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2025-06-15 18:26

#132_Bialystocks「灯台」にみる無常観

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キリさんの声日記を聞き、Bialystocks「灯台」について深堀してみることに。考察する中で捉えたのは”無常観”でした。様々な古典作品でも普遍的に表現されてきたテーマです。現代に生まれた「灯台」も長い歴史の中で醸成されてきた言語文化の延長線上にあるのかもしれません。そしてその歌詞に基けば、声日記を通して個々人の人生の瞬間が交わることで生まれる時間、いわば無常の中にある輝きもまた”必然”なのでしょう。

 

▼きっかけになったエピソード

この曲の解説を求めます - ネリネ楽団の声日誌 - LISTEN

 

▼「灯台」MV

 

▼「光るとき」MV

 

▼参考記事

Bialystocks甫木元空が綴る新曲“灯台”の光が照らす死者と生者、彼岸と此岸の行ったり来たり | Mikiki by TOWER RECORDS

Bialystocks「灯台」インタビュー|音楽と映画をクロスオーバーする2人組 (2/2) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

 

一緒におしゃべりしませんか~!

日時:7月5日(土)18時ぐらい~

場所:雑談 | CRAFT BEER & PODCAST

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Summary

ポッドキャスト第132回では、Bialystocksの曲「灯台」を通じて無常観を探求しています。曲の背景や制作過程、歌詞の意味について考察し、音楽と文学の関係にも触れています。日本の古典文学における無常観がどのように描かれているかを考察し、特にビアリストックスの「灯台」に見られるエッセンスを探っています。また、歌詞に込められた希望のメッセージが、人生の出会いの必然性を示唆していることを紹介しています。

