知らんけど。
最近ね、関西の友達からこれ便利だぞって教わったんだけど。
言い終わった後に、1、2、知らんけどって。
これいいんですよ、これ。便利。
せっかくだから僕の恩師エピソードも。
まずいらっしゃるんですか?
あれ、いたんですか?
なんか恩師なんかいませんか?
いませんか?を最初出してたね。
ずっと考えてたんだけど。
あ、見つかった。
恩師かどうかのわからないけどって一応つけとくと。
何それをつけるの?
なんで保険かけるの?
めいむさんの場合はさ、大丈夫って言ってくれた言葉がずっとここに残ってるじゃない?
僕もすごく残ってる言葉があって、中学校1年生の時に担任をしてくれた理科の先生だったんだけど、
たぶんお子さんがまだ小さかったから30代くらいだったのかな?若い女性の先生だったんだけど、
すごく素敵な言葉をずっと繰り返してた言葉があるわけ。
それが、「どちらに転んでも占めた。」っていう言葉。
結構、理科の中では有名な先生の言葉なのか調べるとよく出てくるんだけど、
たぶんそこの先生の影響があるのか、「どちらに転んでも占めた。」ってずっと言い続けてたの。
それっていうのが、人生って選ばなきゃいけない時あるじゃない?
結婚するかしないかとか、留学するかしないかとか、いろいろ選ばなきゃいけないことがあるけれども、
どっちを選んだとしても、AでもBでも、どちらでも占めたと。
この人生でよかったんだって思えるんだよってことを、中学生の僕らに対してずっと言い続けてたんだよね。
だから何か迷ってたりとか、これじゃなかったかなって思っても、
いや、あの時先生がどちらに転んでも占めたって言ってたしなっていう気持ちはずっとあるわけよ。
で、考えて、これは恩師の言葉とカウントしてもいいですかね?
いいと思います。
自分が恩師って思ったら恩師なんですよ。
そこは感情的な基準だと思うよ、僕は。
明確にこれがあったらっていう感じじゃないんだよ。
影響力ずっと持ってるし、時間を超えてもあの時に声をかけてくれた感謝っていうのもずっとあるかもしれない。
ふと後から大人になってから思い出す先生とかがいたら、結構影響はあるんだろうなとは。
確かに。
折々に先生、あんなこと言ってたなとか。
思い出す先生って思い出さない先生っていうのは、残念ながら言いて。
皆さん絶対私たちに何かをくれてるんだけど、
でもやっぱり繰り返し繰り返し、人生の重要な時とかに思い出したりすると特別だよね。
何かね、存在として。
だから、恩師って言うと、さっき言った先生が一番最初にバーンとはくるけれども、
やっぱ何人か思い出す先生っていうのがいて、
いい面もあれば、時に何くそって思う教師と反面教師じゃないんだけれども、
っていう場合もあるけれども、
数学0点取った時に、みたいな顔で私に0点のトーンを返したあの先生とかは、
正直ちょっとあの時何くそって思ったわけですよ。
そうね。
いい反応とは言えないとは思うんだけども、
でもあの時にやっぱり少なくとも私の心に火はついたよね。
そうだね。
悔しいみたいな。
グーみたいなのがあって、
私は結構受験終わって、あの先生のところまでツカツカ行って、
登校で受かりました。
移り学科。
結構ちょっと下り顔で、さらって広角して、
うお、まじかって後ろをずさりさせたことを、
いまだにスキリな記憶として覚えていたりするんだけど、
あの時はちょっとムカついてたけど、今思い出すと、
あの先生がいなくても、もしかしたら私のあの時なかったかもなと思ったりもする。
確かに。
そうそうそう。
それもまただから、いろんな先生がいることの良さなのかなっていう気はして、
みんないい先生だったら、たぶんそこはないじゃない。
たまになんかちょっと人間的にちょっとひねた。
まあまあまあ。
残ってた先生だったんだと思うんだけども、
私にとっては、たぶんもう一回会えたら、
ちょっともう今どちらにいらっしゃるかわかんないんだけど、
あの時でも何くそって思えたのは先生のおかげですって言うかもしれないなって今思ってます。
意図的かもしれないよね。
もしかしたらね。
意図的かもしれない。
火をつけた。
こういう方が燃えるだろう、意図的に知りながらこうやってたかもしれない。
そこまで来たら感動するね。
実はねみたいな。
手の上転がされてる感じでしょ。
なんかメイムンがさ、メイムンって呼んでます皆さん。
メイムンが恩師を恩師にしてる感もあるな、僕が聞いてると。
リフレーミングしてさ、こういうのがあったから私があるよなっていうのって、
ある意味恩師を恩師にしてるっていうところがあるよね。
おかげだよね。
おかげだね。
おかげだね。
自分一人でできることって本当にないなっていうのはもう思っていて、
あの時にやっぱああいうふうに言ってくれたからだなとかって全部こう、
これはだいちゃんの受け入れでもありますけど、
おかげ成人というかこうね。
おかげ成人。
だいちゃんは私おかげ成人って呼んでるんですけど。
おかげ成人と呼ばれております。
そうそうそう、なんでもね誰かのおかげですって。
全部自分の功績でも自分の頑張ったことでも全部誰かのおかげにしちゃう。
生き方のほうがすごい素敵だなっていう、
だいちゃんの影響もあるかもしれない。
そういえばね、その先生に対して感謝できるのもね。
さっきさらっとメイムンが言った言葉、僕めっちゃ好きなんだけどさ、
誰かしら何かをくれてるって言ったじゃん。
それが僕のね、実はコアにあるんだよね。
みなさん知ってますか?あの名調、吉川英二さんの、
我以外皆我が子っていう本知ってますか?
