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Mikiさんの、そうかもしれないけど、それをそうされると実像が揺らぐポイントは、この本の中で言うと、
リスク・病死っていう大きいテーマで言うと、どのあたりがMikiさんに一番グッときたというか、揺るがされたポイントなんですか?
リスク・病死、全部に対してなんですけど、後半で時間の考え方とか、他者とか出会いとか、あとは何かみたいなこととかを言っていて、
すごいわかりやすく言うと、今の時間っていうのは唯一人間に平等に振り分けられたもので、時間の長さ、長い方が生きてる方がいいとかっていう価値観があるかもしれないけど、そうじゃないよねって、伊藤さんが言うじゃないですか。
35歳で死んじゃった人と、75歳で死んじゃった人。で、75歳の人の方がいい人生だったとは言い切れないよね。
35歳の人の方が、より豊かで長いかった、みたいな風に言うことができるんじゃないか、みたいなことを伊藤さんは言ってるじゃないですか、後半で。
そうね。
なんかそれをね、だからその時間とか、みんなに平等に当たられたものとかを否定すると、35歳の人の方が75歳の人より長く生きれる、みたいなことを認めちゃうと、
なんかその自分に返ってくるっていうか、自分がこんなに30年間頑張って生きてきたってことも、もしかしたら6歳とかに負けるかもしれないっていうことじゃないですか。
うん、そうだね。
だからそれを認めるのが怖い。
自分は30年間頑張って生きてきたから、それだけで偉いっていうことにしたいのに、それを学校からそういう思考停止は良くないって言ってくるじゃないですか。
そうね、そうね、そうね。
だからなんかやめてくれ。自分が空っぽだっていうことをこっちは認めたくないんだ。
ゆうじつぞんのいらぎ方をするなって思いました。
美希さんどうしたの?なんかそんな、最近嫌なことあったの?
ないけど、常に抱えている、本当に自分は豊かな人生を過ごせているのかっていう不安とかを、なんとなく誤魔化してきてるのを学校から、
そうやって80歳くらいで大王城で死ねばいいやみたいなのは、全然6歳で死んだ子に負ける可能性がありますって言ってるわけじゃないですか。
まあそうだよね、そうだね。
死ななくてもいいんですけど、そういうふうに、死ななくてもいいんですけどね、別に。
それをやめてほしいなって、認めると自分がいらぐっていうのはそういうことです。
ああ、なるほど。
結局どう生きたか、どう他者と出会ってきたか、どう生きたか、どう自分なりに物語を紡いできたかだって言われちゃうと、自信がない、私には。
そう思うけどね。
最後の収書の生成される時間っていうものが、まさに美希さんが言ったことのテーマにど真ん中据えてるところだと思うんですけど、
この章の冒頭って、なんて言ったらいいんだろう。
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これってこういうことを言いますよね、の一つとして。
人生は長さではなくどう生きたかである。人生は長さではなく深さである。
こういうことを口にするときに、さあ、我々ってさあっていうところから話が始まっていくと思うんですよ。
これを受け入れると、例えばさっきの美希さんの75歳と30歳考えたときに、深さで言うと30歳の人が全然上回ってることあるよね、さてさてみたいな話になると思うんですけど。
美希さんで言うと、人生は長さではなくどう生きたかである、人生は長さではなく深さであるに対して、美希さんはどんなスタンスなんですか。
これがまさに美希さんが言ってるけど、これって時間がどうしても平等だって価値観が私たちのベースとして強く共有されているから言える話だよね。
たまに時間が平等だってこととかに抵抗するために慰めみたいな感じで言ってるっていう認識なんですよね、私は。
どうせ一緒だから。だから言えるんですよ、もう分かる分かる深さだよねって。私だって言いますよ。
だけどそれを本当に心の底から認めることはできないっていう感じ。
だからその前提が覆されないと、覆すことはできない。
あくまでこういうの慰めとか、若くして死んじゃったパートナーを持つ人とかに対して言う話なんですよ。
自分とは関係ないって思ってるんです、私は。
デフォルトは長さだよねっていう価値観が普及してるから、こういうことを言うとたまにスパイスが効いていいんだけど、カレーはちょっと辛いからいいのであって、毎食辛かったら辛いよねっていう話があるってことか。
そうそうそうそう。
なるほど、なるほどね。
なんか本当に思って言ってないと別にどんな人もって思っている、私は。
これをってこと?
