2024-11-04 23:26

#105 Q07.理想の生徒像はありますか? | 大学生の質問SP

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教室から飛び出して行ってしまうなど、問題行動とされる児童・生徒がいる中で、では反対に理想の生徒っているの?と質問をしてくれました。

理想の中でもいろんなグラデーションがあり、子どもにとって必要な理想・期待って何?という話に徐々に移っていきます。


いわき総合高校パンフレット

https://iwakisogo-h.fcs.ed.jp/wysiwyg/file/download/1/12725



《 めいむーん:谷本明夢 》


宇宙物理学科卒のコミュニケーションディレクターとインタビューライター

物理を本気で楽しむ恩師との出会いで、人生が変わった人。数学者の夫と2人の子供と、東京→アメリカ→デンマーク→熊本→名古屋とほぼ世界一周。アメリカ・コペンハーゲン在住時には小学生を相手にサイエンスワークショップを主催。デンマーク在住時には、現地の教育に興味を持ち、訪問やインタビューを通じて教育と幸福度についての知見を深める。現在は "Being"の解放と価値の最大化を軸に、ことばとコミュニケーションによって自由に生き方を選べる人を増やすための活動をしている。明るい夢を生きる人たちのための応援団長。



《 つぼけん 》


大学の自主映画サークルで映像制作の面白さを知り、映像の制作会社に入社。カメラマンディレクターとして、北極🐻‍❄️から南極🐧まで世界各地で撮影をしてきた。現在は「月曜日に会いたい人をふやす」をテーマに、映像🎥・写真📷・Podcast🎤などメディアを横断して活動中。



《 大ちゃん:大野大輔 》


共育ファシリテーター。

学校と自分が嫌いだった学生時代を、ある恩師が幸せに変えてくれたことがきっかけで教師の道を志す。10年勤めた公立小学校を退職し、現在は(株)先生の幸せ研究所のコンサルタントとして全国の学校園の伴走型支援を行うなど、「教育をもっと自由に」をテーマに活動している。

