はい。
気持ちよくなるためだけの行為しか持ってないというか。
すごいね。
端的に言ってしまうと、割と否定派なんですね。
うん。
これが何でかっていうのをこれから話していったり、そんなことないようなのかそうだよねのかはちょっとわからないんですが。
うん。
話したいなと思うんですけど、そもそもお二人はどうですか?スタンスとして。
逆に俺腹割って話そうよって言われたら逆に今まで君たちは腹を割ってなかったんかって思うし、普通に本音で喋れよって思っちゃうタイプなんですね。
これは違います、僕と。
まるで立場が違う別のベクトルの意見だよね。
はい。これは全然違います。話が。
全然違います。なんかたった一文だったけどすげー高安らしくて面白かったね。
なるほどね。
僕もでもなんとか腹割って話すって言った時に、自分の感情を全部さらけ出すみたいなイメージなんとなくあるんだけど、
なんかそれで言うと別に誰にでも腹割って話しているわけじゃないような気はするんだが、
あと別に自分が取ってるコミュニケーションに嘘があるわけでもないし、腹割ってないってわけでもないしって思うと、
いまいち腹割って話すってどこまでいったら腹割って話になるんだろう?
そのグラデーションがすごい自分の中であって、どっちだろうなっていう気はしているのと、
無理やりこういう話につなげるとしたら、
今日もね、5歳児クラスの男の子2人の喧嘩をなんとなく仲裁する場面にいたんだけど、
彼らの言う、バカって言った、いや言ってねえしバカなんて言ってねえしバカみたいな話ってすげー腹割って話してるなってちょっと思った。
あーなるほどね。
腹割って話すってどちらかというとそういうコミュニケーションみたいなものを一通り学んだ後の、
思春期だったり大人だったりのコミュニケーションの中で成り立つ用語なのかなって気もちょっとしていて、
なんかその辺もちょっと言ってたら嬉しいなって思いました。
僕は多分どちらかというといまチロ先生が言ってくれたスタンスに近くて、
もうちょっと言うとその腹を割って話すっていう言葉の前提には、
腹の内というものが人類には存在して、
この内にあるものを出すか出さないかというものを分けてるよねみたいな前提が暗黙で存在していると思うんですよ。
僕はこれはないと思っている人間なんですね。
なるほど、前提がそもそもない。
ないっていうのは本当の自分とかないと思っているんですよ。
前もちらっとそんな話したよね。
あくまで社会とか人間との関係値とかに応じて存在し得る自分があるだけで、
本当の核となる自分が存在していてそれに対して援助しているんだみたいな発想が間違ってると思っていて。
ああ、なるほどね。
演技した発露そのもの自体、演技というものって言ってしまうんだけど、
発露したそのもの自体が本物なので、腹を割るとかではないんですよ。
なるほど、なるほど。
すべてはもう、ある種そういう意味では奇俗運と一緒かもしれないですね。
すべては腹を割っているんだと。
そうそう、出たものがそうでしょっていう話だよね。
その割に、ここで腹を割って話そうぜって言っている人たちは、
大体大々にしてきれい事を言わないとかと吐き違えているというか。
ああ、確かに確かに。
本音と立て前の。
そうそうそうそう。
立て前部分を取り除いた本音を聞かせろよみたいな。
そうそうそうそう。
それを吐き違えているなって。
かつ本音を聞けた方が、その人のことを分かったような気持ちになれるっていう、
共同の幻想が社会には存在するので、
それの気持ち良さだよねっていうことだと思っているっていう話なんです。
おー、なるほど。
なんか秘密を共有している方が親密度が増すみたいな、
そうそうそうそうそう。
で、これなんでかって言ったら、
相手のことを分かった気持ちになるっていうのが一個一個共通の幻想を作るじゃないですか。
うんうんうん。
でも、相手のことを分かるのって絶対にありえないじゃないですか。
うん。
なるほどね。
相手の心の内なんて絶対に分からないので。
うんうん。
その振る舞いから察することはできても、
本当に分かることは絶対にありえないわけなので。
うんうんうん。
なんで幻想なんですよ、分かった気になるっていうのは。
おー、そうね。
分かった気になるのは確かに幻想で。
そう。
幻想に包まれてるだけのものなので、
そこに本質を求めるのはなんか違くねって思ってるっていうのが僕です。
なるほど。
おー。
腹を割って話すについてね。
はい。
面白い。
はい。
みんなこういう共同幻想とか物語が好きなので。
うんうんうん。
というかまあ人類の発展のベースはそれだからね。
