2023-08-30 32:59

#60 Q03.一人一人に合わせた教育ってどこまでやったらいいですか? 〜大学生に代わってわたしが聞きます!モヤモヤする疑問に全部答えちゃう夏休みSP!〜

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3問目は教育ど真ん中の疑問。

特別支援学校など障害のある子の先生になりたい大学3年生さんからの質問に答えます!


《 めいむーん:谷本明夢 》


宇宙物理学科卒の人情派コミュニケーションディレクター


物理を本気で楽しむ恩師との出会いで、人生が変わった人。数学者の夫と2人の子供と、東京→アメリカ→デンマーク→熊本→名古屋とほぼ世界一周。アメリカ・コペンハーゲン在住時には小学生を相手にサイエンスワークショップを主催。デンマーク在住時には、現地の教育に興味を持ち、訪問やインタビューを通じて教育と幸福度についての知見を深める。現在は "Being"の解放と価値の最大化を軸に、ことばとコミュニケーションによって自由に生き方を選べる人を増やすための活動をしている。明るい夢を生きる人たちのための応援団長。



《 つぼけん 》

大学の自主映画サークルで映像制作の面白さを知り、2005年に映像の制作会社に入社。カメラマンディレクターとして多くのテレビ番組に携わる。 子どもが小学校に入ったことがきっかけで、日本の学校教育に関心を持つ。人生の目標は「Happiness Creactor」(=自分も他人もしあわせにできる創造力をつくる)



《 大ちゃん:大野大輔 》

共育ファシリテーター。

学校と自分が嫌いだった学生時代を、ある恩師が幸せに変えてくれたことがきっかけで教師の道を志す。10年勤めた公立小学校を退職し、現在は(株)先生の幸せ研究所のコンサルタントとして全国の学校の伴走支援を行うなど、「教育をもっと自由に」をテーマに活動している。


○(株)先生の幸せ研究所 コンサルタント

○(社)教育の窓口 共同代表

○社会教育士



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【つぼけんTwitter : @tsuboken_mol】

