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世阿弥・岡田利規『現代語訳 風姿花伝』 #2
2026-05-19 33:08

世阿弥・岡田利規『現代語訳 風姿花伝』 #2

part2では、岡田利規さんがなぜ『風姿花伝』を現代語訳したのか、という話から始まります。みきは、岡田利規さんの演劇が、言葉と身体のズレをめぐって展開されてきたこと、そしてその探究の先に能があったことを説明します。人が言葉を発するとき、その言葉は決して中立には出てこない。声や姿勢や身体のあり方が、どうしても言葉に影響してしまう。そのズレをどう扱うかという問いが、現代演劇と能をつないでいきます。

のぞみはそこから、『風姿花伝』に書かれている「観客に合わせて演じる」という考え方に引っかかります。一子相伝の秘伝書なら、自分の芸を貫くことが大事なのかと思いきや、世阿弥はむしろ、場や客層に応じて演じ方を変えることを説いている。みきはそれを、観客がいなければ成立しないパフォーミングアーツの性質として受け止めます。

後半では、話題は能からお笑いへ。芸人が名乗らずに舞台に入ることはかっこいいのか、足の角度を少し変えるだけで漫才のウケ方が変わるとはどういうことなのか。のぞみが芸人論のなかに「いい仕事」の感覚を見出す一方で、みきは「芸にはサービス精神が必要ではないか」と応じます。

世阿弥の言葉は、能だけでなく、演劇、漫才、プレゼン、コンサルティングの話にもつながっていく。

part2では、『風姿花伝』を、観客の前に立つ人が、自分の身体と言葉をどう扱うかを考える本として読んでいきます。


感想

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サマリー

本エピソードでは、演劇作家の岡田利規氏が世阿弥の『風姿花伝』を現代語訳した背景と、その現代演劇と能を結びつける思想について掘り下げています。岡田氏は、言葉と身体のズレをテーマに、人が言葉を発する際に身体性が不可避的に影響するという視点から演劇を制作してきました。この探求が、言葉が中立ではありえないという能の考え方と共鳴すると指摘されています。また、『風姿花伝』に記された「観客に合わせて演じる」という考え方にも焦点が当てられ、これは観客の存在なしには成立しないパフォーミングアーツの本質であると論じられています。後半では、能からお笑いの世界へと話題が移り、芸人が舞台に上がる際の振る舞いや、漫才における細かな身体的調整がウケに与える影響などが語られます。芸人の「いい仕事」の感覚や、芸におけるサービス精神の必要性についても議論が展開され、世阿弥の言葉が現代の様々な表現活動に通じる普遍性を持っていることが示唆されています。

岡田利規による『風姿花伝』現代語訳の背景
岡田利規さんという人がさ、この風姿花伝というものを 現代語訳する意味とかニュアンスとか
コンテクストみたいなやつは、Mikiさんはイメージがつくの? あ、つくよ。本人もあと書きで書いてるよ。ちなみに。
3童の前あたりで読み切って、一紙送電爆笑で終わらしちゃったから。
まず、岡田利規さんはチルフィッチュという劇団を主催で、今は東京藝術劇場って池袋にある
東映の劇場の経営に使っておくってもあるんだけど、 チルフィッチュという劇団は、今日本でグローバルで売れている数少ない劇団の一つなんで。
私が大学生ぐらいの時には既に流行ってたんだけど、その特徴は、言葉と体のズレみたいなものをテーマでパフォーマンスをするっていうところが新しいっていうふうに言われていて。
言葉と体のズレ? そうそうそう。今までの演劇はストーリーを伝える装置として、物語が展開していくのを人の体と空間と美術を使って
提供していくっていう演劇で、それは発話する身体と発話する言語のズレとかは全く考慮されてなかったわけ。
だけど岡田さんはそこに注目したっていうか、人が発話する時に完全にニュートラルに発話することはできないだろうっていうことを前提にしてるの。
ニュートラルに発話する? ニュートラル。何かを喋る時にそれが完全にニュートラルな状態で喋るってことはできないだろうって。普通に喋ってたら。
自分の身体に影響されてしまうっていう。 紙に文字が書いてあるような中立性を持って口から出すことはできないだろうと言っている。
できないだろうっていう。 だからその言葉っていうものが、人に書かれた言葉を喋る役者、だけどどうしてもその役者の身体っていうものに影響されてしまう言葉っていうのを、
そこに面白さ、そこのズレっていうか、身体と言葉のズレみたいなところで面白さを感じていて、そこに注目したっていうところがすごいあったらしいってされていて。
これ合ってるかな?演劇のプロじゃないかな?ちょっと不安だけど。 警察はそんなに厳しくないから大丈夫だよ。
作風としては、セリフをなるべくニュートラルな身体で言わせる。
だからすっごい変な姿勢、ブラブラブラブラ揺れながら、お母さん今日のご飯何?みたいなセリフを言わせたりとか。
知ってる言葉と、身体が全然、いわゆる現代交互演劇とは全然違う形の身体で発話をさせて、お芝居を進行させるっていうことを、演出の特徴としてやってる。
それをする方が、何だと思ってるの?自然だと思ってるの?
