1. Image Cast - 技術・デザイン・制作・表現の雑談
  2. #29 糸井重里さんと、ニヤニヤ..

ほぼ日の糸井重里さんをゲストに、ニヤニヤするしかないこと、他人を巻き込んだ作家活動としてのビジネス、糸井さんが今どハマりしてるオードリー・タンのすごさ、技術と人間社会について、自分の言葉が残り続けていくことの怖さとどう向き合うかについて話しました。

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オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る | オードリー・タン

ほぼ日の學校 

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最近、わくかどうかわからないですけど、味わいたいという気持ちよりも、理解したいの方が重視されているというのはちょっと感じる気がします。
でも自分もそうだなと思いながら、コーヒーは何々さんのどこどここうやっているのがうまいんだよって言って、そうじゃなくてそのコーヒーが美味しいかどうかを自分は味わえてないかもしれないということに途中で気づいたり
というのは至る所であるんだろうなというか、思いますね。不安に。その意味では自己反省というか、自分はそれを楽しめているかなという目線は持っていきたい。
凍るさいことを言っている時に、僕なんかも年寄りだから一番そこを防ぐ秘訣はあってさ、自分が凍るさいことを言っている時はニヤニヤするんだよ。大したことじゃねえなっていうふうに思って。
まさしくコーヒーの世界はそれですよね。そうですね。コーヒーとオーディオもそうだなと思って。オーディオもそうか。なんかそういう、すごく突き刺さる言葉です。
コーヒーだと、コーヒーうるさく言えばいくらでも言えて、そうかもしれないって共感できる要素がいっぱいあるんですよ。
最近だと、なんだっけ、僕はコーヒーすっかりグルっと回って、何回も回って飽きちゃって、インスタントでいいよとか言ってて、また最近戻ってきてる人なんだけど。
もうみんながこなまいってたこと言ってて、高いコーヒーとかあって、芸者がどうだって言ってるけど、ついこの間までは、紅茶とか入れるシリンダ状の、プレス。
あれはもともとコーヒーを入れるためにできたもので、っていうことを聞いて、へえ、と思って、ちょっと嬉しいじゃないですか、その知って。
で、マリアンマコーヒーみたいなところがうちの近所にできたんで、つぶれちゃったけど、そこでもお試しになりますかって言うときに、あれで入れてくれるんで、
こんな専門店がこれ使ってるんだったら、本当はこれがいいんだと思って、ちょっと愉快なわけですよ。
そんな言います。
ものすごく、その近所にあったのがダイボーコーヒー店でさ、ダイボーさんのこうこうしゃく聞いてるのはまた、やっぱりそれぞれ面白いわけで、
え、ダイボーはコーヒープレスにぶつけられてるのかと思うと、ストーリーとして面白いから、よし俺もこのプレスやってやれと思って、どれがいいですかとか買って飲むんだよ。
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そうこうしてるうちに、どっちにしてもそうかなって気分もあるわけで、
自分がやってることにそうかなって気分がちょっと混じったときに、もうニヤニヤするんだよ。
そこにニヤニヤが現れるんですね。
なるほど。
そうしたら、これいずれやめるかもしれないけど、今はこれなんだって言ってると、本当にやめるんだよね。
で、今現在は俺は、変な素焼きみたいなフィルターで、
ありますね。
引き立ての豆粗挽きのやつで、割と丁寧にちょろちょろ入れると、コーヒープレスよりもどうも美味しく感じてるんですよ、今。
で、今はこれなんだけどニヤニヤって言ってる。
で、カメラマンの畑野さんに、今日それをAmazonでセット買って送ったばっかりですけど、
全部そこにカッコニヤニヤって言うのを。
で、コーヒー、豆の方は結構どこも本当に美味しいのをいっぱい売ってるようになったんで、
増えましたね。
新しいのをちゃんと入れると驚くほど美味しいですよね。
