1. ホイクベースラジオ
  2. #56 腹を割って話すって必要?..
2025-07-02 43:36

#56 腹を割って話すって必要?―本音・建前と子どもの育ちをめぐる大人会議

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。

今回は「腹を割って話す」という言葉を徹底解剖!

  • 「本音で語ろう」と迫られるとモヤモヤするのはなぜ?

  • “腹”や“本当の自分”は本当に存在するのか?

  • 幼児期のコミュニケーション発達と〈本音/建前〉が生まれるプロセス

  • 乳幼児の愛着形成・自己肯定感と大人の“フキハラ(不機嫌ハラスメント)”の意外な関係

  • 「一人が平気/常に誰かといたい」タイプ差はいつ芽生える?

  • エビデンスで読み解く“甘やかす”と“愛情を注ぐ”の境界線

スタートアップ畑の2人と保育現場のチロ先生が、それぞれの立場から“共同幻想”としてのコミュニケーションを語り合いながら、子どもの頃の経験が大人の対話スタイルにどう影響するのかを深掘りしました。保育者・保護者だけでなく、職場のチームビルディングに悩むビジネスパーソンにもヒント満載の一本です。ぜひお聴きください!

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BGM : MusMus

サマリー

このエピソードでは、腹を割って話すことの意義が議論されており、特に本音と建前の関係や子どものコミュニケーションに関連付けられています。大人のコミュニケーションにおける共同幻想と、自己表現の本質が深く掘り下げられています。本音と建前についての大人たちの考えが取り上げられ、子どもたちの成長に及ぼす影響が議論されています。また、コミュニケーション能力の重要性や、自身の感情と社会の要求の間のギャップについて考察されています。ポッドキャスト第56回では、人とのコミュニケーションについて、特に本音・建前の話を通じて、子どもの育ちにおける重要性が強調されています。また、乳幼児期の愛着形成が自己肯定感にどのように関わるかが深く探求されています。子育てにおける厳しさと甘やかしのバランスについて論じられ、科学的なデータや研究者の意見を基に、適切なしつけと愛情の重要性が強調されています。また、情報過多の現代において、育児に対する不安や戸惑いも取り上げられています。腹を割って話すことの重要性や、日本の子供たちの幸福度について議論されており、特に子供と大人のコミュニケーションが、大人になってからの人間関係にどのように影響するかについて考察されています。

腹を割って話す意義の探求
こんにちは、保育園看護師の千尋先生こと佐藤です。
新規事業の力で日本を開国せんとする合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の康二です。
僕たちは高校の同級生3人で、保育業界の新規事業を作ろうと日々頑張っております。
このラジオでは、現役の保育園看護師である僕千尋先生と、保育業界は未経験だけどスタートアップとかIT企業とかそんな感じで働いているお二人とで、
様々なテーマについて語りながらも、保育園保育園看護の面白さだったり、大事さみたいなものを発信していけたらいいなと思って続けているラジオでございます。
はい。
はい、というわけで、これが公開される頃は5月の中旬ぐらいですかね。
多分そうですね。
ね、なんか、どんなテーマで話しましょうか。
あまりチェキとは関係ないテーマなんですけど。
関係なかったです。
今回はですね、ちょっと抽象度高いんですが、腹を割って話すとはどういうことか、それに対してどう思うかみたいな話をしていきたいなと思います。
抽象度高いですね。
はい。
腹割って話したいと思います。
よろしくお願いします。
はい。
ありがとうございます。
というわけでですね、腹を割って話すと抽象度高くいってしまったんですが、
聞いている方も腹を割って話そうよみたいな、お互いの思っていることとかを忖度なく話し合おうぜみたいなことを言ったり言われたりみたいなことは人生で一度ぐらいはあるんじゃないかなと思うんですけれど。
ありますよね。
先に言ってしまうと、この議題を持ってきた僕は、この腹を割って話すという行為をある種疑問だと思っていて。
疑問。
コミュニケーションの本質について
はい。
気持ちよくなるためだけの行為しか持ってないというか。
すごいね。
端的に言ってしまうと、割と否定派なんですね。
うん。
これが何でかっていうのをこれから話していったり、そんなことないようなのかそうだよねのかはちょっとわからないんですが。
うん。
話したいなと思うんですけど、そもそもお二人はどうですか?スタンスとして。
逆に俺腹割って話そうよって言われたら逆に今まで君たちは腹を割ってなかったんかって思うし、普通に本音で喋れよって思っちゃうタイプなんですね。
これは違います、僕と。
まるで立場が違う別のベクトルの意見だよね。
はい。これは全然違います。話が。
全然違います。なんかたった一文だったけどすげー高安らしくて面白かったね。
なるほどね。
僕もでもなんとか腹割って話すって言った時に、自分の感情を全部さらけ出すみたいなイメージなんとなくあるんだけど、
なんかそれで言うと別に誰にでも腹割って話しているわけじゃないような気はするんだが、
あと別に自分が取ってるコミュニケーションに嘘があるわけでもないし、腹割ってないってわけでもないしって思うと、
いまいち腹割って話すってどこまでいったら腹割って話になるんだろう?
