まあ、文化部のね、先生方は、本当にお疲れ様でしたという感じで、
もう、お昼ご飯も食べる間もなくて、水槽学部の先生、私、あの、席がね、近いんですけど、
もう、お昼ご飯になるはずだったうどんが、机の上に置かれっぱなしで、夕方4時っていう状況だったので、
そっと、冷蔵庫にうどんを移しました。
うどんを冷蔵庫に入れましたというメモとともにね、
あとで、本当にありがとうございますと、めちゃくちゃ感謝されるっていう、
まあ、本当それぐらいね、文化部の先生は忙しいですね。
で、私は文化祭のその展示、3つ展示があったんですけど、
その中でも校門を飾り付ける、ちょっと校門をグレードアップさせるみたいな展示物の担当をしていたんですよ。
で、文化委員が最初にこういうデザインにしたいです、という原案を出すんですけど、企画書かな。
で、そのイメージは、ディズニーランドのIt's a small worldの世界観。
わかりますかね、あのカラフル、ちょっとパステルな感じで、
幾何学模様があったりする建物、正面から見た時のあのデザイン、
ああいう感じにしたかったみたいなんですね。
それで、ダンボールを切って、ダンボール?プラダンボールか、
透明のちょっと固めのダンボールを切って、土台を作ったり、
あと、画用紙でその模様を作ったり、巨大な花なんかね、ダンボールで作ったりとか。
あとは、学校の名前っていうか、その文化祭の名前、タイトルを入れるので、
例えば、どのフォントがいいかなとか言って、フォントを選んで、
で、それに合わせて丁寧にダンスを踊って、
そうやってフォントを選んで、で、それに合わせて丁寧にダンボールを切ったりして、
すごい綺麗にね、そのお祭りのタイトルを入れることができて、
まあ時間ない、やばいとか言ってるけど、なんとか完成しそうだね、いい感じだねとか、
こう言いながらやってたんですよ。
そして、前日になって、また有志の生徒とかも手伝ってくれながら、最終調整に入っていきました。
そしたらね、なんと正面にですね、大きなドラクエの青いスライムみたいな青いキャラクターが爆誕していましたね。
もうこの文化祭の公式キャラクターですと言わんばかりの目立ち具合で。
あの、これ私の作品ではないので、別に最終的にどんなものが出来上がったって別になんだって構わないんですけれど、
でもなんかさすがに、そこスライムになったみたいに言っちゃいましたね。
もともと巨大な青い水玉の模様になってたんですよ。
まあそれもちょっと謎の模様だなっていう感じではあったんですが、
一応、It's a small worldの見本のプリントした、なんだ、その、元にする画像にはそういう模様も入っていたので、
あ、これのことだねとか言って、まあそのまま行くと思ってたんですよ。
で、そこでまあちょっとスライムっぽいよねみたいな話は確かに出てた。
でも気がついたら、そこに目と口が現れていたっていうね。
で、その生徒、目とか口とかを描いてた生徒に聞いたんですよ。
それさ、もともとディズニーのIt's a small worldの世界観だったみたいなんだけど、
それ、今描いちゃって本当に大丈夫なん?みたいな。
聞いたら、いやこの画用紙の、この青い画用紙を使ってたんですけど、この画用紙の継ぎ目が気になるんで、
まあこれを隠すというか、気にならないようにするために目とか描いた方がいいかなって思ったんですよ。
っていう風にその生徒は言ってたんですよね。
で、結構ね、その生徒、真面目にそう言ってるもんで、
周囲の生徒も特に異議はありませんみたいな様子だったんで、
そっかそっか、まあいいよ、いいどもよ、みたいなことを言って、
スライムの誕生の過程を私はただ見守るみたいな感じだったんですよ。
そんで、その後ですね、さらに目を疑うような状況になっていて、
ちょっとね、目を離していたんですよね。
で、数分後に見たら、そのスライムから、なんとですね、血が流れていて、
で、その流れている根元には絆創膏が貼られてたんですよね。
で、ちょっと待って、みたいな、なんなのそれはっていう風に言ったら、
あの赤いペンのインクが飛んじゃったんですよ。だから血にしました。
嘘だろうと思って。
この校門装飾ってさ、って私はちょっと生徒に話すわけです。
この校門装飾って、文化祭の入り口でさ、
今から楽しいことがたくさんあるよっていう雰囲気を出したいわけじゃん、みたいな。
で、このスライム、しかも一番目立つじゃん、このね、大きさ的にも。
で、そこに血が流れてるっていうのはさ、
ちょっとさすがに、お客さんを見て、どう思うやろう、ちょっと怖くない?
