こんにちは、ほぼ教育最前線あなたにかわって、私が聞きます。始まりました、つぼけんでーす。大ちゃんです。
あなたにかわって、大ちゃんとつぼけんの2人が学びのほぼ最前線を探検する番組です。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
そしてそして、早速今日のゲストを呼んでしまいましょう。めいむーんさん。よろしくお願いします。
はーい。めいむさんといえば、毎年夏にやっている大学生の質問スペシャルで、もやもやゲストとして、あれこれ、もやもや一緒にしていましたけれども、今回はですね、普段は名古屋のめいむさんが東京に来たということで、初の対面収録をしちゃいまーす。
やったね。やったぜ。ついに来てしまいました。嬉しい。よろしくお願いします。あんだけやって初なんだね。そうなの。ね。そう、いつもオンラインだったんです。はい。
ありがとうございます。嬉しい。学生さんの質問スペシャルはまた後日やりますので、ぜひそちらも楽しみにしていてください。ではそんなわけで、今回のテーマはこちら。心に残る恩師を語ろう。はい、そんなわけで、今回のテーマは恩師です。恩師。主にめいむーんの恩師について聞こうという回でございます。はい。
いや、恩師ね、いますよね。つぼけんさんもいます?
うーんとね、ずっと考えているかな。たくさんいるんじゃないかな。これざわついてるよ。ざわついてるね。もしかして聞いてる人の中で、僕恩師なはずなのに人がいるかもしれないからね。俺もそうじゃなくて。あいつ、あいつ俺のことを。そうだね。確かに。
で、だいちゃんはね、ダンバラ先生シャープ100で出てくれたダンちゃん出てくれたもんね。そうなんですよ。僕はね、恩師の話僕したらね、たぶんノンストップで50時間ぐらい。マジですこれ。しゃべりつくぜ。マジでいけます。そっか。50時間すごい。しかも一人じゃないんですよ。なるほどー。
そっか。はい。皆さんの中にも心に残る恩師がいるかと思いますけれども、そんな話をしていこうと思います。それでは最前線を探検しに行きましょう。それでは本編です。今回のテーマは心に残る恩師を語ろうということで、ゲストはめいむんさんです。よろしくお願いします。改めてよろしくお願いします。はい。リスナーさんでも初めましての方も多いと思いますので、簡単に自己紹介をお願いします。
はい。よろしくお願いします。作家ライターとして活動しております。谷本めいむと申します。明るい夢と書いてめいむという名前でございます。今は数学セミナーさんっていう雑誌で、夫は数学者っていうエッセイを毎月連載させていただいていたりとか、それ以外にも執筆活動を主に仕事にしてます。よろしくお願いします。
変わったね。
変わったね。
人情派の。
なんか毎年変わるよね。
やめて、やめて。やめてはいいね。
あとつぼけんね、もう一個肩書きあるんですよ。めいむ。
僕の本持ってくださってる方、最後のページのとこご覧ください。
なんとですね、谷本めいむって入ってます。
入ってる。そこの肩書きね。
素晴らしい。
出版コンサルタント。
コンサルタント。
かっこいい。
かっこいい。
俺嬉しいんだよね。
俺嬉しいんです。
本当にあれはもう私にとってのもう一生ものの作品ですよ。出版に伴奏できたことはもう誇りでございます。
ありがとうございます。アイちゃん本当に。
毎年毎年誰だかわかんなくなるよね。
そう。
ますますね。
本当にすごいよね。
会うたんびに、で、今何してんの?
進化が止まらんね。
進化です。
進化って言ってくれるの嬉しい。
ありがとうございます。
今まではそんなめいむんと一緒に顔をもやもやして、
もやもやして。
質問に立ち向かっていたわけだけれども、
今回はめいむさん自身のことを聞いちゃおうということで、行ってみようと思います。
嬉しい。ありがとうございます。
そしてテーマが恩師ということで、
はい。
まずめいむさん、恩師はいますか?
