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ひっそり通っている通信生大学の授業を受けているんですけど、そのうちの1個が、なんていう授業だったっけな。名前がね、予想医の心理学っていう。予想医だからね。
いろんなテーマがあるんですけど、衣服とか、身の回りのことで心理、心にどういう影響があるかみたいなやつがあるんですけど、最後の方の授業が、お化粧、化粧と予想医の臨床心理学的応用っていう授業があって。
やっぱりお化粧をすると、例えば鬱っぽい人が化粧をしたらどうなるかみたいな病気っぽい話もあるし、普通の性格診断をした時に内向的っていうスコアが出る人がお化粧することによってどう変わるかとか出るんですけど、やっぱり如実に変化が出るみたいで。
私自身もあるんだろうなぁと思うし。何なら、オンライン会議が多くなると、普通の会議とかだと見えない自分の振る舞いだったり、性的な見た目、性的になっているのは静かな、性的な見た目も見えるわけなので、その効果を如実に出るんだろうなっていう感じがしますよね。
うんうん、ですね。私もう顔見るの嫌で、オフに非表示にしちゃってますね。
なんでーな。
恥ずかしい。
かわいいかわいい言い聞かせていきましょうよ、自分自身。
ね、でも本当、たぶんなんか女子のかわいいは作れるとかキャンメイク東京のコピーあるじゃないですか。あれって本当にそういうことだと思う。
キャンメイク東京のコピー。かわいいは作れるは流行語的なやつだと思ったんですけど、あれコピーなんですね。
うん、かわいいは作れるキャンメイク東京みたいな感じだったと思うんですけど。
なんかそれって本当に、メイクしてなんつーの、もちろんメイクした方がかわいいよみたいな意味だけじゃなくて、見た目から受ける印象があってよりかわいくなれるみたいなこととかも、
なんか、直感的にはみんな女子は理解してる気がする。かわいいは作れるのの中にそういう効果があることを。
なるほど。
うん。
ほんとだ。かわいいは作れる。あ、顔のエッセンシャルのコピーなんだ。
あ、そうなんだ。私キャンメイクのコピーかと思ってた。
じゃあ顔は?
キャンメイクは。あ、女の子って本当に楽しいでした。
いや、まっすぐだな。いいコピーだな。
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確かそんなんだった気がする。
へぇー。
まあ置いといて、はい。
まあ置いといて。
いかつくなってきましたねっていう。
いかつく。
うん。
サングラスがやたら似合うようになりましたもんね。このビジュアルになって。
似合うっていうか、似合い方っていうかみたいな。
まあそうだね。若干の、あの、なんて言うんだろう。先週末テニスで会った人には、
田中さんタトゥーとかないんですか?ってめっちゃ聞かれたもん。
うんうん、いるよいるよ。そろそろ。
サングラスでこのビジュアルは絶対二の腕にタトゥーですよね。
いや、あとこの中指のここじゃない?ここになんか文字、A文字。
中指。
うん。
入れ墨の、あの本の中にもあったもんな。中指。指のここ。
そう。
第二関節の向こうタトゥー。
そう。
確かにありだな。
で、今日みきさんに紹介してもらった本ね。
はい、トムライトカメラ。
トムライトカメラ。
これ私、神戸のブルーボトルコーヒーに入って読んでたんですよ。
で、このビジュアルでこれ読んでるじゃないですか。
うん。
すごいよ、この席の人にめっちゃ見られて。
うんうん。
なんか怪しい人なのかなみたいな。
確かに、どういう想像されるんでしょうね、確かに。
なんでこの本を読んでるんだろう、この人は何の人なんだろうって思われて。
でもちょっとなんかクリエイティブ系の職種の人なのかなって思われそうですね。
そうね、トムライトカメラの、カメラ寄りで解釈をしてくれてたら、ちょっとクリエイティブのビジュアルに、イメージによる感じがありますよね。
お坊さんなのかなとかはあまり思われなさそうですよね。
まあ確かにね。
お坊さんのオフかなとは思わないじゃないかな。
そうね。
でも一気に読んじゃいました、ブルーボトル入って。
序盤の方もそうですけど、半分ぐらい一気にバーっと読んで、もういい本だなと思いながら。
あーよかったです。
読んできましたね。
私も誰かが勧めてて気になってずっとつんどくしてたので、この一緒に読む機会ができてよかったです。
面白かったな。
この本を紹介されたのはどんなきっかけだったんですか?
