1. ままならない1on1
  2. #25 共感力がなさすぎる
2025-07-22 30:14

#25 共感力がなさすぎる

「感情的共感」の達人を探しています🕵️

✏️エピソードノート
- 共感力が欠如しているヤマ
- 「いつかは賢いレジデント生活」のキム・サビ
- 主人公のオ・イヨンは感情をキャッチはしている
- 自分でもドン引きした「」に似ていると言われた
- 共感力が低くて頭の良いキャラ
- 映画を見て泣けるから共感はできているはず
- 認知的共感:相手の気持ちや考えを頭で理解する
- 感情的共感:相手の気持ちを自分の内側でも感じる
- 感情的共感の方が初速が速い
- 感情的共感が多いと疲れやすいのか
- 医者は求められる範囲が広すぎる
- 認知的共感は鍛えられる
- ジャックナイフからバターナイフへ
- 関係性が長くなることで理解が深まる
- 認知が増えると対応が難しくなる
- 傷つけるか、じゃれあうか
- オブラートに包むか、剥がすか
- オブラートを剥がせない人の大変さ
- 偏りがある二人だと真相に辿り着けない
- 感情的共感の達人から話を聞きたい


🌀番組概要
日々のままならない瞬間をテーマに、デザイン会社の上司と部下が1on1で喋ります。「他人の些細なミスをどこまで指摘する?」「尊敬と尊重の違いって?」「男女って言葉にどう感じる?」といったトピックなど。ままならなさに頭を抱える2人と一緒に、「自分ならこう思うな〜」と楽しんでいただければ幸いです。


❓ままならない瞬間とは?
日常でふと引っかかる小さなジレンマや、自分ではどうしようもない状況のこと。話してみると共感されたり、全然気にならないと言われたりする、正解のない瞬間です。


🎙️スピーカー
🏔️やま(部下)
デザイナー/ISTP/上司を困らせたがりがち/子どもの頃よく言われた言葉は「ああいえばこういう」
🏖️はま(上司)
デザイン会社のマネージャー/ENTP/フラットな意見ほしがりがち/子どもの頃よく言われた言葉は「落ち着きがない」

Xhttps://x.com/mamanaranai1on1


📮お便りはこちらhttps://forms.gle/XpTZjkXLz2Jwuw2e8

※このポッドキャストでの発言は個人の見解であり、所属する会社や組織とは無関係です。また、配信時点での解釈に基づくため、正確性を保証するものではなく、事実と異なる場合があります。

サマリー

このエピソードは、共感力の欠如について深く考察し、特に医療ドラマや漫画のキャラクターを通して自己の共感力を見つめ直しています。認知的共感と感情的共感の違いについても触れ、自身の感情表現のスタイルを振り返ります。また、共感の種類に関して考察し、特に認知的共感と感情的共感の違いに焦点を当てています。医療従事者の共感力に関する議論を通じて、コミュニケーションの重要性とその影響が明らかにされます。さらに、共感力の欠如とそれに伴うコミュニケーションの難しさについても考察し、認知的共感と感情的共感の違いや、それらが人間関係に与える影響が議論されています。

