1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. ゼロベースな段階を過ぎてしま..
2025-04-19 28:38

ゼロベースな段階を過ぎてしまった?

腰痛自粛から4年が過ぎました。

心がすり減るような生活の中で、唯一の息抜きだったJazzDanceのレッスン。


そのレッスン中の怪我がもとで腰痛自粛からのゼロリセットだったのも、考えてみれば示唆深いけど。


つまり、私の無意識からの「止まりなさい」の指令だったのかなと思って。


ともかく、それまでやっていた心がすり減るような仕事を全部やめて、ようやく得た静けさと安心。


そこに慎重に少しずつ活動を取り入れ始めて、今に至るのですが、さて。


ゼロからのスタートだから、気楽にやっていたいろんなことが、ゼロじゃなくなってきてるぞ、と。


芽が出る段階を超えて、育ち始める段階にきている活動があるぞ、と。


そうなるとちょっと、今までみたいに気楽に何も考えず、次々と手を出すようなことでは、続かないというか、おかしなことになるな、と思うようになったので、ああ、お気楽なゼロベースな時期は終わってしまったんだなって、思ってます。


ゼロベースが好きなので、作ったものを手放して、またゼロから新しいことを始めたい、という気もします。

サマリー

ポッドキャストのエピソードでは、金田イクコが自身の健康問題、特に腰痛やその原因となる筋肉の怪我について語り、生活におけるストレスの影響を考察しています。また、怪我を経て新たなスタートを切る希望や、ストレスから逃れるためのダンスへの思いが強調されています。このエピソードでは、ゼロから新たな人生を築く挑戦が語られています。特に、過去の選択肢や身体の反応が自己をリセットさせ、再出発へと導く様子が詳しく述べられています。ダンスは本来癒しの場であるはずですが、競争的な要素が加わることでストレスの源になることが語られ、自分の楽しみや生き方をどのようにデザインするかという重要性も強調されています。