もう一個、自分で発見したものが混じると思って嬉しいわけで、飲み残しのコーヒーについて考えたんですよ。
あ、すごく嬉しいって思ったよ。
ちょっといいでしょ。
ちょっと待ってください。ちょっと冷めかけのコーヒーをちょっと飲むと微妙に甘みが増してるみたいな。
そう、そんな気がするんですよ。
ですよね。
通じて。
で、うちで別に僕がコーヒー入れてるかって、神様が私にも頂戴って言うわけじゃないんで、
入れる時に2杯分入れてるんですよ、いつもね。
で、2杯分入れると2杯分飲むわけで、ちょっとtoo muchっていうか多いんですよ、真面目に入れたコーヒーを飲むには。
で、カップにどうでしょうかね、3分の1ぐらい残ったコーヒーがあって、捨てるか冷めたけど飲むかってなった時の判断が、いつも曖昧なままだったんですけど、
もうちょっとお砂糖を入れて、溶かして、氷を入れてアイスにして飲んだんですよ。
そういう、はい。
そうしたらね、香りの立つものすごく美味しいアイスコーヒーができたんですよ。
面白いですね。
真面目に入れたコーヒーの残ったものは、アイスコーヒーとしてはすごくフレッシュで美味しいってことが分かって、
これは、これからどうしようかなと思っているのが今日なんです。
ちょっとまずやってみます。
これをまた、自分で発見したっていうのがね、またいいな。
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飲み残しってやっぱりね、価値落ちますからね、その人的には。
そうですね。僕ら見つけた飲み残しっていうと、ホットの飲み残しを別に砂糖とか入れずに飲んだ時に、
まれに、深いりのコーヒーに限るんですけど、甘みが微妙に増すことがあって、
それは、おそらく熱でこう、苦味成分の蒸発が結構立ってたやつが抑えられると、奥にあったものが見えるんじゃないかみたいなことをニヤニヤしながら言ってるんですけど。
ニヤニヤ。ニヤニヤいいですね。
そうですね。
お砂糖入れるタイプなんです、僕。
はい。
その、入れないで一口だけ飲むんですけど、大体入れて飲むんですよ。
はい。
で、香りを真面目にこう、味わうにはお砂糖入れちゃった方が、香りがドンとくる気がするんで。
そこは僕は、そのさっき言ったカメラマンの畑野さんも同じだったんで、じゃあと思って送ったんですけどね。
へー。
お砂糖悪くないですよ。
あ、本当ですか。
うん、ニヤニヤですけどね、これ。
ニヤニヤ。
みんな好みだからさ。
まあ、そうですね。
うん。
ちょっとじゃあ、砂糖僕、いや砂糖なんてって言ってる方だったので、ちょっとあえてじゃあ砂糖入れてみます。
なんていうんだろう、これもうんちく型の話だけど、砂糖入れないでコーヒーを飲むのは日本だけですよ。
あー、なんか言われますね。
うん、それはもう本当に、多分本当にそうですよね。
うーん。
だから、よっぽど日本人ってのは、いわゆる緑茶の中にいろんな飲み物入れてくんだなっていうのを、見事ですね、と思いますけどね。
あと水がいいっていうのもね、ありますよね。
素晴らしいと思うんですけどね。
お茶とかもなんか、結構海外だと普通にお砂糖入れて飲んだりとかしますよね。
グリーンティーもお砂糖入れてますよね。
うん。
いや、全部これは言葉の話の流れの中に多分、組み込まれるんだと思うんですけど。
コーヒーのお砂糖と玉城浩二と、あいら美津男と。
そうですね。
つまり、ちょっと舐められてるものについての、それは舐め返されるよっていう話だね。
そうですね。そこは繋がってます。
いやー、意識しててもまたうっかり舐めちゃったり、うっかり気づいたりっていうのを、おそらく繰り返していくんだろうなっていう気がしますね。
いや、自分もそうですよ。多分自分もそうだったと思いますね。
やっぱりそこを目覚めさせてくれるのは、やっぱりお前も俺もモテたいってことですね。
どんなに偉そうな舐めたこと言ってても、言えば言うほどモテなくなりますよね。
美津男の本の部数の方が、お前の書いてる何かよりも売れてますからね。
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そこのあたりに何かこう、人が本来好きなものっていうのが隠されてるんでしょうね。