もちろんいます。
本当にこの先生と出会ってなかったら人生違っただろうなっていう先生がいますね。
いまだに連絡取り続けてるぐらい。
もう本当になんか人生のね、15歳とかで出会ってからもう25年以上、
ずっとコミュニケーション取らせてもらってる恩師がはい、います。
素晴らしい。
私の過去を語ろうと思ったら、まず間違いなく登場される先生なので、
もしかしたらこれをお聞きになってびっくりしてるかもしれない。
話すこと何も言ってない。
確かにね。
15歳のとき?
そうです。
15歳のときってなったら高校生。
高校生です。そうです。
じゃあ高校生のときの恩師の話、うかがってもいいですか?
はい。ありがとうございます。
私、高校から転入して中高一貫校に入ったんですけども、
高校受験終わった後に集中力切れちゃったんですよね。
で、結構成績がダダダダッとその後下がった時期があったんですけど、
そのときにずっと単人の先生、3年間してくださった先生が、
高校生のときの私、3年間単人の先生変わんなかったんですけど、
その先生が私の単人の先生じゃなかったら、間違いなく今私はこの仕事もしてないし、
たぶんこの人生にたどり着いてないと思うぐらい、
この先生との出会いっていうのが人生を変えてくれたなと思ってて、
その先生はですね、物理の先生だったんです。
しかも思い返すと結構びっくりするんですけど、
当時先生は初めてクラスを持った先生だったんですよ。
初任者だったんだ。
初任者だったんです。だから1年だけ副担されて、2年目とかだったのかな。
だからすごい若い先生で、初任の先生だったんですけど、
今思い返すと、超ベテランの空気感が当時から漂ってる先生だったんですよね。
高校生からしたらちょっと年齢も近い。
すごい近いですよね。
若い先生って慣れてない感とかありそうなもんじゃないですか。
今思い返してもね、何を思い返しても全然そういうところがなくて、
先生の中にちゃんと人とどう関わるかとか、生徒とどう関わるかみたいなところ。
もう当時から出来上がってた感じがすごいする先生なんです。
なんかすごく親身にもなってくれるし、フラットだったし、
かといって堅入りしすぎることもなく、めちゃくちゃ見守ってくれる。
それでいて、物理の先生なんですけど、物理愛がすごくあって、
物理の授業とかはいっぱい雑談もしてくれるんですよ。
物理は授業の外のいろんな話もしないと面白くないからみたいなところですごいいろんな雑談もくれだしてくれるし、
夏休みとかになると、大学レベルの授業とか、課外授業みたいなのを講座作ってくださって、
私は当時は参加できるほど頭良くなかったんだけども、やっぱりやりたい人とかのために開いてくれたりとか、
めちゃくちゃ素敵な先生だったんですよ。
ただ、なんでその先生が、いい先生なの間違いなくて、素晴らしい先生なの間違いなかったんですけど、
なんでその先生が私にとって人生を変えるような先生になったかっていうと、
私、高校2年生の時、衝撃的な出来事があって、夏休み明けの確認テストってあるじゃないですか。
夏休みお前たち大丈夫だったかと、学校側がね、羽目外しすぎじゃないかって言って確認するテストあるでしょ。
そこで、数学の答案が返ってきた時に、ゼロ点って書いてあった。
羽目を外したな。
ゼロですよ。
ゼロ。
ゼロ。何かけてもゼロ。何倍してもゼロ。
ゼロはミラクル。
ゼロはミラクルナンバーですよ、本当に。
中学まで、ちゃんと高校受験もして、どっちかって言うと、私、数学できると思ってたんですよ。
で、多少難しくなったなという自覚はあったけれども、言うても、まあ、みたいな。
辞任としては、その時のテストね、体感としては40点、50点取れてると思ってたの。
40、50点取れてると思ってたのが、返ってきたらゼロだったんですよ。
あの時の私の衝撃たるや。忘れない、あの時の数学教師の顔。
先生もさすがにまさかね、ゼロっていう数字を書くことになるとは思わなかったと思うんですけど。
伸びたぐらい。
そうなんだよ、本当に思った。リアル伸びたかな。
あれでしか見たことないもんね。
リアル伸びたかなっていう0点を叩き出して、私結構唖然として、今まで得意だと思い込んでいたにも関わらず、0点を取ったので、やっぱショックだったから、めっちゃ頑張って勉強したんですよ。
で、次の中間テストの時にギャフンと言わせてやろうと思って、すごいクラスの頭良い子とかでも聞いてやったんだけれども、返ってきた答案、27点とかだった。
スティル赤点で、まだ赤点。だけど先生が、よくやったなとか言われたんですよ。
頑張ったねってこと?