Bialystocksの灯台について
どうもお疲れ様です。いかです。この番組では、高校の国語科教諭をしている私、いかが、仕事のことや仕事以外のことをゆるくおしゃべりしていきます。
今日お話しするのは、キリさんの6月8日に残されていた声日記のアンサーみたいな話です。
アンサーというと、すごいおこがましい感じがするんですが、 そこで何を話されていたかというと、
Bialystocksの灯台ということについてですね。 で、キリさんがこの曲を聞いて、すごい印象的だったんだけど、わからない部分があって、
何かわかる人がいれば教えてほしい、みたいなことをお話しされていたんですよね。
で、私もこの灯台という曲、それからBialystocks、すごくかっこよくて大好きなんですよね。
で、わかるっていうことではないし、解説も全然できないですし、音楽理論とかも全然わかんないんですけど、
でもその声日記聞いて、せっかく好きな曲だし、私ももう1回ちゃんと聞いて、
あとはすでに出ている資料とかがあったら、ウェブとかで調べて、さらに自分なりに解釈をしてみたいなと思ったので、今回話してみます。
で、まず参考にしたサイトがありまして、タワーレコードが出しているミキキっていう、
そのサイトの中のコラム記事ですね。で、Bialystocks、ホキモトソラが綴る新曲、灯台の光が照らす死者と生者、
悲願と志願の至り来たり、この記事を参考にしました。おそらくこれは、ホキモトさんが書いているんじゃないかな。
で、最初に少し言っておくと、Bialystocksは、ホキモトさんとそれからキクチさんの2人で構成されているバンドというかアーティストです。
ホキモトさんが作詞作曲する場合もありますし、キクチさんが曲を作って、ホキモトさんがそれに歌詞をつけるみたいなこともあると。
で、今回のその灯台はキクチさんが作曲をされて、ホキモトさんが日本語の歌詞を入れるっていうような形態だったそうです。
映画を撮られたりもするみたいなんですけど、まあそういった、あとは自分の生活の中で感じたことの中で、
迎え火とか送り火とか、弔いと共にある日をテーマに去りゆく人とその後の現実を歌詞にできたらと漠然と思っていたということがね、書かれてました。
そしてその記事の中では、メロディーを度返しして言葉の意味だけを先行させることは今まで避けてきたつもりだったが、うんともすんとも日本語がリズムにうまく乗っていかないみたいな感じで、
制作過程も垣間見えるようになってるんですよね。最初はなかなかうまくいかないなぁみたいなことが乗ってたんですね。
で、そういった中で、高知県の室戸岬で初めて見た灯台の写真が出てきたと。
で、そこから、どん調の回転とか、火の揺らぎとか、灯台の光のように360度回転するあちらとこちら、そういった行ったり来たりの運動の反復に生きているものと死んでいるものとが、たった一歩でも前に進むための秘密がある気がしたって書いてたんですよね。
だから、その灯台にヒントを得て、そこから条件を思い浮かべながら歌を作っていったというのが、そこから読み取れます。
歌詞の解釈と制作過程
で、あと参考にしたのがもう一個あって、音楽ナタリの記事ですね。ビアリストックス灯台インタビュー、音楽と映画をクロスオーバーする二人組とあるんですけれど、これは
ホケモトさんが書いたのではなくて、インタビュー記事ですね。で、その中で作詞のアプローチについて言及している部分があって、
で、そこでさっき言ったような、この今回の曲は木口さんがデモの曲歌詞をまず英語で作って、で、それにホケモトさんが日本語をはめていくっていう、まあその過程がそこにも書かれてましたね。
パズルみたいにそこにこう、英語のデモの中に日本語をはめていくと、それはそれで言葉遊びになっていく、言葉の配列がちょっと変わるだけで意味合いが全然変わって聞こえるのが自分自身の発見にもなって面白いところだなと思っている。
今回は意味合いを持たせながらも奇跡的に言葉と音がはまっていった感覚があります。っていうようなことも述べられていました。
はい、で、ここからは個人的な感想になっていきます。
で、やっぱり今、木元さんの言っていたことを紹介したようにですね、音と歌詞が絶妙にマッチしているな、はまっているなと感じました。
始めにタタタ、タタタ、タタタっていう風に、行ったり来たりを繰り返している部分があるんですね。
それはまるで火がゆらゆらと揺れているような、そういう描写を頭の中に思い浮かべるようなことができるなと思います。
そして最後の大サビって言えばいいんですかね、最も高音になる部分は、最も音が低い部分、まさに今さっきあげた始めのタタタのタですね。
これは多分Fの音、ファの音だと思うんですけど、Fの音の2オクターブ上のFよりもさらに4つ上にあるDの音。
女性の私でも出ないですけど、そんな高音の部分があるんですね。
