詳しく聞いていきたいね、これは。
ぜひ。
認知科学とか千代先生好きそうだもんね。
好きだもんね。
何個か持ってるよ言い前先生の。
さすが、もうすでに読者だった。
最初にじゃあ最初のスキーマ。
スキーマっていう単語自体はお二人は聞いたことはありますか?
そうだね、データベースとかで使うね。
技術的なあれで使いますね。
多分ね、それは参照枠とか参照するとかそれぐらいの意味合いじゃなかったかな、スキーマみたいなのって。
要するに当たり前の前提みたいなものを持ってもらえればよくて、
自分の認知の前提みたいなものが枠組みとかがあるよね。
それをスキーマって言ったりします。
そうだね。
これが実は人によって違うからこそ、同じことを聞いていても別の解釈をしちゃうよね。
人は新しい情報を自分のスキーマに合わせて解釈しちゃうよねっていうのがありますと。
とてもよくわかるね。
これはよくわかるね。
これちょっと本に書いてあった例で説明をすると、
これ知ってる方がいるかな。
JALかどこかが今年の初めぐらいに完成感、飛行機事故があったんですよ。
はいはいはい。
それが何をしたかっていうと、旅客機とは別にちょっとちっちゃい飛行機みたいなのがあって、
そこのパイロットと完成感がやり取りをしてたんですよ。
完成感がそのパイロットに向かって、ナンバーワンだ、あなたはナンバーワンだって言ったのね。
それに受けたパイロットは、自分はナンバーワンだなって理解した。
ナンバーワン了解って返したと。
なんだけど完成感が意図したナンバーワンっていうのは、
滑走路に入っていくための優先順位のことをナンバーワンだって言ったんだけど、
その受けたパイロット側は、もう今すぐ飛んでいい離陸順位がナンバーワンだと思った。
ズレましたね。
ナンバーワンっていう単語一つで、そこがズレちゃって、だから今すぐ飛ぶぞって飛ぼうとしたらぶつかっちゃったっていう。
なるほどね。
これがまさにそうで、完成感にとってはナンバーワンとパイロットにとってはナンバーワンが全然違いましたよ。
で、これが同じように保育で言うなら、保育士の方が、
明日は汚れてもいい服で来てください、みたいな言い方をしたとしましょう。
かたや、ある保護者の方は、これ多分じゃあ泥遊びするってことかなっていうので、
古い服でいいなと思って着替えた。
これは割と保育士さんの意図することに近いと思う。
そうだね。どうなってもいい服でっていう感覚が伝わってるね。
保護者Bの方の場合は、汚れてもいいってことは、
これ洗いにくいから何でもいいのかなって思う。
ある種、洗いにくい服とか乾かない服とかじゃなくて、洗えればいいのかなぐらいの感じに捉えちゃって、
お気に入りのワンピースに行きました、みたいなことになる。
それちょっと意図してたものと違うと。
だから本当は泥遊びとかで、本当に汚れが落ちなくなっちゃうようなものでもいいよ、ぐらいの意味合いだったのに、
洗えるぐらいのものだったらいいのかなーぐらい捉えちゃう、みたいなことが起きる。
これがまさにスキーマが違うことで起きるよっていう、
例えだったりしますと。
なんかスキーマの今の話聞いてて思ったのは、
アン・ジャッシュのコントってかなりスキーマの違いの話だよね。
あれはまさしくスキーマのズレを利用したコントだよね。
そこに面白みを感じるコントと。
すごいそんな感じだなって思いながら聞いてました。
初手でアン・ジャッシュ出てくるあたり、世代だよね。
世代だな。
アメリカはピン芸人寄りだからね。
家財芸人だから。
実際チロ先生もそういう経験はある。
これ言ったのと違うんだけどなー、みたいな。
こちらの意図が伝わってないなっていうのは本当にたくさんある。
僕、保育園看護師の視点で言うと、
保育園で熱が出ました。
明日はお家で代謝を取ってくださいねってお伝えをして、
お休みをして自宅療養してくださいねという意味合いで、
代謝を取ってくださいねっていうふうに伝えたんだけど、
家帰ったら熱が下がったので、元気そうなので来ましたって言って、
翌日も保育園にいらっしゃって、
お昼過ぎに熱が出るみたいなパターンは、
もう腐るほど経験させていただいてまして、
なんかこう難しいんですけど、