そのグラデーションがすごい自分の中であって、どっちだろうなっていう気はしているのと、
無理やりこういう話につなげるとしたら、
今日もね、5歳児クラスの男の子2人の喧嘩をなんとなく仲裁する場面にいたんだけど、
彼らの言う、バカって言った、いや言ってねえしバカなんて言ってねえしバカみたいな話ってすげー腹割って話してるなってちょっと思った。
あーなるほどね。
腹割って話すってどちらかというとそういうコミュニケーションみたいなものを一通り学んだ後の、
思春期だったり大人だったりのコミュニケーションの中で成り立つ用語なのかなって気もちょっとしていて、
なんかその辺もちょっと言ってたら嬉しいなって思いました。
僕は多分どちらかというといまチロ先生が言ってくれたスタンスに近くて、
もうちょっと言うとその腹を割って話すっていう言葉の前提には、
腹の内というものが人類には存在して、
この内にあるものを出すか出さないかというものを分けてるよねみたいな前提が暗黙で存在していると思うんですよ。
僕はこれはないと思っている人間なんですね。
なるほど、前提がそもそもない。
ないっていうのは本当の自分とかないと思っているんですよ。
前もちらっとそんな話したよね。
あくまで社会とか人間との関係値とかに応じて存在し得る自分があるだけで、
本当の核となる自分が存在していてそれに対して援助しているんだみたいな発想が間違ってると思っていて。
ああ、なるほどね。
演技した発露そのもの自体、演技というものって言ってしまうんだけど、
発露したそのもの自体が本物なので、腹を割るとかではないんですよ。
なるほど、なるほど。
すべてはもう、ある種そういう意味では奇俗運と一緒かもしれないですね。
すべては腹を割っているんだと。
そうそう、出たものがそうでしょっていう話だよね。
その割に、ここで腹を割って話そうぜって言っている人たちは、
大体大々にしてきれい事を言わないとかと吐き違えているというか。
ああ、確かに確かに。
本音と立て前の。
そうそうそうそう。
立て前部分を取り除いた本音を聞かせろよみたいな。
そうそうそうそう。
それを吐き違えているなって。
かつ本音を聞けた方が、その人のことを分かったような気持ちになれるっていう、
共同の幻想が社会には存在するので、
それの気持ち良さだよねっていうことだと思っているっていう話なんです。
おー、なるほど。
なんか秘密を共有している方が親密度が増すみたいな、
そうそうそうそうそう。
で、これなんでかって言ったら、
相手のことを分かった気持ちになるっていうのが一個一個共通の幻想を作るじゃないですか。
うんうんうん。
でも、相手のことを分かるのって絶対にありえないじゃないですか。
うん。
なるほどね。
相手の心の内なんて絶対に分からないので。
うんうん。
その振る舞いから察することはできても、
本当に分かることは絶対にありえないわけなので。
うんうんうん。
なんで幻想なんですよ、分かった気になるっていうのは。
おー、そうね。
分かった気になるのは確かに幻想で。
そう。
幻想に包まれてるだけのものなので、
そこに本質を求めるのはなんか違くねって思ってるっていうのが僕です。
なるほど。
おー。
子どものストレートなコミュニケーション
腹を割って話すについてね。
はい。
面白い。
はい。
みんなこういう共同幻想とか物語が好きなので。
うんうんうん。
というかまあ人類の発展のベースはそれだからね。
そうそうそうそう。
共同幻想。
そうだよね。
それがなかったら、
なんていうかコミュニティーって存在しえないみたいな感じの話になってくるわけでしょ。
だからその、機能としては大事だから、
うん。
いいんだけど、
それをまるで本質家のように語らないでほしいなって思うっていうだけです。
確かに。
要はその腹を割って話さないなんて、
なんかお前どうかしてるぜみたいな話は違うぞってことだよね。
そうそうそうそう。
で、キグタは腹を割って話すっていうことの、
なんか本質云々じゃなくて腹を割って話そうぜって言ってくるやつが嫌いな感じがするね。
あ、すごい。
一番分かりやすく要約するっていうことだね。
そうだね、そうそう。
腹を割る話っていうなんかその構造のところよりも、
そういうこと言ってきて共同幻想を持ちかけてくるのが嫌だっていう感じがする。
もう一個踏み込むと、
あなた腹割って話してないよねって詰めてくるやつが嫌いです。
それも確かに正直面倒くさいよね。
そうそうそうそう。
それを判断することは第三者には絶対にできないはずなのに。
何かでも思うとこがあるんでしょうみたいなことを言ってくるんだよね、そういう人はね。
そう。
なるほどなるほど。
確かにな。
すごいなんか社会人におけるコミュニケーションのすごい深い課題について、
ちょっとなんかこうね、アプローチかけてる感じがしますね。
そうそう。
そうだね、確かに。
他人を理解しうるのかみたいな話でもある。
そうそうそうそう。
もちろん普段の振る舞いから推測するとかはできるしやるべきだと思う。
そうだね。
けど、どちらかというと人間って振る舞いって人間の本質があって、
その本質が振る舞いを規定するっていうのは逆だと思うんですよ。
本当の自分論でしょ、それは。
そうそうそうそう。
その内面の自分というものがあって、
例えばものすごく優しい内面というものが仮にあったとして、
だから優しい振る舞いができますみたいなことにはならないと思っていて、
優しい内面を持ってるけど、めちゃくちゃ暴力狂いますみたいなこと。
その内面がどうであろうとそれは旗から見たらもう暴力狂う人じゃないですかね。
暴力だね。
そうだね。
仮に内心で全人類抹殺したいなみたいなことを思っている人だったとしても、
毎日社会活動をしているんであれば、それはもう社会活動をする素敵な人なんですよ。
素敵な人だね。
なるほどね。
振る舞いでしか人は人を判断できないので、振る舞いをすることで自分を規定するっていう順序だと思っているので。
そうだね、なんかそこも確かにな。
でもその発露でしか他人を、なんだろうな、把握できないっていうところにおいてさ、
例えば小説とか作品とかにおいての暴力を振るうってさ、その作者の内面がそうだのかっていう話にもなるよね。
絶対違うわけじゃないですか。