そこから出てくる違和感みたいなもの面白がってて。 まず本はめっちゃ面白いよね。
テキストが際立ってくるって感じがあるかな。 へぇー。本が際立つってこと?
その脚本が際立つってこと? そうそうそう。テキストが際立ってくるって感じがあるかな。
なんかより入ってくるような気もするの。 それは。 役者さんが熱演するよりも。
なるほど。 ちなみにそれをそのニュートルな身体風に発話することはめちゃくちゃ高等テクニックで。
なんか 普通に難しいから、めっちゃ棒演技してるみたいに見えたら痛い。こっちは冷めちゃうでしょ。
うんそうだね。 写真だけ見たら、何?役者全員棒演技じゃん。みたいなことを舞台で展開してるわけ。
へぇー。 だからそこに緻密な調整が入ってて、棒演技っていうのはまた体に影響されちゃうじゃん。
演技が下手なだけじゃんそれは。そうじゃなくて、なるべく身体のことを切り離して喋るっていうか。
そういう調整を多分演出で入ってて。 それ超むずいね。
だからヒチルフィッチュに出てる役者さんは上手いっていうタイコパみたいなもんだし。
おぉー。
で、グローバルで受け入れてるのも、そのコンセプト自体はすごい共通のものじゃん。だから普通にグローバルで受け入れられてると。
なるほど。なんかその役とか言葉になんか乗っけるっていうか、抜くっていうことを含めてやる。
そうそうそうそう。それでも残ってしまうものとかあって。
だから、非ネイティブスピーカーに、外国人だよね。外国人に日本語の台詞を言い出してたりとかやってみたりとか。
その方がより際立つんだけど。
はぁー。なんか一瞬違う話になるかもしんないけど、
先週お客さんと仕事の話をしてるときにさ、やっぱりこういう仕事だからさ、論点がーとかさ、示唆がーとか言うんだけどさ、
お客さんの偉い人が議論の様子を見ていて、なんか田中さんの口から出てくる論点、示唆は馴染んでるんですけど、うちの若いのが言うと浮いてますねとか言ってるわけ。
うんうんうん。
だから、たぶんある種そういうのがあるってことなんだよね。
なんかその、私の口から出てくるときに、もちろん言葉として漢字として同じ言葉で出てくるんだけど、なんか私は心の身体含めのってんだけど、彼らはまだ言い始めっていうか、これから頑張ろうだからまだ雰囲気にこなれてないってことなんだよね。
っていうように、同じことを言って読んでも、やっぱり中立じゃないじゃん。中立な議論に身体になってないっていうか。やっぱり人間はどうしよう。身体に影響されて発話してしまうっていうのをいかに剥がすかみたいなところを見ている。
っていう中でね、ごめんね。全然長くなっちゃった。っていう中で岡田さんは途中でね、脳のアプローチに行くのよ。
だから、なるほど。だから風刺か、なるほどなるほど。はいはいはいはい。
脳のアプローチに行って、脳のようなトーンで喋るような演出方法にも向かっていく。
でも脳シアターってまさに、脳演劇、駅のプラットフォームで脳をやるみたいな話なんだけど、それはちょっと間違った。駅のプラットフォームを舞台に脳みたいな演出でお芝居を進行させるっていう。
ようなお芝居をやったりとか、とにかくそのアプローチは脳の浴用の付け方とか、ある種の脳の形式にはめていくの。自分の芝居を。
ただもう最近はそこも超えて、ダンスと語りに行っちゃったんだけどね。
