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このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったアレコレを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは。
IKUKO Laboの金田 育子でございます。
6月30日月曜日、午前10時58分に収録をしております。
ということで、6月の末日でございますが、暑いです。
先週は雨の日もあったんですけど、予報的にこれからずっと晴れ予報なような感じですかね。
ちょっと今チェックしてますけれども、梅雨はどこへ行ったみたいな。
7月10日あたりにちょっと雨マークがありますね。
名古屋大会への参加
何にしてもね、昨日も名古屋まで行ったんですけど、暑い。車の中が暑い。暑すぎるっていう感じの季節になってきました。
昨日ですね、日曜日、名古屋の池下というところで、KSJ名古屋大会というものに行ってまいりました。
これ何かというと、KSJって言葉スラムジャパンの名古屋大会。
この間ダンスの練習、練習っていうか、ダンスと詩、詩の朗読でダンスを踊るっていう、あれですね、あれの詩の部分。
ポエトリーリーディングって言うんですけど、自作の詩とかを読み上げたり、読み上げるって言ってもいろいろでね、ささやいてもいいし、どなっても叫んでもいいし、
走りながら言ってもいいし、みたいな。普通に喋ってもいいし、みたいな。本当にルールはないんですが、そのポエトリーリーディングの全国大会として言葉スラムジャパンというのがあって、これの一応名古屋代表を決める会だったようです。
で、今までに2回ポエトリーリーディングを見てるんですけど、いずれも自分がこのダンサーとして出演エントリーをしていて、なんか踊らなきゃいけない、早いみたいな感じで、落ち着いて詩を聞いていられないっていうかね、そういう感じでしたので、
昨日はもう一切何もエントリーするとかなくて、純粋に観客として行ってまいりました。会場はすごいちっちゃな、そういう劇場のうんとちっちゃいやつみたいな感じだったんですけど、16人。
4、4、4、16。16人の人がエントリーをしていて、結果から言うと、なんか去年一昨年ずっと優勝してる中内小森さんという方が今回も優勝をね、されたんです。
けど、優勝するしないに関わらず、なんか全員の人がなんて言ったらいいんですかね、個性がバラバラ。やりたいこともバラバラ。それは分類すれば、ろうろうと読み上げる系とボソボソ喋る系とかね、あとなんだろう、内面的なことを喋る系と、
ちょっとネタ的な笑わしたりとか、オチがあったりとか、そういう系の人とかそういうふうに分類はできると思うんですけど、何かと言いますとですね、私前から2番目で本当に見てたんですが、目の前で人が何かしら何かを喋ってると。
で、通常と違うのは、その中身は私に何か役立つ情報を教えているわけではないっていうところですよね。
これがなんか今、私が今いる生活の中に全くないことで、私が今生活の中で人と話すというと、ワクビズのセッションであったり、なんかセミナーだったりで、何かしらの役に立つことを伝えようとするっていうことでしか喋らないし、また聞くこともない。
ワクビズで相手から何か聞くとしたら、その人の現状のシェアとかね、私は今こうでこうでとか、こういうことをしたいと思っていてとか。
で、それ聞きたい話ですかって言うと、そうじゃなくて、必要な話、今そのセミナーの中でそういう話をしてもらう必要があるということを話してもらっているっていう、当然ですけどそうで。
私は日常的によく聞くいろんなセミナーとかもすべて、これを知っていれば役に立つとか、うまくいくとか、得になるとか、何かしらのこの意味があるっていうのかな、価値、価値みたいなものがあるよっていうことしか喋らないし聞かないっていう世界の中にいるんだなっていうことが、
昨日初めてわかったっていう。なぜかというと、目の前で喋っている人が喋っている内容が、何にも私に向かって何も言ってないからですね。こうしなさいとか、こうしたほうがいいよとか、そういう話では全然ないわけじゃん。
その人の内面世界をただ表現してて、だけど、そこから何かが伝わってくるっていうね、何か感じるものがあったりするんですよ、その人がボソボソとか、あるいはギャーギャーとか、パフォーマンスしているところから、その言っている内容とはまた違う何かが伝わってきたりとか、もちろん言っている内容が伝わってきたりとかもありますけれども、
どちらにしても役に立たないっていう、そういう世界、そういう価値判断では全然ないところのお話。そうですね、お話を聞いているっていう感じですね。