それは数学の先生がね。でも、私にとっては、それはすっごい悔しかった。私はもっとギャフンって言わせたかった。
70点、80点取って、あれはもう本当になかったことにしたかったんですけど、赤点を取ったにも関わらず、よくやったなって言われておこうと思って、すごく当時悔しくて、もう悶々としてたんです。
で、高校の物理とかの勉強って、やったことある方はわかると思うんですけど、数学と不可否なんですよ。わかりますか?
物理ってね、高2の段階で、やっぱ積分とか微分っていうのを絶対に使うんですね。だから、ちょうどその時にやるんですよ。
高校2年生の数学とかって、微分積分とかやるんだけど、数学を落としてリコール、物理も落とすんですよ。
解けなくなる。
だから、物理を嫌いじゃなかったんだけど、数学ができなかったから、物理もわかんなくなっちゃって。で、音手の先生が物理の先生だったんだけど、めちゃくちゃ生活が悪かった。
で、物理も引きずられて、赤点。
そう、なっちゃうか。解けなくなっちゃうね。
解けなくなっちゃって、ずっと私、高校の間、ほぼほぼ赤点取り続けてる。
で、物理の先生は素晴らしい先生なんですよ。で、めちゃくちゃいろんなお話をしてくださるんですよ。
にもかかわらず、数学でめちゃくちゃつまずいちゃったから、もうわかんなくなっちゃって、物理がわかんなくなっちゃって。
で、高3になってから、力学とか一番最初のところは履修が終わって、今だったら、もしかしたらその前に赤点取ったテスト、もう1回解けんじゃないかなと思って、
先生のとこに、教官室に行って、1年前のテストの問題くださいって言って、過去のテストの点数もらって、やってみたら、解けたんですよ。
成長してる。
そうなの。で、1年遅れとか1年半遅れとかだったんだけど、解けていることがわかって、先生もすごい喜んでくれて、
もうちゃんとそうやって、あとからでもついてこれたら大丈夫ですって言って、1回も私のことをほんとに責めなかった。
で、さらにそこで私が無謀だったのは、要は数学も物理も1年ビハインドレベルだったんですけど、何落ち迷ったのか私ね、進路希望で物理学科志望出しちゃったんですよね。
ずっと当たってたよね。
あの時の私もだいぶ言ってるなと思うんですけど、やっぱね、お前何言ってんだっていう先生もいたんです。
そもそもそうでしょ。
点取り続けていて、で、そのテストとかでも点取れてなくて、それで物理学科行くって何を考えてんだみたいな、親も心配してたし、数学の先生とかも、え?みたいな顔だったんですけど、
他人の先生だけは、あ、大丈夫でいいと思いますって、さらっと受け入れてくれた。
私すごいそれが嬉しくて、1回も否定されなかったんです。
私の今の状況に対する心配もそんなに、なんか大丈夫だと思います、どっちかっていうと。
なんかでもこういうふうに自分でやれてるから大丈夫だと思いますよっていう言葉しかかけられなくて、だから私は話自体は直接その場では入ってくる器がなかったんだけど、
いつも楽しそうに話してる先生と、物理大好きな先生が私に対して、行けますって、大丈夫ですって、できるようになりますって言ってくれてたことがなければ、
たぶん私そこで物理学科行くなんていう選択しなかったと思う。
確かに。
無理だったと思う。
周りを要は説得してまで、その点取り続けても、無理無理って言われても、いや行くっていうまでできたかっていうと分からない。
けれども先生が大丈夫、大丈夫って言ってくれたから、実際物理学科、志望して受けて、現役では落ちちゃったんですけど、
なんと老人の間も実は先生は勉強見てくださって。
卒業した後にも。
すごい。
すごいね。
卒業した後にも、一通り全部やれたなって思った時に、私先生のとこに連絡して学校に行って、夏休みから2学期ぐらいの時期だったと思うんですけど、
先生に、私本当に徹底的に全部やりましたと。
今だったら絶対解けると思うんですって言って、なんか一つ、これを解けたら本物だよって思えるような問題くださいって先生に言ったんですよ。
その時に、じゃあこれ解いてみてくださいって言われた問題があって、それが具体的な問題で言うと、
