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2025-09-09 28:49

オリバー・サックス『妻を帽子と間違えた男』 #1

今回のエピソードは、東京の猛暑トークや夏の予定の話からスタート。 みきの北欧旅行計画や、のぞみの日焼けエピソードで軽く盛り上がったあと、課題図書『妻を帽子と間違えた男』(オリヴァー・サックス)へ。

24人の患者を描く臨床エッセイを読んで、のぞみは「自分にも急に起こるかも…」とちょっと怖くなった派。 一方のミキは、困難を抱えた人たちが前向きに生きる姿から「意外と大丈夫かも」と安心派に。

記憶が2秒しか持たない男性の話から、「人は嘘でもいいから自分の物語を持ちたくなる」というテーマに広がり、そこから自己紹介スタイルの話に発展。 “定型文派のみき”と“毎回違う自己紹介派ののぞみ”という対比も見えたpart1でした。


サマリー

オリバー・サックスの著書『妻を帽子と間違えた男』に基づくエピソードでは、彼が診察した24人の患者の症例を通じて、脳神経の不思議な世界が展開されます。特に『レナードの朝』などの著名な事例を交えながら、サックスの独特な視点や医療の深さが考察されます。本書に登場する患者たちの独特な症状についても触れ、彼らが直面するアイデンティティや自分の存在に対する不安が描かれます。会話を通じて、各患者の症状が日常生活に与える影響や、それに対する理解が深まります。また、このエピソードでは、アイデンティティと社会的な承認欲求についての議論が展開され、記憶を持たない人々が自己紹介を行う方法についても考察されます。さらに、環境が個人のアイデンティティ形成に与える影響についても触れられています。

東京の暑さについて
なんか今日東京めちゃめちゃ暑いらしいじゃないですか。
もう最近ずっと暑いから、今日が特にとか言われてもわからない。
41度らしいよ。
40度?41度?
人間ってさ、そんな体温より高いところにずっといて大丈夫なんだっけ?
大丈夫なのでは?一応。
イランとかもっと暑かったよ、一応。
そっかそっか。
でもずっといたら大変そうだよね。
誰も家に出てないよ。東京もついに田舎みたいになった。
車だけ動いてて、徒歩の人がいなくなった。
みんな地下から出たくないだろうね。
家から出ず、私も徒歩5分以上の距離はもう全部タクシーになっちゃった。
なかなか大変だよね。
40度超えるところは歩くのはもう元気ならいいけど、おじいちゃんおばあちゃんとか大変だろうな。
本当にタクシー使ってほしい。
ずっと救急車動き続けてるみたいだからね。
熱中症で倒れてたら。
フラッと来て立ちくらみでガーンって打っちゃってとかね。
照り返しがすごいからさ、外を出てたら上からの日差しっていうより下から来る感じ。
ビルの下のコンクリートからガリガリ来る感じ?
夜になったら道の下にこもってた熱が上がってくるみたいな感じで。
いつのタイミングもずっと暑い。
確かに夜は夜で独特の暑さがあるよね。
兵庫県はいかがですか?
ちょっと東京に2、3日先駆けて明日から涼しくなるのかな。
明日、あさってくらいから30度くらいに涼しくなるらしいので。
お先に失礼しますって感じだね。
なんか日焼けしました?
一昨日、日曜日に足谷の海岸でバーベキューに行ったら海の太陽光をいただきまして、めちゃめちゃ日焼けした気がする。
足谷の海岸でバーベキューいいですね。
ダグジュアリーな香り。
足谷の海沿いって、普通の公園があって足谷市がやってるバーベキュー場とかがあるから。
あ、そこなんだ。誰かの別荘とかじゃなく。
足谷はなんていうんだろう。もちろん高級住宅街も山の上にあるんだけど、海沿いって普通にイメージは天ヶ崎みたいな感じなのよ。
なるほどね。
ヨットハーバーとかが普通にあってお金持ちもいるんだけど、普通の庶民もおり、かつ皆さんの多大な税金により公共設備が整い、謎に突然足湯とか出てくるからね。
道のすぐ横に足湯ありますみたいな。
やっぱり豊かな自治体はいいですね。
でも少したら兵庫は涼しくなるらしいので、平和ですよ。
オリバー・サックスの著書
とても羨ましいです。私はもう明後日くらいから北欧に、貴州に行ってきますので。
いいなぁ。
北欧はどこに行くっていうんだっけ?フィンランド入り?