共感力の欠如
今回は、私がいかに共感力が欠如しているかっていう話かなと思ってて。
うん。どういう気持ちで聞くかな、それ。
この1on1を聞いてくださっている方で、山さんはこのドラマに出てるこのキャラにシンパシーを覚えるんじゃないかっていう、そういうことを言ってた人がいたらしく、で、そのドラマを7話ぐらいまで見たんですよ。
はい、結構面白いなと思って。それが、ネットフリックスやってる、いつかは賢いレジデント生活かなっていう、医者の1年目のドラマみたいな感じなんですけど、産婦人科の。
そこに出てくるキムサビっていう子が山さんに近いんじゃないかと思って、どれどれって思って見たんですけど。
キムサビはですね、不安がってる妊婦さんとかに性論をぶちまけるっていう、そこを気にしても意味ないですよとか、今そこは関係ないですよとか、そういう話をして患者さんにブチギレられて、で、ブチギレられて、上司からブチギレられるっていう。
なんかこう、謝りに行きなさいって言われて、で、いつ行けばいいんだろうみたいになって、で、なんか夜を回っても行かないで、またブチギレられるみたいな、そういうキャラでした。
で、どう思ったの?それは。近しいの?
でもまあ、正直に言うと、そのキャラよりは主人公のオイオンっていうキャラの方がどちらかというと近いかなとは思ったんです。
あ、そうな考え方として。
キムサビさんはほぼ理解できてないみたいな感じかなと思ってて、オイオンさんはまあおそらくこうなんだろうけど、私がどうにかする必要はないっていう感じ。
距離感が違うんだね。
はい。
キャッチはしてた?
なんかさすがに、ここでこの人はこういう状態だからこう言ってくるんだなとかまではさすがにわかるような気がするんですけど。
キムサビさんはすごかったね。わからない度が。
キムサビさんはわからない度はだいぶ高そうでしたね。
あとは私が過去このキャラ近しいって言われたのが、漫画の響きっていうやつの主人公なんですけど、私は響き読んだことあるんですけど、とんでもねえやつだなって思って、そっと途中で読むなって。
こんなのに似てると言わないでってことで。
いや、それを聞かれる前に。
聞かれる前に。
聞かれるっていうか言われる前に読んだことあって。
読んでとんでもねえやつだなってそっと閉じた後に親からなんか近しいものあるねキャッキャみたいな感じで。
あと先輩から二人から言われたことあって。
すごいね。
っていう。
とんでもないやつ自分で思ったやつが。
とんでもないやつに似てるらしいですね。
まじか。
どうだったのそれは。それはどういうやつなの?
それは小説家になるっていう感じの主人公が。
っていうので、書いた小説がなんかめちゃすごいらしくて。
で、そういう感じのなんか一芸に引いてたようなキャラなんですけど。
ただなんかこう、何ですかね、ちょっと気に食わないのなのか、ちょっと自分から見て曲がった現象みたいなのがあると。
普通にドンって本棚とかを引っ掻かすみたいな感じだった記憶。
そこまで知り終わったのか。
まあさすがにその棒に出ることはないんですけど。
そうですね。
ただ感情は近い?
感情はまあもしかしたら近いかもなとは思いましたけど。
だからその思うことはあるなみたいな感じ?
そうですね。
なんで結構自分の思った、自分が筋が通ってるって思うことをめっちゃ寺井もなんかストレートに表現するってタイプのキャラですか。
言うしあとあれだもんね。
ちょっと返されたぐらいじゃ折れないもんね。
うん。
全然何億でもしますよって感じだもんね。
まあそうですね。
納得するまで。
そうですね。
っていう、まあそう見えてるのかっていう。
そう見えてるのか。
そうね。
あとなんかバット×丸に似てますねって後輩から言われたことあります。
バット×丸の性格ってなんかあるのかな?
性格はわかんないですけど。
見た目だと。
単純にあの見た目のあの表情の話かもしれない。
今まで出てきたキャラは全部共感力が低いとされているキャラ?