そこではしょうぶん何代から生意気になっていくんでしょうね。人って。特に男の子は。
そうね。その、いきなりほぼ日の話にしていこうと思って。
ありがとうございます。
ちょうどインターネット的を、僕も結構カレコレ3回ぐらい読み返してるんですけど。
その中でも、もともとの伊藤さんの問題意識として、物を作る人、クリエイターと呼ばれるような人が、
いわゆるクリエイターを何かすることでビジネスをする人に、主導権を握られないで生きていくにはどうすればいいかっていう問題意識がベースにあって、
ほぼ日をやってるような感じがあってですね。
それはもう、結構、我々、僕だったりとか、伊藤さんもそうだと思うんですけど、その物を作る人にとって、
割と永遠のテーマというか、っていうのを、結構数十年前から考えてたんだなっていうのが、
割と読むたびに発見があったりするんですけど。それで考えると、ほぼ日ってよく考えるとめちゃめちゃ異常なメディアだなと思って。
インターネットがこれから来るぞっていう時代、始まったのが1998年とかですよね。
ほぼ日は。
で、そこでインターネットで何かやるぞっていう時に、そこでみんなが集まる何かを作ろうってなった場合、
多分普通だったら、プラットフォームをやろうって思うと思うんですね。
そのECプラットフォームとか、ちょうど楽天も調べたらその前年ぐらいに始まってたりとか。
そうなんですよね。ライバルですね。
すごい。
誰もが文章を書き込めるようなブログみたいなものを作ろうとか、2chもその翌年ぐらいだと思うんですけど、
そういうような誰でも何か書き込めるようなプラットフォームを作りたくなるところを、
全然そういう方向ではなくて、いい読み物があって、いいものが置いてあって、それを買うことができる。
そのいいものの中身を良くするっていうのをめちゃくちゃやり込んでるっていう。
そういう売れるものを作って買ってもらって、その売上で会社をやるっていうのが、
すごくインターネットだとかなりそれで、ほぼ日の今売上50億とかだと思うんですけど、
それぐらいまでやってるところって、なかなか他に知らないんですよね。
そこでその生き残ってる理由みたいなものをお聞きできればなと。
うわー。
いきなりなんか、ビジネスっぽい話になっちゃって。
いやいや、わかれば一番僕が嬉しいんですけど。
理由は説明は難しいですね。
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ただ、スタートっていうか動機が、既にビジネスの頭が僕は後で開発したものだから、
後勉強なんですよ、ビジネスについては。
だから成り立ちが違うから違う育ち方をしたんだっていうのがまず前提にありますね。
珍しい育ち方をした理由は、そこがとても大きいと思うんです。
この間、あずまさんっていう郵便的の、
あずまひろきさん。
あの人の本、とても面白く読んだんですけど、
彼もやっぱり出発点がビジネスじゃなくて、これどうしたらいいんだろうってとこから始めてたし、
つまりビジネスを後から考えてきた人なんだけど、
僕でいうとビジネスっていうことを勉強しているうちにわかったことの一番大きいことは、
他人を巻き込んでるっていうことの責任。
作家だったら自分なんですよね。
でもビジネスっていうのはどっかで、相手がいないと絶対成り立たないことをしてるんで。
買うっていうこともそうですし、手を貸してもらうこともそうですし、
いろんなところで他者への責任を負ってるっていうことが一番でかいと思うんですよ。
だから、生意気なことばっかり言ってらんない話にもつながるんだけど、
みんなが喜んでくれてるっていうことには、それだけの理由がなかったら、
喜んでるみんなそのものをバカにすることになっちゃうみたいな。
そのことをちょっとずつ学ばされて、
始めていつ辞めてもいいからって始めてるはずなのにみんな、
どっかでいつ辞めてもいいってお前が言ってるだけじゃ無責任だろってところが出てくるんですね。
それはそこでどうするかっていうと、
存続させたり、
集まってる人たちの可能性とか希望とかをもっと大きくしていくには、
どうしたらいいんだろうっていうことを考える。
それも自分の作家活動になってくるわけですよね。
全部アートだって気がするんですよ。