でも発売したばっかりの時に、本当に友達が面白いよって言ってたから、トムライトカメラ買ったって感じでした。
それは何系友人?アート系の?
高校の同級生。
へー。
でしたね。
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改めて読んで、みきさんどんな本?どんな感想?
こんなにそのテーマを取り扱うことへの配慮っていうものがひしひしと感じる本ってなかなかないなっていうか、
こういうことに配慮したっていう、本に表れてるテキスト以外のこのテキストにするにあたっての配慮みたいなものをすごい感じるのがすごい新鮮だったなって思いました。
その繊細さっていうものが私には結構ないタイプの繊細さだったから、なんか羨ましかったし、
ちゃんと読もうと思ってたって言ったら変だけど、その思いを受け止めて読みたいなみたいな気持ちで読んだって感じ。
つまりなんか、文化人類学の研究者っぽい人ともうちょっとアーティストっぽい人っていうものが同じトムライっていうものをテーマにするっていう時に、
そのトムライっていう人の死にまつわることをテーマにするっていうこともすごく慎重さが必要だし、
アーティストと文化研究者それぞれの立場でお互いのやりたいこと言いたいことを損なわない、尊重するっていうための配慮も必要だし、
その点での配慮もあって、そういうあらゆる配慮があったし、お互い譲れないポイントはここだったんだとかっていうこととかも書かれてたりとか、
そういう取りこぼしていいものじゃないよね、これはっていうような部分っていうものがすごい出てて、面白かった。
そもそもの本の構造として、みんなトムライ言ったら人が死ぬっていうこととか、それに付随するいろんな儀礼的なものとかっていうのをテーマにしながら、
ミヒさんが今言ってくれたみたいに、学者、アカデミアの人とそういうものをテーマにしたアーティストっていうちょっと違った視点、視座を持っている人たちが討論をしますと。
で、討論をした結果だったりその過程みたいなものを文章に落としているっていうのが本の構造ですよね。
だからこんな映像を見ましたっていう話があって、こんな討論がありましたずらーって、書館みたいなのがあって、次の作品があって、あるいは論文があって、討論の内容がうわーってあってっていうのが続いていくっていう本の流れですね。
そもそもはたぶんお互いの緊急合宿みたいな感じで、この著者になっているキン・セップルさんとジル氏・マイコさんが同じテーマで研究しているから、いろんな関連作品を持ち寄って議論して合宿しましょうみたいな感じで始まって、
おむらいを映像に撮るっていうことが共通してたんですよね、2人とも。だから他の映像作品とか、他の作品を見ながら関係者も呼んで合宿しようってしたら、その合宿で話されたことがすごく面白かったから、自分たちの記録用に同人誌みたいな感じにして、100人とか200人とかに手で配ろうみたいなのを持ってたら、
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作ってるうちに、やっぱりこれってすごい良いテキストになったし、ちゃんと一般向けに書籍にしたいみたいになって、さすが左右者さんが出してくれた本っていう感じで、それを手に取った我々って感じですね。
あんまりだから、たくさんの読者を想定して話した内容ではなくて、真剣に討論しようよっていう感じのトーンが強い内容のものが本の中に詰まってるっていうものですよね。
野上さんはどうでした?私が周辺への配慮みたいなものとかをひしひしと感じて、興味深かったという印象だったのに対して。
噛み締め外のたくさんある、噛む要素がたぶんたくさんある内容だなと思っていて、この本の帯にあるように死を取ることで生が見えてくるっていうのが帯にあるんですけど、
そもそもの死生観みたいな話が中にすごく濃く詰まってるっていうのもあるし、
にきさんが言うように、何て言ったらいいんだろう。
ずけずけと入っていける場じゃないわけじゃないですか。人が亡くなった場って。
しかもそこにましてカメラを向けるなんてね。
本の中でも、どうやって許可を取るのかとか、許可を取った後にどういう配慮をするのかみたいなところにすごく丁寧に配慮されてる様があったり、
アーティストもそうだし、学者の人たちもそうだけど、介入をしていくっていうことの捉え方みたいなこともあるし、
あと、金瀬ピョルさん自身がお名前が、彼らも分かる通り在日の四世って書かれてたっけ?
