1. Cobe.fm 本好きコンサル2人の読後感想戦
  2. 「反応しない練習」第1回:そ..

2015年の発売以来、ロングセラーになっているこの本。世の中が喧しい今だからこそ、読むべき本として選んでみました。
まずはみきさんの読後感から伺っています:-)

みき(@miki_apreciar
のぞみ(@CobeAssocie

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書籍紹介(Amazonより)

悩みは「消す」ことができる。そしてそれには「方法」がある――ブッダの「超合理的で、超シンプル」な教えを日常生活に活かすには? 注目の“独立派”出家僧が原始仏教からひもとく“役に立つ仏教”。

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00:12
全然進まなくて、明日別の会議、別の情報を整理する会議やりましょうとかなって、会議が重なって。
あー、しんどい。しんどい。
そういうのが重なって、ちゃんと会議も2個ぐらいあって。
重なった。
そして結果8つと。
しかも私すごいんですけど、この後オンライン合コン出るんですよ。
いや、すげー実践してるじゃないですか。
すごくないですか?
今日はスーパーデーなんですよね。
いや、ちょっとこれあれですね。
あまり緊張せずリラックスして話をして、言い流れのままオンライン合コンに行きたいですね。
そうですね。
いや、これはなかなか期待できそうな相手なんですか?
メンズは分かんないんですけど、とりあえず女子のメンズがこの3人揃ったら絶対盛り上がらないとかないでしょみたいな。
なるほど。いいチームってことなんですね。
ちょうどキャラもかぶってなくてよく喋り、よく笑い、よく飲みみたいな。
それはオンラインじゃなくてリアルのエビスのありつきとかでやりたかったですね。
確かにそれはそうなんですけど。
そうか。
ただもうメンズとか関係なくて、私が一番楽しみにしているのはその後の間奏戦。
女子だけど間奏戦をめっちゃ楽しみにしている。
合コンあるあるですね。
オンライン合コンのいいところは間奏戦を直後にできるっていうことですよね。
店を移したりそういうことをせずに。
一旦帰るとかなく、本当終わって3分後に可能じゃないですか。
確かに。
めっちゃ楽しな気持ちで。
普通にできるからすごい良いなと思って。
なんなら並行して間奏戦できますよね。話しながらチャットで別途みたいな。
そうそう。でも実際そういう時もあります。チャットしながらやる時とかも。
ちょっとリラックスしてやりたいですね。
あまり肩肘張らずにシームレスにこのまま。
そうですね。
今日は反応しない練習っていう本ですね。
はいはい。どうでした?読んでみた感じ。
私はすごい明著だなって思いました。
なるほどって思うことが結構多かったか。
1個前に読んだのは仕事は楽しいかねっていうタイトルからして結構アグレッシブな
自己啓発兼ど真ん中みたいなやつ。
反応しない練習とかになると自己啓発っぽいって言うから
本の表紙も青のスッとした感じの表紙じゃないですか。
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だいぶトーンも違ったと思うんですけど。
ミキサーの今のハマり度で言うとそれぞれどんな感じだったんですか?
