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            ようか月の晩
2022-11-26 16:34

ようか月の晩

009 221126 宮本百合子 ようか月の晩 朗読池尻和佳子

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おしゃべり本棚
この時間は、福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
宮本由里子作
ようか月の晩
夜、銀座などを歩いていると、
にぎやかに明るい店のすぐそばから、
いきなり真っ暗な怖い横丁が見えることがあるでしょう。
これから話すおばあさんは、
ああいう横丁をどこまでもどこまでもまっすぐに行って、
まがってもう一つ角をまがったような隅っこに住んでいました。
それは貧乏で、いる横丁も汚ければ、家もぼろでした。
天井も張ってない三角の屋根の下には、
おばあさんと古綿の巣を持つ三匹のネズミと、
五匹のゲジゲジがいるばかりです。
朝目をさますと、
おばあさんはまず坊主になったほうきで床をはき、
かけた瀬戸物鉢で赤花の顔を洗いました。
それから小さな木鉢にご飯を出し、
八粒の飯を床にまいてから朝の食事をはじめます。
八粒の米は三匹のネズミと五匹のゲジゲジの分でした。
さっきから目をさまし、むき出しの針の上で巣を片づけていたネズミやゲジゲジは、
木鉢に箸の鳴る音を聞くと、
そろって床におりてきて、おばあさんの御正番をするのでした。
おばあさんもネズミたちも、食べるものはたくさん持っていません。
食事はすぐすんでしまいます。
みなが行儀よくまたもとの針の巣に戻っていくと、
おばあさんは、やれやれと立ちあがって毎日の仕事にとりかかりました。
仕事というのはぬいとりです。
大きな眼鏡を赤花の先にかけ、布のはった枠に向かうと、
おばあさんは飽きるの疲れるのということを知らず、
夜までちかちかと一本の針をひからせて、
いろいろきれいな模様をぬいだしていくのでした。
下絵などというものはどこにもないのに、
おばあさんのぬったものはみなほんとうに生きているようでした。
03:02
彼女のぬった小鳥なら、ふく朝風にさっと舞い立って、
るりいろの翼で野原をかけそうです。
彼女のぬった草ならば、布の上でも静かに育って、
秋には赤い実でもこぼしそうです。
町ではだれひとり、おばあさんのぬいとり上手を知らないものはありませんでした。
まただれひとり、彼女を一本張りのばあさんと呼んで怖がらないものもありませんでした。
なぜなら、おばあさんはどんな模様のぬいをするにも、
けして一本の張りしか使いません。
その上、いかほどみごとなぬいとりをしようが、
それがちゃんとできあがってしまうまでは、
たといたのんだひとにでも、しごとのありさまはみせませんでした。
そして、あんなびんぼうなのに、おれいにかねはどうしてももらわず、
ただよいぬのとうつくしいきぬいとをくださいというばかりなのです。
おばあさんのいえいくと、
いつもねずみやげじげじがまるでにんげんのようにあそんでいるのも、
みなにはきみがわるかったのでしょう。
一本張りのばあさんのところでは、めったによそのひとのこえがしませんでした。
けれども、めのさめるようないろのぬのといととであかりをつけないでも、
よるへやのすみずみがぽーっとあかるいほどでした。
あかはなのおおめがねのあおずきんのばあさんは、
あさからばんまでそのうちでぬいをしているのです。
ところがあるときのこと、まちじゅうのひとをびっくりさせることがおこりました。
それはほかでもないはるのほがらかなあるあさ。
ひとびとがあさのあいさつをかわしながらげんきよくおもてのとやまどをあけていると、
はるかむこうのやまのしろのほうからはくばにのり、
ひのはたをひるがえしたいったいのひとびとがまちにはいってき、
いえもあろうに一本張りのばあさんのところへとまったというのです。
あたまにとりげかざりのぼうしをかぶり、
にしきのまんてるをきたひとは、おおさまのししゃでなくだれでしょう。
かぜをひいたしちめんちょうのようなあおいかおになったおばあさんに、
ししゃはうやうやしくれいをしていいました。
おばあさんちっともおどろくことはありません。
わたくしどもはおおさまのひめぎみからよこされたつかいです。
06:02
こんどおうじょさまがとなりのくにのおうじとごこんれいあそばすについて、
どうかあさきるきものをあなたにぬってもらいたいとおっしゃっています。
よるのおめしはほうせきというほうせきをちりばめて、
クリスマスのばんのようにりっぱにできました。
あさのおめしはなんとかしてよあけからひるまでのひのいろ、
くさきのようすをそのままめるようにこしらえてもらいたいとおっしゃるのです。
