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2021-12-21

【著者の声 #1】『本心』 平野啓一郎さん(小説家)(大人の放課後ラジオ)

【著者の声シリーズ】
人生を豊かにする一冊を書いた著者のお話を届けることで、
ひとりでも多くの人にほんと著者の方の魅力を知ってもらいたい。
そして本の世界を元気にしたい......

石田衣良と編集部の思いから立ち上がったプロジェクトです。

【平野啓一郎さんへのインタビューフル版はこちら】
〈12月21日(火)公開〉Talk.1|だれに向けて小説を書くか?
https://youtu.be/4HeFZNDi1Eo
〈12月24日(金)公開〉Talk.2| 作品が生まれるプロセス
https://youtu.be/pXPuSiwZbkQ
〈12月28日(火)公開〉Talk.3| 最も影響を受けた作品
https://youtu.be/sx2_ufb--cE
〈12月31日(金)公開〉Talk.4| 小説を書く=○○を創ること
https://youtu.be/Ii2SSV-8f4M
平野啓一郎さんへのインタビュー再生リスト|
https://bit.ly/31VBdXo

『本心』https://amzn.to/31OGdxm

【平野啓一郎プロフィール】
ひらの・けいいちろう/1975年、愛知県生まれ。
北九州市出身。 99年、京都大学法学部在学中に投稿した『日蝕』により芥川龍之介賞受賞。 以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。 2020年からは芥川賞選考委員。 主な著書は、小説では『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』 『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞) 『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』、 エッセイ・対談集に『考える葦』『私とは何か  「個人」から「分人」へ』 『「生命力」の行方 変わりゆく世界と分人主義』『「カッコいい」とは何か』などがある。 16年刊行の長編小説『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)は累計 58万部を超えるロングセラーとなり19年に映画化。 18年に発表した『ある男』で読売文学賞を受賞。
https://k-hirano.com/

平野啓一郎さんのオンライン読書会「文学の森」
https://bungakunomori.k-hirano.com/

【早川洋平】
はやかわ・ようへい/プロインタビュアー。キクタス株式会社代表。羽生結弦、よしもとばなな、横尾忠則らトップランナーから戦争体験者までジャンルを超えてインタビュー。声のメディア(Podcast)のプロデュースにも注力し、手がけた番組の累計ダウンロードは 2億6千万回を超える。『横浜美術館「ラジオ美術館」』『多摩大チャンネル』などプロデュース多数。
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00:10
ということで、いよいよ本編に入ってきたんですけど、5月ですかね、リリースされたのは今年、本心。
はい。
私も早速読ませていただいたんですけど、以前、去年、まだ新聞連載陣ですね、私の方の番組で挿絵を描いてくださってた、菅美香さんにインタビューする機会があって、まだ連載中だったので、彼女からももちろんいろんな話を伺っているんですけど、
こうしてね、今完成して、私も改めて読ませていただいて、舞台が20年後の日本で、メディアが進化して、死んだ人間を仮想空間上に再現するAI技術、VF、バーチャルフィギュア。
これを主人公の昨夜がですね、自由視を希望していた母親の本心を探るために、自己死してしまった母親をVFで蘇らせると。