音声日記の始まり
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
4月19日土曜日のですね、午前9時17分に収録をしています。
土曜日に収録って非常に珍しいんですけれども、
今日は同居している娘がね、お泊りで出かけていていないので、
普通に平日と同じような感じで過ごせていて、
それで何日か前に一回ね、配信しようとしたことがあったんですけど、
配信せずに終わってしまったので、もう一回ちょっと話したいなと思って収録を始めました。
えっと、やっぱりね、今ね、4月、2025年の4月なんですけれども、
2020、違う違う違う、えっと、2000年に私60歳になってますので、
本当ね、その翌年か、2021年ぐらいから、
それまでやっていなかったことを一斉に始めたんですね。
それまでやっていたことを、2000年の後半で一挙にやめて、
しばらく数ヶ月ですね、本当に何もしないという時期を経て、
そこから先、自分のなんか面白そうなことをやっていこうみたいなことで、
一個ずつ始めてきて今に至るんですけど、
その、えっと、2000年の後半で一気に全部やめた理由が、
いつもお話ししている腰痛自粛っていうやつで、
腰痛って言ってますけど、正確に言うと、大腿筋の、お尻の筋肉の一部がですね、
多分肉離れですね。
筋肉の損傷だったと思うんですけど、最初は。
すぐ治るかなって感じだったんですよ、最初は。
いつやったかも覚えてて、
それは当時通っていたジャズダンスのレッスンの、
ジャズダンスのレッスンって、だいたいどこでも前半にストレッチとかめっちゃするじゃないですか。
そのストレッチ最中だったんですよ。
ぐっと足を伸ばした瞬間にプチッて音がして、あれ?みたいな。
痛ってなったっていう。
なのでストレッチ中に怪我をしてるんです。
でもね、そんな重篤な怪我じゃない。歩けたし、すぐ治ると思ったら、
案外治らなくてどんどん悪化してしまってみたいな。
でも、そうは言っても筋肉の怪我なんで治ったんですけど、
これがね、冬場になってきて寒くなる頃に再発して、
この原因は後でわかったところによると、やっぱり筋肉の損傷って奥の方で起こるとやっぱり出血してたりとか、
あと何ですかね、組織が、傷ついた組織みたいなやつがどうしてもできるんですけど、
これがうまいこと、排除されてないと、排除っていうか流れる?排出か。
排出うまくされてないと、そこに残ったままになるんですって。
それが寒くなってくると血行が悪くなるのでカチカチになって、
それが周辺の神経を刺激して、結局座骨神経痛というようなことに。
座骨神経ってお尻の裏側から足の裏側通っていく大きな神経の束らしくて、
大体その辺で何かがあると全部座骨神経に響くんですよね。
だから座骨神経痛の原因っていうのは様々な結果、
座骨神経痛っていうのはそのいろんな原因の結果を起きているみたいな話らしくて、
全然病名としていまいち理由のよくわからない病名だなと思うんですけれど、
ともかく思った以上にこじらしてしまったということに過ぎないんですけれど、
でもその発端になったストレッチ中に怪我をするって、
それ自体が聞いててお分かりになると思いますけど、
ストレッチ中にプチッと筋肉が切れるなんていうのは、
力いっぱい引き伸ばしたからに違いなくて、全然逆効果ですね。
ストレッチってそもそも筋肉柔らかくしましょうみたいな話なのに、
柔らかくするどころか力いっぱい伸ばした結果切れるみたいなことですので、
常にストレッチとして正しくなかったんですけど、
私その時のそうなった理由もわかって、先生じゃなくて私なんですよね。
その日、朝からずっと予定を詰めていて、
なんか2つぐらい予定があってギリギリ走っていって、
夜のレッスンに駆け込んでの怪我だったんですよね。
その直前にやっていた仕事がまあまあストレスフルっていうか、
人に振り回されるような状況っていうのかな。
移動距離も結構名古屋まで行ったり来たりしてたし、車で。
長距離の車の運転はするわ、人の対応はしなくちゃいけないわで、
なんかもう本当に精神的にストレスで限界に来てた。
限界、もう本当に自覚もしてて、とんでもないなこの生活と思って。
当時は唯一の息抜きがジャズダンスのレッスンだったんで、
絶対行きたいと思ったんですね。
こんな現実に振り回されるのは嫌で、
絶対別世界のような空間に行きたいと思って行ったんですけど、
それまでのバタバタをそのまま持ち込んでのストレッチで怪我をしたんですよね。
まあ今にして思えば当たり前なんですけど、
当時やっぱりそのストレスまみれの最中にいると、
やっぱり自分でコントロールしてるつもりでも全然コントロールできてなくて、
環境にというか状況に振り回されちゃって、
自分のペースを完全に失っている状況でしたね。
で、そのプシッとなってからも歩けたのでしばらくは続いたんですけど、
年末に入って悪化して座骨神経痛みたいになった時に、
本当に歩けなくなっちゃって、