3つの玉があって、横に並んでいる3つのボールが。で、それが糸で結ばれている。2本の糸で間が繋がれている状態。
で、この状態で真ん中の玉に所属部位って言って、速度を与えると。コーンって真ん中の玉を押すと、上に。
で、その時の運動、軌道を求めてみろって言われたの。
すごいな。
うん。それすごく覚えてるんですよ。その問題のことすごく覚えていて。
で、それを私は3つぐらいのアプローチで解いたんだよね。
へー。1つだけじゃなくて。
そうそう。だから運動方程式は普通に順当に解いていくやり方と、なんか運動量保存のやり方とか、
計をここに、計を切り替えて、この記述するやり方と、みたいな。
考えうる、自分の中のものを全部出して、回答用紙を埋めて、その紙埋めて、理科の教官室で先生と2人きりで、
で、ツクネバーって書いて、先生に見せて、そしたら先生が、いや素晴らしいと、ここまで書ければ絶対大丈夫って、
すんごい太鼓板を押してくれたんですよ、その先生が。
よくここまで来ましたねって、あれだけ3年間、ほぼ赤点取り続けてて苦労してた谷本さんが、
今はもうここまで来た、ここまで解ける人はそうそういないと、絶対これだけできてればもう受験物理は全部解けますって、
で、太鼓板を押してくれて、私はそれがめちゃくちゃ嬉しくて。
そりゃそうだよ。
で、そのままやっぱりすごい自信になりました。受験の時に他の教科は結構危うかったけど、
物理だけは私絶対他の人にできるっていう自信があって、結局一浪して東京工業大学、今でいうと東京科学大学ですよね。
の物理学科に見事受かることもできて、それ以外にも私立の方でも得意科目入試っていうのがあって、
一科目でもすごい突出して取れると受かるようなところって私立であったりとかするんですけど、
それ物理で多分突破したところとかもあって、あの時本当に先生、自分の3年間を全部見てくれてた先生が、
ずっと一回も否定しないでいてくれたことと背中押してくれたこと、私のためだけに問題作ってくれて、
それを回答を見て、ちゃんと評価してくれたことで私多分物理学科に進むことができたし、
私物理学科に行って、結局宇宙物理学研修室っていうところに4年生の時に所属するんですけど、
やっぱここにたどり着く、本当に数学0点ですよ。高校2年生の時点で数学0点取ってたようなやつから、
宇宙の研究をする研究室に入れて、最新研究をする先輩方とか先生とかと話せて、
今、私ライターとして仕事してるんですけど、サイエンスライティングの仕事とかを今一番中心でやっていて、
数学とか科学とかの記事を書く仕事をしてるわけですよ。
すごい、0点だったんだね。
そうなんですよ。
すごい。
でも、これってやっぱりあの時に、当時の東京工業大学の物理学科の宇宙物理学研究室っていうところに行っていた人だからっていうことで、
かなり信頼してもらえて、お仕事もいただけていて、
あの時諦めてたら、今の自分は絶対いないし、
あと、0点からあそこまで登り詰めた自分の自信っていうのかな。
先生の手はたくさん借りたけど、自分でちゃんとそこまで持ってったっていう自信は一生ずっと残っていて、
あの時0点からいけたじゃん。いけるいけるっていろんなところで思えた。
それはもう本当にあの先生が単位の先生じゃなかったら絶対なかった未来だから、
本当にもう恩師だし、しかも卒業後もたまにメールしたりとかするんですけど、見てますよみたいな活躍見てますよみたいな感じで、
で、今その数学セミナーさんで連載もさせていただいてるんですけど、
それのご報告とかもしたら、もうめちゃくちゃ喜んでくださって、年間高読してもらって、
しかも学校の方にも掛け合って、学校の図書館に置いてもらって、
さらになんか学校のホームページのウェブニュースとかにもしてくれて、卒業生の活躍みたいな感じで。
みんな嬉しいんだね。
ずっと卒業後も、科学の世界だったりとかのつながりも込みで見守ってもらっている、
本当にスーパー恩師というか、こんな出会いは本当になかなかない。
ここまでご縁がつながることもない素晴らしい先生と出会えたなっていう、そんなことがありました。
めっちゃいい話だった。それは恩師だわ。
恩師だね。