映画のプロデューサーは制作って言われるのと同じように。
だから、ある映画をプロデューサーをした人とディレクターをした人で言えば、
プロデューサーをしてる人の方の制作っていう方の意識が、
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芽生えてくるわけです。
ピラミッドもね、作ったのは王様じゃないわけだけど、
その王様の意思っていうのがとても大きく働いてたの。
その意味ではその王様の作品でもあるわけで。
ビジネスってその面白さを教えてくれるんですよね。
それに足を取られて、自分の意思がなくなっちゃったら危ないとは思うんだけど、
少なくとも最初にこういうことだったら面白いぞっていうところが、
生きている限りはプロデューサーとしてアートをする自分と、
それからライターとか作家とかとして、
何かものを作りたいっていう自分っていうのは、
両方生きられるんだと思うんですよね。
それをそれためにはどうしたらいいのかっていうことを、
その都度はこのままだと死んじゃうぞっていう危機感を持って
考え直すっていう機会をものすごく何度も持つことになるんですね。
それが多分特殊なものを生き延びさせてきた理由じゃないかと思うんで、
これがもしなかったら大変だったろうなって振り返れば思うことっていうのは山ほどありますよ。
例えばコンテンツっていう言葉で、
みんなコンテンツを作ってるって自覚してる人が考えるのは、
絵を描くことだったり、映画を作ることだったり、
非常にわかりやすいところで考えてると思うんだけど、
新しい商品を作るなんていうのもまさしくコンテンツを作る作業をしてるんですよね。
だからそこで込められた知恵とか工夫とか交渉事だとか、
それは全部実は大きな彫刻を作るのと同じことをしてるんですよ。
っていうことを発見するときがある日あるわけですね。
ずっと考えてきたことがそういう言葉になるわけですね。
そうすると、そうか、うちで商品っていう名前で出してるのは商品コンテンツなんだ。
っていうことに気づいたときに、僕らはコンテンツを作るっていうことが仕事なんだ。
そのコンテンツで人が喜んでくれるっていうのがビジネスなんだっていうふうにわかれば、
これからやることっていうのを商品を売ってコンテンツを守ってるんじゃなくて、
商品そのものがコンテンツなんだっていう意識を持って作れるぞっていうふうに思うだけで、
全然物事は変わってくるわけで。
皆さんとあれで言えば、明和電機さんなんかはアートでありコンテンツでありっていうのを表現してますよね。
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だから、ああいう形で生んでる人は結構いるんだけど、
でもディズニーランドのアトラクション作ってる人だってそうだし、
そういうことを発見しなかったら、僕らは儲けるためのビジネスと、
みんなが喜ぶ作家性みたいなものを守っていく社会的な仕事っていうふうに分けて考えたと思うんですよね。
でも、それを分けなくても、本当は成り立つのが今の時代だし、
僕らはそこのところで、何の恥も外分もなくそれはできるんじゃないかって思ったから、今に至ってるみたいな。
例えばそれは一つの要素ですけど、そういうことの連続があって、今にまでやっとたどり着いてるって思った方がいいかもしれないですね。
インターネットにビジネスと、例えば表現活動だったりとかアースだったりとかを別々にしなくても、
人々が生きていけるような、それがさっきのコンテンツっていう話だと思うんですけど、
丸っとできるようなものを見出してるっていう。
そうですね。だから、純文学とか文芸映画とかっていうのは、文学とか映画っていう歴史からすると後でできたものなんですよ。
つまり、物が動いてるのを撮影してみんなが見たら、活動写真って面白いねっていうとこから始まってるわけで。
みんなが喜ぶ。
そう。動くよ、面白いよっていうとこから始まったのが映画なんですね。
当時、失業者が多かった時代にハリウッドに、失業者の時間つぶしのために活動写真の小屋ができて、
職のない移民とかが映画産業に入っていって、
ハリウッドができて、映画っていうのは商業的に成功するようになった時に、
