1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 圧倒的な読書量
2025-07-09 29:29

圧倒的な読書量

2025年前半は、無理に思考で方針を決めるのをやめて、流れにまかせて様子を見ていました。


その結果、やっぱり、今まで通りになんでもやるっていうことじゃダメだなと気がつき、数日前に、ノートにいろいろ書いて整理してみました。


結果が出ているか、やる価値があるかを客観的に再評価して、新しい活動に集中する必要があると思ったからです。


その結果…


再認識したのは自分の圧倒的な読書量でした。

サマリー

このエピソードでは、金田イクコが自営業における流動的な仕事状況や趣味のダンス、YouTube朗読チャンネルについて語り、自身の取り組みの評価と選択を模索しています。また、創作小説に対する好奇心と実際の行動とのギャップについても掘り下げています。個人の情報収集や読書量に関する深い考察が展開されており、特にインターネットの普及によって知識のある人と知らない人の差が広がっていることが指摘されています。さらに、自身の経験を通じて、他者と同じレベルでの理解を求める必要性について再評価されています。このエピソードでは、圧倒的な読書量が人生の基盤を形成し、自己表現や創造性にどのように影響を与えるのかについて語られています。また、自身のウェブ活動に対する再評価が行われ、読書と文化的経験が主戦場であることに気付く過程が描かれています。