反応しない練習の方がハマったかもしれない。
でも反応しない練習も帯が自己啓発かブッダはすごかったみたいな感じだった。
これは宗教を道具として扱った、中身は洗脳してくるような本なんじゃないかっていう気持ちはありながら読んだんですけど。
前回もそうでしたけどミキサーは探り探り本を開いていくタイプ。
コントロールされたくない気持ちがすごい強いとか、自己啓発系がすごい苦手なんですよね。
謎のハイテンションとか謎の大きな流れに乗っからせようとしてくるみたいなのがすごい苦手なんで。
そういうのがあるんじゃないかと思ったんですけど、むしろこの人、著者も
大研を経て東京大学法学部卒業典、東大受かったんかーいっていうのがあって、
その後に政策シンクタンク勤務を経てエリートコースじゃんって思ったら30代半ばで出家って書いてあって。
出家何があったって感じですけどね。
その人が書いてる本、だからもっと仏教を武器ツールにしてもいい立場の資格の人なんだけど、結構書いてることはニュートラルっていうか。
もちろん仏教の考え方とか出てきますけど、そんなに絶対これが正しいみたいな振りかざしてくる感じではなくて、
説得力を増すための補強材料として出してくるような感じだったので、読みやすいなって思いました。
結構あれですね、揺さぶられる宗教的なところでは熱狂感のあるというか、
すごいじゃんみたいなところを押してくるかなと思いきや結構バランスの取れたというか。
仏教信じなさいとかそういうじゃない。
そういう感じじゃない。
じゃなくて、仏教だとこういう風に言うんですけど、ただ人ってこういうところがあって、
あくまで主軸は人の心の話だったんで、もしかしたら私もそういう気持ちはあるからわかるなとかそういう風に思いながら読むことができましたね。
へー、なるほど。そもそものこの大謙東大邦楽部でシンクタンク行ってからさらに出家っていう、
人生の触れ幅をすごく大きく取りながら、やっぱりキャリアになると階段を一歩一歩上っていくようにみたいな考え方もあるじゃないですか。
なんか4人分の人生みたいですよね本当に。
確かに4人分。
努力して大謙で頑張って温かい家庭を築いた人生と、すごいエリートの親のもとで終わって東大頑張って受かった人生と、
制作シンクタンクでバリキャリーになった人生と、出家した人生。4人分やってんな一人でって思います。
06:00
確かに。こうやって見ると確かに最終学歴ミャンマー国立仏教大学ですもんね。
確かにそうか。すごいキャリアですね。
そうなんですよ。
そして飯さんの心にはグサッと刺さるものがあったと。
染みる感じですけど、普通に理解できるし、新しい視点ももらえたみたいな感じがしましたね。
そう、結構好きでした私は割と。
特に好きポイントっていうかここだったなみたいなのは、
どこがまず読み始めたときに最初にサッと心に触った部分だったんですか?
でもなんかそのまず一番最初に書いてあることっていうのが、
人間は苦しみがあって当たり前で、苦しみをあって当たり前だって思わないとやってられないですよっていうところから始まって、
私もそういう考え方っていうか、偉そうですけど、それは本当にまずそこは共感できる。
ネガティブな感情を、分かった。
その自己啓発症が嫌いなところって、ネガティブな感情を持っちゃダメって言ってくるんですよ。
ダメ。なくそ。なくそなくそ。みたいな風に言ってくるところが嫌いで、
なぜならネガティブ感情ってあって当たり前だから。
っていうので、第一章が反応する前にまず理解するっていう章で、
人間っていうのは苦しみとか悩みはあって当たり前でっていうことが入ったって、
だからその最初にネガティブ感情は良くない。なくそなくそじゃなくて、あって当たり前なんですっていうところが入ってくるから、良かったのかもしれない。
あー、なるほど。それは面白い視点ですね。確かに。
ちょっと今私も自己啓発症の苦手な理由が多分、とか洗脳の苦手な理由っていうのが、
そういう無きものに、あって当たり前の感情をなかったことにしようとしてくるみたいなところが多分苦手だったなって思いました。
あー。世の中に余ったあるコンテンツって、丸々したら解放されますみたいなものが多いじゃないですか。
お金を稼いだらとか、結婚したらとか、痩せたらとか、
そういうものって確かにおっしゃるように、こういう苦しみを丸々したらなくせますみたいなやつですよね。
確かに苦手な気持ちはちょっとわかります。
前提としてそういう苦しみはない方がいいみたいなのが埋め込まれている。
行と行の間にそういうない方がいいみたいな考え方が埋め込まれている感じがして、
でもそういうない方がいいとかはなくて、人間は苦しみとかあって当たり前だし、
人にかなり認められたい気持ちとか、そういうのは愚かな気持ちじゃなくて、
あって当たり前の感情だから、そういうものって思った方がいいですっていう始まりだったので結構いいなって思いました。
なるほど。面白いですね。
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多分それで吸って入れたんだ。話しながら分かりました。
読書語の話しながら吸って入っていく感じが。
第1章がまさに反応する前にまず理解するっていう章で、
悩みとか苦しみっていうのは全部心の反応から出てきてるんですよって言ってるんですよね。
だから心が反応する限り絶対悩みってあるからなくそうとしなくていいです。
理解しましょう。自分が今悩みを持っている状態なんだってことを理解しましょうっていう風に言ってるんですよね。
その理解するっていうのは、みきさんなりにはどういうことをしたら理解したと言えるのかとか、
どういうことをすることなんですかね、理解をするっていうのは。
なんかその、自分が悩んでいることを自覚すればいいのかなと思ってて、
なんか普通に私もネガティブな感情とか、なんかすごい悲しい気持ちになっちゃったり、
自分がゴミ屑のように感じられる時とかあるじゃないですか、たまには。
なんかそういう時…ないですか?ないですか?
