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2025-09-09 24:49

オリバー・サックス『妻を帽子と間違えた男』 #2

Part2は、政治演説の話題からユーモアたっぷりにスタート。 大統領演説を“言葉だけで聞く人”と“表情だけで見る人”が、それぞれ別の理由で爆笑してしまうという症例を紹介しつつ、「もしかして強い信念を持ってる人も、何かにうまく“刺さって”盛り上がっちゃってるだけかも?」なんて軽口も。

印象に残った症例として、みきは「体のないクリスティーナ」を挙げます。自分の体の位置感覚(固有感覚)を失いながらも、鏡を見て姿勢を意識するなど工夫を重ねて日常を取り戻そうとする姿に感嘆。一方ののぞみは、「具体的な物事が一切わからなくなった男性」の話から、抽象と具体の“広がり”論争に発展。二人の過去の経験も交えて、「具体は閉じて、抽象は広がる?それとも逆?」と議論が白熱します。

終盤では、オリヴァー・サックスの“ニュートラルで寄り添う”姿勢や、患者と向き合い続ける力に感心。専門家として上からではなく、フラットに接する難しさや、その背景にある想像力・努力についても語り合う回になっています。


サマリー

このエピソードでは、クリスティーナという体を失った女性の驚くべき適応力や彼女の経験の意味が深く考察されています。また、オリバー・サックスの職場環境や教育背景が紹介され、医療における支援の重要性に触れられています。このエピソードでは、具体的なものと抽象的なものに関する考え方についての対話が展開され、特にオリバー・サックスのアプローチや見解が議論されています。さらに、精神科医としてのサックスの患者との対話スタイルが紹介され、人間関係の重要性が強調されています。

00:10
今回の参院選とか、その一個前の、私関係ないけど都議選とか見てるとさ、みんなすごい、Mikiさんのノート環境とかじゃないけどさ、みんなすごいいろんな主義をお持ちなんだなと思うのよ。
で、Mikiさんなんかもうちょっと柔らかい主義があるじゃない?
それはいろいろあるじゃない?
絶対に憲法9条とか言ってる人見てるとさ、よくそこまでいけますな、みたいな。
私とかからするとさ、場に応じて適当に毎回言うことを考えることを変えているヘラヘラした人間からするとさ、主義タイプの方すごいですな、みたいな。
大統領の演説のエピソードあったじゃん、覚えてる?
めちゃくちゃよかったよ、笑ったよ。
あれ、めちゃ笑ったよね。
めちゃめちゃ笑ったよ。
で、言語の意味が取れなくて、表情とかからだけ意味を取れる人と、質語上の人と、表情が全くわからなくて言葉だけの人か。
そうそう、言葉だけを判断できる人と表情だけで判断する人がいて、どっちもがいるんだけど、大統領の演説を聞いて爆笑してると。
大統領自身は真面目にやってるのよ、大統領の演説を普通に話をしてるんだけど、
2つの属性の人が爆笑してて笑ってる理由がちょっと違うっていうやつね。
めっちゃ笑ったな。
私たちボディランゲージでも言葉がわかる人からしたら、いい、頑張ってるじゃん、大統領みたいな風に受け取られてるものについても大爆笑であると。
1人は言語的に不自然な言葉を使ってるから変なのって笑ってて、
言葉の意味がわかんなくて表情だけ見てる方はあまりにも嘘っぽい表情で一生懸命何かを喋ってるから、
なんかギガ化されてるというか、バカげてる感じがして笑っちゃうと。
感動はしない。
質問者の人からすると、言ってることが本当かどうかみたいな嘘ついてるかどうかを簡単に見破れるから、
大統領の演説見てると、全部嘘言ってんじゃん、嘘を言い続けてるじゃん、この人真面目な顔で、ははははっていう笑いを言っているし、みたいな。
その人からすると、すごくそれがグロテスクだと。
もう弾まかれることなんかないのに何か言ってんな、みたいな。おかしいな、みたいな。
健康とされる我々みたいな人は、頑張ってやってて、素敵な雰囲気でいい言葉を書いてやってる、イエーイ、みたいな。
だから我々は騙されちゃって、大統領の演説で騙されなかったのは脳に障害を持っている人たちだけだったと。
これが大統領演説のパラドックスと。
ありそうっていう。
だから救助の人たちも騙されてるじゃない。
救助を変えた方がいいっていう、当てられちゃったんじゃない、感動的なものを自分のアンテナに刺さる表現を見つけちゃったんじゃない。