ひとさしゆびとおやゆびでしばらくあごをなでながらかんがえたあと、
おばあさんは、「よろしゅうございます。」とこたえました。
こしらえてさしあげましょう。
どうぞすぐいととぬのとをくださいませ。
おしろのくらからはさっそくさんまきのなないろのきぬいとと、
しんじのようないろをしたすずしのぬのとがはこばれました。
それをうけとるとおばあさんはいつものとおり、
「きゅうじゅうにちめにきてください。」といって、
ぴったりいえのとびらをしめてしまいました。
きゅうじゅうにちめにきたすしゃはけしてとちゅうであけないというやくそくで、
ひとつのちいさいちゃいろのかみずつみをわたされました。
なかにどんなおめしがはいっていたでしょう。
よくあさくらいうちにかがみにむかってはじめてそれをきてみたときは、
さすがのおうじょもしばらくいきもつけないほどでした。
きたままにんぎょにでもなってしまうのではないでしょうか。
きもののすそにはねむい、ふかい、
うみのそこのようすがいちめんにうかびあがりました。
ぎんのたまでもとかしたようにおもくにぶくかがやくみずのなかでは、
かすかにもがゆれあわがたちのぼります。
かたにたれたかみからしおのかおりがながれだして、
あしもとにはなぎさのさくらがいがちりそうです。
しだいにおしろのはしらにあさひがさしてくるころになると、
かがみのまえにたったままおうじょのきものは、
ほっそりしたわかぎのはやしがあさのたいようにいとうされるもようにかわりました。
かいていのありさまはやわらかいきりのしたにしずみ、
かがやくばらいろのこうせんのうちに、
はをそようがせるわかいきがあざやかなこくせんであらわれます。
ひるごろになると、おうじょのからだぜんたいは、
09:02
まるであまくだったたいようそのままにもえかがやきました。
むねといわずすそといわず、
よろこびをつげるへいわなえんしょくにきらめきわたるいただきに、
すんだかのじょのあおいふたつのひとみばかりが、
けだかいてんのまもりのようにみえるのでした。
このきものをみにつけさえすると、
おうじょはたといどんななきたいことがあっても、
それをわすれることができました。
つきないいずみのようなよろこばしさ、
てるひのようなのぞみがいとのぬいめをくぐりでて、
ひびあらたにおうじょのたましいをみたすのです。
ふしぎなことにいっぽんばりのばあさんは、
きものをおうじょにさしあげると、
そのまますがたをかくしてしまいました。
いえのとびらのじょうまえはあかくさびつき、
ひくいまどにはくもがあみをはりました。
へやのなかにはただいちまい
おおきなびろうどのたれまくがのこっているばかりです。
ただしそのたれまくには、
このよでまたとみられそうもないほど
すばらしいぬいがどっしりとしてありました。
そよりともしない黒じゅのやみのうえには、
みぎからひだりへうすじろくゆめのような
あまのがわがながれています。
ひかったわらのようなきんぼしぎんぼし、
そのたむすうのほしくずが
みどりやあおにひらめきあっているなかほどに、
やまのみねやふかいたにのありさまを
からくさもようのようにほりだしたつきが、
にぶくひかりをすうかがみのようにうかんでいます。
はくちょうだの、くじゃくだのという
せいざさえそこにはありました。
じっとみていると、
ひとはじぶんがきたないばあさんのへやにいるのか、
ひとつのほしとなって
あきのおおぞらにまたたいているのか、
くべつのつかないこころもちになるのでした。
おばあさんをみかけたものはありません。
しかしまいつき、
ようかのつきがちょうどめがねのはんかけのようなかたちで、
くものすごしにおばあさんのまどをてらすよるになると、
びろうどのたれまくのおもては、
さもうれしそうにかっきづきました。
あかやきいろのほしどもは、
ぬののうえからこぼれおしそうにきらめきます。
まどろんでいたつきは、
しずかにひとまわりしてこうこうとてりだします。
いつかでてきたおばあさんは、
そのなかでたのしそうにうつくしいきぬいとをまきはじめました。
12:01
さんびきのねずみはみっつのところにわかれてたち、
いとぐるまのようにからだのまわりでくるくるかせをはしらせながら、
おばあさんのてつだいをします。
そんなとき、
ダイヤモンドのようなひかりのおをひいたりゅうせいたちは、
まどのそとまでつきぬけそうないきよいで、
たれまくのはしからはしへとすべりました。
けれどもだれひとりこれをしっているものはありませんでした。
おばあさんがいとをまくのは、
もうかざみのとりさえ、
はがいにくびをつっこんでいっぽんあしでたったまま、
ぐっすりねむっているこくげんでしたもの。
詳しくはスタービル博多祇園のホームページからどうぞ。
16:34

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