なんか私はある…っていう時に、
なんで私こんなにゴミ屑な気持ちになっちゃってるんだっけって思うと、
あーなんか今日そういえばご飯食べてないわとか、
最近3日くらいうどんしか食べてないから、たぶんこれは栄養不足だとか。
なんかそう思って、確かに3日うどんしか食べてない奴がパワフルな気持ちになれるわけないわみたいな。
だからか、だからちょっとした失敗とかがすごくダメなことのように感じてしまうのかとかっていう風に、
だからそれは悩んで当然だわこの状況だったらって思って復活するみたいなことを私はよくやるんですけど、
そういう客観視したりとか、今自分がちょっと不調であるってことを自覚するみたいなことがまずは第一歩なのかなっていうのは思います。
うーん、なるほど。
さっきで言うところと、これやれば痩せますよみたいなことをやる前に、
そもそも私って太ってて困ってんだっけとか、結婚できなくてなんで私って嫌なんだろうみたいなことをちょっとこう、
ちょっとこう俯瞰してみてみるというか、
あーでもなんかこういうことを考えるときってだいたいお腹空いてるときだよね、やっぱ食べよとか、
なんかちょっとこう、いろんな視点から現状の自分を見つめてみるみたいなのがまず一歩目ですよってことなのか。
結婚したいって思ったときとかも、確かにここ数日ずっと友達が、なんか彼氏と一緒に、
彼氏と一緒の友達としかご飯食べてなかったなとか、
だから多分無意識のうちにパートナー欲しくなったとか、
なんかそういう状況に晒されたら、そりゃそういう気持ちになりやすいわみたいなことを理解するみたいな。
なるほど。
そういうことがなんかその、ただ悩むんじゃなくて、なんで結婚できないんだろう、魅力ないのかなとかじゃなくて、
なんかそういうちょっと客観視する視点を持てることがまずはいいのかなっていうのは思いました。
12:01
そういうときにすごい悲しいなとか、なんで私だけみたいなこの風に思うのは反応だけど、
その大前提にある反応してる自分ってどういう状態なんだっけっていうことを理解することから、
まず一歩目踏み出しましょうっていうことか。
確かにいい内容ですね。
そう。悲しいことは悲しくてよくて、ただ今自分は悲しいって思ってるとか、
必要だなっていうのはその通りだなって思って。
なんかその仏教だと渇愛っていう概念がありますって、そこで差し込んでくれるんですよね。
で、渇愛っていうのは、渇くに愛って書くんですけど、渇くに愛で渇愛で、
求め続けて、いつまでも渇いている、満たされない心っていう、
そういう人間はそういう渇愛があって当たり前のものなんですね。
めちゃめちゃあるわ、渇愛めちゃくちゃあるわ、どう思う?って。
満たされない心が、心の中に。
あるなっていうのはなんか思いました。
だから渇いてるあなたがいけないっていうのじゃなくて、いや渇いてるもんなんですよっていうのを大前提にして、
じゃあ渇いてる土地ってどういう土地ですか?みたいなことをまずわかりましょうと。
そう。
そりゃあるわなぁ。
ある。
満たされないところだな。
その入り口がそういう感じでしたね。
そこはスッと入ってくる感じってことですね。
のどめさんはあれわかりますか?ネガティブな感情を得た時にこうやって対処してるとか。
ネガティブな感情を得た時にこう対処してる。
そうですね。
まず、私何回か反応しない練習読んでるんですけど、
大体こうすげえ辛いことがあった時とか、そういう時にやっぱりこう振り返って読むんですよね。