儲けるためじゃなくて、表現のための映画ができるはずだって思ったのが後でできた、
後から来た映画。
そうです。いわゆる芸術映画なんで、
それはもう文学にしても、宗教の説話だとかからずっと繋がってるわけだから、伝説だとか、
その意味では、金にならなくてもいいけど、俺はこれが描きたいんだみたいなのは、
あの、新産物なわけですよ。
本質的かと思われるけども、実はそれは後から現れたもの。
そうですね。っていうふうに、ちゃんとたどって考えれば、
その表現をするっていうことの面白さっていうのは、
そのくらいまでたどんないとダメなんだと僕は思うんで、
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人間が生み出しちゃった人間が好きなものっていうのを大事に考えると、
そんなことを分けなくて、いろいろ面白いことできるよってふうになっていくんじゃないのかな。
じゃあイメージクラフトはまだまだ新産物なので、これから。
そうですね。
結構、Zさんが言ってた悩みとちょっと近いところですね。
新しい技術を使うことについての、ちょっと鉄頭さんの悩みというか。
そうですね。何かの伊藤さんの本で、新しさっていうのは結構、
もうそれ自体が魅力だけど、新しさだけが魅力のものに取り憑かれちゃってるような、
ふうになったら危ないっていう話があったと思うんですね。
それは、確かに新しいこと自体は魅力だけど、新しいから魅力的なんだというふうになってくると、
それはむしろものをちゃんと見えていなくて、新しいかどうかと別の軸を使って、
ちゃんと判断できている状態がおそらくちゃんと見えていて、
新しさだけに酔っちゃうと、それは間違うきっかけになるんじゃないかっていうお話だったと思うんですが、
結構僕は新しいものを作ってっていうことをよく求められるし、自分も好きなので、
そこの沼にはまりがちで、非常に厄介で自分でもなかなか処理、整理できていない部分ではありますね。
そこは僕はそんなにみんながバランスのいい仕事をできるはずがないと思っているので、
ある意味では文業だと思うんですよ。
僕最近、オドリタンっていう人に結構すげえなと思ってて、
彼女がデジタルから今までのリアルの話をしているときに、
2種類の働き手がいるときに競争し合ってどっちかが勝つかっていうふうにするのと、
一緒になって競争じゃなくていいものを提供しようと思ってやる仕事と、
校舎の方がいいですよねっていう説明をするんですね。
まるで人と人との話みたいに。
でもそれはもともと何の説明かっていうと、
デジタルとアナログの話をしてるんですよ。
だから今の話も、新しいものっていうのはどんどん進化していくと思いますし、
そこのところは追求していきたいっていう人はするんだと思うんですよ。
それがすごく得意でどんどんしていくし、得意な人っていうのと、
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新しいものばっかりじゃ息が苦しいって思う人は、
敵同士じゃなくて一緒に協業する相手なんじゃないかなっていうふうに、
考えるっていう考え方を、
そのオドリ・タンっていう人の説明から僕は知って、
なんてキレが良くて頭の良い優しい人なんだと思って。
全部備わってますね。
全部備わってますね。
岩田さんっていう人は結構そうだったんですよ。
任天堂の。
もっと恐ろしい、円を描ける人が、
何気なく語ってることはそのくらいのスケールなんですよ。
僕は今結構、スッと流しちゃえるようなセリフが実は相当すごいんで、
今その人、今日に入っちゃってますけど。
オドリ・タン教の。
今の話もすごいでしょ。
協僧社会と共同社会どっちがいいかって話じゃなくて、
それを最先端の技術の話をして、
つまりシンギュラリティみたいなことを言ってるのは、
意味がないっていう話をしてるわけですよ。
一人の人間と人間がどうしたらいいっていう話として、
それを解釈しているっていう。
新しい概念についての説明って、
新しいものが入ってくると、
必ず前のものを否定する要素がどこかにあって、
そこに注意しないと絶対に人を傷つけちゃうから、
新しさってそういう怖さがあると思うんですけど、
そこに対して、どこにトゲがあるかを正確に把握した上で、