自営業の流動的な状況
IKUKO Labo ワンダーランド
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
7月9日、水曜日ですね。午前10時16分に収録をしております。
今日は、特に話題というのはないんですけれども、
7月に入りましたしね、私6月いっぱい、
いろいろ、いろんな行き方やり方、仕事などの配分というかね、
設計をやり直してました。
自営業で上司というものがいないので、
すべて自分で好きなようにできるとも言えるし、
自分で考えないと何も起きないということもあって、
だから、ざっくりこういう方向性でいこうみたいなことはね、
ずっと考えていたんですけど、
今年2025年に関しては、年明けの1月にそういうことをきっちり決めるのをやめたんですよね。
で、いろいろと流動的だったので、
1月から、5月、4月、5月あたりで、
ちょっとね、いろんなこと入れ替えましたね。
とにかく手を広げて、まずはやってみなきゃわからないとか言って、
バーッと手を広げたものを、
取捨選択、借り込むっていう時期だったかなと思います。
まあ、趣味のダンスにしても、
ものすごく受講しているレッスン数が多くなりすぎちゃって、
それぞれのレッスンの振りの、
自習練をする時間が全然ないっていう感じで、
練習せずにレッスンを受けていても、
全然身についてないなという感じがしたので、
ちょっといくつかやめるものはやめて、
減らしましたと。
で、減らしたと同時に、
何をするかっていうのもね、自習練の内容なんかも、
ある程度自分で絞って、
闇雲にただ何度も踊るとかいうのはやめて、
YouTube朗読チャンネルの悩み
課題意識を持ってっていうのかな。
今日はここのステップを練習しようみたいな感じで、
取り組めるようになったっていうことですね。
仕事はね、そんな簡単にやめたりとか始めたりとかは、
できないものなんですけれども、
小さいものも含めれば、
結構いろんなことに手を出していますので、
これは数日前でしたね。
ノートに一回書き出したんですよ。
今していることというのね。
で、それぞれ5段階評価というか、
評価軸を自分で考えて、
まず儲かっているか、
それからやってて楽しいか、
それから好奇心とか、
勉強したいとか、それ知りたいっていう、
そういうモチベーションが持てるかどうかっていう、
この3段階を、3種類の指針について、
5点満点、5段階評価で、
これは1だなとか、これは3だなとかってやって、
1、2、3、4、5、6、7、8、
ダンスとかも入れて8項目、
楽室とかその他、枠ビズもあるし、
それ以外の、
昔からやってるから惰性であるとかいう、
ネットショップとかも含めて、
ちょっと刈り込もうと思って、
手を広げすぎているのであれば、
気持ちが分散しちゃうし、
エネルギーも多分分散しちゃうので、
そうしたところ、
意外にも当然というか、
楽室がやっぱり一番になるんですね。
楽しさはほとんどないんですけど、
私にとっては、
その分好奇心とか、経験、新しさ、
っていうのがかなりあって、
何ならお金が儲かる率よりも、
知りたい欲を満たしてくれる。
新しいマーケティングの手法を学んだら、
どこかで練習してみないと、
分からないじゃないですか。
身につかない。
これを楽室ではすぐに、
すぐにチャレンジすることができるので、
これで去年ぐらいからかな。
時々私が楽室の、
例えば公式ラインのマーケティングを取り入れてみたり、
いろんなことをするんですけど、
これね、単に楽室をよくしたいということだけじゃないというか、
それよりも私の個人的な興味、
ちょっとこれやってみたいなっていう気持ちでやっていると、
テストとして、
試運転する場所として利用しているということもあります。
だから、たとえそれによって収入に直結していなかったとしても、
こういう貴重な場所は残しておくべきですよね。
今後のためにね。
私も何かこう、
実際に動かしてみる場所がないと、
新しいことを学んでもしょうがないので、
そういう意味で楽室が何かダントツ1位になったという感じですね。
で、その他細かいことは言わないんですけど、
まあ、何ですかね。
意外に低いなと思ったのが、YouTubeの朗読チャンネル。
これは3年ぐらいやってるし、
じりじりとではあるけど、
チャンネル登録者が増えているんですよね。
いまだにね。
やめられない感じで、
なんかしょうがないからやってるんですけど、
何がしょうがないかというと、
まあ、読むものがつまらない。
著作権の関係とかがあるので、
自分が今読みたいなと思うものをそのまま読めてるわけじゃ全然ないんですよね。
あんまり別に読みたくもないけど、
みんなも知っていそうな本だし、みたいな感じで、
妥協点を探って読んで、
編集してアップロードするんですけど、
そもそも自分がそんなに興味がない本なので、
編集作業がつらいんですよね。
1回目自分が読むときは何とか読めても、
編集作業でもう1回は聞かなきゃいけないじゃないですか。最低でも。
これがきつくて、退屈でしょうがないんですよね。
それでじりじりと更新間隔が伸びてってなってて、
このYouTube朗読に関しては、
このままの形ではもう、
あんまりやってもしょうがないんじゃないのって。
報酬がそれでもすごければ、