スウェーデン入り?
フィンランド行って、パルト3国行って、そっからノルウェーに戻ってきて、ストックホルム帰るぐるり。
今ストックホルムって何度くらいなんだろう?
涼しいってジン出てる。
16度。
最高じゃん。
最低気温15度の最高気温が22、23度。
めちゃめちゃいいじゃん。
ずっと太陽出てるんじゃないの?このぐらいの時期のストックホルムって。
そうなのよ。それでみんなホルモンバランスが崩れるんだって。
自律神経が得られるんだって。
だからそれに気を付けなって言われた。
サーカディアンリズムだっけ?
そう、サーカディアンリズム。外実リズム。
この気温は羨ましくなっちゃうね。それでもっていう気持ちになっちゃう。
私、でも別に旅行中バグってもいいやと思って。
日出てるんだったら、私も仕事しながらなんで、仕事終わってから日が出てるってことだから、
バグった自律神経で観光も仕事も楽しんでやるよって思ってる。
確かに。
日本と時差どこで7時間?
7時間。
7時間。
7か6かな。
日本の人と会議し終わっても全然2時3時で、そこから丸1日遊べるってことだね。
10時くらいまで明るいってことか。
そうなのよ。早起きして朝活して午後観光して寝て朝活してみたいなリズムですね。
体力ある人の動き方だね。
それはパワーがある。
そのために最近行ってないけど、30キロのバーでスクワットしてましたから。
30キロ添えるんだったら立派ですよ。
なんで?楽しんでこようと思っております。
よいじゃないスクワット。
今回みきさんが選んだオリバーサックスの、妻を帽子と間違えた男。
脳神経界の医師。
オリバーサックスさんが書いた妻を帽子と間違えた男という、24人の患者との臨床記録みたいなエッセイ集でしたね。
みきさんは読んだことはあったの?妻と帽子を間違えた男。
初めて読みました。
のどめさんはありました?
この本自体はないけど、オリバーサックスの別の本は読んだことがあって、それはすごく面白かった記憶が。
なんて本?
色のない姉妹っていう。
オリバーサックスの本といえば、妻を帽子と間違えた男の2個か3個後ぐらいに出てくるような。
今回のこのエッセイは、24人の患者、患者さんというか症例を1個1個こんな人がいてねって紹介していくエッセイなんだけど、
その色のない姉妹は半分旅行期なのかな?みたいになってて、
オセアニアのどっかの島は、島民の10何%が色毛なんだって。
そこの島の色毛は遺伝性で、当然すごく他の土地と離れた離島だからさ、
その島内で結婚だ、出産だの関係が多いじゃない?
そうすると常に一定量は色毛の人がいるっていう状態にその島はなりますと。
だから我々が普段生活している日本の、現代の日本とかより色毛の割合がすごい高くて、
言ったらなんか左利きの人よりちょっといるぐらいの感じなのよ、色毛の人が。
結構確かにいる。
となった時にどういう風にその島はなってるんだろう?みたいなエッセイでめっちゃ面白かったんだよね。
面白そう。
色毛の人にしか柄が見えない織物とかあるのよ。
そうなんだ。
我々と言ってしまうとちょっとあれだけど、色をある程度識別できる人よりも、
その島の色毛の人って色の強弱?
コントラスト?
