「歴史って、そもそも何を“事実”と呼べるんだろう?」 E.H.カーの講義録『歴史とは何か』をめぐる読書会、後編では、のぞみが歴史哲学のパラダイムにじわじわと惹かれ、みきは「変数が多すぎてわからん!」と全力で抵抗(!?)。
のぞみは、自身の学部時代の経験や身近にいた“趣味の歴史家”たちの話を通して、「歴史家の仕事とは何か」を解きほぐしながら、自分も恩恵を受けていることに気づいていく。一方のみきは、歴史に対してリアリズムで向き合い、「ほんとにそんなに意味あるの?」という素朴かつ根源的な問いをぶつけ続けます。
👀 話題のハイライト:
地域の歴史マニアは“歴史家”なのか問題
経済史とゲーム理論の意外な相性
社史と歴史はどこが違う?
17世紀の恋愛相談コラムに学ぶ、歴史家の“発掘力”
「歴史のちゃかし方」から見る未来への布石
トランプと宗教とポスト・トゥルースの世界をどう読むか?
📚 歴史にロマンを感じる人も、苦手意識がある人も、きっと自分なりの「歴史との向き合い方」を見つけたくなる。 そんな“読んだけどよくわからない”という感想すらも含めて味わえる、濃密な知的雑談回です。
サマリー
E・H・カーの歴史哲学に関する議論が展開され、歴史家の役割や事実の解釈方法が考察されます。また、地域の歴史研究者の重要性や経済学の歴史とその研究の意義についても触れられています。E・H・カーの『歴史とは何か』の第2回では、歴史家の解釈や選択が歴史の理解にどのように影響を与えるかが語られます。さらに、古代の歴史研究が現代社会に及ぼす影響や、歴史の記録の捉え方について考察されています。このエピソードでは、トランプ政権と宗教の関係やアメリカの歴史観が考察され、歴史を学ぶ意義やアメリカの特異な歴史観が浮き彫りになります。
カーの歴史哲学
Nozomiさん、これが面白かった? 歴史哲学の比較とかが面白かった感じ?
そうだね、カーっていう人が言ってることを まずまっすぐに受け止めてみようと思ったときに、
Mikiさんが言うように、すごい当たり前のことを 言っているなぁと、まず第一感すごく思って、
歴史的な事実って、どんどんどんどん、 事実が新しくコロコロ変わっていくっていうのもあるし、
現代との紐づけで、この人が新しい事実が分かりましたとか、 こう解釈されますみたいなのって、どんどん更新されていくから、
このカーっていう人はそうなんだろうなぁとか、 最近でもないか、去年とか一昨年とか、
日本史の、よくたくさん本を書いている本郷先生 っていう本を読んでいると、
すごいこの歴史家の役割、そしてこの事実を どう解釈するかっていうことの解説者として、
本郷先生っていろいろ書いてくれるんだけど、 武士の役割ってなんだっけとか、
徳川幕府ってことで下とか書いてくれるの、 すごくこの人っぽい役割を果たしているのを見ると、
なんかやっぱり現代の歴史家の人たちって こういうふうに生きてるんだろうなぁみたいなことを、
すごくまっすぐに思った上で、とはいえ、
なんていうのかなぁ、後半にも出てくるけど、 それは果たして学問なんだろうかみたいな、
ただ僕はこう思いましたっていうのと何が違うんだっけ みたいなことを自然に思う。
いや、そうなのよ。
いや、俺はナチスのことはこう思ってるみたいな。
俺はこういう主観でこう解釈をしてますみたいなこととさ、 どう距離を取るのかなぁとかさ、
いうのを思っていると難しそうだなーっていう中で、
これいろんな学派があります、ポストモダニズム含めてとか評価されると、
なるほどなるほど、確かにいろんな事実との向き合い方があるよなぁと思って、
地域の歴史研究者
なるほどね。
歴史に興味がないからなんだけど、歴史家ってそういえば私の日常に全くいないなと思って。
コメンテーターとかもさ、
歴史とは現在と過去の対話であるとかいうの結構出てきてさ、
ってことはさ、歴史家って常に現代に向かって提言をしている歴じゃない?
でもさ、ニュースとか社説新聞とかで見たことなくない?とか思って、
野沢さんってどこで歴史家を見る?
