私たちって普段、いろんなことを実は本当は感じているんだけれど、いちいち感じてたら前に進まないからないことにしてる思いとか、もうすっかり諦めきってる思いっていっぱいあるんですよね。
で、なんか、もうこの人ってこういう人だししょうがないよねとか、なんかもういちいちイライラするよりも、私がやった方が楽だしとか、そんな風にないことにしてる思いがいっぱいあるんですけれども、
でも思いが現実化しているわけなので、じゃあ私はどんなことを感じている、どんなことを思っているのかなっていうのを言葉にしましょうっていう話があるんですけれども、
それをじゃあ書き出しと言っていて、書き出しましょうってね。で、書き出しましょうって言われてるんだけど、私全然書き出せないんだよね。
私は母、お母さん、自分のお母さんに対してあんまりいい思いばっかりじゃないっていうことがよくわかってきた。だから母に対して書き出しをしたいんだけれど、書き出せてないんだよね。
書き出す時間を取りたいと思ってるんだけれど、夜寝る前になると疲れちゃって、寝ちゃって書き出せないんだよねっていう。
で、こういう時にですね、言葉を変えたらほうがいいかなと思っていて、書き出せてないこと、書き出しができていないことに対して自分をすごく責める必要ってないかなと思うんですけれども、
でもこれってちょっと言葉を変えるとですよ、私は書き出したいって思っているのに書き出せないんだよね。じゃないですか。
なんか、怒っちゃダメってわかってるのに怒っちゃうんだよねとか怒りが止められないんですよ。自分を責めるのを止められないんですよ。
私は自分を責めるのを止めたいのに止められないんだよね、みたいなことが詳しく言うと起きてるわけなんですけど、でもこれって本当じゃないって考えてみてほしいんですよ。
本音は100%自分の思いが現実になってないじゃないですか。書き出したいと思ってるんだけど書き出せないって。
だから、できないっていうこのキャントじゃなくて、Don't wantっていうか、したくないことなんですよね。
だから書き出せないんじゃなくて、書き出したくないんだなって。夜寝ちゃうっていうのも、夜は書き出したくないんだなって。
怒りが止められない、怒りを止めたくないんだなって。自分を責めちゃう、自分責めをやめたくないんだなって。
そうやって自分の本音に気づくのって大事かなと思っていて、本当は私は、ちょっとここ書き出しばっかり例に出しちゃってますけど、本当は私はお母さんについて書き出ししたいと思ってるのに書き出せない。
本当じゃなくて、それは1%くらいの健在的な自分っていうのが、健在意識が書き出したいとは思っている。
だけれども、現実に今日も昨日も一昨日も書き出せてないということは、あ、私書き出したくないんだなーって認めてあげる。
で、そうやって気づいたら、今度はじゃあ何したらいいかなっていう、まずその思いを認めてあげるだけで十分大事かと思うんですけど、あ、私書き出したくないんだね。
でもじゃあ本当にこれを変えていきたかったら、大事なのは、なんでっていうのを自分に聞いてあげることだと思うんですよね。
なんで私書き出したくないの?なんで私怒りを止めたくないの?ぶつけたいの?なんで私自分責めをやめたくないの?
そうやって自分に聞いてあげて、その理由、言い訳を自分が聞いてあげるっていうのをぜひやっていただきたいなってお話することがあるんですよね。
でもこれってこの言葉を直さないと、それが自分の本音だって気づけなかったりする。
なんで、そうですね。
だから本当は働きたいのに、あの、面接とかいろいろしてるのに働けないんですよ。
もう働きたくないって考えてみた方がいいですよね。
本当は誰かと付き合いしたいんだけれど、誰とも付き合えない。なかなか関係が深まらない。
っていうことは、付き合いたくない、関係を深めたくない私がいるって考えてみる。
それはなんで?
そういうふうにわかると、この自分の本当にその現実を作り続けている理由が見えてくるんだと思うんですよね。
そんなふうに考えてみていただければなと思います。
でもちょっと今日書き出しっていうのを例にしたので、こういうことってよくあるかなーみたいな話させていただくと、
例えば書き出せないっていうことは、私書き出したくないんだ。
じゃあなんで?ですよね。
なんで?って思った時に、結構私たちはですね、誰かにやってもらいたいっていう子供の心?