そうそう、コントラストをすごく強く認識ができるから、
我々からすると普通のただの白と黒やんけというか、ただの灰色やんけとか見えてるものも、
めっちゃ綺麗な柄に見えるとかがあるんだって。
えー。
っていう織物がこの島にありまして、みたいな本を書いている人だという認識で、
でもそれ以上でも、それ以上に何かを読んではなかったんだけど。
その本を書いた人なんだと思って読んだと。
オリバー・サックスさんは一般にはレナードの朝っていう映画館をされたやつで有名ですよね。
映画『レナードの朝』
あー。
あー、あれそうなのか。
そう、レナードの朝のやつだ。
あ、ほんとだ。
まずレナードの朝見たことないけど。
私は見ました、これを機に読みながら。
ネットフリックスにある?
ネットフリックスはまだない。
アマゾンプライムで課金するとある。
あ、ほんとだ。日本で見れませんって出てきた。
あー。
アマゾンプライムで300円払うと見れます。
レナードの朝は30年にわたる渾水から目覚めた患者と彼を救おうとする意思の交流。
へー。
ロバット・デニーロイケメンやな。
そう、ロバット・デニーロがいいやって出してる映画。
レナードの朝も30年間ずっとこの症状の人です。
もう治りませんみたいな感じで扱われてた人が
オリバー・サクサがその病院に新しく新人で着任して
本当に言われてる通りの状態なんだっけみたいなのを確かめてみた記録だ。
ふーん。
というか、その仮説をもとに薬を投入したら一時的に降着状態が解けて意識がはっきりし始めるっていう。
だから30年ぶりに目が覚めて朝を迎えるっていうレナードがあって。
あー、レナードさん。
っていう実話をもとにした映画。
はー。
映画はだからちょっとラブ・ロマンス要素とかも含まれつつみたいな感じ。
エンタメにするために。
一応映画にせなあかんからね。
そうそう。オリバー・サクサがすごい偏屈な独身のお医者さんで
病院の首長さんとほんのり恋の予感をさせたりとか
そういう感じでお含みつつ映画として成り立ってるみたいな感じ。
この妻を防止と間違えた男の一個一個の出てくる人もそうだけど
オリバー・サックス、難しい患者を見すぎだよね。
すごい症例に大量に当たってるけどこんなもんなのかな。
すごい症例に当たってるんじゃなくて
本当はみんなそうなんだけどオリバー・サックスとかは向き合ってるんじゃない?
あー。オリバー・サックスが見て掘り下げていったところを発見してるじゃない?
なるほど。
本当に毎回毎回エッセイの最初だと気軽な気持ちで送られてきて
オリバー・サックスと話をしてると
そういうことだったんだっていうのがわかるみたいなシーンたくさんあるもんね。
確かにこうなったらサックス先生のとこに行こうみたいな
だんだんそういう場所ではなりつつあったと思うけど
最初の頃はたぶん見つけてオリバー・サックスが見つけてきたみたいな感じなのかなとは思いながら
この本のタイトルになっている
患者たちの症状の紹介
妻と帽子を間違えた男っていうのもまさにそのまんまだもんね。
妻と帽子を間違えちゃった男が患者として来ましたっていう
正確に言うとオリバー・サックスの目の前で妻と帽子を間違えたのか
男として奥さんの頭をひゅって両脇を
あ、違った違ったみたいになるっていう
女性はでもそれを一気にみたいな感じすらなく普通にやっているという
すげえよな
っていうそのレベルの24人の
本当にこんなことあるの?
