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生物学者と書店員のインターネットラジオ、本の虫のススメ。
本を偏愛する生物学者の椿と書店員の佐藤が、本にまつわるあれやこれをゆるっとお届けします。
なんか、椿さん、めっちゃなんかすごい想定が素晴らしい、あの、図録ですかね、それ。何か持ってらっしゃいますけど。
図録です。
それは何ですか?
これはね、もう終わっちゃったんですけど。
終わっちゃったんかい。あの、展示会がね。
終わってもう展覧会か。
そうなのよ。そうなので、ちょっと行きたいなっていう人は、神戸で次やるって言ってたかな。
じゃあ、神戸近くにお揃いの方は、関西圏の方は。
そうそうそう、あの、これ今後。
ごめんなさい。
いや、関東圏の人はごめんなさいなんです。
私自身も滑り込みで行ってきたんですけど、8月の終わりまで、東美術館で展示してたジョルジュ・デ・キリコ展に行ってきました。
すごいなんか、オレンジって言ったの?平行のなんかこう、表紙というか。
そうそうそうそう。
絵が載ってる感じの。
そうそう、で、何この箱押しじゃないけど。
箱押し、何て言うのやろうね、一部PP加工みたいな。
そうそう。
で、キリコの部分がちょっと凹んでる形になってるというか。
すごいね、凝った想定で。
しかもこれね、図録2種類あって、中身は一緒やねんけど、表紙が2種類あって。
金かかったんだ。
すごいよね、同じ展示会でさ。
ないね、こだわりというかもう。
いやー、すごい。
ね、フェチズムさえ感じる。
本当に。
作られた方の熱がこもってますね。
そう、で、私このジョルジュでキリコの絵が結構好きで。
で、絶対行きたいと思ってたんですけど、展示会あるあるで。
なんか、まだまだやってると思ってたら、もう最終集で。
あるねー、あるある。
何個展示会逃したことか。
そうやね、そうやね。
それで滑り込みで、でもこれは絶対に行かなあかんと思って行ってきました。
いいですね。
すっごい熱い日やった。
で、よかったのか。
じゃあまあ、中で涼めたから。
それは言っちゃいいかもしれない。
でさ、上野ってさ、都美術館ちょっと遠いやん。
遠いね、ちょっと離れたところにあるよね。
そうやね、科学とか、国立科学博物館とか私よく行くんですけど。
上野駅から国立科学博物館までの、まだ倍ぐらい?
そうね、あるよね。
暑い日やからすごい大変だよな。
暑いね、緑あるけどね、一応上野の公園には。
でもね、ちょっと8月やったからね。
暑いね。
でも報われました、めっちゃよかった。
で、キリコってご存知の方も多いかもしれないですけど、
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イタリアの絵画家で、20世紀初頭から結構長生きされたんで、
終わり頃、70年代くらいまでかな、活躍された画家で、
すごい特徴的なのが、ちょっとダリとかピカソとかを思わせるような、
ちょっと抽象っぽいような表現で、
彼が受賞してるのか、美術界が呼称したのか、どっちか私ちょっとわからないんですけど、
一般的には刑事状学絵画なんて呼ばれてるもので、
だから、メタフィジックスですね。
メタフィジックスって何ですか?
えっとね、なんか、刑事状学の和訳。
そもそもさ、刑事状学が私いまいちよくわかってへんけどさ、
どういう解釈なんでしょうか?