まず、私が人生で一番、今この瞬間じゃなくて最初に会った歴史家みたいな人で言うと、
みきつさんはもう東京の都会の生まれなのでいないと思うんですけど、
私みたいな長野の田舎に行くと、
なんかね、地元市の研究者みたいな人めっちゃいるのよ、なんかわからんけど。
へー。
ちょっと、ほんまに、それ誰って思うかもしれないけど、
私生まれは長野県の飯山市っていう2万人ぐらいしかいないところなんですが、
そこでも、なんかね、複数人いるのよ。
飯山市の歴史を研究してますっていう人。
その中のとある地域のこのお寺の歴史を研究してますっていう。
当然アマチュアよ。
で、なんか謎の本とか自費出版してるわけ。
で、誰?みたいなのが最初の出会いね。
え、それってさ、趣味?
難しいね。
多いのは、教師とかをやってて辞めてやってるっていう人とか、
一部、博物館とか公民館のコーナーみたいなとこで働きつつ、
趣味はほぼ趣味だね。8割9割は趣味。
つまり、社会的に意義を出すための活動として位置づけで本人の自覚としてやってるのか、
快楽としてやってるのか。
建前は前者だね。
意味があることとしてやってますっていう。
お給料が出てるかどうかは、いかがきにおいて、本人としては意味のあることとしてやってるんだけど、
周りからすると誰も依頼はしてないから、やってくれっていう依頼を受けてるわけではないから、
趣味だよねっていう風にはなるんじゃない?
難しい。
それが現象なんだ、歴史家との。
私の体験としてはね。
他は?
大学に行くと、私経済学部に行くと、経済学史っていう、経済学そもそもの歴史を扱う学問だったり、
経済史っていうものも別にあるのよ。
学問の歴史じゃなくて経済の歴史で研究するっていうのもあったりして、
それは結構面白い位置分野だったりしたから、そこにはたくさん、経済って文脈だけど、歴史の研究者っていうのは結構たくさんいて、
私が陰性やってた時の流行りは、数学と歴史を掛け合わせて分析をするっていう分野が結構流行りだったのよ。
それは何かというと、ドイツのギルドとか聞いたことある?
靴職人ギルドとか。
そのギルドっていうのがどう成り立ってたかっていうのをゲーム理論で考察するっていうこととか、
地中海の貿易っていうのがどうやって相互信頼につながってたかみたいなことをモデルで検証するとか。
なので歴史的なテーマにちょっと現代っぽいアプローチを掛け合わせてやるみたいなことをやってる人はいた。
後から当時解明できてなかったけど、本当はこういうことだったみたいな再現性のある状態に数学の力を使ってしてみようみたいなアプローチというの?
もうそうだし、それはミキさんが言っていた今に低減しようも一部やってたりとかするわけ。
今のオークションのマーケットを考えた時に、こういうギルドの人が自然に作ってた、
このルールって意外と大事だったよね、みたいなことがわかりますとか、
いう意味ではやってたみたいなのが2つ目の関わり方。
3つ目で言うと、車子とか作ってる人かな。会社の歴史。
車子ね。
車子とかを作ってたりする人がいて、特に鉄道業界の猪頭線の歴史とかさ、
そういうのを研究会とかでやってる人。
それも社員、どこかの会社の社員やりながら、休日とかに集まってみんなでやってたりするんだけど、
とかっていうのを見てた人たちって意味では、ちょっと限られた文脈ではあるけど、
歴史と向き合いつつ何かしようとしてる人たちっていう感じだったかもね。
歴史の恩恵
確かに今話したと思ったけど、みちさんの周りにはどれもいなさそうだもんね。
歴史家はいない。車子とか集めてる人はさ、
それアーカイブじゃない?アーカイブの人じゃない?歴史なの?
歴史の人なんじゃない?単純に図書館作りたいっていうよりかは、
たぶんここのカーが言うように再解釈したいってことをやってる人たち。
あんまり収集壁がある人っていうわけでもなかったよ、みんな。
なるほどね。
集めたいっていうよりかは、
例えば歴史上にいた何とかっていう人物は地域ではすごい悪人とされてるんだけど、
本当はそうじゃなかったんじゃないかっていう仮説を持って何か調べて考えたりするとかさ。
それでは何かしらの主張なり何かを持ってるから、アーカイブ活動とも違うかもね。
なるほどね。
いや、私の場合には全然いなかったというか、いるけど変わろうとしてこなかったのかな?
うーん、そうだね。
でもなんか、それって本当に影響を持つの?
そんな限定的な影響でいいの?とか思うけど、別にそれを言ったら私にも返ってくるなとか。
お前の仕事はそんなに影響があったとか思って今なんかやめたわ。
それは別に関係ない話。
刃がね、いろんな人が自分に返ってくるからね。
なるほどね。
じゃあ、のどみさん自身は、会ったことあるないを置いておいて、どういう時に歴史家の成果を受けたと思う?