人を殺したいと思ってますとかっていうわけじゃないよね。
ワンピースの小田一郎先生が腕伸ばしたいと思っているわけじゃないじゃないですか。
わかんない、思ってるかもしれないけど。
海賊王になりたいとか思ってるかもしれないけど。
基本的にそのほら、自分の内面で思っていることとその発露のギャップみたいなもので、
例えば本音と立て前みたいなものがあるとして、立て前ではなく本音で語り合おうよじゃないとわかんないじゃんお前のこと、
みたいに言ってくるやつが嫌いだって話でしょ。
なんか言葉入れるとやっぱ嫌なやつかもね。
でも、子供たちとのコミュニケーションというか子供同士のコミュニケーション、
僕が普段関わっているその乳幼児の子供たちを見てると、いい意味ですごいストレートだし、
なんていうか、自分の要は内言って頭の中で考える言語があるじゃないですか。
それっていつからか自分の頭の中で急にそれが考えられるようになって、
推論したりとか遂行したりってそういう力に発展していくと思うんだけど、
最初のうちって考えたことがそのまんま言葉として外にアウトプットされる。
なんか独り言をすごい言うじゃない、子供たち。
で、そうやって頭で考えてる子も直通で外にザーって出ちゃってる時期があって、
で、それらがちょっとしばらく過ぎ去ってから、いろいろ脳みその処理とかが上手になっていくと、
考えるっていうこと、頭の中で考えるっていうことと、
外に向かって話すってことがこうやっと切り離されて、
別のものになっていくじゃないですか。
で、さらにもっと潜ると、潜るというか戻ると、
そもそもその言語を獲得するまでの間、
要は言語として話せるようになるまでの間に、
いろんな発達があるじゃないですか。
本音と建前の理解
っていうのをすごい思ってた時にね、
確かにその情動と自分の要は内側の感性というか感覚というか感情だったり考えてることと、
外に向かってそれをこう発露する、発言したり行動したりするっていうことが、
明確に切り替わってから、
そういう本音とか縦前とかっていうのが生まれてるんだなっていうのが今僕の中ですごい気づきとしてあって、
で、もともとはそれらが全部一緒だったよな、
コミュニケーションとしては。
要はお腹がすこうが、おしめがぬれようが、
とりあえずまずは泣いて表現することから一般的には始まり、
で、それがだんだん分化していって、
泣かなくても伝えられるようになって、
で、最終的にはここは日本だから、日本語っていう中で、
その語彙を獲得していって、
コップっていうものと、
コップっていう音と、
それが指し示すものとかが結びついて、
コップだったりとか、
まんまって言ったらご飯みたいな感じの、
結びつきがあって、
ボーケブラリーを獲得していって、
で、言葉でコミュニケーションが取れるようになって、
ってなっていくじゃないですか。
で、思うと、
なんか、
なんかこう、性善説というか性悪説というか、
なんかそういうところになっていくのかなーってちょっと思ったんだよね。
なんか、だって最初は全部一緒だったわけだから、
こう考えることと行動する、
発言することにギャップが生まれてくるのって、
要はその子が住んでいたり、
暮らしている社会の中で、
それが求められるからってことでしょ。
要は思っていることそのまま口にするもんじゃないぞ、
みたいな教えがどっかで絶対入るじゃないですか。
なんかそれが、
こうなんというか、
すごくこう、
うがった感じで育っていくと、
なんというかこう、
ギャップが大きすぎて、
すごくメンタル的にきついとか、
で、やっぱそういうふうにずっと幼少期から、
自分の本当の思いをあまり言えずに育っていって大人になったりすると、
それこそ会社でなんか、
はきはきと元気な自分を演じなきゃいけないっていうのは分かっていながらも、
どっかで、
線が切れて、
精神的なね、
疾患になってしまいます、
みたいなこともあるだろうし、
だからその辺のギャップをこう、
適切に埋めていくというか、
コミュニケーション能力の重要性
ある程度自分でコントロールできるようになるって、
すごい今の時代だからこそ、
より必要になってきてるスキルだなってちょっと思ったのよ。
だとすると、
その本音と建前を使い分けることができて、
かつそこに自分にストレスを感じないように、
なんていうか、
感じないようにというか、
ストレスを自分でちゃんと解消できるぐらいな、
コミュニケーション能力を持っているってことは、
すごくこの激動の社会を生きていく中で、
だいぶ必須なスキルになっているんだな。
だから川尻がそういう人のことをね、
嫌いって思えているっていうのはあるし、
それが自分の中でのマネジメントになっているんだな、
って思ったし、
高谷さんは、
そんな奴のことなんかケチョンケチョンにしてるんだろうなって思って。
もちろんケチョンにはしてないけどね。
いやいやいや、ケチョンケチョンにしてないよ。
単純にでも、
俺今の話聞いてて思ったのは、
子供なんだなって思った。
思っていることを言うっていうのはさ、
でもほら、
別れてない。
別れている必要性って別にないじゃない、本来。
まあね、それで社会がうまく回るんだからね。
だからそこを、なんというか、
あえて本音じゃなくたてまえっていうものが、
コミュニケーションの中で使える、
それが求められるみたいなのって、
そのコミュニティというか社会の中で、
そっちの方が円滑にコミュニケーションが回るから、
っていう方で多分進化していた能力だと思うので、
分かんないけどね。
天文科じゃないから。
だとすると、そのわざわざ本音で喋ろうよって言ってくる奴のコミュニケーション能力がむしろ低いんじゃないかって気がだんだんしてくる。
そんなんたてまえだって分かった上で、
やりゃいいのに、みたいなね。
分かり合いたい気持ちが強い人っているよね。
そう、あれって結局は不安なだけじゃないですかね。
自分が、その人が、たとえば川地のことが、
すごい仕事もできて、すごいコミュニケーションもとってくれるけど、
なんとなく人となりが見えないな、俺信頼されてないのかなみたいな、
だからたてまえじゃなくて本音で語ってくんないと分かんねえじゃん、
みたいに言ってるのって、その人の不安の現れなんだろうなってちょっと思うと、
なんだか複雑な話になってくるな。
