1. ホイクベースラジオ
  2. #61 子どもの遊び場はどこへ?..
2025-11-23 36:34

#61 子どもの遊び場はどこへ?身体性を伴う遊びの未来を考える

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。

今回は「遊び場が減っている」というテーマで議論しました。公園の数は増えているのに遊具は減少している現代。安全対策が強化される一方で、子どもたちの運動機能や身体性を伴う遊び体験が失われつつある現状について語り合いました。

オンラインゲームや室内型施設へのシフト、習い事での体験、そして保護者の過剰な安全志向。情報化社会によって可視化された「リスク」に対して、社会全体が過敏になりすぎていないか。「失敗する権利」や「冒険心」を育む機会が減る中、子どもたちはどう成長していくのか。

公園や保育園での怪我に対する向き合い方、保護者と保育者の関係性、そしてポリシーを持って子どもの育ちに向き合う大人の在り方まで、現代の子育て環境を多角的に掘り下げた回です。

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BGM : MusMus

サマリー

今回のエピソードでは、子どもたちの遊び場が減少していることについてお話しします。公園の遊具の変化や安全対策が遊びに与える影響を考えています。また、ゲームの普及による遊び方の変化や、都市部における遊び場の不足にも触れています。このエピソードでは、身体性を伴う遊びの未来について述べられています。特に、オンライン遊びやメタバースでの遊びが子どもたちにもたらす影響や、保護者の安全意識が遊びの機会をどのように制限しているかについても考察されています。子どもたちの遊び場の減少や保育園における遊びのあり方についても言及し、現代社会における子どもの身体性や育成の重要性が強調されています。また、保護者と保育者の関係性が子どもの体験に与える影響についても議論されています。

遊び場の減少
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。
新規事業の力で日本を開国せんとす、行動会社黒船の基礎です。
同じく、黒船のコアジーです。
僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
このラジオでは、現役の保育園看護師である僕、チロ先生と、保育は未経験だけど、
いろんなことをして働いているお二人とで、様々なテーマについて語りながら、
保育や保育園看護の面白さを発信していけたらいいなぁと思って、
何年やかんや続けているラジオでございます。
というわけで、今回はですね、テーマとして、
基礎さんが感じている、遊ぶ場所が減ってるよねっていう話を、
前、どこかでラジオなのか、個人で話したのかわからないけど話していたので、
そこについてちょっと深掘ってみながら、話をできたらなと思っております。
よろしくお願いします。
確かに一般論として、公園が減ってるとか、遊具が撤去されてるとか、よく聞きますもんね。
ファクトがあるとか、エビデンスがあるっていうことよりも、
体感として、昔より遊ぶのが窮屈になったよなっていう感じがあるという話。
自分が多分前にしたときはね。
特に遊具、我々の世代って普通にジャングルジムがあったり、
くるくる回るやつがあったり、ブランコとかも一般的なデザインのやつだったりして、
やっぱ最近、新しくできる公園とか、再開発でね、公園が新しくなったりとか、
結構あるんだけど、僕が住んでるところでも。
やっぱり入ってくる遊具が、ユニバーサルデザインになって、
誰でも使えるみたいな、いわゆるブランコも、
普通にただ板に鎖繋がってできるようなやつじゃなくて、
円盤型の縦とか横にぶれないとか落ちないようになってるようなやつ。
円盤型で鎖が4本くらい繋がってて、
めちゃめちゃ危険なやり方をしなければ、そう簡単に落ちない。
ちゃんと安定して座って、揺れて遊ぶことができるようなやつに変わっていたりとか、
滑り台とかも、我々の世代ってプラスチック製というよりはスペンレスなイメージあるじゃない。
