1. 本茶本茶(HON-CHA HON-CHA)
  2. #20 意味ではなくリズムで世界..
2025-12-31 17:58

#20 意味ではなくリズムで世界を見る『センスの哲学』

中国茶(烏龍茶)を淹れながら、『センスの哲学(千葉 雅也 著)』についてご紹介します。


モデルの再現から降りる/意味ではなくリズムで世界を見る/偶然性からはじめる



収録後記、書き起こしはこちらのnoteに!

https://note.com/honcha_honcha/n/n53502544776e


🍵 本日のお茶 🍵

中国茶 鳳凰単叢 高山蜜蘭香 2023


📕 本日の本 📕

『センスの哲学』

千葉 雅也 (著)

https://amzn.to/4qucpfi



👤 スピーカー 👤

Fuyuto


「静けさのデザインとケア」を通して、創造性の器を育む、Studio Stillnessとして、コーチング、プログラム開発などを行っています。


Instagram → https://www.instagram.com/___fuyuto/

note → https://note.com/honcha_honcha

サマリー

このエピソードでは、千葉雅也の『センスの哲学』に焦点を当て、センスの重要性やその哲学的考察について議論しています。特に、モデルの再現から降りることや、意味ではなくリズムで世界を見ること、偶然性の重要性がテーマとなっています。このエピソードでは、センスの哲学について語り、リズムと偶然性が重要な要素であると述べています。また、偶然性を楽しむことが個性的なセンスの表現につながると説かれています。