00:02
大学生に代わって私が聞きます。モヤモヤする疑問に全部答えちゃう夏休みスペシャル3問目です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本質的な疑問からちょっと学校教育に寄っているものもありましたが、じゃあ3問目も行きましょう。
Go Go!
3問目はこちら。
一人一人に合わせた教育ってどこまでやったらいいですか。
3問目もやはり教育に関する、教育ど真ん中の質問になりますが、質問のちょっと印象から大ちゃんいいでしょうか。
質問屋で。
去年からもそうだし、今年度のこともそうだし、質問屋で本当に。
大ちゃんの関西弁が出たところで。
のけぞってたからね。
どこまでっていうのがおもろいんだよね。
やらなきゃダメですかとかじゃない。
正義じゃないですね。
みゆみさんどうですか、今のところの印象。
これ本当に私も聞きたい。
私も聞きたい。
いや、なんか日本の教育と、私がしっかり見たのはデンマークですけど、本当に違ったんですよ。
でも本当にあまりにも違いすぎて、一長一短もちろんどちらもあるんだけど、
例えば自由にどちらか息子を、少なくとも二択で、お子さん育てるのどっちでもいいよって言われたときに、
私はどっちを選ぶべきなのか本当にわからなかった。最後まで。難しかったんです。
断然こっちだよねじゃないんですね。わからないんですね。難しいんだ。
それはでも私の脳みそがまだもしかしたら昭和タイプなのかもしれないけども、すごくでも難しかったです。
だからだいちゃんの話聞くの楽しみだな。投げちゃった。
いやーでもちょっとデンマークの教育もこの質問聞いた後で伺いたいなと思います。
じゃあ学生さんの声を聞いてみましょう。
一人一人に合わせた教育ってどこまでやったらいいですか?
これはどういう意味で質問してくれたんですか?
私が子どもと関わっているときに、いろんな個性があったりとか、いろんな困難を抱えた子どもたちと接することが多いんですけど、
そのときにその子に合ったことをしてあげたいなって思うんですけど、
その集団に合わせたこともしなきゃいけないと思うので、どこまで自分が関わってあげればいいのかなっていうのが悩んでいるので聞いてみました。
例えばこういうところは個性大切にできてるなとか、こういうところって本当に素晴らしいから伸ばしたいなって今まで関わってきた中で思ったことってありますか?
とっても絵が上手だったり、歌が上手、音感を持っていてピアノができたりとか、あと記憶力がとってもあったりとかってする子のそういう得意なところを伸ばしてあげたいなと思うし、
03:12
子どもたちみんなとっても優しくて仲間思いなところもたくさんあるので、その子がその良さを一番発揮できるようにしてあげたいなと思います。
そうだよね。本当に特別支援学校だけじゃなくてね、そうなったらいいですよね。
でもその今この質問してくれたってことは、そうじゃなくて集団的な集団行動とかね、やっぱり学校ではあるから、そういう面はちょっと少なくした方がいいかなってことなんですかね。
実際に学校の方でボランティアとかそういう風に行かせていただくことが多いんですけど、やっぱり時間割とかそういう集団の流れというのが学校の中ではとても決まっていて、
その流れに合わせるっていうこともその子にとっては大事かなと思うんですけど、
パニックになってしまったりとか、何かつまづきがあるときにそういうところが見られているのに、そこまで集団に合わせようとしなきゃいけないのかなって思う場面がちょっと最近あって、ちょっと気になるかなって思いました。
でも学校ってね、登校時間も決まってるし、授業の順番も決まってるし、下校時間も先生も子どもの選べないことばっかりだからね。
その中で個性を大事にするって現場の先生方はどんな感じでやられているのかなって、私も教員になりたくて勉強しているので、ちょっと参考にさせていただきたいなと思います。
わかりました。ありがとうございます。
はい、こんな質問でした。
まず質問してくれた学生さん、特別支援学校とか特別支援学級とか障害のある子たちの教育をやりたいって子が多いので、そんなふうにやっぱり障害の度合いによっても個性が違ったりもするし、
そういった子たちを従来のルールに当てはめるような教育で本当にいいんだろうかっていうふうに思っているっていう感じですね。
じゃあまずだいちゃんから聞いてもいいですか?
僕長くなるよこれ。