まあでも腹割って話そうっていう前提は最初けーたんも言ってたけど、
なんだろうな、腹割って話そうぜっていうのは、
こいつは本音をしゃべってねえな、みたいなのがあるから。
で、なんていうのかな、本当の自分っていうものがない説、
っていうのはもう俺自身もそう思うし、
その言った言動とかでね、基本理解される話だと思うんだけど、
なんかそこで腹割って話そうぜって言ってくる人は、
本当のその人を知りたいっていうよりは、
なんか考えてることあるよねってところに対して、
なんかその不安を払拭したいだけな気がする。
っていうコミュニケーションなのかなって気がするな。
なるほどね。
子供の育ちと社会的要因
まあそういう行為に、
俺はその甘えだなって感じてしまうみたいなのがあるんだろうな。
甘えだな。
あ、そうそうそうそう。
不安だからなんだろうけどね。
不安からくる甘えなんだろうけどね。
うんうん、確かにね。
腹割って話そうぜってなる状況って、
既に確かにちょっと危ういもん。
そうそうそうそう。
そうそうなんだよ。
なんかそれが既に、
何ていうか病的とまで言わなくても、
何だろうな。
そうせざるを得ない理由は何なんだろう。
それをしなきゃいけないのってどうしてなんだろう。
っていうふうに今。
やっぱり俺たちは仲間だよなの確認だろうね。
感覚としては。
だって腹割って話そうぜっていうのは、
腹割って話してないって思ってるからで、
腹割って話してないからこいつはまだ仲間だと思い切れてないってことでしょ。
あー面白いな。
これさ、
前提としてさ、
仲間である方がいいみたいな、
はいはいはい。
感覚があるじゃないですか。
うん。
なんかその、とはいえ一人の時間の方が好きみたいなタイプもいるわけじゃないですか。
うん。
僕は割とそっちなんですけど、
うんうん。
その辺りってその、
あっいつもどの段階で出てくるんだろうみたいなのがちょっと気になったかも。
うんうん。
一人が好きなのか。
一体に人といたいのか一人が好きなのかみたいな。
うんうん。
なんか一人が好きっていうよりは、
一人でいることが苦じゃないみたいな方が近いのかな。
まあそうかもね。
って思う。
なんかその、
周りの人との、
いわゆる友達みたいなのの中で一緒に遊んでいる自分が、
うんうん。
すごく好きなタイプと、
そうで、
それもできるけど、
あの一人でいる自分も別に好きみたいなタイプとで言うと、
なんだろうね。
なんか両方必要なスキルだとは思うんだけど。
今チェロが言ってたことは結構そうだなと思ったのは、
まあ一人でいられるっていう話。
うんうん。
一人でいるというよりは、
いることに抵抗がないというか。
うんうん。
っていうのってさ、
逆を返すと、
一人でいることに抵抗があるとか、
一人○○みたいなことが苦手な人ってやっぱ一定数いるじゃん。
うんうん。
逆に。
うんうん。
それってなんかその、
孤独とか不安とかも裏返しなんじゃないかなっていう気がする。
そうなんだそうなんだ。
だからね、
どっちかっていうと絶対その、
なんていうの、
あの別に特定の誰かを同行っていうつもりは全くないけど、
うんうん。
休日に一人の時間が耐えられないので、
絶対外に出て誰かと遊びますっていうタイプの人。
予定ギチギチの人いるよね。
そうそうそう、
いると思うんだけど、
なんというかまあ、
エネルギーの発露の仕方がそうってだけだと思うんだけど、
でも、
こちら側からね、
うがった見方をするなら、
うん。
なんかそうしていないと不安なんじゃないかなとか、
うんうん。
そういうコミュニティの中にいないと自分を保てないんじゃないかな、
みたいな危うさをどこかに感じるのよ。
そうだね、
それはある気がするな。
うんうん。
なんか昔読んだ本、
名前も完全に忘れちゃったわ。
なんかそういう、
一人でなんかすることが苦手な人が増えてますみたいな話?
へー。
なんかその、
要するに、
義務教育の段階では結構その集団行動を求められるしさ、
それこそあれよ、
スレションとかもあるし、
はいはいはい。
一人でなんだろう、
行動できないじゃないけど、
うんうんうん。
みたいな、
なんか一人で何かをすることに不安を覚える人が一定数いるっぽい。
うんうんうん。
みたいなね。
そうなんだ。
なんかあいつは友達がいないと思われたくないとか、
へー。
あー、
そうそうそう。
そういう発想もあるらしい。
なんというかこう、
思春期というかこう、
学童、
学生の時期って、
やっぱそういう、
コミュニティの中での、
そういう自分のね、
アイデンティティの確立とかとも重なるような時期って、
そこがやっぱ不安の一番大きな、
なんというか、
悩みの種よね。
あー、
そうかもね。
コミュニティの中でどう自分を表現するのか、
どう分かってもらいつつ、
なんというか、
自分の存在を認めてもらうのかみたいなところで、
絶対発達の段階ってあるんだけど、
そこがすごく、
大人になってからも、
なんというか、
幼いままだったり、
そこでつまずいてるよねっていう人って、
意外とそのまま大きくなってるようなイメージがあって、
だからそれこそそういう人が、
働いてくる中で、
いやもっと本音で話してよ、
ちょっとみんなでもっと仲良くいこうよ、
みたいな感じになりがちなのかもしれないなって、
今ちょっと聞いてたんだよね。
本音でのコミュニケーション
大前提ね、
人といることに疲れを、
一人でいることが嫌じゃない人がいるように、
人といることに疲れを感じないというか、
逆にエネルギーが増すタイプの人もいるもんね。
すごいな。
そういう人って、
自分から本音で話してると思うんだよね。
そういう全くコミュニティ内で、
自分をたらけ出すことが全く平気ですっていうタイプの人は、
もともと自分が明るく、
社交的で、
学的本音で話せているタイプの人のような気がするから、
なんかそれを無理して頑張ってる人は、
辛いと思うけど、
そうじゃない人もいるだろうかな、
なんとも言えないけど。
まあ俺は多分、
このラジオのメンバーの3人は、
割と一人で動くのが苦じゃない人しかいない気がするから、
そうそうそうだし、
逆に常に人といたい人みたいなタイプの話を聞いてみたいけど。
なんか人、一人でいるっていうかね、
別になんか孤独なわけではないじゃない?
