2024-09-02 20:11

#96 Q02.子どもに対して理不尽に接していると思ったことはありますか? | 大学生の質問SP

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次は親としても、社会を生きる大人としてもドキッとしていまう質問です。

真面目なカイさんに対する、大ちゃん・めいむーんさんの答えは?


《 めいむーん:谷本明夢 》


宇宙物理学科卒のコミュニケーションディレクターとインタビューライター


物理を本気で楽しむ恩師との出会いで、人生が変わった人。数学者の夫と2人の子供と、東京→アメリカ→デンマーク→熊本→名古屋とほぼ世界一周。アメリカ・コペンハーゲン在住時には小学生を相手にサイエンスワークショップを主催。デンマーク在住時には、現地の教育に興味を持ち、訪問やインタビューを通じて教育と幸福度についての知見を深める。現在は "Being"の解放と価値の最大化を軸に、ことばとコミュニケーションによって自由に生き方を選べる人を増やすための活動をしている。明るい夢を生きる人たちのための応援団長。



《 つぼけん 》


大学の自主映画サークルで映像制作の面白さを知り、映像の制作会社に入社。カメラマンディレクターとして、北極🐻‍❄️から南極🐧まで世界各地で撮影をしてきた。現在は「月曜日に会いたい人をふやす」をテーマに、映像🎥・写真📷・Podcast🎤などメディアを横断して活動中。



《 大ちゃん:大野大輔 》


共育ファシリテーター。

学校と自分が嫌いだった学生時代を、ある恩師が幸せに変えてくれたことがきっかけで教師の道を志す。10年勤めた公立小学校を退職し、現在は(株)先生の幸せ研究所のコンサルタントとして全国の学校園の伴走型支援を行うなど、「教育をもっと自由に」をテーマに活動している。

○(株)先生の幸せ研究所 コンサルタント

○鎌倉市教育アドバイザー

○社会教育士


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【つぼけんX(Twitter) : @tsuboken_mol】

