1. Cobe.fm 本好きコンサル2人の読後感想戦
  2. バイヤール著『読んでいない本..
2025-05-20 26:20

バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る方法』 #3

最終回は、読書体験をめぐる深い自己対話へ。 「ハムレット読んでないおじさん」に自分を重ね、ミキさんは“曖昧さを受け入れられない自分”にも素直に向き合います。 一方、のぞみさんは「内なる図書館」「内なる書物」という本書の核心的概念を受け取り、 読書とは他者ではなく、自分自身との対話であることを力強く肯定していきます。

読んでない本でも、忘れてしまった本でも、自分の中に刻まれた“設置面”を信じていい── そんな自由で誇らしい読書観が、ふたりの間にあたたかく広がる回となりました。

サマリー

このエピソードでは、バイヤール著の『読んでいない本について堂々と語る方法』に触れながら、自分の内なる書物との向き合い方を探ります。また、他者とのコミュニケーションにおける曖昧さや、内なる図書館の概念についての気づきが語られます。参加者は、読書の体験や知識を元に、自信を持って意見を述べることの重要性を強調しています。

ハムレットおじさんについての思索
自分にもハムレット読んでいないおじさんみたいな部分もあるから、より分かるというか。
Mikiさんの中のハムレット読んでいないおじさんの部分はどういう部分なの?
この人本当に放狂してないのかなとか思って、過去の写真とか全部見て、湧き上げてる写真ないかなとかしたりとか。
それは別にハムレット読んでいないおじさんというよりかは、探偵業をしているっていうだけなのではっていう気がするけどね。
なんかこう絶対に証明したいみたいな自分があってるって。
それはハムレットおじさんは自分が読んでいないことを証明するだけだけど、Mikiさんは何を証明しに行ってるんだろう?
自分のこのアイディアが正しいってことを。
証明したいと。
すごいな。
曖昧にしたくしておきたくないっていうか。
なるほどね。
ハムレット読んでいないおじさんは曖昧なところが一番。
なんかもう乗れないからいいよみたいなふわっとした態度でいることもできないし、
読んだフリみたいなことも読んでないフリも読んだフリもできないし。
なんか曖昧にできなかったんだよね。
まあな。
曖昧にするときに相手と、さっきの私が挙げてたやつは他人と自分の間の曖昧さだと思うわけ。
他の人が言ってることとこっちが言ってることとか、お互いに思ってる本の感想が一致しない。
この人本当に読んだのかなとか。
他人と自分のギャップじゃない。
みきさんはそれを自分の中で正確にしたいっていうことなんだとすると、
みきさんは他人との間もお前はどうだみたいなやつ言いたくなることがあるの?
ある。それで自分と全然違う人になぜなぜハラスメントをして、心理的安定性を崩してクレームをもらったことある。
それは何?どういうきっかけで発動するの?みきさんのなぜなぜの問いは。
心理的安全性と読書の喜び
普通に全然自分が直感的に理解できないアイディアとかベースの価値観みたいなのを言われたときに、
それはどういうふうに形成されたのか知りたくて、それは何ですか?それは何ですか?
じゃあ仮にもしこういう状況だったと思いますか?とかずっと質問してたら、
安全心理的にしておくんですって言われた。
聞いてて思ったけど、私も全然それやるからな、仕事だと。
仕事だとやるからな、なんとも言えた。
やりすぎたんじゃない?私は。
私たぶんみきさんよりもっとゴリゴリにやってる気がするし。
仕事だったらいいじゃん。仕事じゃなくて飲み会の2時くらい、深夜2時くらいだったかな、私がやったら。
すげー。午前2時にそれできるんだ、みきさん。才能だよ。
変色と言っていい?
そっかー。
仕事だったらさ、そもそもゴリゴリになぜかじゃあやってくださいポジションで私たちはアロケートされるじゃない。
まあそういう役割で、ある種、会社の中だと角が立つから代わりにやってくださいって言われることもあるしね。
そうやってくださいみたいな。
確かに確かに。
だから私も仕事でやるんだけど、なんか別にいいかなっていう感じもする。
うーん、まあそうだね。
だからその、私に心理的安全性を壊すと言ってきた人も仕事上でやられたら言ってこない気もする。
まあね、そりゃそうだよね。そういうもんだもんねって思うってことね。
うんうんうん。
そうさな。
だからなんかそういうコミュニケーションの根幹の部分、それ結構人と違うなって思った時に、
なんか違いますねってことにしてゆっくり別れ合おうとしたりとか、
その曖昧なものをふわっと残すってことはすごい大事なことだって思ってたけど、