本丸。
そうよね。
時間気にしなくていいですか?
語ってください。
大丈夫です。
語ってください。
もう収録予備日も作りました。大丈夫です。
すごいね、始まる前に予備日作るって伸ばす気しかないから。
そしたら2つに分けてみます。1つが理想を掲げる中の尖がっただいちゃんが1つで、もう1個は今の学校システムにおける現在地から考えただいちゃんに話して、最初尖がった方から話すと、この1人1人に合わせるのは誰なのかだと思うんですよ。
06:07
今、地方教育委員会から、等身から個別最適な学びと共同的な学びの具体的な充実というのが示されたと。
これの個別最適な学びの主語って子どもなんですね。
個別最適な学びを指導するじゃなくて、学習の個性化というのと指導の個別化という2つを子どもの視点から整理したのが個別最適な学び。
これ子どもが主語なんですよ。
つまり先生が1人1人に合わせたろうじゃなくて、1人1人の子どもたちが最適化していくということなので、合わせるのは先生なのか子どもなのかってところがまずは論点になってくるんだろうなと思ってます。
150年前くらいにちょっとタイムスリップすると、昔ってかなり個別的ですよね。
例えば寺子屋なんか1人1人違った教材で先生が1人1人呼んだり、友達同士で学び合ったりっていうのがあったということだと思いますし、結構おかたい話になっちゃうかもしれないけど、ルソーのエミールとかそういうものもほとんど個別学習ですよね。
家庭教育とか。そもそもこの近代教育の中のシステム自体が長い目で見ると異質なんだってことだと思うので、尖った大ちゃんでいうと、1人1人子どもたちがもちろん違う中で子どもたち自身が個別最適に学んでいくのだから、これはどこまでいくわけですよっていうのが尖った大ちゃんね。
もう1人の大ちゃんでちゃんと現場も知ってるので、今の既存のシステム内、多くの学校の既存のシステム内での合わせた教育ってなるとやっぱり難しいです。
一斉指導っていう方をみなさんイメージして話をしているとしたら、その中で多様な30人に対して30通りの教育が求められたら、もう先生パンクしちゃいますよ。
だからどうしてもみんなに一つのことを同じ深度で同じ内容をやらせてしまうっていう現在地っていうのがあるんだと思いますね。だからどこまでやったらいいかって議論になってしまうんだと思うんですよ。
無理だよーって叫びだと思います。いたこんな感じで、どうですかね。
たしかにね、ケラ小屋のイメージすると、先生がいて、教え合ってる子たちもいて、身分も違ったりとかしてっていうイメージがそもそもありますよね。
09:03
だからチョークアンドトークって言いますけどね。黒板で、じゃあこの授業って均衡観光になったら、じゃあこの勉強今日は算数ですっていうような教育自体が実は最近のものですよというのは結構面白いですね。
もともと日本にも輸入されてるわけですよ。アメリカの雇われてる外国人教師のマリオン・スコットさんって方がいて、その方がカルフォルニアの様式、意識持ってきてくれたりとか教具とかでこういうのがあるぞって言って明治政府がいいんじゃないかこれは一斉で知識皆さんに詰め込めるぜってなって、
あの時に輸入されたものだから本当ここ最近の教育システムなんだっていう言葉はちゃんと持っておきたいなと思いますね。
とはいえじゃあそれを個別最適のためにもうゼロに戻そうぜ、もう最適でしょ、全員が全員それぞれと向き合おうぜっていうのは言葉としてはとってもいいけど、じゃあできるかって言われると限度があるよねって感じですよね。
限度っていうか今の本当にローカルに例えば公立小学校1校イメージしてすぐに理想にいけるかって言うと一概に簡単とは言えないっていう現在地だと思いますということですね。
はいありがとうございます。じゃあデンマークの教育も知っているMさんお願いします。
いや本当にその仕組みがね箱の作り方自体がだから日本の教育って全然だからそもそもそっちに向いてなくてあるんだろうなっていう、だからそのために作ってない箱に全く違うその一人一人がっていう概念を無理やり多分ぶっ込んだ状態だからこそこう先生たちがキャーってなるし、
どうやってやったらいいのどこまでやったらいいのってなってるんだろうなっていうのが今聞いてた印象でもあるしもともと持ってた印象でもあるんですよね。
デンマークのときにはどんな教育だったか本当に私も専門家ではないので私が知ってる範囲って簡単に言うとデンマークって例えばテストがほとんどないんですよね。
