美術館の歩き方のウェブ版。何かを着想するときって、ちょっと逆説的ですけど、平野さんって文字じゃなくて、やっぱり、まずビジュアルなのかなって思ったんですけど。
ビジュアルっていうか、やっぱり、その、一つの世界ですよね。
うん。
だから、それはもう、五感全部が感じとるような。
そっか。
はい。
だから、やっぱりね、描写っていうのは、五感が効果的に、その場にいるように、こう、活性化されると、リアリティを感じるんですよね。
だから、例えばですけど、こう、結界とかで、子供がスイミングスクールに通ってる場面とかも描いたんですけど、スイミングスクールの場面を、やっぱりこう、ビジュアル専攻で描くとね、あんまり伝わってこないんですよね。
だけど、独特の塩素の匂いとか。
ああ。
外界、外に比べて、こう、ムッとちょっと、こう、気温が高くなってるとか、温度高く設定してある、あの、湿度の高い、こう、ムッとする感じとか。
はい。
コーチの声が、こう、すごく反響してるとか。
うん。
そういう、こう、五感の情報を、こう、うまく入れていくと、やっぱり、読者は臨場感を感じるんですよね。
だから、そこが抜けてるとね、プールの場面とか描いてもね。
はい。
こう、プールっぽくなるんですよね。
ああ。
だから、もちろん人間は、やっぱり、視覚変調の動物なんで、基本的には、こう、見えてる光景ですけど、まあ、それより、こう、自分の身体を通じて、その場所にいるっていうようなことを、こう、リアルに自分が感じ取るっていうのが、描写の上では重要かなと思うんですね。
今の話がかかってると、平野さんが、そうやって、普段感じられてることを、この本心の中で、宇宙の発生から、何億年も体感するみたいな。
はい。
そういう意味では、平野さんの、普段の、ある意味、なんとなく感じてるのを、追体験したような感じしますね。
そうですね。あれは、なんか、小説ない小説じゃないですけど、フィクションの中のフィクションっていうか、まあ、ああいう体験が、バーチャル空間では、今でも、もうすでにね、ちょっと似たようなサービスありますけど。
はい。
あとはね、技術的な意味で言うとね、ちょっと話はそれますけど。
ええ。
小説の中のね、その非日常の世界を、どういうふうに、こう、に、こう、実現できる。
はい。
まあ、そういうふうに、イマジネーションを膨らませていくかっていうときに。
はい。
かなりちょっと、小説が枯渇してきてたところがあったと思うんですよね。
うん。
現実っていうのがあって。
はい。
まあ、なんか、神話っていうものを導入するっていうのはね、マジックリアリズムとかのことで流行りましたし、もっとその前は、外国っていうのはね、情報があんまりなかったから、ある意味、好き勝手書いていくようなところもあったんで。
はい。
カフカのアメリカとか、まあ、そういうふうに、まああるいは、オリエンタリズムって批判されるような、あの、書き方のものもありますけど。
うん。
あと、それから夢とかですね。
はいはいはい。
まあ、外国に関しては、もう、ネットを通じて情報があふれかえってるんで、すごく現実になっちゃって、あんまり好き勝手なことも書けなくなったし。
そうですね。
夢もね、夢はみんな、夢だからいいと思って好き勝手書いてますけど。
はい。
結構、メカニズムがわかってきたんで、本当言うと、こんな夢見るはずないっていう夢、いっぱいあるんですよね、小説の中とか。
ああ。
まああと、神話っていうのもね、割と、一所ずっとそれみんな取り組んでやったけど。
ありましたね。
まあ、ある程度やり尽くしたところもあってっていう中で。
うん。
バーチャル空間っていうのは、やっぱりこう、小説の場面展開の中で、まったくこう、ちょっとずーっと現実の描写が続いてだれてきたなっていうときにこう、一瞬のうちにこう、場面を転換させる、すごく新しい要素になってくると思いますよね、小説の中では。
うんうん。
だから、小説的な意味でも、バーチャル空間の導入っていうのは、結構、今後活発になっていくんじゃないかなっていう気はしてるんですけどね。
今、まあその社会と人の心っていうところで、またこれちょっと逆説的かわかんないですけど、思ったんですけど、なんか今の本誌の話聞いてると、