そうだね、夏めっちゃ暑かったっていう印象があるな。
普通に隙間が空いてる段々を登っていって、
大した手すりもなくてそのまま滑るみたいな感じのやつだったと思うんだけど、
全体的に安全対策がしっかり練られた上での遊具みたいなものが増えていたり、
なんかしかも公園の中に大人用というか、おじいちゃんおばあちゃん用というか、健康機材みたいな。
あー、ぶら下がり棒みたいなやつとかね。
ぶら下がり棒みたいなやつとかが一緒についていたりとか。
楽しいやつ、楽しいやつじゃなくて健康のやつね。
健康のやつ。
健康遊具と言えば聞こえが良いのかもしれない。
新しいこうやって、どれもこれもそういうのがついていて、
そこに絶対これは子どものは遊んではなりませんよみたいな注意書きが書かれてたりとか、
この遊具は何歳以上、6歳から12歳対象年齢みたいなのがすごい書いて、
まあ書かなきゃいけないんだろうけどね、法律的にきっと。
なんかそういうのがすごく多いなと感じている。
今ちょっとAIさんに少し調べてもらったんですけど、
どうやら公園の数自体は増えていると。
全国の都市公園というか、2010年がだいたい9万9千、約10万ぐらいあったのに対して、
2024年では11万5千ぐらいだから15パーぐらい増えてるし、
人口あたりに対する面積に対してもちょっと拡大はしてると。
なんですが、そんだけ公園が増えているのに遊具が減っている。
遊具がですね、3年ごとの調査なんですけど、2010年の時点で45万8千ぐらい。
だったのに対して2019年時点で39万2千と。
公園は増えてるけど遊具はむしろ減ってると。
その内訳を見ると、さっき話題にあったブランコとかも、
ゆりかご型ブランコっていうのが流れてるけど、こういうのとかはもう25パーぐらい。
ゆりかご型ブランコって、なんか2,3人で乗れるようなタイプのやつか。
たぶんそうだね。
うん、あったね、そういうの。
とか、回転と。
普通のやつじゃない?
普通のやつなのかな?
そうかな。
普通のブランコが流れてる。
違うかな。
わかんねえや。
この辺りのものを調べてください。
とか、グローブジャングルっていうの、回転と編み編みで回転する。
それがさっき話したやつだよね。
さっき言ってたやつだ。
とかが減っているっていうので、
単純にやっぱり老朽化も進んでいるので、
一旦撤去したらもう再設置しないみたいなこととか、
あとは2004年とか2008年ぐらいに結構死亡事故が多かったらしく、
その頃にガイドラインが強化されて、
もうこれはダメだみたいなことがあったりとか、
あとは近隣の苦情が多いので、
子どもが集まらないように遊具を撤去するみたいな
事態がちょっとあったっていうのが回答みたいですね。
なので公園の量、公園という概念そのものは増えているが、
遊具が減ってるので、
相対的により遊び場が減ってる感じがするっていう。
新しい遊び方の提案
そうだね。
特に子ども目線で考えたときの遊べる場所が減ってるっていうのは間違ってないってことだね。
そうなぁ。
なんか。
苦情とかもなぁ。
昔できたことができなくなっていくっていうのはね、
時代の流れというものも確かにあるんだろうけど、
なんかなぁって思っちゃうよね。
遊び。
で、このその遊び場が減ってるよねっていうテーマをそもそも言ったときにもそうなんだけどさ、
なんかその遊びというものと、
遊びっていうものってある種の危険とは一定隣り合わせの部分があると思っていて、
完全に安全な中の遊びってあんまないと思ってて。
なんかその、安全みたいなことと遊びのバランスみたいなのが、
ちょっと今なんか安全の方に行き過ぎじゃねっていう感覚を持ってるっていうのが、
俺の感覚に近い。
はいはいはい。
わかるんだけどね。
でも、もうその感覚そのままだと思うよ。
本当に。
怪我のリスクを低くするためにいろんな施策がなされていて、
怪我をさせないということがなんか第一目標みたいになっている節は、
いろんなとこに感じるよね。
実際死亡事故とかあっちゃうと確かに怖いから撤去したほうがいいよねっていう、
ちょっとわからなくはないけどね。
そうだね。
その代わり安全なものを設置しようっていうのも、