テストっていわゆる数値的に全体の中で自分がどこにいるかっていう相対値を把握するとか自分がどれだけ理解度があるかっていうのを確認するために日本だとやってるかなと思うんですけどデンマークだとそれが一切ないのでその数値としてそもそもこの子はどれぐらいできてるかっていうものを示す指標がまずないらしいですよ。
で、それって困らないのかなとか思うじゃないですか。
一般的に昭和に生きてきた私としては最初は思うわけですよ。
12:05
え?ってそういうのなくて先生そんな30人とか20人どうやって授業進めるのって思うんだけどなんか大丈夫らしいんですよね。
それはなぜかというとそもそも授業が一斉授業じゃない。
最初の時にテーマとか問いかなんかを最初5分ぐらい先生と話してはいじゃあみんな話して用意どんみたいな感じでグループワークになってしまって生徒同士が会話しているような形の授業がほとんどだという話を聞いていわゆる日本みたいな先生が奥歯で喋ってみんなが並んでノート取ってるとかそれがテストに出ますよとかっていう感じではそもそもないので
それぞれがそれぞれに今興味のあることを深掘りしたりとか周りにいるお友達とそれを議論するとか話し合うっていうことがそれがメイン。
なのでなんかデンマークの大学入試とかも引きじゃなくてやっぱその言論がすごくメインだとかいかにその自分の意見をコミュニケーションできるかゴール設定がもう多分違うんだろうなっていうその日本の仕組みとは。
そういう中では一人一人がやりたいこと伸ばすとか進度も全然違ってもそもそもテストがないから評価もされないしだから全然数学日本で言ったら多分点数低いんだけど私数学超大好きって言ってる子がたくさんいる。
日本だともう点数低いイコールもう苦手嫌いってなるみたいな。なんかそんなのをちょっとこうデンマークに行った時に垣間見たんですよね。
ちょっと待った。
なになに?
ここでねこう日本vsデンマークみたいにこうなってないですよ。なってないんですけどなんかこう日本の中で一つに区切っていいのかっていうことがあると思うんですね。60年間テストも成績もない学校も長野県にあるとか。
あと本当に一斉指導をあんまりしない学校も高齢小学校で僕いくつも見てるしやっぱりこう中にはあるっていうところがあるんだけどやっぱり多くの学校が今めいむさんがおっしゃってたようなイメージの学校であるっていう事実もあるので日本vsデンマークではないところもあるのかなって思いながら聞いてましたね。
箱の作り方のデザインが違う中でだからその日本の海外から輸入した今の仕組みのシステムの中に一人一人のって言った時にやっぱすごく大変なんだろうなって。一足飛びにそこのゴールにはいけないしデンマークを真似すればいい話でも本当全然なくって日本の良さは本当にあって。
さっき一応言ったっていう話もしたんですけど言ったらやっぱり日本人の基礎能力ってめちゃくちゃ高いって言われてる。世界的にも本当に高いって言われていてものすごい尊敬されてたりとかするんです。日本の人はすごく優秀。
15:10
最低ライン、ばらつきとかがなくって全体的にみんな本当にすごくお勉強もできたりとか物事を遂行する能力高いとかっていう風な話をやっぱ海外にいてもすごい評価を受ける。日本人であるってことがすごく評価を受けたりとかするんですよ。
でも日本に帰ると海外の人と行くのがいいとか言ってる人がいたりとか。そうなのかなみたいな日本の培ってきたものの中にもきっといいものもあるしでも取り入れたいものもあるし簡単じゃないのなってシンプルに真似すればいいというものではなくてきっと私たちの国民性の中でいいところを残しつつ
もっとここを伸ばしたいというところを取り入れていくために現場の先生たちがきっといろいろ試行錯誤してこの学校でこういうことやったりこの学校でこういうことやったりいろんなサンプルが今出てきてるんだろうなっていう風に一保護者としては私はワクワクして見ている感じです。
本当まさに今ねえむさん言った日本ならではというかね令和の日本型学校教育を見つけてこうみたいな動き闘心があったんですけどなんかそういうフェーズに来たのかなって僕も思いますね。
日本って世界的に見ると個別的な学び一人一人にあった学びってあえてここで言うとしたら結構先進的な方だったんですよそう新自由教育運動とかリュウさんのとかもそうだけどあの先駆けが世界すげえってなってるけど日本めちゃくちゃ早かったんですよ。