○(株)先生の幸せ研究所 コンサルタント

○鎌倉市教育アドバイザー

○社会教育士


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00:03
大学生の質問スペシャル、7問目になります。
めいむさん、だいちゃん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
後半戦の2つ目にもなります。
じゃあ、どんどん参りましょう。
7問目です。こちら。
理想の生徒像はありますか?
ということです。
理想の生徒像となるので、
めいむさんはね、先生じゃないですかね。
理想の子供像とか、ということにもなるかもしれませんが、
ゆうさんからの質問です。
質問の印象としてはいかがですか?
どうなんだろう。
どうしよう。
だいちゃんの語りが気になる。
10秒で終わっちゃうかも。
僕の話。
なるほど、なるほど。
めいむさんは?
それを受けて、じゃあ。
残り10分ぐらい。
残り10分ぐらい何か語る。
わかりました。
じゃあ、ゆうさんがね、どんな理由でこんな質問してくれたのか、声を聞いてみてください。
私からの質問は、理想の生徒像はありますか?です。
なぜこの質問してくれたんですか?
自分自身、問題児っていう言葉を耳にしたことがあるんですけど、
子供の姿が多様化していく中で、
逆に教員の方とかにとって、
授業でこういうふうな子供の姿があってほしいっていうものでしたり、
社会、地域社会とかでも、
こういう子供の姿を望んでいるっていうものはあるのかなっていうのを気になって質問させていただきました。
確かにね。
例えばどんな人が問題児っていうふうにされると思う?
どんな子というか。
ちょっと教室から飛び出しちゃう子とか、
授業中に授業外のことをしちゃうとか、
あと注意とかがちょっと散乱な子とかのことを指してるんじゃないかなというふうには感じたことがあります。
確かに授業がね、時間も決まってるし、やることも決まってるから、
それを受けられないってなってくると、
先生としてはちょっと問題だなって受け止めちゃってもしょうがないもんね。
確かにね。
それをそうと、さすがカラオケ行っただけあって、声が伸びてますね。
ありがとうございます。
とっても聞きやすい声で。ありがとうございます。
声は問題なしですね。
声は問題なしです。
ありがとうございます。
じゃあ、問題児っていう言葉自体の印象ってどうですか?
私自身、あんまり子供の多様な姿があるから、
子供の多様な姿を問題児っていう言葉だけにまとめるっていうのは、
あんまり自分自身は良くないんじゃないかなっていうふうに考えていて、
自分、福祉系の大学に入って、
03:02
発達障害とか、そういうのについても授業で勉強させていただいてるんですけど、
そういうことを詳しく知っていく中で、
あんまり問題児っていう括りだけでまとめられるのは、
ちょっと自分的には、うーんって思ってる感じです。
先生側が理想に思ってる生徒って、あるのかな?いるのかな?
いるって思いますか?
もしも、自分が教員になったとしたら、
意見が出てきたほうが、授業は進めやすいのかなって思うので、
ある意味その点に関しては、理想の生徒像なんじゃないかなっていうふうには感じています。
確かに。
学校の授業参観とか、僕も行かせてもらうけど、
やっぱり先生たちが質問をして、子どもたちが入って手を挙げて、
元気よく答えるみたいなのって、
いい教室だなって思っちゃうもんね。
感じます。
先生の理想とする生徒像イコール、
もしかしたら自分の授業の運営にプラスになってくれる子って、
思っちゃってません?っていうこと?
それはちょっと感じてます。
なるほどね。
というわけで、この質問をしてくれる前に、
カラオケに行って声をしあげてくれた、ゆうさんからの質問でした。
しあげてきたの?
はい。
教室から飛び出ちゃったりするのが問題児ということですが、
元問題児のだいちゃん、いかがですか?
いやもうさ、問題児でこんな感じかもって3つ出してくれたやつ全部当てはまってるよね。
はい、僕ですみたいな登場の仕方。
でも救われるね。ゆうさんみたいな考えの人がいてくれれば、
当時の僕はね、救われるんだよね。
問題児を産んだのは一体何なのかっていうね。
問題児は本当に問題児なのかっていう、
そんな問いかけがうっすら見えましたね。
だいちゃんの答えの3秒はこれ?
ん?
だいちゃんの3秒の答えは。
言っちゃっていいですか僕。
19秒で、はいお願いします。
じゃあ行きますね。
理想の生徒像はありません。
やっぱり。
ただ、個人個人にはあっていいんじゃないっていう。
つまり本人が持つ分にはいいんじゃないでしょうかって。
先生本人が?
いえ、生徒本人。
生徒本人がね。
それに尽きるかなって思ってます。
じゃあ先に話すと、教育基本法にですね、