字しかわからへん。
えっとね、英語でメタフィジックスって言ったんやけど、
メタって超えて、何かを超えてみたいな意味。
メタバースみたいなね。
フィジックスって物理みたいな意味。
だから物理的には実体を超えたそのものの究極の意味みたいな。
もう多分めちゃめちゃざっくりやけど、探るみたいな分野というか。
アリストテレスが最初に言い出した言葉。
愛歴史のある。
そうそう。だからその中でいろんな人がいろんな使い方をして
変容されてきたものだとは思うんだけど。
で、そのデキリコの描く絵っていうのは刑事状絵画って呼ばれるようなもので、
だから彼の思う物事の本質を、物を具体的に写真みたいに忠実に描くっていうんじゃなくて、
その本質っていうのをえぐり出した絵画みたいな風に言われてるので、
だから結構20世紀の巨匠の距離みたいな風に言われたりする人なんだけど。
だからすごい特徴的な絵画がいっぱいあって。
でもデキリコの面白いところは、最初はそういう、最初というか本当に絵画を学み始めたのは
おそらくそのクラシックな技法を習得してからそのメタフィジカルな絵画を描き始めたと思うんやけど、
一回そのいわゆる古典的な絵画に立ち戻るんだよね。
で、その後またいわゆるデキリコといえばっていうようなメタフィジカルな。
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なんか何描いてるか分かるか分からないような面白い絵だね。
でもね結構精神的にこう、説明は難しいんやけど、感じるところがあるというか。
なんか騙し絵を見てるような気持ちになるかも。
そうかもしれない、確かに確かに。なんか本当に説明が難しいんだけど、感性にほんと訴える。
色使いとかも。すごい私は整理的に好きなんですよね。
でもすごい本当に細密な具象というか、そのものの写真みたいな絵もあるはあるよね。
そうそうそうそう。で、例えば私が好きな絵だとタニマの家具って呼ばれる。
家具って呼ばれる絵画がある。
これは家具って普通家の中にあるものやんか。それがドンとタニマなどの荒野みたいなところに置かれてる絵画なんだけど。
でも家具自体はまあまあまあ具象的に描かれてて、タニマもまあまあ具象的に描かれてるんだけど、だからその違和感がすごい際立ってて。
青空の下に家具が置いてある時点、なんか不思議な感じの印象をつけるね。
だからなんかそれで逆に、当たり前やけど家具って家の中にあるから家具なんやみたいな、本質がえぐりだかれるっていう。
なるほどね。
知らんけどね、そんなような。ちょっと違和感がだから多分、意図的にいろんなところに散りばめられてるんじゃないかな。
面白い。
あとなんか、絵的にすごい好きで、これはなんか、絵ハガキとかも何枚か買ってきちゃったんですけど、オデュッセウスの帰還っていう絵画も好きで。
なんか楽しくない。
なんか室内で、室内になんかカーペットみたいなのが敷いてあって、そのカーペットが水みたいになってて、その上で船を漕いでるオデュッセウスですかね、が描かれてるっていう。
なんかすごい引き込まれる不思議な絵で。
そうやんね。なんか冒険というか、この小さな船で漕ぎ出て家の中にでもいるみたいな、なんかね不思議な絵で。
すごい、で外の光景もさ、またなんか、これはどこなんやろうみたいな、窓から見えてる風景も。
窓から見える風景の外に神殿なんか、家なんかわかんないような不思議な建物が描かれてますね。
なんか冒険をしてるのに狭いっていうか、普通の小さな家の中にいるっていうのは、なんか皮肉なのか暗示なのかなんかわからないですけど、それも面白いな。
その中の河津じゃないけど、っていう意味があったりするのかどうなのか、なんか見てる人に解釈を引きつけてくる。
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あと楽しいんだよね、色合いとか。
すごいね、よくって好きなんですよね。
っていうのを見に行った後、無性に読みたくなった寸読があったんですよ。
ほうほうほうほう、寸読消化課。
そう、ついに消化して、これ寸読会を以前やったんですけど、そこで紹介してはいない寸読なんですけど、
でもなんかずっと前に気になるなと思って買って読んだ寸読本がこちら。
早川書房、ジョニー・オデルさんの何もしない。
なんか表紙がいいですね、想定が。
白字の想定の中に何もしないっていうコントだけがほとんど書かれてて。
あとはタイトル、タイトルじゃないや、著者の名前と役者さんと早川書房ってだけ。
だけやね、しかも早川書房と著者と役者の名前がすごいちっちゃく下の方に書かれてるから、
やっぱり何もしないって文字がどんって目に訴えてくれるような、スクリーンに何もしないって文字が書かれてる様子を思い浮かべてほしいんですけど、そんな感じがしますね。
どんってそれだけ出てくる。
せみをしまう。
何もしないって。
ただ私ちょっと手が多感症だからこういう表紙はぐっちゃんになっちゃうからね、それがちょっと悲しいわけ。
あーなるほど。
まあそれはどうでもいいんですけど。
結構文字が詰まってる良さそうな本ですね。
詰まってるかこれ、そうかもね。
結構詰まってると思う。
あーそうか。なんかちょっとね、文字が詰まってるほど得だと思うっていう。
わかるわかる。
謎の貧乏症みたいな。
今の出版のトレンドと真逆を。
真逆ですよね。
いくアレがあるからさ。
でこれ、デキリコ展行って無償に読みたくなって読み始めてびっくりしたんですけど、冒頭でジョルジュ・デキリコの。
言葉がすごーい。
なんか引き当ててるやん。
なんかさ、鳥肌立っちゃってさ。
そう、それのなんか引用されている言葉が。
非常の展開を試みたりする人物は時代遅れの存在となって、魚竜やマンモスのごとく地上から姿を消す運命にある。
つまり、非生産的ってされるような運動が、活動がどんどん受け入れられなくなってくるよっていう、まさに私たちが今直面しているような状況をデキリコが言ってたっていうような話から始まるところで。
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すごいね、なんか繋がってる、リンクしてるような。
すごいよね、だからなんか、私あんまりそういう絵画のバックグラウンドとか知らずに、あんま詳しくないので、好きだなって思ったと見てるだけなんですけど、でもなんか訴えかけるものがきっとあって、それがこう何か共鳴しあって、この本を読みたいってなったところに。
すごい鳥肌がちょっと立ったようなエピソード。
いや本当に本当に自分でもびっくりしちゃってさ、でこれがまためちゃくちゃ面白い本でさ、もうちょっともう読んで。
わかった、感想会しないといけない。
そうそうそうそうそうそう。
でこれタイトルなんで何がしたい?
