まあ他の業者ももちろんあるんですけど、子と保育とか看護もそうですけど、人間関係がストレスだったりトラブルの元にどうしてもあって、
それが割と自分の業務にダイレクトに響いてくるというか、どうしても人間関係の仕事なので、
自分のご機嫌を自分で取れない時にどうしたって子供にちょっと強く当たってしまうというか、そういうのが出てしまいがちだったりとか、
普段なら喰らわない子供からの心ない表現だったり、言葉だったりがすごくグッと刺さってしまったりとかね、
多々あると思うんですけど、中でも、なんというか、なかなかコミュニケーションがうまく取れない、そんなタイプの人と一緒にお仕事をしていることで、
通常の業務がうまく回らなかったりとか、どうしてもそこがちょっと滞ってしまって、
ちょっとやきもきするみたいなことってあるじゃないですか。
まぁ、あくまで例えとしてね、一般論としてね。
一般論としてね。
まぁまぁまぁ、あるよね。
で、なんか、よく考えてみたらなんか、いろんな職業、いろんな職場にそういう人って少なからずいるんだろうなぁという気がするんですけど、
そいつ何でなんだろうなぁと思って。
まぁ、この向いてないっていうことがどういうことかっていう話と、その向いてないと判断したときにどう行動するかっていう話が多分ありそうですよね。
そうだね。
っていうときに、まず身近な例で言うと、しろ先生はこれまで向いてないなって思ったことある?
別に仕事に限らずだけど。
あー、向いてないなと思ったこと。
そうだなぁ。
思い悩み続けるとか?
面白いな、それ。
なんかあるんですよ。多少の感情のアップダウンはもちろんあるし、すごくズーンとするときもあるはあるんですけど、
僕は割と自分でずっと歩いたりとか、なんでだろうみたいな考え続けたりすることで、
自然と解けてくるというか、対処されていく傾向にあるし、
大概寝れば元気になるみたいなところがあるので、
あんまり同じことにずっと悩むみたいなことは逆にできないくらいな感じなんですよ。
だからそういうコンツ目で一つのことを、
継続するとはまた違う意味合いでやり続けるみたいなのは、あまり向いてないかもなってちょっと思ってます。
それは逆に言うと、習慣を継続するとかはある程度できるっていうか、悩むとか、行動面で。
行動面、本当にやろうと思ったらできるし、
例えば好きなアーティストの新曲が出ましたみたいになって、
それを自分で歌いたいとか、自分のものにしたいみたいな時って、
もう聴きたくないやってるくらいまで聴くんですよね。
自分でハマりたいと思ったものを、これでもかってくらい落とし込んでやる風刺があるんですよ、自分の中に。
それ一色に自分を染め上げることで、ある日突然飽きたりするんですけど、
そこまでいくと、さっきの歌の例で言うと、それが歌えるようになったりとか、
理解できたりとか、新しく始めようと思った趣味についてすごく理解したりとか、
過集中みたいな感じでガッとやって、ある日突然覚めるみたいな傾向にあります。
じゃあ結構、具体的にこの仕事がとかこの経験があっているのはあんまりない?