なんかそれはこの、私の読書行為とか読書で培われる自分みたいなものともすごく紐づいているんだってことが、
なんか意外だったというか、でもとても納得感があって、すごくいいことを言ってるんだなって思ったね、このところで。
改めてと。
うん。
貨物をおしまうことが大事だし、自分の中にいっぱい雑誌を増やして、
自分の設置面を増やすことが読書の喜びなんですって書いてあってると読み、
だから本当にそうだなと。
これからもどんどん本を積んでいこう。
なぜなら本を積むだけでも私の設置面を増やすからみたいな、
そういう私の読書感を全肯定してくれる本だと思いました。
設置面が増えるっていう考え方で言うと、読書ってすればするだけ楽しさが増えていきそうだもんね。
100冊から101冊目を読むときよりも、
多分1000冊目から1001冊目を読むときの方が設置面が多いわけじゃない?
この内なる図書館ボリュームで言うと。
どんどん楽しくなっていきそうで大変いいよね、それは。
これはタイトルを知るだけとか、人からその本の話を聞くだけとか、
読んでみようと思って途中で投げ出すこととかも全部、
読んでないけど、そういう本との付き合い方としてカウントしてOKって感じだし、
そういうのがいいなと。
内なる書物の探求
その状態で堂々と語ってOKっていう、
そういうマインドの話で、これもこれもこれもいいんだよ。
読んでるってことでいいんだよみたいな。
こう言ってくれてよかった。
この本の中に出てくる、その本の中で紹介される本。
三石さんが最初に言ってたみたいに、この本の中で読むと、
この本の中で知ると面白そうなんだけど、多分ダイレクトに読むと、
文体もあいまってあんまり楽しめなさそうだなっていうことを思いつつ、
これ後書きもそうだし、最後の最後で種明かしされるんだけど、
この人勝手にその紹介する本の内容変えてるんだよね。
変えてるっていうか、本にもウロ覚えのやつを検証しないままウロ覚えで書いて、
実際間違ってる時もあるってことだよね、きっと。
あるし、この人は結末変えてる。
意図的なのか。
そうそう、意図的にこの二人ってこうの方が整合性が取れるとか、
こういう結末のはずだとか、書いてないことを書いてるとか、
いうのを意図的にやってるんですって。
後書きの時に役者の人も言ってるし、本人もちらっと書いてるみたいなのを見てて。
後書きの人が見つけちゃった、教えてあげなきゃって思ってたら、
あまりにもそういうことが連続して、これは意図的な作為的にやってるのかって思ったみたいに書いてあったよ。
そうそうそう。
どっかに本人コメントでもあったんだけど、
確かに作品に記されている事実ではないが、
私がここで取り上げた作品について、読者に提案した全ての事実と同様っていう。
作品の本当らしさのロジックと整合しているから、提案しちゃいましたっていう。
何その紹介の仕方っていうワクワク感。
逆にこの人の本が出された時って別にSNSもそうだし、ネットもそんなに色々出てるところじゃなかったと思うけど。
Twitterはあったけどね。
まあね。
なんだけど、あんまりモバイルデバイス全盛期じゃない時じゃない。
日本の翻訳が出てるのはこのタイミングだけど、原著が出てるのはもうちょっと前だからさ。
5.7。
誤りを指摘する人も多いしさ、正確じゃないですっていう人もすごく多いんだけど。
ここでいう提案っぽいことがやりづらい時代だなと思いつつ。
でもやった方がおもろくなるから、難しいよなって。
そういう提案した方が面白くなるんだったらやった方がいいよなっていうのを最後読みながら思ってたね。
実はうちなる図書館っていう概念よりも、うちなる書物っていう概念に最も感動して。
人が本を読むときは結局自分の中にある、こういう本が読みたいみたいな幻想の表現、書物みたいなものをまず持ってって。
みんな自分のうちなる書物とフィルターを通して小説を本を読んでるだけで、結局やってることは自分のうちなる書物と向き合ってるだけだって。
だから本を読んで、流れ結末を提案とかしてもいいし、
結局そんな本をめっちゃ正確にテキスト解読することより、うちなる書物と向き合って創作行為をする方が全然いいみたいなのを書いてあったなと思って。
それをまさに実践した結果、本当の本の内容とはちょっと違う期待とかもあるってことだと思ってるんだけど。
このうちなる書物って概念当たり前すぎて、自分にとっては忘れてたというか。
そうだよね、私は常に求めてるよ、自分が読みたいこの世で一番面白い本をって思って、すごいハッとした。
うちなる書物か。うちなる書物ね。
自分が無意識に持つ幻想的な表現とか書いてあったかな。
フィルターとして機能する、自分のうちなる書物がフィルターと回って本を読んでる。
私とのぞみさんのうちなる書物全然違いそうだよ。
そうだね、たぶん書物も図書館も違うからね。