それはそれでお金がかかるわけで、
その力学は働きづらいよねっていうのも、
わからなくはないですね。
そうだね。
遊具が減ってるっていうこと自体には、
仕方ない部分はあると思うんだけど、
遊具で遊ぶことだけが子供の遊びではないと思うからさ、
そこに関しては全くしゃあないねみたいな部分も多少あるんだけど、
じゃあそうしたらどういう遊び方をするのが今の子供たちにとっては楽しいのか。
スイッチしよう。
やっぱマイクラか。
マイクラ、フォートナイト、エーペックス。
身体的リスクは少ないよね、ゲームしているうちに。
頭でっかちな感じになっちゃうよな。
頭でっかちな。
ゲームしてる方が。
そうだよね、ゲームしてきた人がいるからね、遊ぶよりも。
一概に学力的な面では何も偶の音も出ないんだけど。
だから正解はない、これだけ遊べばいいみたいなものでもないと思うから、遊びって。
でもなんかちょっとね、その騒音の話とかはさ、
子供少子化減ってますみたいな話がある中で、
そういう話が増えてくるとますます子供を産もうって思う人いなくなるよね、育てようって思う人が。
だからやっぱり教育移住とか地方に移住するみたいなことは確かに増えてて、
教育のために、子供のためにみたいな。
っていうのはあるから、都市部、特に都市部においてそういう問題が起きてるよねっていうのは一つあるんだろうね。
逆になんかさ、さっきも話したけど遊具で遊ぶのが絶対の遊び方ではないし、
遊具じゃないもの、例えば自然の木登りとかさ、
なんかそういう遊び方をするっていうのもある種大事な遊び方だと思うし。
でも都市部においてはそういう遊び方すらできる場所がちょっと少ないよね、みたいな。
そうそうそう、大きめの自然公園みたいなと聞いたときに、
ここでは木登り禁止ですって言われたもん。
木登り禁止、まあね、それの理由がさ、木にダメージがあるからなのか、
なんかそこから落ちた時の責任問題を嫌がってなのかとか、ちょっとそういう理由も気になるところですね。
予報家だ。
ちなみにこれ今さっき公園の遊具の話したけど、
保育園の施設においても結構同じような流れはあったりするんですか?
もともと遊具があるタイプの園とないタイプの園とはあると思うんだけど、
でもやっぱり数としては遊具は減ってると思う。
やっぱり安全の面から、それこそ老朽化もそうだし、
そういった死亡事故だったり重大事故みたいな、骨折とか、
なんか後遺症が残るとか、そういった事故が一例でもあると、
行政から指導が入ったりすると思うから、
なんかね、本当に何の害もない軽いつき山ぐらいのやつでも危ないみたいに言われたりするぐらいだから、
でも本当、子どもたちの運動機能が年々差があってきてるというか、
スポーツテストの結果なんか見てても、
もうどんどんどんどん数値が下がってるし、視力も落ちてるし、
怪我のリスクが、子どもたちの体の面から見てもリスクが上がってるというか、
逆にね、怪我っていうわかりやすい部分に関しては減ってはいるかもしれないけど、
その分逆にその先の発達というか、スポーツのスコアとか、
なんかそういう部分は下がってるみたいな。
怪我と違って危機感感じづらいもんな、そういう事で。
なんか多分、我々が子どもの時代とか、我々の親世代の幼少期に遊んでいる、
体を動かしている率みたいな、時間も強度も年々下がってるんだろうなという感じはする。
し、夏場とかもう出られないじゃん。ここ最近めっちゃ暑いですけど。
夏休みは外で元気いっぱい遊んで、汗かいて帰ってきてアイス食べるみたいな文化から、
もう外行って遊ぶなんてそもそも土台無理な話で、
室内のクーラー切ったところで軽く体を動かすぐらいしかできなくなってきてる。
だから環境的にも厳しいし、社会的にも厳しいしっていう。
自然環境の話が組み合わさった結果、社会環境の話もあるってことだよね。
その辺が難しいとこなんだろうな。
全然自分が子どもの時もそうだったけどな。
いや、そんなことはないよ。もうほぼ外にいたし、俺。
全然家にいたかったし、だけど。余裕で。
日中はほぼ外にいた気がする。ゲームする時は別だけど。
小学校とかまだ入れたじゃん。我々の世代。
放課後にね。
特にセコムとか入ってなかったよね。夏休みも普通に入れて。