すごい遠くに行かれてしまったんだね。
でもコンセプトはずっとそこっていうか、言葉と身体。
脳シアターと別れちゃうものを、どうやったら、それなしで物事を伝えることができるか。
その方が広いと思ってるんだろうね。
能とパフォーミングアーツにおける観客の役割
12、3年前ぐらいにさ、東京の象城寺の滝技能を見に行ったんですよ。
全く日本文化に対する素養がない私ですが、当時の彼女に連れられてさ、滝技能行こうよって言われて行ったわけ。
もう何のこっちゃわかんなくてさ、動き方もすごく特殊というかさ、ゆっくり動くし、
発言も日本語とは思えない。
独特の抑揚っていうか、あのトーンでね。
そうなのよ。
私は何が起きてるか全くわからないんだけど、
横にいたおばあちゃんとかは感動するぐらいの食い入り方をしててさ、
あれは何なんだろうと思ってたんだけど、
引き付ける何かがあるってことなんだね。
脳というものの言葉と身体に。
最初はね、ルール知ってるか知らないかみたいなところはあるよね、もちろん。
なるほどな。
ルールっていうのは、数字知ってるかとか。
確かに、とある将棋の局面を見て、私は美しいなと思うけどミキさんは何のこっちゃわかんないっていうのと。
天使の試合とかもさ、大きい声出したらびっくりしたと思ったけど、
感動のシーンだったりするわけじゃん。
確かにね、確かにね。
単純にその基礎トーンのインストールみたいなのは必要だけど。
だから岡田さんはそういうアプローチをする中で、
どうぞ、どうぞ。
自分でなりにふしかでを読んで訳したりとか、
ずやみを読み込んだりとか知ってたっていう経緯があって。
それで、それを知ってた人から、
ふしかで訳してみませんかって声がかかって訳すに至ったって感じらしいよ。
もとは自分理解用メモっていうのが発展してこうなってるんだ。
ずっと読み込んでたから、ずやみの文章とかテキストとか関連書とかをすごい読み込んで、
作品作りとかもしてたから、
選ばれたって感じで、
恐れ多いですが、
なんで私って思う人もいると思って説明しとくと、
一応こういう経緯がありましたみたいなのが後書きに書いてあった。
なるほどね。
岡田さんのスタンスとして、これはどう読むのかなとか、
どういうふうに見てはるの?
見てはるとミキさんは思うのかを聞きたいんだけどさ。
でも普通に自分の作品作りの上ですごく参考にして、
何度も何度も読み返したみたいな、言ってるよ。
Kindleで読んだんだけど、
902、結構後半かも。
ところにパフォーミングアーツっていうものは、
観客がいないと成立しないから、
例えば本来の脚本でいうと、
そいつはこういうキャラなんだけど、
トレンド的にお客さんはこういうもの欲しがってるっていう、
例えばAっていうキャラなんだけど、
Bにちょっと寄せた、
Bがトレンドで脚本を求めてるときは、
一旦B寄せればいいんちゃう?みたいな。
結局そのほうが上手くいくんちゃう?みたいなことが書いてあって、
そうなんだって思ってた。
一試送電系のものって、
自分の本来のやつを貫き通しましょうみたいな感じだと思ってたわけ。
モーツァルトとかショパンとかのやるときには、
客に言語をせずに、
彼らがどういう思いを込めて書いたのかを忠実にやりましょう、
みたいな人もいるじゃない?