っていうのが24個並んでてすごかったね。
まあでもあるんだろうね。
街を歩いててすれ違う人の誰かはそういう人
なのかもしれないからね。
なんか私の指導できる人間の範囲超狭かったのみたいなことをすごい思いましたね。
本の構成としては24人が
四分、喪失、過剰、異行、純真っていう四分に分けられてて
なんとなくの何かを失っちゃった人
なんとなく何かが過剰っぽい人とか
何から何かから何かに
異行というかなんて言うんだろうね。幻想を思いちゃうとかね。
だから心が異行してるというか。
そうだね。地理的時間的に心がちょっと
てる人となんていうのかな
芸術ど真ん中みたいな純真さピュアさマックスっていう
人とっていうのでそれぞれ出てくると。
出てきて。
野上さんどうでした?夢見て。
アイデンティティの問題
なんだろうね。一番最初の第一巻は
こわーっていう。
こわーっていう。
うんうんうん。こわい。どういうことですか?
明日にでも自分がもしかしたらこうなるのかもしれないんだよなと思うと
なんていうのかな。
一応自分の今の仕事の仕方とかを考えると
一応なんと言ったらいいのか難しいけど
昨日と今日、今日と明日の一貫性というかさ
ある程度こういうふうに考えられる人であるっていう
自我を仕事にしているところがあるので
明日起きて突然
こういうお人形お人形出てくるような感じになっちゃったらどうしようみたいな
どうしよう。
途中出てくるさ、ずっと体が傾いちゃうみたいな
体の平行感覚がなくなっちゃって
自分は全然平行だと思ってるんだけど周りから見ると
めっちゃ右みたいなね。
20度くらい傾いて歩いちゃう人とかさ
なんか奇妙だなみたいな。
これなったらお客さん先行けないよなみたいなのとかさ
テニス持って行けないよなとか、怖ーみたいな。
でも普通になり得るんだなーっていうのがまず第一感。
定期的に考えるのは例えば
明日事故があって右腕がなくなっちゃったとするじゃない?自分自身の。
そしたらどうしようかなーとかさ
突然耳聞こえなくなったらどうしようとか
目見えなくなったらどうしようかなとか
寝る前とかによく考えるの。
その一環って感じ。
そのリアリティがすごくあるのが第一感かな。
なんか私は正直そういう症状が出た暁にはさ
一旦自分のことに集中していいっていうことになるから楽ー
ちょっと言い方よくないな。
結構自分の魂だけに向き合えるのは
正直楽なのかなとか思っちゃう。楽じゃないんだけど
全く怖くないっていうか
逆にこの症例とか見てたらみんな立て直してるって言ってるから
だいたいの人が。
だから別にどうなっても大丈夫だなみたいな気持ちになったなと思いました。
24人出てくるけどみんな独特の症状を持ってますと
何秒間かしか記憶を保持できないとか
自分の体が全然自分の体のように扱えないとか
いろんな人出てくるけど
多分サックスさんの書き方もあるのかもしれないけど
みんな深刻さはないもんねあんまりね。
こうやって受け止めてくれる専門家とか
専門的に対処の方法はあるんだなという感じで
めっちゃ苦しいと思うんですけど
でも苦しさに向き合うことが肯定されるというか
そういう感じを感じて怖くはならなかったですね。
だから新鮮な感想だなと思いました。
第1巻は怖いっていうか困るっていうか
そういうのなんですけど
部分部分を見ていくと
デブも自分も結構こうだなみたいな
その程度の差はね
こうなったら困るなーなんだけど
すでにそうなってんじゃないかっていうのを感じるのもちょこちょこあって
エクストリームなやつになると
飲み屋の若者のエピソード
3日間くらい同じ曲が頭の中で流れ続ける
おばちゃんの話とかあったじゃない
即投与か決戦ができたかなんかで
別に好きだっていう自己認識もないんだけど
なんか頭の中で流れちゃう音楽みたいな
従来あったやつが結構な大音量で頭の中で流れ続けるみたいな
起きてる時寝てる時ずっとっていう
これなんか程度の差こそあれさ
