どんなにうまくいかなかった人も、思考を変えれば現実が変わる本音倶楽部。 こんばんは、はらだ みやびです。
この配信は、聞くだけで人生がまるっとうまくいくをテーマに、一般社団法人思考の学校上級認定講師、認定ビジネスカウンセラーの はらだ みやびが、思考のしくみについてお伝えしているポートキャスト番組です。
はい、ということで今回は、私たちには選べる自由があるという話をしていきたいと思います。 まずはじめに
2026年、こんにちは!という感じなんですけれども、今年になって初めての更新になりますね。 さっき気づきましたが、驚きました。
たくさんの方が、毎月ご視聴してくださっているのを見ながら、なかなか更新できていなかったんですけれども、
今回59回を撮っております。 ありがとうございます。いつも聞いてくださって。
今7月なんですけれど、2026年7月ということで、全く更新できなかった半年間過ぎましたけれども、
近況報告でお話しすると、引っ越しをしました。 神奈川県の葉山というところに引っ越してくることができまして、
そこもお忙しだったなぁということもあるんですが、あとはYouTubeを発信し始めたりしていて、なかなか本音クラブ更新できなかったんですけれども、
最近ですね、ふと気づいたことがありまして、というのは何かというとですね、 2022年の末から
この本音クラブ発信始まったんですよね。 このラジオを始めた思いとしては、
YouTubeは初めて志向のことを知ってくださる方向けにお話ししているんですけれども、この場はどこかで志向の学校の考え方に触れていただいたことがある方に、
何か舵とかしながら、考えてみていただくきっかけになったらなぁと思って発信してるんですよね。
始まった当初は結構熱心に、何回も繰り返してお伝えしたいようなことというので発信をしておりまして、
何回か過ぎた時に、繰り返しお伝えしたいことって結構お話しさせていただけたなぁって勝手ながら思ったんですけれども、
そこからしばらく時間が空いた時に、どの話がどう被るかがちょっとわからなくなってきて、発信を控えてしまっていたんですけれど、
最近思うのは、過去を発信してたのがもう3年前と思うと、仮に同じタイトルだとしても、
表現とかも変わるところがあるかもなぁって思ったので、より気にせず発信していこうという気持ちになりました。
今回はですね、タイトルは、私たちには選べる自由があるというふうにさせていただいたんですけれども、
選べる自由があるっていうのは、
もしかして思考を見直していこうって思った時に、例えば、依存心をやめなきゃとか、
ジャッジをやめなきゃとか、見下しをやめなきゃとか、
初めて聞く方は、見下しってびっくりしたりすると思うんですけれども、きっとどこかで触れていただいたことがあったら、
もうこれを減らそう、やめなきゃって思ってきて、まるまるしなきゃってことってありますよね。
でも、ジャッジをやめなきゃとか、見下しをやめなきゃ、依存心をやめなきゃって、
こういう思いがいっぱいな時って、逆にやめづらいみたいなことあると思うんですよね。
ただ自分攻めになっちゃってるみたいな。 またやっちゃったみたいな。
くれくれっていう依存心やめるって決めたじゃん。 人のこと簡単に攻撃しないって言ったじゃん。
こうやって、自分攻めのまるまるしなきゃ、になっちゃってるみたいな。
大事だなぁと思うのは、私たちにはいつでも選べる自由があることで、
そしてもっと言うと、自分の子供心、6歳児ぐらいの、6歳児よりもちっちゃいぐらいの、
そういう自分の子供のような心が心の中にあったとした時に、その自分と
いちいち選んで決め直せるといいのかなって思うんですよね。
例えばジャッジだったら、ジャッジっていうのは人のことを心の中とか、
口では言わないけど心の中で簡単に攻撃しちゃうみたいな感じですね。
攻撃っていうのは、良い悪いっていう、ジャッジ、批判、評価みたいな感じで
振り分けるような感じですけど、具体的に言ったら、例えば人の話を聞きながら、
この話、この人の話し方、分かりづらいなぁとか、聞きづらいなぁとか、めっちゃええって言ってるとか、
そうやって私たちって心の中で簡単にジャッジしちゃったりするんですよね。
そうすると自分もジャッジされちゃうよねっていう。
で、そういうところから自信がどんどんなくなっていくみたいな。
じゃあもうこれやめようって気づいて、このジャッジをやめていこうって、
でも多分講座でも伝わっているのは、ジャッジをやめなきゃではなくて、
ジャッジしている自分に気づいていこうね、ですよね。
なので、○○しちゃいけないって、自分になんか、
禁止するみたいな、そういうふうにしても結局私たちって、ジャッジしなきゃってジャッジしちゃってるじゃん、みたいな。
なんかそんなことになっちゃうので、ジャッジしている自分に気づくっていうことが大事だと思うんですけど、
で、その上でですね、例えばじゃあ、また見下した、
で、また見下しちゃってるよねっていうことがわかったときに、どうする?
