1. まっちゃんの片付けラジオ
  2. センスはリズムでありヘタウマ
2025-10-18 18:13

センスはリズムでありヘタウマ

センスの哲学/千葉雅也

サマリー

このエピソードでは、有松絞りのスカートを通じてセンスの重要性を考察し、その背後にある意味を再考しています。また、千葉雅也の『センスの哲学』を参考にし、センスが感覚と思考の統合であることやリズムの重要性について語られています。さらに、「センスの哲学」についても触れられ、リズムや脱意味化がセンスの本質であることが説明されています。ドイヨシハル先生の話を通じて、感覚と思考の統合がいかに大切であるかも論じられています。

有松絞りとの出会い
はい、皆様いかがお過ごしでしょうか。おはようございます。片付けコンサルタントのまっちゃんです。
このラジオではシンプルに自分の日常をちょっとだけ、機能より好きになるための学びをシェアしていきます。
はい、皆様いかがお過ごしでしょうか。
昨日はちょっとうまく話せなかったので、今日はちょっと改めて投稿したいと思います。
でですね、最近また結婚式関連でいろんなプロの方にお会いしてるんですけれども、
そのうちの一人でメイクアップアーティストっていうんですか、お化粧とか髪の毛とか構ってくれるプロの方と打ち合わせをしてた時にね、
その方のスカートがめっちゃ可愛かったんですよ。すごい素敵なスカートですねって声をかけたら、
これは有松絞りのスカートですよって言ってたんですよ。
で、ちょっと前に有松絞りの話をしたと思うんですけど、
絞りの柄がね、絞りってこう布をキュッと絞って染色することで、絞りのシュワシュワとかが柄になってる感じなんですけれども、
ちょっと想像できない方は調べていただきたいんですが、
絞りって聞くだけでも多分イメージされるとね、和風なイメージがあると思うんですよ。
私もね、ゴリゴリ絞りを見ると和なイメージだったから洋服には合わないんじゃないかみたいな話を、
どこのドイツだみたいな自分、私の意見をね、この間のポッドキャスターで言ってたんですけれども、
その有松絞りをどう見ても洋風のおしゃれな感じのスカートにしてるものを履いているお姉さんが目の前にいたんですよ。
最初は私、有松絞りって気づかなくって素敵だなと思って声かけたら、たまたま有松絞りだったんですけど、
ククリっていうね、ブランドらしいんですね。CUCRIっていうブランドなんですけど、
めっちゃ可愛いんですよ。特に黒色のスカートがね、可愛くて。
本当ね、言われないと有松絞りってわからないんですけど、近くに行くとなんかこう絞りの形状記憶だけが柄になってて、
色は全部真っ黒なんですけど、絞りのこういう使い方があったんだって、すっごいびっくりしました。
どう考えても和風にしかならないと思い込んでたので、
絞ったところの模様が絞りの柄になるって思い込んでたんですけど、
センスの定義
柄にならずに立体的絞りの形だけを残して、それをオシャンな形で服にできるって発想する人間がいるんだってことに衝撃を受けました。
ちょっとその出来事からですね、最近読んだ本がすごいつながったので、今日はちょっとセンスの話をしようかなと思います。
最近ですね、センスに関する本を読んでたんですね。
その本の題名がですね、センスの哲学っていう千葉雅也さんっていうのかな、千葉雅也さんっていう方のね、表紙がすごいアートな感じのオシャレな本なんですけれども、
私センスいい人に憧れるんですよ。
センスがいいねって褒められたことが人生であんまりなかったので、センスがいいなってちょっと言われたいなって思い続けて早数年って感じなんですけれども、
昔よりかはね、なんか褒められることが増えました。
ちなみにですけど、今まで何冊かもね、センスの本を読んでるんですけど、ちょっと恥ずかしくて大声で言えないですが、
このセンスの哲学って本もね、読んですごい面白かったんですよ。
ただちょっとなんか結構難しくって、噛み砕いて皆さんになかなか説明することが難しいなと思って、
昨日も話したけどうまくできなくてちょっと消しちゃったんですけれども、もう一度トライしてみますね。
センスって聞いて思い浮かぶ意味がね、人によって違うので、ちょっと最初にセンスの定義についてちょっと統一したいと思うんですけれども、