それは歴史の授業で教育されたとかそういうことも含めて。
その時の大学の話は歴史の影響かもしれないけど。
そうだね、妄想だし。
私は全般、教訓めいたものが好きだから、
ふわっと言うとパターン認識のパターンをたくさんくれるじゃない?歴史家の人たちっていろんな観点で。
だからそういう意味では結構毎日恩恵を受けてるんじゃないかなっていう気がするかな。
この人って調子乗って失敗しましたみたいな。
人物誌というかさ、過去の偉人たちみたいなことだったり。
これで失敗しました妄想だし。
地域の歴史とかさ、国の歴史とかを見た時に、
やっぱこうやって国って衰退していくんだなーとか、こうやって盛り上がるんだなーみたいなことを見ると、
こういうことは何となく意味がありそうで、こういうことは意味なさそうだなみたいな。
例えば、人口って増えて減るみたいなことってコントロールできた国なんか過去ないから、
多分日本の少子化対策って無駄なんだろうなーみたいな。
けど政治的にやらなきゃダメだからやってんだろうなーとかさ、
そういう意味ではパターン認識のパターンが増えてるから、そういう意味で恩恵をすごく私は受けてる。
だから出版してくれたってことでしょ。
歴史家が考えたことを出版してくれてる紙というか書物、
ドキュメントにしてくれてることによって恩恵を受けてる。
それも一部あるのかもね。
出版してないのに話してくれたことをまた激してもあるだろうし、
そういう人が発信したものが緩くなんだろう。
一番最初の地域の歴史研究をする人がいると、
そういう人が話した内容がなんとなく地域の文化として残って、
歴史家の解釈の重要性
それを自然に吸収してっていうのもあるのかもしれないし。
そうだね、いろんな経路で使ってるかもな。
だからミキさんみたいな私はあんまりこう、
ミキさんが言うように歴史変数多くてわからへんやんはすごいそう思うのよ。
あんまり適当に向き合ってるから、
そんな嫌いにもならず苦手にもならずそんなもんかみたいな感じかも。
もちろん今生きてる社会とか私の生い立ちとか文化みたいなものに
歴史が影響することは理解してるんだけど、
それって歴史だけの影響でもないから、
あんまり歴史家のおかげみたいに感じられないからそういうのは置いといて、
もっとダイレクトにこれが歴史家のおかげかみたいに感じるものがないから、
望みではないから結構本とか読んでパターン増えたわとかっていう感じの
ありがたみを感じてたんだなっていうのが。
そうだね、何が明確に歴史家のおかげかって言われると、
この本書いてくれてありがとうは確かに真っ先に浮かぶかも。
ギボンズのローマ帝国、衰亡し、衰退しとかは面白かったなとかさ、
世界史の資料集面白かったなとかやっぱり本に還元されるから、
逆にそれ以外って言われるとミキさんが言うように難しいかもね。
私の一個人の目線になったのに、だから歴史家いらないとは全く思ってないけどね。
実感しにくいっていうのはでもそうかもね。
この本を読みながら、初めてぐらいに歴史の必要性について考えて、
なぜなら恩恵を受けてないという実感できてるからね。
最初に思ったのが、まず歴史家が取り出してるのは事実ではなくて、
古代の歴史研究の意義
歴史家が解釈した事実である。
歴史家によって選択された事実であり、解釈を出してるから、
ありのままの事実を出してるって思ってるのはおかしいみたいな感じでいて、
そのことに私たちは歴史を受け取るものとして明確にならなきゃいけないって書いてあったのね。
それが確かになって思って、
全5世紀のギニシアがアテネ市民からどう見えたかについて、
私たちはよく知ってるけど、
その時に他の人種とか奴隷がどう見えたかっていうことは、私たちは知らないですよね。
なぜならそんな技術は残ってないし、歴史家も取り出してないからですって書いてあって、
その時からハッとしたの。
私、考古学とか古代の歴史を研究する意味って本当にある?みたいな、
ちょっと思っちゃったところがあったんだけど、
近代史をいっぱい研究したから、現代に応用しやすいじゃんみたいな、
そんなことを思ったんだけど、
確かに古代ギニシアで奴隷がどういう扱いだったかとか、
奴隷がどういう気持ちだったかみたいなところの歴史が、
もっと早く分かってたな。
アファルトヘイトとか黒人の奴隷問題とかって、
起きなかった可能性とかあるよなとか。
もっと早く奴隷やめようみたいなのが起きてたかもしれないよなとか思って、
確かにそれでハッとしたというか、
確かに私は歴史から取り出した事実っていう目線を忘れてたことはまず思いました。