三世スラッシュ四世みたいな感じだと思うんですけど、
そういう方々、その方と実際に、もっとコクといったらあれかもしれないけど、朝鮮半島に秘伝を持つ方との文化の差異みたいなところもかみしめがあるところだし、
何なら最後の最後、その討論っていうものを本にまとめていくときの葛藤みたいな葛藤というか、この地主さんと金瀬さんの間でもすごくいろんな議論というか、相違点みたいなのがあったりみたいなところもあったし、
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本当にいろんな観点で延々とかめる本だなっていう感じがして、
小ノートというかみきさんと一緒に共有をしている、こんなことを考えたノートのところにも、すげえたくさんいろいろ書いてあるっていう感じ。
すみません、見ます見ます。
全然いいですよ。
そうねー。
みきさんのつんどくだったってことで、みきさんの感想から伺えればと思うんですけど、
さっきの、一番最初に言っていた対象、取る対象。
みきさん、2つの中でも結構いろんな対立、相違点みたいなのがあるじゃないですか。
研究者とアーティストっていう。
はいはいはい。
それでいうと、どっちに共感できるとかっていうのはあるんですか?
結構捉え方も違うじゃないですか。
完全に研究者寄りですよね。
あ、そう?
うん、多分。
あ、そう。意外。
研究者に寄り添えるっていうよりは、多分私だったら研究者的な振る舞いになってしまうんだろうなとか思いました。
ほう。
もうちょっとわかりやすい部分しか取り込めなかったし、
そのトムラインについて研究してるんだから、トムラインについての話だけを聞いとればいいみたいな感じで思っちゃいそう。
うーん。
なるほどね。謎のカットを入れる意味みたいな話が途中で出てきてたりとかしましたもんね。
そういうのを入れることによって自分でやりたいことがくっきりしたとか、要約しようとそういうようなことを言ってたりとかして、
私は多分そういう発想にならなくて、目の前にカメラを回しちゃったなみたいに処理しちゃいそうだなって思いました。
そういうのが取れちゃったとしても。
うーん。
確かにね。
例えばそれを本当に冒頭で思ったのが、本当に第1章かな?
で、ジネスさんが夜中レインの解体のシーンかな?
解体されるときに、解体してるおじさんがそのまま作業に入らずに一瞬カメラを警戒して何?って聞いたシーンが残ってるのが印象的でしたって話してるのがあって、
そこでやっぱりカメラ、はいカメラって思わずに警戒するっていう様に、自分は石を壊してるっていう意識を無意識かもしれないけど持ってるんだってことが伝わってきて、
印象的でした、すごい興味が湧きましたみたいなことを言ってるシーンがあって、
なるほど、そういうことかみたいな。
で、印象的でしたって言ってるのはジネスさんじゃない、見た人なんですけど、実際ジネスさんもそういうような意図があって残したみたいなことを言っていて、
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そういうその一瞬の何?とかに注目できるのすごいなって思いました。
私だったら本題に入ってない雑談の時間みたいに思っちゃいそうな部分とかをやっぱり繊細だなっていうか、
一瞬の何?にキャッチできる感じがすごいなとか、まず最初に、この本を読み始めて最初に布線を貼ったところはそこでした。
へー。
見てて感じ取れないだろう。
そうって思ったんですよ。
っていう意味で、やっぱりこのアーティスト側ではないなって、
研究者ですかアーティストですかって言われた時にアーティスト側ではないなって思います。
なるほど。
15人ぐらいいるんでしたっけ?参加してた人。
裏に書いてある名前が9人かな?