パフォーミングアーツなのかどうかはすごいデカいと思ってて、
パフォーミングアーツって動機コミュニケーションじゃん。
音楽って非動機なわけじゃん。
レポート好きなときに聴いてくださいみたいな。
だからそこは全然違うんじゃない?その前提が。
なるほどな。
だから客が都会のエリートの場合と、
田舎の農をやるときも全然違うやろ?みたいな。
場に合わせてやりましょうや、みたいなことも書いててさ。
そういう感じなんだと思って。
パフォーミングアーツならではってことなんだね。
それはやっぱりパフォーミングアーツならではなんだな。
お客さんいなかったら生物しないっていうのは本当にそうじゃん。
まあな、それ確かにな。
なんで風刺家伝とか能に至るかっていうと、
演劇において、役と幽霊は似ているというようなことを当時よく考えていた。
どちらも他者、過去観客から認知されることによってのみ存在する。
演劇はお客さんがいないと存在しない。
幽霊も生きている人が幽霊だって言わないと存在しない。
だから役っていうのはそれを演じて俳優が頑張るものっていうより、
観客がその俳優に投影することによって現れる。
生きている人があそこに幽霊がいるって言ったときに、
幽霊がいるようにお客さん側が、
あああの役はああだって思って初めて、
役というものが展示する。
そこがすごく共通したコンセプトだから、
幽霊というコンセプトが自分の作る演劇をしっくりさせるための
手がかりがあるんじゃないかって考えたっていうのが書いてある。
幽霊という道具立てをフル活用しているパフォーミングアーツは
何と言ってもNOである。
確かに本の中でも鬼の演じ方みたいなのが出てた。
鬼って幽霊のことだもんね、当時で言うとね。
なるほど。
普通に幽霊いっぱい出てくるけどね、死んだ奥さんとか。
まあなるほどね。
普通にも出てくるけど、いろんな幽霊。
『風姿花伝』と岡田氏の創作活動
対比としてなのかわかんないけど、
最近、
スピーカーにハマってるっていう人がいてさ、
バカデカいスピーカーがやっぱいいんだっていうことを
言ってる人がいて、
何がいいのって聞くと、
本来ある音が聞こえるんだっていうことを言うわけ。
それ多分ミキさんが言う、
観客が認知してないものはないんだというか、
認知してる場合によってのみ成立するっていうのとさ、
音楽みたいなものって本来あるものが
スピーカーというものの劣性によって聞こえてないってことじゃない?
うんうん。
すごい捉え方が全然真逆の何かなんだなと今、
理解をしたね。
それか作る側もスピーカーを通して非同期的に聞かれることを考慮して作るっていうか、
絶対聞こえてなきゃいけない音っていうものは意識する。
パフォーミングアーツDVDみたいなことを作る人はいるの?
もちろん演劇のデジタルアーカイブっていうのは
全然あるんだけど、
入り口として、
その時上映されてなかったら見れないわけだから、
入り口として見るという使われ方は全然あるんだけど、
多分業界全体の見解として
全然違うものではあるよねっていう感じであると思う。
ただそれでも見れないよりはマシだし、
本当に強度のある作品は映像を超えてコミュニケーションしてくれるとは思うけど。
例えば照明とか全然違うじゃん、照明の見え方とか。
まあそうだね、確かにね。
そうだよな。
岡田斗司機は自分が
10何年も考えて
パフォーミングアーツってこれなんじゃないかって思ったことが
700年近く前にとっくに気づかれていたってことが
なんてクレバーなんだって言って脳にはまったそうです。
そうですか。
特に何?
大変失礼なことを言うとさ、
普通のことしか書いてねえじゃんとか私とかは
多分解像度が低いから思っちゃうんだけど、
岡田斗司機さんがめちゃくちゃ真剣に悩んで
書いてあったことって何が書いてあったんだろうな。
あと書きをただ言うだけなんだけど、
ちょっと待ってね。
今真埋めで書いてあって、
そりゃそうだろって思ったことで言うとさ、
上手くなっても素人の時の感じ
忘れちゃダメだよとかさ、
強引っぽいやつと強さを
混同しちゃダメだよとかさ、
めちゃめちゃ熟練になったら
主役をあんまり張ろうとせず、
覇役をきっちり演じようねとかさ、
そりゃそうじゃないですか?