そういう意味で言うと、
何か本を読むことによって辛いことをちょっと客観するとか、他人の視点になるみたいなことは、
結構やるかもしれないですね。
確かに。
もっと辛い人ってやっぱりいるよなとか、
自分が辛いと思っていることって冷静に考えるとすごいちっぽけなことだよなとか、
そういうことは結構ありますかね。
確かに。
仕事どうしようかなとか、こういうご時世だから考えることもあるじゃないですか。
不況が来るかなとか。
あるんですけど、冷静に考えて過去の、
例えば、中国では何とかの時代に人口の8割が死にましてとなると、
8割かってなると、俺は何てちっぽけなことで悩んでるんだろうとか。
少しさっき言うとこの問題の理解ですよね。
俺やばい、営業しなきゃとか反応する前に、
そもそも自分が置かれている状況ってまず恵まれてるよなっていうことを理解できたりとか、
やらなきゃいけないことをそもそも立ち返って考えられたりとか、
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そういうことはありますかね。
確かに。
文章とか本を読んで自分を客観視するということは、
すごい小説とか本ってそういう効能がありますよね。
そうですね。
私それとちょっと関係ないんですけど、すごい思い出した言葉があって、
サドっていいじゃないですか、マルキドサドという小説で、
世の中、サドの小説はみんな面白いって言って読めるのに、
実際の、それを読んでるのに実際にもっとインサンダー事件とかが起きちゃう。
小説ではエンターテイメントなのに、実際にそういう事件が起きちゃう人がいるっていうのは、
どういうことなんだろうね、みたいなことを話したことがあって、
小説だったらエンターテイメントで人は問われるのに、実際にそれをやっちゃう。
脳の文章だと客観視できるのに、リアルだとボチャボチャになっちゃう。
みたいな、そういう効能があるなとふと思いました。
なるほど。
最近、私SFを読んでるんですよ。
クラークとか。
固定SFってことですか?
そうですね。固定SFもそうですし、1950年代、60年代くらいに書かれたものとかを読むんですけど、
なんて言ったらいいんですかね。そこで読んでたものって、SFなので非現実なわけじゃないですか。
でもそこで得た何かって、自分の現実の思考にも投影されるものがすごくあるなと思っていて。
なんて言ったらいいんですかね。
これもすごく言語化が難しいんですけど。
何かというと、我々現実の世界で苦しんだり喜んだりするわけじゃないですか。
そこで思ったことを、想像の世界とか創作の世界に持っていって、自分で作ったり、あるいは何かを得たりするわけですよね。
それでまた現実に戻ってくると、そこでまた全然違った自分になっていることがあるなと思っていて。
それは何かこう、何て言ったらいいのかな。
現実世界の対処の仕方を、とある感情を抑制してくれることもあるし、ドライブしてくれることもある。
想像力をもっと高めてくれるみたいなこともあるし、一方で怒りみたいなことを抑えてくれることもあるっていう意味で言うと。
そういう外部のものっていうのはありがたいなと思いながら頼っているっていう。
取り留めもない感じになっちゃいましたけど、そんなことを思っているんですね。
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