1. Cra出しRADIO 工芸とカルチャー
  2. S2 ep9 どもる体、どもるリン..
2023-01-17 49:18

S2 ep9 どもる体、どもるリンゴ、どもるCra出しRADIO

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Cra出しRADIOは、シーズン2に入っていくつかの点でリニューアルしていますが、その内のひとつである編集方針のリニューアルには、ある重要なきっかけがありました。モノを作る人を紹介していくこの番組が大切にすべきことは何か。それを突き詰めると…

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【今回の話題の関連リンク】
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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

00:01
CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ。
ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
うまく言えた。
はい、ConCRAの海です。
最後までちゃんとやってました。
嫌だね。
塩です。
はい。
うまく言えたって。
すいません。
感動が先に来た。
名前言い忘れる。
まあ、こういう部分もノーカットでお送りしているシーズン2ですけれども、
前回予告したので、シーズン2で、CRA出しRADIOがどんな風にマイナーチェンジしたかっていう話から、
今日は始めたいなと思っているんですけど、
一つはあれですよね、話題的にゴミの話から始まって、
僕の回は挟みましたけど、
ユキさんの工芸というよりは、いわゆる手芸というジャンルとしてくくられる場合の多いテディベアの制作みたいなところにフォーカスしたっていうのも、
ちょっと視点をずらすみたいなことはあったんですけど、
ちょっと聞いている方には分かりにくいかもしれないマイナーチェンジっていうのがありまして、
僕の編集をかなり減らしてます。
かなり?
かなり減らしてます。
つまりね、シーズン1は、
特に最初の方とか、
どこの馬の骨かも分からないっていうのは僕だけかもしれないですけど、
そんなことない。
そんなことはないです。
が、始めたそのポッドキャストを、
まずは1エピソードを最後まで聞いてもらってっていうのを積み重ねないといけないっていう意識がすごく強かったので、
30分ちょっとぐらいの尺で、
あまり脱線しながらは、相当脱線もしましたけど、
とはいえ一応筋として聞きやすいものにしようという意識で編集をしてたんですけど、
そうするとどういう部分をカットするかっていうと、
ちょっと完全に話が脇に反れた部分とか、
あと自分の喋った音声を聞き直してそれを編集するなんて、
まあしないですよね。
しなくないですよ。
03:00
だからすごい自分ってこんな喋り方してるんやなみたいなことはめちゃくちゃ、
特にあのーとか言っちゃいますけど、
こういうのめちゃくちゃ言ってるなっていうのがやっぱり自分なのですごい嫌なんですよね。
だからこう切りたくなっちゃうんですよ。そういうところを。
まだマシ。
全然すごい。
僕原稿は苦手な方なので、
言いながら僕めっちゃ勢いが飛んでますけど。
やっぱり自分が自分のそういうのを聞くのが嫌だから、
例えば海さんがそういうあのとかそのみたいなのが出た時にも、
切った方がいいと思ってたんですよね。
で、その方が聞きやすいものになる。
尺も短くできるし。
っていう風に思ってたんですけど、
そのシーズン1とシーズン2の間の期間に、
TBSラジオの小木部知紀さんがやってるセッションっていう番組に、
糸浅さんという方が出られてて、
美学者の糸浅さんという形で出演されてたんですけど、
なんかの展覧会の話だったか、
ちょっと内容は忘れたんですけど、
の話で出てはって、
すごく流暢に話をしている中で、
固有名詞、美術家か作家かなんかの名前を言う時に、
めちゃくちゃドモったんですよね。
ドタドタドタドタってなって。
で、僕、糸浅さんの本って、
いくつかアンソロジー的なものとかで文章を読んだりしたことがあったんですけど、
喫音の話を書いてる人で、
自身も当事者であるっていうことは知ってて、
そこでドモリが出た後、
別に普通に話をしてあって、
当然そのセッションという番組はTBSラジオの生放送の番組なんで、
何か編集されたりっていうのはそもそもないんですけど、
例えば僕が、
例えば糸浅さんをここにお呼びして、
その固有名詞のドモリが出ましたってところを、