何がしたい?
勢いが、勢いが。
なんで何もしないかっていうと、私たちが今住んでる世界って何もしないでいることがめちゃくちゃ難しい。
そうねー。
本当に生産的であれっていうような声もそうやし、でちょっと息抜きにと思ってスマホを眺めてもさ、あれしろこれしろっていうので、
SMSのプラットフォームとかでも、本当にその人が自分の核の部分で興味を持っていることっていうよりも、一瞬パッと目を引いてクリック率が上がる。
はいはいはい、そうねー。
そういうものばっかりが表示されるような、私たちの注意、私たちが持っている何かに向ける注意っていうもの自体が経済的価値を持って、それをいろんなものが奪い合ってるような状況。
だから何もしないでいるっていうのは意識しないと無理な状態になっていて、
そういう状況にあって、私たちはどう振る舞うべきかというか、どう振る舞えば豊かさというかが手に入るかっていうのを考察した。
なるほどねー、面白そうやなー。
めちゃくちゃ面白い。
面白い。
本当に共感するところがすごく多くて。
実は、私たち69回から71回にかけて、通称千葉ルー。
はいはいはい。
千葉からほとんど出ない行きこもりの俺が一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話を知っていった斉藤哲長さんに会って。
ゲスト会でね。
収録のために、哲長さんの根城であるコルトンというショッピングセンターに行って収録したんですよね。
そこで、哲長さんがそこの本屋さんの方と親しくされている関係もあって、哲長棚みたいなのがあるんですよ。
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そこにも実はジョニー・オーデルさんの何もしない置いてて。
えー!
それ私見てて、あー読んでないなと思って。哲長さんはそうだよね、これきっと何か概要を読んだだけでも共鳴しそうな内容だなとその時も思って帰ってきたんですよね。
だから私の中で読む機運は何となくどんどん高まりつつあって、それが何かできるこう見て、何故か爆発して読んで、やっぱりすごいめちゃくちゃいい本だったっていうすごいね。
驚き。
なるほどね。確かにな。
本当になんかつんどくはその読まれる時を待ってるんだなあというか。
もうパッとはまる瞬間っていうのがあるよね。
つんどくはどんどんすべき、すべきっていうのはあれですけど、していいと思うんですよね。
本当に自分の意識の隅っこに常にいてくれるし、そうしたら。
つんで読んでないことに罪悪感を覚える必要が全くないっていうことがわかりますよね。
ないないない、本当に本当に。もうそうなるとさ、もう家族みたいな感じじゃん。
一緒にいてくれる存在というか。
いざとなった時に出てきてこうすっと手を差し伸べたり、叱ってくれたり。
近似を与えてくれたりね。
そうそうそう、すごいね、もう本当にね。
いろいろやっぱりモヤモヤすること、皆さんあると思うので、
それが全部解決するとかいうのはありえない話ですけど、
ちょっと言語化されるとやっぱりスッキリするというか、
そうそうそうなんだよ、こういう風に思ってるのは私だけじゃないんだって思ったりとか、
できるとできるし、なんかこの今の社会のあり方に疲れたり疑問を覚えたりしている人は、
ぜひ読んでほしい本ですね。
なんか私もちょっと前の回で話したりしたんですけど、ちょっと去年から鬱を患っていて、
結構鬱になると自分を責めてしまうことが多いんですけど、
なんかその時にやっぱりその根っこにあるものって、
なんか社会とか人とかに対して役に立たないと自分に価値がないっていう風に思い込んでしまう部分が結構あると思うんですね。
でこれって鬱の方とか自分を責めやすい方に結構共通する特性なんじゃないか、
特性というか後から思い込んでしまったなんかいらない価値観なのかもしれないんですけど、
なんかでもそれで、
でちょっとこう、元気がある時に散歩でも行こうとか言って、
あのカーベリーで座ってぼーっとしたりするんですけど、
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なんかこの時間って、なんか何もしてないけど、
なんか何よりも素敵な大事ないい時間じゃないかなって。
まさにジョニー・オデルさんが書いてることを言ってる。
読むべき。
まさにその、自分がこの何もフェブにローズガーデン、なんか彼女の住んでるところの近くにあるバラ園で過ごすっていうところから始まるんだよ。
じゃあちょっとやっぱり通じるものがあるのかもしれないね。
でなんか今そういうさ、何もしない時間っていうのは逆にリフレッシュしてより生産的になるための時間じゃない?