綺麗に包んでいるような言葉のような気がしました。
その問題についてまともにぶち当たってきた人なんだなっていうのが、
やっぱり中卒ですからね、あの人ね。
あまりにも優れていたんで、
飛び急だの、流学だの、もうまぜこぜにしながら、
普通の人のいるところから、
逃げたりたどり着いたりしながら生きてきた人だから。
相当いろいろ環境に磨かれたというか、
見つけられた人なんでしょうね。
どうでしょうね。中国の古典とかもだいぶ読んでますしね。
ひけらかすんじゃなくて応用できてるって感じが、
もう感心しますね。
どうだっていうところは一個もないんですよ。
いやー、ちょっとあんまりこう、
大取さん自身の言葉について僕はあんまり知らないので、
ちょっとこれを機にいろいろ見てみようと思います。
ぜひぜひ、僕なんかが息が切れてたどり着いて、
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やっと一かけら食べてるようなことを、なんか主食にしてるみたいなところがある。
むしろ野蛮だよね。
すごいね。
そういう人はいるんだね。
政府に雇われてる形で機能してるわけじゃないですか。
すごい。政府もすごいですね。
すごい。
そういう人がいたら恥いったりしてしまいそうですけど。
すごいと思いますね。
台湾っていう場所が、実はまだ戦時中なんですよ。
いつでも中国と何かが起こってもおかしくない場所にいるんで、
あそこはまだ、確か兵役もあるんじゃなかったかな。
だから、日本だったらプライバシーがどうのこうのって言われるようなことっていうのを、
国の命令でこうするみたいな、プライバシーの制限みたいなことできるんですよね。
強行できる状態ではある。
そうですね。
その国がああいう人を取り入れて、つまりデジタルそのものを飲み込んで、
なおかつ、教育の行き届いてないおじいさんやおばあさんがいっぱい住んでるところで、
どうやって大国に飲み込まれたり、蹂躙されたりしないで生きていくかっていうことを考えてるっていう状況が、
ヨーロッパでね、オランダっていう土地が非常にヒントをいっぱい持ってる場所だと思うんだけど、
台湾っていうのも弱くて、小さいがゆえにこう必死でやんないと追いつかないんだよっていうところを、
ものすごく僕らに学ばせてくる気がして、
台湾と踊りたんっていうのは、今の僕にとってはだいぶありがたい出会いでしたね。
言ったら緊急事態の状態の常に真っ只中にあって、
その中でそういう乱暴な方法で人を操作するっていうのに行かずに、
知性のある方法というか、優しい方法というか、
それをうまく使うことでいい方向に持っていこうとするっていうのはすごいことですよ。
それは本に書いてあります。何冊か本出てますけど、
コロナ対策で台湾がどういう順番で何したかっていうのは、
なんとなく何気なくに見えるくらいの感じで書いてありますけど、大変なことしてますね。
こういうことをしたんだけど、スマホを持ってない人たちはどうしてもこうしてしまうっていうのに対して、
どうしたかみたいなことがものすごく書いてあります。
技術について考えるっていうことは、技術のある人とない人について考えるっていうことですよね。
30:08
これはもうお二方が見たらちょっと感動すると思いますね。
ヒントはそこにあるかもしれない。
どの本も面白かったですけど、一番平凡なタイトルのついてる、
AIと何とかについて語るみたいな、その集会誌のタイトルみたいな本が一番いっぱい書いてあったと思う。
わかりました。じゃあちょっとタイトルに惑わされないように書いてみます。
平凡なものの中に。本当だね。
すごい繋がっちゃった。
もう一個ぐらい聞いてもよかったり。
僕がコンプレックスというか、すごく怖いなと思っているのが、
自分の言葉が残り続けていくことによって、自分が後から見たり、または人が見たときに、
過去の自分と今の自分を並べられちゃうというのが、
本でもそうだと思うんですが、特にインターネットだと、昔のものも今のものも古びずにそのまま残っているということが、
すごく怖いという意識があるんですね。
特に二人さんはすごく多くの言葉が残されているので、