善意で自分がそこをカットしたとしたら、
それは絶対違うぞと思って。
それってすごい暴力的な行為だなって思って、
なんとなく、
全然糸浅さんの喫音の本とかも読んでなかったんですけど、
僕は間違えたことをやってたと思って、それを聞いて、
やっぱりちゃんと本読まないなと思って、
その後、ドモルカラダっていう糸浅さんの本があるんですけど、
まずシーズン2のマイナーチェンジっていうのは、
06:04
あの音かその音か、
そういうことはあったんです。
そういう細かいところを切るのを、
編集が大変すぎるっていう場合もあるんですよ。
場合は絶対あるんですよ。
あれだと思ってたから。
僕も結構やるやる先で、
編集手伝ってて結構やらずにいて、
みんなでやれる作業じゃないからって言って、
一人でやってて、
逆に一体いつかそれをやめてくれるという負荷がなくなったらいいなと思ってたから、
ちょっと実は安心してた。
あとね、文字起こしをやめたのは、
むしろその方がカロリーだいぶ下がったんですけどね。
そうですよね。
そう、なんかそういうこともあって、
そういうなんていうか、これは、
じゃあそういう話の筋じゃない部分をカットすることが悪かって言ったら別にそうじゃなくて、
例えばクイックに最新のテック情報を10分で解説しますみたいな番組だったとしたら、
そういうところをカットして、
重要な情報の部分だけをまとめるっていうことは全然あっていいと思うし、
それは別になんていうか、ケースバイケースだと思うんですけど、
なんか僕がその時に思ったのは、
やっぱりこの番組で話していきたいのって、
何かものを作ったりとかする人の営みというか、
そういう実際にものを作ってる人をお呼びしてお話を聞いたりする中で、
ものすごくこう、
そこでリスナーの評価というのは声だけなんで、
声の身体性みたいなものを、
僕がその編集で、
その人の例えば話し方の癖みたいなものをカットペーストしてしまうことで、
その人の実像じゃないものが見えてきたりしまったりとかっていうことだったら、
やっぱりこの番組のコンセプトからだいぶずれちゃうなと思って、
っていう反省があり、
すごいな。
そうなんですよ。それでマイナーチェンジをしたわけなんですけどね。
編集しんどいし楽したいっていうのもあります。
それはね、サステナビリティに影響するからね。
お願いしたい。楽をしたい。
しもさんとかこの3人の中では結構人前で喋ることが多い、
極端にそういうシチュエーションが多いタイプだと思うんですけど、
僕とか見てて、こういうふうにフランクに喋っている時と、
モードに入って入る時のいい踊りの少なさって、
僕は見ててすごくよく分かるんですけど、
09:01
スイッチ入れればバキッと。
今はもう人前で話すモードだみたいな。
そういう話が上手い人とか見てると、
逆に今の岩田さんの話を聞くまでは、
何て言うんだろうな。
僕、何だろう。
昔の上司に話し方教室とか行った方がいいよって言われてた人なので。
その、なんかある種の。
昔ではないですよ。だいぶストレートに言われてたね。
本当はちょっとホワッとして言いたかったと思うんだけど、
僕は言い訳してそう言うとそういうことですかって言ったらそうだって言うんなので、
多分そうだったと思うんですけど。
そういう人からすると、すごく上手く喋っている人に対しての
変にコンプレックスが僕は煽られるところがもしかしたらあるかもしれないなと思いつつ、
例として出して、適切かどうかわかんないですけど、
芸術人類学者っていう方が好きなのかな。
中島佐藤さんっていう方の本とかを。
芸術、何だっけ。
名古屋芸術大学で教えてらっしゃる方ですかね。
本で自然化、あれ、違った。
芸術か自然化だったか。
でも前回のこの話の中でもその方の引用しようかどうかも迷ってたんですけど、
3Dソフトウェアの時に頭の再現をツールが追っかける、
中島佐藤さんは筆が思ったより上手くいったっていうところから触発して、
さらに絵筆の流れがドライブしていくっていう経験って誰でもあると思うんだけど、
それを思い出すと完全に思っていることの再現が絵画とか平面表現ではないっていうことも言ってて、
その人が何かのツイートで見た時に、
うまく言ったら言語的な表現じゃない、
呪術的だったりとかっていうところの表現も含めた中で、
言い淀んでる人がいた時に、
いよいよ本当の声が出るぞって言ってワクワクする。
そういうのを聞くと、
どもる感じでも聞いてくれる人ももしかしたらいるかもしれない。
だからまさに海さんの話し方とかで、
いよいよ本当のことを言うぞって感じあるんですよ。
あるある。
言われると恥ずい。
逆に言われると恥ずいわ。
確かに。
っていうところのどもりが何なのか見たところですか?