バスケとかしてたけど。
てか入っちゃいけなかったかもしんないけど入ってた記憶がある。
そっちかもしんないな。
ない。
一人やっぱ違う世界の住人が。
ほんとだ。
今、想像で話してるより、どうしたらいいかちょっと軽く調べてみたんだけど、
子どもがどこで遊んでんのっていうと、
もうやっぱりスマホゲーム機が圧倒的オーザーだと。
まあそうだな。
具体的なパターンで言うと、
遊びの中心がそこなのね。
友達とマインクラフトとかロブロックスに集合して、
ディスコードで通話しながら、
スイッチとかPS5で対戦しつつ、
YouTubeを眺めにするっていう。
わかる。これ。全然わかる。
超ピンポピン。
ケイタの方が今時の子どもなのかもしれない。
全然ある。ありそう。想像つく。
ロブロックスがわかんないもん。
ロブロックス一回やったことあるけど、
なんかイメージとしては、
YouTubeのゲーム版みたいな。
誰でも作ったものを、
ゲームを投稿できて、
さらっと遊べて、
10分15分くらい一つのゲーム遊んだら、
じゃあ別のやってみようみたいになるみたいな。
そういうゲーム集合体だね。
マリオがいないマリオパーティー的な感覚がある。
マリオパーティーのミニゲーム超大量にあるみたいな。
そうそうそう。
そういうやつ。
知らねえ。
そうだよな。
オンラインゲームになるのは自然な流れだとは思うけどね。
とはいえ、あとは室内商業型の遊び場みたいなね。
はいはいはい。
イオンであるとか、
遊び場の現状
増えたね。
喫茶庭とかもちょっと近いのかな。
ちょっとあれは、
体動かすとちょっと違うかもしれない。
そうだね。
でも、各夏のイオンモールとか、
ララポートとかそういうとこに絶対あるような。
いくらか金取ってやりますみたいな。
ボーネルンドとかそういうとこ、
キドキドとか。
逆に全然俺らには分かんないけど。
ロブロックスくらい分かんないよ今。
今こういう気持ちだったんだ。
すごい。
室内型の遊ぶ場所があるっていうのは、
全天候対応してるという意味では、
親にとってもメリットはあるんだろうね。
そうだね。
あとは習い事とかですかね。
習い事でスポーツをするみたいなのも。
習い事自体が増えているみたいなのも、
前どっかの回で見せた気がするけど。
確かに確かに。
それがあるし、体を強制的に動かす場になったりとか、
そこが一種の社交場じゃないけど、
知らない人と友達になるみたいな。
社会の技術的な体験ができる場所になってるよね。
確かに。
身体性を伴ったコミュニケーションは、
学校外だとそういうところになるんだろうね。
あとはちょっと面白いので言うと、
メタバース児童館みたいなのもあるらしいですね。
それはちょっと関心がある。
アバターでプログラミング体験を楽しむみたいな。
物理的な遊び場がないからこそ、
オンライン遊びの影響
オンラインの場を企業とかNPOが作る。
これで遊んでる子たちがどの程度いるのか、
めっちゃ気になるな。
それよりロブロックスやるやろって気しちゃうもん。
そうそう。
ちょっと不思議な感じがする。
社交の場という意味では、
常に別の概念が存在し続けてるが、
確かに身体を自然と触れながら動かすみたいなものが、
難しくなっているっていう課題感は当然ありそうだね。
あるよね。
なるほどね。
なんかそうだね。
本当にこの遊び場が減ってるよねっていう話は、
本当にそうなんだろうなっていう一定の尺度で見れば、
そうなんだろうなって思うけど、
やっぱりこの問題を考えるときに、
自分がどうしても気になるのは、
そこの安全性というか、
その冒険心みたいなところで、
自分が子供だったときに、
ずっと親の目の届く場所にいたとかさ、
ってわけではないから、
なんか目の届く場所、安全な場所の中だけで遊ぶ、
体験をしている子供たちというのが、
どういうふうに育つんだろうかということにとっても興味がありますね。
そんなふう。
そんなふう。
じゃあめちゃめちゃいい子じゃん。
大丈夫だよ。
きっちりした人に育つ。
ごめん、それで言うと、
まあ、彼女はちゃんとしてるもん。
間違っていて、
君が目の届かない場所で遊びすぎの局地だから、
そういうこと?