誰でも自分の中に6歳児ぐらいの、本当に小1ぐらいの子供っぽい自分がいるよって考えてみていただくと、
書き出せないっていうのは、結構誰かにやってもらいたいって思いが隠れていることも多いですね。
だから自分の思いを自分で聞いてあげるって、子供心の私たちって結構嫌なんですよ。
今このお話ししながらお聞きしてるみたいに、誰かに書き出したくないんですね。
それじゃあもしかしたら書き出したくないのかもですね。
なんで書き出したくないんだと思います?って聞いてほしいんですよ。
そうやって自分で自分のことをやるよりも、誰かにやってもらいたい。
誰かに私の思いを言葉にしてもらいたい。
誰かに聞いてほしい。
そういうちょっと大げさに言うと依存的な思いが結構あって、
でもその、私たち大人だからそのまま出すのは恥ずかしいので、
自分の中で大人な理由がくっついて、
あ、私なんとか書き出せないんだよね。やりたいとは思っているんだけど、みたいな。
そういうことになってる渋滞って結構あるかなって思います。
でも、この依存の思いって良い悪いじゃないから別にダメじゃないかもしれないんですけど、
でも結局自分の中にそういう実は依存的な思いがあるとしますよね。
そうすると、じゃあ自分の中には誰かにやってほしい、
誰かに自分で自分のことをやるよりも誰かを頼りたいって思いがいっぱいあるわけですよね。
そうすると、じゃあどういう人が周りに現れると思います?
なんかシンキングライムみたいな。
はい。依存的な人が周りに現れますよね。
誰かやって、私お金払ったんだからここまでやってくれるでしょ?とか。
なんかその関係ない範囲まで。
全部教えてくれるでしょ?とか。
あと何でしょうね。
お母さんが何でもやってよ!とか。
お姉ちゃんが何でもやってよ!とか。
自分でできることなのに誰かにやって!っていう、
そういう依存的な人を周りに作り出しちゃうから、やめたいですよね。
そうしたら、どんなことでもこの世界は私が作ってる100%私が作っていて、
よく言うんですけどね。
ご主人にはご主人の思考があるわけじゃないんですよね。
妹さんには妹さんの思考があるってわけでもない。
100%自分で考えていく。
ので、私からしか変わらないんですよ。
なので、あ、私書き出したくないんだね。
なんで?誰かにやってほしいんだ。
誰かにやってほしいって思いがあって書き出したくなかったんだね。
そしたら自分が決めてるようでも、そりゃ書き出せない現実がやってくるよね。
忙しさがやってきたり、急に眠くなるよね。
じゃあどうする?
でもこうやってると依存的な人が周りに現れちゃうよね。
それもしやめていきたいなら、私から変えていった方がいいから。
じゃあ私から変える?私が私の思い聞いてあげる。
私がやってあげるっていう気持ちで取り組んでみようかみたいな。
そういうふうに、そういう本音をつかんで決められると、びっくりするほど時間がちゃんとできるんですよね。
よくね、時間がないって嘘って言うんですけれども、
私も時間がなくてって言い訳する長襲犯でしたので、
今もやりがちかもしれないですけど、特に昔そうだったなってよく思います。
だから自分責めもしてましたしね。
今考えると不毛ですよね。
自分の本音に気づかないで、時間がなくてって言いながら、
本当は時間をとってこれをやりたいのに、これをやりたいのにって言って朝起きて、
やれなかった、なんでやれないんだ、みたいな自分を責める。
本当そういうループだったんですけど、子供っぽい自分の本音に気づくってすごく大事。
意外とそう決められると、あれ?時間ができるってことあるんですよ。
時間がないって嘘っていう話は、
ドラマとかを例に出されると、よく私も確かにって思うんですよ。
っていうのは何かっていうと、
私たちって夢中になっちゃうドラマとか、漫画とか、アニメとか、映画とか、
何でしょうね、人によってあると思うんですけど、
高校野球好きな方とかは見始めたら、サッカーとかもそうですかね。
サッカーとかもそうですよね。
時差があってもこの大会は絶対見たいとかいう時って、朝3時半とかに起きて見たりするじゃないですか。
ドラマも、明日会社だっていうのがわかってるのに、2時半ぐらいまで見ちゃうとかありますよね。
なので、本当にこの時間がないって嘘なんですよ。
私たちは、やりたいことは時間がなくても何とか作り出してやりますから。
なので、実感とか何か、大げさに言ったらそれも言い訳っていうことなので、あまり言い訳しないで、
私は、どうしてそれに時間を取りたくないの?