ここで言うセンスっていうのは、なんか直感的に物事がね、なんかいい感じでわかって、いい感じにできるみたいな、
なんかいい感じに直感的にできるみたいなことを、センスがいいということにしますね。
この千葉さんの本の中でですね、センスっていうのは感覚と思考を統合するようなものっていう文章があって、
私結構片付けでもこの感覚、感性みたいなものですね、と頭で考える思考っていうのはすごい大事にしてるんですけれども、
それがそもそもセンスなんだと思って、なんかちょっと私もなんかちょっとそれ片付けすごい大事にしてたんだよねみたいな、
千葉さんもそれがセンスって本に書いてるんだ、みたいな、一緒だねみたいな感覚になったんですけれども、
思考だけじゃないし、感覚だけじゃない、両方ですよっていうことですよね。
さっきの有松絞りの話にちょっと戻りますけれども、私この本を読んですごい思ったのが、物事というか言葉の意味、
センスと片付け
例えば有松絞りだったら、その有松絞りに付随する自分の中の意味ですよね。
着物とか絞りとか和風とか伝統とかね、そういう物事、物の名前に付随してくる意味みたいなものを知って、
一回その意味を忘れて、忘れて、無意識化になった時に、初めてその言葉っていうのを意味としてじゃなくて、
全体像、脱意味化として、リズムとして捉えられるってことがこの本に書いてあるんですけれども、
ちょっと今自分で説明しながらよくわかんなくなってきましたけど、
さっきの有松絞りがね、なんかこうおしゃれな感じに服にできてたのは、
有松に対する固定概念みたいな、皆さんの中で固定された意味っていうものから一歩離れて、
いろんな多角的な視点で見て、他のいろんな、有松絞りの場合はスカートとかね、洋服とか、日常とかね、
他の言葉とくっつけた時に、ああいうセンスのいいものができてたんじゃないかなと思ったんですよ。
有松絞りに囚われてたら、言葉の意味に囚われてたら、センスのいいものって生まれないんじゃないかなって思ったんですよ。
センスは感覚と思考を統合したものって書いてあったんですけど、
他にもセンスはリズムであってヘタ馬であるって書いてあったんですよね。
これはなんとなくわかるじゃないですか。
同じものが続いてたりとか、いつも同じことが繰り返されてたりとか、
小説とかだったらずっと面白いとか、ずっと淡々としてるとかだと、
センスのいい本とか、センスのいい服とか、センスのいい歌っていう感覚にはなんかならないですよね。
なんかこういいなって思う歌とか、いいなって思う本とか、いいなって思うまさにお笑いコントとかもそうですけど、
なんかこうリズム感がありますよね。
全体的に見たらなんかこう面白いとかいい感じなんだけど、
細かいところを見ていくと、すごい真剣な話をしているところもあるし、
ちょっと外して面白い話をしているところもあるし、みたいな感じでちょっと波があるとか、
リズム感があるみたいなね、世界観なんですよね。やっぱりセンスがいいっていうのは。
何だろう、言葉の意味だけに捉えられるんじゃなくて、
意味を一回忘れて、感覚と思考でいろんなことを統合して、
初めてセンスがいいみたいなことが生まれるんだなって私はこの本を読んですごい思いました。
なので、これをちょっと片付けに結びつけると、
結構趣味のものとかでね、好きで集めているもので、
好きで持っているんだったらそれ私は別に捨てなくて、ずっと大事にすればいいと思うんだけど、
なんかこう好きが変わってね、例えば趣味が変わって、もうこれは使わないんだよなっていうものとか、
もうこれは今必要としてないんだよな、みたいなものとかってあるじゃないですか。
例えばスノーボードとかね、編み物の道具とかね、昔は好きだったけど今は好きじゃない。
だけどなんかこう、引っ張られるものがあって、持っててどうしたらいいですかね、
っていう方結構片付けてお会いするんですけれども、
そのまま大切に持ってればいいじゃないですかね、みたいな話をしてた時も、
皆さん結構うーんって悩まれることがあるんですよね。
センスの哲学
なのでそういう時って、大切にしたいっていう気持ちが今ないんだったら、