ちょっとバット×丸わかんないですけど。
バット×丸わかんない。
キムサビと響きに関しては多分かなり低い。
で、頭すごくいいってことだよね。
認知的共感と感情的共感
まあ確かにキムサビさんは集積卒業とかそういうやつですね。
頭が良くて共感力が低いっていうのが一つの枠としてあるんだよね多分ね。
うん。
っていう。
共感力とは言っても私の中の共感力って悲しい映画でも泣けないみたいなそんなぐらいのイメージだったんですよ。
でも私は私を話さないでとか見てめっちゃ泣きますし、
特に母娘コンテンツに弱くて。
あ、そうなんですか。
お母さんを亡くしてしまった娘とかのシーンとかめっちゃ泣けるんですよ。
そうなんですか。
これは父娘でもダメで。
母息子とかでもダメで。
まあダメなわけじゃなくて悲しいんですけど、
母娘が一番自分と重なり合って効くみたいな。
そういうやつなんですけど。
でもめっちゃ共感できてるじゃんって自分では。
まあ確かにゼロじゃないね。
そう思ってるんですけど。
何が違うんだろうって思うと、
これもJPTさんのあれで恐縮なんですが、
なんか別物らしくて認知的共感と何とか的共感みたいな。
知識で知ってるかみたいなこと?
そう。
こういう感情になるんじゃないかみたいな。
なんか共感にはいくつか種類があるが、
特に対比されやすいのは以下の2つです。
認知的共感。
相手の気持ちや考えを頭で理解する力。
感情的共感。
相手の気持ちを自分の内側でも感じる力。
認知的共感は相手がどう感じてるかを客観的論理的に推測する。
この人は今怒ってるように見えるな、
この発言は多分傷ついたのかもみたいな。
理解をするみたいな感じ。
感情的なのは相手の気持ちを自分の内側から自分のことなのに感じられるみたいな。
認知的共感と感情的共感?
そうです。
なんか認知的共感より泣きがするな。
ハムさんもそうですよね。
泣きはするね、その2つだったらどちらかというと。
別に俺も泣くけどね。
ドラマとか映画見て普通に。
はいはい。
っていうので、私別に映画とかで泣けますけどみたいな主張をしたら、
感情的共感も別に全然ありますけどって思ったんですけど、
映画とかとそういう、それを呼び起こしやすいように設計されてると。
認知的共感の方?
感情的共感。
感情的共感を呼び起こしやすい。
ストーリーとして設計されてるじゃないですか。
ここがこうでこうで、ここが泣きどころで、みたいな演出を加わってるし。
でもその私の場合って多分、めっちゃ隣で同じようなことが現実に起こっても、
同じだけ思えるのかなっていうとちょっと怪しいなと思うんですよ。
それにストーリーを追ってるかどうかによってとか。
そうですね。
背景を知ってるか知らないかとか。
背景を知ってるかとか、まあ多分音楽とかセリフとか。
あそこも含めて。
そういうのも演出ではあるじゃないですか。
今泣くところだよって音が鳴るもんね。
現実ではそういうことはないわけで。
なんで、なんか結構悲しい出来事にあった人に対してとか、
めっちゃ体調を崩してる人とかに対して、
私から出てくる感想が不運なんですよ。
ほぼ不運そうなんですよ。
何を言えばいいかほぼわからないみたいな感じなんですけど。
それはもう映画とは違って、
その横前立てというかそういう仕込みみたいなのがないから、
設計的にはそういうのが弱い人はしづらいという。
そういう話聞いただけだと。
そういう、はい。
だから感情的共感の豊かな人は多分そこから自分で膨らまして、
何なら自分で演出つけるのかわからないですけど、
それで自分の中の感情にブッキングできるみたいなことなんじゃないかなとは。
すごいな。
そうですよ。
すごいなって思っちゃった今。
特殊能力。
だって同じように思うってことでしょ。
そうだと思います。
俺はどっちかというと基本的に理解しようってスタンスでしかないから。
自分は痛んでないってことですよね。
言葉に詰まることを聞くな。
そうなんですか。
自分は痛んでないんですよね。
いや、ちょっとわかんない。