なんでそれやりたくないの?っていう、一回本音をつかんであげるのって大事かなって思います。
だから他の例だったら、
最近、兄弟がいる豊かさを知るためのお話会みたいな、そういうのをこの学校オンラインっていうところでやらせてもらったんですけれど、
これはまたどっかでお話ししたいんですが、
例えば、兄弟がふなかとかありますよね。
例えば、自分はお姉ちゃんと妹と仲良しだとしましょう。
お姉ちゃんと妹がもっと仲良かったらいいのに。
っていうふうにも思いますが、
それって、それがそうなってないとしたら、仲良くしてほしくない理由が私の中にあるとしたら、とかね。
考えてみれるといいですよね。
ギリのお父さんと自分の旦那さんが仲悪かったりしたら、
それを仲悪くさせていたい理由?
ギリのお父さん。それでもいいですし、
自分のお父さんとご主人が仲悪いとかとしたら、仲悪くさせたい理由は何なのかな?
本当は仲良くしてほしいんだけど仲良くなってない。
100%じゃないですもんね。
だから、100%って考えてみるとしたら、私がそうしたいとしたら、じゃあなんで?
っていうのを考えてみていただくのが、
1つ自分の思いをつかんでいくヒントになるかなって思います。
で、この時に、なんていうのかな?
なんか、大人の自分が考えるとわかりづらいですよね。
え、なんでだろう?みたいな。
でも、子供心の私たち、6歳児までの私たちって、
ものすごい感情優先で、だからそんな理屈じゃないんですよ。
で、感情優先でなんです。
なんかこう、欲に忠実っていうか。
だから、なんか私この話で今自分に浮かんだ例は、
例えば、私の人生って入隊員することが多かったんですよね。
で、本当は健康でいたいのに、再手術で入院する現実が起きる。
なんで?ですよね。
でもこれも、本当は健康でいたいっていうのは、
悲しいことに1%ぐらいっていうことですよね。
多くても5%。
現在意識。
でも、また入院するのかとか、また大学病院か、みたいな。
そういう現実がやってくるとしたら、
健康になりたくないわけですよね。困ったことに。
じゃあなんで?
普通の自分で考えると意味わかんないんですけど、
でも子供心の自分って、もっと子供っぽい、なんか欲に忠実なんですね。
やっぱり私たちって、親に愛されたいって思いがいっぱいあります。
十分愛されてるからここにいるんだけど、
勘違いしちゃうんですよね。
子供心の愛っていうのは、何でもやってくれるのが愛。
何でも言うこと聞いてくれるのが愛。
だけど、親の愛っていうのは、自立を促す愛だったりするので、
子供心には親の愛がわからないから、もっともっとってなっちゃう。
減っちゃったような気がして。
赤ちゃんの頃と違うみたいな。
健康で痛くない私がいるとしたらなんで?
それも、健康で痛くない病院に通いたい。
通いたいって私がいる。なんで?って考えてみると、
例えば私3姉妹の長女ですけど、
手術、入担院ってなったら、私がめちゃくちゃ優先的に構ってもらえますよね。
親に。
例えばそういうことが目的っていうことですよね。
なんで、こういう本音に気づくと、不思議とそれをやめようって思えたりして、
あっさり状態が変わるみたいなことってあると思うんですよね。
なんで、こういう私たちの率直に叶えたい思いっていうのがいろいろあるから、
誰かに書き出しして欲しいとか、誰かに聞いて欲しいみたいに、
そういう自分の本音に気づいていただけるといいなと思います。
最後に何か思いついた例をもう一個だけ言うと、