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2025-12-15 22:43

【聞き流し】ダンサー×詩人セッション会 @名古屋

音楽に合わせて踊るのがダンス…という既成概念が通用しない詩とダンスの練習会。

3回目のチャレンジで初めて、自分の中から感情がわき上がる体験をしました。

表現するっていうことは、果てしなく新しい世界が広がる体験なのですね。

サマリー

名古屋で行われたダンサーと詩人のセッション会では、詩に合わせてダンスをするのではなく、ダンサーの動きが詩人の表現に影響を与える新たな試みが行われます。この経験を通じて、ダンスの本質がコミュニケーションであり、感情の表現であることが再発見されます。また、ダンスと詩のコラボレーションを通じて、自己表現の重要性とその素晴らしさが強調されます。参加者は、自らの体験をもとに表現することの価値を再認識し、新たな創造性の可能性に触れます。

セッション会の概要
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
12月15日月曜日午前11時11分に収録をしております。
1111並んでいます。
今日は月曜日ということなんですが、
週末ですね、ダンサーと詩人の練習会に行ってきました。
セッション会か。
えっと、ん?待ってよ。
そうですね、土曜日の午後にありました。
名古屋の今池のレンタルスタジオでやったんですけど、
ちゃんとね、照明もあってね、なんか雰囲気のあるスタジオでした。
で、いつものように詩人の方がいて、
ちょうど5人とダンサー5人だったんで、
あのくじ引きをしながらペアを決めてやったわけですけど、
詩人の人が詩を語るというところにダンスが絡んでいくんですけど、
この練習会、えっと3回目になるんですよね。
だから、皆さん最初は詩に合わせてダンスを踊ると、
詩の言いたいことに合わせてダンスを踊るみたいな感じだったんですけど、
3回目の、こないだおとといはですね、
詩に合わせてじゃなくて、なんかダンサーはダンサーで何かやりたいことをやって、
その動きに影響されて、詩人の人が読む、読み方とかも変わっていくみたいなことで、
こう、当初予定になかった、何やら新しいものが出来上がる感覚があるよねって、
そんな感じになった練習会でした。
ダンスと詩の新しい関係
短い時間でしたけど、フィードバックを一人ずつ言う時間があって、
そんな中で、ほとんどの人がそれを感じていたみたいです。
私個人的には、前回も前々回も、何してるんだろうなってよく分かんなくて、
詩に合わせて踊るって言っても、もう詩の意味も分かんないし、
リズムとか音楽もないわけなんで、どうする?みたいな。
で、やり終わった後も、何だったのかなって、
こう、やり切ったもなければ、うまく出来たもなければ、失敗したもないんですよ。
で、私下手だったとか、自分の中で自分のやったことを評価できる基準が一個もないっていうか、
結果的に終わった後で、うーん?みたいなね、大きなクエスチョンマーク浮かんでるっていう。
私は何をしたんですか?っていう感じだったんで、多分そのあまりにも分からなくて、
もう一回行ってみようかなってなって、おとといの3回目に挑んだっていうことかなと思うんですけど、
さすがに3回目やってみると、来てるメンバーも初対面ではなくなってくるっていうこともあってね、
あんまりこういうことをしたらどういうふうに見えるだろうかとか、どう思われるだろうかとか、
もっとこうした方がいいんじゃないかとか、そういう理性みたいな客観視する考えがあんまり出てこなくて、
それより自分がどう動きたいか、この時この場で何をしたいのかっていう、
自分の中から起きてくる衝動を捕まえて、捕まえたらすぐそれをやるっていうことにフォーカスできたというか、
前回に比べればそういうものにフォーカスできる度合いが増えたなって感じでした。
結果的には気持ちよかった。自分なりには。そう、面白かったというか、気持ちよかったかな、どっちか言ったら。