みたいな気持ちになってたんだけど、
岡田さんくらい極めて考えてる人の発見ってのは
どこにあったんだろうなと思う。
どこにあったんだろうね。わからない。
でも、
すごいしっくりくるって書いてあるよ。
だから風刺家伝、
ちょっと言えることとしては、
風刺家伝に書いてあることがめっちゃいいっていうよりは、
脳がやってることと自分の作りたい演劇が
すごく似てるっていうか、脳を見ていると
普段自分が演劇を見てる時に感じる違和感みたいなものが
あまりにもない。
だから自分を創作する時に、
脳をすごく大きな参照の泉とするようになったって書いてて、
それを知っている人から、
活動のスピンオフ的に風刺家伝を逆してみない?って言われてたから、
岡田さん自身が演出する時に
風刺家伝を何度も読みましたって言ってるわけではなくて、
だから風刺家伝を褒めてはいない。
よく読んだら確かに。
脳をいいって言ってて、
しかも風刺家伝を訳すならついでに三童も訳したいって言ってて、
それはなんでかって言うと三童は結構繰り返し読んでいたみたい。
へー。
そこに、
後書き読んでるだけなんだけど、
三童を読んで、
ドイツの劇場と一緒に作る作品を作ることになって、
自分なりの音楽劇を作りたいって思った時に、
元々クレーバーだと思っている脳の枠組みを使って、
お借りして音楽劇を作りたいと思った。
その時にまずやったことが、
音響のスタッフと一緒に三童を読むっていうことだった。
ふーん。
よく読んだら、
風刺家伝を参照して作品を作りましたとは一言も書かれてない。
だからあんまり実際評価してないかもしれない。
かもしれないと。
私が読めてないけど、
三童の方が本番の可能性があるんだ。
三童って風刺家伝の後半に入ってるやつ?
そうそう、後半の三童に入った瞬間に私やめちゃったんだよね。
やめちゃったの?
同じような感じだけどね。
そうか。
こういうキャラの時はこうしなさいみたいなのが書いてある。
へー。
少し解説できましたでしょうか。
芸人論に見出す「いい仕事」とサービス精神
ありがとうございます。
岡田さんの年齢も作品も何もわからない人の話を聞くといいですね。
年齢は私たちよりちょっと上だよ。
5、6歳くらいかな。
私イメージ54歳くらいだったんだけど。
それは嘘かも。50歳くらいかも。
へー。
大人になればなるほど、何かの世界ですごいと言っている人がいいと言っているものは、
巡り巡ってやっぱりいいって思うようなやつだ。
対象物が。
私の全然違う領域とか、よくわからないものであっても、やっぱりいいものはいいんだなって思うからさ。
脳というものを参照していたってことは何かがあるんだろうね。脳にはね。
ふるしか伝は入門書みたいな感じで、演劇にかかわらず今でも共通することがいっぱい書かれてあるから訳すのはいいだろうと。
なるほど。
その違和感正しいかも。
ふるしか伝のどこが役に立つねんは立ってないかもね、実際に。
そっか。
そんなことより脳の舞台そのものを見て、脳ってめっちゃ自分にしっくりくるなーっていう感覚が創作のインスピレーションだったんじゃない?
