1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 古い価値観を「ぶっ壊す!」
2023-06-09 30:25

古い価値観を「ぶっ壊す!」

ほんとに、古い価値観ってうざい。

女は家庭を守るのが仕事

子育てが最優先

自分のやりたいことをやるなんてわがままで悪いこと

「主人」がいて、主人が許可したことしかできない

そういうの、昭和の時代には当たり前で正しいことだったわけですが、


平成の時代に私はそれを抜けたし、

令和ともなると、いまだにそういうところにいる人がうざくて仕方がない。


なので、そういう古い考え方をしてる人をぶっ潰す!をゴールとして、仕事に取り組みたい!と思っている次第です。

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こんにちは。ウェブを楽しむIKUKO Labo、金田イクコです。このポッドキャストは、私の音声日記です。毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。よかったら、最後までお聞きください。
はい、それでは6月9日金曜日のポッドキャストを始めていきたいと思います。時刻の方は午前9時40分というところで、われかし今日は早くスタンバイできたかなという感じです。
今までに1本朗読のね、なんていうんだろう、朗読素材を録音したっていうのかな。実際に読み上げるっていう作業を1本撮りましたので、30分ぐらいかな。
こういうのって静かな日じゃないとできないので、取りためておくことが必要なんですよね。もう今在庫がゼロで、今日撮ったやつを来週の水曜分として使うのかな。しかし来週の月曜日分がすでにもうないので、どうしたものかと。
過去にアップロードした作品をダウンロードして、つなぎ合わせて1本にまとめるっていう形で著作物を出していこうかなと思ったりしていました。ちょっと朗読チャンネルのコンテンツの維持がなかなかカツカツになってきた感じです。
以前は本当に活動をいろいろしていなかったので、ダンスに行く合間に朗読チャンネルのコンテンツを作るということで、もう十分余裕で回っていたんですけど、最近のようにちょっといろんなことを始めていくと、たちまち時間が足りなくなるっていう感じでございます。
話が飛ぶんですけど、朗読のYouTubeって公営主体なんですね。本来YouTubeである必要はあんまりなくって、それこそこういうポッドキャストとかで十分なんですけど、
ポッドキャストに朗読を上げていても見つけてもらえる可能性がとっても少ないのに対して、YouTubeであれば普通にやっぱり全体の視聴者数がもうめちゃくちゃ違うんじゃないか。
2桁の違いか2桁ぐらい違うんじゃないかっていうぐらい、圧倒的なボリュームのあるところにコンテンツを出すので、たとえうちみたいなひなびたチャンネルであっても、通りすがりに誰か見るっていうことが起こるんですよね、実際。
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なので、どうしてもYouTubeにあげざるを得ない。YouTubeにあげるんじゃなかったら、わざわざ苦労して作ってあげる意味が全然見出せないっていうところです。で、YouTubeにあげるためには、このポッドキャストは音声データだけでいいんですけど、YouTube音声データだけだとアップロードできないので、映像をつけた状態の
MP4であったり、Macで普通に作るとMOVですね。MOVに形式になるんですけど、そのようなものでないとあげれないので、もうしょうがなく、映像はどこかの無料のフリーのクリップを拾ってきて、それを貼り付けて使っております。要は映像に意味はないんですよね。
時々このテロップ的なものとか吹き出しとか、セリフが誰のセリフか分かりづらい。ホームズとワトソンみたいな場合は、ホームズとワトソン、それから他の人たちが今誰が喋っているのかっていうのを示す吹き出しをつけていますけど、それ以外の作品だったらもうただだと読むだけなので、せいぜいタイトル、
読んでいるお話のタイトルが画面に表示されておればいいかなっていう感じで、要はビデオ素材の方はもう適当なわけなんですね。SFであればちょっと宇宙っぽいものにするとか、ホームズであれば、今何してたかな、ロンドンの街みたいな感じ?覚えてないんですけど、それこそ。
で、この映像部分って本当に無駄だよねと思って、昨日の夜かな、今朝起きたときかな、ふっとここを流れている音声とは全く別のテロップだけで進行するストーリーなんかを目で読む形のね。