盛り上がっちゃったのかな。
だから自分が心底から思ってるっていうよりかは盛り上がっちゃったんじゃない。
むしろ私たちより健康な人の可能性があるってことでしょ。
そうそう。
健康な人は騙されるらしいからね。
健康だっただけなんじゃない?主義がめっちゃあるんじゃなくて。
確かにみんなよく駅前とかで元気に演説してたりするもんな。
元気なのかもね、確かにね。
みきさん24人いて印象に残ってる人はいたりするの?後半に演劇の人とか出てきてさ、みきさんなんかこういう人気になるのかなと思って読んだけど。
体を失ったクリスティーナの挑戦
私は体のないクリスチーナっていう、かなりロゴに出てくる3人目くらいって出てくる人がすごく印象に残ってますね。
なんでやななんでやな。
だって体がなくなっちゃうんだよ。
なくなっちゃうっていうのが感覚的にっていう。
私はそれが一番びっくりしたかな。
自分の体がここにあるっていう感覚のことはなんていうのかわかんないけど。
他の少年って記憶がちょっとないとか、言葉が出てこないとか。
自分が今ここにいて、例えば本を持ってる自分がいるけど本と手は別のもので、手はここまでで本はこれでとかって言うのって当たり前にわかるはずで。
違うものだから本が手に入っていっちゃうこととかもないみたいな。
これって当たり前すぎる感覚で、それがなくなる。
それは確か恐ろしいかも。恐ろしいかもしれない。
恐ろしいとか、そんなことになっちゃうんだって言った時に、このクリスチーナはそれでも、
わかりました、今私が起きていることはこういうことなんですね。
じゃあ何とか頑張れますみたいな感じで、鏡とかを見ることによって自分の輪郭みたいなものを理解して、
めちゃくちゃ超意識して姿勢を保つみたいなトライをしていくわけじゃん。
自分の体がないのにそんなトライをして、自分で生き続けようとするっていう魂なことにとてもびっくりした。
クリスチーナは27歳の結構しっかりした女性で、
常話とかが趣味で、仕事はコンピューターフログラマーで、バレーとか詩人が好きみたいな。
ある日、倒れちゃったって、起き上がれなくて、体がなくなっちゃったから起き上がれないんですみたいな。
体がないんですって突然言う。
はぁ?ってなるよね、周りの人ね。
確かにこれは怖いかも結構。他の能力とかに事象については怖いとか思わなかったけど、確かにこれもし自分に起きたら怖いってすごい思うわ。
視覚と並行機関と固有感覚の3つで、固有感覚っていうのがミシさんが言ってる、体の向かってる感じやつかな。
さっき私が言ってた体が20度ぐらい傾いちゃうみたいなやつは、その並行感覚っていうのがいまいち動かなくなっちゃったパターンで、
こういう感覚っていうのがミシさんが言う、本を持つとかいう時に手を動かそうっていう時に、
手をある種自分のものだと認識してパッと動かせるけど、その手を自分のものとしてうまく扱えないっていう感じだよね。
だから視覚と並行機関で体を動かさなきゃいけないから、トレーニングとしてはまずじっと手を見るみたいなことでしょ。
これ私の、私のみたいな。で、ここを意識すると。
覚え込ませるっていう。
こうやってやると、左の人差し指が動くみたいな。めちゃくちゃ見る。これはなかなかだよね。
っていうのが途方もなさすぎるし、ちょっとでも忘れたら倒れちゃうわけじゃない。
それってなんか絶望的というか、なんか私からすると。
確かに。立ち上がれないし、座ってる時に座ってる姿勢を維持することもできないしね。
ずっとそれを気にしながら一生過ごせなくて死んだ方がマシって思っちゃう。
その感情は結構冷静に受け止めて分かりました。じゃあやってみましょうみたいな感じでトライアルをしていったみたいなふうに書かれてたから、
なんかそんな強い人がいるんだと思った。
こういう感覚な。
すべての元じゃん。なんかお金が全部なくなったとか、みぐるみ剥がされたとかって絶望的なことだと思うんだけど、
それを受け止める体があるじゃん。で、あって絶望があるわけじゃん。
それがないっていうことで、なんでそんなに未来をまだ見て生きるんだって思っちゃう。
そうね。
実際になってみないと分からないけど、相当ハードなことは想像ができるもんね。
もういいです、私どっかの研究所に脳を送ってください。脳科学院に使ってくださいとかになる。
今のみきさんの想像だと?