あんまりないかも。
2個あると思ってて、向いてないと思ったけどやっぱりやったらできるようになったみたいなパターンと、
そもそも向いてないと思うことすらなかったなみたいなパターンとあると思うんだけど。
それで言うと、別に好きでもないし向いてるとも思ってないけど、やってみたら意外とできたの方が多いかもしれない。
だからすごい極端なことを言うと別にできないことは特になくって、
やろうと思えば、わりかし容量よくできるはできるんだけど、
ある種、自分ができるマックスはここまでだろうなみたいなものを早く見えちゃうが故に、
それ以上先のとこまではなかなかやりきれなかったり、そうやる前にはもう違うことをしていたりとかな感じかな。
わりとたぶんここ2人が似たタイプなんで、そのあたりは。
僕もこれできないなーみたいなのってあんまりなくて、
やってりゃできんじゃね?みたいな気持ちの方が強いからさ。
向いてないみたいな経験があんまりない。
まぁ逆に言うと向いてないと思うようなことはそもそもやってないみたいなことかもしれないんだけど。
そうかもしれないね。本当に自分が向いてないことにトライしたことがないのかもしれないね。
正直は僕絵とか下手だからさ、絵描くとかはそもそもトライもしてない。
なるほどなるほど。それはわかるから。
絵描くとかも一応トライはしてないけど、
でもあれって経験と技術でたぶん1年くらい前にちゃんとやったらできるようになるんじゃね?っていう気持ちだけはあるみたいな。
なるほど。なんかこうちょっと逆算してなんとなくできるまでの道のりは見えるみたいな感じ。
そうそうそう。なんであれ100回くらいやったら多少は物になるんじゃね?みたいな感覚があるというか。
確かにそれはなんかあれだね、我々きっと受験期とかに培った何かなのかもしれないね。ある程度は。
みたいなその乗り越えた経験が故に向いてない、だからやらないでおこうってあんまりならない。
逆に言うとその他人の向いてなさをどこで思うかっていうところもあるよね。
なるほどね。だからそれで言うと結構僕がしてる仕事はこうやっぱ対人援護職だから、
どうしたって人とコミュニケーションを取ることがもう仕事に直結をしているタイプの職種なのね。
全ての仕事は絶対発生していることだと思うけど、より一層そのコミュニケーションが直仕事になるというか。
そういう自覚というか認識を持って僕保育園看護師っていう仕事をしてるんだけど、
なかなかそのやっぱ人とコミュニケーションを取ることが得意不得意が絶対あるじゃないですか。
ただその自分が不得意だということを認識した上でうまくやっているタイプの人と、
自分は不得意だと思っていないでそのまま業務に当たっているタイプときっといる2種類あるなと思っていて。
この前者の方はね、ちゃんと自己認知ができていてそこをわかった上でのコミュニケーションっていうところで、
まあ業務には差し支えないようにっていうと変だけど、それでもできるように工夫がなされているんだと思うんだけど、
そうじゃない、要は自分がそれが不得意だという認知がないままにできてると思っているのかはわからないけど、
そういう意識にある方ってすごくずれるんだよね、なんとなく感覚がね。
それを認知させるので、割としんどいじゃないですか。
確かに。本人ができてると思っていることをそれできてないですよって周りが言うって結構大変だよね。
そうだし、できてないですよって言ったところで、え、できてますよって返されちゃうと終わっちゃうみたいな。
だからそのいたちごっこが難しいなってちょっと最近思うことがあって。
こう不機嫌な態度したら周りが慰めてくると思ってるなっていう気持ちになっちゃうみたいなふうに。
でもこれって、僕じゃない人が見たらそういう認知埋まらない可能性あるじゃん。
そうね。
これがその不機嫌になるってことは、この会社に合ってないとか仕事が合ってないなっていう感覚になっちゃう。
でもまあまあそういうコミュニケーション取る人いるようなぐらいで終わらせる人とかもいるし。
っていう意味では、仕事に合ってる合ってないと同時に自分と合ってる感覚かどうかみたいなのとかもあるのかもね、認知として。
そうだね、確かにね。
要はなんか自分の価値観とか考え方とずれてるとなんかやっぱ違和感は絶対感じるもんね。
みたいなところでその向いてないっていうものが、もしかしたらその仕事への適正というものももちろんあり得るんだけど。
一方で同時に自分の認知として、自分の感覚と合わないから合ってないなっていう感覚になっちゃうみたいなことも、
俺はちょっと合ってないっていうのを今思い出しながら。
なるほど、いやーそれはあるなー。
きっとね、僕の気持ちとか思いも、僕からの発信が正しく伝わってないみたいなのもやっぱりあるなと最近は感じるようになっていて。
難しいよね。
そうだね。
そういう時に、とはいえ仕事をする以上関わらなきゃいけないっていう時に、ストレスじゃないですか。
まあまあ、大大小だけね。
この場合、思い切ってやめるなのか、移動するなのか、離れる努力をするべきかどうかみたいなのはちょっとあるよね。
そうだなー。
ねー。
なんかこう、難しい時代ですよね、その後ね。
そうだねー。
なんか追い詰めたらやめちまえみたいに言えない。
そうだね。
みたいなことですし。
これ、たとえば今、千尋先生の主観ではなく、千尋先生が見ている他の同僚の方々として、
他の同僚の人があの先生と一緒に働けないです、会わないんです、あの人。
あの人来てないです、みたいなことを。
千尋先生が決裁権、人事権みたいなことがあったとして。
はいはいはい。
で、来ましたと。
どうするっていう話をね。
そうなんだよね。これ、みんなどうしてるんですかね。
いや、絶対あると思うんですよ。
関係に1人2人そんなような人いると思うんですよね、この業界特に。
僕は保育園の人間ではないですけど、昔同じチームで働いてる。
これは今の会社ではない話なんだけど、社会人になってからの話なんだけど。
同じチームで、自分がリーダー的なところで、
メンバー2人ぐらいいる2人がものすごく会わないですと。
お互いに。
お互いに。
片方はまだ大学生のインターンとかで、
片方はもう正社員、2、3年目の仕掛けで、みたいな感じで。
インターンとか上昇志向が強すぎて、正社員の対抗意識がめちゃくちゃ出ちゃう。
あの人社員なのに、みたいなのもあるし。
正社員側正社員側で、いやいやお前の見えないところでいろいろやってんだよ、みたいな。
言うて言うてインターンやろ、みたいな。
いやね。
結構バチってる中で、相談が来て、結果的に僕は別チームにしました、もう。
あーなるほど。話したんだね。
今思えば、ちょっと話を聞きすぎたなともうちょっと思ってる。
あ、互いの?