人生は長さなくて深さだよねって。
へー。
言ってる人もいるかな、いると思うんだけど。
言える人もいると思うんだけど、多くの人は心の底から認めることができない価値観なんじゃないかなって思いますけどね。
じゃなかったら、だからコロナで死亡率がすごい低いのに、でも死ぬの良くないみたいになってるのかって、長さが大事だからでしょうって思いますけどね、やっぱり。
なるほどね、なるほどね。
深さが大事だったら、じゃあもうなんか死亡率少ないし深さが大事なんで深く生きてる人を優先しますでいいじゃないですか、死んでもらいますでいいじゃないですか。
まあ確かにね。
そんなこと言ったら絶対怒られるでしょ。
うーん、なるほど。
確かに社会一般で言うと、もちろん医療っていうのがある種生殖とされているのは、その短さを長くするっていうことにすごく大事だよねっていう規範が共有されてるからですもんね、確かにね。
確かに時間が皆に平等なものだっていう感覚がベースとしてあるからじゃないかなって思いますけどね。
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なるほどね。
社会一般の通年を脇に置いて、みきさんの自分自身の人生の捉え方というとどうなるんですか、その長さと深さだ、どう生きたかだの関係でいうとどうなるんですか。
本当はどう生きたかの方が大事だと思いますよ、そういう意味だと確かにね。
うんうんうん、なるほど。
それが、難しい。
実音が揺らいでるよ。
今、実音が揺らいでます。
今、揺らいでる。
はい、今、揺らいでます。
今、揺らいでる。
これを思うのが、これは若い人と話すときと年配人と話すときにすごい変わるんですけど、私はコロナがすごくモノトリアム的に感じてしまうんですよ。
コロナのせいでストップしたって全部言えたりとか、人生を進捗させなくていい、人生が進捗してない理由をコロナのせいにできる、本当はコロナ関係ないのに。
本当はやりたいことだったのに、コロナあったから2年止まっちゃいましたわって言えるってこと?
そう、言えるみたいな感じで、すごくモノトリアム的に、もうコロナが終わったら本当に前に進まなきゃいけないみたいな感じに思っちゃうわけですよ。
大学生みたいな、大学卒業したら働かなきゃいけないみたいな感じに、私がまだ若くていつ死ぬっていうことがかなり距離があるからモノトリアム的に、
これは私より下の世代の人からもうわかるわかる、正直ほっとしてるみたいな人いるわけですよ。
でも年配の人はコロナで自分のタイムリミットが短縮された気がするみたいな、より焦りが強くなったみたいな人もいて、そういうことを思ったりしました。
なるほど。
ニキさんの実存をさらに揺らがせるかもしれないけど、この本を読んでたときに2つ思ったことがあって、2つ言ってみていいですか。
はい。
人生は長さじゃなく深さであるとかどう生きたかっていう話をするときに、私がするイメージは元々3年ぐらい前までは積分だったんですよ。
時間軸みたいなのが横に流れていて、縦軸に上にプラス、下にマイナスみたいなのがあったとして、うねうねっと線があって、
上の方にあるとプラス、下の方にあるとマイナスで、ゼロの線との差分をぴよぴよと塗っていくのが積分じゃないですか。
死ぬときにそれがプラスだったらいいなみたいな意味で、あるいはその高さが高くなれば高くなるほど積分の面積って塗られるじゃないですか。
別に35だろうと85だろうと、その面積の量が多い方がいいよねっていうことかなと思っていたと。
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っていうのが2つある1個の解釈なんですけど、ちょっと違うんじゃないかと思い始めて、
もう1個はそもそもの横軸の時間っていう概念が違うんじゃないかっていう、歪むんじゃないかっていう。
数字、グラフで捉えると1があって2があって3があってっていうのが等直線上に並んでいくじゃないですか。
なんですけどその時間間隔って絶対的に存在してるのかというとそうじゃないんじゃないかっていう気もしており、