休んでくださいという言い方はあまりしたくないし、
強制力を持って言えることでもないという意識があるので、
本当にグレーゾーンな対応についてはね。
でも入園前の説明とかでも伝えているし、
何よりお子さんの体調を第一に考えると、
ちょっと上がってくるかもしれないし、風邪も流行ってるし、
お家で様子を見ていただくことが一番、
回復のために良いだろうというニュアンスで、
大事をとってくださいということを使うんだけど、
なかなかね、これはね。
思ったとしては、熱が下がるまでみたいな前提があるんだね。
そうそう、熱が下がったんで大丈夫だと思ってって言って、
咳コンコン、鼻水ダラダラの状態で来て、
やれ、ご飯食べれないわ、遊べないわ、
ぐったりしてるわで熱上がるみたいな。
これは本当に保育園あるあるな、
思いますけど、双方の気持ちはよく分かります。
親御さん側の気持ちもとてもよく分かるし、
できるだけ預けておきたい。
保育園側の明日は休んでほしいというのも本当にそうだし、
そこは恥ずかしいですね。
保護者の方はそういう、今言ったチェロのこういうニュアンスだよっていうスキーも
やっぱ知らないから、
そこのスキーもこのラジオとかでちょっと伝えていけるといいのかもしれないね。
今聞いた、これを聞いた人は少なくともその熱が上がったってのはこういうことなんだってスキーも
一つ獲得できるので、
それもこのラジオ聞いてもらう意味にもなるかもしれないね。
すごくこう、今から話そうとしている前提を覆してあれなんだけど、
そのスキーも理解した上であえて逆に降ってくるみたいなケースもやっぱりあって、
いやお前絶対知ってるんやろっていう方がとぼけたふりしてくるみたいな。
意図的にね、確信犯的にやってくる。
確信犯的なこともね、やっぱり言い受けられる。
それは文脈が違うもんね。
理解が違うとかじゃなくて、
それは相手の理解した上でやってるっていうのはもうしょうがない。
悪気なくずれちゃうことがスキーマの違いだからね。
悪い理由があるわけではないと思うんだけどね、その人、わざとの人も。
行けるなら行きたいみたいな。
初めてのお子さんで、やっぱりそんな子供とかかってきたことも少なくて、
熱出たらこういうふうにするみたいな感覚もうっといみたいな感じが、
やっぱりどの親でもありますよね。
そこに丁寧に関われているかどうかもやっぱり見えてくるなと思うと、
やっぱりその元気なうちからそういったスキーマを伝えていく努力みたいなのは、
保育園看護師としては必要だよなと思いますね。
ちょっとこのラジオの主題とはずれるんだけど、
この話やっぱ面白くて、
昔ほど空気でさせてもらうコミュニケーションがどんどんできなくなってる時代だよねっていうのがあるんですよ。
そのお子さん自身のためにね、
そのお子さんをどう支えていくか、
どういうふうに保育をしていくべきかっていうところで、
やっぱり知っておいてもらわないといけないこと。
保育園でこういう姿があるよとか、
こんなところに彼、困り感があるよっていう。
すごく困ってるからこういうふうに男の人トラブルになってるんだけど、
こういうふうに支援していくことで、
彼の困り感を少しでも少なくしていってあげたいよ、
みたいなことを保育園はいろんな角度からやってるんだけど、
なかなかその辺ってね、園によっても考え方違ったり、
保育者によっても違ったりするから。
まあそうだよね。
すごく世間的にそれこそ認知されてるようなものではないと思うから、
なかなかね、そういった業界に全然接点のない親御さんからすると、
何のこっちゃって感じがしちゃうよな。
そこを伝える努力、それこそやっぱスキーマウじゃないけどね。
そうだね、このあたりはスキーマウもそうだし、
あとは連絡帳とかコートの伝達を1回だけじゃなくて何度もやるとか、
できるだけ文字に残すみたいな仕組みの工夫もあったりはするのかなってところがありますね。
記憶が曖昧だからこそ裁判では証拠がとても重要なんだもんね。
ファクト、あれはファクトの極みというか、
それを積み重ねるってことだと思うけど。
そうですね。
だから記録は大事なんですよ。
だから千和喧嘩が一生解決しないのはそういうことだよね。