うん。もういいですって、今世は。
まあそうだよな。なかなかのハードものだもんな。
って思うし、その絶望は深いと思うし、でもその意思の力もすごいなって思って、
そうやってだんだん姿勢を保ったりとか、歩いたり。
意外とこういう感覚なくなっても、資格出たとか結構柔軟なんだな、人間って。
残った2つで補うとか書いてたもんね。
そういう柔軟さも持ってるんだ。
意思の力強いし、柔軟さもすごいし、結構人間って意外と乗りこなすよね。
今その固有感覚ってさ、資格とかだと目が見えづらくなった人向けのテクノロジーとかさ、
トレーニングとかあるじゃない?
うん。
固有感覚ってトレーニング可能なのかなと思ってさ、
固有感覚訓練とかで見たら、感覚統合とか固有需要覚とかいろんな名前が付けられてるんだけど、
結構いろんなトレーニングがあるらしいよ。
積み木とかブランコ。
固有需要覚とあと前提感覚っていう確か2つあるんだよね。
感覚が意識化に。
前提感覚って平行感覚って言ってたもう1個のやつが前提とか書かれてたから、
2つをセットで鍛えるっていうことなのかな?
前提感覚が体の傾きとスピードを感じる感覚で、
固有需要感覚が体の位置とか力を感じる感覚。
無意識化にあるものだから結局それを直接鍛えるわけじゃなくて、
意識をなるべくその無意識の方に向けるっていうトレーニングになるような感じだったって。
昔調べたときそんな感じだった気がするんだけど。
こういうプロプリオセプティブトレーニングっていうものの影響を
アスリートのパフォーマンスと関連させて研究した論文が去年出てるけど、
パフォーマンスにいろんな良い影響があるらしくて、
運動神経と呼んでるものがこれの一部なのかもしれないね。
確かにね。
テニスのレッスン受けててさ、
ちょっと股関節に力を入れてくださいとか言うと、
股関節に力を入れるとか意味が分かりませんとか言う人いるのよ。
分かんないよ、私も。
股関節です、股関節って。
そうなんだけど、力を入れるっていうか、
溜めるっていうかさ、
全然分かんないみたいな顔してるけど。
これも多分ある種のこういう感覚の発論の一個だと思うんだよね。
この力をここの股関節っていうものに、
力を溜めて動かせるようにするっていうのはさ、
運動神経と呼ぶものの一個なのかなと思いながらこの論文を見てたね。
私は体のないクリスティーナが結構衝撃的でした。
確かに。
妻を帽子と間違えるは笑えるけど、
このクリスティーナのやつ、しんどいもんな。
医療支援の重要性
あとなんかオリバーサックスの職場いいんだろうなって思う。
クリスティーナが一人で頑張りますってなったっていうよりかは、
多分そのサポーティブな雰囲気とかがあったから頑張ろうって思うんだろうなとかを
全体的に思いますけどね、この患者全員に対して。
勤めてたら何病院なんだろう。
なんかあれですよね、オリバーサックス、あ、コロンビア。
オックスフォード卒ではある。
前回100万ドルを取り返すような舞台にもなったオックスフォードのご出身でございますよ。
今はコロンビア大学の教授、職場がどこかはわからない。
1962年からは。
アルバート・アインシュタイン医科大学、ブロンクス州立病院。
ベス・アブラハム病院というブロンクスの病院の顧問神経科医。
野上さんは特に何が印象に残ってますか。
抽象概念と具体的行動
ミッキーさんが言う怖いの感覚が全般あったんだけど、
特に強くあったのは、何段目か忘れちゃったけど、
具体的なものが一切わからなくなった。
一番最初のおじいちゃんか、抽象概念でしか考えられなかった人を見て、怖い。
仕事をしていると抽象的に物事を扱えると褒められることが多いと思う理由はわからないけど、
仕事をしているときの市場とか、市場って具体的な何かだけど市場っていう概念は存在しないじゃん。
論点だ、仮説だ、戦略だとかって全部ただのゴミみたいな抽象概念じゃない?