そう。会社って別に学校じゃないから、あなたたちがどう思ってるのは不正化に関係ないのであれば、
いいからやれよっていうメッセージ性も全然あるなというか。
確かに確かに。特にビジネスの世界はそうあってもおかしくないよな。
だから主体的な感覚としてはもう、相手に変えてもらおうと上司に訴えるとかではなく、
自分を変えるか相手を変えるか場所を変えるかしない、するっていう手段を自分で取った方がいいんじゃねっていうのをその時にちょっと思ったっていう。
まあ、そうだよな。そうなんだよな。合理的だよな。
もう一個あったのは、僕がそういうマネージャーとかに向いてないなっていう感覚が同時にあった。
ここで温情的な処置をしてしまうから。
なるほどね。要はどちらにも嫌われない対応になっちゃうから。
どっちの話も結構ちゃんとお互いにそれぞれの時間をとって、忙しい中1対1のミーティングをして、
そうなんだね、大変だねっていうのをそれぞれ聞いて、どうやったらするやつがあるかなみたいな時間に。
たぶん累計3人分の時間を汲めたら、本当に1週間分の営業日ぐらいを使うぐらいは累計でやってるってなると思う。
ああ、生産的な。
いや、知るかでバツンとやって、いいからやれってやった方が結構よかったかもね、みたいな話とかもある。
なるほど、なるほど。こう、わかんないけどね、実際どうなるかわかんないけど、でもそういうタイプの上司だって世の中にたくさんいらっしゃいますしね。
そういう人の方が実は成果を出すみたいなことも、その部下がどうなるかとか、今河原がどうこうとかあるからわかんないけど、
まああり得るだろうなっていう肌感はある。
なるほどね。単純に売り上げっていう数字の方が高い可能性だって全然あるってことだよね。
そうそうそうそう。
ああ、面白いね。
これの話に関してはその、やっぱりこう、なんかこの人と会ってないなっていう時に能動的に離れられるような形になれるといいよね。
離れられないと普通がすごいんだよね、お互いに多分。
そうだね。そして保育業界はそれがないから厳しいんだろうね。
まだ病院の看護師さんとかで本当にどうしようもない看護師同士のバチバチがあったら、ある程度部署を移動させるぐらいなんとかできるとは思うのよ。
ただ、いくら保育園でグループを急に変えるとかできなくはないのかもしれないけど、
ある程度小規模から大規模まで人数の差こそあると、それでも少なくても10名弱、多くても30名40名とか、それぐらいのレンジの人数でそうそう変わらないじゃないですか。
そうねー。
で、なんか場所が変わるといっても建物の1階と2階ぐらいしか変わらないし、1日に顔合わせないなんてこともほぼないだろうし、
とかって思うと、人間関係のトラブルがすごい大きくて、それによって離職率もある程度高かったりとか、職員のストレスの重要な部分を占めているにもかかわらず、
それに対処できる環境だったり状況だったりがほぼほぼない、打つ手がないっていうのが保育園は特に構造的に問題があるとしか思えないですね。
そこが難しいんだな。
僕の仕事みたいに基本的にはずっと家に在宅で、基本的にはZoomですか外会議しませんみたいな状況だったら、チームが違えばもうミーティングで会わないんだから、人数が少なかろうが分かってるよねみたいな話ではないもんね。
そうだし、もうその日の例えば決意、急に体調不良でお休みの先生側とかで何かあったら、どっかからヘルプに行ってとかガチャゴチャガチャゴチャ頑張ってやった結果、どうしても馬の合わない2人でこの時間の保育を見なきゃいけないみたいなことだってやっぱ怒り得るわけだし。
なんかその職員同士の相性とか、こことここはこうだからみたいなのを考えてシフト組み出すと、もうそれはシフト組むの大変だよねっていう。
どこまで何を配慮すべきなのか、そしてそれが本当に得策なのか。
でもエンドユーザー、まあエンドユーザーって言うかどうかなんだけど、子供にとってその2人のこう何というか、多角反応的なものは本当に良いのかどうかみたいなところがありますね。