一丁一番地に書いてあるのが人格の完成って言葉なんですよ。
この言葉にはいろいろね、トライがあるから3秒あるんだけど、
06:03
僕は納得してて、その子がどうなりたいかなんだよね。
だから、これぞ理想の生徒像じゃいって言って、
お前らこれになれって言った瞬間に、それが矛盾が起きるわけ。
だから、ただ生徒本人が、僕はこうなりたいと。
わかったと。
じゃあそれになるの一緒に目指そうよっていう分にはいいんじゃないですかって答えです。
理想の自分像じゃなくて、学校にいる時の自分みたいな感じで、
理想の生徒像っていう感じ?
どっちもあっていいけどね。
いろんな自分がいると思うから、
自分の中の理想があっていいし、どんどんどんどん変わっていいし、
なきゃダメかって言ったら、そんなことないかもしれないし、そんな感じ。
なるほど。
理想の生徒像はありますかっていう問いだったら、本当私も特にない。
まあでも単純に、ゆうさんも理想の生徒像なんて、
っていうか問題字なんてないですよねってゆうさんは言いたい。
そうなのよ。ゆうさんのニュアンス超よかったのが、
ありますかなんだよね。
何ですかじゃないんだよね。
存在をね、通ってるってことね。
近いんじゃないかなと思った。
私が思ったのはなんかあれだね、理想の生徒像はありますかっていう問いなんだけど、
本来聞きたいのはそっちじゃないのかなっていう気もした。
問題字っていう言葉の存在自体がなんかこう、に燃やるというか。
問題字っていうのって先生側が作ってるなんか、
とか仕組みとか教室っていうものが作っちゃってるだけなんじゃないですかみたいな、
そういう問いかけでもあるのかなと思うと、
やっぱ問いって難しいなっていうか、質問の答えって難しいなって思ったのが、
本当の意図ってこうやって後から聞いてみないとわかんないもんなんだなって、
最初の印象と全然違うから。
ゆうさん優しいなって思う。
そうなのかね。
理想像をね、本当に持っちゃうと、どんなでもこれ生徒だけじゃないですけどね、
あの夫婦像とかもそうだと思うし、
理想の友人像とかね、理想の近隣住民とか、
いろいろ持っちゃうと、大変なことに逆になっちゃうイメージがあるので。
実はゆうさんにもね、もう1個僕質問したんですよ。
親が子供に対して理想を持ってることってあると思う?っていうふうに聞いたら、
あると思いますよと。
でも、理想を持つこと自体は悪いことではないと思います。
09:01
でも、その理想を持つことによって、子供の将来を狭めてしまうことにもつながるのでは?というゆうさんのご意見でした。
私は親なので、子供に対して理想の子供像ってあるかと言われたら、
理想というか、願いは本当に健康であってほしいとか、健康であってほしいぐらいのことですよね。
それは思ってますけど、それを理想と呼ぶのかどうかはよくわかんないけど、
理想という言葉ではないかな。
要はそうじゃなかったときにがっかりするものではない。
ただ、そうあってくれたらうれしいなっていう願いはあるけど、
でも健康と笑顔ね。
いいですね。
っていうのは子供に対しては思ってるけど、
理想という言葉って何なんだろうね、理想。
自分に対しての理想はでも確かにプラスかなっていう気はするけどね。
目標を持てるっていう意味では。
期待と理想が近い言葉に感じるんですよね。
当てはめるとか、ねばならないみたいなことがゆうさんの言ってるニュアンスの理想には近いかもしれないですね。
確かに。
期待はかけすぎると相手にとってプレッシャーになっちゃったりとか、
そういうのはいつも感じるところで。
期待との差ばっかり気になっちゃうからですね。
理想と期待って結構近いなって、なんとなく言葉のニュアンスで私が今思ってるだけなんですけど、個人の感覚だけど、
理想を持つとそこに期待しちゃって、そこに対してのズレばっかり目についちゃうと関係性が良くないのかな。
本当のその子の良さとかがうまく見えなくなっちゃうのかなっていう風に思うので、
あんまり期待はしないようにっていうのを結構私親になってからでもずっと結構意識してるかもしれないんだけど。
そうですか。
どうなるかを興味津々で見てはいるんだけど、こうなってほしいっていう期待とはちょっと違うっていうか。
なんで自分がそこにやったのか、自分の親からの期待があったからかもしれないですけどね。
自分自身は期待されてたなっていう感覚がある。
期待されて答えられなかったっていう感覚が。
それはつらい。
あるから、だからかもしれないですけど、すごい個人的な意見ですけど。
そうだと思う。
でも期待しちゃうのもね、親だったり先生だったりもするのかもしれないですけどね。
期待しすぎちゃう。
しすぎちゃうとのなんか、していい期待としちゃダメのラインがよくわかんないですけど、
こうなってほしいなっていうのはやっぱどうしたってあるじゃないですか。
それをどこまで子供自身の可能性として捉えるか。