そういう意味で言うと、さっきの全然違う文脈で話した、
17世紀の恋愛相談はよく発掘してくれたなという気持ちになるもんね。
最高のものを発掘してきてくれた。
よく歴史家の人たちの目をつけてくれたなという気持ちになる。
17世紀の雑誌と私から今のスキャンダルを見て、
永遠になくのない職業って恋愛相談かもって目をつけてビジネスが起きるとかあるよね。
25世紀のマツコ・デラックスもいるやろうからな、多分。
だからちゃんと一部しか、同棲選んだものしか取り出せてないって自覚はもちろん大事だし、
歴史の記録と解釈
まだ気づいてない事実を取り出せる可能性があるんだったら、
どんな昔になってさ、まだ思った方がきっといいことあるだろうなっていうのは、
そういう時にちょっと分かった。
これを15ページの時に、15ページの時点で貼ってされてたんで、
これ読み進めたらいいことあるかもって思って、ちょっと読めたっていう感じでした。
それがなかったらもう地獄の50ページくらいになってたかもしれない。
残念だけど、当たり前のこと書いてるけど、今までちゃんと考えてきてなかったから、
ちゃんと読むだけでもう自分の頭の考えが進むなとか思いました、この時。
うっすら自分でも思ってたことなんですけど、
私がその序盤を読んでた時に思ったのは、
500年後とか2000年後くらいに、
2000年後の歴史家の人に見つけてほしいなって思いながら、
恥ずかしくないものを出したいなみたいな気持ちになって。
何かっていうと、
なんかのSFで、誰の作品だっけな、忘れちゃったんですけど、
どっかの星がテーマになってて、
地球っていうところで新しく見つかった本があって、
すごく文章が美しいのみたいな、
みんなでそれを読み合わせしてるみたいなシーンがあるのね。
それを美しい調子で読む人が出てきたりとかして、
もうめっちゃ流行るのよ。
なんだけど書かれてる文章が、
どっかの会社の会計報告かなんかなのね。
売り上げはいくらで?みたいなのを、
その人のとあるところの文化では、
美しい詩だ、ポエムだって読んでるSF作品で、
おもろいと思った記憶が。
それを言うと今、自分がデジタル空間なり何かで残してるものって、
歴史家の人からすると、
何かしらの形で解釈されるものに対象物になり得るわけじゃない?
そうなった時に、おもろいなって思うものを残したいなっていう。
歴史残す側の気持ちを、
序盤の時にはすごい思ってたな。
それはそうかも。
でもなんか私はちょっと歴史家を茶化しに行きたいっていうか、
結構演劇の方のプロジェクトでは、
トークイベントゲストに呼んだ時に、
あなたがもし標本骨格として、
20世紀の人間のコーナーに残されるとしたら、
ラベルなんてつけますか?みたいな。
20世紀の劇作家とか、OLとか、
毎回毎回聞き続けるみたいなのをやってたんだけど、
それだって女優ですとか、
普通に真実を言う人もいれば、
ホラー漫画家か何かだったんだけど、
なんかペレーボーとかかぶせて、
日本を代表する漫画家とか書いておきますとか言ってて。
それで歴史家から、
これが日本を代表する漫画家かって、
ありがたがれたいですよとか言ってて。
それいいなぁ。
楽しそうだな。
ちょっと話しとれるけど、
本当に事実で勝負しに行くのもありだけど、
勝負しに行くっていうのも面白いよねって。
どうせ分からないんだから骨出しとか言ってて。
そういうの楽しそうだなぁ。
だからまずペレーボーかぶせますねとか言ってた。
絶対さ、そういう人って過去もいたはずじゃん。
例えばナポレオンの有名な絵の馬って、
実はめっちゃ小さかったみたいな話さ。
有名やから。
ナポレオンのそれはバレちゃうけど、
一般庶民も多分同じようなことしてるはずやんか。
日記を書いてて、
一般庶民って地域の有力の家とかでさ、
こんなこと盛り上がってみたいな日記を、
誰にも見せるつもりないけど、
日記書いてる時にちょっと盛ってるとかさ、
ちょっと妄想書いちゃうとかいうのも、
今の人は真面目にやったら、
そうかこの家はこんなに良知を持ってたんだなとかさ、
なる可能性があるわけじゃない。
いいよな。
惑わしていく感じ。
元木さんも晩年に、
今は真面目に本をいっぱい書いて、
晩年にちょっと未来の歴史家に向けた茶化しの、
なんかエッセイみたいなの書いて、
人生を締めくくろうよ。
最高やんか。
一つも本当のことが書かれてない。
書かれてない。
それで真剣に考察させようよ、歴史家に。
今アメリカ、ミキさんが言うようにおもろいじゃない。