そうやね、そうやね。
それ自体が豊か。
いや本当にそうそうそう、そうなんよね。
読まないといけないね、これはね。
なんかね、鬱になってしまって、気力が落ちてしまって、ベッドから起き上がれない日とかがあるんですよ。
でもなんかベッドから起き上がれずにいた時に、ふと思ったんやけど、
なんか私すごい肌に触れるものにこだわりがあるんですね。
なのですごいふかふかでもこもこで気持ちのいい毛布を愛用するんですけど、
なんかその毛布にくるまれて、なんか何もせずにぼーっとしてて、
何もせずにいられてもこもこの毛布でくるまってるこの時間って本当はめっちゃいい時間なんちゃうん?って思って。
いやその通りだよ、本当にそうそうそうそう。
なんか鬱になってしまうと何もできない、役に立てない、どうしよう自分は何をしてるんだろうとか焦ったりするんですけど、
いやちゃうちゃうちゃうって、この時間で実はすごい素晴らしい時間なんちゃうん?ってちょっと思えた時があって、
だから多分その本はそういうことが書いていたりするんやなって。
そうそうそうそう、まさに自分が何かの単位ではなくて、
その地域、世界というか、自分の身の回りのもの全体の中で、
ある意味相互依存的にあり続けるっていうこと自体が、
なんというか、その人間が短期間で定義した生産性とか以上に大事なことだっていう、
生き物としての人間というか、っていうところをよく書かれてる本で、
すごい勇気づけられるし、共感できる内容だしでした。
なるほどね。
それに関連して簡単になんですけど、思い出した本があって、
思い出したっていうか、これもまたつながりがあってさ。
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リンクしてるわけね。
そうそう、そこの中で、どこかアメリカの大学で、デレズウィッツさんが講演した内容をちょっと引用して書いてるのがあって、
名前が結構特徴的やん、ピーターさんとかと違うやん。
で、デレズウィッツさんってどこかで見たと思ったら、
2010何年かなに出た本で、この時に出た時すぐに買って読んだ本なんですけど、
2016年に、優秀なるヒプジたち、アメリカエリート教育の失敗に学ぶっていう本があって、
それの著者さんだったんです。
で、これもすごい良い本で、アメリカってついてるんですけど、
アメリカだけじゃなくて、もう今グローバル社会だからっていうのも大きいと思うんですけど、
全ての国のエリート教育が抱える問題っていうのを指摘した本で、
それがまた通じるところがあって、生産的であるべき、エリートが核あるべきっていうところが、
すごいエリートになっていく大学生たち。
大学生たちで、外から見たら何も欠けたところがない、すごく優秀な子どもたちが、
でもその生産性神話みたいなので、心がいかに蝕まれてるかっていうようなことを、
それだけじゃないんですけど、大学教育の問題とかが核にあって、
でも誰も幸せになってないよねみたいな話を書かれてる本で、
日本の大学生、遊びすぎとか、すぐに社会に出て役に立つような改革をみたいな話とか、
結構今あるやんか、文系学部廃止の議論とかさ、
でもそういう余白をなくした先にある社会ってこんな、
ディストピアみたいな、本当に怖いよね。
なんだなってその時もすごく思ったんですけど、
何もしない部分をどんどん削り取っていくっていうのが大学教育の現場でもすごいあって。
何もしないことって逆説的ではあるけど、実は生産的な行為でもあってさ、
そう言ってしまうと生産性が良いことが良いっていう議論になってしまいかねないからちょっと難しいんですけど。
生産性っていう言葉が、競技だとあれやけど、
公義に捉えて人生を豊かにするとか、そういう射程まで入れると、
本当に生産性を生む時間で何もしない。
それもそうやし、何もしてない時間にふと思いついたアイディアとか、
ちょっと失敗しちゃった実験とかが、すごい良い、実は生産的なものを生み出したりする。
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っていう意味でも、だからと言って、その生産性が優れてることだから良いって言いたいわけじゃないんですけど。