そういうことに対して怖くないのか、それとも怖いけれども何か向き合っている方法があるのかというのをお聞きしたかったです。
怖いという実感はなかったですけど、嫌だなって思うことはありますよね。
昔、こう言ったことの一部を切り取られて使われるなんてことは当然するわけだから。
そういうものなんだなぁというのは、悲しかったり切なかったりするものだし、
同時に昔の僕はバカでしたという部分もあるし、さらに言うと昔の方が良かったという自分もあるし、
それは案外あるんですよ。
昔の方が格闘することはできますもんね。若い時の方がね。
だから良い悪い両方あるんですけど、今の質問に対してで言うと、諦めるしかない。
そうなんですね。
さっきニヤニヤするしかないのと同じ話じゃないのかな。
もう一個は、そんなことを心配するほどのお前かってやつですよね。
そこは結構そうですよ。一世を風靡したかのように思われる思想家が消えますから。
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後100年たった時に、みんなが小林秀夫という優れた人物がいてって言うと思えないですね。
こういう面白い人がいたんで、僕今読んでるんですよねって人がいるかもしれないけど、
30世紀に残っている人はいないですよ。
そうかもしれないですね。どうなんだろう。
多分思い残せば文学者だとか、文字で人を捕まえた人だとかは、残りようが難しいですね。
絵とかの方が残ると思いますね。
音楽も残るかもしれない。
僕が知っている人で一番後世まで残りそうなのは横尾忠則さんですね。
あの人は30世紀でも残っていると思いますね。
確かに30世紀というスパンでは僕はあまり考えたことがなかったので、すごくさっぱりした気持ちになりました。
例えば葬式の日に悪口を言われるくらいのことはもう諦めたらいいよ。
ウィキペディアを編集しきれないというところにウィキペディアを作った人たちの応用さというか大きさというのは、いつか聞いてみたいと思っているんですよね。
あれやっぱり直したくてしょうがない人だらけだと思うんですよ。
ウィキペディアに書かれていることを。
でもそんなこと知ったこっちゃねえっていうのが、多分あれ作った人はそのくらいのことをわかっていたと思うんで。
そんなこと言われたところで気にするもんじゃないだろうという。
あれの本当に原型の部分っていうのを一番まともに考えて書くにいる人は、僕の友達の浜口秀一さんの友達なんだけど、そういう人らしいんですよ。
ウィキで有名になったなんとかさんじゃなくて、もう一人根本的にウィキはこの人だっていう人がいて、その人やっぱりそういう人らしいんですよね。
気にすんなという。
なんかその辺面白い。要するに全体、今日の言葉で言うとニヤニヤしたところのあるものですね。
ただニヤニヤしてるって言って嫌われることもあるからね。
ほどほどに言っても。
人の好き嫌いはもうどうにもならないね。
徹頭さんはきっと後から振り返ってニヤニヤできるぐらいがちょうどいい。
なるほど。ちょっと過去の自分が自分で嫌いだったりするところが原因だったりするのかもしれないですけど、そこをニヤニヤしてみれるぐらいの大人になります。
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なるというかそれが目標かもしれないですね。今後10年後。
それはとてもいいですね。
それはだって実生活がその方がハッピーですもん。
そうですね。
実生活のハッピーがないものはやっぱり怪しいですよ。
人を犠牲にするの平気になりますよ。
そこはなんか結構重要なポイントな気がする。
でも時間かけて取り組める大きな課題のような気がするのでじっくり。パッと答えは出なそうですが。
だって待ってお二人とも若いでしょ。めっちゃくちゃ若いでしょ。
どうなんですかね。どっちとも言われる30今4なんですが。
僕来月で30になりますね。
それはさ、うちの子供より若いわけだからさ。
すごいよ、その先の長さが。
面白いよ、その先。
そう言ってくれる人がいるのは嬉しいです。
怖いような楽しみな。
全然怖くない。その先の方が面白いって。
わかりやすい。
若い時の方がやっぱりね、体重がないから、経験というのは体重だから大変だよ。風圧とかも。