それは歯を食いしばってでもやると思うんですけど、
報酬も本当にギリギリ、
支払われる額の最低基準を上回るかどうかぐらいの感じですので、
これやばくない?って、何してんの?って感じなんですよね。
絶対費用対効果的にはあってない。
なのでちょっとね扱いを要検討です。
読むものを何とかしないとこれ以上続かないですね。
間違いなく。
創作小説への挑戦
そこで、
他の項目として意外に創作小説っていうのがあるんですけど、
自分で書いた小説っていうのが、
昔書いたやつが一応あるんですけど、
没原稿がいっぱいあるって言ったらいいのか。
これはもちろん収入に一線のお金もならないし、
楽しさ的には実はしんどくて、
書くこともしんどい、考えることもしんどい。
なおかつこれ書いてどうなんの?っていう先が見えないのもしんどい。
なんですけど、好奇心とかなんかやりたさ?
こういう話なんか思いついちゃったしなどうしようみたいな。
思いついたと言いながら細かいとこまでは思いついてないので、
さあ書けって言われても書けないし、
書こうと思うなら何かしらの努力が必要。
キャラクター設定を細かくするだろうね。
起きてくる出来事をいちいち全部考えるとか、
しないと書けないんで、
これしんどくない?ってなって放置してるんですけど、
5段階評価で言うと、
好奇心とか経験とか新しさとかで言ったら、
5点満点中5点取ってるのはこの創作小説だけですね。
これはだから、なんだろう、
お金もならないし楽しいっていうことでもないんだけど、
すごいやってみたい感じだけがあるっていう。
おかしなもので、
これを、だからこれYouTubeの朗読チャンネルに比べると、
全然ポイントがいいわけなんでしょ。
一つも書けてないのに。
であるならば、多少のね月にね、
8000円だの1万円だのっての諦めても、
それから少しずつじりじり増えていくチャンネル登録者っていうのを、
無視する形で、もういいから、
YouTubeの朗読やめて、
ちょっと自分の小説を書こうよっていう風に、
シフトした方がいいんじゃないのっていう。
そういうことですね。
自分で自分に向けてサジェストしてるんですけど、
でも、
前からずっとやってるから石の上にも3年とか言いますけど、
YouTubeチャンネルというと3年過ぎたのかな。
去年で3年だったのかな。
3年過ぎてようやく毎月少し、
お金が入るようになったっていうことをこれ、
成功してるって言っていいの?
どうなのってとこですね。
確かにね始めた時には、
これ月に1万でもあればないよりいいよねって思ったし、
それから月に3万ぐらいあれば、
ちょっと嬉しいよねって思ったし、
なんですけど、
これだけ苦しみながらやっても月に1万がギリギリで、
もちろん頑張ってやり続けたら、
これから2万になり3万になりってことはあるでしょうけれども、
そんなに頑張った末の3万って、
情報収集の現状
こんなんじゃやってられねえよって叫ぶレベルじゃないかな。
30万になるって言うんだったらまたちょっとね、
10倍だと。
これぐらいの努力してもしょうがないかな、
ぐらいに思うかもしれないんですけど、
とにかく、
多少なりとも伸びているだけに残念ではあるんですけど、
今まで通りの運営っていうのは、
まあやめていこうかなって。
今読みかけてる本も全部終わったら、
一旦ちょっと違うやり方を試そうかなって、
思うところでございます。
で、そんなことをずっと考えていて、
で、えっとまだできてるかな、そうそう。
で、ふと、私って何を、
何、何やってるのかな自分って、
ちょっと思って、っていうのは、
なんかね、
もうね、毎日のように、
私YouTube見てますけど、
見てるコンテンツの半分ぐらいは、
経済社会に関するものだったり、
あと世界史とか思想哲学に関わるような、
思想ですよね、ことだったり、
結構ね好きで、そういうコンテンツ見てるんですよね。
それから時々は、
まあ明日もあるんですけど、
少しお金を出してがっつり、
マーケティングのセミナーを受けたりとかも、
ものすごいたくさんするわけじゃないんですけど、
これはと思うものが来たらやるし、
セミナー来なくても本とかは、
気がつけば買って読んだりしてます。
だから情報収集力がものすごいんですね。
収集量だ。
その量を得るために、
時間を使ってるってことですよね。
1日のほとんど、何らかの情報収集をしているっていうのは、
実は事実で、
自分にとっては普通の生活なんで、
どうってことないんですけど、
ふと、
インターネットの影響
他の人たちともしかして、
時間の使い方が違うんじゃないかなって、
思ったんですよね。
みんな同じ24時間、365日を過ごしていているのに、
なんか私の方が知識量が多いなって感じることがすごい多くて、
でも40代くらいの時は、
それでも私より知ってる人の方がいっぱいいる、
っていう風に強く感じていたんですけど、
最近、
多くの人がインターネットを使うようになったってこともあるんですけど、
全く何も知らない人が本当に、
周りにいっぱいいるところが増えていくよねって、
いう感じがします。
なんだろう、
インターネットが普及して、
インターネットがわからない人がどんどん増えている。
話が通じない人がどんどん増えているっていう、
そういう感覚があるんですよ。
