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生物学者と書店員のインターネットラジオ、本の虫のススメ。
本を偏愛する生物学者の椿と、書店員の佐藤が、本にまつわるあれやこれやをゆるっとお届けします。
今日も始まりました、本の虫のススメ。なんと、今回は、50回!
わー!おめでとうございます!
すごいよね。本当にありがとうございます。すごい。ほんとすごい。ジガジさん。
ジガジさん、50回まで聞いてくださっている方、本当にありがとうございます。
いやー、ありがたいし、こんなに続けられるともね。本当にね。
あんまり、なんやろう、続けられないとも思ってなかったけど。うんうん。
いざ続けてみると、なんかこう、すごいなーみたいな。
考えが深い。考えを持っちゃうけど。
引き続き、毎週また楽しみにしていただければと思います。
はい、そうですね。毎週配信っていうのもきっとね、楽しんでいただけてるというか、習慣の中にして、入れてもらっている理由かなとも思うので、
できるだけ、できる限り、やっていきたいと思っております。
で、50回の今回はね、またあれですよ、最近何読んだ?っていう。
やっぱ最近読んだ本の方が覚えてるし、なんか感情も新鮮だから。
そうやね、お伝えしやすい。
私、最近2つ小説読んだんですけど、どっちも、なんていうか、ちょっと切ないというか、痛い話。
痛いっていうのは、痛々しいの痛いじゃなくて、ちょっと心が痛い話っていうものがあるので、
あんまりこう、ハッピーハッピーっていう話を求めてる方にお勧めできないんですけど、でも素晴らしい小説だなと思ったので、紹介したいと思います。
1冊目が、永遠の庭っていう小説で、小川意斗さんが書かれてる本です。
舞台がね、なんか最初一見やから物語が始まるんですけど、なんかすごい不思議な感じで、
主人公が女の子なんだけど、目が見えへんねんな。
で、まず目が見えへんっていう段階で、主人公がさ、読者ってさ、その情報がこう、だいぶ狭まるやんか。入ってくる情報が。
で、そういう状態やねんけど、その主人公の女の子が戸羽ちゃんって言うんやけど、戸羽ちゃんが家から一歩も出へんねん。
ずーっと物心ついてから。
で、お母さんと二人で住んでて、お母さんも家の外に全然出ないっていう。
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で、なんか毎週水曜日に必要なものとかが届けられるみたいな、ちょっと不思議な感じのところから物語が始まって、
で、だんだんちょっといろんなことが深刻になっていくので、
なんだろうな、辛い物語読みたくないっていう人は、やめたほうがいいと思うんですけど、
結局その戸羽ちゃんは、辛い話もあるけれども、バッドエンドじゃないというか、救いがある物語ではあるので、安心してその手は読んでもらえたらなって思うんですけど。
この本の魅力は、なんやろな、そのこの戸羽ちゃんっていう子の描かれ方が、すごい心が美しい子なんですよね。
だからその子が見てる限定的な世界、家の中っていう、しかも目が見えないっていう、
で、そこにちょっとどっぷりとはまってるところかなって思うんですよね。
ちょっと言語化するのがすごく難しいんですけど、ぜひ読んでほしいなと思う本ですね。
なるほど。舞台は名前もあれだけど、日本のどっかの家庭っていうことなの?
そうですね。一軒家が舞台で、タイトルにもなってる戸羽の庭っていう、その庭付きの一軒家。
で、庭とその一軒家の中だけで暮らしてるんやけど、だんだんなんかちょっとそのお母さんとの幸せな生活にほころびが出始めて、
だんだんそれが崩壊していって、そして大きな崩壊がその後に、みたいな感じの物語。
連鎖的にというか、波及していくみたいな。
そうですね。ずっとお城で暮らしてるっていう本を何回か前に紹介したことがあるんですけど、
それとちょっと全然系統は違うけど、しかし内容があるなと思って。
読者に示される情報が少なくて、謎が多い始まり方。
だけどなんか不穏な感じが、幸せな感じと不穏な感じが両方両立してる、なんかこうザワザワする感じというか。
なるほど。
がある。そういう意味で、戸羽の庭は結構その本の表紙とかめちゃくちゃふわーっとしてて、
なんかすごい、温かくて幸せそうな、ハッピーな話みたいな見た目なんですけど、結構厳しい状況も出てくるので、注意しつつ楽しんでもらえたらなと思います。
なるほど。タイミングがありそうですけど、タイミングがね精神的に落ち着いてるとか。
そうですね。その方がいいと思う。
人はぜひって感じですね。
はい、ぜひぜひ。
で、もう一個ちょっとその流れで、心が痛む、切ないっていうジャンルで紹介させてもらいたい本があるんですけど、
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これは一応ジャンルとしては児童書になって、2017年の読書感想文の課題図書に選ばれてるんですけど、
タイトルがホイッパーウィル川の伝説っていう、
ホイッパーウィル?