で、今まで読み上げている音声をそのまま字幕にしてつけるっていうのはやったことがあるんですけど、特に字幕がオンにされた形跡もなく、みなさん全然字幕は必要としていないってことは一応確認しているんですね。
日本語話者が多いので、ほぼほぼ日本人だからいらないんですよ。よほど読みづらい言葉、耳で聞き取れない言葉なんかの場合は、その瞬間文字でテロップ入れたりしますけど、今でも。でもそういうことがなければ全く、要は映像部分がぽっかりと空いている部分なので。
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だからこれって日本だてで、耳で聞けば、例えばホームズならホームズのお話なんだけど、音声を切って目だけで見たら別の話しか読めるみたいなこと十分できるじゃんって思って、そんなことをしているチャンネルは私は見たことがないんですけど、でもできるっちゃできるじゃないですか。
で、最初やりたかったことは、そこに広告を載せればいいんじゃないかと思ったんですね。うちの楽室の広告とかをそこで流すことはできるよねって思ったんですけど。
もちろんそれでもいいんですけど、広告を流すというよりかは、皆さんに伝えたいメッセージをそこに文字として載せていくっていうのはどうかなと思ったわけです。
広告を載せるっていうのは、やっぱり朗読作品としての整合性がなかなか取れないので、ものすごく見ている人にとって違和感があるかもしれないんですけれど、ちょっとは自分のコンテンツよりの話であればできるんじゃないかなということをちょっと思ったりしました。
短くても30分ぐらいはあるし、最近作っている長尺もので言えば、それこそ12時間とか8時間9時間とかが多いかなっていう間ずっと意味のない動画を映像をね、垂れ流すのって本当にちょっと無駄だなと思ったんで、ここの部分を有効活用できる方法がなんかあるんじゃないかなっていうのを、
今朝ですね、やっぱり目が覚めた時にふっと思い浮かんでおりました。ちょっとどうやって活用したらいいかわからないので、いろいろ試してみる必要はあるかと思うんですけれど、
試してみたいなと思ったりしました。人が目にする媒体って言うんですかね、いつも広告費を払って広告の皆さんが見るインスタとかフェイスブックの投稿だったりリールだったりの中に混ぜ込む形で自分の枠を買うわけですよね。
枠っていうかね、つるっとスクロールしてさっと過ぎ去ってしまう、その一つのスペースを買うわけなんですけど、YouTube内で自分のコンテンツの中に空いている枠があるではないかということなんです。
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実際空いてるし、きっと誰も見てないと思うんですよ。みんな仕事しながら聞いてるっていうコメントがすごい多いので、私のしゃべりが抑揚がない、メリハリがない、比較的棒読みみたいな形なので、それがとってもお仕事の邪魔にならなくていいみたいで、
当初想定した使い方がそれなんですけど、まさにその通りのユーザーさんがついてくれていて楽しんでくださっているようなので嬉しいなと思いつつ、
だったらその空いてる枠を何とか使おうよっていう、それは誰でもちょっとは見るじゃないですか。止めたりするときにちょっと見たりとか。
なのであらかじめそういうふうにしますよって言って、ご断りを入れた上でやっていったらいいんじゃないかなと。何書こうかなとかと思うと、何書こう、何が書けるんだろうというのはちょっと、今朝思いついたことなのでまだ全然具体化してないんですけど、
要はいろいろ書いたりできる、もちろんアニメーションみたいにできると一番いいんですけど文字だけじゃなくてね。それはそれでまた制作に時間がかかりそうなんで、簡単にできるのかどうかよくわかんないんですけど、とにかくできるよねって思ったっていう話。
で、そんなことを思いつつ、ここ数日っていうか6月に入ってからかな、そうそう前回お話ししたように、ちょっと楽室においてはもうターゲットを変えようと。今までの真逆みたいな。
今までターゲットはきっとこういう人だろうと思ってた層を全切りして、全く逆に振りたいなっていうふうに思ったっていう話を多分前回していると思うんですけれども。
楽室を含めその前の筆文字販売をしていた時も含め、筆文字販売専業になったのが多分会社を設立した年だから2007年。
7年以降、他の仕事はあまりせず、筆文字を販売するネットショップで、1本でほとんど仕事をしてたような気がするんですけど。
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その当時から、じゃあどうやったら物って売れるんだろうっていう、本を読んだりセミナーに出たりとかしながら、ざっくりこうマーケティングっていうことを学び始めて、