関係者との面会によって、自分が知らなかった母親像が徐々に明かされていくというふうに、
そういう本当のざっくり解説だと思うんですけど、この着想のきっかけと、あといつ頃、どんな感じだったんでしょうね。
いくつかの考えが合流して、それを一つでうまく表現できるものとして、バーチャルフィギュアっていうのを思いついたんですけど、
だんだん親が亡くなったり、施設に入って認知症になったりっていうようなことを経験する世代になってくると、
まず一つはね、親の認知症になったりすると、
うん。
今まで自分の記憶になる、記憶の中にある親と、自分のことさえもう認識できなくなってしまって、
突拍子もないことを喋ったりするような母親、あるいは父親との同一性の問題っていうのは、結構やっぱりみんな悩むんですよね。
同一性。
自分が知ってた親と、同期になった後の親が変わってしまうっていう。
あるいは、極右的な雑誌とか散々読んでてね、実家に帰ったら親がすごいなんか差別主義者になったとか。
ああ、はい。
だから、やっぱり生きてる人間は、自分のことを認識できなくなってしまう。
だから、やっぱり生きてる人間っていうのは、ずっとそういうふうに変化し続けていって、
うん。
自分の知ってる他者っていうのはね、必ずしも固定されてないんですよね。
はい。
でも、それがある意味では人間かなっていう気がしていて、
うん。
まあ、亡くなった人の悲しみをどういうふうに癒すかっていうときに、メディアとしては、まず肖像画っていうのが書かれていた時代があって、昔。
ああ、はい。
それから写真になって、動画になって、メディア自体の情報量が増えていくと、
うん。
次はやっぱり、インタラクションが求められるようになっていくんじゃないかっていう気がするんですよね。
うん。
今の流れからすると。
はい。
だから、会話ができるとか。
うん。
まあ、そういうふうな存在をAIで作ろうっていうのは、実際、この小説を連載してる途中も、美空ひばりをAIでよみがえらせるとか、
ああ、ありましたね。
なんか、いろいろありましたけど、
うん。
一つの発想だと思うんですよね。
はい、はい、はい。
で、そのときにでも、基本的に、で、その、それを可能にするのは一つは、今、日、その、ブログとか、
03:01
はい。
ソーシャルメディアとかで、あとメールとかで、人間が亡くなるときに膨大なライフログを残して亡くなりますから、
うん。
まあ、それを学習すれば、
はい。
かなりそれっぽいことをしゃべれる、あの、AI人間ができるんじゃないかっていうことを考えていて、
うん。
まあ、それが一つの着想になったんですけど、
はい。
その場合、やっぱり、過去は学習できますけど、未来は学習できないんですよね、AIっていうのは、当然のことながら。
そうですね。
だから、その生身の人間が、
うん。
やっぱり、こう、刻々と変化していって、こう、意外な一面を覗かせたり、昔とはもう完全に違う存在になってしまったって感じるような経験は、
はい。
AIにはないんですよね。
うん。
だから、まあ、そこのところを書いていくことで、こう、人間っていうのは何なのかっていうことを、
うん。
もう一回、問い直せるんじゃないかと思ったのが一つと、
はい。
あとは、中高年になって親を亡くすと、それはもう非常に大きなショックのはずなんですけど、
うん。
結構、社会ではその悲しみが、こう、割と大きくなってしまう。
うん。
悲しみが、こう、割と放置されてるっていうか、
ああ。
まあ、大人になって親が亡くなるっていうのはよくあることだし、
みんな経験するでしょ、みたいな。
悲しみとか孤独っていうのは癒されないまま生きてる人たちが、
はい。
まあ、結構たくさんいて、
うん。
やっぱり親が亡くなった悲しみっていうのは、こう、いくつになってもケアされるべきものなんじゃないのかなっていうふうに、
はい。
思っていたのが一つと、まあ、格差問題っていうのも考えていた中で、
うん。
まあ、シングルマザーの子供でっていう設定なんですけど、
うん。
母とかも、こう、母がいて、子がいてっていう設定でしたけど、
そうですね。