だからね、全く同じことがどもる体の中で描かれてるんですけど、
12:06
つまり人が自分の体をコントロールできてる方が変っていうことなんですよね。
スラスラ喋れてるっていうことの方がむしろ変じゃないっていうことなんですけど、
脅威してる気がする。
スラスラ喋れてる時って、
いつもの自分っていうよりは何かがこう、
イタコじゃないけど何かが入った感覚だからスイッチ入れるっていう風に私は、
その感覚をスイッチ入れるようにすると緊張しなくなるんですよ。
それだけ。
やっぱりそういう事例も、
ちょっとどもる体の話、割とちゃんとしたいなとは今日思ってるんですけど、
この本が自身も喫煙の当事者であり、
何人かの喫煙の当事者へのインタビューをする中で、
傾向として見えてくるものとかっていうことが整理されてたりするんですけど、
今のしおさんのあるモードにスイッチを切り替えるみたいなことって、
やっぱりこの喫煙の当事者の人も結構やっているテクニックとしてやってることだったりするみたいなんですよね。
何か自分じゃない役を演じれば、その間は喫煙が出ないみたいなことが、
喫煙を隠すためにそういうことをやるテクニックを自然と身につけるっていうことが、
多くの当事者が経験しているっていう。
ただ演技があまりにも日常化してしまうと、その人格に乗っ取られるみたいな。
本当の自分じゃないのに、この方がうまく喋れてるから、
そっちがメインの人格になって、周りからもそういうふうに思われてしまってる。
でも本当の自分はもっとどもるのに、みたいなことで悩んでる方みたいなことが出てくるんですけど。
それはすごいわかるな。
私も結構緊張すると思ったりもするし、
あと単語がとにかく出てこないっていう。
余計あれあれあれみたいな、あれあれババァみたいになってきちゃうんだけど。
さすがにトークイベントでお金払ってチケットを買ってきて、
私の話だけじゃなくて、他の人の話も聞きに来てるんだけど、
全部あれそれとかしっかり言わない方、やばいなってやっぱり自覚は。
知事語だけの。
どれだよみたいな。
やっぱり違うモードに入るんですけど、
それを私だって、いつも私こんなキレッキレの喋り方してるって思われると、
15:00
やっぱりそれで困るんですよ。
倉田知事はどっちかっていうと素の私に近いかな。
聞かれてるってのはわかってるし、
相手がいつもの皆さんなので慣れてるけど、
そうじゃなくて知らない人も聞いてるっていうのは、やっぱり知識過剰的には感じてるからね。
私も脳衣装の筒井さん会の時のジャカートの話とかのイキイキした感じの塩原さんとかね。
それは普段っていうのと私のオタクスイッチが入った時の私とそれはまた違うんですよ。
違うな、そのドライブはちょっと違うな。
それは意識してるんじゃなくて興奮状態だから、それは普通の私ではないんですよ。
ハイパー状態のスイッチ入っちゃって。
好きなことの話になっちゃったら、ハイパーばしって入っちゃうっていう。
そんなテンションで生きてたらね、燃え尽きになってしまいます。
燃え尽きちゃうから無理。
たまたま倉田知事ラジオって作り手の話を聞くっていう側面っていうか、
そういうのを大事にしてるんですけど、
結構今まで思うには、しゃべりが面白い方々がすごく多かったんですけど、
想像に難くないと思うのは、作り手がみんなこんなに話がお上手ではない可能性が全然一般的にあるじゃないですか。
普段ずっと口よりは手を動かしてる人が、
なんか口で言い出したことなかったな。
でも説明するとどういうことなんだろうと思って言い淀みながら言い出すと、
やっぱり聞き身立てちゃう感じはやっぱりありません。
何を言う、どういう感じなんだろう。
そこは別に言葉の上手さとか流暢さとかってあんまり求めてないし、
その人の目線だとどういうしゃべり、表現の仕方になるんだろうっていうモードが自然に入ってくるから、
対比というか別に良いとか悪いとかじゃないですけど、
YouTuberの方とかのしゃべりって結構その間のところを極限にまでカットして、
YouTubeの編集とかってまさに。
結構究極的にそうで、その方が良い場合ももちろんあると思うんですよね。
言いたいことを短時間でとにかく伝えたいっていう場合の感じとはまたちょっと違う感じの、
聞く側としてもちゃんとそのモードが納得感がある時はあるなという感じですね。
チャンネルによっても違うと思うんだけど、
自分が常にやっていることを仕事だったり作品だったり考えている日々日々それに対峙してて、
18:07
しかもそれについていつも喋ってる。
もうこれ慣れたもんだしもう染み付いてるじゃん。
その話をする時とそうじゃない慣れてない新しい話をすることとか、
知らないことについて会話をするってなるとやっぱりそれはモードがどうしても違うわけじゃない?