うん、ホイッパーウィルっていう川の伝説っていうタイトルの本ですね。
なんかあの永遠の庭とちょっと通ずるところがあって、なんとなく幻想的な、なんか白昼夢を見てるような世界観が特徴的なんですけど、
物語の最初からシビアな設定で、姉妹とお父さん3人で暮らしてるんやけど、お母さんがいない。
なんでいないかっていうと、本当に急にお母さんが死んでしまったと。
で、そこからまだ立ち直りきれてない、その父と家族がいるんだけど、
その後にまた大きなちょっと取り返しがつかないような出来事が起こって、そしてっていうような話なんですね。
で、お母さんが亡くなってるっていうところからもあるように、結構人の命とか生き死にとか魂っていうものって何だろうみたいな、
そういう人間の根源的な問いを考えさせられる部分もありつつ、
そのホイッパーウィル川っていうのが、自然豊かな森の中にある、そういうところが舞台になってるんですけど、
その森の中で生きる人たちとか動物たちとか、それがすごくありありと、本当にその場にいるかのように臨場感があるように描かれてて、
で、その動物たちとなんかこうちょっと魂の交流があるというか、
ちょっとネタバレにならない範囲で言うとこういう感じなんですけど、難しいよね、さじ加減がね。
だからなんとなくちょっと幻想的なものであったり美しいもの、だけど切ないものっていうような話を好む方にはすごいハマる話じゃないかなって思います。
なかなかあれだもんね、その文学作品として切なさとか悲しさって結構やっぱ美しさに消化されたりする部分があるから、
なんかその感情移入しすぎちゃうと辛いところもあるかもしれないけど、それ自体を楽しむっていうのもあるよね。
なんかそういう切なさみたいなものって取扱いを間違えるとすごい軽いものになってしまったりとかすると思うんやけど、
都合がいい話になっちゃったりとか、チンプになっちゃったりとかね、する話だと思うんですけど、
とわの庭とホイッパーウィル側の伝説に関しては本当に深みがある話なので、すごくお勧めできますね。
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というような感じですけれども、椿さんはどうですか?最近出会った面白い本はありますか?
最近すごい気になってたけど買ってなかった本を買って読んだんですよ。とはいえすごい最近、最近っていうのかな?出た本で、
2023年9月の末、去年の9月ですね、に出た本で、
ギョルゲ・ササルマン、方形の円。方形の円、方形どんな感じ?
正方形の方に形で、円がサークル、丸いっていう円だから、タイトル自体がもうちょっと矛盾をはらんでるというか、不穏な感じもちょっとするようなタイトルなんだけど、
そのサブタイトルがあって、偽説都市生成論。偽説って偽りの説ね。
私が26回の時に、いろいろと私のこれまでの歩みというか、
お話しする中で、私エウサピアっていう会社を経営してるんですけど、それの名前の由来というか、元ネタになった本として紹介した、
イタロウ・カルビーノの見えない都市っていう本があるんですけれども、それにかなり似たというか、構成としては本当に酷似した本で、
でもこれはどっちかがそこ本というか、参考にしたっていうんじゃなくて、すごく面白いんだけど、同時期に本当に構想されて、全く独立に出された本だっていうことで、
その見えない都市がすごい私の好きな本っていうのもあって、存在は知ってたんだけど、読んだことがなくて、
これも9月にこれが出た時にも買って家に置いてたんだけど、私のタイミングが来たのかなっていう感じで、
年明けたぐらいの時に、ふっと目について、
タイミングやタイミングや。
で、こう4段ですよね。
見えない都市の回を聞いてくださった方なら、もしかしたら覚えてるかもしれないんですけれども、それとすごく本当に似た構成で、
その仮想都市、実際に存在するわけじゃない空想上の都市が36個の空想都市が、
多分でも、カルビーノの見えない都市もそんなに数としても変わらなかったんじゃないかなと、印象としては思うんだけど、
だから一つ一つの都市の描写っていうのはすごく短いんだけど、それをこう全部それぞれに具位というか、
含意みたいなものがあって、で、見えない都市との一番大きな違いは、あの見えない都市は全然仮想都市がこう、
断章として紡がれて一つの本になってるっていうところはもう、そっくりなんだけど、
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なんていうの章、一つの独立の章として紡がれて、それ全体で一つの物語になってるっていうところ以外は、
その枠組み以外は似てる部分もあるけど、結構似てなくって、
あの見えない都市は一人の旅人が全部の都市を巡って、そのそれぞれの都市を描写するっていう形なんだけど、
方形の円は全然そうではなくて、一つ一つ語り手も違って、その都市の成り立ちから崩壊までを描いたりとか、
なんか旅行者が無慈悲な感じで迷い込んでしまったり、迷い込んでしまって、ちょっと無慈悲なエンディングにお迎えたりとか、
そこにそれぞれの建物、建物というかその都市の建築的な特徴みたいのが、かなり方形の円の方が描き込まれてるんで、
それはなぜかというと、この作者ギョルゲササルマンはルーマニアの方なんだけど、