でもきっとそれ以外にも関係者とかはいそうですよね。
裏表紙に名前が書いてある人が基本的には参加されてた方かなと。
結構アーティストと、地主さんもそうだし、
二藤さんだっけ?
あ、そうね、二藤さん。重力と身体にまつわる彫刻製作や、全身を雑巾に見立て街を吹いて歩くパフォーマンスなど。
めっちゃ見たいけどこれ。めちゃめちゃ見たいな。
アーティストもいれば、民族学者とか人類学者とか、日常衣装、映像人類学者とかいろんな人が参加されるところですね。
なんか今話してて思ったんですけど、常々ね、こういう本を書く人って横の人間に興味があるんだろうなみたいな印象を読む前に持ってたような気がするんですけど、
読んでる時には、人間好きやなーとかは思わなかったなーとか、普通に話されてることがすごい興味深くて面白いなって感じで読んだなっていうことを今思い出しました。
どういうこと?どういうこと?どういうこと?面白い話が聞けそう。どういうこと?
タイトルとかさ、死を取ることで生が見えてくるとか、こういうことで一生捧げようとしてるなんてさ、どんだけ人間のことが好きなんだよっていう感じしない?
そういう話。
まあ、私は知ったっていうか、なんかすごいそういう人間が好きって感じの人たちなのかなっていう印象をうっすら持ってて、
読み始めた時にそういうやっぱり人間好きやなーとかは全然思わなくて、
思わないものはただただ本の内容が面白いっていうことで終わったなってことを、そういえばと思って今ふと思い出したっていう話。
そういう本じゃなかったなーって。
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なるほどね。
確かに生が見えてくる的な話は全然なかった気がするもんな。
編集、なんかあれかな、頑張ってつけたのかな。
生が見えてくるっていうか、生が見えてくるっていうことは死と何かを対比して見えてくるみたいなことだけどさ、
常にさ、もうさ、最初から最後までさ、生の話しかしてないような感じもあるけど。
ああ、この本の中で。
この本が、うんうんうん。
なるほどね、生の話か。
え、要するにのぞみさんの話も聞きたいですけれども。
なんかこの本の中の、途中に出てきた、どこだっけ、植物層?なんだっけ。
自然層?
そう、自然層。
ジェヌシスさん、キムさん、なんかどっちかがなんか、なんかのプログラムに参加をしていて、なんだっけ、
えーっと、草草の自由を進める会っていうNPO法人の話が映ってて。
はいはいはいはい。あ、どこだっけ。
22ページに、その自然層っていうのがあって、
そういったら墓の中にボンと置かれるっていうのじゃなくて、
なんかね、自然の中に骨を撒いたりとかいろいろするっていう話のところに、
どちらかというと、自分の死後のことは自分で決めようという趣旨で活動してるんですねっていう風にキムさんが言ってて、
なんかしれっと書いてあるんですけど、
全くそういうことを思ったことがなかったと思って、結構ね、びっくりしたんですよ。
えー。
自分の死後のことを自分で決めようっていう趣旨。
ま、あの、趣旨を持つことは自由なんですけど、
自分の死後のことを自分で決めるかどうかっていう論点が自分には全くなかったわけですよ。
うーん。
なんかね、びっくりしちゃって。
ま、同じことを2回言いましたけど。
いや、全然。
で、なんかびっくりはしなかったけど、自分もそういうこと考えたことなかったけど、
そういうことを言ってる人を見たことはあるなとか、
それこそ民族問題とかでどうにもならない人とかが議論っていう映画とか見たことあるなとか。
うーん。民族問題でどうにもならなくて怒ってる。
だから移民の方とかが望むような、その一族とか本人か当人が望むような捜査のされ方されなくて、
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あの、国の決めたやり方でやられちゃうとか。
あー、なるほどね。
とかそれこそ移民だけど、最後を国に持って帰りたいけど、この世持って帰れないとか。
あー。
例えばね。