解釈同士でぶつかっちゃうと、解釈は両方ね、合ってるから、両方間違ってはないから。
主観の戦いだから。
面白い。
という感じでした。
で、最後3つ目が、理解したからこそ間違える気持ちがあるよね。
いいですね、これ興味深いですね。
どういうことかというと、
分かったっていう感覚、理解したって思った瞬間って、
実はその人が自分なりの解釈を持って理解してるんですよね。
そっかそっか。
だから主観としての理解したっていう感覚と、
その解釈が元の情報と違うっていうことが往々してあるんですよね。
あるなー。
これ例えばどんなことなのっていうと、
仮に保育園で園長先生が保護者対応は丁寧にやりましょうって言ったときに、
片や一人の人は敬語を使うことが丁寧だと思うかもしれないし、
一人の人は話を長く聞くことが丁寧かもしれないし、
一人の人はクレームを受け入れることが丁寧だと思ってるかもしれないっていう、
全員よし、丁寧にやるぞ、分かった、理解したって思ってるけど、
実はその意図と違う方向になっちゃうことがあるよねみたいなことですね。
なるほど。
これもあれだよね、スキーマの話とちょっと関連しそうだよね。
前提が違うから分かった、それぞれのスキーマで分かったが起きちゃうってことでしょ。
そういうこと。
なるほど。
このあたりは分かった、分かったでは止めずに、
じゃあどう分かったのっていうのを説明してもらうとかが一つの対策だったりはしますね。
なるほどね。
俺よく息子にやるな。
結構、お友達と喧嘩しましたとか、望ましくないとかしてほしくないことをしました。
指摘はしますよね、普通に親として。
これはこうだよね、あーだよね、分かった、分かったって言うのよ。
じゃあ何が分かったか言ってみて。
何が分かったか言ってみて。
ちゃんと理解してると、言葉を繰り返すだけかもしれないけど、
こういう時はこういう風にするとか、約束ごとみたいなことをちゃんと繰り返し少なくとも言える。
言葉としては言える状態にあるから、そういうことだよっていうし、
意外と難しくて実は響いてないこととか、
複雑でちょっと行程が3個4個あるような事象だとちょっと言葉に詰まるような感じで、
え、結局なんだっけみたいな。
ってやっぱりなっちゃうから、なんか言ってもらう。
その理解を再認識させるというか促すというか、
大事だなって思って。
あーめっちゃいい話だね。
これちょっとまた本筋とずれる話をするんだけど、
シロが今言ってくれた、子供に自分が今どう理解をしたか説明させるっていうものって、
現代の言語化して喋る能力が高い人が優秀だとされる世界観があるじゃないですか、僕らって。
言語化能力が上手いが一つのステータスになる要素があると思ってるんですね。
においてすごく大事なことだと思っていて。
で、シロもシロ自身が自分の考えとかを言語化しようとする人だから、
それを子供にこうある種再生産していくんだけど、
これって何というか格差に繋がっていくんだよねって理論があるらしくて。
あーなるほどね。
なぜかというと、こういうシロみたいな自分の言葉を言語にすべきだ、理解をちゃんと話そうとする訓練を、
家でやってることを家でやれない子がいるわけじゃん。
すっごい極論だけど、いいからやれとか、うるさい黙れとか言っちゃう親がいるわけじゃん、子供に。
こんな強い言葉じゃなかったとしても、何言ってるかわかんないから言わないでみたいなこと言っちゃうことあると思うんだよ。
あるだろうね。
全然あるでしょうね。
で、なった時点で、学校とかになった時に、
どっちの子の方が論理的に喋れるんですか、どっちの子の方が成績が上がるんですかってなった時に、やっぱシロみたいなタイプの方が上がっちゃうわけなんですね。
確かに、してる訓練の量がね、違うからね。
で、これって本当は本人の能力の差ではなくて、
確かに、環境だね。
生まれ育った環境というある種の資本、文化的資本の一種とされるんだけど、
そこによってその向き不向きが適応したかどうかだけの差だったはずなのに、
これも日本の場合は文化圏的にこれを個人の能力だと思い込んじゃうっていうのが強いらしくて、
個人に還元しちゃうんだね、それの差を。
自分が言語化ができないっていうのは、自分が悪いとか勉強ができないのを特に努力不足に置き換えやすいっていうのが。