だからこの章のタイトルが生成される時間っていうタイトルにあるより、横軸って実はないんじゃないかと思っていて、
35歳の人と85歳っていうことを比べてることそのものがもう原理的に不可能なんじゃないかと思うんですよ。
政府の統計を作る人とか社会制度を運営する人からすると当然年齢が分からないと困るじゃないですか。
なので35歳っていうラベルとか85歳っていうラベルを振らなきゃいけないんですけど、
正直私の人生からしたら知ったことじゃないじゃないですか。
別に35だろうと85だろうと。
だから別に横軸を考えなくても別にいいのかなみたいな気がしていて。
横軸っていう時間軸は別に他人から見ると時計というか年齢というか付与されていいんだけど、
別に自分の人生の充実度を考える上でその横軸で判断する人は全くないなみたいな。
勝手に自分の時間軸で考えればいいなって思うと、
35歳の人生の方が85歳の人よりいいこともあるよねって言ったらもうそういうこともあるんじゃないですかみたいな。
そうっすかみたいな。知らないですけどっていうスタンスに最近もなってきてしまっていて。
いいですね。私それ揺らいでますよ今。実像がそういうこと言われると。
揺らいでる?
揺らいでる揺らいでる。その境地に行けたらいいんですけど、そういうことにするといろいろ自分的には不都合だなって思います。
さっきの空っぽもろもろのやつ?
そうそうそうそう。だからコロナモラトリアム派なんで。
野崎さんはコロナまじで不便?海外に行けなくて不便?みたいな人ですよね。
不便でしかないって感じですよねきっと。
不便でさえなく単純に何か起きたなーみたいな。
ただのファクトの一つですよね。コロナが。
そうそうそう。ただのファクト派。
うん。なるほどね。
そうか。なんでしょうね。そのルーツは何があるのかな?
でもそこで多分磯野さんも出てくるけど、自分らしくある。自分らしさの来産みたいなの。
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今は社会はそういうふうに自分らしさを来産する社会になってるっていうことを一つ述べてましたけど。
やっぱりそういう刷り込みが大きいかなと。
自分らしくねー。これ確かになんか読んでてそういう話めっちゃあったなーっていうのを懐かしく思い出しましたね。
てかその空っぽな自分はダメって思ってますね。
なんか中身がある人間じゃなきゃいけないとか。
本当は何もないってことを堂々と認めることができない。いいですね。私は。
ふーん。
でも何もないんじゃないですか。本当は人間なんてみんな。
な、ないですよ。
ないじゃないですか。なんかそれで本当はいいんですけど。
なんかそれをうちは認めるのがちょっと怖くて。
だったらまあ平等な時間がみんなに与えられていて、こういうことがいいとされていて、ただ長く生きたほうが健康であるほうがいいとされていて、
じゃあそこに乗っとって、そういうことっていうふうにしたほうが楽だなって。都合がいいみたいな感じです。私は。
みきさんはあれですね。正直ですね。
そうですね。
非常に正直。
なんかそれを思って、思っているとか感じてるけど、なんかそこにこう、何ていうんですか。
30、40のカバーをして生きていこうぜっていうのがなんか基本、現代の基本スタンスな気がするんですけど、正直ですね。みきさんは。
そうですね。
そう。
そんなことを思ったりとかしました。
はい。
っていうのが私の、その、それを認めたら自分が偉くっていう。
なるほど。いや、全然、全然、全然思ったことがなかったところだったな。面白いですね。
のどみさんはどこが面白かったですか。
あのなんか前半のこの医療文脈の話とか、のどみさんとヘルスケア系の話とか、
そういうのがあったんですかね。
そうですね。
そうですね。
この、何て言うんでしょう。
たとえば病、病気っていうものをどう捉えるかっていうところとか、
あの、話に出てきたあの腺域に通称の方々とか、
例えばその自覚障害者とか、