1900年の初めの方にはそういうのが実現されてる学校結構あったんですね。そう考えると日本は本当に先駆けなときもあったしなんか今っていうところで国と比べたところでやっぱり日本ならではを日本人として何か作っていくっていうのをそういう風に今国が動いてるの僕はすごいなんか納得してるなって思います。
あと日本の先生すごい。先生のレベルも高い。すごいですよ本当にすごいと思う。だって30人ぐらい子供いてさその中で一斉指導っていう手法もありながらもできる限り対話的にしたりとか共同的に学びるような仕掛け作ったりとかしていく本当職人みたいなことを長くやってるわけですよね。そうするとすごいなって思う部分もありますね。
質問してくれた学生さんとしては今後のどうしていくかっていうのももちろん気になってると思うんですけどこれから先生になったときに若手の先生としてシステムの中に入っていってそのシステム上で目の前で困っちゃってる子。パニックになっちゃってたり。
この子はこれあってないんだけどやめたげてっていうのとかをそれどうしちゃっていいのかなっていう結構目の前のどうしようって部分もきっとあるんだろうなと思っててそういうのってどうしたらいいですか。
18:12
ヒントになるかもしれないですけどちょっと遠回りに行くと僕教室に入れない子何人も担任してきたんですね。入れない子っていうラベルがついて私が担任してきたときに本当に教室入れないのかなってやっぱちゃんと信じてあげることが僕は大事。教室にいることが大事とかじゃないですよ。でも信じてあげることは大事だと思っていて。
よく観察しているとさっきメイムさんが言った仕組みの中でこの仕組みがあるからパニックになっちゃうのかなとかこの仕組みがあるから教室から飛び出しちゃうのかなっていうのは結構見えてくると思うんですね。
この質問出してくれた時点でそういう可能性を模索してるんだと思うか受け取ってます。そうするとこの子はきっとこの仕組みを外してあげれば棘を抜いてあげれば豊かに学べるんだって信じていろいろトライしてみるってのはすごい大事だと僕は思ってます。
例えば机は前向きって決まってるとするじゃないですか。でももしかしたら机を動かせる、誰と学ぶかを選べるとか、自己決定要素が増えてきた時にその子は学べるかもしれないじゃないですか。
やっぱりデンマークの対話的な学びがほぼっていう仕組みは多分そういうインクルーシブになりやすいんだと思っているんですよ。だからどの仕組みがその子の行動を生んだのかっていう視点で見てみるっていうのは私は大事にしてました。
こんな風に最適化を進めている先生も現にいるってことですね。
いやだからだいちゃんやっぱり本当にさすがだなというかもう本当にあのねどうやったらだいちゃんにうちの子の先生になってもらえるかと思ってたぐらいなんですけど。
これが本当に大事なんだろうなと思うのは目の前の一人の子に集中するあまり目の前の一人の子だけこうどうにかするってことじゃなくて仕組みに注目するってのすごく多分大事なんだなっていうのをすごく今聞いてて思いました。
仕組みごと変えてあげる今この一瞬どうにかしようとかでもなくこの子一人だけどうにかしてあげようでもなく仕組みとしてなんかこの子も含めたみんながこう学べる空間ってどうデザインするんだろうとか多分そういうのをずっとだいちゃんを考えて観察してるんだろうなって今思って先生に復帰する予定はいつ?
来た急に来た。
でもその仕組みをね自分のクラスだけじゃなくって日本全国にも広めようとしてるわけですから。
すごいですね本当に。
そうですね今なんか大事なとこ行き着いた気がしますね。
今の一人に目が向いちゃうんだけど一旦ちょっと俯瞰してみて仕組みにっていうところのレベル差のことがそうだなって思いますね。
21:05
これちょっと娘の話していいですか?
どうぞ。
めっちゃいい。
おとといですよ急にキッチンペーパーバーって出し始めて箱に入ってるパターンでキッチンペーパーは割と高めで僕お金あんまないからちょっと困っちゃうぞって言ってその時に仕組みとしてね何かそういう悪いことって見えちゃってコラって止めるっていう仕組みがあるとするじゃないですか。
そうですね。
そうしたらこの子の学びはなかったんだなってハッとした瞬間なんですけどキッチンペーパーバーって出すでしょで20枚ぐらいになったわけ。
でこれどうするのかなって見せたらなんか束ね始めてトントンって周りに揃えてなんかパラパラ巡り始めて絵本みたいって言ったんですよ。