全然違うからね。
本なんて如実見そうだし、みきさんに勧められていくようになったら舞台とか見に行っても、
たぶん私のうちなる舞台がないからだと思うけど、役者の名前も覚えてないし。
今形成中でしょ、エヴァ。
形成中は一生できない気もするけど、誰がやってるのかも覚えてないし。
でもたまに感動してるもんね。
ざっくりいいなって思うことはあるんだけど、
いいなって思うことと、何かを覚えることが全く対応してないところを見ると、
うちなる何かが違うっていうのかないっていうのか。
そうか、だいぶ違う。本は如実に違うだろうね。
私も何かと似ているでしか読んでない記載してきたもんな。
いい気づきじゃん。
あれと似てるっていう。
そこが喜びポイントなんだ。
うーん、かも。
そうだね、あれと似てる。
みきさん思うことない?これあれと似てるとか。
普通にある気はするけど、それを感動と共にって感じじゃないかも。
そうか。
面白いね、そういう感覚もあるんだと思って。
それがうちなる書物じゃないか。
いろんなこういう共通点があって、いっぱいあるような表現を求めてるっていうか。
そういうのが嬉しい。
そうか、うちなる書物ね。
要素なんじゃないの?例えば。
かもね、確かにね。
だから全然違うことを書いてるにも関わらず、すげえ似てるってピシピシピシピシ刺さる本とかあったら大好きってなるじゃん。
なる。
すごいなる。
なるほど。
面白いな。
いい本でしたよ、改めて。
読んでよかった。
あともう一個全然違う感想言っていい?
はい。
これなんか、どこに出てきたか忘れちゃったんだけど。
この人が言ってたのか、それともこの人が紹介してる作品の中に出てきたのか、定かではないんですが。
作家は自分の作品を書き終え、それから一旦離れてしまうと他人と同じくらいそれに疎くなるのだやるっていう位置がどこかに出てきて。
超わかると思いまして。
自分も本を2,3冊出してる身として。
俺内容全く覚えてないもんね。
まず書いた後に一回も読み返してないし。
内容も全く覚えていないので。
そういう意味で言うと、このバイヤルさんが言っている全く読んだことない本を書いた人っていう。
わかると思ったと同時に、読みましたって言ってくれる人いるじゃない?
その人に言われた時の内なる図書館の交わらなさすごいんですよ。
向こうは読んだかどうかを探る必要さえないわけじゃん。
こいつ書いてるんだからわかってるんだろうっていうトーンでいろいろ言ってくれるわけ。
こっちは読んでないから、リアルハムレットおじさん。
読んでないなんてありえないっていう人としてお茶を濁さなきゃいけないんだけど。
読書体験と自信
大変つらいです、その時間。
もし周りに本を書いてる方がいて、その人に話をする時には感想だけ言ってあげてほしい。
こういうこと書いてましたよねとかはもう言わないであげてほしい。
じゃあ、毎日の睡眠の質が上がりましたとかそういうことを言えばいいですね。
そうそうそう、そういうのが素晴らしい。役立ってます。
仕事に役立ちました。目覚めが良くなりました。痩せました。小抵動できました。
みきさんがあげる例、全部植物的な実理に基づいた感想だけど。
でもそういうの、そういうの。すごくいいと思う。
なるほどね。いい本だったね。
いい本でしたよ。久しぶりに読んでいい読書体験でした。
全然大学生の時に読んだ時より楽しく読めたな。
だって大学生の時よりも読んでない本について堂々と語らされるシチュエーションの経験値半端なく上がったでしょ。
そうだな。まず自分の本について語らなきゃいけないシーンがたまにあると。
本の出版もしたし。
みきさんもこれからやってないプロジェクトについて堂々と語らなきゃいけないシーンが出てくるかもしれないし。
作ったことないスライドについて堂々と語らなきゃいけないシーンが出てくるかもしれないし。
それがあれば自分の中の正当化は問題ないっていうか、自己矛盾を起こさずいけそうだよね。
堂々と語ったクオリティがどうなるかわからないけど、自己矛盾を起こさずに乗り切れそう。
そうだね。確かにね。
自分の経験やそのスライドの周辺のものは持ってるわけだから、その持ってるもので語ればいいっていう話ですからね。
そうだね。みきさんのうちなるスライド集の中から似たようなものを。
スライドっていうところから持ってきて喋ればいい話だから。
なんでもできそう。
酔ってないのに話せないよみたいなやつが前面に来てた頃からはもう違うマインドリーマンはなってます。
格段の成長。
うん。マジで読んでよかった。思ったより全然いい本だった。
ね。2年前にくれた人に感謝だね。
読んでいない本についての議論
うん。なんかこのタイトルはすごい、これはこれで売れるタイトルだけどさ、本当の裏タイトルも欲しくなっちゃうよね。
どういうこと?