いや、でもなるべく理解に努めようとは思っております。
でもそれって喜びとかでもそうなんで、別に何というか、得るものが少ないとも言えると思うんですよね。
結構私がめっちゃ最近喜ばしいことがあったんですけど、
それも自分の中で自己増幅できないなって思ったんですよ。
すごい自分の中の喜びもそれなりに不運に近いぐらいのやつで。
で、試みたのはGPTさんとこれこれこういうことがありました。
理論上これってめっちゃ喜ばしい。
けど、こういう状況でこういう人にこういう現象、イベントが起きたらめっちゃ嬉しいはずですよねって確認しました。
確かに喜びが、みんなが喜んでるから喜ぶみたいな時あるもんな。
一緒に自分も本当に心から喜んでるじゃなくて、今みんな喜んでるって言ったらみんな嬉しいんだろうな、嬉しいなみたいなことでしょ。
ちょっとわかると思う。
私はそれなりに野球の観戦とかはいくんですけど、別に真から自分の応援してるチームが勝ったからって言って真からは何も思ってないんですよ。
でもすごい必ず乗せるの上手い人いるじゃないですか。
そういう方が楽しそうだなみたいな思います。
確かに楽しそうだよね、そういう人たち。
きっとグラデーションなんだろうけど、どっちが強いかとかも。
認知的な方が強いってやっぱそこまで行かないもんね、絶対にね。
あと所属が違うよね、感情表現って。
そうです、とっさに出てこないんですよ。
だからこう、いろいろリアクションいい人っていうかさ、好かれる人はやっぱそっちであると思うよ。
そうなんですか。
わかんないけど。
そうだとは思いつつも、あまりにもそうじゃないからそうだって言い切りたくないんですよ。
共感の重要性
そうな気がするよ。やっぱそういう人が周りを喜ばしてる気がするよね。
そうですよ、コミュニティの財産ですよね。
あとはもうその感情的な共感が自然とできて、瞬間的にファって、よかったねって言えるやつでしょ。
確かに、認知的共感で何とかやってるやつ、絶対ラグがあると思う。
絶対ラグがあるよね、絶対ラグがあると思う。
マルタよりも本当に、なるべく傷つけないようにいきたいだけだもんね、認知的共感を期待で。
マイナスを生まないみたいな。
なるべく理解を増やした、人生こんだけ生きてきてようやく認知が増えただけなのよ、たぶんそういうことだよね、きっとね。
だから過ごしやすくなってきたってことだよね、昔より。
昔たぶんそれが弱かったから、ノリっていうのが苦手だったのよ、すごい。
ノリで何か笑ったり、ノリで何つんだろうね、何かやるみたいなのがたぶん下手だったの、それもあるかもしれない。
確かに共感に種類あるわ。
そうですね、でも認知で何とかやってたと。
同調に近いね、感情的共感はね。
同調能力な気もするわ、その重ね合わせられるみたいな。
シンクロ。
シンクロ感入れる。
そうですね。
さっきの自分じゃないのに、自分のことじゃないのにっていうのは、相当同調している状態だと思うから。
だからしんどいだろうなと思うもんね、同時に。
医療職における共感力
しんどいだろうなと、同調性能が高すぎたら、性能とか言っちゃったこともないけど、同調力が高いとね。
結構掛け算、起きている現象に対しての感情の掛け算を1.5倍にするか、0.5倍にするかみたいな。
冷静な反応をしますとかは、認知的共感で生きているほうができるんだろうね、普通に。
だからお医者さんとかはやれないんじゃない?感情的共感が高すぎたら。きついんじゃない?
はいはい、確かに。
じゃあ逆にキムサビさんぐらい。
極端なのかもしれないけどね、そのキャラクターを。
でもそれを見て思ったのは、医者とか看護師とかもそうかなと思うんですけど、求められるスキルの面が広すぎるなとは思ったんですよ。
感情的共感も、それ認知で補えるかもしれないんですけど、その補いは少なくともめっちゃやらないといけないし、
かといってすごい専門性も高ければ、毎日同じ時間には来ないといけないし、縦割りの厳しい先輩とかいっぱいそうだし、
すごい大変。あとあれか。