そこから先はだんだんと税に行くとかあるからね、面白いことばっかりになるよ。
いやーじゃあ楽しみですね。確かに体重、そういう意味での体重が増えてきたなというのはすごく。
ちょっとしたことでいちいち思わない。思っても割とすぐ元に戻るっていう。
いや、いいな。
じわじわ身についてきたと思うので、この調子で太っていきます。
最高ですよ、それ。
いやー、よかった、じゃあちょっと。
またこれね、こういう形じゃなくて、学校にもぜひ顔出してほしいというか。
なんかテーマを持って、普通の人がやる授業をやりたいんですよ。
普通の人の。
で、聞くのが例えば、自分がやってることがすごく新しいことをやってるにしても、これを近所のおばさんに聞かせるとしたらどうするんだろうみたいな授業とか。
中学生に乱数のあれを教えるとか。
いやー難しそうだな。
いやー面白そうだな。
すごく難しいし面白いし、多分ね、やり足りないなって思って終わると思うんですよ。
それこそが学ぶじゃないですか。
つまり、教える側の人が分かっていることをただ伝えるだけだったらそれは面白くないんで。
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俺もまだ分かんないんだけど、ここまでは多分こうだと思うみたいな。
また来るよっていうような学校をやりたいんですよ。
いいですね。
その意味でだから、声をかけたい人たちだったんで、その打ち合わせをまたしましょう。
ありがとうございます。
ぜひよろしくお願いします。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ということで今回はゲスト、ほぼ日から糸井重里さんに参加していただきました。
ありがとうございました。
糸井さんどうもありがとうございました。
はい。
ありがとうございました。
失礼します。
ありがとうございます。さよならー。
さよならー。
さよならー。
いやー、いやいやいや。
いやすごかったですね、なんか。
いやーそうですね、学校に出ちゃうことになっちゃった。
なっちゃったかもしれないですね。
いやー、どうでした?糸井さんとのゲスト会やってみて。
あのー、めちゃくちゃ普通にいい人だし、話してて楽しいっていう。
まあ今まで糸井重里っていう有名人としてしか見てなかったんで、その話すことによってそれがようやくリアルな人間だと感じ取れた上で、いいおじさんだなっていう。
その上でめちゃめちゃいい人。
すごいいい人ですね。
これだけ盛り上がったのは多分糸井さんのサービス精神が結構あると思いますね。
そうですね。いや面白がってくれたのが嬉しかったけど、作品とかに関しても。
面白がり力って多分本人の力の一つだったりすると思うんで。
筋力とかと一緒だと思いますね。
うーん。なんかすごい。
いろいろ聞きたかったけど、聞き漏らしたことたくさんありますけど、そういう面白がり力をめちゃめちゃ鍛えてる人だと思うんで。
毎日今日のダーリン書いて、もうコーストレーニングやってるみたいな状態ですよね。
確かに。
なんでなんかすごい圧倒的な凄さというか、面白がり力の頂点を見たみたいな感じですね。
なんか山登って降りた後みたいな感じですね。
あー。なんか、むしろなんかすごくエンターテイメント的でもあったから、自分にとっても楽しませてもらってしまったなっていう。
あーありますね。確かに。
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感じでしたね。
まあでも今後も何かしら絡めたら嬉しいなと思っているので。
面白りきりと。
今すごく特別な体験だったと思っているけど、そうじゃなくフラットにこう何か一緒に生み出せるっていう関係になれたら嬉しいなと思います。
楽しみですね。これからまた。
また引き続きイメージキャストも、もうちょっとこれで燃え尽きてしまわないように。
そうですね。
続けてまいりましょう。
ということで、糸井重里さんゲスト回でした。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
[音楽]
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