この方が元々、元々というか建築家の方なんですよね。だからその建築について結構語ってるというか、描写が多く盛れてて、そこにその多分だから、
私あんまり建築詳しくないので、組み切られてない具位もあったりとかするんだと思う。
でもこれ、最後の解説のところに書いてて、えーと、えーというかもうそうなんだと思ったんですけど、
この本が書かれて出版しようと思った当時、70年ぐらい、1970年ぐらいの頃って、
ルーマニアが社会主義の革命が吹き荒れていた時期で、
その出版界自体もその検閲とか、こんなの書いてヤバいんちゃうかっていう事故規制とかがすごいたくさんあって、
30何ペンある中の3分の1近い章がもう削除されちゃって、社会主義に反対というかするような内容だっていうのでされちゃって、
この本の特徴としてその一つ一つの章にその都市を象徴するような、ちょっとシンプル化したようなシンボリックなイラストが入ってるんだけど、
それも削除されたバージョンでしか最初は出版できなくて、で完全版は最初はフランス語だったかな、なんか違う言語版で出されたとか、
ちょっとね歴史に翻弄されたっていうような側面があったりする本で、でそういう背景もあってかこの日本語版の序文をその作者の
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ギョルゲ・ササルマン氏が書かれてるんやけど、そこに日本のその代表的な作家とか、星秀一とか小松佐強とか秩序康隆までを挙げてくれてたりとか、
その日本に対するその造形の深さっていうのもすごいなと思ったし、あとなんか言語感覚みたいのすごい感じるような文章もあったりして、
その文学っていうのはその言語にすごい依存した芸術だけど、その中の画の部分っていうのを、なんていうんだろうな独特のその視覚的な映画とか絵画とかみたいな芸術にはないその文学っていうの特有の障害っていうのがあるけど、
だからこそその翻訳の努力っていうのはすごく大変だし素晴らしいものだみたいなことを最初に書いてらして、なんかその日本語版の序文を書く方って結構あの海外文学ってある印象やけど、すごい熱烈にその翻訳の熱っていうのを感じて、
それですごい確かにそのドイツ語でもフランス語でもなくルーマニア語でこれあの書かれた文章なんだよね、だからその言語、日本語もだけどマイナー言語の文学っていうところですごい共鳴というか覚えたりして、
それで興味を持ってルーマニアってでも最近どっかで聞いたなって、違う本を思い出したんですよ、それであの読んだ本が斎藤哲長さん、千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話、知ってる?
知らない気がする、なんか結構売れた話題になった本らしいんやけど、これをもう表紙からインパクトがあるんですよ、本当にタイトルの通りの話で嘘みたいな話なんだけど、
この著者の斎藤哲長さんっていう方はそのタイトルの引きこもりっていうのがなんか引きこもりっぽいとか自虐的に言ったりとかじゃなくて本当のいわゆる引きこもりなんですよ、なのでそのルーマニアに行ったこともなければ海外に行ったこともないっていう方で、
大学生活って結構まあ自由青春みたいに言われがちだけど、そこにいなじめなくて、大学から就職活動ってまたそれも一つの大きな意向だと思うんですけど、そちらでまたその学生生活、学校で暮らすっていう生活に違和感を持ってたその部分がまた大きくなっちゃって破裂しちゃって、いわゆるその社会人になるっていうことができなかったっていう方なんですよね。
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だけどもともとすごいその小説とか映画とかがめちゃめちゃ好きで、引きこもり生活になった後、鬱になってしまって、鬱になると読書がやっぱりその能動的に手を動かして、ページを送って読んでいくっていうのが難しくなっちゃって、で、映画をめちゃめちゃ見たらしいんですよ。
映画だとつけたら、勝手にこう流れていくから見れたって、私は逆のタイプなんで、いろんな人がいるんだなと思ってそれは見てたんだけど、で、その時にルーマニア映画に出会って、で、その運命的な出会いを果たして、ちょっとそのあたりはすごく面白いくだりで、それもちょっとその言語的センスっていうところを掘り下げたような、
それが主題じゃない映画なんだけど、映画でそれでその斉藤哲長さんが著書の中で表現されてたのがルーマニア語の辞書で頭をぶっ叩かれたような感覚っておっしゃってて、なんかそういう映画らしくて、ちょっと私は人間があんまりたくさん出てくるものを見るっていうのが私自身は得意じゃないので、見ることはできないんですけど、ぜひ見れる人は見てほしいなと感じるような話でした。
で、それもう本当にもう、まずタイトルに引きこもりの俺がって言ってるじゃないですか。なかなかこうやって強い一人称だよね。結構それもあってすごい印象に残っててタイトルというか表紙もすごいピーキーというかかなり尖った感じのイラストだっていうのもあって、
結構この俺っていうのの一人称にもその込められた意味とかも最後の方に書かれたりしてて、最初はその仮面ライダーデンウォーとかさ見てた?