自分の認知で一般を見ないでほしい。
おー、なるほどね。
いや、なんか、
なんていうのかな。
その通り。
ケータがどうこうとかではないけど、
いわゆるどっちかというと、
俺的には保護者に対する問題意識があって、
子供が怪我することに対しての親の捉え方っていうところが、
結構気になる部分かなと思っている。
なんかいろんなことをさ、
好奇心ベースで、
子供の思っている好奇心ベースで、
あれやってみよう、これやってみよう、こういうとこ行ってみようみたいなことがさ、
なんか安全、危ないから、安全じゃないからで、
結構阻害される面が多いのかなというふうに感じてて。
それってなんか、
それがダメってわけじゃないけど、
なんか子供にとっての話だから、将来どうなるかの話っていうのは、
もう全然そこの関係性をちゃんと証明できるものではないんだけどさ。
子供が怪我するっていうことに対して、
保護者がどう捉えているか、
多くの人たちが、今の人たちが、
っていうことが気になるから、
なんかうちは男兄弟だったのもあってさ、
多少の怪我に関しては、
そんなもんよっていうレベルの男感だったし、
でもなんか、
昨今、遊具がなくなる話もさ、
もちろん死亡事故が起きたから、
それが危ないっていう話にはなると思うんだけど、
そんなこと言ったらもう基本的に、
なんだろうな、いろんなものを禁止していかなきゃいけないってなったらさ、
俺つまんないなって思っちゃうっていう、
完全に主観的な話で、
適度に危ないものを、
危ない可能性があるものってやっぱ面白いっていう、
面白い可能性があるという部分が、
自分の中にもあるから、
なんかね、
そういう余白をうまく残したいな、
っていう気持ちかな。
怪我じゃない形の危険は、
むしろ近づいてはいると思うけど、
ネットの使い方とか、
見ず知らずの人間と絡む機械みたいなものが、
オンラインの方があるから、
そうだね、リテラシーがない状態で。
あるし、それも親の目が届かない場所だからさ、
それはそれで存在はするだろうね。
怪我という肉体的リスクじゃない分、
より危険っていうのはむしろあるかもしれない。
昔は存在しなかった種類のリスクではあるかもしれない。
そうそうそうそう。
親の目が届かない場所で。
オンライン上のそういう関わりが増えてきて、
実際に依存症のリスクがすごい上がってたり、
実際に依存症になって、
それによる犯罪だってもちろん増えてるし、
難しいとこですな。
そうだな。
身体的な怪我はしないかもしれないけど、
逆にもうちょっと危ないことに巻き込まれる可能性は、
オンラインの場合はあるしね。
確かに。
現代ならではのリスクはあるよな。
難しいよね。
小学生からそういうふうにオンラインで遊んでて、
みたいな話になった時に、
危ない人との距離感の取り方とか、
この人はあんま危ない人かもしれない、
みたいな感覚をどう磨くのか、
みたいな話もあると思う。
大人でも磨けてない人は磨けてないからな。
大人になっても。
距離感バグってる人いくらでもいるから。
確かにな。
でもあと気になるのは、
実際そういうふうに結構安全安全を気にしてる中で、
怪我をする人というのは減っているのかっていうのは
一個気になるかな。
昔そんだけ外に出てた子たちが、
オンラインにいるだろうで、
普通に考えたら減ってそうなもんだけど。
怪我をするというか失敗をする権利というのが、
徐々になくなってる感覚っていうのが、
自分にとってのすごく違和感なのかもしれないね。
それを失敗する権利だけで言えば、
疑似的に、疑似的にというか、
これはこれで本当に一つの、
ゲームとかでも体験と体験じゃないですか。