めっちゃ古い本で、僕家にずっとあって、
これまあでも難しすぎて読めてないんだけど、一応さらっと読んだんだよ。
でも読み切れてないけどずっとある本で、
これつまり自分以外はみんな師匠であるっていう、
って思うってことが僕はすごい大事だと思ってて、
そういう目で見てみるとね、恩師になってくるんだよね。
確かにね。
メイムンのさっきのそういう見方の変化はあるよね、実際。
そうなんですよ、ツボ犬。ツボ犬は一人もいないけど、
僕、農家になってる。
さっき一人って言ったけど、冗談ですけど。
そういうのが僕の中にあるかな。
で、なってくると先生方ってさ、子供から学ぶって実際言うじゃない?
子供のおかげで成長できた、親も自分の子供のおかげで成長できた、
親にさせてもらったとかって言うじゃない?
じゃあ先生にとったら子供は師匠になり得るってこと?
はい。
そもそも子供と大人とか年齢で分けるっていう見方をしてたら、
それはちょっとまずいなと思って。
僕、究極ゲームキャラクターとか恩師になるもん。
マジで。
そういうことです、だから。
それでいくと、安財先生とかね。
そう、ほら。
間違いないね。恩師だもん。
それがね、年齢とか性別とかいろんな分け方あるじゃん。
あれがシームレスすごいなってて、
全てから恩師的にもらうっていうのになってくると、
すごい僕は楽しいんだよね。
その生き方でも素晴らしいなと思うというか、
誰からでも学べることはマジであるなと思う。
ある。
恩師っていうと、なんか結構完璧な人っていうかさ、
モデルケースみたいな、こういう大人になりたいっていうぐらい、
全てが理想の関わり方をしてくれた人とか、
よっぽど特別な人みたいな像があるけど、
そうじゃなくて、この部分の恩師みたいな、
パートパートでさ、この人のこういうところが私の師匠なんだよねみたいに、
切り取ってあげれば、どんな人でも恩師になり得るぐらいあるなと思うし、
誰からの出会いから学ぶみたいなぐらいの気概でいる人って、
受け取る量がもう全然違う。
何でもかんでも心のシャッター落ちちゃうとさ、
何にも受け取れなくなる。
それは苦手意識の話もそうだし、人に対してもそうだよね。
この人からはもう絶対受け取りたくないとかさ、
シャッター下ろしちゃった瞬間に何も受け取れなくなっちゃうけど、
関わり方を模索していく中とか、いいとこ探すとか、
やれるようになると、本当に人類みんな恩師みたいな感じには確かになるね。
良いこと言った、今。
部分で抽出できるんだよね。
それをね。
さっき僕ね、チャットGPT5くんに聞いたのよ。
恩師の定義って。
そしたらね、チャットGPTまだまだだね。
お手本となる人っていうのが1個入ってたの。
それってさ、それを設定した瞬間に、本当は恩師になれるのに、
なれる人そいでいくよね。
そうだよね。
お手本にはならないけど、さっきメイム言った部分的にここいいじゃんとか、
たった一言でもいいんだよ。
僕ね、今ね、メイムのストーリー聞いて、
あとその今の話ね、聞いて1人出てきちゃった。
またさらに増えた。
僕が小学校のね、6年生ぐらいまで遊んでた、
早稲田の鶴巻公園っていうところがあるんですよ。
いいね。
そこにね、ホームレスの方がね、5人ぐらい前からいたんだよね。
で、その方々と僕たち野球とかをしてたんですよ。
えー、すごい。
僕大好きだったんだよね。
で、その人たちが、なんかお駄菓子屋さんで駄菓子を食べながら言った言葉が、
俺らはラッキーだって言った。
で、こんなに自由なんだって言ったんでね。
なんかそれ聞いて、僕ね、すごい安心したの。
うん。
当時僕、やんちゃ。
まあ一応、やんちゃな部類だったから。
なんかそうやって、僕も人生終わったぐらい思ってたときに、
それ多分4年生ぐらいなんだよね。
そのときに、ラッキーなんだって聞いて。
あ、僕なんかどうなってもいけるなっていう。
なんかどんな人生になってもラッキーって言えばいいやとかは、
その人から教わってるから。
もちろんその今、ホームレスの方いなかったんだけど、この前言ったときに。
なんかその人もある意味、僕は恩師って思えるみたいな。
そう。
それはその部分的抽出なんだよね。
どうだ、つぼけん。
来いよ、もっと。
恩師エピソード来いよ。
違うか。
恩師エピソード来いよ。
そんなふうにはちょっと今ふと思った。
何今の、すごい良いまとめ。
すげえ今のストンと落ちたな。
成ろうとしちゃいけないんだよなって僕は思った、実際。
てか、成ろうとしてなれないんじゃない?