格差がどんどん拡大していって、低所得者層でシングルマザーの母親と子供の家庭だと、
まあ、とにかく労働時間がすごくもう多くて、もう会社でヘトヘトになるまで働いて、
家に帰って、もうその母と子だけで過ごすっていう時間になると、
はい。
僕の言葉で言うと、やっぱ分人がこう、親子の分人か、その職場の分人かぐらいにすごく限られてくると思うんですよね。
うん。
外で友人関係とか築こうとしても、お金も時間もないっていう。
はい。
そうすると、やっぱりこう、母子間の関係っていうのがすごく濃密になると思うんですね。
うんうんうん。
で、そういう状態で母親を亡くすと、
はい。
やっぱり一般にこう、社会的な関係がこう十分にあって、
親が亡くなって悲しいけど、友人とか恋人とかと過ごす時間の中で、少しずつ物作業が進んでいくっていう人たちと、
ちょっと違うと思うんですよね、その喪失感っていうのは。
うん。
だから、まあ、そういう主人公を設定して、
うん。
まあ、その心の悲しみを、
はい。
そのAIを通じて何とか紛らそうとするっていう物語がいいんじゃないかと。
うん。
で、その時にもう一つは、やっぱりこう、今、まあ、ちょうど最近、Facebookがメタバースとか、
ね。
いうことを言ってますけど、
今まさに。
やっぱり、過疎空間が相当充実してくると思うんですよね。
はい。
そうすると、フィジカルな世界でお金がないとか、こう、自分の容姿が不満だとか、いろんな理由で生きづらさを感じてる人たちが、
はい。
その、過疎空間に行けばすごくこう、解放されるっていうような経験をした時に、まあ、そこに入り浸るってことを、社会はもう批判できないと思うんですよね。
06:04
うん。
もう、その、不健全だとか何とかっていう。
よしよしは別にして、はい。
うん。で、特にね、何かの喪失感とかこう、現実が苦しいとかっていうことで、
はい。
過疎空間の中だけで慰められるっていうような。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
慰められるっていうような人たちを、
うん。
うん。
リア充の立場からね、そんなのは本当の世界じゃないとか、人間関係じゃないとかって批判するってことは、やっぱり、それ自体は厳しく批判されていくんじゃないかと思うんですね。
ああ。
そうした中で、まあ、お母さんがいるんであれば、もちろんお母さんとの人間的な関係を大事にしたいけど、もうなくしてしまったから、そのバーチャルなお母さんとの関係をよりどころに生きていくっていう人がいた時に、
はい。
まだ親も元気でっていうような人たちが、
うん。
本当の人間関係じゃないとかって否定するっていうこともできないんじゃないかなっていうふうに思ったんですね。
うん。
だから、まあ、そういうふうにこう、フィジカルな、
はい。
こう、人間との関係性がなんか壊れてしまったり、
うん。
それがこう、に満たされてないとか、失われてしまった人が、
うん。
バーチャルな関係性を心の支えにしながら生きていくっていう世界が、もうすぐそこまで来てるんじゃないかなと思いながら、でもやっぱりリアルな人は、
それもやっぱりリアルな人、人間そのものにはならないっていう中で、まあ、人間の心っていうのはどういうふうになるのかっていうことを書きたかったんです。
うん。
なるほど。ありがとうございます。
やっぱり、今ちょうど5年前のお話、こないだも改めて個人的に聞かせていただいて、なんか思い出したんですけど、やっぱり平野さんという小説家なのか小説家という仕事が、まあ、両方持ってるのかもしれない。
うん。
やっぱり、えーと、今までも例えば、えーと、東日本大震災とか、
うん。
要はご自身が、まあ、先にある意味書いてしまったというか、
はい。
予見みたいなところで、まあ、ある意味ね、辛いみたいなところもあるっていうようにおっしゃってるところもあると思うんですけど、まあ、今回もこう、書きながら、まあ、当然2年ぐらい前からも、まあ、メタバースという言葉がこんなに出てたかは別ですけど、いわゆるこういうバーチャルな話出てましたけど、まあ、その途中で当然コロナがあって一気にDXみたいな話ありましたけど、えーと、新聞冷裁自体はコロナの前ぐらいかな。