いや、見てない。
そういうのとかで、俺参上とか言うね。言う言葉があったりするのよ。
だから俺っていうのはかっこいい強いの象徴だったっていうので、自分がそうではないっていうのの投影として子供の頃は俺っていうのを使ってたっていうのがあって、でもそのだんだん大人になって、周りの中と自分がその男性性がちょっと
ある意味ちょっと凶暴性じゃないけどに結びついたような、なんか俺っていう言葉にそういうところを見出してしまって、私っていうようになったけど、でもやっぱり一周回って、そのLGBTの方とかの話に、その一人称の問題から彼は言語の部分から興味を持っていったっていうこともあったりして、
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それでその方が呼んだトランスジェンダーの方で、FTM、女性。
FTM、まあそうやない。フィーメルトゥーメン。
うん。いわゆるFTMっていう、フィーメルトゥーメイル。
女性として体は生まれたけど心は男性の人ってことやね。
そうそう。その方が、その能動的にそのいろんな一人称がある日本語という言葉の中で、俺っていう言葉を選び取ったみたいなエッセイを読まったらしくて、それでその中で、そうか日本語っていうのはそのいろんな一人称の表現がある中で、こう選び取るっていうことができて、そこになんかその
希望を託す人もいて、だから俺っていう言葉をただこう強さ、マッチョみたいなんじゃなくて、その自分はその男性性を
なんて言ったらいいんだろう、獲得してというか、背負って生きていくんだ、いけるんだこれからはってこういう覚悟の一人称としてもこう選び取ったりできるものだっていう、だからその俺っていうのがただそのミソジニックなというか、その
ミソジニックってなんだっけ、えーとなんか女性差別的主義的なその側面色合いだけじゃなくて、そういう将来、
将来というかいろんな側面があるんだなっていうところを感じられて、であの一周回って俺と自分、一人称が戻ってきたみたいなこともあったりして、そういろんな施策が散りばめられてて、
それは散らかってるという言い方もできるかもしれないんだけれど、それがすごいなんかもうデッドコースターに乗るみたいに刺激的ですごく面白くて、
ルーマニア語は一人称が一つしかないらしいんだよね、っていうところから始まってそういう話に行ったりとか、私がすごいガツンと殴られたのは、
結構ね、そのもともとその映画が好きでその引きこもってる時に映画の批評をその雑誌に載せたりとかそういうことをあの始めたらしいんだけど、
それで他のというか映画、一般的な映画批評の話になった時に、金をもらわないと、報酬をもらわないと書かないとか、
大体雑誌とかにこっちに書いてくださいねって言われないと書かないとか、そういうのは美学というか自分のそのものへのその映画そのものへの愛とか美学とかとは反してるんじゃないかってすごい思ったっていうようなところとかがあって、
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なんかその部分、自分もやっぱりその科学者として生きていく中で、
つばきさん自身が?