なるほどな、浅はかだな。
ある種の努力進行みたいなものも、それこそスキーマ的なものとして存在してるよね。
そう、で、日本は運動を割と才能で諦められるんだけど、
分かる分かる。
勉強は才能で諦めないんだよ。
面白いね。
ベリギャルが流行るんだもんな。
確かに。
才能というよりは努力の形を生かしたもんだ。
確かに。
実は文化的資本による拡散再生産っていうものがこういった形で行われてるんだよっていう感覚を持つと、
子供に言語化させるようにしようねっていうのは、時代においてはすごく大事。
ある種再生産の抗いにはなるよねっていうのは最近いろいろ本を読んだり勉強していて思うことだったなというところだったね。
はい、という感じでした。ここまで3つ最後にさらっと触手しておくと、
スキーマがあるから、人はスキーマで聞いているからずれるんだよっていう話と、
記憶が書き換わるんだよっていう話と、理解がそもそも実は間違ってるみたいなことに気づきにくいよねっていう話があったかなと思います。
そうだね。
この辺り、もちろん一撃でこれで解決ですみたいな話は難しいです、当然。
さっきも言った通り、一因に社会の資本格差、文化的資本の格差みたいなものすらある。
もちろんノウハウである程度解決できる部分はあると、抜本的にどうこうみたいなのは難しいんだけど、
とはいえ、大きくこういうのがあるといいよねっていうのがこの本にはあって、
メタ認知的なものをしましょうねっていうのがやっぱりでかいっていうのがありましたと。
なるほど。
結局メタ認知が何かっていうと、たまにね、僕らメタ認知メタ認知言ったりするけど、改めてメタ認知何かっていうと、
自分の思考をある種一段上から見る能力みたいなものだと。
はいはいはい。
だから要するに、私って今こう考えてるんだなとか、私ってこういう偏りがあるんだなって気づくっていうようなものだったりとか。
さっき言ったスキーマみたいなものも、人にあるはなんとなくわかっちゃうけど、
自分にどういうのがあるかなっていうのを気づけるのって意外と難しい。
確かに。
そうだね。
相手を気づく前にまず自分から気づかないとだよねっていう話をしたし、人は変えられないんですよ。
いい話。
そこだね。
いい話だ。
まずは自分のメタ認知からしていこうねっていうのが一つあるかなというのがあります。
特に保育園に限らずなんだけど、ビジネスパーソンとか会社で働くような方とか、
あと僕両親教師なのでなんとなくわかる教師もそうなんですけど、
この子っていつもこうだからこうだよねっていうのに思い込みをしちゃうと、
それに補強する情報ばっかり集まっていくみたいなのがあるじゃないですか。
落ち着きがないとか、ちょっとなんかその忙しないとか忘れ物が多いとかっていうのの思い込みが入ると、
それを補強する情報ばっかり脳に残っていったみたいな。
こういうものが生まれやすいんですよね。
何年もやってる保育園とかだと、またこの子はこういうパターンかみたいな。
そうね、パターン化しやすくなっちゃうからね。
そうそうそう。
パッと見では。
すごく難しいですよね。
いや、わかる、わかるよ本当に。
なんというかね、わかるよ。
その多分難しさはこの人間って認知をパターン化することで脳のリソースを減らしているので、
悪いことばっかりじゃないんですよ。
その処理能力を上げるという意味では当然大事なんですね。
なんだけど、それが少なくともあるっていうことだけはどこかに持っておかないとよね、ぐらいですね。
それはやめようが無理なんですよ。
人間である以上ね、何かしらのバイアスはね、入っちゃうから。
それは本当ね、中堅保育士が必ず通るあれですよね。
きっとこの経験が役立つだろう、きっとあの時のこの子と同じような感じだろうみたいなところで同じような対応すると全然うまくいかないとかね。
そうそうそうそう。
このバイアス系の話はバイアスがあるんだよっていうのを受けて、
いや自分にはないしって思っちゃうのが一番怖いんですよね。
そうだね、それはその通りですね。
それあれだな、やっぱ中堅保育士だな。
すごい何か思い当たる節があるね。
なんかでも大概そうじゃない?