確かに小川沙耶香さんなの、チョンキンマンションのボスは知っている中にも、
タンザニアからその香港か中に来た人が、みんなでお金を出し合って、全然知らない人だけど、
同じタンザニア人の仲間として、タンザニアまで送ってあげるその遺体の航空輸送代をみんなでカンパし合うみたいなシーンが出てくる。
へー、そうなんですね。
そういうのがあるんだな。なるほど。
だからそういう意識があると、より死後のことをちゃんと今から決めておかないとかって課題感が持ちやすい環境の人とかもいるだろうし、
そうじゃなくてもこの本でも書かれたけど、個人主義みたいなものがすごい広がって、死後のことすらこう自分でみたいな。
意識を持つ人も増えてきてるみたいなこともあるかなとは思ってる。
見たことはある。確かに私も自分のことは好きにしてくれやなと思ってるかも。
うーん、そうだよな。
こうされたら嬉しいっていう方向性と、こうされるのは嫌だっていう方向性とそれぞれあるじゃないですか。
例えば、私死んだら病理解剖とか是非やってほしいんですよ。
大学の医学部とかに送っていただいて、肝臓癌ってのはこういうことなんですねみたいなことを、もし自分が肝臓癌で死んだらやってほしいと思う。
すごくポジティブな方で。
脳の方は正直あんまりなくて、
だから土層が嫌とか化層が嫌とか道に打ち捨てられるのが嫌とかあんまりないなっていうのを、
この本を読んで一回フルボトルで置いた時に考えたんですね。
確かにこれが嫌とか、でも土層って死体が不繁殖して、それが病気になっちゃうこととかあるよね。
だから嫌かもちょっとだけ。
ちょっと前に読んでた日本史の本なんだっけ、まとめて読んだんですけど、
その時に土層か化層かっていう日本の過去の葬儀というか弔い方の変化を見ていくと、
神道ってやっぱり穢れの文化だから、神道になると化層になると。
穢れるから燃やすみたいな考え方になるって書いてたんだよな。
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で、仏教になると土層だみたいなことがあったと思うんだよね。
ミシさんが言うように人口が増えていって密度が高まって、
疫病のインパクトが大きくなると燃やした方がいいじゃないですか。
衛生的にはね。
衛生的に、衛生的に。
そうすると、化層っていうのが合理的になっていって、
そうすると神道が、宗教がパワーを持ち出すみたいな話の中で書いてあった気がするんだよな。
すげー面白かった。
なるほど、そこにも宗教って絵があるんですね。
今回の本の中にも。
この本だとさ、逆に韓国ってもともとそれこそ土層があらわしいみたいな感じだったけど、
逆に人口増えちゃったとか合理化しなきゃやってられんって感じになって、
無理やりじゃないかもしれないけど、急にどんどん増えて、急に化層に転換する時期があって、
その過渡期とかって結構人も揺れ動いたりしてる時期でしたみたいな。
そうだろうね。
面白いなって思ったというかね。
多分それぐらいこうやって葬儀をされるのはまかりならんって、
本人が思ってるか家族が思ってるかは別にして、思う人がいるってことですもんね。
急激に変わるから、そういう思いを抱く人が多いのかもしれないみたいなことが書いてあって、
それでそうかもなーって思った。
確かに。
日本はもう、私たちは何度でも前からずっと仮想だから、思わないのかもこうしてくれるなとか。
確かにね。ゼロで燃やすのが当たり前っていうあれだもんな。
ゼロで燃やして。
もう骨を葛坊に入れるか、公園に巻くかとか、あんまもう骨になっちゃったら変わらんしなーぐらいの感じだけど、
土葬か仮葬かっていうのはすごい違う感じがするよね、確かに。
そうか、そういうもん。そういうもんかもね。
分からないけどね。しかもそれが原因かどうかも分からないし。
好きな死に方を選ぶかみたいな。
そういうことが背景なのかも分からないけど。
そうだよなー。
でもあんまり葬式の経験が私にあんまりないっていうことと、
そういうドラストラスティックな葬葬の変化みたいなのを体験してないっていうのがあるなと思ったから、
何も気にしてないのかな、自分はって思った。
そうかー。