だいちゃんあんまりもしかしたら好きじゃないかもしれないけど、金髪先生とかいたじゃないですか、昔ドラマでね。
で、あれなんかもうまさになんていうか、みんなの金髪先生のおかげでみたいな感じで終わる感じじゃないですか、クラス中が。
なんかだいちゃんが震えてるけど。
やっぱあれの私の影響で、いい先生になろうとして人生に関わろうとしてくれる人は増えたと思うんですよ。
先生を目指す人のゴールとしての先生像に金髪先生を連れてる人ってすごくいて、私もいたんですよ一人。
あの単人の先生で完全に金髪先生に影響されてる人がいて。
熱血教師みたいな。
熱血教師の方がいて。
卒業式の日には送る言葉。
送る言葉をわざとギター持ってきて弾いてくれて。演出なんですよ、そこまで来ると。
記憶に残ろうとしてる気満々なんかが伝わってきてしまって。
悪い先生ではなかったし、すごくいい先生だったけど、そういうものではないかなみたいな。
なろうとしてなるものじゃないかなっていう。
本当にただただ自分が持っているもので、君たちの人生にもしかしたら何か役に立つかもって言って、とにかく並べてくれる。
持ち帰りは自由っていうか、そこは強制もせず、いてくれる人の中から大切なものを選んでもって帰るっていう感じの方が近かったなって。
ちょっとふと思った、思い出した金髪先生のことを。
つぼけん、これだんちゃん、だんばら先生のエピソードで今の話してたよね。
僕がさ、だんちゃんね、だんちゃんって恩師の、だんちゃんにこういうことありましたよねって言ったら、記憶にございませんって。
いや、本当にそうだったよね。
これですよ、これ。
面白かったね。
本人は全くそんなつもりないんだよ。
そうなんだよね。
なんかあったっけみたいな。
それがやっぱり恩師になっていくのかね、もしかしたら。
押しつけがないんだよね。
押しつけがないね。
全然あげてる感覚とかもきっとないんだよね。
何かを教えてあげてるみたいなものもきっとなくて、勝手にこう受け取っていけるみたいな。
でもなんかさっきのつぼけんさんのさ、同じ言葉を繰り返してくださってた方とかもいたって聞いてて、それもそれですごいいいなと思って。
この言葉だけはこの子たちに残してあげたいって、多分意識して絶対に口に出されてる先生だと思うんだけど。
それも本当にギフトだな、一生もののギフトだなと思うし。
もう耳に残るからね、繰り返されただけで。
でも恩師になろうとかではなく、本当に多分ギフトなんだろうなと思うけど。
そういう人一人の自分の人生を支えてくれた言葉みたいなのを先生が次の世代に渡してくれるっていうのは、それはそうやってすごくいいよね。
それもいいパターンだなって。
ギフトっていいね。なんかイメージついたな。
僕もついた。
お前はこれ好きだろうから、これを大切にしろって言われても絶対しない。
押し付けには反抗したくなるよね、抵抗したくなるもんね。
いや、結構ですね。
誕生日だろうから、これ選んでいいよ、持っていかれなくてもいいけど。
だったら、こう選べば好きになるよね。
しかもノールックパスだからね。
そうそうそう。
サラッとホイッみたいな。
そうそう。
記憶にございません。
記憶にはないけども。
それがいいよね。
覚えてもらってないっていうことが、ショックっていうよりはむしろ面白がっていう。
え?覚えてないようなことなの?みたいな。
俺にとっては一緒ものなんだけど、みたいな。
その関係性のほうが面白いね。
温度差100度だからね。
100ゼロだからね。
ゼロそうだったね。
だって昔、ダンちゃん、給食で野沢菜が出て、給食のおばちゃんにおいしかったよ野沢菜って言ってたの。
あれでね、僕、ショックに感謝するようになったんですよ。
記憶にございません。
それはないんだろうけど。
なんかすごいさ、ヒドゥンカリキュラムってよく言うんだけど。
知らず知らずに影響を与えている、意図的ではない働きかけ教育みたいのって、たぶんね、意外と影響力あるね。
すごく相応かもしれない。
これあるんですよ。
デザインされてないところから、繰り返し発されているメッセージ。
自然とだから、その人がナチュラルにやってしまっているものの中に、たくさん実はギフトがあるのかもなって。