それは多分そういう失敗だと思ってて、
俺が言ってるのは多分、
身体性を伴っている失敗の話だと思う。
体の使い方。
体の動かし方みたいなもんだな。
そういう機会がすごく減ってる。
オンラインでのPDCAみたいなのはもちろん増えてる。
より簡単にできるし、
失敗した時のダメージもまあ少ないから、
安全意識と遊びの変化
回数は増えてると思うんだけど、試行錯誤自体は。
ただ身体性が、
身体性こそが電子化するみたいな感覚があるんじゃないかなという。
オンラインで怪我をするってこと?
あるというか、
VRとかARのもう一段階先みたいな感覚というか、
よくゲームであるような、
もう電子空間に体ごと行くみたいな感覚を持つことで、
身体性をオンラインで再現できるみたいなことが、
もうちょっと先に起きてくる、
みたいなことは起きないのかなって思ったりはするな。
思ったらその通りに動くアバターとかが存在してれば、
その身体性を持つみたいなことはできる気がするね。
そうだね。
だから確かに今は絶対に肉体がある以上、
肉体の身体性の体験というものは価値は高そうだけど、
それだって対極的に言えば400年前とかに比べれば、
絶対今でも落ちてるわけだから、
その流れがどんどん加速するよねとかも当然あるっちゃありそう。
そうだな。怖いね。
あんまり僕はそこにリスクを感じてないけど、
それは多分、
自分が身体的能力が低いというか、
重視してないからみたいなのがあるんだろうな、経験上。
そうだね。
逆にきそくんはなんでそこにすごく、
別に重視してるだけじゃないだろうけど、
あんなに引っかかるのって何がありそう?
いや、単純にやっぱり今の世の中において、
子どもが身体性、体っていうのは今のところ不可分な状況で、
怪我をするということに対しての、
保護者とか周りの捉え方っていうのに違和感を持ってると思う、俺は。
怪我をすることそのもの自体に、
ちょっと過敏に反応しすぎではないかという感覚が、
昔と比べて強いのではないかという感じ。
それは、何だろう、過敏になるというか、
昔に怪我なんてもうちょっとそんなもんでしょみたいなレベルから、
いろんなことがこうあるべきというのが整理されてきていて、
安全であるべきとか、安全に配慮してあるべきとか、
そういうのが俺にとっては息苦しさを感じるっていう部分かな。
なるほどね。
なんか、それはあれかもね。
優遇が減っているとかっていうのも一因だろうけど、
情報化社会とかの方が影響度がでかそうだね。
そうなんだと思うんだよね。
誰かが騒いだことに過剰に反応しすぎちゃうっていう、
その構造がちょっと気持ち悪いというか、
それでも堂々と、物は悪くないじゃんって。
だったら包丁全部なくしますかみたいな話だから、極論すると。
そこを自信持って言える。
高谷さん、縛られるのが嫌いだよね。
縛られるのが嫌いってわけじゃないんだよ。
誰かが騒いだことに過剰に反応して、
それを引っ込めちゃう。
誰かが良かれと思って設置したものを、
誰かが騒いで潰しちゃうっていうことに対しての違和感。
騒いじゃう人が多くなるというか、
怪我とかに対しても、
全部ちょっと過敏になりすぎではという感覚がある。
みんな発言力を増してるからこそ、
多分そういうことが目につきやすくて、
自分が子供だったとしてそういうことを気にするから、
行きづらそうって思った。
自分がそれで、
怪我して危ないからここ行っちゃダメだよとか言われても
絶対行くと思うんだけど、
でもとはいえ、そういうことを言う人が増えている感覚があるのが、
ちょっとすごい違和感が感じるなっていう感じ。
実際今の子供、子供に限らず他者、自分も含め、