どういう人にどういうふうな訴求をすれば振り向いてもらえるんだろうかみたいなことですね。それについてはターゲットの選定が一番大事だから、いわゆるペルソナっていうのはっきりくっきりと描いて、
っていう話になってたんですけど、自分自身が筆文字を自分では絶対買わないっていう人なので、どんな人がこれを好むだろうって言われても全然わかんないし、ネットショップってまた顔が見えないんですよね。
誰が買ったのかっていうのは、名前や住所しかわからないので、どんな感じの人たちって言われても全くわからないんで、ペルソナの設定はもう最初から最後まで一回もちゃんとできなかったっていうところです。
それが途中から教室をやるようになって、教室を教える講師さんを育てるみたいになってくると、もう誰が受けているっていうのははっきりわかる。昔はオンラインじゃなくて対面で教えていたので、なおさらその人物がこんな感じの人たちねっていうのがわかるようになってきたんですね。
で、それがいつ頃だろう、2016年ぐらいですので、まだ10年は経っていないけど、かなり何年もそういう状態が続いている中で、私がね、自分自身はって言ったら絶対筆文字なんか習いに行かない人なんですよ。
実際問題今も習いに行ってないし、あとどういう作品がかっこいいかっていう基準が全然自信がないんですね。みんなが楽しいっていうようなかっこいいっていうことと、自分がかっこいいと思うものがずれてる気がしてるっていうところです。
で、最近ではほら、楽筆の広告を作ってたんですけど、先月1ヶ月。キャンバーを使って作るとめちゃくちゃ楽だっていうことを発見してしまったので、ついキャンバーを見てたくさんあるテンプレートの中から、今度はこれかなみたいな感じで、この色綺麗とかそんな感じで適当に選んで作っていくっていうことをやっていくと、
私的には綺麗だなってものができるんですけど、それと楽筆を好む人のセンスが合ってるのかどうかわからないんです。わからないし、違うって言われてもどう合わせたらいいかわかんないんですよ。そういうことって自分の好みなんで、色とかって。
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で、私の好みに。私がやっている私の教室であれば、私が綺麗って思うものを同じように綺麗にって思う人が来てくれればいいわけだけど、何分やってるのは私じゃないので、彼のセンスとか彼のところに通っている生徒さんたちが好むセンスっていうのはどんな感じなのかって全くわかんない。
で、結局毎回そのギャップで本当にわかんないなと思ってやめちゃうんですけど、
それにしても今回は本当に初めてそのことをちゃんとしたいなっていうか、わからない、自分が感じれないようなものを好む人たちに向けて自分が感じてもいないようなことを訴求する広告として、LPとして。
で、本当にわけわかんないですよね。何してるんだろう自分って。本当に雲を掴むようなあやふやなものを掴んで、あるかないかわからないあやふやなものに対して投げ込んでいくみたいな感じなんですよね。
ボールプールの中にドボンと使っちゃって、あたふたしながらこれかなえいって投げるんだけど、投げる反動で自分は沈むし、投げられた、当たった人も当たってるのかどうかよくわかんないっていう、本当に霧の中でジタバタしてるみたいな雰囲気なんですね。
これはやっぱり無理だなと思って、私が少なくとも自分の人生時間を費やす以上、誰のためのものであっても私の人生時間を10分使ったんだとしたら、10分分の成果を得ないといけないと思ったので、私に作ってっていうのであれば私はこういうのが好きです。
こういうのがかっこいいと思うし、こういうのが綺麗と思いますっていうセンスそのものを向けていくんじゃなかったら、それで素敵に来てくれるって言うんだったら嬉しいけれども、じゃあどういう人に来てほしいですかって言われたとき、前回のように、いやそんな、なんて言うんですかね、私なんかとか言ってうじうじしてる人は来てほしくないわと思い、
かっこいいねと思ったらパンパンってやって、さらにかっこいいものを作り続けるみたいな人としか出会いたくないし、時間の無駄だし、ずっとずっと自信がない自信がないって言ってる人って世の中にいっぱいいるけど、いっぱいいるからそれをターゲットにしたらうまくいきそうな気もするけど、そうじゃなくて、やっぱりうじうじ言ってる人ってずっとうじうじ言ってるし、
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なんならこの受講を決めるに関してもうじうじ言ってるし、それこそ半年も一年も何年もうじうじしたまま、あるときようやく何かが起きて受講するっていう人がほとんどそんな感じなんですよね。