先週なんか見てて笑っちゃったんだけどさ、
なんかの裁判でアメリカの政府がさ、
裁判官9人いて、
0-9で負けたのよ。
なんだけど、
その副大統領、報道官かなんかは、
あの裁判9-0で勝ちましたとか、
報道陣に言ってるわけ。
え?みたいな。
裁判所の結果もみんな知ってるのよ。
明らかなんだけど、
レポーターの前では、
9-0で勝ちましたみたいな。
一応その場では反論とか出ないわけ。
9-0で勝った手で話し続けてるのよ。
分かってるよね、民衆を。
頭いいよね、逆に。
頭いいと思う。
コストトゥルースとかそういうのを超えて、
おもろいし、頭いいなって思うもん。
トランプ政権と歴史観
マジでなめてる、人間を。
ふざけんなよって思うけど、
分かってるよね。
それで十分なことってあるよね。
すごい、なんかこの話、
トランプ政権がなければ、
まあなければ三木さんがこの本を読むことも
あんまりなかったかもしれないけど、
なかったら普通に笑い話で、
いやちょっと嘘とか書いてって言えるけど、
なんかもう現在進行形でやってる、
あのすごい大きい国の偉い人たちがいるからな、
みたいな。
確かにこういうアメリカとかは、
確かにこの歴史株、
の低減不足な感じはあるよ。
まあ、何だろう、
歴史っていうものとどう向き合うかっていうときにさ、
その古い歴史を持っている人のほど、
歴史を学ぶべきだっていう
インセンティブを強く持つじゃない?
例えばもうアメリカなんてできて、
もう本当に何百年だけど、
それで言うとじゃあエジプトはとかさ、
中国はとか言うと、
歴史が云々みたいな話をしたがるインセンティブは、
彼らはあるけど、
そういう意味ではアメリカっていう国は、
歴史を見ないようにしようよっていう方が、
そういうのが根付いてるのかもしれないよね。
なんかね。
ね、もう分かんないけどね。
でもなんか、
結構トランプ再選までの歴史を追ってたら、
結構宗教団体とかの絡みも超多くて、
いろんな宗教系の人が出てきたりとか、
改修とかもしょっちゅう受けたりとかして、
なんかちょっと日本的には騒動しづらい、
なんか背景もいっぱいあるんだなとかは思ったけど。
へー。
改修?
カトリックかプロテスタントにとか。
あー。
トランプが今どっちでもないけど、
プロテスタントかな。
で、なんかちょっとそう、
カトリックも1個前カトリックでとか、
なんかあったりとか、
この教会からめっちゃ起評を受けててとか、
あとトランプがさ、
忠実をさ違法にしたんだよ、
またもう一回とか。
うんうん。
元々合法だったのが。
だから、
そこら辺とかの絡みとかも、
超宗教絡みでありますみたいなのを見てて、
うわ、変数多いってなったなとか思い出しました。
だから単純に歴史画とかじゃない、
なんか結構いろんな変数があるよね。
人種とか、
今起きてる課題に対してどういうアプローチをしたか、
あとなんか宗教がどうだったか、
変な大統領令みたいな、
有効上限回数とかないさ、
教権が発動できるとか、
いろんなのがあるんだなって思います。
ちょうど今日、
教皇様が決まり、
トランプ先生が自分を教皇のやつに
見立てた画像を作り、
大問題になった中、
宗教皇はアメリカ人なので一応、
また人を盛り上がりしそうだなと思いながら。
トランプがこの宗派をコロコロ変えたいとか、
絶対本人は宗教徒がどっちでもいいと思ってそうなのに、
違法にするとか、
そういう宗教をテルタの前に取ってる感じとかも複雑だなとか思う。
宗教徒だけだけど、
この問題をこうするだけで、
この組織が動くみたいなのとかがすごいあるんだなとか。
絶対本人はどっちでもいいと思ってるでしょって。
絶対信じてないでしょ。
どうすら思うけど。
くだらないと思ってそうだもんね。宗教とかね。
思ってそうなのに、
そういうのをうまくやってるのとかも
すごい難しいなって思います。
トランプみたいな人って何考えて生きてるのかな、
みたいなことってもう分かんないじゃん。
うん。
宗教の重要性
でも多少想像できるようになったのは、
歴史だけじゃないけど、
人物表みたいなのがたくさんあるじゃない。
でもたくさん読むと、
ああいうやつって確かに歴史上いたよなみたいなのを見ると、
少しだけ想像できるようになるっていう。
それは一つ歴史家の恩恵なのかもしれないね。
みんながいろんな人を研究してきてくれたからっていう。
あ、そうね。
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