それをうまく扱える人が褒め添えされてるけど、抽象概念でしかわからなくなったとき、怖い。
何もできねーっていうのを見て、何の反動かわかんないけど、それ以来めっちゃ料理してる。
一番生きることに直結する具体的な行為だからじゃない?
そう、あそこに抽象概念はないじゃん、料理において。
すべてが具体的なものだからさ、だしはだしじゃん。塩は塩だし。
これだなーみたいな気持ちになってめっちゃ料理して、昨日の夜茄子のリビーだし、夜作ってるときは本当に心がすごい癒されたもん。
なんかさ、この章かわかんないけど、じゃなかったかもしれないけど、他のところで具体とは広がりである、みたいなこと書いてあったんだよね。
具体とは豊かさであり広がりであるってどっかに書いてあって、
ごめん少し話変わるんだけど、
具体とは豊かさであり広がりであるっていうのを読んだときに、思い出したことがあって、
具体と抽象の考え方
仕事でドキュメンタリームービーみたいなのを作るディレクションの仕事をしてるときに、編集のエディターの人が、具体的に考えるのがすごい得意な人で、
上がってきた映像が、そのシーンを使うことは悪くはないんだけど、シーンを繋げられただけみたいな感じで、すごく入ってきづらくて、
フィードバックとして全体的に具体に閉じていて、もう少しこちらの提示した構成や流れとか強弱みたいなものを意識して作ってほしいですみたいな、
っていうことで書いて、一旦考え直してくださいみたいな感じで、具体的にこっちが指示を出すと、それを聞くだけになっちゃうからって思って、
そういうこのニュアンスで少し考えてもらおうとできますかって言ったら、帰ってきたことが、
具体に閉じてるって何ですかって、普通、抽象に閉じるのであって、具体は広がるんですけどって、
へー
だから、すごく考え方とか物事の考えるステップが違うから、私のインプットが伝わってないから、こういうアウトプットになったんだなってことを理解はして、
もうそこからちょうどエレキに言うようにはしたんだけど、それは置いといて、
具体は、具体に閉じる、私は具体に閉じる抽象に広がるって思ってたの。
大富さんどっち?
むずいなあ。むずいねえ。
いや、これちょっと今の話を聞いてずるいけど、
ずるいけど、真ん中が細い砂時計みたいなイメージなんだよ、私で言うと。
あ、ずるいよ。
それやねんけど、ずるいから、どっちの方が近いかって言われたら、抽象が閉じてるの方が近いと思う。
どうなんだ?
いや、これちょっとむずいけど、抽象だろうと具体だろうとさ、人間の操作によってどっちも無限に広がりうるじゃん。
だからもう人間の操作の問題だと思うわけ。
だからどっちも広がってるんだけど、一般的傾向として、抽象側をもりもり広げてる人で、おもろい人はかなり限られてる。
けど、具体の方でもりもり広げてるのはおもしろい人が多いから、どっちかっていうと具体が広いっていう感じかな。
なるほど。やば。ディスられた?今ちょっと。
ううん、そんなことない。
みきさんが言う抽象が広いって、彼か彼女か分かんないけど、抽象の方が広いっていう方が、
なんて言ったらいいのかな?すごく難しい。
具体っていうものを対象物とかものとかと限定をすると、みきさんが言う方が自然だと私も思う。
うんうん。
なんか一個のものがあって、そこに対する人間の解釈とか捉え方とかフレームとかなると当然抽象の方が広いからいいんだけど、
具体の意味をさ、経験とかそういうものまで広がらせだすと、彼が言ってることの方が収まりがいいっていう。
そうね。
なんか別に、みきさんは私たちみたいな仕事をしてる人は相当ない方が自然だし有意義だと思うよ。
具体の方が少なくて抽象の方がたくさんあるって方が自然だと思う。
具体は具体でしかないと思ってしまう。言い方難しいけど。
逆に言うと、平和みたいな概念を延々と扱ってる人たちって私からずっと意味ねえみたいな。
閉じた抽象のあまり扱わずにそれをこんなところで、うんなところで、具体具体とか言ってるからくだらないなって思うんだけど。
確かに。
面白いね。
思ったけど、多分私だって具体で閉じて抽象で広げるって言うときと、多分普通にもっと具体に広げてって言うときと自然に使い分けてて、文脈で言ってたんだよ。
普通に人間ってみんなそうだと思うんだけど。
なんだけど、多分彼に具体で閉じるってなんすか?普通具体は広がるんですけどって言われたときに、すごいびっくりしちゃって。
だから、私の中では無意識化で使い分けていたんだけど、私の中では抽象の方が広いっていうのが普通みたいな感じであったんだなーって気づいて、すごくびっくりしたんだよね。
それはどっちにびっくりしたの?みいきさんの自分の中で、私こっちが普通なんだーにびっくりしたのか、それとも具体が広がるのが普通だっていう人がいるんだーにびっくりしたのか?