数値化できないしね。
そこが一番僕との違いよね。
僕らもそのお客さんみたいなユーザーに向けてコンテンツを出したりとかしてるけど、それがそのチームのギスギスが伝わって悪い影響を与え教育に良くないみたいなことはありえないわけで。
そうなんだよな。そこが一般業種というかね、ビジネスとはやっぱ違うところね、保育と。
保育は特にそれがダイレクトに言いやすい。要は仲悪い2人が一緒に保育を見てたらやっぱ報告連絡相談みたいなものが滞りなくいくはちょっと難しいじゃない。
どうしてもね。
なんかそれによって見切れないところが発生してそこで怪我がとかももちろんあるし、何かがあった時にお前のせいだ、あんたのせいだみたいな感じにもなりやすいし。
やっぱ人間って不思議でそういうなんかお互いのイライラとかなんとなく不和みたいなものが伝わるんだよな。
それがね、もっかい私の最近の悩みというか疑問というかでしたね。
じゃあここからはもう一段階ギアを上げていくので、寺崎さんみんな聞かないでほしいんですけど。
そうですね。どうもありがとうございました。
寺崎先生はどういう人が会わない?
それによると別に僕単体でこいつはもう本当にダメだなって人は別にそんなないんですよ。
僕単体だったら割とどんな人でも別に何とでもなる。
ただ、僕とその対象者と別の職員みたいな感じの数字が3になった途端に、もうね、いろいろあるなって感じ。
それこそ僕も感じと一緒で、どちらかに好かれるあるいはどちらかから嫌われるみたいなムーブはあまり取りたくないので。
理由としてはめんどくさいからっていうのが一番大きいんだけど。
そうなるとどうしたって発泡美人な感じにはならざるを得ない。自分の動きが。
よく言えば干渉罪的なスイス的な永久中立国ですみたいな、そんな顔での立ち振る舞いにもなるんだけど。
なんかどっちつかずになることで、逆になんかこれが本当にプラスだったのかなみたいな場面は、今まで仕事以外でもそういうことって結構あったなって思うと。
もっとはっきり自分の意見がパシッとあって、いや俺はこうだから、ぐらいな頑固親父ぐらいな人間性がもうちょっと自分にあってもいいよな、あったら楽かなってちょっと思うね。
苦手がないが故に、そこの自分の核なる部分を打ち出すほどのものがないから。
それによって円滑に回りきれない人間関係の中にいるときにちょっと疲れちゃうっていう感じだな。
これ、僕の個人的な持論は、基本的に人間ってそんなに大差なくて環境の生き物だっていう持論があるんですね。
なので、誰もがこういうコミュニケーションを目指せばできるようになるはずだ、みたいなちょっと強い持論があったんだけど、ある種偉そうじゃないけど、そんなことないはずなんだけど。
結構傲慢じゃん。お前も俺と同じようにやったらできるはずだっていうのは。
確かに。やや傲慢気味。
そうそうそうそう。なんだけど、人間ってそんな大差ないと思うから、やればこう、こうやったらこうじゃないっていう感覚があって持論なんだけど、
コミュニケーションにおいてはやっぱりその人というか、パーソナリティというか、キャラクター性みたいなものが強すぎて、ずっと話してる木曽さんと僕が同じコミュニケーションをするかって言われたら絶対しないじゃないですか。
うんうん、しないね。はっきり言えるね、これは。
やや似てる僕とチロ先生だとしてもやっぱ違うのよね。
そうね、やっぱり各々のキャラクターによって全然違う。
だからこのキャラクターを掴むみたいなことの方が実はそのコミュニケーションにおいては本質だよね。
これはその自発的に出るものもあるし、演じたいものを作るみたいなのもあるだろうし。
彼女はその演じたい自分を作るのが上手だからね。
そうなんだと思う。素の自分とかあんまり信じてないから。
そういう感じ。
それも強いね。
そうそうそうっていう思想だから僕はこういうコミュニケーションを取る。
そう思わない人たくさんいるだろうし。
そうだね、その感覚は全く持ってないですって人もたくさんいるだろうね。