で、終わった後にそうやってあまり周りの目を意識していない自分っていうのに終わった後で気が付いたりして、
やっぱりどこまで行っても不思議な世界だなと思ったし、振り付けを覚えてね、
みんなと合わせて曲を踊るっていうダンスとはものすごく遠い位置にあるような気がして、
やってるうちによくわからない感情が自分の中に芽生えてきて、感情が自分から出ていくみたいな、
そういう経験ができたのも初めてのことで、そんなの振り付けをこなしてる時は絶対出てこないですよ、必死だもん。
音に遅れないように、振りを間違わないように、周りと合わせるようにみたいなことに気を使いすぎて、
今自分が何を感じてるかなんて全くそんなとこまでは意識が行き届かないので、
本来そこまで意識が行き届くぐらい振り付けとかを消化してればいいんでしょうけど、
そんなとこまで行くわけがないですのでね、通常。
そうすると振りとかやらなきゃいけないこととかを全部取り払って、音楽まで取り払っちゃった結果、
何やってもOKってなると、もはやあまりに制約がないので、自分の気持ちしかないっていうことになってきて、
ここに来てようやく本当に、今年の3月、4月、5月受講していたケイコマイさんのフェチャルマのワークショップでケイコマイさんが一貫してずっと言っていた、
ダンスはコミュニケーション。
気持ちを伝えるものであって、伝えるべき気持ちがないのに踊ってても誰にも伝わってないよっていうような、
本来ダンスはコミュニケーションとしてあってっていうような話を延々とされてたんですけど、
その時、頭ではそうなのかと理解はするものの、ちょっとよく実感が湧いてなかったんですけど、
おとといの死とダンスのセッション会では、初めて気持ちが湧き出る、ダンスの中で気持ちが湧き出てくるっていうのはこういう感じかっていうのはちょっと体感できた気がして、
それが面白いなっていうかね、これだったのかなってちょっと何かを見つけた感じがしました。
アートコミュニティの創設
それって気持ちだから、通常の日常でも自分の気持ちが湧き出たとして、それって上手下手とかないじゃないですか。
なんかすごい寂しいとか、めっちゃ楽しいとか、思ってる感情そのものには良い悪いもなくて、
いやたまたまその時そういう気持ちだったんだからしょうがないじゃんっていう、それを表現することも日常の中で別に上手い下手じゃないよねって。
ダンスも結局その延長線上なので、その感情があるっていうことの方が大事で、その表現方法がその人なりであるのは普通のことだよねっていう風に。
かえって逆にその表現方法を練習するみたいなところからいつもやってるわけですけど、
その表現方法だけ練習して、どれだけ何十年練習し続けてもそれが表現したい気持ちとピッと合ってないんだったら何のための練習かという感じになるのかなと思いました。
この年末だから、先週のひろとけんさんとHDCの豊川のセッション会に続き、先週の豊川と先週の今池の詩人とのコラボの練習会。
2回がまさしく同じような感じだったなって思うし、何かしらの周りとつながる感覚があるっていうことですね。
自分はそうやって自分の感情にアクセスしてダンスをするとき、それがちゃんと理解されたかどうかは分からないし、言っても別に理解されなくたってどうってことはないんですけど、
それでも何かしらの何かが周りに伝わった感じがあるっていうのは本当に感じました。
だからやるんだなって思ったし。
そもそも、私お仕事で最近楽筆のアートのコミュニティを作るっていうことを決まっていて、作るんですけど、あとは告知のLPと申し込み窓口と就勤のあれを作ったらできるんですが、全然進んでなくて。
頭の中ではできてるんですけど、これを皆さんに分かっていただくようにページとか解説とか、あとお支払いのフローとかを作らないと誰も受講できないじゃないですか。
あと告知もしていかないと。そこからの作業がちょっと滞ってしまって、何からやったらいいのかなみたいに。
めんどくさいなとか思って全然進んでないんですけど。
でもこの、私は筆文字もイラストも何も書かないですけど、でも表現するっていうことにおいて、それはダンスだろうが歌だろうが音楽だろうが他のだろうが、絶対根本にあるものは一緒だなと思うので、