YouTubeってどっちかというと調べたり、自分がこういうふうなことに対して調べてきたことをお伝えします。
簡単にっていうのって別にいつも自分がやってることではないから、
それはかなりスイッチを入れて、簡単にわかりやすく伝える私みたいなっていうのはあるんじゃないの?
作品の話はそのテンションで話せないと思うんで、なかなかきついと思う。
でもね、自己プロデュースがアーティストにとって当たり前みたいな風潮の作品とかだと、
その喋りの上手さとか求められるシーンも結構あるから、
結構そういう風潮は風潮でしんどいんだよなぁとか思いながら。
学校とかの授業で学生が感想をくれるんですよ。日本って面白いよね。
質問しないくせにすごい書いてくるので、逆にびっくりするんですよ。
年々長い。年々感想が増えてきてて、それはそれでなんか不思議な現象ですよ。
面白かったとかが最初の頃だったら、十何年前とかに紙で無理っくり先生に書かされてて、
それを出席としますとか言われて、興味深かったです、何かみたいな。
でももうなんか批評というかメモと批評がごっちゃ混ぜになってきたのがバーンてくるから、
読んでて、ちゃんと聞いとるやん、意外とっていうのはもちろんあるんだけど、
なんか提携もあるんですかっていう思う時もあるんだけど、
なんか私があまりにも流暢に喋りすぎてるのが怖いとか、そういう感想もあるんですよ。
そりゃそうだよ。100回以上同じ話を10年間やってる私にそれ言うかと思ったんだけど。
しかもね、同じ作品について喋る。
でも怖いって言われるのは、そりゃそうかもって。すごい素直な感想だなと思って。
それがね、普通だっておかしいよね。
10年間100回以上喋ってるっていう状況ってあんまないじゃん。一つのことに対して。
まあ一般的にそういうのはなんか、比喩で落語って言いますよね。
それが彼の新作落語なんだよね。
でもみんな話のオチは決まってて、いつもこの話、この人酔ったらこの話いつもするんだよっていうような、
21:04
そういう表現をしたりとかするんですかね。
でもね、それね、大学院の時に先生に怒られたことあって、
なんかもうめんどくさいなと思っちゃって、もうその頃はたった4回ぐらいからみんなの前でプレゼン。
担当教員の前でプレゼン。
でなんか全員の前でプレゼン。で最終の試験でプレゼンみたいな4回目でめんどくさくなっちゃって、
みんな聞いてるっしょみたいな、1人か2人しか新しい人いないですよ。
なんか恥ずかしくなってきちゃって、同じ話してるのが。
なんか多分あんまりこう、ちょっとめんどくさいんだけどみんな聞いたでしょこれみたいな風で喋っちゃったんですよ。
プレゼンしたら。
めっちゃ怒られて、もうなんか100回話しても初めて喋ってるような興奮。
あなたの作品に一番興奮してるのはあなたなんだから、そういう風に話しなさいって言われて、
でなんか今の君はパブでビール飲みながら、あれさこういうめんどくさいんだよねって喋ってるようにしか聞こえないと。
そんな作品誰が話しちゃんと聞こうと思うんだとかすごい怒られて、
ちゃんとなんか毎回毎回初めて自分が興奮した時の愛で思いついて、
あーってなった時を思い返して喋ろうっていう風にその時思ったんです。
難しいんだけどそんなことできるわけないんだけど、思っただけちょっと違いが出てきた。
初期衝動こそね、なんか説明が難しいものがないし、言葉で説明しようもないから、
僕はそのアドバイスは結構困りますね。
あたふたしてるだけです。
それが思いついた時のなんかことを気分で喋る人が、あのえっとこういう感じで。
言っちゃいけないよ。
なんなんだろうって。
そのアドバイスがちゃんとワークするから心配ですね、自分の周りが。
周りが心配なんです。
まず落ち着けみたいな。
そのテンションの方がいいよっていうアドバイスだったの結局。
うまく喋るとかではなくて、君が一番それに対して情熱を持ってるっていうことだからっていうのを伝えるっていうか、
ちゃんと意識しなさいっていう。
それとドモリの話で言うと、僕もなんかそういう、ここまで話してあれですけど、
ちょっと自分の喋りに対して課題を感じてる人が毎回一応倉田氏ラジオを一応聴いて自分の糧にしたいと思って聴いてるわけなんですけど、
やっぱシーズン2からこのドモリの話を岩田さんにする前からちょっとグルーヴが出たなって勝手に思ってたんですよね。
なんかわかんないですけど、それがドモリのリズム感なのか、
24:03
まあわかんないですけど、すごいまた変な例えであれですけど、
マイケルジャクソンが歌詞を言う前のうんなのかわかんないですけど、
これは分かりづらいです。
わかんないですよね。
学校にない音ってことですか?