キリさんがライブで生で聴くのも、そこの部分はちょっと不安かもしれないっていうふうにおっしゃってたんですが、それにすごく共感できましたね。
この曲私もライブで聴いてて、聴いている中で、あの最後の高音の部分どうなるんだみたいな、出るのかしらみたいなそういうハラハラ感確かにありました。
でもね、出てましたね。すごいんですよ。ホキモトさんの歌声は本当に素敵なんですけど、音域も広い。
で、その一番高いDの音、ハイDに至るまでに行ったり来たりを繰り返しながらも、少しずつね、その高音域ゾーンになっていく。
で、そのハイDがその頂点みたいな、そういうメロディーラインになっています。
で、そのハイDの部分のあたりの高音域ゾーンの歌詞を紹介すると、「旅立つことに誰も彼も意味などない。この世に偶然はない。当てのない。会うべき人に出会えるように朝日は今あなたを待って。」
こんな歌詞なんですね。で、「出会えるようにの世でハイD。」高いDが来ます。私はこの部分はホキモトさんのメッセージというか、願いみたいなもの、あるいは決意、希望みたいなものを、この歌の中で唯一感じる部分だなぁと思うんですよね。
で、それまでは光や日が行ったり来たりしている情景、あとは鳩場、旅人、星の情景、そう、全てが情景描写だなぁと。だけど、こちらからあちらの世界に去る、旅立つということ、あるいは死ぬことに意味などないのだと。
この世に偶然っていうのはなくて、会うべき人に会う。これはもう必然なのだと。その人に出会えるように朝日はあなたを待っている。時が過ぎていくんだ。そう日々が繰り返されること、時が循環していくこと、その移り変わり、無常の中に自分はいる。
やがて死んでいくけれども、その循環の中で一瞬の刹那的に光を放っている。その一瞬の点に、このハイデイの部分は焦点を当てているというか、マクロで見ている、ズームアップしているような感じがします。
そう、初めのタタタタタタの部分と比べると、行ったり来たりのペースが遅いというか、タタタタタタタタタってすごいこう上がっていくんですよね。
行ったり来たりというか、どんどんそのある一点に向かってズームアップしていくような、流れ全体を見ていくっていうよりかは、その命の輝き、スパークしている部分っていうのをスローモーションで捉えているぐらいの、そのズームアップ感。
これ見方を変えると、その一人のある一瞬を灯台が照らしているっていうようにも見えるかなと、はい、そんな感じを受けました。
無常観の思想
で、こうやって想像を巡らせていくと、あの、まあ私国語の教師なんで、ほうじょうきってご存知ですかね。カモノチョウメの随筆、ほうじょうきなんかが思い出されます。
これ、国語の教科書によく冒頭部分が載ってるんですよね。
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
淀みに浮かぶ泡沫は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と住処とまた核のごとし。
こういう部分ですね。
原来訳を簡単に紹介すると、
流れすぎていく川の流れは途絶えることがなく、それでいて、そこを流れる水は元の水ではない。
川の流れの淀みに浮かんでいる水の泡は、一方では消えてなくなり、一方では形ができたりして、長い間そのままの状態で留まっている例はない。
この世に生きている人と住む場所とは、またこの流れと泡のようである。
こういうふうに言っているわけです。
この常に同じ状態ではない、常なるものはないという思想を、無常観と言ったりしますね。
仏教の教義の一つである無常。
これをテーマとして作られた文章や芸術作品というのは、たくさん存在するんですよね。
今の中国が唐だった時代、詩人の徒歩が旬暴の中で、国敗れて惨がありと歌っていましたし、これも聞いたことありますかね。
日本の古典文学に見る無常観
仏教の影響とか漢詩の影響っていうのを大きく受けた日本の古典でも、この無常観が現れている作品たくさんあります。
今挙げた鴨の長名は鎌倉時代の人ですけれども、他にも平家物語、擬音精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、これは誰もが一度は聞いたことある一説かと思いますが、ここにも無常というのがはっきりと示されていますよね。
平安時代末期に政治もぐちゃぐちゃになるわ、基金や疫病で人も貧しくなるわって、末法思想、今世は救われないからせめて死後の世界で救われようみたいな、仏教のそういう思想が広まっていきました。
で、あとは無常観の話とはちょっとそれますけど、この人々の貧しさとかその中で働く真理みたいなものは、芥川龍之介の小説ラショウモン、芸人が老婆の着物を剥ぎ取って夜の闇に消えていくっていう話ね、これも国語の教科書に出てきますけど、それでよく理解できるんじゃないかなと思います。