孤立してるわけでも孤独なわけでもないじゃない?
一人って。
なんかそのあり方がすごく不安に感じるっていうのは、
どっか辛いだろうなって思うよね。
ある種さ、
それってこう自分で自分を認められてないというか、
自立できてないとも言えるし、
依存的であるとも言えるというか。
そうそうそうそう。
なんかなんだろうね、
人といることを全く否定しないし、
人とのコミュニケーションももちろん楽しいんだけど、
なんか一人でいることに極度の不安を覚えるっていうのは、
もしかしたらそういう傾向があるのかもしれないなという気がする。
そうだね。
だしなんかそういう視点で見ると、
やっぱり幼少期、
乳幼児期の育ちの環境であったり、
その子の発達の中で、
なんとなくそのやっぱ愛着形成がちょっと不十分でしたとか、
なんとなくこう親に甘えられなかったとかね。
いろんな要因の中で、
幼少期の愛着と育ち
自分という存在をこう無条件に認めてもらえるっていう経験が少ないからこそ、
相手に何か求めてしまうというか。
本来だったら、
真っ当に、
真っ当にというか、
十分に愛情を受けて、
平和な家庭で育って、
平和なコミュニティを築きっていう中で、
育っていったら、
ある種、
自分が一人であっても、
仏じゃない、孤立じゃないっていう、
愛されている存在なんだっていう自己肯定感がちゃんとあって過ごせるものが、
そこに何かこう、
トラブルとかいろんなケースの中で、
うまいこといかなかったが、
ゆえに一人だとすごく孤独で、
すごく孤立で、
心がつらくて、
誰かに助けを求めたり、
っていうところから最終的に、
そういえば思春期とかだったら、
飛行に走ったりとか、
疎行症みたいな感じになっていく、
みたいなのはやっぱり、
言われているから、
どこかそういうところとつながっていくのかもしれないね。
さすがにさ、
ちろん先生が普段見ている、
マックスでも5歳児ぐらいの、
5、6歳児ぐらいの保育園児たちに、
その傾向は見られるってことはない?
いや、あると思うよ。
あるんだ。
なんというか、
それぐらいでも。
えっと、
腹割って話してっていうタイプかどうかはまだ、
それは難しいけど当然。
でも、
一人が平気とか、
そういう、
なんかその、
保育者に対する、
自分のアピールの仕方みたいなものって、
どっちかというと、
やっぱり幼稚園出身の子よりも保育園出身の子の方が、
そういうの上手だって、
昔からよく言われるんだよね。
へー。
あの、
その方が早くから社会性を身につけるからみたいな、
多分これ反隔値だと思うんだけど、
なんか小学校上がった時とか、
こう、
世間的に保育園卒業、
卒園している子たちの方が、
ちょっと社交性が高いみたいな感じで、
言われたりすると思うんだけど、
なんかそれが、
こう、
難しいんだけど、
なんかこう、
保育者に対して甘いすぎるとかね、
ベタベタすり寄りすぎるとか、
自分を見て、
私を見てっていうアピールがすごく強いタイプの子さんって、
やっぱりちょっと家庭に、
あのー、
まあ、
家庭状況が難しかったりとか、
なかなか、
あのー、
ね、
自分だけを見てもらえる状態ではなかったりとか、
はいはいはい。
するケースも、
やっぱりあるなっていうのは感じるし、
えっと、
やっぱりそういう子の方が、
なんかあの、
ブレやすいね。
情緒がブレやすかったりとかね。
うーん。
それこそ、
頭の中で殴っちゃいけないってことを分かってても、
止められなくて、
お友達バーって叩いちゃうとか、
っていうのが全然あるし、
安定してっていう方が、
あったかどうかわかんないけど、
まあ、
普通のご家庭で、
別に愛されて育っていく子って、
まあ、
ある程度手が出る時期あるけど、
うん。
多少それこそ、
言葉をしっかり獲得して、
言葉でコミュニケーションができるような、
自分の気持ちを伝えられるし、
相手の気持ちもこうだんだんと分かるようになってきたら、
手を出すまでもなく、
うん。
なんというか、
対決できるのに、
5歳児、6歳児ってもうそこが、
できるようになって、
なるはずなんだけど、
なかなかそれが、
やっぱうまくいかなくて手が出ちゃう。
で、
その子の中ですごいそれ助け欲しくって、
やってるんだよ、
本当はね。
だって自分の気持ち伝わんないし、
分かんないから、
教育現場のリアル
うん。
ああ、もう無視して、
うわあ、バーンみたいに、
衝動的に叩いちゃうみたいになる。
うんうんうん。
だからその子にはやっぱり、
あの、支援だったり介入だったりが必要なんだけど、
なんというか、
パッと見ただけで、
すげえ悪い子見ちゃう?