いや、こうなってほしいんだよって、押し付けになるのかっていうの。
12:03
どこで分かれるのかってね、難しいとこですよね。
難しいですね、ほんとね。
実際でも学校でこういう理想の生徒像みたいなものを持っている先生っているものなの?
うん。
で、基本的にこういうのはね、多分設定してるところがほとんど。
あ、学校でってこと?
うん。
なんかこれが難しいのはね、
目指す理想の生徒像っていう正体なのか、
それとも身につけたい資質能力っていう正体なのかによっても違うんだけど、
例えば資質能力っていうのは、もちろんできることだったりとか、
それをこうできる力だったりするかもしれないけど、
そういうのはね、学習指導要領で示されているわけで、
それはこう、身につけていくっていう最低水準を日本の公共教育では特に求めているわけで、
それは結構示すことが多いですよ。
ただ、目指す生徒像でこうあるべきだ、みたいなものも中には散見されるんですよね。
そうなってしまうとさっき坪玄が言ってた、ある意味のレールだったり、
押し付けになりうるっていう考えなんですよね。
ちょっと僕今、ラジオ上なんでこれもの見せられないの、すごい残念なんですけど、
僕今話しているお二人には画面越しで見せている、
このパンフレットもホームページに載っているんで、学校名出すと、
福島県のいわき総合高校さん。
僕ここ関わっててありがたくて、すっごい素敵なんですよ。
今このいわゆるコンセプトフレーズみたいな、
僕一緒に作る場面に出会えて、
共に走ってきたんですけど、
極めよ君のやりたいを、っていうものがもうコンセプトなわけですよ。
これね、中開くと自己実現って言葉が書いてある。
とにかくあなたがどうなりたいか、
その実現したい自分を叶えるための場だよっていうのが、
共通理解が図られている素敵な高校なんですね。
ここでももちろん育成したい力っていうので、
資質能力はちゃんと示されているわけです、三つね。
例えば、多様な他者と共同できる力とか、
そういうのは書いてあるんですよ。
ただ、極めよ君のやりたいを、
生徒の個性が共生して成長するための挑戦をする学校です、
っていうのがここにボーンと書いてあるわけね。
なんか、これって、僕が生徒だったら、
すごい嬉しいなって思うわけ。
こうなれっていうのは書いてないんだけど、
自分が目指したいものを叶えるために、
一緒に頑張ろうみたいな感じで受け取れて、
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こういうふうに示されている分には、僕は全然、
生徒だったら嬉しいなって思うんですけどね。
どうでしょうか。
なんか、たとえが合ってるかわからないんだけど、
資質というエンジンとか、推進力みたいなものは、
そこで積むことができるけど、
どこに行くかは自分で選べるみたいな、
なんていうのかな、そういう感じは、
すごくいいな、ここに行けっていうのを決められてしまう。
要はレールだよね。
レールを敷かれてしまって、その上を走らされるんじゃなくて、
どこにでも自由に自分の行きたいところに行くための、
エンジンとか羽とか、
そういうのをここで身につけることができるよう、
さあ、自由に走りたまえみたいな、
そういうのは素敵だなって思った。
今のたとえば、相当イメージ近いと思うよ。
近い?あってる?
うん、しかもいる最中にもそこにたどり着けるし、
そこにちょっと行ってみようかなっていう風に、
行けるっていう意味でも、かなり近い、たとえばな。
よかった。
うん。
なんかそこの違いなのかなっていうのは思った。
そうだね。
うん。
で、また向かっていく方向性も、
自分の何が好きかとか、どんなことのエネルギーを使いたいのかってことをね、
特に高校生ぐらいになってきたら掘り起こしてくれて、
向かっていく先っていうのを一緒に考えてくれるような学校って、
僕たちの周りでもちょっと増えた感じがしますよね。
ね、するする。
ただ、最低限これだけはみたいなのは必要な気もしていて、
個人と社会のウェルビングだけはちゃんと目指そうねみたいな、
そこだけは別にあったって押し付けにならないだろうし、
それをこう脅かすような自己実現であったらダメなわけじゃないですか、実際。
うんうん。
だからそこら辺だけ最低限みんなで確認取れてれば、
共通力剥がれてれば、基本的にどこに行ってもいいわけですよね。
うんうんうん。
それめっちゃ大事ですよね。
結構あの、前の回にも話したんですけど、
デンマークに住んでたことがあるんですけど、
デンマークって社会性みたいなものも、
ものすごく小さい頃から身につけさせられるわけですよ。
それぞれの子がやりたいことも尊重されるんだけれど、
同時に全体としての流れとか、
全体として今こういうふうにやっていきたいよね、
例えば授業が切り替わったりとか、
移動しなきゃいけなかったりとかっていうのってある。