でその後ハッって言ってなんか急にガムテープ持ってきてペタッと思って絵本みたいになったわけですよ。
でもそれとしてね開いたらペラペラと落ちちゃうわけ。
で考えてパパさこの前のさ青いカチカチ貸してって言ったからホチキスだとか。
ホチキス。
いいよいいよって言って貸すわけこれもさ危ないことはやらせないっていう仕組みだったらさ止めちゃうわけでしょでもそれも任せてみようとよしで何回もトライするけどできないのね。
でどこら辺持つと強くできるのかっていうのをだんだん気づいてくるわけ。
ホチキスの芯だらけになってるけど下の方が落ちちゃってで待ってるとさてこの辺に気づいていくわけですよ。
で先の方でカチ止まったの絵本完成。
これさ2個の仕組みがもしこっちの方で止めちゃってたりとか防いでたりするっていうままの仕組みだったらその絵本完成してないじゃないですかっていうところもあると思うから。
一人一人に合わせたってもし言葉でね捉えるとしたらその待つっていうこととかよく見てあげることとか聞いてみるとか興味深く待ってみる見てみるってのは大事だと思いますの上でそれが30人いたらどうなんだってなったらワオってなるじゃないですか。
だから難しさもわかるよっていうような結論です。
でもすごいわキッチンペーパー20枚分ぶちまけてた時点でおいって言っちゃうな。
もともと学ぶ力はあるんだっていう前提無能な学び手なんじゃいっていう出発点は大事にしたいと思いますね。
そこのね信頼のね厚さが大ちゃんちょっとマリアナ海峡くらい高いから。
すごいよな。
すごいから。
私もその小さいんですけどあのデンマークで幼稚園の先生やったことがあって日本語補修学校の。
そうなんだ。
日本語で一緒に遊んであげる週に1回土曜日みたいなのをやった時にやっぱその専門でもなんでもないのであえて8人ぐらいの子供だったんですけどまあもう本当にこれこれですよ。
24:08
もうどうしたらいいのっていう基礎教育も何もないのに。
しかも半分はやっぱり母国語ではない子だったりとかするのでデンマークで生まれ育ってデンマーク語がメインで日本語を第二言語として学んでる子たちもいたのでなおさらそこの難しさとかもあったりとか。
でもあの時は本当に余裕がなくって自分に余裕がなくってその仕組みの中にどう当てはめていかなきゃいけないんだろうとかって思ってしまっていたなって。
でも今だったらたぶんだいちゃんの話だったりとかいろんな素敵な先生たちの話を聞いているのでもう少しまでだかなあの当時よりはって。
とかあと助けを他の子にも一緒に求めてみたりいろんなやり方できたかもしれないなって今では思えるけど視点がね狭くなるじゃないですか。
なんかこうピンチになったりパニックになったりとかすると目の前の子にグッとああどうしようってなった瞬間にこう視野がガッて狭まってしまってたなそうするといろんな制約がかかっていることすら見えなかったりとか。
仕組みがそこで働いてるっていう頭には本当にならないなと思ったからなんかそこでいや大丈夫この子たちは絶対にいつかその子たちなりの答えを見つけられるし私たちはそこにたどり着けるっていう
安心を持てることがその視野を少しずつ広げてくれるのかなっていうのを今聞いててちょっと思い出しました。
いいこと聞いた今めいむさんの話聞いて葛飾区のね今副校長先生で福田先生で人がいるんだけどなんかその近いこと言っててある事象が起きたときにメリットデメリットどっちも考えてみるといいよみたいなこと長い目で見るとというめいむさんの言葉に近いんだけど
さっきのさ何かティッシュめっちゃ出すとか水さ入れようとしてこぼすとかさ明らかにデメリットに見える瞬間にこのメリットなんだろうって考えてみるとちょっと高知性高まるとかね指めっちゃ使うからとか
このこぼした経験からなんか量に目が向くとかね算数的な思考でいくとなんかそういう一旦立ち止まって長い目できっとメリットもあるんだろうなーみたいなね自分を落ち着かせてあげるというか大丈夫大丈夫っていうみたいなのも大事なんだろうなって聞いてて思いましたね
多角的視野とね長期的視野とね広域的視野みたいな感じですねなんかね見方変えてみたり長い時間で見てみたりちょっと俯瞰してみてみたりみたいな本当訓練だなぁと思います本当に追い詰められた瞬間にはなかなかできないので平常時にどれだけこれを意識できるかってすごい大事なんだよね