そうです。感じてる部分でもあったから、
なるほど。
そこにやっぱりその本当にその抹消的なというか、
1個の作品、1個の論文を仕上げる、批判的に見るみたいなところで、もっと全体の大きな世界像みたいなのを作ってそれに対してどうこうっていうのと矛盾することで、なかなかそれがそのお金あげますよ、じゃあこれの対価としてこれを作りますよっていうのでやっていくとなんか到達できない部分だなっていう認識がすごくあって、
それが嫌っていうのもあって、ちょっと科学っていう、科学者という職業からはちょっと距離を置こうと思ったっていうのもあって、
まあでも今会社でやってるのが、じゃあ自分のその美学に沿うことができてるかって言うとそうでもないなとか、
なんかいろいろ本当に考えさせられたりした。
一方でその、やっぱりその経済的に自立っていうのはしないとなかなか厳しいっていうところもあったりとかして、
でもこういうふうに本当に、すごいこの斎藤さんが本当にすごくて、ルーマニア語の辞書ってないんですよ本当に、日本ルーマニアみたいなのって、すごい高い専門書みたいのがあるらしいんだけど、
どうやって学んだかっていうと、フェイスブックでもう手当たり次第ルーマニアの方に友達申請して、
なんか私は日本人でルーマニアに興味があって、ルーマニア語学びたいので友達になってほしいみたいなのをして、
すごいよね、それで生きたルーマニア語みたいのをSNSとか、あとはなんかその、
へーと思って面白かったんだけど、ネットフリックスのその説明の概要欄とかで、あれってルーマニア語とかも選べるらしくって、
で、あと字幕とかも、そこを単に比べていって、自分でもう本当に独学で、もう海外にも行ったことない方なんで、学ばれてっていう方なんだよね。
そういうのってでも本当にそれやってる期間ってお給料というか、もう稼いでるお金っていう面ではゼロやんか、
そのでもど真ん中で生きてきてっていう人のそのパワー熱意って本当にすごくて、読んでると本当にクラクラしてきちゃうみたいなね。
で、自分はやっぱ振り返っちゃうんだよね。
すごい豊かだなと思って、そういう人がいる社会って本当に、
その人は、例えば文学も、英語とかやと母国語が英語じゃない人とかでも文学作品書いたりしてるやんか、日本語ってそういうのが少ないっていうような話をされてたり、
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で、それはマイナー言語の多分宿命なんだけど、ルーマニア語もそうで、でもその過程の中ですごい豊かなものが生まれてくるんじゃないかっていうので、
日系ルーマニア語っていうのを充実したいっていうふうにないとーさんはおっしゃってて、いや本当にすごいんだよ。
言語的なその洞察というか、作品として昇華するにはっていうところの情熱は本当にすごい。
でもこれを、なんだろうな、そのお金っていう価値に置き換えた時にほぼゼロになるっていうのが、もうなんか自分の中でちょっと本当に混乱してきちゃって、本当に途中からあんまりにすごくて。
で、ルーマニアもその海外文学は売れるらしいんやけど、あんまりルーマニア語の本って売れないらしくって。
まああんまり聞かないかもしれないね。
国内でも。
あ、そうなんや。
それってへぇーって思ったんやけど、だから専業の作家っていうのがいないの。
わー、そうなんや。
全然だから違う状況でもあって、なんかすごいねその、だから芸術的な活動ってなかなかお金に結びつきにくいっていうのはわかってたつもりだけど、
本当にこういう人がいて、こういう本を出してくれるっていうのはもう本当に豊かさにほかならないからさ。
だけどその興味の芽を積むような基本的な構造に社会がなっちゃってるっていうのを改めてすごい考えたり、
自分のその比較するのもおこがましいけど、考えてきたこととかやってきたこととかを投影したりして感じた。
なるほどねー。
若いんですよ、彼がまたしかも。まだ30過ぎぐらい。
あー、若い。
すごい。だからその若さ特有の、なんていうの?
熱みたいな。パワーみたいな。
そうそうそうそう。熱とか、とがりっぷりとかのもあって、
文章もまたなんかちょっとね、あの若い人に読んでほしいと思ったのかなと勝手に思ってるんだけど、
一人称もオレだし、ちょっとネットスラングっぽいのが入ったりとか。
あーそうなんや。
すごいね、面白い。
ぜひ、これはみんなにすすめたい本ですね。
なるほど。
引きこもりで、かつ彼クローン病っていう難病にもかかってしまってて、
なので、物理的にいろんなとこに行けなくなってしまったっていうのもあって、
それはその、ここ数年でルーマニア語の勉強を始めてからのことらしいんだけど、
そういう方でも、現地に行かずして、ルーマニア語の作家になるなんて、普通ありえないと思えるようなことを実現してたりとか、
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こういう状況だからこれはできないって、自分の可能性を区切らないっていうののパワー。
ある意味、心が落ち込んじゃってる人には、自分ってやっぱり全然ダメじゃんって思っちゃうかもしれないぐらいパワフルな本なので、
ぜひぜひ読んでほしいですね。
なるほど。
今日はすごい多様な本を紹介しましたね。
本当に。
一言で言うと、心に刺さる本っていう感じなんですかね。
確かにそうだね。
じゃあ、また来週も楽しみにしていただけると幸いです。
良い読書体験を!
良い読書体験を!
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