うん。
俺殴ってるから。
うんうん。
っていう見方しかしない大人、
そういった保育者しか周りにいなかったら、
その子は救われないよな、
という感じがするから。
ああ、なるほど。
じゃあそういう子に対して、
うん。
シロが払わって話そうぜって。
そうそうそうそう。
うん。
ってことだよね。
うん。
で、
その子にちゃんと話を聞いていくと、
いや、こういうことが嫌で、
なんとかちゃんとこういう風に言われたのが、
僕は悲しくて。
うん。
ああ、じゃあ悲しかったんじゃないですか、
じゃあそれを伝えないと分かんないよね、
みたいなところまで話ができれば、
うん。
ベストだよね。
そうやって自分の気持ちを伝えていくことで、
要は、
問題構造にならなくても、
解決できるんだよ、
こういう頼れる大人は頼っていいんだよ、
みたいなところで、
うんうん。
もうほんと、
毎日毎日3歩進んだら2歩下がる、
3歩下がる4歩下がる、
みたいなことを繰り返しながら、
なんとか、
就学までに、
その、
身近な誰かを頼ったりとか、
うん。
どうにかこういうコミュニケーションを取る中で、
解決するみたいなところが、
言われていけるとすごく良いと思うんだけど、
うんうん。
そこにさらに発達障害的なところが関わってきたり、
いろんな要因が重なっていくと、
もっともっと複雑で、
っていうのが保育現場のリアル。
なるほどね。
なるほどね。
いや、今の話聞いててさ、
うん。
ある種こう不機嫌さを出してしまう大人って、
うんうん。
たまにいるんですよ。
うんうん。
吹き腹ですね。
そうなんだ。
吹き腹って言葉があるの?
そうなんだ。
初めて聞いた。
普通になんだよ吹き腹って思ったけど。
うん。
いや、あれって、
うん。
個人的にはその、
嫌だというより、
こいつ甘えてんな、ぐらいの気持ち、
うんうん。
だったんだけど、今は千尋先生の所聞いて、
うん。
いや、本当に甘えなんだろうなというか、
うんうんうん。
だってその、
子供の頃に、
うん。
こう、大人にうまく頼れなくて、
うんうん。
こういう不機嫌な態度を出すことでしか、
周囲にアピールするという手段を、
うん。
得られなかった。
うんうん。
が故に、
それを今でも使ってしまっているっていう、
そうだね。
そうだね。
周囲のものなのかなっていう。
まあ、
基本、
こういう一面もあると思う。
言葉で伝えるが百全てだとは全く思ってないけど、
うん。
でもそういうなんか不機嫌さとか、
出すっていうことはさ、
うん。
分かってほしいっていう、
その相手側にそれを委ねてるってことだよね。
あーそうそうそうそう。
うん。
察してよって。
察してよっていう。
うん。
あの、
しろ先生みたいな人が、
よしよしどうしたのっていう風に、
あーそうそうそうそう。
聞いてくれるのを、
でも待ってるっていう。
どっかでそれを求めてるんだよね。
うん。
うん。
ほどなんだろうね。
俺のこの状況を察して動いてよ、
ぐらいな感じが、
うんうん。
あるからこそ、
吹き払っていう用語が、
吹き払う。
生まれるぐらいには、
初めて知った。
うん。
いや、なんか話を聞いてるとさ、
うん。
よくその、
全然子供も育っててない、
子育てとかしてない、
子供も見ないし、
保育現場とかも行ってない、
自分からするとさ、
うんうん。
その、
子供を甘やかしすぎると、
調子に乗るみたいな、
そういう感覚的な人だけどさ、
うんうんうん。
になっちゃいがちだけど、
なんかずっと話を聞いていると、
どちらかというとその、
何をしても肯定されるという、
自己肯定感があるからこそ、
謙虚に生きるみたいな、
そうなんだね。
ロジックの方が、
実はあるんじゃないかっていう気がしてきた。
うんうんうん。
それね、
子育てにおけるしつけの重要性
最近エビデンス確か出ているのは、
あ、そうなんだ。
あの、
子育て本でね、
うん。
最近すごい、
育て本にもエビデンスをなんかいっぱい出すような時代が、
ここ1,2年でやってきてさ、
へー。
すごい、
なんか韓国の方の研究者の方とか、
どこの外国の研究者の方がすごいまとめた、
いろんな統計とか、
科学的なデータを用いて、
今現状正しいとされる子育てについて、
バーンとまとめた方が何冊かあるんだけど、
へー。
どれも似たようなこと書いてあるから、
ちゃんと全部は読んでないんだけど、
うんうんうん。
でもやっぱり、
こう、
今まで通説的に、
要は厳しくしつけることで、
その子が立する心を出す、
うんうんうん。
みたいな、
良い大人になるみたいなのが、
漠然とみんなあったと思うんだけど、
うんうんうん。
やっぱり厳しくそういうしつけをされてきた子の方が、
なんというか、
最終的にそういう問題的なことを起こしやすいとか、
へー。
そういうリスクがあるみたいなデータは、
やっぱり出ていて、
うんうん。
確かに。
確かに出ていて。
で、
まあ、
なんとか、
甘やかすっていうのがだから、
どの程度かっていう問題はある。
そうだね。
うん。
子供が抱っこしてって言ってきたら、
抱っこしてあげる方が、
いいぐらいな意見を言ってる専門家の先生もいる。
その5歳になろうか、
6歳になろうか、
その子が抱っこしてって言ってくるんだったら、
抱っこしてあげた方が、
最終的にすごい長期的な見せんでみるといいんじゃない?