そうですね。コロナの前、えーとね、コロナの前からですね。
ですよね。僕、去年3月にカンミカさんに会わせてた時、まだ連載中で。
そうです。コロナの前からで、書いてる途中にコロナになったんです。
うん。
あの、執筆中にコロナが起きて、何か直接作品に関係あるかっていうと、意外とそうでもないっておっしゃってたように、僕が見た記事だとあったんですけど、やっぱり、それは平野さん、そういう感じじゃないですかね。まあ、そういう意味ではさっ、先ほどの話じゃないですけど、どっちかというと先にちょっと、まあ、予見してるようなところもあるから、あんまり実際現実がどうこうとか、影響を受けたとか。
うん。
あの、現実が起こることであっという間にこう古びてしまうっていうのはね、やっぱり作家の世界観はちょっとやっぱりこう、貧しいんだと思いますね。
貧しい。
だから、まあ、特にある程度未来を予見しながら、僕なんか小説書いてますから、それがどれぐらいでこう、僕の書いてる世界にこう、近くなってくるのかっていうのはね、ドーンとかやっぱ10年ぐらい経って、
09:11
そう。
あそこに書いてあることがよくわかるようになったとか、まあ、2008年、9年かなぐらいですから。
うんうんうん。
今、読むとよくわかるとか。
うん。
顔印象の話とかでよく言われますけど、当時はやっぱちょっとね、なんかピンとこない人も結構多かったんですよね。
ああ。
まあ、そういう意味で言うと、社会の変化のテンポもどんどんどんどん早くなってるんで、今回は20年後ぐらいの相撲で書きましたけど、まあ、書いてる途中で、本当に書く前はね、メタバースはそんな言ってなかったんですね、一般の人たちは。
そうですよね。
うん。
だから、まあ、書きながら結構、まあ、コロナの影響もあって、その世界観がこう、近くなってきたとは思いますけど。
うん。
読者がより理解しやすくなったかなと思いましたけど、返済中に書いてる内容自体がそんなに変わるってわけではなかったですね。
うん。
今、その、まあ、主人公というか、設定の話も伺いました、まあ、昨夜のことだと思うんですけど、やっぱり何かその作品作るときに、まずどこから手をつけますか?
まあね、よくこう、作家というふうに、まあ、いろんなタイプがあると思いますけど、なんか、はっとひらめいたとかね、
うん。
いうイメージを持つ人もいるかもしれないですけど。
はい。
僕はね、話の思いつき自体はもう、日常的にあるんですよね。
うん。
こんなの面白いんじゃないかな、とか、面白いんじゃないかなっていうのは。
うん。
だけどね、その、まあ、それをいきなり飛びつくわけじゃなくて、
うん。
まあ、しばらく頭の中で転がしてると、可能性のあるものはだんだんね、あ、このテーマであの話も書けるなとか、
うん。
こう、雪だるま式にこう、膨らんでいくんですよね、最初の着想が。
はいはい。
うん。
で、その、まあ、いろんなアイディアはね、転がしてる間にだんだん摩耗してって、消えてなくなっていくっていうか、やっぱダメだなって感じがしてくるんですよね。
うんうん。
だから、頭の中でこう、一つの主題がこう、膨らんで、まあ、物語ぐらいの規模までになったときに、まあ、これで書けるかもしれないなっていうふうに予感し始めて、
うん。
僕の場合は一番重要なのは、やっぱり、クライマックスの場面を想像するってことなんですよね。
へえ。
それがこう、いろいろこう、おちゃおちゃ、
はい。
説明抜きに、その世界観っていうのをこう、凝縮して、象徴してるような。
そういうような場面っていうのが、こう、クライマックスとして、
はい。
イメージできれば、あ、これ書けるなって思うんですよね。あと、そこに向かって書いていけばいいんで。
うん。
で、その段階になって、まあ、その思い描いたイメージっていうのが、まあ、例えばマーチネのワニだったら、
うん。
もう、コンサート会場でこう、舞台に立ってる人と客席にいる女性がいて、
はい。