そういった人たちについても、
そういった、そういった、そういった、そういった人たちについても、
いろんな考え方を、いろんな考え方を持って、
とか 話に出てきた 腺域痛症の方々 とか 例えば自覚症状がない病気
をどう考えるかみたいな話って いろんなところで扱われるテーマ
なので そうだよな そうだよな と思いながら読んでいたっていう
予防医学って何だっけっていう この結局健康って何だっけっていう
話って まあここ10年20年ぐらい 繰り返しずっと話が もっと前から
ずっとあるんだと思うんですけど 病気になってないってことって
それって健康なんだっけとか 例えば 骨粗傷症みたいなものって
自覚症状がないわけですよ それって 病気なんだっけとか 例えば自覚症状
はある 皮膚に発疹はあるんだけど 病名はつかないみたいなときに
それは病気なんだっけとか いろんな 話があるので ああそうだよな
そうだよな こういう話ってある よなっていうのを思いながら読んで
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いたと ただ私が一番序盤を読んでて感じ
たのはリスクっていう言葉を使う ときの持たなされる意味合いが
少なくとも私と他の人は違うん だなっていうのをすごく読んで
いて感じて 私もともと経済学を大学院の修士
前に出したんですけど 経済学をやる ときのリスクっていう言葉って
ものすごくフラットなんですよ フラットっていうのは悪い意味
を全く持ってない つまりいい方向 にも動く可能性があるし悪い方向
にも動く可能性があるというときに その変動の標準偏差とか分散の
ことをリスクって呼ぶんですよね 経済学においては
なるほど その中で自分でコントロール できるものあるいはリスクに対応
ができるものをリスクと呼び変動 する要素の中で対応ができるもの
をリスクと呼んでそうじゃない ものを不確実性と呼ぶっていう
のが一定ルールとして定着をしてるん ですけど基本的に日本語でリスク
って書いたときって避けるもの っていうつまり悪い意味が付与
されるじゃないですか
そうですね
なのでこの本の中でも基本的には リスクって悪いものだっていう前提
で書かれてると思うんですけど 例えばこういうリスクの表現になる
よなっていう全然本論とは違います けどっていうふうに読んでいた
りはしたですね
どうですかリスク
でも普通そう思いますよねこういう リスクがありますっていうなんて
言うんだろう捉え方すごく難しくて 確かに経済学が言うようにこの
数字って5%の確率で変動します っていうときに分かんないじゃない
ですかちょうどこの本読んでる ときに私netflixでdon't look upを見て
いて
まだねちょっと5分軸らしいでない
ミキさんこれ多分リスクっていうこと をちょうどリスクのとこ読んだ
ときにdon't look up見たんですけど これもぜひ見ていただきたい
なんか99.98%70%で見てみたいなシーン だけ見た
そうそうまさに
までは見たそこのことかなって 見た
半年後に来る可能性が来ますって 最初の主人公ディカプリオンが言う
わけですけど
絶対来ますって言う
絶対来ますって言ったときに科学者 らしく99.78%ですみたいなこと言
っちゃうんですけど
よっちゃんそれを70%ってことにして みたいな
いやいやいやっていうシーンがあるん ですけど
あれを見ていると笑えねえみたいな 全く笑えねえけどでもそういう
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ふうに人って考えるよなみたいな
人間の愚かしさを表現して本論 から離れちゃいますけど本当に
あの名作名作映画でしたね
みんな面白いって言ってる
全く笑えないけど
そう全く笑えないらしい
全く笑えない最高の笑えるコメディ です
なんかね本当にあれは
なんていうんだろうあれは病じゃない けど簡単に言うと人が死ぬ話じゃない
ですか
うん
死というものを前にすると人間 はやっぱりこんなにも脆いのか