そこが難しい。転倒しがちやねん。
それこそ何もしないで、そのことは最初に結構触れられてて、
最初はそういう風に本当に何もしないっていうことは、
予期せぬ思いつきとかにも繋がるし、そういう意味でも良いよねみたいなところから始まったのが、
企業が結構それで、何週間のイントン生活、リトリートって英語で言うらしいんだけどさ、
リトリートをすることで社員の生産性を上げましょうみたいなキャンペーンになって、
そういうのを提供する会社が出てきたりとかで、そうなるとさ、
本末が転倒というか。
本当にしがちになるから。
だからそこまで根深く生産性っていう神話が根付いてるってことでもあるなって思うねんけど。
本当に本当にすごいね、多分いろんな出版社とかがやってる正統の本紹介ポッドキャストじゃなくて、
本末をあえて聞いてるあなたであればきっとハマる。
強いおすすめよ。
いや、そうやと思うな。
なんかちょっと長くなってしまってるんだっけ、一個だけちょっといいなって思った人との会話があったんで、
ちょっと紹介したいんですけど、今私病院でカウンセリングを受けてるんですね。
それでやっぱりうつになって動けなかったりとか、その期間働けなかったりとかすることで、
すごい罪悪感を持ってしまうんですっていうことをカウンセラーの人に相談したんですけど、
でもそれでもありがとうっていうことが社会活動、社会参加だからっていうふうにこの人がおっしゃって、
なんかすごくいい言葉だなと思ったんですよね。
例えばスーパーの店員さんにお釣りをいただいた時にありがとうとか、何かをしていただいた時にありがとうとか、
それも社会参加だからっていう。
なんか生産性っていう言葉とまた違った視点で、
人と関わったり社会と関わったりするっていう目線の上で、
なんか一つうまく言えないんですけど、ちょっと典型じゃなくて形状をもらったような気がして。
本当にそうだと思う。
だってさ、働いてる人もさ、どんな思いで働いてるかわからないけど、
家庭が、家庭というかバックグラウンドがあってさ、
そこで会った人にさ、感謝ありがとうって言ってもらうって、
それだけで救われる人も絶対いるし、
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そこまでじゃなくても単純に気持ちいいし気持ちよく働く人が生まれるってすごいことだよね。
本当にそう。本屋さんで働いてた時に、やっぱりいろんな方が接客をするので、
本当にごく一部ではあるんですけど、すごい無茶のことを言ってきたりとか、
理不尽に責められたりするような場面とかもあったりって、
そういう時に、すごいやっぱり切り替えな切り替えなと思うけど、
シューンってトーンダウンして接客を続けるパターンってあるんやんか、
笑顔でなるべく言えるようにしてても心の中は沈んでるみたいなことあるんやけど、
でもそういう時に何か、例えば問い合わせを対応した時に、
この本を探してたんです、嬉しいです、ありがとうございますとか、
お釣りを受け取る時にニコッてありがとうって目を見て言ってくれるとか、
そういうことで疲れも全部吹っ飛んで、
ありがとう、こっちがありがとう、働いててよかった、みたいな気持ちになることってあるから、
本当にありがとうのパワーって、ものすごいいろんなものを吹き飛ばすぐらい大きいものやなって思うんですよね。
そうやね、しかも心からの言葉ならね。
人と人の関係性でも、一番素晴らしい言葉の一つかなって思ったりするんですよね。
私たちはやっぱり社会的な動物だなって思うね。
本当にね、というところで、結構深い話に今回はなりましたね。
そう、いったデキリコ展の話からいろいろと発展しましたが、
皆さんは最近どんな展示に行ったとか、なんかまたお便りも欲しいな。
ぜひぜひ、交流しましょう、お便りで。
では、良い読書体験を。
良い読書体験を。
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