話戻って、あとは同じ鎌倉時代で言うと、つれずれ草もそうですね。あとは江戸時代では松尾芭蕉の奥の細道っていうのも有名でしょうか。
月日は白帯の価格にして行こうとしもまた旅人なり、これは月日は永久に留まることのない旅人であって、やってきては過ぎていく年もまた旅人であるというふうに言ってますね。
このように様々な作品の中で無常について考えられてきた、表現されてきたわけです。そして今でもその思想みたいなものは知らず知らず日本人に息づいているのかなと思うし、ビアリストックスの灯台を聞いて歌詞を読んでそういうエッセンスを感じましたね。
ただ、ビアリストックスの灯台では別にそれを主題としているわけではないというか、どちらかというとその流れて止まないもの、巡り、行ったり来たりっていうのを描写している絵画のような感じがしましたかね。
そして最後の歌詞で、その巡りの中で、あちらに行ってしまった大切な人、またこれから巡り会う人との出会いの必然性を自分の中で認めて、その人たちのためにも生きていこうみたいな、そういう希望を持てるような歌詞になっているなと思いました。
あとさっき平家物語をあげましたが、平家物語はね最近アニメにもなってましたよね。そのオープニングテーマ曲は羊文学の光る時っていう曲なんですよね。
これもビアリストックス灯台の最後に感じた無常の中にある一瞬の輝きみたいなものが、さらに詳細にっていうか、わかりやすく丁寧に表現されているなと思います。
私、そう、この光る時も大好きで、歌詞少しだけ紹介すると、「何回だって言うよ、世界は美しいよ。君がそれを諦めないからだよ。混沌の時代に泥だらけの君のままで輝きを見つめていて、悲しみに向かう夜も揺るがずに光っていてよ。」
はい、これもねめちゃくちゃ良い曲なので、ぜひ聴いてみてほしいなと思います。
あと、ちなみにMVですけど、これはね、ホキモトさんが監督を務めた映画作品裸の夢の一部を使っているようです。
これもね、冒頭で紹介したタワレコのコラムに確か書いてたと思うので、読んでみられるといいかもしれません。
はい、ということで、ちょっと長々とまた語ってきましたが、
キリさんの恋日記を聴いて、好きな曲を深く味わうことのできる、そういうきっかけになりましたし、
恋日記で交わるっていうのも、また必然の出会いだったのかもしれないなと思うと、すごくこの時間が尊いものに感じられる気がします。
はい、めちゃくちゃ良い時間になりました、キリさん。ありがとうございます。
参考になればというか、私はこんな風に思いましたっていう、はい、そんな感じです。
そうだ、ここまでずっとね、こういうウダウダとした話を聞いてくださった方なら、
ぜひ、私もお話ししてみたいなっていう思いもあるっていうか、何を言おうとしているかっていうと、
もし良かったらですね、東京周辺にお住まいの方、直接おしゃべりをしませんか?
というのも、私、7月5日から6日にかけて、東京に遊びに行きます。
主たる目的は、6日にあるんですけれども、その前日、5日の土曜日は、あんまりちゃんとまだ予定を決めていないんですね。
ただ、東中野の雑談には行こうと思っています。
だいたい、6時、7時ぐらいからかな。
そこで、もしご都合のいい方がいらっしゃいましたら、ぜひおしゃべりしたいななんて思ってます。
とりあえず、私は行くには行くので、もしタイミングよく会えたら、声をかけてほしいですし、
もし、6日は行けますよ、事前にそういうご予定がわかる方は、
Listenのメッセージ機能でも、あとはTwitterXのDMでも、
あとは、私はListenと裏どんぐりのDiscordにもいるので、
何かしらの方法で事前にお声掛けいただけると、めちゃくちゃありがたいです。
あわよくば一緒に収録なんてしちゃったりして。
ぜひ、ご都合があえばね、おしゃべりをしましょう。
では、今日はこれで終わります。ありがとうございました。
18:26

Comments

わーー!!解説だー!!ありがとうございます!自分ではたどり着けなかった、いかさんならではの視点で紐解いていただいてありがとうございます!嬉しいです🙌 東京いらっしゃるんですね! 7月5日空いてるのでこっそり伺います🌷

きりさん! 急に言及やら何やらすみません!! でも私も調べてて楽しかったです🌞 なんとーー!! ありがとうございます👏 18時以降は1,2時間ぐらいダラダラ滞在していると思います…! お会いできるのを楽しみにしております☺️

お話が難しかったですが、要は「諸行無常の尊さ」ということでしょうか?!w また東京出張でしょうかね、お気をつけて~♫

無常の中にある瞬間が尊い、みたいな感じでしょうかね…! 途中で自分でも何言ってるかわかんなくなってますね。笑 今回は仕事ではなく完全お遊びで行って参ります✈️

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