へー。
話違っちゃうかもしれないけど、先週さ、うちでインターンしてた子が就職をして、その会社でやってる仕事で手伝ってほしいって言われるキックオフミーティングに行ったのよ。
だから元インターン生なんだけど、仕事の発注元と私は発注先になるっていう関係で話をしてるときにさ、
過去いくつかコンサル会社に委託をしてきたんだけど、なんかピンとこないなーと思っていて、
彼女は、
あなたのコンサル論どこから?みたいなやつを聞くと、
薄いのしか返ってこないのがすごい違和感があると。
田中さんの何かはどこにあるんですか?って言われてさ、
どこにもない気がするねーと言ったんだけど探してみると、
俺、お笑い芸人の人の芸人論聞くのすごい好きなのよ。
確かになんか芸人の本定期的に読んでるよね。
そう、やっぱ面白い。面白いなと思ってさ。
今収録してるこの4月末のさ、
ちょうど直近の川島アキラの寝言っていうラジオ番組があってさ、
そこに芸人4人集まって、川島さんと天心の向井さん、
今半太郎さんって名前になってる天心の、
エロ主義にあった人の相方さん。
知らないけど。
あと三人図、森山さんとリリーさんがいて、
なんか聞いたことあるかも。
ぐらいの感じの4人がさ、
かっこいいお笑いみたいなことについて話すんだけど、
え、お笑いってかっこよくていいの?
その、あれよ。
舞台の上がかっこいいんじゃなくて、
芸人としてこの振る舞いかっこいいっていう。
生き様ね、生き様の話か。
そうそうそうそう。
で、例えば一個はさ、
この師匠と言われるすごい良い芸人さんがいたときに、
舞台に上がって最初に自分たちの名前を言わずに
そのまま話に入る人がいるっていう。
え、それ大丈夫なの?
って思うじゃん。
やっぱみんな、はいこんにちはなんとかですって言うて舞うやん。
それ言わずにやんの。
やっぱりみんな分かってますよねっていうのが、
この観客と合わせて成立してるからかっこいいっすよねって話になってさ。
え、それかっこいいの?
いや、俺めちゃくちゃかっこいいと思って。
えー。
なんだろう、
パワーポイントの表紙とか無しで言ってみようかなという気持ちになるわけ。
私なんかさ、やっぱゲーってある程度サービス精神がないとダメだって思っちゃうからさ。
うん。
名乗らないとかってなんかサービス精神抜けてちゃうみたいな感じでしょ。
あー、なるほど。
みたいなことも含めてパフォーミングアーツとしてのお笑いとしてやってある師匠とかはもう、
舞台に上がったらそのまま話しするとか。
だってさ、落語とかちゃんとさ、この誰々みたいな。
素誰、素誰じゃない、紙出るじゃない。
この人誰ですよーみたいな。
あー、出るね。
出るけど、なんて言うんだろう。
あの、もちろん独演会とかは出ないけど、出ないシーンもあるじゃない。
その、寄生とかに行ったら出るけど。
うん。
例えば独演会の時の。
独演会はだって独演会だからいいじゃん。
それはいい。
なんだけど、前座の人とか出てくると出ないよ。
だから前座の人は名乗るじゃん。
ま、名乗るは名乗るね。
失礼。
えー、だからなんか私結構それ、芸人のプライドの話に勝てちゃった。
おー。
そのクラスに。
名乗らなくても。
だから舞台とかで出てきたら拍手で出るクラスの俳優になりたいみたいな。
あー、でもまあそうなんじゃない。
師匠であれできてんのって知られてるからだからできることですよね。
そうそうそう。
そうなのかもね。
とか、なんかちょっと違う話だけど。
うん、ごめんごめん。
あげやしとって。
あ、いいよいいよ。
関西でなんか出てくる。
たぶんみきさん絶対見たことないテンダラっていうさ、もう関西ローカルにしか今出てない。
うん、知らない。
もう、でしょ、ベテラン芸人がいてさ。
まあもう芸歴めちゃくちゃ古くてもうド関西人漫才なんだけど。
その人がその漫才をなんか見てて、その後輩のね。
で、ちょっといいかつって。
この後もう一回あのネタやるん?っていう。
その1日にステージ3ステージあって、次も同じネタやるの?っていう話になってさ。
あ、たぶんそれでいこうと思ってます。
次のステージちょっと足の角度もう2、30度開いてみ?ってアドバイスされてて。