覚えてる方は、私が2年くらい前に、
インターネット、ウェブサイトとか、
そういうものの話をすることで、
そういう意識が高い人、
そういう知識がある人とつながりたいとか言っちゃって、
ペライチのサポーターになったりして、
そういう講座を開いたりもしてみたんですけど、
なんかね、そういう活動をすればするほど、
知識のない人が集まってくるっていう、
考えてみれば当然なんですが、
私が当時求めていた、
同じレベルでこういう話がしたいんだよ、
みたいな人からどんどんかけ離れていくっていうかね、
そういう感覚で、だからそれはすぐやめたんですけど、
その後もずっとその状況続いてて、
同じレベルで対等に話ができる人なんて、
一人も出てこないどころか、
そうじゃない人ばっかりが増殖してるっていう感じがして、
でもよく考えてみると、
別に同じレベルで同じ話しなくてよくないっていう感じで、
私が何か弱気になって、
自分を導いてくれる人がいないというかね、
最初の頃はいたんですよ、
自分より知識のある人が本当にいっぱいいたから、
そういう人に教えてもらうとか、
そういう人の情報を見てたら、
間違った方向にはいかないとか、
それが最近本当になくて、
あれって感じなんですね、
自分が今いる界隈では先頭を走っている感じが、
この状況がちょっと居心地が悪くて、
それで仲間はいないかななんて話になったんですけど、
最近になって思うことは、
仲間ってどうしているんだったっけって、
自立の重要性
仲間っていうかそういうITのこと、
ウェブのこれからのことを、
同じレベルで話せる人って必要かって、
よくよく考えると別に必要ってわけじゃないですよね、
なぜなら私が別に、
あってることを言おうと間違ってることを言おうと、
どの道何にも理解されないんだから関係なくないっていうことですよ、
関係あるならば、
私は私でも周りのことなんか気にせずに、
どんどんどんどんやりたいことに向かって行けばいいだけなので、
そういう自分が不安だから、
一人ぼっちで心細いから、
一緒に行ける仲間が欲しいみたいな、
そういう段階を過ぎちゃったなってことですね、
もちろん世の中に私を超えるすごい人はいっぱいいるんですけど、
でも出会ったとて、
その人が私を助けてくれるっていうわけじゃないですよね、
例えばマーケティングのすごい詳しい人がいたとして、
私にマーケティングのことを教えてくださいって言って、
教えてはくれるかもしれない、
それにその人がセミナーだったり書籍だったり書いてる人だったら、
情報提供してくれるじゃない、
でも私のやろうとしていることを、
その人が代わりにやってくれて成果を出してくれるっていうことでは一切ないんですよね、
よく考えてみると当然じゃないですか、
私になりかわって私のやりたいことを、
私のやるより上手くやってくれる人がいるわけない、
いや能力の問題じゃないから、
その人がどうしてそんなことをしなきゃいけないんですかっていう、
要はインセンティブの問題、
その人がそんな大変なことを私のためにしなきゃいけない理由がよく考えてみるとないんです、
私がなんかもっとすごい人がいてくれたら教えてもらえるのになぁみたいにふんわりと思っていた、
教えてくれないと思いますよ、
お金を払って教えてもらったとて、
それはその人の考えているマーケティングの話で、
その人の経験であって、
私のやろうとしていることにそのまま当てはまるわけじゃないってことは、
究極言ってしまえばこの世の中に私を救える人はいない、
救うっていうかなんていうか、
私がやりたいことを私になりかわってやってくれてしかももっとすごく上手くやる、
っていう人がいたら大変ですよね、
私の存在意義がなくなってしまうし、
もうそんなんだったら全部やってよって、
何もかもやってちょうだいってなって、
その人の奴隷みたいになり下がるしかないですよね多分、
そういう優秀な人はそんな奴隷いらねえよって、
俺そんな奴隷いらないしって、
なんで俺がそんな奴隷の面倒を見なきゃいけないんだってなるでしょう、
そういうことなんですよ、自立しなさいってことですよ、
当然なんですけど、
なんで今まで気づかずにそんな甘いことを考えていたのかなって、
自分で自分にびっくりするような感じですが、
それを2、3日前にノートにいろいろ書き出しながら考えてて、
ふっと思いました、
思い返してみると40歳以降、今今年65になるので25年間、
ずっとウェブの勉強をし、その後マーケティングも勉強し、
それから新しい仕事を始めるプロジェクトをスタートする、
企画するとかね、そういうこともチャレンジしてきて、
1日のほとんどの時間をそういうことに費やして25年間やってるわけなんですよ、
だから私スタートした時は本当に素人で、
今も専門的にどこかで学んだことはないんですけど、
でも25年分の試行錯誤っていうか時間ですよね、
1日24時間多分寝てる時も考えてるくらいの勢いで考えてきたので、
この私を超える人っていうのがそんなにいないっていうのは当たり前のことだなと、
もっと追加すると、じゃあ40歳までは何をしていたかっていうと、
自分でインターネットハマって独学でホームページ作ったりとか、
そのインターネットが出てくる前は何をしていたかって言ったら、
ずっと本を読んだりテレビドラマを見たりしていて、