そういうところではやっぱ協力していかなきゃいけないよねっていうような、
個人の自由と社会性っていうののバランスの取り方、
そのツールとして対話力とか、
っていうものが小さい頃からけっこう磨かれていくし、
常に全体の意識も持ってる。
18:03
うん。
なーっていうのがすごくある。
なんかそこのバランスがたぶんすごくいいなーって、
私小さい頃けっこうあんまりその社会がどうのとか、
なんか全体クラス全体どうのとかっていうのあんまり意識できてなかったなーっていうのはすごく思っていて、
自分の自由とかね、っていうのはけっこう意識はするときあるじゃない?
それこそなんか不自由だなーとかやりたいことやれないなー、
授業つまらないなーとか思ってたことあるんだけれど、
この自由を追求しつつも社会とか、
全体の自由が担保されているとか、
お互いの自由をなんかこう、
だいちゃんが前言ってたね、相互承認。
そういうところが保証されてさえいればどこにでも行けるっていう感覚を持って、
で、その中で自分の一番行きたいところっていうのを一緒に探してくれる。
その理想の生徒像、理想の自分像とか理想の生き方とかっていうのを一緒に探してくれる場である。
しかもそこに行くための能力とか資質っていうのをそこで一緒に身につけられるっていうのはすごい最高なあり方かなーと。
やっぱその全体とのバランスってね、最初わかんないからね。
自分のやりたいことだけ言っちゃうじゃん。
そうじゃなくて、そこのバランスを一緒にこう見つけていけるっていうのは、
やっぱ学校っていう場でできるのはすごいありがたいですよね。
そのさ、向かっていけるよとかさ、
あなたならきっとそっちに行けるよっていう期待だったら、
僕は全然悪くないと思ってるんですよ。
それで励ましたりとか伴奏したりしていくっていうのはすごくいい期待だと思っていて、
しかもそれがあなたの迎えたい先なんでしょっていうのがね、
ちゃんと合意とれてればいいですよね、期待としては。
確かに、期待の正しい使い方ですね。
それはでもあるなー。
自分にはできるみたいな。
そこに行けるみたいな気持ちって、もちろん自分から生まれるのがすごく大事だけど、
周囲からもらうものもあるじゃないですか。
自分が自分を信じられなくなったときに、
いやもう無理とか思っても、周りの人がすごい当たり前に、
いや何言ってんの、できるよみたいな。
言ってくれるだけで取り戻せたりするじゃないですか。
そういう自己効力感。なんかできるかもって。
あの人が言うんだったらできるかもって。
思えたりとかする瞬間ってすごいあるから、
先生がそういう風に言ってくれたり、
親が自分の未来を信じてくれたりとかっていうのは、
すごい良い期待ですよね。
こうなってほしいじゃなくて、
あなたならあなたの生きたい未来に行けるよっていう期待ね。
潰す期待と背中を押す期待ね。
気を付けよう。
21:01
そうなんだよね。ついやっちゃうよね。
そう。
まあね。
押し付けたくないと思いつつも、子供から見たらね、
もしかしたら何か理想像を押し付けてるように感じてしまっているかもしれないから、
気を付けよう気を付けよう。
じゃあ、ゆうさんの質問に答えるとすると、
理想っていう言葉があってるか分からないけど、期待っていう意味だと、
先生にしても親にしても大内緒なり、子供たちに思っているものではあると。
でもそれをガッチガチにもうこの方にはまってくださいね。
これ以外許しませんよっていう期待なのか、
あなたがやりたいことっていうのをサポートしてあげたいし、
サポートするための伴奏であったりとかするよっていう期待の仕方なのか、
そこにどれだけのグラデーションがあるかっていうのは、
その受け取り方自体でもあるし、
その時々でもあるかもしれないけども、
その辺を人と人として向き合いながら進めていくっていう意味では、
いい期待にもなり得るっていう感じですかね。
すごいね、まとめてくれた感じする。
だからこの質問の主語が生徒ならいいんだよ。
生徒が自分の理想の生徒像として持つ分にはすごくいいっていう。
主語が生徒ならいいんじゃないですかね。
まずは。
そしてそれを応援してあげたり、
チアアップするっていうのが親なり先生の役目でもあるっていうことですね。
が理想だと思いますけど、現実はなかなか難しくてですね。
頑張りたいと思ってます。
僕も親として頑張りたいと思ってます。
はい、ゆうさんいかがだったでしょうか。
なかなか疑問を持ってね、
ズバッと質問してくれたからとってもいい質問だったなと思います。
というわけで7問目は、
理想の生徒像はありますか?
ゆうさんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
23:26

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