怪我とかより炎上とかのほうが怖いみたいな。
よりも同じぐらい怖いものだと思ってるみたいなのは。
怪我と違ってソーシャルなタトゥーが、デジタルタトゥーが残っちゃうからね。
子供に怪我させちゃいました、自由に遊ばせたせいでみたいな事件があったら、
超炎上しそうじゃん。
そうだね、そういうリスクもありそうだよね。
なんかその、親失格だみたいなこと言われちゃうみたいなのって。
絶対いるわな、そういう人。
あればじゃあ見とかなきゃってなるよねっていう。
そっちのほうがでかそうだね。
今それ言ってもらって思ったけど、
誰かを気にしすぎてることが気持ち悪いんだと思う。
なんかみんなが誰かを気にしすぎていて、窮屈になってる感じが、
子供の遊び場が減ってることに繋がってるというか、
その感覚かもしれないな。
なんかみんながちょっと周りを気にしすぎじゃないっていう、
配慮するのは大事かもしれないけど、
騒ぎすぎ、配慮しすぎというか気にしすぎというか、
うちはうちで頑張ってやっていけばいいのになって。
超監視社会みたいな。
まあまあ確かにそうだね。
それがあんまり好きじゃないんだろうな、その気にしすぎる感じが。
好きじゃなさそう。
参照されるの嫌いだもんな。
そうね、なんだろうね。
現代の遊び場の状況
みんな好きに生きりゃいいじゃんって、
もちろん一定の社会性を伴った上でだと思うけど、
保育園でもさ、前にチロが話してた、
子供が園内で怪我をすることに対しての、
ちょっと何かひっかけがあったとかさ、
そういうことでも全部言わなきゃいけないよねとか、
大事なお子さんをお預かりしている立場としては確かにわかるんだけれど、
もちろん保護者によっては、
そんなの大丈夫ですよみたいな感じだと思うんだけど、
みんながちょっと過剰じゃないみたいな。
そうだね。
そうね。
話します。
世界が持てる情報量が増えたからみたいな感覚があるよね。
今までだったらさ、
ゆっくり子供を死なせてしまった親みたいのって、
数えきれないほどいたはずなんですよね。
見えないだけでね。
これが全部可視化されて見えるようになって、
蓄積されるっていうことの、
功罪というか。
そうだね。
保育園もそうだと思って、
記録を取るっていうのは、
改善に生かせるいいことだからやろうなんだけど、
取る以上は共有したり報告したりしなきゃみたいなのがセットだから、
じゃあ変なことできない。
抑止力でもあり、
正義の抑止力でもあり、
負の抑止力。
加瀬にもなりうるよね。
加瀬にもなりうるよねっていうことなんだね。
勝利一体といえば勝利一体。
加瀬だな。
全てはやっぱインターネットが悪いよ。
インターネットは悪くない。
それは間違いない。
物とか技術そのものにインターネットはあんまないと思うけど、
なんかそうじてちょっとね、
お粗末な感じするよね。
そうだね。
だから、なんだろうな。
高瀬が感じていた内容に、
なんかちょっと似てるところで言うと、
やっぱり保育園っていう場所が、
一緒に保護者と子育てをするっていうよりは、
仕事をする保護者のために子供を預かるみたいな感覚の方が、
もちろんそういう施設だからいいんだけど、
その感覚がどんどん増してきて、
かつ保護者側もどこかお客さん目線なところがどうしたってあって、
保育者とか保育園と一緒にやっていこうみたいな意識が、
ちゃんとある人とそういうのがあまり薄い人と、
あるいは保育園からしてみても、
そういったことをちゃんと保護者に対してお願いしていたり、
一緒にやっていくんですよみたいなことをちゃんと伝えている園と、
そうでもない園、むしろ保護者のニーズには応えなくちゃみたいな感じで、