滑ってひねったのがきっかけで本当に骨がずれるぐらいの感じになった時に、
完全に動けなくなって、横たわったまま立ち上がれないみたいな。
それになったのが年明け早々かな、
61歳になる年の1月ぐらいに。
でも寝てるか立っているかしかできない、
座るというその中間の動作が全て痛いみたいになっちゃって、
もうね、頑張ればできるでしょとかいうレベルじゃなかったんで、
全ての用事、全ての用事キャンセル、
全てのダンス含めて当然、全ての活動をできません。
でもその症状がわかって、
誰も文句は言わなかったというか、言っても無駄だったということで、
人生で初めてと言っていいぐらい、
1日中何もないという時間を得たんですね。
それっていうのは当時の私にとっては本当に嬉しくて、
本当に本当に本当に本当に嬉しくて、
痛いのだけが嫌だった。
だけど、やりたくないことをやらなくて済むっていうことの喜びが大きくて、
痛いのは治りたいけど、前の状況には戻りたくない、
っていう気持ちだったんですね、素直に。
そうそう。
で、その後、
そういう状況から再スタートになるので、
これから、この怪我が治っていくのは最初からわかっていたんですよ。
再スタートの願い
当然。
でまあ時間が経てば治るだろうなって思いつつ、
治った後、元に戻らないようにしようということをものすごく心がけていて、
治った後、元に戻らないようにしようということをものすごく心がけていて
だから状況が良くなってきて、動きているっていうのも秘密にしてましたし
当時やっていた仕事、ちょっと営業系の仕事だったんですけど
なんか、そもそもそんなに興味を持って始めたわけでもなかったので
だけど、あらゆるグループにはその中でのルールがある
ルールっていうかルーティーンがあるっていうか
みんなが動いているところに参加していると、自分も動かざるを得なくなる
みんなとペースを合わせて動くか、それともそこから離脱するかの二択なんですよね
振り回されて、あれしてこれして、こうしたらどうとか
来てくださいとか、いろんな感じでとにかく動かざるを得なくなって
振り回されて動いていたのが、腰痛でパタッと全部シャットアウトできるようになったので
これを手放しちゃいけないとばかりに
本当に治ってきて、結構車に乗れるようにもなってきたのも内緒にしていたんです
連絡を立ってましたね、そっちの方面と
ただ、治ってくるとさすがにやりたいなっていうことも思いつくようになった一つがダンスで
さっきも言ったように、本当にストレスフルな日常からの逃げ場として
ダンスやってる間だけは考え事ができなかったので
あらゆる雑念が消えるというか、そういう時間として私、ジャズダンスを楽しんでいたんですよね
50代の頃はね
だからその中で上手になろうとか、振りも覚えられなかったし
それでも良かったというか、なんていうか
振りを覚えようと頑張る、集中するということで
ようやく日常生活を忘れることができていたので
それはそれでいい時間だったと、今振り返っても思うわけなんです
ただ、自分で一生懸命ダンスを本気でやろうってしてなかったのは確かだったので
その腰痛自粛の間に、この怪我の痛みが治るのはもちろん治りたいけど
治った暁には元の生活には戻らず
ただダンスだけもっとできるようになりたいですって
そういうふうに願い事をしてたんです
新たな人生の挑戦
そこからが61歳になる年、2021年の1月ぐらいの話なんで
そこから本当に自分でも最新の注意を払って
嫌なことを引き受けないように本当に心がけて
少しずつ活動を増やしてきて、今に至っているんです
なので、とはいえ何となくやっぱり復帰してくると
いろんな雑事が降りかかってきて
全て自分の思い通りとは言えないまでも
それでもかなり自分で選んで活動を
今までやってきたなっていう印象です
ところがやっぱりさすがにここに来てですよ
ちょっとなんかぐるっと一巡しちゃったなって
今までの新しい人生始めようみたいな
今までの仕事に引き戻されるのではなくて
ゼロから、真っさらな白紙から
新たにいろんなことを始めていこうとして
今来てるんですけれど
もはや真っさらなサラチではなくなっている
っていうこと、それをちょっと認めないといけないな
過去の経験と反応
っていう状況に今来ているなっていうのを感じています
真っさらなサラチっていうのは結構自分的には好きで
何ていうのかな
何も成し遂げていないから何でも作れる
成し遂げたところから作ろうとすると
今持っているものを失ったりとか
評判とかそういうのも含めてね
っていう危険性があるんですけど
私60歳の時にとにかくゼロでしたので
子供も成人して育ってましたし
どうしてもやらなきゃいけないことっていうのは
実際問題どれぐらいあるんだろうって思ったら
ほとんどなかったっていうことで
ゼロからスタートができたんですね
これは41歳の時に専業主婦から
突然自営業を始めなくちゃいけなかった時とは
状況が違って
その時は一家4人の生計を私が支えなきゃいけない