だからあのとかえっととかっていうのが入るのってマイケルジャクソンの。
マイケルジャクソン?この2人だけで通じてて私ちょっとまだ追いついてないのこれ。
うんとかいう、なんか息を吸うみたいな。
そうそうそうそう。
うららんとかいう。うまくできない。
よくよ。
ポンと出す前の助走みたいなところとして使ってる感じはありますよね。
これもドモルカ体に書いてあるんですけど、うんとかえっととかっていうと、
相手は今考え深めてるんだなっていう、取ってくれるけど、
実際には連発ってならないように助走つけるためにえっととか言ったりっていうことをしてるっていう話とかもあって、
なんか一応そのドモルカ体のさっき言ったように、
喫音の当事者に話を聞いてそこからの話してるんですけど、
なんか読んでると僕はその喫音を持ってるのか持ってないのかとかちょっとよくわからなくなるっていうか、
別に自覚としてはないつもりではいるんですけど、
でもこの人と喋るときは絶対ドモるよなっていうのとかあるんですよ。
あるんですね。
この人ってその人が限定されてる?
この人と喋るときには自分はいつもドモってるなっていうのを自覚する。
それを自覚できる状況?
そうなんですよ。だから別にその人のことが苦手とか緊張してるとかではなくて、
でもドモるなっていうふうに客観的に見る瞬間とかがあって、
それで読んでるときやっぱりそういうのってシチュエーションによっては喫音が出る出ないみたいなのがある。
この人に対しては出るけどこの人には出ないとか、むしろリラックスしてるときの方がよく出るとか、
そういうのを読んでるとその程度の差みたいなのはあるにしても、
自分自身でも確かに体験として知ってるっていうことは結構あるんですよね。
なるほど。
ドモりなかったらそのうわうわないでマイケル・ジャクソンみたいになっててつまんないよね。
つまんないとも言えるし。
それを読んでいるキャスターみたいな喋り方されてもなんて。
ちょっとそれとまた話が違ったらなんですけど、
27:02
今岩さんの話の止まらないためのエイトとかのちょっと力を分散させるワンクッションなのかが、
全然また違う話なんですけど、英語でちょっと打ち合わせしてたときに、
そのエイトがたまたま口癖でFワードの人がいるんですよね。
誰だろう?
何だろう?言っていいかな?
今のは確かに。
今のは確かに。
Fワードの人がいるんですよ。
困るんですよ。
しかもオンラインミーティングだったらちゃんと出るんですよね。
そっか、字幕が出る。
ちゃんとコースされててびっくりする。
そうなんだ。
F××○○ってなるよね。グーグルミートの場合は。
ちゃんとしてね。
××ってなったら余計目立つ。
逆にそっちにまた言ったとか思って。
そうなんですよね。私一回カウントしたことあるから。
でもYou Knowとかもそうでしょ?