ね、ここお化け屋敷でもないし、
ほんとほんとディズニーの雰囲気にしたかったってことやったし、
ちょっとさすがにそれは、直そっか、流血をやめとこっかって言って、
そこは結局画用紙を貼り直して、
いやーね、ほんと、何が起こるかわからないですね。
その生徒もね、ふざけてやってはないっていうか、
何か問題が起こってしまった、こうなってしまった、だからその対処として、
これが良かろう、みたいな、こう、
もうちょっと良くなるにはどうしたらいいかなって考えた結果、
そうなってしまった。
で、ATR2100Xは1万円ちょっとで、コスパが最強だとよく言われていて、
どんぐりFMのなるみさんとか、リビルドFMの宮川さんとかが、
マイクを持っていて、
8割ぐらいこれに決まりかかってたんですよ。
で、もう1つ迷っていたのが、シュアのMV7プラス。
これはですね、もともと私はシュア自体にすごく憧れがある、
そして信頼度が高いというのと、
デザインに関しては、
シュアのMV7プラスというのは、
もう1つ迷っていたのが、
MV7プラスというのは、
もともと私はシュア自体にすごく憧れがある、
そして信頼度が高いというのと、
デザインがめちゃめちゃかっこいい。
ザ・ポッドキャスターですみたいな。
で、ただマイクだけで、
3万5千円ちょっとAmazonでして、
で、アームも買うとなると、
ちょっと予算オーバーかなということになってたんです。
ただ欲しいなーみたいな。
で、いろいろ中古もいいかなと思って、
メルカリ見てたんですよ。
で、そしたらさっき言ってたシュアのSM58、
ゴッパーと言われている、
よく使われるスタンダードな、
というかベーシックなタイプのマイクですよね。
それとYAMAHAのAG03-MK2というオーディオインターフェースと、
それからオーディオテクニカのAT8700J、
アームですね。
アームとXLRのケーブルとなどがついて、
セットで2万1千円を発券しました。
これはね、お得なのではないかと思い、
ちょっと調べてみると、
状態も割といい割にはやっぱりお得そうだったので、
勢いで買ってしまいました。
もともとね、シュアに対する憧れというか、
信頼度もあって、
さらにコスパもいいというこの両立が不意に叶ったが、
最後気づいたら買っちゃってましたね。
で、このゴッパーはですね、
慶音楽部時代にすごく厚い信頼を寄せていたマイクなんですよね。
生徒もこれが欲しいって言うから、
じゃあこれ買うねと言って、
2本ぐらい買ってたんじゃないかな。
で、あとは、
オーディオインターフェースを使うということ自体にも、
謎の憧れがあったので、
今これを使って収録しているという、
この行為自体に非常に満足しております。
これまで、
これまで、
もともとiPhone15に直入れだったんですよ、音声。
だから、今パソコンに向かって、
いろいろ機材をつなげて収録するという形になっているので、
ちょっと今までよりも手間はかかるんだと思うんです。
だけどそこはむしろ楽しんでいきたいかなって思ってます。
そうだ、さらに音声の編集ソフトみたいなのも、
パソコンに入れたオーダーシティだったかな。
これもなるみさんのノートか何かで見たので、
使ってみてるんですけど、
さあ、音声はどうなっていることやら、
ちょっと楽しみにしておきたいと思います。
はい。
誕生日、自分にいいプレゼントができたなと思います。
そうだ、28歳になりました。
28歳。
どうやって過ごそうかなって考えた。
考えたっていうか、
どうやって過ごそうかなっていうよりも、
この28歳ということ自体についてすごく考えましたね。
なんかこれ話したらまた長くなりそうだな。
ちょっとだけ話すと、
28歳って、私の母親が私を産んだ年だったんですよ。
ちょうど私が今仕事して、
自分の趣味も楽しみながら、
一人で生活しているっていう状況と、
母の家庭を持って子供ができて出産をするっていうのと、
全然違っている状況なんだけど、
でも同じ年にそういうことがあったみたいなのがすごく不思議で、
その時に母の感情をすごく想像してみたんですよ。
どんなふうに思ってたんだろう、私を産んだ時、
私がお腹にできた時とか。
だけど本当に全然想像できなかったですね。
あまりに見ている景色が違っていて、
だけど、ただこの今、私が生まれてから今の今まで、
すごく大事に育ててきてくれて、
たまに私も幼稚なので、その愛情がちょっと重いなとか、
そんな関わりすぎないでほしいなって思う時も正直あるっていうのは、
前のエピソードでも話したと思うんですけど、
それでも愛情深く育て続けてきてくれたっていうことにはすごい感謝してますし、
シンプルにすごいなって思いますね。
それをやり続けるということ。
あとは、そうだ、27歳の1年間を、
誕生日の直前までは過ごしてきたわけじゃないですか、
27歳の1年間は、父との関係が深まったなって思います。
27歳の1年間は、父との関係が深まったなって思う1年だったんですよね。
これまで父親は、仕事遅くまでやって、
帰ってきたらテレビを見るか寝るかみたいな、
コマンドがめちゃくちゃ少ないみたいな人で、
家族とおしゃべりをするみたいなのは結構少なかったんですよ、無口でね。
仕事の愚痴とかも全く言わないから、
父がどんな仕事をしているかっていうのも全然知らなかったんですよ。
名前はなんとなくわかるけど、
一体何をしているのかみたいな、何が大変なのかみたいなことが全然わからない。
今もちゃんとはわかってない。
だけど、社会人になって、
私がたまに実家に帰った時に、
今仕事こんな感じなんだよねとか、これが大変なんだよねとか、
仕事以外にもゴルフ一緒にやれるようになってきて、
すごい話せるようになってきた。
父との会話する時間が増えた。
前よりもね。
で、その中で、
父の幼い頃の生活だったり、
今の仕事の一部だったり、
なんとなく断片がわかってきた。
その父の輪郭が少しずつはっきりしていく中で、
父という人その事態を知るとともに、
私も父との共通点とか、
似ている部分がすごくたくさん見つかってきて、
その度に嬉しかったんですよね。
私自身を知ることにもつながるというか。
さらに父親は、
すごく一人で仕事はもう文句言わずやってきて、
小さな会社を経営して、
潰さずになんとかここまでやってきているという状況なんですけど、
そういう父親はすごいなと思うし、
幸せになってほしいというか、
ちょっとでも幸せをあげたいなって思うようになりました。
なので、
ようやく自分自身の中に家族というものがあって、
それがすごく大きなものなんだなっていうのを感じるし、
そういうことを考えるぐらいの年になったんだなっていう、
そういう新鮮さもありますね。
結構長々といろんなことを喋ってきましたが、
文化に関しては、
それから28歳の自分へのプレゼントとして、
マイクとかその他の機材を買って収録していますというのと、
28歳になって思うことをおしゃべりしてきました。
ちょっと長くなっちゃいましたが、今日はこれで終わります。