ここに来てようやく私がアートコミュニティを主催するっていう覚悟が決まったのは、やっぱりダンスのおかげで、それも今年のフェチャルマをきっかけとして、
ダンスの本質ってもしかしてって表現するってことじゃねみたいな、言葉にするとめちゃめちゃシンプルで当たり前じゃんみたいな話なんですけど、
でも表現するっていうことに人々は当然その評価、上手い下手っていうのをくっつけて言ってるので、私の表現は下手だからみたいに言うんですけど、
そういうことじゃなくて、ほぼほぼの人は表現ができてなくて、人の上手くやったやつを真似してるだけ。それも多少の表現ではあるけれども本当の本質ではなくて、だから魅力がないんだよねっていう。
そこのところは筆文字であれイラストであれダンスであれ全く同じだというふうに確信が持ってたので、だから私にはアートコミュニティを主催する資格があるというふうに感じれるようになったということです。
これはもちろんSTOMのレッスンが中心なんですけど、STOMのレッスンだけがその価値、魅力、コンテンツではなくて、こういった広くアートを楽しもうよっていう、そういうムーブメントにしていけるサークル活動にしたいなと思っておりますので、
来年からなんですけど、なんとか年内にすべてのツールを用意したいなと思ってはおります。
実を言うと年内というか今週中に月・火・水・木の間で完成させようと思ってます。こうやって言わないとね、だらだらと伸ばしてしまうので。
そんな感じで、もともとこの楽筆というものと私のダンスというものは全く関係ないと思ってて、楽筆をやりたくないからダンスをやるみたいなふうだったんですけど、
なんか気がついてみるとあれって猫は一緒なんじゃないみたいになってて、いろんなことが別々のものとしてやってたことがやっぱりくっついていくし、楽筆のためにしょうがなくやっていたマーケティングなんていうのも、やっぱり人に何かを届ける方法?
何かを届けるのに人の心を打つというかね、人に刺さるような表現をしていくっていうのがマーケティングの方法なので、それっていうのも広い意味で言えばアートだよねと思うし、こうやって私が自分の思うことを言葉にして、今はポッドキャストとして配信していますが、
自己表現の探求
もちろん文章として配信することもできるし、というふうに派生して、であるならばこういう方法もできるよね、こういう切り口もあるよねっていうふうに、なんかいろんなことが結びついて、
で、私のオリジナルのコンテンツとして、新しいやり方っていうのが見つかっていきそうな予感がする、今日この頃であります。
で、前回お話ししてると思うんですけど、ほんと自分でも忘れてたんですけど、本を書いて作家として生きていきたいっていうのが、もともとの夢だった、子供の頃の。
で、何度も当然挫折するっていうか、挫折以前にどうやって挑戦したらいいかもわかんないっていう、そんな中でインターネットに出会ったので、インターネットなら、つまりホームページなら、自分が書いたものを公開できるじゃない、っていうところで一生懸命学んだホームページの作り方だったんで、
順番から考えると、自分が書きたいものをみんなに読んでもらいたいという小さな願いから、子供の頃から持っていたちっちゃな願いを叶えるために、道具として学んだホームページがいつしか仕事でしょうみたいに、
いっこさんホームページ作ってくれるんでしょうみたいに言われて、なんかすっごいムカつくなっていうのは当然、いやそこじゃないと、私が書いたものを読んでほしいんだよ。
だから覚えたホームページであって、あなたの言いたいことは私興味ないよ、なのにどうしてあなたのホームページを作らなきゃいけないの、みたいにものすごく気持ちがね、ものすごくね、何ていうかね、ムカついちゃうわけですよ。
でも先方は、いや業者でしょと思って話をしてるんで、なんで私がそんなに不機嫌なのか理解できないですよね。
なので私はホームページ制作はやりませんって言ってるっていうことなんです。
私は作れるけどね、あなたのは作らないよっていう。