まあ、二人の間だけで何かこう、通じ合ってる気持ちがあるんだけど、他のお客さんは知らないっていう場面を、クライマックスの場面として思い浮かんだんですよね。
はい。
じゃあ、どうしてこの二人はそういうふうなシチュエーションでここにいるのかっていうのを、だんだんこう、遡っていくと、
うん。
物当たり全体がこう、見えてくるっていうような、
うん。
発想に近いんですよね。
ああ。
だから、まあ、今回は、あの、最後にこう、自宅でバーチャルな滝を見ながら、
うん。
お母親のことを回想して、
はい。
12:00
その母親に触れたら、バーチャルな存在なはずなのに、こう、触れることができたっていう場面が、
うん。
まあ、その、最初に思い描いたクラ、クライマックスの場面なんですよね。
あとは、
まあ、
まあ、主人公をどうするかとかっていうのは、結構、脳内オーディションみたいなのがあって、
へえ。
まあ、何歳ぐらいにしたらいいかとか、
ええ。
こう、どういう性格がいいかとかっていうのを、
うん。
やっぱりこう、一人一人、こう、どういう主人公であれば、この物当たりをこう、演じきれるかみたいなところは、結構やっぱ考えますよね。
うん。
なんか今、マチネの終わりの例を出していただきましたけど、
そうすると、いわゆる平野さんが、こう、作品で、まあ、見えたその、
うん。
まあ、クライマックスの、
うん。
イメージが、そのまま本当に、えっと、最後のクライマックスの文章、文章というか、なるかっていうのは、まあ、それは変わる可能性があるってことですよね。
いや、まあ、でも、クライマックスはもうほとんどそのままですね。
あ、そのままですか。
そこをまあ、目指して書いていくっていうか、まあ、本当のこと言うと、そこだけ書ければいいんですよね。
ただ、
ああ、なるほど。
まあ、その場面だけ書いても、何の話か分からないからっていうことで、まあ、そこの場面に至るまでに何があったのかっていうのを書くっていうのが、まあ、僕の物当たりの書き方で、
へえ。
で、それはね、必ずしもラストではなくて、
クライマックスまで行った後、まあ、ちょっと余韻を残して終わるのか、もうひと展開あるのかっていうのは、まあ、そこまで行ってからちょっと考えればいいので、終わり方っていうのは、ちょっとね、微妙にこう、書きながら考えていってるところもありますけどね。
あ、よかったですね。平野さんの説明のおかげで、僕、そう、クライマックスとラストをちょっと今、混ざってたので、あの、平野さんがそう、あの、この本心でおっしゃってたクライマックスは、じゃあ、そこだったんですね。
うん、うん、そうですね。
それとラストっていうのは、またゲミツと違うんですね。
ラストはちょっと違いますね。もうちょっと余韻持たせてとか。
はい、はい、はい。
あの、まあ、もっと、もっと面白くするとかね、まあ、いろいろあると思いますけど。
まあ、僕、今回もですし、前回のマチネの終わりの時もそうですし、まあ、他の作品も読ませていただいて、やっぱり、まあ、今のクライマックスっていう意味でもそうですし、ずっと、まあ、ラストなんかも読んでると、やっぱりとにかく、ビジュアルが湧くんですよね。
まあ、小説ってもちろん、そう、ある意味、逆に資格がないので、そういうものかもしれないですけど、今回、改めて、日食を読ませていただいて、その周りのインタビューも、結構、前にもいろいろ。
うん。
見たんですけど、文系春秋の中で、その受賞インタビューを拝見したときに、ちょっとマニアックですみません、あれなんですけど、日食はまずデッサンを描きましたっておっしゃってたんですよ。
で、やっぱりね、平野さんっていうと、絵が好き。この間の3年前に近かったルーブル美術館の歩き方のウェブ版。何かを着想するときって、ちょっと逆説的ですけど、平野さんって文字じゃなくて、やっぱり、まずビジュアルなのかなって思ったんですけど。
ビジュアルっていうか、やっぱり、その、一つの世界ですよね。
うん。
だから、それはもう、五感全部が感じとるような。
そっか。
はい。