どんなお話になるんだろうって、ワクワクしながら聞いたりとか、引き込まれて聞いたりとか、こういう時間というか、こういう経験自体が私の人生からすっぽりと欠けていたな、的な感じですね。
参加の感想
もちろん日頃YouTube聞いたりとか、YouTubeも役に立つってわけじゃないけど、でもある程度、ある程度何かやっぱり役に立つ話、やっぱり聞いちゃうじゃないですか。
あとは、ネットフリックスとかでドラマはもう目が溶けるほど見るんですけど、ドラマに、みたいな感じですね、完全にこの日常世界から離れた全く関係ない世界に没入して、リラックスして楽しむって感じですよね。
さすがにポエトリーディングは目の前に人がいて、3分間っていう時間の中で何かしらパフォーマンスするので、そんなふうにその世界観に没入しちゃうっていうことはもちろんないんですよ。
現実の中にいるのに、でもなんか異空間なところの話を聞いているみたいな、現実と非現実との境目のところにちょっといるみたいな、そんな感じの面白いことだなって思いましたね。
音楽とかが、あるいはダンスもそうかもしれないけど、そういう立ち位置的には近いんだろうとは思いましたけれども、音楽にせよダンスにせよ、やっぱり上手い下手っていうことと切り離せない一定レベルの技術のレベルって必要じゃないですか。
あまりにもひどい演奏とかあまりにもひどい歌って聞けない靴ですよね。ダンスも同じで、あまりにも下手だと見れないっていう、やっぱりそういうなんかあると思うんですよ、そういうレベルが一定の。
あるいはダンスとかだと振り付けがあって3分あったら3分覚えてないと途中で棒立ちになっちゃうとかってダメじゃないですか。そういう意味で最低限の技術を練習した成果みたいなのが必要なんですけど、このポエトリーリーディングについてはそのあるようなないようなですね、その技術っていうのが。
めちゃくちゃ下手な読み方でも、その方がいい場合もありますよね。演出としてもそうだし、その人の人となりが伝わるっていう部分では、別にそういう意図的な技術、声を張るとかそういうのがないからダメっていうことでもないですよね、不思議なもので。
だからこのポエトリーリーディングっていうものは、ものすごく日常の延長線上にあって、しかも日常ではないみたいな不思議な空間を作り出すものだなっていうふうに。
昨日ね、一観客として何のプレッシャーもなく聞いていて、なんか見つけたっていうか、こういうもんなんだなと思ったし、なんだろう、目の前に人間が立ってて、なんかその人の人生が目の前にある感じがしたんですよ。
これ変なこと言ってると思いますけど、日常的にあたしあんまりそういうの感じないですね。この人の言ってることは役に立つのかなとか正しいのかなとか、そういう評価をしながら人と話すんで、何にもないけどその人と一緒にいて楽しいねとかっていう感覚は、なんだこれ、なんだこれ、昔そういうの感じたことあるぞと思って、
どれくらいまで昔に遡ればあるかって言ったら幼稚園とか、なんか幼稚園の頃ってたまたま行った先で出会った知らない子と、なんかめっちゃ楽しく遊んだりとかした記憶がちょっとあるんですけど、
もうね、小学校に入ってくるとどこの誰ちゃんか分かってるっていうか、分かってないと遊べないっていうか、そんな感じになってた気がするし、私その小学校入ってから本当に転校生の生活が続いたので、なんかほぼほぼ周りみんな全員知らない子って思ってる期間がトータルするとすごい長くて、
その中で一人二人と名前と顔が一致する子が増えてきて、友達になったかなと思ったら転校ってなるんで、本当に深くその子と何十年も付き合うっていうことがなく成人してしまったんですよね。
成人する頃には人付き合いっていうのはそういうもんだぐらいの感じで、別に目の前にどんな人がいても全く関係ないと。
それはね、気の合う子気の合わない子、好きな人嫌いな人はいたけど、どうせまた別れるんだしなって思ってたんですよ、高校時代にはすでに。
だからそんなに深く付き合う必要ないじゃんみたいな、思い返せばそんなんだったなと思って。
その延長線上で大人をやってるんで、もはや知り合っただけで嬉しいとかそういうこと全然ないなっていうことを昨日初めて気がついたんです。
あれ?みたいな。子供の頃にはそういうのあったと思うけど、いつの間にかそういうのは全然ないじゃんって。
でも周りにいる人たち、全員とは言わないけど、ある界隈にはそうやってただただ何もなく楽しく遊んでる人たちいるなって思ってて、
何の意図もなく、この人たちとつながって何か新しい情報を得ようとか、あるいは何か企画して儲けてやろうとか、そういう意図が全然なく、ただ知り合ったから一緒に飲んでるとか、
そういう感じの付き合いをしてる人が割といるんじゃない?私はしてないだけで、周りの人たちって案外そんな感じで人付き合いをしてて、それで何の困ったこともなければ課題もない、問題意識もないし、問題もないしもちろん、ただ楽しいねって言って、