読んでない本に全然堂々と語る方法っていうよりかはなんかこう、コミュニケーションといったらあれだっけ、知的に他者と交わるとはためのバインドチェンジみたいなことじゃん。
これもすごいチープなタイトルだけど。
もっと本当のタイトルも欲しくなった。
これフランス語の現代って何なんだろう。ちょっと今見よう。
なんか似たような。
現代、似たようなやつかな。
じゃなかったっけ。
自分自身について何かを語るってことは自分自身について語ることっていうタイトルかってもいいのかも。
それだと売れなさそうだよね。
そうだね。かつこれ堂々とをとってさ、読んでない本について語る方法でもなんか売れなさそうな気がするし。
うん、売れないし。
すごい秀逸な感じはするよね、これね。
しかも英訳だとHow to talk about books you haven't readだから堂々と入ってないね。ただ読んでない本について語る。
あー、なるほどね。
だからフランス語は読めないけど。読んでないね。
でもなんか雰囲気英訳そのままっぽい気がする。
そうそう堂々と入ってなさそうなコメントカーラーでリブで。
みきさんが大学でフランス語をやってなかったことは今わかった。
そうなの、中国語。てかあれとか必修じゃないから出てないから。
え、語学必修じゃないの?
英語だけ。
この人は本を読んでないことも積極的に良いこともあるっていう風に言ったんだ。
本を読むことによって記憶を喪失してるから良くないことすらあるとか結構過激な言葉を言ってたよね。
そうだね。
批評するためには本を読んではいけないっていうことを言っていた人がいてねっていう話もしてたね。
本ぐらいに切ってくれたから通読した結果マインドチェンジに至るという感じもあるというか。
いろんな過激な表現がないと嬉しいまでいかなかった気がする。
だからあの手この手を尽くして肯定しようとしてくれた本っていう感じで私の中で。
ミキさん肯定してくれる優しいフランス人。
うん。
いいおじちゃんだ。
この屈辱ゲームどっかでなんかプライド高そうな人と一緒にやりたいな。
うん、のどめさんの周りにいるプライド高そうな男の子たちと。
だいたいそういうやつなんかあるくなっちゃったからな。
ちょっともう一回やるか。
うん。
探してみよう。
関西人とやるとな、みんな恥を懐賃することじゃなくて笑いを取りに行くっていう。
そうなっちゃうからな。
だから関西人の屈辱ゲームは、このシーンでオチのある話をしなかったとか。
そういうシチュエーションの懐賃とかになるじゃない。
恥ずかしい。
こういう時真面目になっちゃったみたいなさ。
何がいいのかな。
一番おもんない話したやつ優勝とかやりたいけどな。
考えたら駄目だわ。
無限に考えてしまう。
おもんない話じゃ屈辱選んないだろうね。
そうなのよ。
行けたのに行けなかったみたいな。
笑い取れたのに取りに行かんかったみたいな。
そういうところだよね。
その場で本当は尊敬されるべきことなんだけど。
かつそれを周りみんなやってるのに本人だけやってないっていう構造を作らなきゃいけないわけだからね。
まずい。
次はゴルフレビュー。
ゴルフについて堂々と語るのぞみと、関西人と屈辱ゲームする方法をどうぞと語るのぞみにお待ちしてます。
気をくるせずに全力でやるから。任せてください。
じゃあじゃあ。
次はEHカーの歴史とは何かという本で。
これみきさんが候補をたくさん考えてくれた中の1個。
チャットGPTのディープリサーチに65冊も読んでたから、65冊の本のリストを出して、こういう本が好きな人が好きな本出してって言ったら出てきた。
へー、それがあれなんだ。
なんか骨太なリストだったけど、そんな骨太な本を私たち読んでたっけっていう。
骨太なやつにしてって言った。個展がいいって。
なるほどね。すごいやつだった。その中から大名著というか。
歴史が苦手だからめっちゃ読めないと思う。読んだことあります?のぞみさん。
このカーの歴史とは何か?
カーの歴史とは何か?
ないけど、引用されてる本はたくさん見たことがある。
マジ?私引用されてる本も見たことないんだけど。
本とカーの歴史とは何か?っていう文章というか文字というかはめっちゃ見た。
けど本自体は読んだことない。
でも、もはや私は読んでない本について堂々と語るマインドを手に入れたので、読んでなくても堂々とのぞませていただきたいと思います。
なんとなく私の予感としては、これ後援録なんですよ。
マジか。
だからミキさんとすげー相性が悪い気がする。
ミキさんの内なる図書館にうまく収納していただいて。
じゃあミキさん、眠いな。今日はありがとうございました。
ちょっと眠気取れてきました。
本当?よかった。
じゃあまた。歴史とは何かで。
お疲れ様です。
26:20

コメント

スクロール