手先の器用さもいるもんね、外科とかだったら。
いりますし、産婦人科とかだったら、ドラマ見てる限りですけど、めっちゃこう臨機応変。
休館デースみたいなやつで。
結構ハイパーだね。
そう、全ての予定が崩れるとかみたいな。
やばいね。
なんかちょっと求められすぎじゃないとは思いましたけど。
結構あれだね、大変だね、求められる範囲がね。
そうですね。
その場合は認知的共感に長けてる人の方が長く続けられそうだなっていう気がしちゃう。
はいはい。
もう毎日毎日その状況で、毎回感情をそれでも上下させてたら結構きつい気がして。
うん、まあそうですよね。
でも認知的共感の、もう低いと多分進まないんだろうなって思う。
仕事とかサービスとして多分喜んでもらえないとかもありそうだから。
まあでも肯定的にはだから、共感力が肯定的に鍛えられますってことだよね。認知的共感があるってことがイコール。
うん、だと思います。
なんで私が勤務サビを見てそこまでじゃないなと思ったのは、もしかしたら認知的共感まだ勤務サビよりあるぞって。
学習する機会があったってことかな。
思ってるからかもしれない。
それは新人1年目ってことでしょ、研修員だから。
だからそれよりは仕事していろいろやってる。
まあ業界は違うけどやってはいる。
でも1年目はもしかしたら近いことしてたかもしれない。
あ、そうかも。そうかもしれないですね。
だから認知的共感をこの何年間で培ったんだなって感じな気がするけど。
確かにそうかもしれない。
でもだいぶ態度変わってるもんね。判断とか行動とか反応とか全部。
先輩に言われたのは山さんの新人時代はジャックナイフみたいだったけど、今はバターナイフくらいだねって言われて。
今ちょっと上手いこと言おうとしてるな、その後半。
先輩。
認知的共感の進化
あ、先輩。
ずっと1年目からずっと見てる、してるからこそこの切れ味の違いがわかるっていう。
このジャックナイフ、そうね。バターナイフね。
まだバターナイフでもない気がするけどね。
まだ。
もうちょっと普通のナイフくらいあるんじゃない?
ブレッドを切れるやつくらいある。
まだパンくらい切れるでしょ。
切らないだけじゃない。切れ味あるでしょ。
売り飾さなくても。
売り飾さなくても。
さやいの納め方は知ったもんね。
ここはまだ切るとこじゃないって。
ここはまだ切るとこじゃないってね。
それ抜いた刀どうするか、上手くなったと思うけどね。
それも認識、共感が。
うん。
鍛えられた。
鍛えられてると思うんだけど。
結構それ知る機会多いじゃん。
この仕事とかこのチームのやり方って。
あーそう。
まあ確かに関わり合いは多いですけど、
その私の中でその、医者とか公務員みたいな、
こんな人もいるのかみたいな驚きは少ないんじゃないかなって思うんですよね。
あそこまで行くとさ、理解するの難しいかもね、逆に。
あーそうですね。
1回しか会わないとかさ。
確かに確かに。
うちみたいにある程度人数がいて、
毎日会話して、上手くいく時と上手くいかない時があって、
なんで上手くいかないんだろうみたいなことで、
理解を深めていくみたいなプロセスの方が鍛えやすい気がする。
確かに1回限りの仕事とかでそれを使うのかなり難しそうですね。
疑問の間は終わっちゃいそうです。
結構ワンワンも昔より今の方がなんか、なんだろう、
違うもんね、やり方含め理解の仕方含めとかの要は相手によって調整する範囲とか。
はい。
それは慣れというか、
同じ人と同じ人、複数人の同じ人と連続的なコミュニケーションを重ねることで、
どういう時にどうなると思うかとかを教えてもらって、
そう思ってたんだねっていうのを結構教えてもらう。
初めそれがずれてた時とかは、
なんかこう違ってたりしてたね。
こうだと思ってこうしたんだけど、そうじゃなかったんだっていうのがあったりするから、
その辺はなんか理解につながった気がする。
成長している。
成長していると思う、そこは。
生きやすくなった。