ゆるふわっとある気がするし
たまに流れてるな頭の中でこの曲みたいなのって
まぁあるじゃんそういうの
あるなんか名前あるよねしかも頭の中で流れる音楽
へー全然知らなかった
なんだっけ
イヤーワーブじゃない
ほんとだイヤーワーブ
リラン効果へーほんとだ
歌または音楽の一部が心の中で脅迫的に反復される現象
の過剰なやつだよね
オリバーサックスが出会ってると
聞いているとなんか本当に
うっすら流れてるとかじゃなくて
結構耳元でイヤホンでガンガン流れてるぐらいの勢いで
流れてるっぽいっていう
それでよくその消去と思ってられるよね
いやほんとそうだよね
ほんとにそうなのよ
私会話もさ
ちょっと笑っちゃったけど
音楽流れてるからうまく
こっちとコミュニケーションできないから
音楽の途切れたとこ狙って話しかけるみたいなさ
むずすぎねえかそれっていう
手とか挙げたんかな
止まりました
いやめちゃくちゃむずいだろうなと思って
私どんな音楽なら耐えられるかなって思ったときに
クラシックのさ
ショスタコービッチ
全然クラシック音楽詳しくないんだけど
新卒の同期の同期が
のぞみちゃんクラシック聴くなら
ショスタコービッチからがいいよって言われてさ
大学の還元学科なんかやってた人なんだけど
言われて聴き始めたらすごい
いい曲だなと思うよってさ
定期的に聴くんだけど
これショスタコービッチなら耐えられるかなと思ったら
その2ページぐらい後に
ショスタコービッチ自身が
そうだったらしいんだよね
そうだったみたいなね
え?みたいな
彼自身がそうですかっていう
ちっちゃいデジャヴみたいなのを
経験したね
読書中に
そこで頭の中に流れる音楽から
インスピレーションを受けて作曲してましたっていう
日記からが残ってるんだよね
流れるやつとか
ちょこちょこ
こういう傾向は全然自分にはあるなっていう
へー
思いながら中盤
中終盤ともりもり書いてたね
うんうんうん
ものめさんがいっぱい感想を書いてます
何から話そう
特に印象に残ってる
エピソードとかありますか
全部面白かった
面白かった
面白かったというのは
どの症状の人もなんとなく
自分自身だったり
自分が遭遇したいろんな人と
そのなんていうのかな
かするところがあって面白かったんだけど
なんかさ
どこだっけ
どこか忘れちゃったけど
アイデンティティが難しいみたいな
人いたじゃん
あー
ミショーのアイデンティティの問題かな
全然記憶を保持できないっていう
コルサコフ
コルサコフ諸行軍が云々みたいな
ことのさ
とこに出てきた
自分であるっていうことを考えるためには
自分をしっかり持ってなきゃいけない
つまり自分自身のこの
何かしらの物語っていうのを
その瞬間だったり
後から振り返って持ってないと
アイデンティティっていうものが消失しちゃう
っていう
このところを見たときに
ちょうどさ
脳とかなんかで
いろんな人が読んでたこの
嘘をつきすぎた男っていう
実は何だか何だか分かんない
やつなんだけど
めっちゃ乱暴に言うと
阿佐ヶ谷だか中野だかの飲み屋で
常連が集まって飲んでますと
そこに
若いお兄ちゃんがいて
すっげえいろんなことを言うんだって
めっちゃ酒飲んじゃった
ウロンハイ100杯
毎日腕立て500回やってます
100人の女と寝ました
いろんな話をしますと
みんな嘘だと
分かってるけど飲み屋だからさ
キャッキャ楽しく聞くわけですよ
楽しい話をしたいから
どんどん嘘が
大きくなってくと
で突然
その飲み屋に顔を見せなくなって
アイデンティティの探求
別の場所でまた
みたいなさ
この本とこの文章を読んでたタイミングが
同じ日かなんかで
人って嘘でもいいからストーリーが欲しいんだな
自分自身に対する
語れるものがなくなると
自分自身のものを
自己紹介してくださいって言ったときに
あんまおもろい自己紹介ができないとするじゃない
ってなったときに
アイデンティティが
別にそれでいいじゃんって思う人もいれば