一つには言葉の力だよね。大丈夫って言い続けて。
それもたぶん、本当は大丈夫だと思ってない。
こいつ赤点取ったから、でも大丈夫って言っとこうっていうモードじゃない。
本当に大丈夫だと思ったんだよね。信じてたんだよね。
そういう言葉の力。絶対大丈夫。たのみもとさんなら大丈夫って言ったのが、
その時の受験だけじゃなくて、今でも響いてるわけでしょ?
そうなんですよ。
すごいよね。変わるね。
恩師っていいっすね。
今のストーリー聞きながら、僕2杯ぐらい飲めるなって。
それですよ。人の恩師話集めようか、これ。
いいよね。
今、銘文の僕聞きながら、2つぐらい、恩師って2つぐらい要素あんじゃないかなとか見えてきて、
1個は、やっぱ影響力なんだよね。その人が言ったおかげで、人生にすごい影響があって、
もしかしたらその人の働きかけがなかったら、こうなってたかもしれないみたいな視点。
で、もう1個が、時間を超えて感謝が続いているみたいな。
これってなかなかすごいことだなと思っていて。
そういうのを思い出してみると、人生いいなってなってくるというか。
きっともっとね、いろんなストーリーあるんだけど、今のストーリーだけ聞いてもさ、僕お酒飲めるなっていう。
うわー、いいわ、これ。
こういう仕事したい。
いいよね。
そこにも影響してるって、なんかこう、1人でも2人でも3人でもなく、もっと影響されてるっていうのがいいよね。
本当にそういう人とのつながりっていうのは、どう発揮していくか、マジわかんないなというか。
しかもそれも多分、ニューシーで出なければ、多分永遠に語られなかったであろうエピソードだと思うんですよ。
先生もわざわざ演技のいいもんだでしょ、出てらっしゃるんだよとか言わなかっただろうし。
でもやっぱりそういう出来事が偶然、本当に奇跡的に起こったから、わかることができたけど、やっぱり一つ一つのこういうご縁大事にしたいなと思ったし、先生に対してやっぱりありがとうっていう気持ちを改めて言いたいなっていうのは思ったし、
ちなみに今も間を私はお世話になってます。
いいですね。
いまだにお世話になってる。
もうなんか悩みがあったりすると、ちょっと相談しちゃったりとかしたりするような関係になれて、本当に素敵な先生に出会えたなと思ってます。
いや、0点取ってよかったっすね。
そうそう、でも本当にそう。
こういう話って必ずその、ちょっとさ人生曲線で言うとさ、がくって下がった瞬間とかに、どんなことしてくれたかとかさ、どんなこと言ってくれたかっていうのがやっぱりあるじゃん。
下がった出来事がさ、このおかげで今があるみたいになる。
そう。
それがなんか見えたかな。
本当にこういうふうに下がってる時に、どういう声をかけてもらってるかって、かなり大きいなって、すごく思っている。
だからあの時に0点取ったことで、いろんなダメ出しをずっとたとえば食らったりとか、もう無理だよとかネガティブなことを多分死ぬほど言われていたら、
多分それトラウマになったと思うし、もう二度と世話数学見たくない、無理無理無理みたいな、多分シャッターを下ろしたと思う。
でもそこでやっぱ踏ん張れたのは、いやいやそこの先に道あるよっていうのも、明らかんと認めてくれた人が。
で、それもなんか全然わざとらしい感じでもなく、ごく自然に、おおおお大丈夫ですよみたいな。
なんかサラリーが言ってくれてた先生が、うん、いてくださったっていうのは本当にありがたいなと思うというか。
本当にそのピンチをチャンスにじゃないけどね、そういうマイナスな時こそ未来への力が爆発する可能性はある。
やっぱ悔しかったから、悲しかったし悔しかったから、その気持ちを上に向けてくれる、一緒にこう人に出会えたっていうのはラッキーだったなって思いますね。
今すぐにドラえもんに出てくるあの先生に教えてあげてください。
農民だーって。
農民だーって言うて。
確かにね。
老化、老化探偵はみたいなね。
老化探偵っていうやつね。
確かにね。
目で見せびらかして。
ね、あれわかんないね本当だね。
そう、すごい。
ちなみにメインウーンが赤点取ってでもそれでも物理なんだって思ったのは何でな?