そうですよね。
ライツとかもそうですよね、確かに。
でも今もこれも私も何かとか言いながら
考えているんだけどそれもドモリだと思うんですよ、自分で。
つい出てしまう。
みたいなのは口癖。
たぶん岩津さんはドモリを一種のクリエイティビティの発露として。
タイトルがドモる体っていうのも面白くて、体がドモってるんですよね。
頭の中でこうしたいって思ってることに体がついてこないみたいな状態。
前回のエピソードで言うと、
翔さんが手で作る時の微妙に自分が思っているのと違う感じになるっていうことって体がドモってるからだし、
それを3Dのレンダリングでやろうとした時も結局それをうまくコントロールできないからそれもドモるわけですよ。
物を作る人はたぶん体のドモリを、
須藤さんみたいな作家はめちゃくちゃそこのドモリをコントロールして、
めちゃめちゃ体がコントロールできる状態をものすごく作る。
あの方は修復とかもやってるから、昔のタガネ職人のタガネのドモリも半々数してるんですよね。
30:01
聞いて思い出したのが、
とある会社でインターンをしていた友達が、
めちゃくちゃちっちゃな基板を手でハンダをひたすらしなきゃいけないっていうのを貸せられるんですよ。
インターンだから、余計緊張。
いつもの自分がやってることじゃないことをインターン中ってやらされることが多いから、
これで失敗したらめっちゃ怒られるんじゃないかって、余計緊張。
何したかって言ったら、めちゃくちゃコカコーラたくさん飲んで、息止めながらハンダをしてましたって言って、
コカコーラの空き缶がバーって並んでて、
最初、それでなんでこんなにコカコーラの缶空いてるんですか?から聞いたらそう言われたんだけど、
それどうなるの?みたいな。
人間の極限のパフォーマンスを出すために、
息まで止めてコカコーラ飲みまくってやらされることってなんだ?とか思って。
緊張はおられる。
でしょ?それを須田夫さんは、
息も止めずコカコーラも飲みすぎずやるってどういうことなんだろう?って逆に。
どんなアスリートっていう。
確かにハニオユズルの大会1日前ぐらいの話を聞いてるような話ですよね。
どう集中に持っていくのかみたいな。
ゾーンみたいな。フローってやつですかね。
フロー状態を想像して、そこに向かっていくための自分のアスリートの、一応だったらある種ルーティンをやってゾーンに入っていくみたいな、
作り方というか環境。
聞いてみたいね、それね。
ちょっとした作業でもシュシュってやってるの見えるけれど、
そこにはすごいミリ単位の集中とかいろんなものが凝縮されてるわけじゃん。
だから逆を言うと、例えばいろんなタイプの技術があったとして、
この雑魚とAっていうタイプの技術とBっていう機械加工の技術とCがあったときに、
似たやつを瞬時に、違う、A、B、Cで違ったやつを瞬時に切り替えてやるマルチサスクはちょっとやっぱしんどそうというか、
グループ的に近いものしか今のこのゾーンとかに入ってるときはやれないから、
作業場もそういう風にチューニングするし、
時間があるから、ちょっと余ったからって言って、このゾーンのときに別の来てるこの仕事を気分の切り替えでっていう風に簡単にやる感じにはならないっていうのは言ってますよね。
昨日料理屋さん、レストランに行ったんですよ。
ちょうどカウンター席で厨房がちょっと低めだから丸見えなんですよ。料理している方の。
33:05
そこには一人のシェフともう一人のお皿を出したりとか片付けたり洗ったりとか、
二人だけでお店切り盛りしてて、それは普通にあるかもしれないけど少ないかもしれないけど、
すごいのが、メニューは取るし、しかも電話もシェフが取って、電話を取りながら予約取りながら片手で料理してたり、
ワインを取りに行ってセレクトしてサービングもしてて、ずっと動いてるんだけど全然淀みなく動いてるんですよ。
しかも料理も別に同じものを常に出してるわけじゃなくて、みんながちゃんとオーダーしたのがバラバラできてるのに、
メモも書いてないし、クルクルやってて。
あれ無理だな、俺。
私はそういう結論に至った。美味しかったんだけど、美味しいもそうなんだけど、あれ無理だわ。できるわっていう。
あれ電話とか一番無理だよね。
予約したいんですけどっていうお客さんからの電話もシェフの方が受けて、ちょっと火止めるわけでもなく様子見て、ちょっと違うことをやりながら。
心配になっちゃったんでしょ、横で見てて。午後、火焚いて鍋とか焼き物か何かしてるんですよね。
でもちょっと鍋を、なんて言ったらいいのかな。
ちょっと火のかけ方を変えたのかな、あれ。
でも結構強火バーっていって、でもシュッて斜めにかけて、スタスタって去ってしまって、えぇーみたいな。
大丈夫?とか言ってちょっとハラハラしてたんだけど、全然余裕で戻ってきて、また普通に作業、他のいろんな料理同時多発的にやり、
ババってやって最後綺麗にちゃんとディスプレイ的なお皿にピッてやって出してて、すごい技術の人。
マルチタスクって話じゃないですけど、僕すごいカウンターに座ってキッチンの様子見るのがすごい好きな中華料理屋があって、
めちゃくちゃ気持ちいいんですよ、見てると。
チャーハンを焼くのと、フライパンを洗うのと、道具を洗う作業と、飯を作る作業が全て同時にその鍋の中で起こってるみたいな状態。
何の作り方?それは一体。
まず使う道具はお玉と鍋しか使わないんですよ。スプーンとか使わないんですけど、お玉でちょっと塩をすくってピャッとやったり、油作ってピャッとやったりっていうのは全部その2つだけでやって、
36:04
物の数秒でチャーハン作って、そしたらずっと流しっぱなしの水道でさっと鍋に水をつけてシャカッとやってピカピカになるみたいな。
お玉でシャカッとやって。
そのルーティンが人間技じゃないんですよね。
流れるかの如く。
だからそこの中華料理屋行ってカウンター席じゃないところを案内されるとすごい味が違うじゃん。
味が違う?