子供を一緒に育てるという感覚が薄い園に、
なんとなく分かれているような感じがあって、
やっぱりお客さん目線のそういった保護者に対して、
怪我させないようにしましょうみたいなところから保育が窮屈になっていて、
子供の本当の何というか必要な支援だったり、
子供にとって本当に必要なこの時期だけの経験みたいなものが、
阻害されているという面はあるなというふうに、
今聞いていて感じました。
保護者と保育者の関係
確かに遊具っていう事象、遊具が減った、
遊ぶ場所が減ったっていう事象じゃないところに色々あるっていうのは、
確かにあるわけですね。
あるね。
あとは、木曽さんがすごく怒ってるってことはよく分かりましたね。
たぶんね、怒りみたいなこの感覚の一つの
矛先というか、持ち方としては、
たぶんそういう騒がれても、それに対して、
いや、これは必要だよっていう感じで、
言えるポリシーを持った大人みたいなものが、
あんまり見えないなっていうことに対しての怒りというか、
自分のそういう軸は君たちにはないんかっていう感覚が強いと思う。
響かなすぎ、笑った。
いや、あれだな。分かる、分かったよ。
そこに愛はあるんかってことだよね。
そういう意味で、
ちょっと違うけどな。
ポリシー持っていきようよって自分なりのね。
ポリシーが炎上させることだったらあれなんだけど、
単純にかっこいい大人がもっと見たいですっていうことだね。
ダサい大人が増えてねっていう感じが、
昔から割合変わらなくて単純にさっきと同じで、
情報化社会の流れで可視化されてしまってるだけなのかもしれないけど、
せっかく歳を重ねているなら、
もっとかっこよく生きてほしいなと思う人がたくさんいるなっていう感じ。
いや、大人なんて全てダサいよ。
全大人がダサい。大人イコールダサい。大人は終わってる。
大人終わってるってなったらね、悲しいよね。
極端な人しかいないね、このラジオ。
大人終わってるか。
とはいえ、他人がどうこうっていう話をしててもしゃあないので、
多分、自分がそういうふうに生きていけるかどうかを
気にしていくっていうことのほうが大事だと思う。
感覚は別に昔から自分の中では変わってなくて、
年齢はどんどん増えちゃうけど、
自分で考えて自分なりの生き方を変えていくっていうのが大事だと思う。
自分の中では。
自分で考えて自分なりのいい感じに生きてくださいっていうところかな。
ちょっと騒いでる人多いなっていう感じ。
単純に他の人のことで。
みんなもっと楽しく生きたいよねって思ってる。
はい。というわけで、今回は遊びというところから
現代の公園の事情だったり、子どもたちの遊びの実情みたいなところから
戦闘基礎の生き方を変えていきたいと思います。
そこに戦闘基礎の怒りをぶつける。
そんな。
こいつなんで怒ってんだよってなるやん。
かっこいい大人でいたいなというか、
ポリシーを持ってっていうところは本当にそうだなと思って、
もっと自分軸を持って、
バーチャルな世界に負けない身体性を
自分は持っていたいなというふうに思っているので、
ぜひ子どもたちにも自分の体を大切にしてもらえるような
健康教育だったり関わりだったり保育だったりを
展開していけたらよいなというふうに改めて思いました。
はい。というわけで、今後も保育園や保育園看護に関する
情報を発信していきたいと思ってますので、
ぜひぜひGoogleフォームのURLから感想やご質問等を送ってください。
お待ちしてます。ありがとうございました。
ありがとうございました。
36:34

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