こんなことしてたら本当に私の人生時間は終わってしまうし、そういう人が時間をかけるのは勝手だけれど、もうちょっと話の通じる人に出会いたく、そういう人たちと一緒に何らかの活動をしていきたいっていう気持ちもあるし、何を活動していきたいのかなと思ったときに、
結局そういうのは私はうんざりだぞと、そういうのっていうのはうじうじうじうじ言ってるやつ、失敗したらどうしようとか、こんなことして主人に何か言われるんじゃないかしらとかどうでもいいしって、自分の人生じゃん。
主人がためって言ったらあんたやんないの?飼い犬なの?お座りって言われたらお座りでわんなの?っていうことじゃないですか。やっぱり人間の尊厳ってどこにあるのよって思って、何もかも反発する必要はないけど、自分がやりたい自分がかっこいいと思ったっていうことに関しては、誰に何と言われようと筋通すっていうか、
自分自身のためにね、人に何か言われたからやるっていうんじゃなくて、自分がかっこいいと思ったら自分がかっこいいと思ってやりたいからやるっていう、それだけじゃん。何でそこでうじうじ言っても主人がとか、いやまだ今は時期じゃないとか言ってる意味よくわかんないし、
私の時間は有限なんで、あなたの時間は知らないけど、何歳まで生きるつもりか知らないけれど、私の時間を無駄にしないでくれるみたいな思ってきちゃってるわけなんですよ。だから、何がしたいかって言われたら、そういう考え方をもう打破したい。そういうの全否定したいですわ。
だいたいそういうものに覆われているように見えるんですよ、周りが。周りの人たちはみんな、しちゃいけないっていう枠があって、そこから一歩でも出ないようにしていれば、うまく回っていきましたっていう。うち愛知県なんで、周りは豊田系の会社の社員さんばっかりって言ってもいいぐらいでしょ。
本当に石橋は叩くっていうか、会社の言う通り、会社にさえきちんと最後まで居れば定年退職し、何なら再雇用もしてもらい、退職金だ、年金だって全部入ってくるっていう。そういう手厚いんです、そういう福利構成はね。大きい会社っていうか、ああいうメーカーさんって。
だから本当に何もしないのが一番安定なんですよね。だけどなんかしたいから、うちの広告にこうなんか、ついクリックしちゃうわけじゃないですか。だけどなんかしたいっていうのは、もうしちゃいけないんだと思い込んでるような人たちっていうのはおかしいし、会社のためにあなた生きてきたわけって。
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その本人さん、ご主人さんがそう思うのはそれはまあ、それはそれですけど、その奥さんっていうのは、奥さんも会社のために会社がこうだから、会社に勤めてこういうふうに考える旦那さんっていう枠の中でしか生きれないって言って、ものすごい自分の創造性とかを狭めてるし、狭めてるし、
生まれ持ってきたセンスとか感性とか、あと能力とか才能とかってあると思ってて、ダンスにしても何にしても、それをどこまで伸ばすかっていうのはその人次第なんだと思うんだけど、もったいないわけですよ。そういうの持たずに生まれてきているのに。
で、自分もそれがやりたい。それができる能力も多分あると。だけど、なんかわからない理由でそんなことはしちゃいけないとか、私主婦なのに何とかお金が使ったら怒られるしとか、お金がないんだったらわかるよ。あるんだけど、使うのにご主人の承諾がいるとか、よくわかんない。
誰のお金なの、あなたお金で買いながら、何て言ったらいいの。養ってもらってるわけねって。だから充足してるわけねって。それって奴隷と一緒じゃんって。ご主人様の言う通りなんでしょって。
それなのに、だったら奴隷でいればいいじゃんって。何でも主人に聞いて、その人の言う通りに生きたらいいじゃんって。そうじゃないことがしたいっていうのに、でも実際には縛られているって、その状況おかしくないって。
というふうに前からずっと思っていたけど、そんな人のことだから知らんしって思ってたっていうか、諦めるっていうか、私が口出す問題じゃないと思っていたんですけど、ここに来て本当に腹が立って、そんな人が世の中にいてもいいけど、私の前には現れるなぐらいに思って、じゃあ落室のマーケティングをして、私が世の中に何を伝えたいのかって。
マーケティングの話を突き詰めていくとこういうことになるんですよ。この仕事であなたは世の中に何を還元したいんですかって、何のためにそれしてるんですかっていう問いをずっとずっと繰り返すっていうことで、本質的にこのサービスっていうのはこういうものなんだっていうのが浮かび上がってくるので、そこまで突き詰めないといけないよって書いてある本が本当にいっぱいあるんですけど、