初心者は何も分からず一生懸命頑張ってやるやん、これ。
ちょっと分かってきたぐらいかね。
そうそうそうそう、やっぱちょっと分かってきたぐらいが一番ミスするじゃないですか。
そうなんですよね。
なんかそんな感じがする。
人を理解するのに、まあなんとなくパターン認識しちゃうけど、
なんかパターンに、それを違う言葉で言えば型にはめちゃうみたいなところあると思うけど、認知の中で。
難しいね、でもパターンがないといちいち対応してらんないよねっていうのもあるしね。
ある種、医療はさ、医療とか看護とかの世界ってのはさ、
診断があってさ、
その診断に対して紐づけられる治療とか看護みたいなところはさ、
ある程度こう型があるじゃん。
むしろその型をやることがその医療だったり看護の必要を担保するものでもあるっていうさ。
俺これ学生の時からあんま納得いってなくて。
特に精神科系の。
精神科は確かに難しそうだな。
一般の何というか内科とか外科とかそういうところのものはもうそうやってくれと思うけど、
それこそ普段関わってる子供たちの発達障害、平たくと発達障害系のものって、
ほんとスペクタクルだから何というか、グレーゾーンが山のようにあるわけよ。
今日は黒より、明日はちょっと白よりぐらいなことすらあるわけよ。
その瞬間瞬間でも変わるぐらい。
明確な線引きができないということをこの10年ほんと嫌というほど目にしてきて、自分も感じてきて。
そこにやっぱり続けるとすごく疲れるんだよね。
やっぱり人が疲れていくのも見えるし、自分も考えてるとわかんなくて困ってきちゃう。
だからある種のスキーマ的なそういう型を作ることで、
さっき言ってた通り、ちょっと脳みそ休ませるじゃないけど、
それでなんとか保つみたいなのもすごくわかるし。
そうだよね。
わかるよ。なんかできるようになった気持ちになってるときが一番気持ちいいし。
間違いないね。
俺天才かもみたいなタイミングだよね。
なんかできるようになったわって思ってるときが一番気持ちいいんだよね。
でもその直後にどれだけやっぱダメだみたいなのを繰り返せるかみたいなのも一つポイントかもしれないですね。
改めてバイアスに気づきたり。
そこをやっぱり先輩だったり園長だったり、なんかそのスーパーバイザー的な、スーパービジョン的な、
そういう人の存在がいることで立ち返れるみたいなことはあると思うから。
そうだね。
なんかその精度みたいなのって、もっともっと現場でいい形で回っていけるといいなぁとちょっと思うね。
そうだね。あとはその本の中とかでよく出てたのは、やっぱりなんで失敗したのかを振り返る習慣が大事だよねっていう話が出ていて、
これを個人の反省回ではなく構造で見ようねっていうのがもう一つのポイントとしてあった。
ほんとそう。
今井先生、保育園来てくんねえかな、ほんとに。応援してほしい。
よくね、何かミスがあった時にどうしてもこう、自分が怒られちゃうだろうから言いにくいみたいなことって大成小なりみんなあると思うんですよ。
そうだね。
だからこそ、一つその本の中で提案であったのは、ネガティブ報告を褒めましょうねみたいな話とか。
ネガティブな報告をしてくれたら内容はまず受け取りました。なんだけど報告してくれたこと自体を褒めようっていう。
いい上司。
組織としてそれ設定するのは結構難しそうだよね。
大きくなればなるほど難しいと思う。
バイアスね。
それをやっていかないとやっぱどんどんみんなミスを隠しちゃうみたいなことの方がね、大きいから。
本当は保育園、今の保育園に求められているのって割とそこ大きいなって思うよ。
それこそ季節保育がこれだけニュースにもなって認知されて。
やっぱそういうネガティブな感情を人に伝えることを、やっぱり美徳としない文化の方が根強いだろうから。
私、あの時コウトクにすごいイライラしちゃったんだよねみたいな話を、もっとザックバラに。
そこから考える明日の保育みたいなものがあると、職員も起用わずできるし、そういった感情を持っちゃいけないわけじゃないからさ。
生殖者であろうとしちゃうみたいなのはやっぱ結構本人につらいよね。
前提やっぱちょっと完璧主義的なところがあるからミスを隠すっていう話になるよな。
という感じのお話でした。今回はですね。