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確かにねそういう視点を持った先輩がいると多分その学校とかでもういろいろ試せるんだろうなと思っていて僕6年生担任の時にその学年の人たちでかなり子供たちが元気だったのですげぇベリーファインだったんでこれどうするって話したのね
でそこで思い切ったこと言ってくれた方がいてよしあの場所を選べるようにしようって言ってこの学ぶ場所を5ヶ所ぐらい作って選べるようにしてみようとそしたらこの元気な子たちはどうなるんだって
仕組みを一個バイアスといて変えてみてたんですよそしたら普通に一斉指導してる時は落ち着か元気なのに場所選べた瞬間に最適な場所見つけて学び出すみたいなのが見えたんですよ
これって転換必要だと思ってて立ち止まって考えてみるって大事だなと思ったんですよね自分の決められた教室の決められた席の決められた学び方だったら反発するのに自分で決めた場所で自分の決めた学び方だったら学べる子がいるっていう視点ですね
一回立ち止まってみるっていうのはすごい大事だなと思った瞬間
だいちゃんの小さい実験大量にやってるのほんとすごいですよねこうやったらどうだろうやってみるみたいな本当にそれがすごいなと
それができる環境をくれた先生とかめっちゃ顔いっぱい浮かぶんですけど学年でそれをやってくれたりとかねあのベテラン先生に感謝とかいっぱい浮かびますねその実験が確かにちっちゃい実験いっぱいできたかもしれない
どうしたって学校って前例で今までこうだったからこうしなさいのイメージがありますけどそういう学校もたくさんあるんですね
あと答えを子供が持ってるみたいなのもあると思っていて一人一人に合わせるってつい一方的にこっちがしてあげるとか先回りしてあげるになりがちだと思うんですよ
でもそこ聞いてみると僕1年生とかでも自分で言えたりする場面何回も見てきたわけですよ
どう今の気持ちとかどうしたら学べそうかなとか子供舐めちゃいけないなって思った瞬間は何回もあるし
僕保育園とかも入ったりするんだけどそんな中でも言語化できるもしくは自分で考えて動けるって子は結構見てきたので
なんか答えはその子たちの中にある時の方が僕の経験上多いなって思ってます
めっちゃわかるすごい年齢関係ないですよね本当にね
その子なりの言葉で伝えようとしてくれてますよね結構ちゃんと聞けばね
そうなんですよね
きっとこの質問してくれた学生さんは障害のある子を対象にしてますから障害のある子だってもちろんいろんな考えもあると思いますので
30:04
キャッチアップして仕組みごと変えるべきところは変えていったりより楽しくなる方向にできていたりですね
今思い出しちゃった特別支援学級で働いてる先生で子供に聞いたさっきのエピソードみたいなやった人がいて
あなたはどんな椅子があったら座れるのかって聞いたらよぎ棒って言ったらしいです
いいな私も座りたい
いいよねそこね買ったの
すごい
しかもちゃんとみんなで畑とかで野菜育て売ってよぎ棒買ったんだって
え素晴らしい
これすごいよね
素晴らしい
そこまじですごいと思って
で買ってさ今奪い合いですよ
また野菜売らなきゃ
僕もここじゃないと勉強できないとかね
一人一人が合わせる教育にもしかしたらなっていくのかもしれないですね
一人一人にじゃなくて一人一人が
素晴らしい
でも本当見つけられる力を見つけてあげたいですよね
本当に自分が今いる箱でうまくいかないときに
誰かに合わせてもらうんじゃなくて
自分はどうやったらそこで心地よく一緒にみんなと何かできるかなっていうのを探せる力を一緒にできれば
それはずっと大人になってからめっちゃ力になりますよね
お宝フレーズ出ましたね今ね
すごい一生ものですよね本当だよね
ありがとうございます
僕はめちゃめちゃ納得しました
この回良かったな
僕今回ちょっと2人のトークを聞きたいくて見てる側なんで
最前列で見えてとても楽しかったです
そうなんだよだからたまにさ僕がツボ犬の役割であえてさ
ちょっと攻めるフレーズVSって入れてみたり
ツボ犬来ねえなら僕出すよみたいな
あえてのやつ来ないじゃんってずっと思ってたよ僕
見てるみたいな
ほぼ最前列です
拍手してました
学生さんにもきっと伝わったと思います
どうもありがとうございました
3問目一人一人に合わせた教育ってどこまでやったらいいですかでした
ありがとうございました
32:59

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