と思ってのスタートだったんですね
言ってみればマイナスからのスタートですよ
ゼロからじゃなくって
だから自分の好きなことをやろうなんてことじゃなくって
今すぐお金が稼げることをやろう
っていう選択肢が一択だったんです
そこの中においては
自分が何をやりたいだろうとかっていうのは二の次で
それよりも自分ができることの中で
一番人の役に立てやすいこと
需要がありそうなこと
ニーズがありそうなことはなんだろうっていう観点でしか
選択肢が選べず
自ずと自分のやりたいことみたいなことは
もうどんどん封印する方向
そんなこと言ってる場合じゃないのよ
って自分に言い聞かせて
20年ぐらい必死に頑張ってきたんですね
そのなれの果てというか
その結果パンクして
それで怪我をするっていう
結果だったと私は今
その時も今もそう思ってて
結局無理を重ねた結果が
そこにつながっていると
人間無理はできるけれども
無限にはできなくて
やっぱり体は正直で
そういう無理難題を引き受け
尽くして
自分のやりたいこととかを全部無視して
押し殺して
やらなきゃいけないからっていうことで
走り回っている
そのことにストップをかけようと
私の潜在意識が
ついにそういうふうに決断をしてですね
それを成し遂げるために
動けないっていう状況を見事に作って
腰とか足を痛めるっていうのは
動けないとまさに一緒のことじゃん
物理的に動けないんで
それを表現しているな
体が表現してくれているなっていうか
選択するっていうか
なんていうんだろう
体がストップをかけてくれたなっていうのを
その瞬間から私実は思ってて
自分の意思で止まれればよかったんですけど
自分の意思ではどうしても止めることができない
なんか流れみたいなやつに巻き込まれていたので
それを強制リセット
かけてくれたのがその時の
怪我だと思って
ダンスと自己の再発見
感謝っていうよりかは
それ自分自身の選択っていうか
決断だったと思うんですね
ただ私が脳では決断ができなくて
体で決断しただけで
いずれにしても私の選択だったに違いなくて
偶然でそんな風になったとは全然思わないです
本来痛いのが嫌だったら
自分で止めますって言うべきだったんですよね
ですけど
状況的に後で振り返ると
自分の意思で止めるとか言って
いろんなことをやめたら
絶対に人間関係全部切れてたと思うし
今本当にゼロだったと思うんですけど
私腰痛で遠ざからざるを得なくなったっていう
状況での離脱だから
みんな同情的で
いやいいよしょうがないよねって言って
OK出してくれた
ほとんどのことがそうなって
だから今も人間関係的には切れてなくて
戻ろうと思えば戻れるみたいな
そして報酬も
未だに少しだけいただいているっていう
縁切れてないんで
なんか素晴らしいなと思って
やっぱり潜在意識のやることって
抜かれないっていうか完璧
人間が頭で考えて計画してやることって
どうしたって不完全で
一面ではうまくいってるけど
違う面ではその反動で
作用反作用みたいに
そのせいでおかしくなるっていうことは
必ずセットでついてくると思うんですけど
潜在意識的にやることって
本当に発泡うまく収まるっていう
不思議な展開で解決していくなっていうのは
実際実感として思います
思うんですけれど
とはいえその時の選択
腰痛でこれリセットしようって
きっと私の潜在意識が思ったんでしょうね
リセットしてくれて
その後自分で新たな選択をして
いろんなものをまっさらなお庭に
いろんなお花を植えたみたいな感じですかね
だんだん芽が出て
枯れるものは枯れ
育つものは育ち
そしてなんか最近では
雑草と思ってたものから
あれ木が生えてきてるみたいな感じで
少し目立つものがいくつか出てきていて
そこで畑と困るわけですよ
私はお庭に1年草を植えるだけで
どんなものを植えても
冬になったら枯れて
春になったらまた植えてみたいに思ってたんです
それを楽しんでいけばいいやって
ところが根が張って
多年草みたいなこれから
伸びていくぞみたいな木が
いつの間にか育ち始めてるぞと
これ木なのか
それともこれで今刈り込んでしまえば
別にいいのか
木が生えてきたからといって
それを伸ばさなきゃいけない
義務は私にはないよねとか
いろいろ自分がその
まっさらに作り始めた庭を眺めながら
あれ様子が変わってきたなと思って
うろたえているというのが
今の状況ですね
お仕事的にもそうだし
ダンスとかっていうのもそうだし
最初に言ったように
ダンスって私の逃げ場だったんですよね
めちゃくちゃ嫌なことばっかりの
現実世界から
唯一離脱できる
不思議空間みたいなところだったんです
レッスンに行って
1時間15分のレッスンでしたけど
帰る時に
車に乗って外に出るわけですけど
本当に長い旅行から帰ってきた時みたいに
街の風景が違く見えてたんですよね
すごく新鮮に見えていたっていうか
レッスンに行くまでの道は
もう考え事でいっぱいで
次どうしよう
あれどうしよう