みたいな。
そうなんだ。
まあ、
とはいえね、
あの、
いち親の見返したら、
こんな状況で抱っこできるわけねえだろ?
みたいな。
肩あるし、
さっき吹き腹の話を偉そうに語っておきながら俺、
うん。
疲れても、
ほんとイライラしても、
無理。
みたいな、
もう、
不機嫌が、
すごいダダ漏れてるような場面も、
肩ある。
肩そうだよね。
肩あるよね。
そういうのを子供にしてしまってる自分の、
ほんと甘さと、
不甲斐なさと、
ほんといろいろ感じる日々でございますけれども、
うーん。
まあ、
バイオリズムとか忙しさとか、
体調によってどうしても出ちゃうっていうのは、
当然、
全人類存在しますもんね。
そうですね。
まあまあ、
まあね、
ただ保育者としては失格だなと思いながら、
ほんとに。
いいね、
そこのプロ意識は大事だよね。
うん。
そう、
まあでも、
自分に、
要は甘やかしてくれるぐらい余裕がある、
親だからこそちゃんと育ってるとかもあると思うよ、
多分。
うん。
それこそ生活にね、
なかなか、
余裕がなくて、
うん。
やんなきゃいけなくてカツカツしてて、
不機嫌になってしまってる、
っていうだけ、
要は不機嫌であるということが、
そのお子さんの発達にどう影響するのか、
みたいなところだけで言うと、
うん。
不機嫌にならないだけの経済力がある人の方が、
結局は、
トータル、
余裕があるから上手に育つ、
みたいな、
うん。
面も、
そういう側面もあるかもしれないし、
うん。
経済的に余裕がないから、
最初に学力が低いんです、
みたいなのもあるかもしれないし、
その辺の、
なんというかデータの取り方ってすごい難しい、
うん。
そうだね。
一概にどうこうって、
この、
こうだからこうって、
まっすぐ結びつけられないから、
うん。
ああいうエビドカが出るまでのスパンに、
別の事象がたくさんありすぎるよね。
変数がありすぎてね、
そう。
環境固定できないもんね。
まあだから保育がね、
こう、
こんだけ何十年も進んでいかないっていうのも、
その、
うん。
なんというか、
明確な根拠がね、
唱えられないっていうのはあるよね。
あるのかなとは思いつつ、
でもやっぱり、
基本的にやっぱ、
応答的に関わってあげるっていうのは、
すごい大事なことだと思うから、
うん。
親の余裕と子供の育ち
まあ、
なんで、
なんていうの、
なんでもお菓子食べていいよとか、
なんでもおもちゃ買ってあげるよみたいな、
子供が買ってって言ったものは全て買い与える、
みたいなものが、
いいっていうわけではなく、
うん。
まあ、
難しいね。
いや難しいね、
その、
いわゆるスポイルするみたいな話とか、
うん。
甘やかすと、
愛情を、
そうそうそう。
注ぐというのの、
差はどこにあるんだっていうのは、
ちょっと気になる。
その辺を、
こう、
すごく上手に子育てとしてやれているっていう人は、
もっともっと世の中に向かって発信してほしいですね。
うん。
なるほど。
でもさ、
その子育てがうまいの話は、
ちょっとむずいよね、
その、
いや、
そうなの、
そうなの。
親が良かったのか、
子供の資質なのか、
みたいなのを、
切り分けられるんじゃないですか。
そうだね。
うん。
自分の息子を東大に行かせたっていう母親の、
育児本が、
いいのかっていう話、
みたいな。
そうそうそう。
いや、
俺あれ割と、
なんか、
見てて、
うわー、
すごく悲しい。
そうか、
ってすごい思うけどね。
いや、
すごいだから、
ほら、
なんか、
よく聞くじゃない、
なんか、
お母さんはこういう風にやって、
お父さんはこういう風にやって、
っていう、
なんか、
その、
ほんと難しいよね。
保育っていう、
子育ての方に振ると、
そういう、
ティップスみたいなものが、
うん。
なんというか、
ほんとに、
こう、
自分の子供と自分等に、
こうね、
当てはめて、
どう、
じゃあそれを、
出力するのか、
みたいなのって、
すごい難しいなーって、
ずっと思ったんで。
なんか、
全人類がさ、
こういうインプットを入れたら、
同じアウトプットが出てくるわけじゃない、
じゃないですか。
当たり前だけど。
うん。
うん。
なのに、
こう、
こういうことをすると、
こういう子供に育つみたいな、
短絡的なインプット環境を、
はいはいはい。
見出しちゃうと、
うーん。
なんか、
その、
私は正しいインプットを入れているはずなのに、
うん。
アウトプットができないのは、
子供が悪いに転嫁し得るので、
あー、
そうね。
ちょっと怖いよね。
ちょっと怖いね。
うん。
あれ、
この構造って、
本当に至る所であってさ、
うん。
壁で成功した人の本とかさ、
あー、
そうだね。
それこそ、
我々のスタートアップ業界の成功とかも、
うん。
うん。
言っても、
もちろんその資質とか当然あるけど、
はいはいはい。
あの、
ほとんどの成功者本って、
うん。
なんていうのかな、
そのタイミングでそれが成立したっていうことは事実だけど、
うん。
同じことをやろうとしても、
基本は多分成立しなくて、
なるほどね。
情報過多の育児環境
振り返って、
こういう要素が良かったよねって、
うん。
無理やり繋げることはできても、
うん。
うん。
それをもう1回今からやろうはできないことが多いじゃないか。
多いですね。
それでも、
難しいと思う。
難しいと思う。
そういうのって。
まあ、
よく言われるけど、
うん。
特にスタートアップだとその、
うん。
成功は再現性がないけど、
失敗は再現性があるみたいな話をよくするよね。
うん。
うん。
あー、
そうだね。
失敗は再現性。
これをやると、
うん。
いいは無限に存在するけど、
うんうんうん。
これはやっちゃダメっていうのやっぱ、
うん。
失敗の中で、
うん。
こう、
逆対は絶対ダメで。
うん。
確かにね。
うん。
それを考えてもダメだというエビデンスがいっぱいあって。
うんうん。
だからなんか、
ほんと、
こう、
なんていうの、
原点方式っていうのも原点方式、
あ、逆か。
原点方式じゃなくて、
なんか、
なんだろうな。
ははは。
わかんなくなっちゃう。
言ってて、
言っててわかんなくなっちゃう。
うん。
なんか要はその、
いろんなね、
こうがいい、
あーがいいみたいなものが、
うちの中増えすぎると、
うん。
そうだよね。
そうだね。
自分もすごい思うの。
この時世にね、
え、これはさせてないの?