でも認知的共感は絶対ある方が生きやすいと思う。
そうなんですかね。
でも知りすぎるとダメなのかな。
確かに濱さんは基本的に認知しようとしすぎて、
そうだね。
辛くなってるパターンじゃないですか。
そのパターンまでいってるよね。
だから途中ぐらいのほうが過ごしやすかったもんね。
すごい達人みたいなこと言いますね。
なんか今ね、過ごしにくさまできてるね。
多分その認知的共感の、わかんないけどそのパターンの、
いろんなものを見すぎて、
この前こう思う人がいる、この前こう思う人がいるみたいなのを入れすぎて、
ちょっと負荷が高い状態かもしれないし、
それによって行動が制御されてるレベルまでいっちゃってるから、
本当の達人のようには多分その先がなんかある気がする。
まだ。
それを無視して良いとか、
なんかあるんじゃない?この先。
いろいろわかっていくとか、
そういうのも最後気にしないのか。
上まで行ったら感情的共感が手に入ったらいいんだけどね。
確かに。ついに求めたものがここに。
今ここかなって。
キラキラって。
でもそのしんどくなるっていうのは、
それはでも感情的共感を寄せられてるかってわけじゃないんですか?
認知的共感で認知したのに、
多少なりにもシンクロできてるからしんどいのか、
それとも認知したことに対する対応にしんどいのかみたいな。
対応にしんどいだね。
要は認知しすぎると、相反する認知があるのよ。
結局、Aっていうときにプラスに思う人とマイナスに思う人がいるみたいな。
その両方を知っている中でどう対応するのがベターかになるから、
Aが起こったときにプラスと思う人がいるしか知らなかったらさ、
そんなこと迷いないじゃん。それはいいことなんだ。
だけど、これはいいと受け取る人がいれば悪いと受け取る人がいるぞみたいな。
そういうふうになっていくから結構困っちゃうなみたいな対応に。
Aのトーンをどこにするかとかもさ、難しくなる。
それはもう、Aに寄せたってBに寄せたって、
どっちみちどっちかには不満じゃないですか。
そうだよね。
だったら自分がやりやすい方でいいとかにならないですか。
あれはいいんだけど、
やっぱり悪いことしたくないんだよね。
そうですよね。そこのブレーキが強いか弱いかの違いだなっていうのは思いました。
傷つけられましたって言われたくないんだよなみたいな。
傷つきましたって言われたくないなとかさ。
それは確かに言われたくないですけど。
とか、実は嫌でしたって言われたくないとかさ、全部あるからさ。
ちなみにそれって、傷つけられましたって言われたくないのか、
事実として傷つけたくないのかどっちなんですか。
無自覚に傷つけたくないって感じだよね。
多分俺嫌いなやつを傷つけるのは何も思わないから、
本当に傷つけること自体は平気なんだよ多分。
ただ、そうじゃない加害性を持ちたくないなってだけなんだよ。
意図的な加害は俺全然平気、多分できる。
喧嘩はできるから多分。
だから加害行為そのものが全般的に嫌ですよってわけじゃないけど、
意図せず加害になっていることを避けたいみたいな感覚かな。
傷つけたくないって、あんまそこまで思ったことないんですよ。
共感力の欠如とその影響
なんでだろうな。
もちろん傷つけた結果、不都合は起きてほしくないとは思うんですよ。
ただ、傷つけたくないかみたいな。
その意図ないんだもん、傷つけたい。
傷つけたい意図がないのに傷つけるっていうのは嫌だなみたいな。
意図がないからそこにこっちに。
それは確かにそうですね。
なんというか、そんな状態だなとは思いますね。
その意図ないけどみたいな。
同じ行為をしても傷つく人にはやらない方がいいじゃん。
傷つかない人にはノリでやってもとか。
だいたいそうじゃない?そういう。
距離感を近づけようと思ったらさ、ある種そういうさ、
セオリーじゃないことっていうかさ、
悪口が仲いいみたいなケースもあったりするんだよ。
邪恋みたいなとかさ、邪恋も含めて。
でもそれが全員に適応できるわけじゃないから、選ばなきゃいけないしみたいな。
