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2021-07-06 17:19

サン・テグジュペリ「人間の大地」第2回:砂漠で死にそうになった後で食べるオレンジの味

サン・テグジュペリの名作「人間の大地」を。第2回は、こんな話をしました。

  • 「大地は僕ら自身について万巻の書よりも多くを教えてくれる」から始まり、「人間について」で結ばれるエッセイでは類見ないダイナミックさ
  • 授かった使命を黙々と遂行する人間、それを作る土壌を称える
  • 一つの世界を理解するためには、身をもってその世界の中に閉じ込められてみないとだめらしい
  • 論理は正しいからこそ、辻褄を合わせてみる

みき(@miki_apreciar
のぞみ(@CobeAssocie

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書籍紹介(Amazonより)

郵便機のパイロットとして長いキャリアを持つ著者が、駆け出しの日々、勇敢な僚友たちのこと、アフリカや南米での人々との交流、自ら体験した極限状態などについて、時に臨場感豊かに、時に哲学的に語る。人間にとって大切なものは何かを鋭く問うたサン=テグジュペリ文学の大傑作。

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一番印象に残っている章とかありますか?
印象に残っている、私でもなんだかんだやっぱり一番最後の第8章、最後の人間たちっていうところが、
たぶんここが一番なんて言うんですかね、このMikiさんの時間の遠近感というか、その主観の感じで言うと一番抽象的なことを言ってる気がしていて
そうですね。人間ってこうだよねみたいな話を多分延々としている章だと思うんですけど
この前まで、友人のいろんな大変そうなこととか、亡くなっちゃった話とか、飛行機から宇宙へみたいな話とか、砂漠へっていうある種、絵がすごく浮かぶ情景があった後に、
最後この人間に戻ってくるっていうのは、すごく私はその印象が深くて、たぶんそれは一番この本の最初の文章が、
第一は僕ら自身について万感の書よりも多く教えてくれるっていう一文から始まるんですよね。
だからこう、地球とか砂漠、山、宇宙、空、そういうのが人間についていろいろ教えてくれる場所なんですよっていう一文から始まった一冊が、
山の話をして、友人の話をして、砂漠の話をして、っていう最後に人間の話に帰ってくるのは壮大な前振りを回収されている気がしていて。
なるほど。
ただこれも一冊の書であるっていうのも、いい種裏返しではあるんですけど、ともいえこれが教えてくれる人間の諸々みたいなのを最後の章でギュッと凝縮されている感じがして、
私は最後の章がすごく好きでしたね。
確かにな。
私も最後の章、ちょっと抽象度が高くて難しかったですけどね。
だから一生懸命読んだ感覚があります。
そうなんですよ、抽象度マックスみたいな感じで、でも最後に一個一個の中に出てきた点をちょっとずつ紐づけていくような一冊っていうのが私はすごく好きで、
サンテクジュメル自身もこの本の中でずっと紹介してきたのは、天から授かった使命を黙々と遂行した人たちですっていう話をしていて、
それはなんか、さっきの責任感ってところに通じるんですけど、授かった使命を黙々と遂行するっていうことを紹介していると。
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それは友人もそうですし、砂漠の中で生きている人たち。
そうですし、他の人たちが修道院を選ぶように砂漠や空の道を選んだ人たちっていうのをこの本の中で紹介しているんだと。
その人たちを称えようと思っているわけではまず全くなくて、何より称えるべきはそういう人たちを育んだ土壌っていうことを僕は称えたいみたいな話が最後の章に出てくるんですよね。
ジュペリーみたいな、なるほどかっこいいって言ってたみたいなのを最後の章で見ながらまた思ってたんですね。
なるほどな。なんか初めて、最後の章で今までずっとパイロットの話だったのに、誤帳の話とかになってきてしまって、
何が見えてるんだろう、このサンテグジュペリーには、みたいな感じでちょっと難しいなって思いながら読んでたんですけど、そういうことだったのかって思いました。
多分なんかその、そういう黙々と使命を遂行する、サンテグジュペリーって元軍人なんですよね。軍人やってパイロットやってみたいな作り方だった気がしていて。
はいはい。
なんか黙々と使命を遂行する人たちっていうのはまあいると。
うん。
で、いるしその人たちは、まあいい素晴らしいことなんだろうけど、その人たちは育んでいる自然っていうものがあって、
それは山であって、砂漠であって、で、たまにその砂漠、ただその自然って単純にあるだけなので、そこと向き合うための道具として飛行機って存在してるよねっていうことになってます。
だから飛行機ってそのスキとかクワと、その農地を耕す道具と変わらないみたいな感じの場にあると思うんですけど、
はいはい、ありました。
なるほど、そういう世界観か、みたいな、いうのを思って見てたですね。