で、終わっていくっていうね。それっていうのが友達って感じなのかなって思ったっていう、全くポエトリーリーディングと関係ないところに話がね、決着したんですけど、でも本当に目の前にいて喋ってる人がやっぱり自分の思ってることを感じてることを話してるので、詩の形にして。
だから内容が全く全員違うっていうのは当然ですけど、でもすごいその人が感じてることと表現したいことっていうのが、もう話が拙かろうが発声がどうだろうが関係なくって、全員から100%にじみ出てるんで、そういう姿を見ること自体があんまりない日常の中で。
よくダンスなんかは表現することだとかって言いますけど、表現、結果的には表現してるんですけど、その内容的にはもう先生の振り付けを真似するので精一杯という感じで。
真似できたら気持ちがいいとか、そういう感じが精一杯というか、まあまあそんな感じ。そこよりさらに自分の感じてることを表現しようという域にまで行かない人の方がほぼほぼ。
に対してポエトリーリーディングって本当にただ自分の考えてきた言葉を読むだけなのに、いきなり表現全開みたいな100%自分表現ってなるのがやっぱりオリジナルの詩だっていうところが大きいのかな。
ダンスほぼほぼオリジナルじゃないですからね。大きいのかなと思った。日常的に会話、言葉を使って生活してるツールだから誰でもある程度は文章を書けるじゃないですか。
言いたいこと言えるじゃないですか。その延長線上のパフォーマンスだから、そんな感じになるのかなって。面白いものがあるなっていうふうに思って帰ってきました。
割かしなんか疲れてて、帰ってきたらぐったりしていて、それぐらい集中して見てたのかなと思うんですよね。他によく似たものっていうのがないっていうぐらい面白いポエトリーリーディングの世界でした。
ということで、昨日はそういうちょっとめっちゃ面白い、本当に何も考えずフラッと行ったんですけど、参加費もだって1000円でしたしね。参加費観覧するのにね。エントリーする人が2000円かなんかで。
本当に。そんなんでフラッと行ってフラッと見てフラッと帰ってきたんですけど、それにしてはものすごいインパクトが大きかったなと思ったっていうことですね。
だからもうなんかこういう時代ですよ。そんなにめちゃくちゃビッグネームの有名な東京ドームに行ってとかじゃなくても、身の回りにそういうのが転がっているっていう時代になってきたんだなって思いました。
だから私もやらなくちゃってならないところがまた素敵じゃないですか。
永遠とこれをただ楽しむ人でいてもいいっていう、そういうところが私にはまた嬉しかったです。また行きたいなって思いました。
観戦体験とダンスの練習
だから自分がチャレンジして私もやってやろうと思うものもあってはいいけど、そうじゃなくてただ楽しむ、鑑賞して楽しむっていう楽しみ方があってもいいなっていうところですね。
なのでダンスについてはですね、先週というか明日までにオンラインレッスンの方で動画を仮編集した動画を提出してっていう話があって、
そのために先週一回踊ってその後編集が結構大変で、編集しようと思うと素材が必要なんでとりあえずちょっと踊ってみてそれをってやったんですけど、
なんかもう二度と踊る気がしないっていうか、またこれ編集し直すのかっていうの嫌で、だからダンス自体は中途半端なんですけど、とりあえず編集するっていうのを先週結構時間をかけてやってました。
やっぱりね、2分ぐらいなんですけど、やっぱりすごいダンサーさんだったら一つのアングルからずっとその人だけを映してても持つのかもしれないけど、
素材的にやっぱり見飽きる。踊っている自分でさえ見飽きるんで、こんな途中でどっか離脱しちゃいたくなるんで、やっぱり途中で切り替えたりとか、
視覚的な効果を入れたりとか、ピカピカ光ったりね、それから色が違うとか、場面が変わるみたいな、そういうことをしないと、2分とかとてもじゃないけど見てもらえない感じがしましたね。
とりあえず先週はそういうことをしていたっていうことと、あと先週の大きなトピックとしては、あれはちょうど1週間前かな、娘ちゃんがね、次女を一緒に暮らしてるんですけど、半年ぐらい前からようやく本命の彼氏みたいなのができて、
割と真面目にお付き合いをしてて、その彼氏君は一軒家に住んでるんで、親戚のお家の空き家みたいなところをDIYしながら住んでるみたいなことなんで、ちょくちょく泊まりに行ってたんですけど、
先週突然、彼氏君と一緒に挨拶に来て、ちょっと一緒に暮らし、3ヶ月ぐらい一緒に暮らしてみるんでって言いに来たんですよ。今その3ヶ月終わった後には正式な結婚が待っているっていうニュアンスらしいんですけど、