オリバー・サックスのアプローチ
それでびっくりしたの。
そっちにびっくりしたんだ。
でも、そのびっくりするってことは、私が逆を普通だと思ってるってことの自覚でもあるんだけど。
なるほどね。
へー。
思って、だから考え合わなかったんだって思ってたら、このめっちゃ好きになりかけてるオリバー・サックスが具体は広がりである、豊かさであるって書いてあるから、あれって。
あっちがの人間って。
って思ったっていうことを思い出しました。
この本の文脈でいうと、24の具体事例を挙げるっていうんだから、それは具体が豊かですっていうスタンスを取るほうが自然だから、オリバーもあれじゃない?
論文書くときにさすがに、いやー、なんか抽象ってのは閉じたものでとか言わないから、オリバー・サックスなりの使い分けなんじゃない?この本における。
あと多分、正確には文脈的には一つ抽象があったとき、抽象ってか何かを思ったときにいろいろなことを想像できるほうが豊かであるとか、例えばそういうニュアンスで使ってたんだと思ったけどね。
うーん、そうさなー。
オリバー・サックス自身はすごい想像力豊かだよね。
患者とのコミュニケーションのさ、会話の様子とか書いてエッセイにしてるけどさ、あんまりバチコーンと決めつけるでもなく、とはいえ優しい何でも聞きます先生というわけでもなく。
結構真剣に患者さんと対話してる感じがヒシヒシとエッセイから。
だからさ、すごいなって思った。本当に綱の毛の真ん中にいるっていうか、オリバー・サックスは。具体だとすることもなく、抽象に求めることもなく、ただ人と人としているっていうことがすごい上手だよね。
そうだね。
だからそのどうしたらおごり高ぶらないマインドなんだろうとか、なんか私もさ演劇関連のプロジェクトではしょっちゅう相互関係、相互関係とかめっちゃ言うわけ。相互関係ができてないとか、めちゃくちゃ人に相互関係って言うんだけど、でも結構もう相互関係が大事だと思ってる人のマウントの人みたいにちょっと偏っちゃったりとか。
なんかすごくニュートラルでいることが難しいってない時多いなーとか個人的に思うんだよね。
へー。
だからこのオリバー・サックスのこのずっと精神科医ってただでさえちょっと上の立場に立ちやすかったりして、精神科医の中でも精神科医じゃない、神経科医?
お医者さんという立場がただでさえ上の立場に立ちやすくて、でかつその神経界、界隈でも認められつつあるのに、絶対患者とニュートラルに続けるということは、なんかどうやってんだろうみたいな月並みの感想だけ。
人間関係の重要性
なんかかなり優れた能力だよね。なんかそれこそ高天的に獲得しようと思ったら本当にものすごくいろんな努力が必要な感じがするというか、いろんな方面に創造力を働かせながら伸ばしていくような能力だよね。
そっから中でも患者なんか見ずにさ、延々と世界中なんかお金もらって公園で回りますとかって言うと別に飯食っていけちゃうかもしれないわけだよね。
そう、選んだら書いた後ずっとその判件で生きていくとかもできるわけでした。
まあね、確かにね。そうか。
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