本って言っても役に立つ本じゃなくて小説ですよね、
SFミステリー、歴史小説とか、
ありとあらゆる自分の面白いと思うようなものを、
ものすごい分量多分読んでて、
お話の本を読むに関しては大人になってからの話じゃないんで、
ずっと遡ると小学校ぐらいまで遡れるんですよ。
そこから今日までの読書量って言ったら、
読書の影響力
そんな一万冊どころの騒ぎじゃないでしょ、子供の頃からだからね。
そんな数え切れないほどのたくさんのお話の本を読んで、
読んですぐ忘れちゃうわけなんですけど、
置くとこがないからって言って定期的にブックオフに持って行って売ったりしてるし、
それでもまだ上に行って2階に大量の文庫本がまだあったりして、
この間もこれそろそろブックオフに持って行こうかなって考えたぐらいの量がまだ残ってるんですけど、
だからそれを読んだ時間、
人生で人って何に時間を費やしたかっていうことでその人ができていくっていう話がありますけど、
私の場合完全に読書で、読書でできていて、
そういう私がちょっとしたことなら文章がパッと書けるって当たり前なんですね。
インプット量が大量なんで、そこそこのアウトプットはできちゃうっていう。
それを見て文章の書き方教室をやってくださいって言って言われても、
前提となるインストールした語彙の量っていうんですかね。
辞書が丸ごと一冊入ってるぐらいの語彙量と、語彙を組み合わせたものが文章だから、
無限の組み合わせ方みたいなやつを小学校ぐらいからずっとインプットし続けているその上で、
こうやったら文章を書けるよってやってるにつきないんで、多分再現できないんですよね。
前提となる基礎能力が違いすぎて。
これはだから、例えばピアノの演奏についてとか言ったらもっとわかりやすいと思うんですけど、
子供の頃に基礎練習をバーッとさせられた子供って、そこそこ大人になって下手くそって言ってもそこそこ、
ただ大人になって始めた人、50、60になって始めましたよって人が、
ものすごく練習して、ものすごく超対策を引き上げてても、やっぱり音の音色の粒が揃ってるかとかね、
そういうのって5本のエベが均等に動かなきゃいけないっていう、そういう大前提となる力が、基礎能力がやっぱり必要なので、
これ大人になってからだと多分克服できない部分があって、聞いたら一発でわかるんですよね。
っていうぐらい、やっぱり子供の頃に培った創養というか、身に付けた能力っていうものが大人になってからもずっと続いてる。
子供の頃にかけっこが速くてずーっと走ってた人っていうのは、やっぱりその時に身に付けた運動能力で、今ゴルフをやったら球が飛ぶとかね。
じゃあその人と同じようなスイングをしたら、同じように球が飛ぶかって言ったらやっぱりそうじゃないです。
子供の頃から身に付けている基本的な体の動かし方、体幹、使える筋肉、体への意識がもう全然違うので、
だからそれが私に関しては圧倒的に読書だ、本を読んだ量だっていうことに気が付いた。
本を読むってことがあまりにも空気と同じようになってて、呼吸するように読むので、あんまり分かってなかったですよ、自分でも。
自己再評価と方向転換
そこまでだとは。ただ、昨日だったかな一昨日だったかな、ノートに今までの時間を費やしたものって読書じゃねーとか言って、
ちょっと考えてて、明らかに私は今、ホームページの作り方に関して本当に何年も独学でって言いましたけど、
そこから今までのウェブサイトの作り方とか、ウェブに関して勉強したことの総量を合わせてより何十倍も本を読んできた時間の方が長い。
考えると自分のことをウェブ担当ですとかって言ったら正しくなくないって感じですね。
自分の活動領域をウェブですって言ってしてるのも狭めすぎてない。
もうちょっとそこから染み出して、外に染み出して、いろいろな思想文化であったり、お話、純粋にお話の楽しさであったり、
そういった部分こそが私の戦える主戦場であって、そのうちのウェブっていうのがいしめてる割合が実はほんのちょっとしかない。
ただウェブは本当に今進化が止まらない領域なんで面白いから、大量に勉強してますし注目してウォッチもしてるんで、
自分もそこをどうしてもフォーカスして考えてしまうんだけど、冷静に客観的に自分を再評価したらそこじゃない。
ということに気がつきましたね。
そんなわけでこの6月に、今7月に入りましたので、今までに自分はウェブだっていうふうに定義して、
その中で何をしようっていうふうにしか考えてこなかったこの人生戦略を一回チャラにして、
もう一回更地からそこに建てられる建物をどんなものが建てられるのかっていうのを考え直す時期に来たという感じでございます。
とはいえ全然何もしてないようなことを突然始められるわけじゃないので、今までの継続の中でですけど、
でもやっぱり目指す方向がものすごい今シフトしたんで、ウェブの未来の中に抜かって自分が行くとはどうしても思えないので、
ゴールの方向がシフトしたって言ったらいいのかな。
だから自ずといろんな起きてくる出来事も変わってくるし、私がそれに対してどう関わっていくかということも
絶対的に変化していくと思うんですよね。
なので自分でもどう変化していくのかなっていうのを楽しみにしたいと思います。
本日は以上です。
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