うん。
そしたら次の舞台もバカみたいに受けたらしいね。
同じネタで。
うん、あるよね。
かっ、かっこいいみたいな。
まずそこ見るから。
それ見るからかっこいいね。
そのなんかその話のさ、この内容とかさ、間とかさ。
その、なんだろう。
体の使い方の上半身はまだわかるやん、そのマイクもあるから。
足の開きとかかっこいい。
でもそれはかっこいいし、あの、なんていうかたぶんさ、間とかさ、内容のことってさ、そんな速度でチューニングできないじゃん。
1ステップと2ステップの間に。
だから、でも足の角度をちょっと開くっていうのだったらすぐできる話で、それを差し込むのが。
それはかっこいい。
むずいなミキさん。
ミキさんあんたらむずいなぁ。
あ、でも私だから、え、つまり、あ、でも、え、本本はね、芸人は、
芸はとは常にサービス精神がある程度なければいけないっていうか、
客を楽しませようっていうサービス精神がない芸人は終わってるっていう。
逆じゃん。
パフォーマーはやだって思ってるから、
名乗んないわ、サービス精神ないだろって思っちゃう。
なるほどな。客を楽しませる原理主義として。
そうそうそうそう。
足の角度開けとかはその方がウケる身体になりそうだっていう話じゃん。
だから全然サービス精神に基づいてるからし、
1ステップと2ステップの間にできるベストなアドバイスという意味でもすごいかっこいい。
足20度開いた方がお前のスーツは生えるよって言うのやったら意味分からんけど、
その方がウケるんやったらって言うのは、いいでしょっていうことか。
確かに同じこと話してるけどさ、めっちゃこういう感じで話すのか、
なんかもうちょっとフレンドリーな感じで話すのかで、
伝わり方全然違うよの話じゃん。簡単に平たく言うと。
まあそうだね、確かにね。
だから足開いてる方がカジュアルに見えるよみたいな。
開けた視点で見えるよっていう話でしょ。
まあそうだね。そっか。
でもすげえいい話だったんだよな。
これ私の感性でヒットしないだけだから。
何だろう、だから岡田斗司機が能に求めたように。
私はたぶん芸人のいい話論に、
いい仕事の何かを求めてるからね。
そしなの入学式の話を送ってくれたじゃん。
そしなの入学式、あれはいい話だなって思った。
この専門学校の入学式でバンタンかな、どっかの入学式で。
ていうかほぼゼヤミと同じこと言ってなかった?
まあそうだね、ほぼゼヤミ。
冒頭の売れてるやつだけどクソ野郎のやつがたくさんいるから無視しろとか、
若い時はまず練習しろとか、ほぼゼヤミだね。
読んだかもしれない、そしな。
ていうぐらい。
真面目そうな人だもんな、なんだかんだ。
ふうしかねんは岡田斗司機が翻訳するとこの文体になるけど、
そしなでやってほしいよね、そしな略も欲しい。
そしなふうしかねん漫談ありそうやな。
このような人はお前のこと誰が好きなんってなりますみたいな。
そういう略仕方できそう。
ありえるな、全然ある。
すかしてるやつに対してめちゃくちゃ言うてる。
そうそうそうそうみたいな。
若い時はすごい可愛いです。
母だーみたいな。
いいなあ。
みーちゃん本書いてYouTubeのコメントに送ってみたらGoogle Docsにつけて。
やってほしいことがあります。やってほしい企画があります。
ふうしかねん発表してくださいって。
改めて今文字起こし読んでるけどやっぱりええ話よな。
お笑いがパフォーミングアーツなのかつったらちょっとわかんないけど、
ライブパフォーマーではあるよねお笑い芸人は。
そうだね。
特にその、なんていうんだろう、
そしな大先生は舞台立たなあかんっていうスタイルやからね、芸人の中でも。
金稼ぐことで考えたら配信やって地方の営業行っててええやんかっていうあれがある中、
舞台立ってる芸人、舞台立ってへん芸人のこと俺は認めないっていうスタイルだから、
パフォーミングアーツとしての芸人っていうのにすごく重きを置いてるっていう意味でもやっぱり、
ゼアミーがゼアミーなのかもね。
ゼアミーの直系かもしれない。
かもしれない。
33:08

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