っていうことを
とっても生々しく生々しく感じる ストーリーでしたね
なんか昨日今週かな収録してる のが1月末なんですけど今週出た
リビルド fmのnさんの回でまたその 話をしててあそうなんだと思ったん
ですけど
これあの脚本を書いてる一人が これというのはdon't look upの脚本
の一人がもともとバーニーサンダース のスピーチライターなんですって
でバイデンの選挙民主党の中の やつでサンダースダメになっちゃ
って負けちゃってでまあそうか って地元にコロラドオハイオなんか
どっかに帰って自分でジャーナリズム メディアを立ち上げていろんな
人のサポートのもとみたいなこと をやっていく中で書いたものなん
でその何ですか政治のもろもろ っていうのの生々さがちげーな
みたいな
なるほどおすすめですぜひある はいみますはい
確かにでも無理矢理つなげると 伊沢さんはリスクをどう実感される
かっていうことを書いてるんですよ ねリスクを実感してもらうため
になんか謎のレトリックが生まれて 血液サラサラとか長島さんみたい
になっちゃいますよとかなんか 一見関係ないことでリスクを実感
してもらうみたいななんかことを 使ってますみたいなだからその
ドントリックアップだとその火星 衛星が落ちてきますよすごいスピード
でめっちゃ大きい衛星が向かって ますみたいなのが実感されないんです
よねそういう説明だとなんかっていう 話だったりはするのかなとそれ
の多分実感させ方が分かんない みたいな話なのかな全然まだ15分
くらいしか見てないけど
いやまさにそういう話なんですよ まさにそういう話でそのタイトル
のドントリックアップっていう のがまさにレトリックなんですよ
この本の第2章の正しく想像せよ っていうものの中に出てくるレトリック
っていう概念が比喩だとかそういう ことを含めてレトリックっていうこと
なんとかの用だとかそういうこと なんですけどドントリックアップ
つまり見上げるなってことじゃない ですか
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だから彗星が落ちてくるときに ドントリックアップっていうのは
いろんな概念を含んだレトリック として機能していくんですよね
あの映画の中でなんかちょっと まあこれミシさんぜひ見ていただ
きたいんですけどつまりルック アップしてほしいわけじゃない
ですか科学者からすると
本当はね
本当はそこにドントリックアップ っていう対立軸をレトリック
として作ったことによって社会 に何が起きてしまうのかっていうこと
だと思っていて
だから血液この本の中の序盤に 出てくる血液サラサラっていう
のがnhkの試して勝手んで出てきた ときにサラサラっていう概念が
出てくると反対のドロドロっていう のが出てくるわけじゃないですか
そうするとどっちの方がいいんだ っけサラサラの方がいいよねっていう
風になっていくっていうのと同じ ようなことがドントリックアップ
の中でも起きているなっていう のは今ミシさんの話を聞いたら
そうだったなっていう
なるほど
もうレトリックの塊ですよなんか 喋りすぎて私が喋りすぎてる気
がしますけどこの
いや全然全然
レトリックの部分のところですごく 面白かったのが言語学者の浜野
翔子さんっていう方なのかなその 方の研究が中にこう紹介されて
いてそのサラサラっていう日本語 が第一音節のsっていうサラサラ
のサなのでsaですよね第一音節 のsは摩擦のない滑りを表現する
ってことが多く第二音節のrは回転 や流れを表現することが多いという
のが書かれててそんな風にして 言葉を考えたことがなかったな
と思いなんかなんて言うんですか 言語学というもののこの奥深さ
というか
最近youtubeもそうですしポートキャスト も言語学ラジオってすごくまた
最近流行ってますけど
ゆる言語学ラジオ面白いですよね
そうそうゆる言語学ラジオ
あれ面白い
ああいう世界はまたこう開くと 無限の何かが広がってそうだな
っていう感じがしてますね