こうなったらどうしよう
あれをしなきゃ
これをしなきゃみたいな雑念だらけで
風景なんか目に入らないっていうか
壁の模様みたいな感じで
レッスンするところに着いて
それで1時間15分のレッスン終わって出てくると
空気も新鮮だし
色も見えるし
それから奥行きが見えるっていうんですかね
風景に
本当に立体のっていうか
そういう場所に本当にいるなって感じることができるっていう
そういう体験をしていたんです
当時
これはダンスのレッスンに通っていたというよりも
現実から離脱する時間を
なんか栄養補給みたいな感じで
それないと死ぬみたいな感じですよね
そういう救いの場として
ダンスをしていたんで
習いに行ってたっていうか
だからその時の私のダンスに対する感じと
今ダンスっていうものに対しての認識と全然違うんです
そうそう
ダンスの変化とストレス
だから何年も3,4年そこのクラスでレッスン受けてたけど
一つも振り付け覚えてないし
何なら最後まで覚えれた振り付けは一個もないぐらいなんですよ
でも必死に先生の振り付けを真似して
集中しているその時間が貴重だった
その意味では雑念はなかったんですね
人より上手に踊ってやろうとか
エゴも全然ない
ただ必死な人
だからそういう癒しが訪れたのかなと思ってるんですが
さてここに来て
かなりダンスのレッスンを積んできて
ダンスがそんな逃げ場ではなくなってきて
どっちかって言ったら
勝負をする場っていうか
別に勝ち負け関係ないんですけど
でも何事かの自分の活動
自分が主体的に取り組むべき活動として
意義が変わってきちゃうと
今度その活動を頑張ってするために
必死に努力するとか
自分を叩くとか
もっと頑張らなきゃいけないとか
言って仕事みたいになってきちゃうわけですよね
逆に
そもそも私の逃げ場であり
癒しの空間であったものが
この感じで今までみたいにやっていくと
裏返って今度はダンスがストレスで
そこからの逃げ場として
何か分かんないけど
他のことをするかしないのか分かんないけど
そんな風になったら
私が思うに本末転倒ではないかと
そもそも素敵って思ってた
私のダンスに対する気持ちを
なぜここまで来て必要もないのに
なぜそんな風に
貶めなくてはいけないのかと
そんなに自分がダンス人より上手ってことが
そんなに大事か
別にプロになって
ショーでお見せするわけでもないのに
そんなに大事か
自分のこの大切な大切な
癒しの時間であったはずのダンスを
やればやるほど
なんか
嫌な気持ちにまみれていくんですよね
それでいろいろ
なんだろう
自習
自習参加のやつとか
みんなで集まって練習してっていうのも
本当になんか
余計なストレスだなと思うようになって
楽しいよりもストレスの方が大きいじゃんと思って
やりたくないって思っちゃってやめてるんですけど
自分の人生のデザイン
まあその
極めようと思えば思うほど
そうやってストレスを感じていくっていうのは
当然そうなんだろうなとは思うけれども
だからといってやっぱりね
0か100かじゃないですから
自分の中でここまでは
自分の楽しみとして確保しようって
いうふうに守ってあげないといけないのかな
って思ってます
何を守るって
やっぱりそういう
ガイアの声みたいなやつですね
自分の中にあるんですけど
私はまだここの技術が足りてない
だからここまでやらなくちゃとか
踊ってみたけど
ここが不完全だと
ここをパーフェクトにしなければとか
あるいは隣で踊っている人と比べて
全然まだ足りてないとか
なんかもう無限にあるんですよね
そういうのって
言い始めたら
まだこれが足りてない
まだ足りない
まだ足りない
もっとやらなくちゃいけない
みたいなやつを
どこまで
っていうことですよ
それに巻き込まれると
やっぱり自分を擦り減らすってなると思うし
体力的なこともあるし
それから
キッズと違ってね
これで将来とかっていうことがないですから
冗談じゃないよって感じですからむしろ
自分はこのダンスってものを
どのように楽しみたいかっていうことは
自分で決めないといけないな
決めないといけないというか
自分に決める権利があるし
当然自分の
選ぶべきことだし
そうやって考えると別にダンスに限らず
仕事をどのように
どの程度
どんなふうにやっていこうかっていうのも
全て自分で選択できることだし
選択しないといけないことで
だって自分の人生を
そうやってデザインするんじゃないのって
人が言うから
状況がこうだからしょうがなくって言って
自分の思いを
無視して
流されてやっていくことで
私は怪我をしてゼロに戻ったし
そこからの再スタートで
また同じことを繰り返したんじゃ
全然ダメじゃん
何のために怪我をしてリセットしたのか分からない
だから
自分の人生を
生活を自分でデザインしていくっていうことを
マジで
これはいよいよ
やり始める時だなって思っているっていうことが
今日話したいことでした
本日は以上です
28:38

コメント

スクロール