でも確かに認知的共感やりすぎるとしんどいってのは理解をしていて、
どうにか次の状態にはなりたいかもな。
私はその手前の状態で泳いでいたりするね。
しんどいわ。
認知的共感、しかもそんなに高くない認知的共感でカバーしている状態って、
何のいいことがあるんだとかも思っていたんですけど、
一個のメリットとしては、
私の中でオブラートに包むコストの方が高いか、
剥がすコストの方が高いかみたいなのが分かれると思っていて、
結構世の中には剥がすコストの方が高い人は結構いるんじゃないかなと思うんですよ。
自動的に入っちゃうってこと?オブラートの。
オブラートの厚さとか薄さみたいなのは人それぞれあると思うんですけど、
そこからさらに包むか剥がすかみたいなのって、
まださらに包む方が簡単だわみたいな。
っていう人結構いるのかなと思っていて、
私は剥がす方が簡単なんですよ。
俺も剥がす方がいいと思う。
包むよりは剥がす方がいいかな。
そうですね。
どっちかっていうとね、
明確に剥がす方が簡単なんだね。
明確だと思います。
っていうか結構包んでるぐらいの自己認識なんですよ。
今すでに。
なかなかだよね。
なかなか鋭いものを持ってる。
ジャック・ネイルにカバーかけただけじゃん。
バタバタになってないよ。
ちゃんとケースに置かれて。
考え方変わってないわけでしょ。
しちゃって。
ただ認知的共感があるからカバーになってるだけでさ、
中身変わってないじゃん、思ってること。
思ってることから変わってる可能性もまだありますよ。
ただその剥がすことを起こすのが低いんで、
なんかちょっとだって行かないといけない時とか、
結構真にそれを理解してもらわないといけない時とかに、
割と言えるなみたいなところはあるんで、
感情的共感と人間関係
結構それを、
剥き出しの意見を言わないといけない方が
しんどってなる人がいるだろうことに、
なんか最近思ったんですよ。
確かにその、
ちゃんと伝えた方がいいことっていっぱいあるはずなのに、
伝えられない人いっぱいいるもんね。
そうですね。
なんかそっちも大変なんだなって思ったんですよ。
大変だった。そっちのほうが大変だったんじゃない?
剥き出しにできない。
剥き出しにできる方が楽な気がすると思うけどね。
ひるがえって自分には楽になりやすいとは思いますよね。
確かに剥き出しの方の当てられた人がね、
しんどいだろう。
それはわかんないですけどね。
でもそこまで行っちゃってる場合は、
相手にも乗られる気がするからな。
すごい認知的共感しかできなさそうな人の発言だな。
そうなの?やばいな。
釣り合いを取ろうとして。
ちょっと前回もそうだし、
自分が好き側しかいないし、
感情的共感が欲しい側しかいなくて。
この2人のワンワンがちょっとだからあれだよね。
ちょっと偏りを感じますけど。
偏りの中の差分を頑張って探してるみたいな。
そうだね。真にわからない、到達できない領域があるよね。
この2人で話してもそれは確かに。
そうですね。
ゲスト界が必要でしょ。
確かに感情的評価の達人で、
自分が好きかと言われるとうーんってなるような。
そうね。ちょっと聞いてみたいかもね。
だいぶ真逆の感じになりますよね。
そうだね。
確かに。本当にそういうのをいろいろ知りたいんだったら、
そういう手も取らないとダメかもしれない。
近いところで。
ちょっとそうね。
いろいろ近いところと離れてる部分はあるけど、
もうちょっとテーマによって。
テーマが近いケースが離れた人がいるね。
そうですね。
でもこうやってうだうだと近いところでぐるぐるするのは
ままならなさではある。
伝わらないことになりがちなんじゃない?
そうですね。
たぶん。そうかも。
はい。ということで。
ぐるぐると。
感情的評価の達人の方、お待ちしております。
いるか。ありがとうございます。
以上です。
30:14

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