これからも簡単に人を見下す世界がいいのか?
それとも、人の素敵なところを自分から認められる人になりたいのか、どっちがいいかなって、
自分の子供心と選び直せるのが大事なのかなと思うんですよね。
この例えば、依存心をもうやめようって思っても、
誰か私を変えてとか、誰かやってって思いがいっぱいだよね。
そういう自分ダメだよね。だからダメじゃん、みたいなふうに自分を責めるっていうよりは、
私たちはすごい大事かなと思うのは、どの世界も悪いわけじゃないっていうことだと思うんですよね。
なんか、ジャッジされて、ジャッジしてっていうことが悪いわけではないし、
例えばお父さんとお母さんのことをテーマにしたときに、お父さんに怒っている、お父さんのせいにしているっていう、
それが悪いわけでもないと思うんですよね。この世界に良いも悪いもないっていう。
で、そもそも発揮と発見だったのは、
あれ、私は、私が会社で認められないのは、なんでなんだって思っていたのが、
あ、私が周りを認めていないから、認められないんだとか。
で、その私がこの世界を作っていたことに気づいていくっていうのが大きかったと思うんですよね。
なので、私自分の周りは依存してくる人がいっぱい。
依存ってあんますぐ言葉にならないので、私の周りは自分で決めないで人に聞いてくる人ばっかりとか、
周りを頼る人ばっかりとか、お金がついなくなっちゃうとか、手がかかる人ばっかりみたいな。
っていうふうに、でも私はそんなことしてないのに、なんで?っていうのだったのが、
あ、私の中に誰か私を変えてとか、本当はこういうことも全部やってっていう、
誰か何か全部私のことをやってみたいな、そういう依存心がいっぱいあるから、こういう依存している人を周りに作ってるんだな。
あ、また依存やめようって決めたけど、やっぱり誰かにやってっていう気持ちになっちゃうよね。
気持ちになっちゃうなと思った時も、選べるのが大事かなって。
誰かやってって思いがいっぱいだったら、周りにも誰かやってっていう依存してくる周りの人がいっぱいになっちゃうよね。
それも、その世界がいいのか、自分で変える、自分で決める、自分でやっていくって、
依存を減らしていって、周りの人も自分で解決できる人にしていく、こういう世界がいいかな。
もしいいとしたら、じゃあこの依存をやめていきたかったら、自分で力を出し切るっていう、そういう喜びを増やしていきたいよね、この思考を増やしていきたいよねって、
自分と選び直すみたいな、そんな風に話し合えるのがいいのかなって思ったりします。
もう一つ、選べる自由があるっていう風に思ったタイトルの中で、こんなテーマもあるかなと思ったのは、
例えばですね、少しずつ思考の考え方が分かっていった時に、私もそうでしたけど、
自分の生き方は、私の認識している範囲では、すごく自律的に生きてきた。
人のことを頼りすぎることもなく、自分でできることをやりきってきた、
っていうことがあったとしてですね。
だけど、自分の中に頼りない人とか、自分じゃできないっていう、そういう人を作っているとか、
人生に前向きじゃないとか、そういう思いの人がいるっていうのは、
つまり、私の中に何もしたくない自分とか、人生に前向きじゃない自分っていうのがいるっていうことなのかなって、
分かり始めた時にですね、私たちって人によって、それをすぐに受け取れないこともありますよね。
生きているこれまでの原動力が、誰かを反面強視にしたり、ああいう人にはならないぞって思って生きてきているので、
なんか、この世の中でも、エネルギーの原動力が、火だったところから電気に変わって、って変わる時には大きな変革のように、
そのエネルギーの元が変わるって大きなことで、勇気がいることなんですよね。
なんか、すごいこう、思考のことを講師としてもお話ししながら、自分も自分で見直していって思うんですけど、
自分の思いを変えていきたくて、私たちって、多分思考を学んでいただくことが多いと思うんですけど、
自分の思いを変えていけるのって、やっぱり自分自身でしかないんですよね。
新しい考え方を持ってみようかなって、思えるか思えないかって。