センスについての序章
こんにちは、本茶本茶へようこそ。毎回一種類のお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに緩やかに語る時間です。
静けさのデザインとケアを通して創造性の器を育む、スタジオスティルネスのFuyutoがお送りします。
毎週水曜日19時に更新しています。
今日ご紹介するのは、千葉雅也さんという方の書かれた、『センスの哲学』という一冊になります。
この千葉さんはですね、哲学者であり小説家であり、メディアなんかもたくさん出られているので、ご存知の方もいらっしゃるかなと思うんですが、
勉強の哲学と現代思想入門という本と、そして本日ご紹介するセンスの哲学というものが三部作的に書かれている、その最後の一冊がこちらの本になっています。
この本はタイトルにもあるように、センスについてですね、特に芸術に関係するようなセンスとは何か、どのように獲得、体現できるのかということを哲学的に考察した一冊になっています。
この本を今日選んだきっかけはですね、ちょっと余談になってしまうんですが、先日ある会社の社員総会みたいなものに参加をさせていただいたときに、エンゲージメントカードというのを使ったグループワークみたいなものに混ぜていただいたんですね。
このエンゲージメントカードというのは、トランプみたいなカードなんですけど、10枚か90枚ぐらいあるうちに、1枚1枚全く別の価値観が絵と日本語で英語で書いてあるというカードで、
例えば、正義というカードがあったり、直感というカードがあったり、全然違う時間を大切にというカードがあったり、その全く1枚1枚違う90枚ぐらいのカードをグループ5、6人ぐらいですかね、1人7枚ずつ手元に配って、
あとはマージャンみたいに真ん中の山から1枚取って、自分の価値観と合わないものを捨てていく。そうすると手元には自分にとても神話性のあるというか、自分が最も信じている7枚の価値観カードが手元に残るみたいなですね。
そういうワークをやったんですよね。たまたまその時に最後自分の手元に残っていたカードのうち特にトップ3を選ぶんですが、それが僕の場合は信頼と変化と最後に偶然偶発という3枚のカードを選びました。
そしてそんな時にたまたまこのセンスの哲学を読んでいたんですが、この中にもその偶発性とか偶然性みたいな言葉がちょうど出てきていたのを思い出して、今日はこちらの本を選んでみました。
今日ご紹介したいポイントも3つありまして、1つ目がモデルの再現から降りる。2つ目が意味ではなくリズムで世界を見る。そして最後に偶然性から始める。ではまずその前に本日も一緒に楽しむお茶から。
モデルの再現から降りる
はい、今日は中国茶にしてみました。鳳凰炭素という種類の鉱山密蘭鉱というものをいただいています。この鳳凰炭素っていうのはウーロン茶の1つですね、とても有名な種類だと思うんですが、
中国の関東省の東の方に鳳凰山脈というのがあって、その中にある茶の木から取られたお茶になります。この鳳凰炭素の炭素っていうのは、もともとは単独の1本の木を意味して、1本の木から採取した葉だけで作られるお茶ということを意味をしている言葉になります。
鳳凰炭素っていうのは非常に香り豊かな種類だそうで、この香りの分類だけでも、柔とかですね、いろんな香りに分類がされるそうなんですが、その中の密蘭鉱というものをいただいています。
これは本当に香り豊かで、まさに花の蜜ですよね。フルーツのマスカットとかライチとかそういう表現もされるみたいなんですが、本当に一口飲んだだけで、花の奥に花の蜜の香りがふわっと広がるような、そんなお茶になっております。
今日はこの鳳凰炭素鉱山密蘭鉱をいただきながらご紹介していきたいと思いますので、皆様もお気に入りの飲み物とともにこの後お楽しみください。
はい。このセンスの哲学ですね。本の帯のところに、これはセンスが良くなる本です。というのははったりだとして、物を見るときのある感覚を説明したいと思いますというように書いてあるんですけれども、センスっていうのは何かとっつきづらい単語ですよね。
僕もこれ読んでるとき、ちょっとブックカバーをかけて、センスの哲学って本読んでるの見られたくないなみたいな、なんかそんな感じもあったんですけど、ただそのセンスのあるなしというよりも、まさに物の見方とか物の生み出し方、そのときの気の持ちをみたいなところがかなり噛み砕いて解説をされている本なので、
比較的読みやすい本かなというふうに思っています。
では、まずはじめの切り口からいくと、1つ目がモデルの再現から降りるというものになります。
これ、1つ目のモデルの再現から降りるという部分が非常に個人的には面白くて、圧押しの文なんですけれども、冒頭このセンスとは一体何なんだということを色々と説明してくれているんですけれども、
例えば、センスとは直感的にわかることである、みたいなところをはじめの定義にどんどん深掘りがされていくんですね。
で、その中で1つセンスのない事例として、部屋のインテリアの話がされています。
どういうことかというと、何かヨーロッパ風の高級感のある部屋、そのインテリアとか内装を目指して、それっぽい家具とかインテリアを集めると、結果的に中途半端感とか、逆に生活感が出てしまって、センスないよね、みたいな、そういう事例って非常にイメージしやすいかなと思うんですよね。
そんなところを例に挙げながら、一文語られているものをご紹介すると、まず提案したいのは、不十分な再現性、イコール、モデルの再現を目指してできない、という何かに近づこうとする運動から降りることです、という一文が書かれています。
これはまさに、ヨーロッパ風の高級感のある部屋、そういうモデルを目指してできない、という、目指すんだけどやりきれない、という何かに近づこうとするんだけどできない、そういうところからはまず降りましょう、と、そんなお誘いから冒頭始まっていくんですね。
まさに、モデルの再現から降りることがセンスの目覚めである、という風におっしゃっています。
これ一方でですね、その何かに近づこうとする運動から降りること、というのがとても面白いなあと思いつつ、何かこのモデルの再現を目指してできない、というのが非常にこう主観的な努力のように個人的には思えていて、稽古とか手張りみたいなものとは少し違う趣を感じているんですよね。