だって私が作れる理由は、何とかして自分の表現したいことを表現したいから必死になって覚えて、今も情報収集は続けているし、作ったサイトのメンテナンスは当然やってますし、時々何かでエラーになったりするんですよ、やっぱりね。
そういう時はすかさず直すし、直し方なんか知ってるわけないから、その場でググって、解決するまでググって直しますし、当然自分のやりたいことですからやります。
けど、この興味がない他人の、他人が、他の人が表現したいことを手伝う言われはないわけですね。
そういう意味で私が今、お手伝いさせていただいているのは、そのダンスのフェチャルマのウェブサイトを管理させていただいているんですけど、これは完全にボランティアで、私やりたいんですよ。
すごいその内容に興味がある。
それから共感もするし、応援したい気持ちがすごくあるんです。
本当だったらダンスで応援できるといいんでしょうけど、やっぱり能力的に、あとやっぱり一番得意な分野で応援するのが一番効率がいいわけで、というわけでウェブは私にやらせてくださいみたいに現状になっているという状況でございまして、
これは私は誇りを持ってこれやってるんだよって、ものすごい誇らしい気持ちでフェチャルマのホームページは管理しています。
こんな私がね、是非管理したいって思えるようなものに出会えているっていうのが一つすごいんですけど、それは2025年今年の大きな収穫で、どんなに世話になっている人であっても、こういう気持ちになることはないですので、感謝しているからといって、その人のウェブサイトをただでお手伝いしたいなんて、
思うわけがないんです通常ね、それがフェチャルマではもう他のことでは貢献できないからせめてこれで貢献させてくださいっていう気持ちになるっていうのは、私は本当にフェチャルマのファンだし、なんか力がなさすぎるんであれですけど支援者として協力したい気持ちがいっぱいだし、
なんかこの、昨日、前回と今回話している、そういう表現することの素晴らしさ、誰でもできる、資格なんかいらなくて、私みたいに素人でもできることからやっていい?
本当に何の資格もいらない、例えば芸大を出ているとかね、小さい頃からバレエを習っているとか、そういう訓練とか全然必要なくて、今、どんな年代の人でも今今日この場から始めていいものであるっていうこととか、
自分が表現を始めると、他の人がしている表現が見えるようになってくるんですよ。私は自分が表現をしていなかってただ形を真似していて頃は、他の人のダンスを見て、何この下手なダンスって思ってた。
なんか形にはまってないダンスをしている人を見ると、なんかよくわからないなって下手くそだなって思ってたんですよ。それがね、今見るとものすごいオリジナリティみたいなものが見えて、素晴らしいなとか思ったりするわけ。
その相手の人がやっていることは、昔も今も変わってないとして、完全に私の見方が180度変わっているんですよね。それぐらい、やっぱりアートを鑑賞するのにも、自分が表現をしているかどうかっていうところで鑑賞できる深さが変わってくるの。
通常、アイドルのダンスとか見てね、この子上手ねとか、この子きれいねとか、この子は下手だねとか言っている。そのレベルでいては、本当の本物は鑑賞できないっていうことですね。いいですよ、それでも。そういう楽しみ方もあるからね。
お客として、観客として楽しむっていうあり方ももちろんあるわけだから、当然それでいいんですけど、でもやっぱり自分が表現者として表現を始めたら、もっと広い世界が見えてくるっていうことを私、フェチアルマで教えてもらって。
そこから先が、自分なりの表現って何ができるんだろうっていうことの追求、探求になっているんで、原点フェチアルマが、人気が出るとかそういうんじゃなくて、この素晴らしさだけは守りたいと。
日本の中でそんなことを提唱している人がそんなにいないと思うんで、知らないですけどね。本当ぜひ応援したいです。ということで、とっちらかっちゃいましたけど、本日は以上です。
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