あ、確かに知りたいそれ。
あれはね、なんか一番印象に残ってるシーンがあって。
黒板の前に先生が立っていらして、当時宝物曲線、物を投げた時の宝物線ってあるじゃないですか。
野球ボールとか投げるとこう山みたいな形の軌道で落ちるっていう宝物線を描くと。
で、それをチョークで描くわけですよね。
で、描くんだけど、面白くて。
で、すんごい丁寧にゆっくりこう描くんですよ。
で、描いたんだけど、納得いかなかったんだろうね。
美しくないって言ってガッと消して。
また描いたのよ。
この宝物線っていうのはね、美しいんですよみたいな感じで。
もう生徒の方一切見ないで黒板だけ見て、もう中腰になりながらすごい必死に宝物線を描いてたの。
で、その姿がすんごいよく覚えていて。
え?みたいな。
なんていうか、美しいって何だろうみたいな。
美しさっていう言葉を授業の中で聞くことって、実はそんなになくない?
教科特性的にもそうだよね。
あんまり出ないでもおかしくないもんね。
おかしくないんですけど、美しいっていう言葉を物理の授業の中で結構聞いていて。
私は、勉強が美しいって何?みたいな。
美しいってどういうこと?みたいな。
この人は一体何にこんな感動してるの?みたいに思って。
で、一回物理の力学の問題を先生が美しいって言ってるから解いてみようと思って。
何も考えずに教科書通りにひたすら解いてみたことがあったんですよ。
そしたら言われた通りに法則通りにね、順番通りにやるときれいに全部解けるんですよ。
それがびっくりしたの。
物理の美しさみたいなものに、そのときに私初めて触れたんですよ。
今まで計算を解いたりとかっていう小手先のものではなくて、もっと本質的な宇宙の法則にのっとって、
順番通りに丁寧にただステップを踏むと、本当に問題が全て解けるっていうことを結構私、後々に感じたんですね。
ちょっと感動しちゃったんだよね。初めて学問に感動したのが物理だったんです。
勉強でもインプットでもなく、美しいっていう感情っていうのは、わかるとかのワクワクとかを超えていて、
確かに本当に美しい、何だろうこの言葉にできない感動みたいなのがあって、
で、初めてゼロから全部やってみたくなった。
逆にもう赤点取っちゃってたから、学校の授業もうついていけなくていいやみたいなのがあって。
もう一番下だからね。
もう行っちゃったから、変に60点とか取ってると落とさないために中途半端になりそうだったんだけど、
もう申し訳ないんですけど、授業の進度を諦めて一気に、もう戻ろって思って、
潔く全部捨てられたのは逆に赤点とかそういう点を取っちゃってたから、
もうどうせ足掻いてもどうにもなんないしと思ってゼロから。
で、そしたら、進度がなくなるじゃないですか。自分のペースでできるから。