part3では、みきが歌舞伎の『連獅子』を観た話から、『風姿花伝』をもう一度捉え直していきます。読んでいる時には「パフォーマーの話すぎる」と感じていた言葉も、十三歳の子役が大きな鬘をつけて舞台に立ち、観客から掛け声を受ける姿を見ると、急に別の意味を帯びてくる。若い時期にだけある花、そこに油断してはいけないという戒め、芸を続ける人に向けられた具体的な助言が、少しだけ身体感覚を伴って見えてきます。
話はそこから、歌舞伎における襲名や、名前を背負って生きることへ。個人として自由に生きるのではなく、受け継いだ名前に自分を寄せていく。そのあり方は、現代の個人主義から見ると不思議でもあり、同時に、長い時間をかけて芸を見続ける楽しみにつながっているのかもしれません。
のぞみはさらに、『風姿花伝』をコンサルティングの仕事にも引き寄せます。成果物としては資料が残るけれど、実際の仕事は、会議で何を言うか、どう聞くか、どのように場に立つかに大きく左右される。能を舞うように仕事をしているのに、外からは台本を書いているだけに見えているのかもしれない、という話が出てきます。
後半では、最近読んだ本の話へ。『ハイペリオン』のSFとしての面白さ、『コンサルの正体』に出てくる巨大プロジェクトの失敗談、『本なら売るほど』が描く古本屋と人の時間、宮本常一『忘れられた日本人』にある人間の一生の手触りなど、読書の話がゆるやかにつながっていきます。
『風姿花伝』を、自分の人生にどう引き寄せて読むのか。
part3では、歌舞伎、仕事、名前、本屋、民俗学の話を行き来しながら、芸を受け継ぐことと、時間をかけて人を見ることについて話しています。
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サマリー
今回のエピソードでは、歌舞伎の『連獅子』を観劇した経験から、世阿弥の『風姿花伝』を再解釈する。特に、13歳の子役が重い鬘をつけて演じる姿を見て、若い時期の「花」の儚さや、それに油断せず芸を磨き続けることの重要性を、身体感覚を伴って理解する。さらに、歌舞伎における襲名や名前を背負って生きるあり方が、現代の個人主義とは異なる、時間をかけて芸を見守る楽しみにつながっている可能性を探る。 また、コンサルティングの仕事にも『風姿花伝』の考え方を応用し、成果物として資料が残る一方で、実際の仕事は会議での発言や場の立ち居振る舞いといった「パフォーミングアーツ」的な要素に大きく左右されるという考察が展開される。後半では、最近読んだ本として、SF小説『ハイペリオン』、巨大プロジェクトの失敗談を記した『コンサルの正体』、古本屋と人の時間を描く『本なら売るほど』、そして民俗学者・宮本常一の『忘れられた日本人』などが紹介され、それぞれの作品から人生や時間、人間の一生の手触りについて語り合われる。