いやまずいこのままじゃって思う人もいれば
嘘ついちゃう人もいたりしてさ
いろんな対応があるんだけど
そんな
嘘ついてでも
欲しい人っているんだな
ってしみじみ思うっていう
一番感じてることの
ドーンと感というか
12番目のやつは
うーんってなって
確かに嘘をつきすぎた男の方は
もうちょっと社会的な
承認欲求みたいなのに
迫られて多分過剰に
そこの刺激を受け取りすぎて
嘘をつかされてるみたいな
感じで
こっちの将来の人は単純に
記憶がないから真っ白すぎて
その真っ白を慌てるために
慌てて多分ストーリーをひねり
上げてる
どっちも環境に相応させられてるって意味では
過剰刺激とか環境に
環境の中でアイデンティティを
どうにかしなきゃって思ったときに
自分自身が
ボロボロ崩れないための
何かとあんまり
差がないんじゃないかっていう
誰かによってそうさせられてるって
よりかは
なんていうのかな
別に環境の側が
その人に何を求めていようと
求めていなかろうと
自分自身が
ボロボロ崩れないための
何かとあんまり
差がないんじゃないかっていう
何を求めていようと求めていなかろうと
社会が何主義だろうと
どういう都市であろうと
どういう村であろうと
環境に関わらず人間ってそういうもんなのでは
っていう気がなんかしたっていう
環境と自己紹介の影響
感じ
2秒しか記憶が持たない人って
人前に立ってる自分っていうか
コミュニケーションを取らなきゃいけない
自分を認識してるから
いっぱい話を紡ぎ出すわけで
1人の個室に詰め込んどいても
ずっと延々と喋り続けてるみたいな
わけではなかったと思ってるんだよね
という意味で
社会的な存在
存在としているみたいな環境に
置かれたときに
何をするかみたいなことを言った
うーん
みきさんって自己紹介得意?
あんまり得意じゃない
いろんな社会性を
発揮しなきゃいけない場面で
渡邉さんじゃあちょっと自己紹介どうぞって言われたときには
うん
何て言うんだろう
っていう感じじゃあんまないってこと?
へー
定型文を喋るっていう儀式になっている
うーん
定型文は何を喋るの?
子供大学出てこういうキャリアで
今こういう仕事してますみたいな
東京都出身です何歳ですみたいな
うーん
なるほどね
あんまり場によってこれを話そうあれを話そう
これはこれの代わりにこれを話そうとか
っていうカスタマイズ性がめちゃくちゃある
とかっていうのが定型文だったね
渡邉さんの自己紹介得意そうですね
うーん
得意
得意なのかどうか分からないけどすごくいろんな
パターンがある気がする
パターンがあるというか別にパターンを出そうとやってるというよりかは
じゃあなんか
自己紹介してくださいって言われたときに
過去1年間やった自己紹介を
一個一個なんか
ピックアップしていたときに言ってることは毎回
全然違う気がする
うーん
となったときに
私はこの12位で出てくる
2秒しか記憶を持てない人とほとんど同じそうだな
って思ったっていう
場所を読んでるってことですよね
渡邉さんが
この場はこれを言おうみたいな
その場にさせられてる
自己紹介を
っていうことなんじゃないですか
だから環境では
うーんそうだね
と思った
そうだね
だからこの人と同じだな
やってることっていうか
うーん
だから定型文でさ
毎回いけるってさすごく
なんていうんだろう
強固な記憶を頼りにしてるじゃん
私は結構その自分の連続性みたいで
生きてるというか
力が逆にないっていうか
あんまり考え方をしようみたいな
アンテナが超ないタイプっていうのは
日頃生きててもすごい感じるかも
どういうこと?
自分の脳みそで考えてることと
自分の体が感じることと
それこそがあるじゃない
人間性世界という
その時脳だけでやってて
環境からは
ちょっとやってない
へー
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