その道具を大切に使ってくれる人のところに、
持ってった方がいいから売ったりしてみてはいかがですか、みたいな話をすると結構皆さんね、
そうですねって言って手放したりするんですけれども、
好きなものとか好きな道具とか趣味の道具とか、好きな果物とか食べ物とかもそうですけど、
好きな人もそうかな。
なんか一回離れてもね、結構大丈夫なんじゃないかっていう理由がちょっとこの本にも書かれてたんですけれども、
なんか好きって、なんか執着しなくても離れても絶対どこかで帰ってくるというか、
さっきのあのセンスの話にちょっとつながりますけど、
スノーボードとかね、好きな人とか好きな食べ物っていう単語にまつわる情報とか記憶とかね、
そういったものを一回自分の中に踏み落ちて理解して、それを一回忘れても、
何ですかね、残ってるかもしれないけど、
違うところでそのスノーボードとなんか他のものを結びつけて、
新しい趣味が見つかったりとか、
全然違うところで好きな人の、例えば、何ですかね、香りを嗅いだりとかね、
好きなものを見つけたりとか、
何ですかね、ちょっと言葉で言うの難しいんですけれども、
好きってだから忘れてもなんか大丈夫なんだなって、好きって忘れても、
言葉って忘れても、っていうか脱、意味化をすることで、
言葉の意味から離れることで、
リズムとして捉えて、全体像として捉えて、
それが自分のセンスとなるのかなって思うんですよ。
だからやっぱり、
自分のセンスとなるのかなって思うんですよ。
その一つ一つをね、
リズムとして捉えて、全体像として捉えて、
それが自分のセンスとなるのかなって思うんですよ。
だからやっぱ、
自分でいかにたくさんのものを見たりとか、たくさんのものを経験したりとか、
好きに執着せずに、
好きってちゃんと理解してね、感覚を拾うことはもちろん大事なんですけれども、
感覚は絶対無視しちゃダメだと思うんですけれども、
執着せずに、
どんどんどんどん変化していって、たくさんのものを見たり経験したりして、
それを自分の中に落とし込んで、アウトプットされるものが、
なんかその人のセンスみたいなものなのかなって、
このセンスの哲学を見て、
今までの片付けのクライアントさんとか見たりとかして、
私の中で合わせて感じたことです。
ちょっと上手くまとめれたかわからないですけれども、
そういうことが伝えたかったです。
事例を通じて見るセンス
興味がある方はぜひ読んでください。
千葉雅也さんという方の、
センスの哲学っていう本ですね。
でもセンスがこの芸人さんのコントみたいな、
リズムのあるものだよっていう話とか、
脱意味化がすごい大事だよとか、
リズムとか下手うまっていうものがセンスなんだよっていう、
本の内容を読んでた時に、
私はドイヨシハル先生のことを思い出してですね、
結構ドイ先生が、
お皿の上に料理を並べたり、
料理を整えて置いたりする時とかに、
意図的にやりすぎると、
例えば綺麗に整えすぎたりとか、
何か良くしようとしたりとか、
意味があるものにしようみたいな、
意図的にやりすぎると、
それは美しいものじゃなくなるみたいな話をよくされてて、
センスよく飾る食べ物とかもね、
お皿の上でセンスよく飾るっていうのは、
意図的じゃなくて、
今までのすべてを含めた感覚的なものなんだなって、
感覚と思考が統合されたものが、
お皿の上で表されてるんだなって、
ドイ先生の話を思いました。
確かに絵でも何でも、
上手にやろうとか上手くやろうとか、
ちゃんとやろうって思った瞬間に、
上手くできなくて、
体調が悪い時にやった時とか、
お酒飲んで何も考えてない時にやった時の方が、
いろんな物事が上手くいったりとか、
絵が上手に描けたりとか、
突然センスの良いものが現れたりするのって、
確かにあるなって、
日常の出来事を思い出しました。
今日はセンスのお話をしました。
上手くまとめれたかわからないですけど、
伝わったら嬉しいです。
ぜひ読んでみてください。
皆さん一緒にセンスを高めていきましょう。
そのためにも感覚と思考を、
感性と思考を高めてまいりましょう。
ではまた次回のポッドキャストでお会いしましょう。
今日も一日味わい尽くしてください。
ではでは。
18:13

コメント

スクロール