ちょっと今日そこまで話しすぎると他がいけなくなっちゃうんで、そのまま先に進みますけれども、そういうモデルの再現を目指してできない、という運動から降りる、という風に言った上で、目指すべきは下手馬である、という風に言っています。
この下手馬というのは、まさに何かを目指して下手という、この欠けている下手というよりも、もうそもそも自分にできる範囲のオリジナリティで下手馬に描いてしまうとか、下手馬に作ってしまう。
もはやその度胸から自分の方に変えてしまうと、そんなことを話しています。
リズムで世界を見る
そしてその上で二つ目のポイントの、意味ではなくリズムで世界を見る、というところに移っていきます。
ここではですね、千葉さんは、センスとは意味を理解することではなく、物事のリズムを感じ取ることだ、というようなお話をしています。
例えば、映画を見に行った時に、2時間、3時間、だーっといろんなシーンを見てですね、
よく僕らって、結局伝えたい主題が何で、とか、結局結論として、意味は、まとめたくなるじゃないですか。
全体の意味を理解できたかどうか。
実は、この千葉さんに言わせると、そういう意味を捉えるということではなくて、
その映画そのもののリズム、どういう場面がつながっていくかとか、どういうリズムで話が展開するか、
そういうものを把握するということが、このセンスにつながるんだ、そんなふうに語っています。
専門的には、フォーマリズムというような分野だったりもするそうなんですが、
これはリズムと言いながらも、何も音楽だけではなくて、
先ほどの映画であったり、絵画であったり、文章であったり、あるいは料理なんかも同じだというふうに言っています。
一つ事例で挙げられているのが、例えば餃子を食べるとき、
はじめに口の中に厚さが来て、その後にカリカリ感が来て、ちょっと塩っ気を感じて、
リズムの重要性
みたいな、どういうようなデコボコ、どういうようなリズムが自分の中に生じるか、
そんなことを話しながら、センスとは、物事を意味や目的でまとめようとせず、
ただそれをいろんな要素のデコボコイコールリズムとして楽しむことである、と語っています。
ここからですね、より詳しく、そのリズムというものが、ビートとうねりの組み合わせみたいなものであるというお話だったり、
面白いリズムというのは、ある程度の反復の中に適度な差異が起きることである、そんな深掘りもこの後されていきます。
これ実際に絵画の見方みたいなことも順を追って書かれてたりもするんですが、
確かに言われてみると、すごいその全体の意味を捉えなきゃいけないっていう謎の脅迫観念みたいなものをすごい持っているなと思っていて、
その全体感がわかるべきであるとか、全体の意味を持ってその良し悪しを決めなければならないという、
非常に僕個人としてはそういう思いが強かったなと振り返りながら思っています。
それよりも、もっとその見たまんま、目に飛び込んできた、耳に飛び込んできたものがどういうリズムを持っているか、
そこにフォーカスをしてそこを楽しむ、これは確かに非常に何か今までと違う楽しみ方ができそうだなというふうに思いました。
そして最後のポイントが、偶然性から始める。
まさにこの本を選んだ偶然性という言葉にまつわる部分ですね。
これは今度、ものを見るとか選ぶっていうところから、自分が作る側になっていくときにどういうふうにセンスを表現していくかというような話の中で一文引用すると、
偶然性にどう向き合うかが人によって異なることがリズムの多様性となり、それが個性的なセンスとして表現される。
また、目指すものへの足りなさをベースに考えると、それを埋めるようにもっと頑張らなきゃという気負いが生まれ、偶然性に開かれたセンスは活性化しません。
それに対して、余りをベースに考えれば、自分の理想とするものにならなくても、自分はこういう余らせ方をする人なんだからいいや、と思えるわけです。
それは自分に固有の足りなさだとも言える。ですが、それをもっとポジティブに捉えてみる。その方がより創造的になれると思います。と書かれています。
少し自分なりに解釈をしてしまうと、冒頭のインテリアの話で言うと、何か完璧にモデルを目指そうとする。
そういうふうな中で、この偶然性というものに出会ってしまうと、まさにそれはノイズなわけですよね。
そのモデルとの差分を埋めるものを邪魔してくるものというふうに捉えられるんですけれども、
一方で、始めから自分なりのヘタウマを目指していく。今自分にできる限りのものをベースに作っていくと、
その偶然性というものが何かランダムな、それこそセレンデピティ的なものを追加してくれるものになる。
結局最後ヘタウマなので、どこかモデルに行き着くということがないんですよね。
最終的に差分が残ってしまうという、その差分をより自分らしくするための揺らぎ。
そういうポジティブさで捉えられる。そんな意味なんじゃないかなというふうに思っています。
最後にもう一文だけ素敵な文章をご紹介して終わろうと思うんですが、
人生の途中の段階で、完全ではない技術と偶然性とが合わさって生じるものを、
自分にできるものとして信じる。この完全ではない技術ということ、
あと偶然性、これが掛け合わさって生じるものを信じる。
これは非常にポジティブであり、かつセンスがあるなしという話と直接的に通ずるかは置いておいて、
何か自分が想像的に生きていく上でとても大切なことだなあと思いながら最後読んでいたい一文になります。
これ以外にもアンチセンスという新しい概念、何かにこだわってどうしても繰り返してしまうことみたいなものの話があったり、
今日ご紹介しきれなかったたくさんの面白い情報が入っておりますので、ぜひお読みいただければというふうに思います。
はい、今日は中国茶の烏龍茶、方黄炭素、鉱山密蘭香というものをいただきながら、千葉雅也さんのセンスの哲学をご紹介いたしました。
またノートにて書き起こしと本のご紹介、そして収録講義を投稿しております。
そちらもぜひ概要欄からお楽しみください。
それではまた。
17:58

コメント

スクロール