だから、やっぱりね、描写っていうのは、五感が効果的に、その場にいるように、こう、活性化されると、リアリティを感じるんですよね。
だから、例えばですけど、こう、結界とかで、子供がスイミングスクールに通ってる場面とかも描いたんですけど、スイミングスクールの場面を、やっぱりこう、ビジュアル専攻で描くとね、あんまり伝わってこないんですよね。
15:07
だけど、独特の塩素の匂いとか。
ああ。
外界、外に比べて、こう、ムッとちょっと、こう、気温が高くなってるとか、温度高く設定してある、あの、湿度の高い、こう、ムッとする感じとか。
はい。
コーチの声が、こう、すごく反響してるとか。
うん。
そういう、こう、五感の情報を、こう、うまく入れていくと、やっぱり、読者は臨場感を感じるんですよね。
だから、そこが抜けてるとね、プールの場面とか描いてもね。
はい。
こう、プールっぽくなるんですよね。
ああ。
だから、もちろん人間は、やっぱり、視覚変調の動物なんで、基本的には、こう、見えてる光景ですけど、まあ、それより、こう、自分の身体を通じて、その場所にいるっていうようなことを、こう、リアルに自分が感じ取るっていうのが、描写の上では重要かなと思うんですね。
今の話がかかってると、平野さんが、そうやって、普段感じられてることを、この本心の中で、宇宙の発生から、何億年も体感するみたいな。
はい。
そういう意味では、平野さんの、普段の、ある意味、なんとなく感じてるのを、追体験したような感じしますね。
そうですね。あれは、なんか、小説ない小説じゃないですけど、フィクションの中のフィクションっていうか、まあ、ああいう体験が、バーチャル空間では、今でも、もうすでにね、ちょっと似たようなサービスありますけど。
はい。
あとはね、技術的な意味で言うとね、ちょっと話はそれますけど。
ええ。
小説の中のね、その非日常の世界を、どういうふうに、こう、に、こう、実現できる。
はい。
まあ、そういうふうに、イマジネーションを膨らませていくかっていうときに。
はい。
かなりちょっと、小説が枯渇してきてたところがあったと思うんですよね。
うん。
現実っていうのがあって。
はい。
まあ、なんか、神話っていうものを導入するっていうのはね、マジックリアリズムとかのことで流行りましたし、もっとその前は、外国っていうのはね、情報があんまりなかったから、ある意味、好き勝手書いていくようなところもあったんで。
はい。
カフカのアメリカとか、まあ、そういうふうに、まああるいは、オリエンタリズムって批判されるような、あの、書き方のものもありますけど。
うん。
あと、それから夢とかですね。
はいはいはい。
まあ、外国に関しては、もう、ネットを通じて情報があふれかえってるんで、すごく現実になっちゃって、あんまり好き勝手なことも書けなくなったし。
そうですね。
夢もね、夢はみんな、夢だからいいと思って好き勝手書いてますけど。
はい。
結構、メカニズムがわかってきたんで、本当言うと、こんな夢見るはずないっていう夢、いっぱいあるんですよね、小説の中とか。
ああ。
まああと、神話っていうのもね、割と、一所ずっとそれみんな取り組んでやったけど。
ありましたね。
まあ、ある程度やり尽くしたところもあってっていう中で。
うん。
バーチャル空間っていうのは、やっぱりこう、小説の場面展開の中で、まったくこう、ちょっとずーっと現実の描写が続いてだれてきたなっていうときにこう、一瞬のうちにこう、場面を転換させる、すごく新しい要素になってくると思いますよね、小説の中では。
うんうん。
だから、小説的な意味でも、バーチャル空間の導入っていうのは、結構、今後活発になっていくんじゃないかなっていう気はしてるんですけどね。
今、まあその社会と人の心っていうところで、またこれちょっと逆説的かわかんないですけど、思ったんですけど、なんか今の本誌の話聞いてると、
18:04
うん。
まあそのケースバイケースだと思うんですけど、ひょっとしたらとにかく自分が本心だと思ってるものも、全然本心ですらなかったりとか、危うかったり、つまり社会のいろんなことでどうにでも変わることもいっぱいあるのかなって思うんですよね。