ビジュアルも味の意味じゃん。
作るプロセスを見て食うチャーハンと、ただそのチャーハンが運ばれてきて食うのと全然味が違うみたいな。
それはわかる。
それちょっと行ってみたいな。
それはめっちゃわかるな。
それは京都にあるお店?
ちょっとまた行きましょう。
どん森の話もありつつ、話したそうなことがあったなみたいな。
体をどう使うかみたいなことが音声だけで伝わるポッドキャストで、
伊藤旭さんのラジオを聴いた時に、このままじゃダメだっていう風に思ったのが、
実際本を読んでみて、そうかやっぱり体なんだこれは。
旭さんの伸びしろや。
それを僕は収まりたいです。
その気づきをやっぱり。
これはちゃんと伊藤旭さんへの感謝も含めて。
まずはちゃんとこの本を読みましょうっていうやつですね。
どもるからだ。
どもるからだもいいんですけどね。
これのエッセンスを割と短くまとめた本があってね。
ちくまキューブックス。
私、伊藤さんが調べてる間なんですけど、
三島由紀夫の金閣寺っていう小説があったと思うんですけど、
ちょっと自分とは違う世界の話だと思ってたんですよね。
どもりの主人公が出てくる話なんですけど、
今読むと全然親近感がある。
だから僕が謳歌するあれとかっていう風には自分は重ねないんですけど、
読み方が違うかもしれないなと思いました。
金閣寺のその話も出てきました。
本当ですか。
確かに治る治らないとは全く別のところから迫るっていう話だけど、
39:04
いや、どもっちゃいけないとか思えば思うほど絶対ひどくなったりしちゃいそうだよ。
やっぱりそういう風に自分を立してというか、
その喋り方直した方がいいよとか善意で親とか周りから言われて、
これが出ないようにしようっていう風にずっと生きてきた人が、
どもれなくなった。
それによって精神のバランスを崩してしまって、
どもり方がわからなくなっちゃった。
自分の本当はどもっているものを抑えながらずっと生きてきてしまって、
そこで自然にどもれる人たちともう一回何とか交流をしながら、
徐々に自然にどもれるようになっていったっていう話とかもあって、
やっぱりどもらない方がいいと思っちゃうじゃないですか。
流暢に喋れた方がいいと思っちゃうけど、
実際にやっぱりどもれなくてつらいみたいなことっていうのがありえるんだなっていうのもその中であって。
本ですけど、「君の体は何者か?なぜ思い通りにならないのか?」っていう、
中学14歳ぐらい向けの短い薄い本なんですけど、
結構このどもる体の中で書かれていることが、
特にそういう自分の体について悩む時期の若い人向けに書かれた短い本があるので、
ここから入ってみるのもいいんじゃないかなと。
ちょっとそれもう僕筆読図書みたいに聞こえてきましたけど。
先に薄い本読んでからどもる体。
今朝も関西に今自分がいるんで、
東京とは違う、朝のABCラジオのAMの番組を聞いてたんですよ。
目を覚ますために。
関西弁の男女のお二方がむちゃくちゃ流暢に喋るんで、
ABCラジオの朝の番組ってBGMもなくて、
今日のニュースとか天気とかを喋りながら雑談してっていう。
クソ上手い。当たり前なんですよね。
それを聞いて自分のクラガーショーラジオの喋りを思い出してちょうどへこんでたとか。
そこと比べてへこんことないですよ。
そこを比べるとこじゃないですから。
オリンピック選手を見て自分ができてないって言ってるくらいの話だもんね。
普通そこを比べるとこじゃないですけど。
比べてどうっていうよりは上手くなるにはどうしたらいいかなみたいな
ある種の途方もなさみたいなところですよね。
今聞いてて、岩さんの話を聞いてて、
どもり方を忘れた人がちゃんとどもれるようになったっていう。
42:03
その響き自体がすごい。パンチライン感がすごくて。
それは呼んでみたいなって思った。
それが海君の個性だし、言葉になってない言葉になってる。
なんか慰める回みたいな。僕も慰める回みたいになってますけど。
面白いんだよ。これ言うなっていう時の癖がだんだん自分が蓄積されてくると
この人とうとう言い切ったら本音みたいな。
聞いててホッとするときがある。ホッとするときがある。
痛いよ人!って思うときがあるから。
収録の時じゃない時もそういう時も。
でも体の運動としてどもりを自分なりに扱えるようになると僕もいいなと思いました。聞いて。
だからシーズン2もこの後のゲストの方とか色々もうすでにお話をしてたり