え、あれもさせてないの?
みたいに言われると、
なんかちょっと、
ずっと思ったりするし、
うんうんうん。
なんかその、
子育てしにくい世の中って、
よく言われるけど、
確かに、
情報がありすぎて、
そうだねー。
もう、
これがいい、
あれがいい、
みたいなものが多すぎて、
うん。
なんというか、
選べもしなければ、
自分で判断することも難しい中で、
曖昧な中、
子育てをしなきゃいけないっていうのが、
幸福度と子供の成長
情報がない時代の方が、
その悩みがない分、
ちょっと楽だったかもって、
ちょっと思えるぐらい。
うんうんうん。
なんか、
知ってしまうことが、
かえって、
その、
幸福質を下げるみたいのは、
あるよね。
うんうんうん。
絶対あるよね。
でも、
そう思うと、
ああ、
懐かしい世の中なんだな、
っていうのが一つと、
え。
子供のね、
あの、
幸福度みたいなのって、
日本でワーストリーダーかなんかなんだよ、
子供。
うーん。
そう、
どこに置くんだろうね。
そう、
そう、
どこに置けるワーストリーダー、
それは。
あの、
その、
世界、
アーケード通った世界の、
子供の、
幸福度ランキングってあって、
うーん。
日本で経済的にも別に恵まれないわけじゃないし、
なんとか、
勉強したりとか、
あの、
安心して暮らせるとかっていうのは、
すごい高いんだけど、
子供が自分で選択する幸福度がすごい低くって、
ワーストリーダーかなんだかだし、
自殺率みたいのがすごい低い。
ワースト1だと思うんだけど、
うーん。
なんか、
大学1年生の不登校がみたいなのもニュースになってた気がするしね。
そうそう。
うーん。
なんか、
実はそういうところにもなんか、
つながっていくような、
話だったのかもしれないです。
幸福度か。
うん。
払わって話したら幸福になるのかな。
ならない。
うふふふふ。
あ、
いや、
うーん。
幸福というものが客観的指数ではなく、
主観的な体感なので、
うーん。
なるかもしれないです。
確かに。
そうだね、
その、
払わって話そうぜって言ってくる人は、
あの、
それがたとえ本音というか、
払わって話してなかったとしても、
うん。
相手の人が払わって話してくれたと思ったら、
幸福度は上がるだろうね。
あ、そうそうそうそう。
うん。
幻想に浸って、
気持ちよくはなるだろうなと思います。
うーん。
なんか、
難しいな払われって。
難しいな払われって。
カワジと払わって話そうと思うと、
カワジから建前が聞けるってことだもんね。
ちゃう、
だから払わないんだって話を僕はしてる。
払わないっていう話で。
僕はもう全部逆に言うと、
この別に、
裏とかを持つしかないです。
これが僕なんですっていう。
うーん。
割に、
そう、
きそさんと同じスタンスです。
うん、
確かに確かに。
アウトプットが違うように見えるだけで。
そうね。
はい。
ほんとだから、
言い方が、
ケイタの方が丁寧。
はい。
相手を考えて。
そうだね。
うん。
より社交性が高い。
社交性が。
社会人として正しいムーブをしてくれてるっていう。
そうですね。
すいません、
なんかすごいザックバラに話してたせいで、
いろんな方向に話が飛びましたが、
いいじゃないですか。
あの、
僕個人としては、
この腹を割って話すというテーマを一つとっても、
うん。
結局、
保育だったり、
幼児だったり、
幼児教育だったりの、
うん。
この入院時期の、
大人とこの子供の関わり、
保護者と子供の関わり。
うん。
うん。
コミュニケーションの影響
っていうものが、
こう、
大人になってから、
腹を割って話すぞって言われた時の対応を一つとっても、
変わってくる可能性があるというか、
うん。
うん。
うん。
これって幻想ラジオに、
変えられるんですか?
そうそう。
幻想だけど、
幻想は悪いことじゃないよね、
っていう話をするだけになっちゃうから。
そうそう。
うん。
同じ話になってしまいますね。
うん。
確かに。
というわけで、
今回もご清聴ありがとうございました。
はい。
今後も、
こんな感じで、
いろんな情報、
情報発信というか、
ほぼ議論を垂れ流しているだけのラジオでもございますが、
うん。
ぜひ皆さんに、
ご清聴いただけたらなと思っておりますので、
今後ともよろしくお願いいたします。
概要欄などに、
GoogleフォームのURLも書いているので、
そうだったり、
質問だったり、
ぜひ言っていただけると、
とっても励みになります。
はい。
ということでした。
はい。
はい。
どうもありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
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