そうか、今時の段取りっていうのはそういう風なのかと思ったんですが、まあまあね、ちょくちょく泊まりに行ってるんで、私も思ってたんですよ。これいちいち帰ってこなくてよくない?みたいに思ってて。帰ってくると家に洗濯物とかを残してね、行っちゃうんで、と思ってたところだったんで、もうどうぞどうぞみたいな感じなんですけど、
いざ行ってしまうと、すごい家の中がガラーンとしていて、夕方になっても帰ってこないので、晩御飯も作らなくてよくない?みたいになるし、すごい一面では寂しいんですけど、もう一面ではものすごく楽になったんです。
最初の1日2日はすごい寂しいと思ってブルブルしてたんですが、3日目ぐらいにちょっと立ち直ってきて、もう残されている服とかいらんくね?って言って片付けたり、まだね全部の荷物を持ってったわけじゃないんで。
で、4日目ぐらいからもう着々と模様替えをして、いらない棚を捨てたりして、やっぱり物が減るので棚とかも空いてくるんですよね、タンスと引き出しとかも。
いろいろ入れ替えて、自分専用の仕事用の机を置くスペースまで作ってしまって、今その新しいスペースで座って録音をしているんですけれども、部屋の隅っこのちっちゃいスペースなんですけど、これがない間ずっと私、食卓テーブルで全て作業してたんで、なんか嫌だなとは思ったんですけど、食卓テーブルってすごいいいんですよね、広くて。
物もわーっと広げることができるし、この間の決算の、会社の決算の作業なんかもいろんなレシートとかばーっと広げれるっていうところで、これは食卓テーブルでしかできないなって感じなんですけど、通常は別にそういう紙類を広げてやるような作業はしないので、今いるちっちゃなスペースで十分。
まだお見せする機会はないんですけど、Zoomとか動画資料とか作る段になると、もしかしてこのスペースから放送するっていう日も来るかもしれませんね。
仕事観の変化と記録の重要性
って感じで、この1週間はそういう意味で物理的にもというか、お家の中でちょっと移動しただけの話ですけど、でもパソコンを使う場所っていうのが自分の基本的な居場所になるので、それが変わったっていうのはとても私にとっては大きな気分転換ですよ。
できればちゃんとした椅子が欲しいなぐらいな感じでいますけれども、余裕ができたら最初になんかあるじゃないですか、ジム椅子、座るのが楽な椅子みたいなやつ、あれマジで欲しいなと思ったりしますね。
食卓の椅子に今も座ってるんで。結構長時間座るとお尻痛いっすね。腰にもきますしね。こんな感じでいろいろと突然変化が始まった6月の最終週でございましたが、明日から7月っていうことでね、
枠別の方も5期の方が1人いらっしゃるので、もうちょっと増えるかもしれないし始まっていくかなと思ったりしているところでございますが、
本当に60歳ぐらいまで仕事が全てだって、仕事以外のものなんかに何の価値もないぐらいに、そんな感じに自分を追い込んで、仕事以外の楽しいこともしようなんて思うと悲しくなっちゃうじゃないですか、自分の置かれている状況が。
だから仕事で成功することだけが幸せだぐらいに、自分で自分をかなり追い込んでた部分があって、それがやっぱり60歳ぐらい前後から緩んできて、突然ダンスを始めたりっていうふうになってきているわけですけど、
当然ながら仕事っていうものが占める部分っていうのは、サラリーマン男性とは違って、やっぱり自分の中では正直さほど大きくないんですね。なくならないですよ、私今でも仕事で大成功したらどれだけ楽しいだろうって本気で思ってますし、
何も諦めてないんですけど、だからといって、それが全てだっていうことでは、はっきり言って全然ないっていう、このこと自体はもう事実ですし、変わらないし、隠してる場合でもないし、今までみたいに仕事だけが全てだっていう前提で物を喋ってた時代っていうのにもう戻れませんしね、正しくないし、
今そういう人もいてもいいけど、仕事が全てだっていう人がいてもいいけど、だからといって全員がそうならなきゃいけないっていうことでは全然ないですので、自分なりのこのスタンスっていうのをもう認めてというか、
自分なりのその物事の優先順位というか、何が大事、何をやっていくべきかっていうようなことを柔軟に変化させつつ生きていくので、そういう言い方しかできないじゃないですか。
自動的にこのポッドキャストで喋ることも、何喋ってんのこの人みたいな、今日は一体何の話みたいになると思いますけれども、それでもやっぱり記録って残しておくべきですよ、この時代に私が何を感じていたか、ものすごい勢いで忘れますからね。
70歳になった時に、65になる頃に自分が何を喋ってたかって、くっそくだらないこと喋ってたよねってきっと思うと思うんですが、そんな風に懐かしいものも楽しいよねっていう、そういう未来のために私これはやっぱり記録しておきたいなと思うので、ポッドキャストはこれからも続けていきますが、
これを聞いたからといって、あなたの仕事がうまくいくとか、そんな保証は一切ございません。ということで本日は以上です。