こういう人呼びましょうっていうことも計画してるので
本当になんかそういうなんていうのかな
その人の声から伝わる身体勢みたいなものが
そのまま音声に乗ってくれたらいいなと思う。
そういう思いでね。
そういう感じでシーズン2続けていきたいなと思っております。
実際それで妄想してもらって
実物の写真見たり
写真じゃなくて本当に本物に会いに行ったり見に行ってほしい
その差を知ってほしいっていうのがある。
そういう経験あるしな。
結構学生の時に日本の作家の本を読んで
写真を見て妄想するんですよ。見に行けないから。
日本住んでないから。
こんな作品、この写ってない部分はこんなのかもしれないとか
この作品はこんな立体感があって
勝手に想像して見に行って全然違くてびっくりっていうのが何回もあって
それが面白かった時もあるし
そういう楽しみ、ギャップを楽しんでほしい。
それの癖とか体のあれもね
同じ癖でも受け取り方もきっと違うんだろうし
勘違いしてるってネガティブに聞こえる言葉だけど
私はすごくその勘違いができるってことは最強だなと思うんですよ。
解釈を、違う解釈を持てるっていう意味では。
なんか一個思い出したのが何かいつだったかに
45:02
岩田さんとリンゴスターのフィルインの話をしてた
リンゴスターのフィルインっていうのは
ドラムのフレーズの合間の合図地みたいな
今入りますよみたいな合図ってこと?
フレーズの合間に入れるおかずとかも言ったりもするんですけど
リンゴはなんかあれかなーみたいな
僕が言ったらリンゴのフィルインはめっちゃいいって岩田さんは言ったんですけどね
フィルインっていう
レインっていう曲とかの
っていうのがAメロの前に入るんですけど
微妙に遅れてるんですよなんか
ジャストじゃないんですよ
っていう話をしてた時にリンゴスターが
左利き?
左利きだけどセットが右利きなんですよね
用のセットで叩いてるっていうのが
僕それ知らなかったね。そうかっていう
アディン・イン・ザ・ライフっていう曲の
ちょっともたる感じっていうか
うんのないんだ?
1秒でもなくても0.何秒でもない
妙なもたりがあってそれがいいっていう人と
リンゴはそのもたりがなーみたいな人も
おるなーっていうことを思い出しました今
体の運動の癖っていう意味でね
全身運動だしやっぱドラムって
思いました
いやいやそうそうそうそういうことですよ
そういうことなんですね
そういう美さに
どもってこ
どもってこ
どもり方を覚えてこ
どもりのグルーヴ
どもりのグルーヴですよね
今日どもりがなかなか乗ってるねみたいな話になって
今日のどもりいいね
俺は好きだよって
あとはこれ別に全然意図したわけじゃないんですけど
シーズン2の1エピソードの長さが
平均1時間ぐらいに近づいてるっていう
ことは別に全然意図したことではないんですけど
そんくらい話が乗ってきてるっていうことでもあって
適当に聞いてもらえばいいんじゃない?
途中でトイレ行こうが料理しだそうが
一応作り手が単純作業のお供にっていう
僕の中の勝手なあれがあるんですけどね
ゲスト呼んでるときそれ言って大丈夫かな
せっかく話してもらってんのに
ゲストのときは言えんな
正座して聞きたいときは
正座して聞かなくてもいいから
適当に聞けって言っていい?
言うとは言えんな
面白いからな
ということでこんなところにしときましょうか今日は
くらだしラジオは毎週回を配信してますので
48:03
また来週もお聴きください
うんって
これだと無理なの?
うんって言ってるってどういうことだ
これも一応相撃ちのつもりで
なんかこう
納得したのね
今の相としては良くて
コントロールできてないところなんですけど
くらだしラジオはコレクティブとしての
テンサイオンも撮っているので
概要欄から興味がある方は覗いてください
ハッシュタグで私はこんなどもりをしますというのを
募集してみたいです
CONCRAでお願いします
ハッシュタグCONCRAでお願いします
はい
じゃあ次回も3人でもうちょっと話します?
はい大丈夫ですよ
VRで収録できるのはなかなかね
なんか喜びが大きいですね
ですね
私は断然話しやすい
それはねやっぱり
というわけでじゃあ来週もよろしくお願いします
お願いします
49:18

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