っていう時に育成とか教えるとかたくさんできることはあるんだけど、
コミュニケーションを円滑にしましょうっていうのはもう本人が築くしかないんだよね。
本人なりの適切なもの。
あれだな、今話しててすごい思ったのは、もう半分ちょっとオカルトチックになっちゃうけど、
もうその人の名前とかもう星占いとか。
でも本当にその…
ありとあらゆる個性を可能な限り見える化して、
この人はこういうコミュニケーションの方が向いてるみたいなところから、
あなたはこういうコミュニケーションが向いてると思いますって提示してやってもらうぐらいな。
半分冗談だろうけど本当でMBTIとかも結構それなのよ。
そうかそうかそうかね。
あれも結局すごく科学的手法なわけじゃないじゃん。
ちょっと占い的要素があるというか。
若干昔流行った診断メーカーというか。
あれよりは多少あるのかもしれないけど、
すごく大別すれば血液型占いとかと近い。
あれよりは多少16個もあるから。
そうだね、もうちょっと信憑性があるのかもしれないね。
でもあれってよくて、あれを自分で信じてあれなんだっていうので、
あれに寄せるっていう結果的に、
僕がさっき言った、自分でキャラクターを奪うのと一緒だから。
その占いをすることにはエネルギーをそこまで使わなくてもできるぐらいのところになんとなく行き着くんだね。
そうそうそうそう。
あなたは動物占いでいうところのペガサスなんだからとかもそういうことね。
なるほどね。
こう一個仮名を準備してあげるみたいな感じ。
そうそうそうそう。言い訳を作ってあげるみたいなのはちょっと面白いかもね。
そういう人事配置というか、そういう人材育成を頑張ってやってますっていう企業とか感じてるみたいな。
私たち人材育成に星占いを採用してますぐらいの。
FBTIとストレングスファインダーは結構やってるとかあるんじゃないかな。
やったわ。思い出したわ。ストレングスファインダー去年やったな。
あれもそうじゃん。自分はこれが強いんだって思い込める思想の一個だからさ。
確かに確かに。びっくりしたよね。
なんかもっと自分の尖った部分を使える技みたいな感じで教えてくれるんだと思ってドキドキした。
一番ポジティブだった。
確かにそうじゃん。さっきの思い悩みすぎない。
そうそう。だから合ってるんだよ。すごく合ってるし、言い得てみようだなと思うんだけど。
ポジティブって何?ってなんかすげーさ、なんか頭悪そう。
でも僕、最下位者構成とかだから。
ほんと面白いよね。合ってるよね。
合ってる合ってる。すごい合ってる。
あるがゆえにちょっと悲しかったっていうのが。
でもああいうのはやっぱりそれに振り回されずにそれを使うぐらい。
じゃあ自分ポジティブなんだからこういうのできるかもね。
労働的に用いれればいいよね。
なんか保育版のそういうのがもっと仕事で使えるものがあったらなんかコミュニケーションを円滑にとかできるのかな。
こういう保育士タイプ診断みたいなもの。
それをさ、ほら、自分だけじゃなくて人と共有することで、特に管理者とかリーダー職とかがその人の人となりを知る術が今さ、
一緒に保育してちょっと雑談したり働いていく中で見えてくる姿でしかその人を基本的に判断できないじゃない。
そこにもう一個プラスして、なんか自己紹介みたいなのやってる例とかもあるんだよね。
私の今年の推しはこれですとかさ。
確かにああいうの見るとちょっと親近感湧くじゃない。
この人ハリポーター好きなんだって思ったらなんかちょっとぐっと距離が縮まったような気がするみたいなところで、
なんかもうちょっとそれらを職員同士のコミュニケーション円滑にするためのツールとして何か提供するものがあったら、
もしかしたらそれをきっかけに人間関係のトラブルがちょっと減るかもしれない。
確かに。やっぱりその人間関係のトラブルってその人のタイプがわかんないから勝手に自分の理想型というか、
こうあって欲しいはずの人に当てはめたものと違うからなんか違和感があるわけで、