そうそうそうそう。
共同幻想。
そうだよね。
それがなかったら、
なんていうかコミュニティーって存在しえないみたいな感じの話になってくるわけでしょ。
だからその、機能としては大事だから、
うん。
いいんだけど、
それをまるで本質家のように語らないでほしいなって思うっていうだけです。
確かに。
要はその腹を割って話さないなんて、
なんかお前どうかしてるぜみたいな話は違うぞってことだよね。
そうそうそうそう。
で、キグタは腹を割って話すっていうことの、
なんか本質云々じゃなくて腹を割って話そうぜって言ってくるやつが嫌いな感じがするね。
あ、すごい。
一番分かりやすく要約するっていうことだね。
そうだね、そうそう。
腹を割る話っていうなんかその構造のところよりも、
そういうこと言ってきて共同幻想を持ちかけてくるのが嫌だっていう感じがする。
もう一個踏み込むと、
あなた腹割って話してないよねって詰めてくるやつが嫌いです。
それも確かに正直面倒くさいよね。
そうそうそうそう。
それを判断することは第三者には絶対にできないはずなのに。
何かでも思うとこがあるんでしょうみたいなことを言ってくるんだよね、そういう人はね。
そう。
なるほどなるほど。
確かにな。
すごいなんか社会人におけるコミュニケーションのすごい深い課題について、
ちょっとなんかこうね、アプローチかけてる感じがしますね。
そうそう。
そうだね、確かに。
他人を理解しうるのかみたいな話でもある。
そうそうそうそう。
もちろん普段の振る舞いから推測するとかはできるしやるべきだと思う。
そうだね。
けど、どちらかというと人間って振る舞いって人間の本質があって、
その本質が振る舞いを規定するっていうのは逆だと思うんですよ。
本当の自分論でしょ、それは。
そうそうそうそう。
その内面の自分というものがあって、
例えばものすごく優しい内面というものが仮にあったとして、
だから優しい振る舞いができますみたいなことにはならないと思っていて、
優しい内面を持ってるけど、めちゃくちゃ暴力狂いますみたいなこと。
その内面がどうであろうとそれは旗から見たらもう暴力狂う人じゃないですかね。
暴力だね。
そうだね。
仮に内心で全人類抹殺したいなみたいなことを思っている人だったとしても、
毎日社会活動をしているんであれば、それはもう社会活動をする素敵な人なんですよ。
素敵な人だね。
なるほどね。
振る舞いでしか人は人を判断できないので、振る舞いをすることで自分を規定するっていう順序だと思っているので。
そうだね、なんかそこも確かにな。
でもその発露でしか他人を、なんだろうな、把握できないっていうところにおいてさ、
例えば小説とか作品とかにおいての暴力を振るうってさ、その作者の内面がそうだのかっていう話にもなるよね。
絶対違うわけじゃないですか。
人を殺したいと思ってますとかっていうわけじゃないよね。
ワンピースの小田一郎先生が腕伸ばしたいと思っているわけじゃないじゃないですか。
わかんない、思ってるかもしれないけど。
海賊王になりたいとか思ってるかもしれないけど。
基本的にそのほら、自分の内面で思っていることとその発露のギャップみたいなもので、
例えば本音と立て前みたいなものがあるとして、立て前ではなく本音で語り合おうよじゃないとわかんないじゃんお前のこと、
みたいに言ってくるやつが嫌いだって話でしょ。
なんか言葉入れるとやっぱ嫌なやつかもね。
でも、子供たちとのコミュニケーションというか子供同士のコミュニケーション、
僕が普段関わっているその乳幼児の子供たちを見てると、いい意味ですごいストレートだし、
なんていうか、自分の要は内言って頭の中で考える言語があるじゃないですか。
それっていつからか自分の頭の中で急にそれが考えられるようになって、
推論したりとか遂行したりってそういう力に発展していくと思うんだけど、
最初のうちって考えたことがそのまんま言葉として外にアウトプットされる。
なんか独り言をすごい言うじゃない、子供たち。
で、そうやって頭で考えてる子も直通で外にザーって出ちゃってる時期があって、
で、それらがちょっとしばらく過ぎ去ってから、いろいろ脳みその処理とかが上手になっていくと、
考えるっていうこと、頭の中で考えるっていうことと、
外に向かって話すってことがこうやっと切り離されて、
別のものになっていくじゃないですか。
で、さらにもっと潜ると、潜るというか戻ると、
そもそもその言語を獲得するまでの間、
要は言語として話せるようになるまでの間に、
いろんな発達があるじゃないですか。