そうすると、そもそも本心っていうものなんてあるんだ、まああのね、文人の考え方で自分探しがある意味終わったようなところがあるんですけど、本心探しっていうのもまたどうなんだろうみたいな。
やっぱり、すごく揺らぐものですよね、時間の中で。
そうですね、時間の中でも。昨日はそう思ったけど、よくよく考えたらやっぱり違うとか、まああの時はいいと思ったけど、もっと何年も経って振り返ったら、あれはやっぱり騙されたとか。
はい。
だから本心ってやっぱりなかなか難しいことですよね。
で、一つ頼りにしてるのは、やっぱりこう、フィジカルな、身体的な感覚だと思うんですよ。
ああ。
なんとなくこう、胸の辺りがモヤモヤ嫌な気持ちがしながら。
はい。
まあ、分かりましたっていうときはね、やっぱりそのモヤモヤした感じっていうのは、やっぱり自分は本当は本心じゃないんじゃないかっていうふうに思うし。
確かに。
すごくこう、元気でこう、前向きな気持ちになって、分かりましたって言ったときは、自分でも本心だっていうふうに納得してるっていう。
はい。
だけどそういう意味で言うとね、やっぱりそのフィジカルな感覚っていうのは根本になってる以上、そのバーチャルな存在の本心っていったときにね、それがなかなかやっぱり、そのAIはもう単にパターン通り喋ってるだけだから。
はい。
そういう自覚もないし。
確かに。
っていうようなところにもちょっとこう繋がってる話だと思うんですよね。
でもよく言いますよね、それこそ日本人は知ってたんじゃないかじゃないですけど、その心のときにやっぱりね、腹が立つとか、腹で決めるとかね。
だからやっぱり心って実は心臓じゃなくて、まあいろんな説ありますけどね、腹とか腸内環境ありますよね、今。
まあね、腸を重視する人はね、結構いますよね。
うんうんうん。
ガッツですからね。
そうそうそう。
そうなんですよね。
だからなんか今の仕事ってすごく。
それこそ腑に落ちたんですけど、文字通り。
さっきね、自然史のキーワードも出てきましたけど、自然史は新聞連載時から自由史に変えてますけど、それ以外にいわゆる新聞連載からこの本になるときに、過筆修正した具体的な表現でもいいですし、なんかもうちょっと大きなところで何か変えてることってあるんですか。
まあ多少ちょっとカットした場面とかいくつかありますけど、まあその大きな場面じゃなくてちょっとしたところとか。
うんうんうん。
まあ全体的に、やっぱり新聞ってね、1000文字ずつぐらいなんですね、1回。
はいはい。
そうするとその中で、ちょっと改めて説明しとかないといけないこととか、いろいろあったりするんで、単行本にしたときはやっぱりね、ちょっとこう、単行本の本で読むときのペースと、1日1000字ずつぐらい読むときのペースっていうのは違うんですよね。
はいはい。
だからそのテンポ感とかを整え直して、若干ここを短くして、ここをボリューム出してみたいなことは。
21:00
うんうん。
調整しましたけど。
うんうん。
まあ一番大きなのがその今言われた、自由史っていう言葉に置き換えたっていうことぐらいですかね。
あ、やっぱりそうですね。
ちょっと沈む話ではありますけど、まあ全体的なそのこれからっていうところで、まず作品としてのやっぱりこれから、第5期、次回作、なんかそろそろ構想されてるのかなとか、やっぱりコロナと何か、コロナ後の話なのかなとか、なんか今お話できる範囲ですけど、どういう感じなんでしょうね。
まあ僕はこう、新しいシリーズ始める前はちょっと短編を。
はい。
ちょっと短編を書くんですよね。
はい。
短編の中でいろいろ考えたことが、その次の展開につながっていくことがあるんで。
はい。
今年から来年にかけては、その三島駅オーロンの仕上げるのと並行して、ちょっと短編を書きたいなと思っているんですよね。
はいはいはいはい。
その後にまたちょっと長編かなっていう感じですかね。
うんうん。
今日のお話でいくと、あのあれですよね。こう頭の中にはなんか、あるんですよね、いくつか。