ああ、なんかそうすると改めて最後の一節、精神の風が粘土の上を吹き渡るとき、初めて人間を想像されるとかが、いうのがちょっと改めて染みてくるなぁと思って。
うん、なんか頑張れば、頑張ればこの最後の一文だけでどういうことなんだっけっていう、なんか文学部卒論とかになりそうですよね。
なりそうですね。
でもめちゃくちゃ、めちゃくちゃいい、私はなんか最後の章がいいなぁと思ってたですね。
なるほどなぁ。
みきさんはどのあたりが?
私は結構その、ジュペリが遭難しちゃったところをずっとあの失業に描いてる、砂漠の中心でかな、砂漠にいて、
で、あの不時着しちゃって本当死にかけるみたいな、3日間ぐらい延々描いてるところがすっごい残ってますね、心に。
なんかまず本当に死んじゃいそうで、死んでないから描けてるってわかってるのに、なんか死んじゃうんじゃないかって思って怖くてなかなか読めないみたいな、
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まずその、必力がね、あってね、なんかすごい、本当に命の極限にいるっていう感じがひしひしと伝わってくるところが苦しくて、なかなかっていうのと、
あとそのそこから、あの通りすがりのアラブ人に助けられて、結局復活するんですけど、その後に言ってたその、
初めてなんか死刑所にとってのタバコとラウムシの意味が理解できたみたいなところがあるんですよ、私はすごいグッと聞いてて、
ちょっと長いですけど読んじゃうと、さらに僕はこう思う、僕らは皆それぞれの世界のルールに従って生きている。
一つの世界を理解するためには身をもってその世界の中に閉じ込められてみないとダメらしい、
ということを言った上で、その僕にしたところで、今ようやく死刑所にとってのタバコとラウムシの意味が理解できた。
それまではなぜ死刑所はそんな貧弱な施しを断らないのかわからなかった。実は死刑所はそこには大きな喜びを見出していたのだ。
もし彼が微笑みを浮かべれば、世間の人は勇気のある死刑所だと考える。 だが実は彼はラウムシが飲めるのが嬉しいだけなのか、死刑所が延期法を変え、
残されたわずかの時間を人の一生に変えたということが、世間の人にはわからないのだ。
なんかバーって読んじゃったんですけど、なんて言ったらいいですかね。だからその、
私はどっちかというと、この本を読んで、なんか使命っていうよりかは、なんか受け入れるっていうか、
なんか何かを解釈しない、いいまま受け入れるみたいなことがすごい、心にキーワードとしてあるのかなって思ってて、なんかそういう
世界ってこう、自分てこう、とかって思って表層的に生きてると本質はわからないっていうか、死刑所にとってのタバコとラムシだって、
端から見たら、なんか死に際にそんなのに使っちゃってとか、もう死ぬのに、死ぬから、もう死ぬだけだからそんなものでも嬉しいんだねとかじゃなくて、
なんか死刑所からしたらもうそれで全世界を把握して、でなんかラムシが本当に嬉しくて飲んで終わってるっていう、なんかその反転が彼の中で起きてるっていうのがすごい面白いっていうか、
なんか自分もそういうなんか反転をなんかする機会がすごいないなーって思ったっていうか、
なんかそういう、ここの文章にすごいダイナミックさを感じたんですけどね、私は。
うーん、私全然この文章を読んだ記憶が全然なくて、
そうか、そうか、たぶん読み飛ばしてたんですね。なんか読むとめちゃくちゃいい、いい、いい文章ですね、なるほど。
そう、なんかそのここもだからその死の縁を経て、なんか初めて生きる喜びとか、なんか隣人愛みたいなものとかをなんか理解したからなんか反転が起きてるって感じがして、
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サンティグリペリの中で、なんか面白かったなーって思いました。
身をもってその世界の中に閉じ込められてみないとダメらしいっていうのは、なるほど、確かにそうですね。
でもそれが閉じ込められてみるって強制感あるけど、たぶん自分でもできるっていうかなんか、
なんかそれは砂漠に閉じ込められるとか、死刑囚になってみるとかそういうことじゃなくて、なんか身をもって閉じるとか、身を閉じるとか、結構そういう意味にもあるのかなって思ってて。
うーん、うん。
なんか、うん、そのなんか何かを解釈、私的にはその何かを解釈しないとか、あいつはあーみたいなふうに思わないで、なんかまず受け入れるみたいなこととかも、
うん。
自分が閉じ込められてみるっていう状況を作れるんじゃないかなっていうふうに思いましたね。
うーん、なるほど。
なんか、全然違う話かもしれないですけど、その、VCの時の先輩が最近出した本、それを読んだんですけど、
はい。
なんていうんですか、ゴリゴリのビジネスショップっぽいやつなんですよね。
うん。
で、その中に仕事の仕方として、なんかいろんな人がこう、なんていうんですか、無茶振りしてきたり、
うーんと、なんか、全然昨日と言ってること違うじゃんみたいな話が言った時に、大体まあムッとするでしょって話があって。
うん。
で、なんかその時に、辻褄を合わせて見たらどうなるかっていう話が出てきたんですよ。
その人はなんでそんなことをしてるんだろうって、仮にその人が正しいとしたら、なんでそうなってるんだろうっていうのを考えてみると、しざが上がるかもしれないみたいな話だったんですよね。