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私、筆文字の販売に関しては全くこの仕事に社会的なそういう存在意義はないと結論してしまって、ただ好きもののたまたまいいと思った人は買えばいいけど、それ以上の意味はないと思ったんですね。
ですけど、この落筆に関してはやっぱり人から人へと教えたりする活動があるものだし、伝えたいことが枠にはまるんじゃなくて飛び出そうよ、そしたら自分の中から創造性が生まれてきて、もともとあるんだけどずっと押し込めてた枠の中にこういうふうに上手に書かなくちゃいけないとか言って、
押し込めていたものから一歩外れるだけですっごい嬉しいっていうことを多数そういう報告があるので、素晴らしいなと思うし、
ツトムがそれやるのはツトムなりの思いがあるんでしょうけど、私がそれを手伝うんだとしたら何のためにって言ったときに、取りも直さず枠の中にはまりきって一歩も出ないようにするのが正しい生き方だって教えられてきた、
昭和というか昭和以前の戦前の明治とかの不国共兵の時代から続く国家主義的なっていうか、個人の自由を追い求めるのは悪だみたいな、わがままで贅沢なことだみたいな、
お国のために働くのが良いことだ、お国が今なくなっちゃって企業になってるんですけど、会社のために働くのが良いことだになってるだけで、その本当に古い我慢ならないそういう考え方に、
そいつをぶっ壊すっていうことだったら、それが落室を通じてちょっとでもアートの面からできるんだったら、私はやりたいなと思う、私の時間を費やす価値があるなって思うっていうか、って思って、
そうすると今まで昔考えていた落室のマーケティング像はガラガラと崩れてですね、ターゲットも変わっちゃえば伝える意味っていうか、理由とかも、やってる理由とかも根本的に変わっちゃうし、単なる私の自己主張っていうところになっていくわけなんですけど、
でもどんな方面から何をしても結局自分の自己主張っていうところにしか決着できなくて、何をしてても一緒で、そうこうポッドキャスト、このポッドキャストもそうです。自分が思っていること日々、日々変わっていく私の考えみたいな、今はこういうこと、今日はこういうことを考えてるっていうことをひたすら喋りたくてやってるだけですし、
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で、朗読は自己主張はできないけど、でも選曲っていうか選作品、この本を読むっていう、そのチョイスによって私が思うちょっと素敵な私の好きな世界みたいなのを表現できてる部分があると思うし、読み方も含めて、
うん、だから自己主張、自己表現しか、もうもはやこの世でやる、やりたいことは残っていなくて、で、これは例外がなく、楽筆でさえ私の自己主張としてやっていくのならできると思うし、そうでないんだったらできないって思っちゃうっていうところに来ていて、
で、さすがに何だろうな、自分がやってることだったら、今日変えます、今日から変えますってできるんですけど、人のやってるものですのでね、私の一存で全部変えるとかはちょっとどうなるかなと思って、今一旦ストップしているところではあるんですけれども、
でも、一度気づいてしまったこの主張、昔の古いそういった封建的な考え方から解放されたい、自分もだし周りも解放されてほしいって、自分のやりたいことをやるっていう、ただそれだけのね、何もかも人に迷惑をかけてっていうんじゃなくて、ちょっとの、例えば楽筆習うとかそれぐらいじゃないですか、
ほんのちょっとのことでさえ、もう何年もかけてしか決まらないとか、そういうバカバカしい、時間が無駄になるようなことはやめよう、そういう人はどっか行ってくれと、そうじゃない、がしがし前に進むっていう人と出会いたいから、そういう人が来てくれるような活動がしたいっていう、ただそれだけです。
だいぶ前に言ってた、私のウェブのグループ作りたいとかいう話をしてたんですけど、それも全く同じなんですよね。
ごちゃごちゃ言ってないで、手を動かして、サイト作るなり何するなり、ウェブでどうしたらいいんですかじゃなくて、インスタでも何でもツイッターでも、今日からやればいいじゃんっていう、そういう考えを共有できる場所が欲しいっていうのが、私の唯一の望みなのかなと思う、今日この頃でございます。
はい、本日は以上です。お聞きいただきありがとうございました。このチャンネルはeekコラボの日常のおしゃべりを配信しています。よろしければフォローお願いいたします。コメントもお気軽にお寄せください。お待ちしています。
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