で、なんで、なんか、私の中の隠れた思いに、前向きじゃないとか、頑張りたくないとか、誰かに頼りたいとか、
そういう、自分はそういう振る舞いを今までしてこなかったと思うっていう、なんかこう、正義的な思いがあったとしても、
その、もしかしたら自分の中に隠れた、後ろ向きな思いがあるのかもなーっていうふうに思ってみるには勇気がいるし、
そして同時にだから、選べることですよね。
なんか、どっちも悪いわけじゃないと思うんですよね。
なんか、その、新しい考え方を受け取りづらい時っていうのは、それだけ自分が頑張ってきたことでもあると思うんですよね。
反面教師だったとしても、思考の考え方では反面教師ってよろしくないんですけど、
でも、だとしても、やっぱりそこまで自分がすごくそうやって頑張ってきたってことがあれば、
なんか、これまでの自分を否定されるような気がして、受け取りづらくなっちゃうことありますよね。
で、なんか、私たちは選べるんですよね。
あの、例えばお母さん、お父さんを怒り続けている世界も選べるし、
誰かのせいにし続ける人生を別に選んでも悪いことではないと思うんですよね。
で、誰かを反面教師にし続ける人生もダメなわけではない。
でも、もし変えてみたいと思うとしたら、変えてみる勇気を持つことがきっと大事で、
あ、もしかしたら私の中にそういう隠れた思いがあったのかもなーって思い始められると、
また出てくることがあるかな。
でもなんか、それが選べることじゃなくて、
そっちに行かなきゃいけないの?
親の愛があったって思わなきゃいけないの?みたいな。
なんか、そういう気持ちになっちゃうと、やさぐれってしまいますよね。
とか、抵抗がずっと変わらないとか。
だから、私たちにはいつでも選べる自由があるということを忘れないでいただきたいなって思います。
私も数年前まで、誰かのせいにし続けてたし、
志向の学校の話に出会って、今までの自分の頑張りを否定された気持ちになっちゃったこともあるかもしれないですけど、
でも、別にその自分でいることもダメなことではきっとなくて、
それでも生きることはできるし、
なんか、それがダメなことじゃない。
だけれど、自分が自分にどんな未来を渡したいかなって思ったときに、
もうこの思いは必要ないよねって、選ぶこともできる。
すごく思うし、講座ではお伝えしているのは、
例えば、反面教師で頑張ってきた自分とか、そういうことって、
でも私の中に隠れた誰かやって、とか、そういう怠けたい気持ちとか、
後ろ向きな気持ちとか、怠慢な気持ちとか、あったのかなって思って、
思いを変えてみれたときにですね。
今まで頑張ってきた自分の、そういうエネルギーっていうのは不要だったのか、
全くないことになっちゃうのかって言ったら、そんなことはなくて、
それは誰かの気持ちを分かれる資産になりますよね。
昔、由紀先生に言っていただいて、
私は今、講師活動をしているからよりかもわかんないですけど、すごく思います。
例えば、うつの家族を持っている人だったら、
あ、なんかどうしてこうなんだろうって思ってきた思いとか、
自分はこんなにエネルギー出しているのになんでみたいな、
そういうこう、なんかもどかしい思いっていうことにも、
全く同じじゃなかったとしても気持ちはわかるし、
私は病気を再手術とかしてましたけれども、
再手術に迫られる恐怖みたいな、
その病気の程度によってその緊迫さは違うかもしれないですけれど、
何も経験していなかった頃よりは、
きっと病院の先生にどうか判定してもらうまでは、
家にいても生きた心地がしないなみたいな、
そういう思いをわかることができたりする、
同じような経験をしている人に。
でもじゃあこれからも、
その病気に対して起こっている思いとか、
家族に対して起こってきた思いとかを、
持ち続けたいのかどうなのかは選べるし、
持ち続けなくていいんだっていう、
納得した答えがわかったら思いが変わるっていうよりは、
私の幸せのために、
私が思いを変えてみようって思えるから、
見えてくることもあると思うんですよね。
なんで、
でも私たちには選べる自由があるということを、
忘れないでいただけたら嬉しいなと思いました。