うん。
例えば、なんかお客さんと話した結果論点が変わったのかもしれないとか、なんかいろんなことがあるじゃないですか。
で、何の話をしてるかっていうと、なんかさっきの、このラム酒とタバコの話を考えると、
うん。
なんかそれがめちゃくちゃ意味を持つとしたら、どういう世界なんだろうっていう辻褄を合わせるように考えてみるっていう。
あー、うんうん。
ことなのかなと思っていて。
そうですね。
多分この、りんきさんが言うように、遠近法を変えるための良い方法、一つの世界にバーンと入っちゃうっていうのは、その強制的に遠近感が変わる方法だと思うんですけど。
なんかね、その辻褄を合わせるようにピントを調節してみて、遠近感を揃えてみると、完璧に一致はしないかもしれないけど、何かしらのこの、なんていうんすか、密度で切り取るというか、ちょっと共感するのはできるかもしれないですね、確かにね。
そうです。なんか私がこの本でなんか、辻褄を合わせるということとも通じるなって今ふと思ったんですけど、結構受け入れるとかがテーマのように感じたのは、そのアートを読んだところとか、その最後の章にある文章とかでも、
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もし諸君が戦争を否定しない人に戦争の望ましさを納得させたければ、その人を野蛮人だと決めつけないことだ。相手を裁く前にまず理解しようと努めることだ。
とか、人間とその欲求を理解したいと思えば、また人間の内に潜む本質的なものに着目して人間を捉えたいと思えば、あなた方一人一人の真実のどれが正しいか正しくないかといった議論をやめることだ。
あなた方は良かろう、あなた方は正しいのは認めよう。あなた方は皆正しいのだ。何しろ論理というのはどんなことでも立証してしまうのだから。って言われて。
そういうところと変わらせても、昨日と言ってることは違うじゃんとかって正しいけど、立証もできるけどそうじゃなくて、すりつまを合わせてみようっていうことなのかなって思いましたね。
全然違う話していいですか?
はい、ぜひ。
今のその論理的な話なんですけど、最近仕事で若い、若い人が22くらいの女の子にインタビューすることがあって、ご時世からワクチンの話になったんですよ。
はい。
で、その女の子はわかんないと思っていると、ワクチンを打つべきかどうかね。
で、どういうロジックなのかで言うと、めちゃくちゃソリッドなロジックなんですよ。
何かっていうと、お医者さんの中には絶対打つべきだっていう人も絶対に打たないべきだっていう人もいると。
で、専門家の意見が割れてるうちは、行動もしないほうがいいと思っていると。
なので、打たないという決断をしているわけではないが、別に行動しようとは思わないっていう話をしていて、すげえロジカルと思ったんですよ。
その論理体系の中ではね。
ただ、科学的にどうかみたいな話をすると、まあまあ一応あるわけじゃないですか、いろんな論文があって、便益がこうでみたいな話とか、妊婦もこうでみたいな話とか、いろいろあると思うんですよね。
なんですけど、たぶん、さっきみたいなロジックを聞くと、いや、全然わかってねえなみたいな話になると思うんですよ。
結構、さっきの何しろ論理というのは、どんなことでも立証してしまうっていうのは、そういうことなのかなと思っていて、
論理の遠近感で変えると、だいたい何でも正しくなっちゃうんですよね。
何でも正しいと言えるような論理って別に作れなくないので、
なんていうんですか、究極言うと、明日太陽は西から昇る。
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もしかしたら頑張ったら言えるかもしれないし。
そうやって考えると、なかなか論理というもののなかなかさみたいなのは、人間の欲求に関わらず思うことはあるんですね。
そうですね。論理を使って分かり合おうとか何かしようとか思うことは、どこまで重要視するものなんだろうみたいなことは思いますね。
結構、距離があるからね。
でも、こういうことを延々と考えていくと、エッセイで留まらずに小説を書きたくなっちゃうかもしれないですね。
伝わりきらないなみたいな、小説になるのかもしれないですね。
今、砂漠にいる人とかコロナとか、気にしてるんですかね。
どうだろう。でも逆になっちゃったらね、すげえ大変ですよね。病院も遠いし、もろもろ遠いし。
今、月光のミスとか英語の記事を読んでたら、インドだ、イギリスだ、みたいなすげえ患者がいるように見えるじゃないですか。
なんで、例えば東南アジアとかってこんなに上がってこないんだろうみたいな話があって、結局、感染してる人の数をああいうグラフで出してるわけじゃなくて、陽性と検査した結果出てる人が出てるわけじゃないですか。
つまり、普通に考えてもっといるよねみたいな話をしてて。
そう考えると、あのグラフの中には、もしかしたら砂漠の中にいて検査を受けてない人っていうのは、いない存在なのかもしれないですね。
普通に考えたらそうなりそうな気がするし、いろんなことが起きてるんだと思うんですけどね、実際は。
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