そうですね。ただ、コロナとどう向き合っていくのかっていうのは、やっぱりちょっとこの先10年ぐらいのサッカー活動にみんな大きな影を落とすと思いますけどね。
はい。
感染症の流行自体は、どっかの段階で終わると思いますけど、そのダメージを受けた人たちは相当社会にたくさんいるので、やっぱりそのテーマにかかるざるを得ないっていうところはありますけど。
うん。
まあコロナにうんざりしてるってとこもちょっとみんなずらしい。
いや、本当です。
どういうふうにサッカーを取り組んでいくのかっていうのは、ちょっと僕自身も明確じゃないところもありますね。
うん。
やっぱり平野さんの今回の本心とか、最近の作品もいろいろやっぱりもう1回読ませていただいて、とにかく独語感がやっぱりすごくいいなっていう、なんかすごく明るくなるっていうのとちょっと意味が違うんですね。
ちょっと意味が違うんですけど、まあいろいろあるけどやっぱり、まあ本当に今もね、この先日本どうなんだとかありますけど、まあ捨てたもんじゃないまで言い切らないけど、でも、まあなんか光があるかな、ちょっと頑張ってみるかみたいな感じをいつも僕は受けるんですけど、やっぱり小説家の方によってはね、別に言いたいことなんてねえよとか、まあちょっと余るじゃなくて言う方もいますけど、平野さんはなんかそういうのやっぱり書くことで何かを伝えたいとか。
うん。
まあもしくは、ちょっとわかんないですけど、何かあるんですか、その。
初期の3部作とかやっぱりこう、美的にいい終わり方っていうのを意識してましたし、ただまあ結界っていう小説でやっぱりこう、あまりにも希望がなくて、こうどうやって生きていっていいのかわからなくなったってことは随分と読者に言われて、で、読者に言われただけじゃなくて、やっぱり僕自身も本当にこう、ニヒリズムを徹底して書いて、
書いたんで、やっぱり結構ね、自分で書いてっていうのもおかしいけど、こう、すごく精神的なダメージを負ったんですよ。
24:04
結界したんですね。
で、ちょっとね、その後の第3期の仕事は僕自身のこう、立ち直っていくプロセスみたいなところもあるんですよね。
あ、そうなんですね。
うん。まあ、文人主義っていうアイディアもその一つですし、そういう中でね、やっぱり自分の小説の終わり方っていうのをちょっと考えるようになったところはありますね。
うん。
そこになっていってるんで、そういう中で今人が読むっていうときに、どういう終わり方なのかっていうのは、ただあんまり取ってつけたみたいなハッピーエンドですけども、読者もその、ちょっとしらけるっていうか置いていかれるっていうか、なんだこれってなっちゃうんで、非常にこう、微妙なさじ加減みたいな話ですけどね。
でもまあ、今読むならっていうようなことはちょっと意識しながら考えますね、今終わり方を。
うん。
でもそういう意味ではこう、ね、そのある。
そういうところが、その20万も突破って話もありましたし、その何万人に向けて書くかとか、なんかそういったことを多分意識されてるとおっしゃってましたけど、そういう意味ではより、今まではね、まあ小説、一緒のうち何回かしかみたいな人もたくさんいると思うんですけど、なんかより多くの人にこの小説の、なんかね、持つ力とか価値って増すと思うし、平野さん的にはどうですか、その、やっぱりより多くの人に読んでもらう、まあ僕としては、なんかそういう価値というか、
うん、まあだから海外の作家とか見てもね、フランスのウェルベックとかイギリスのマキュアンとかカズイシグロとかみたいに、いわゆる純文学作家として非常に高く評価されつつ、10万部単位で国内でも読まれてるっていう作家たちがいて、僕は自分の仕事としてはなんかそういう仕事の仕方をしたいなっていうふうに、やっぱある時期からの応援になったんですよね。
うん。
それぞれの人が書いてる作品が好きかどうかってのがあったんですけど、ちょっと別の話として。
うん。
最初に言ったような、希望感。
で、まあ何万人って人に読んでもらう、まずは読んでもらいたいなと思って書いてますよね。

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