00:02
それでは、大学生の質問スペシャル2024、2問目になります。お二人よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
一つ目からね、なかなかど真ん中のいい質問がありましたが、どんどんいっていこうと思います。
それでは、質問2問目はこちら。
子どもに対して理不尽に接していると思ったことはありますか?ということです。
これ、やっぱり先生という大ちゃんの立場もあるでしょうし、めんむんさんはお母さんでもらっしゃいますから、お母さんとしてっていうのもあると思いますが、まずは質問の印象いかがでしょうか。
個人的な反省。個人的な反省を促されているのかなと。
あるなーって感じですか?
いや、まあ、ある。今答えちゃうけど、あるよ。
あるよね。
あります。
めちゃくちゃあるよ。これもう、子どもに対しての前に、あなたはが入るから。
で、イエスがくるから。
これは、だいたいあるんじゃないかな。
はい、じゃあこれがどんな理不尽なのかね、実際にかいさんの意見を聞いてみてください。どうぞ。
子どもに対して理不尽に接していると感じたことがありますか?です。一応、大学の授業とかでも正直ちょっと理不尽だなーって感じることが多くて、
一番最初の授業の時は教科書持ち込んでいいよとかいう先生がいるんですよ。なんですけど、最後テスト近くなったらやっぱ持ち込むのダメみたいな。
え、なんで?って言ってたじゃーんってなるよね。
そうなんですよ。っていう、こうちょっと理不尽だなーって思うこととか、まあ筆記テストないよって言ってる先生がやっぱり筆記テストにしますとか、
っていう理不尽だなーっていうのを感じることが多いので、ちょっと気になりました。
それって教育実習のときみたいなことですか?
あ、普段の授業か。あーもうみんながうなずいてる。大学の授業ね。
あー、はーい。どう答えたらいいんだこれ。
なるほどなるほど。大学の授業で、いやいや先生ちょっと違うじゃんってことがあるってことね。
たまにです。
たまにね。人によっては。
本当にたまにです。
たまに。じゃあ逆におかしいなって思ってる先生たちはなぜそうしちゃうと思う?
やっぱり最終的にたどり着くのはやっぱり子供たちのためにやってるのかなっていうふうには思います。
03:04
ルールを変えちゃう先生も子供たちのため?
はい。
あーなるほど。なんでなんで、あーめっちゃ首振ってるけど。仲間が首振ってるけど。まあ大丈夫。はい。
そうですね。やっぱり理不尽って思うんですけど。はい。
まあでもこういろいろ深掘りして考えると、やっぱり自分たちのためにあえてこう厳しくしてくれてるのかなとか。
まあそう思いたいってことかな。みんながみんなそうじゃないかもしれないもんね。
まあそうですね。自分はまあそう思うようにしてます。
あー大人だね。本当に?大人だよ。隣には友さん、お母さんいますけど、かいさんはいいやつですか?顔を追って。
まあまあまあまあ。
綺麗事ではあるけどね。
思ってるのかっていうのは疑問だけどまあいいやつでは。
いいやつではあります。
今の発言に関しては疑問が残るという。
本当は?
ちょっと厳しいです正直。
やっぱ。
あーそういうのね。
そうですね。ちょっと。
勉強してるのにルール変えやがってって思うでしょ?
ちょっと思いますやっぱり。
けどそれを乗り越えた方が勉強になると思います。
嘘つきいただきましたよ。
まあでもそう思っといた方がいいよねって時もあるよね。
ずっとこう言い返すか我慢するか考え変えるかの三択だとしたら、
まあ考え変えるっていうのが最善な時もあるもんね。
確かに。
ちょっといろんな対応の仕方があってとてもいいと思います。
素敵な一面を見せてもらいました。
はい、というわけでとっても優しいかいさんでした。
めっちゃ大人じゃないですか。
大人よね。
周りの方も全然そんなに違うって言ってるけど、かいさんはもう先生は自分たちのためにやってくれてるから。
そうじゃないかもしれないけどそう思いたい。
それが自分のためだからっていう風に言って。
めっちゃ偉いな。
全然そんな風に思えなかった。
みたいな感じでとっても素敵なかいさんでした。
というわけでかいさんが一番思ってることは勉強のことなんですけど、
先生ってテストで持ち込みいいよって言ったのに直前になってやっぱダメって言ったりとかして、
プレッシャーをかけてくるのはなんでなのかな。
自分がもし大人になったらそんなこと絶対しないようになみたいなことをお話ししていました。
とっても素敵なかいさんでした。
お二人聞いてみていかがでしょうか。
06:00
僕からじゃあちょっと言いましょうか。
あれを。
あれを。
あれをお願いします。
なんだあれって。
これまでに僕が理不尽に接しちゃった子どもたち、
皆さん本当にすいませんでした。
学校の先生としてね。
めちゃくちゃやってますよ。
そういうもんなんだ。
めっちゃやってますよ。
その時ってね、気づいてるパターンもあれば、
いや本当無意識にやってたわってパターンもあるんですよ。
今思えばってやつもたくさんあるから、
このお題はね、もうズッキンズッキン来るね。
そうなん、いやでもそうかもね。
何やっちゃったの?大ジャンで何やっちゃうの?
例えばね、子どもたちにね、学校として学力テストやりますと。
僕ちょっと踏み込んだこと言いますね。
はい。
これはもうその待ちとして決まってます。
学力テストやるのは。
その学力テストやるってのは決まってます。
さらにその学力テスト前に、練習みたいのをせよみたいなミッションが来たわけですよ。
まあいわゆるね、ちょっとドーピング的な要素もあるような練習ね。
で、それを僕はやらせたわけですよ。
で、その時に子どもたちから、えーって言われたの。
そんなの聞いてないしとか、なんでそんな練習なんかやるんですか?大変じゃないですか?って声が当初上がったわけですよ。
その時に僕が言った言葉は、いや決まってるからって言ったわけですよ。
これってある意味理不尽じゃん、子どもからしたら。
大人としては決まったことなんだけど、子どもからしたら下ろされてきたことなわけで、理不尽だよなって思っててね。
で、そこで僕はなんかコミュニケーションを取ろうって思えなかった、その時っていうのは。
あーなんか足んなかったなって、僕今では思いますけどね。
まあそんなもんじゃそんなもんな気がするけどね、学校って。
いやそういうもん、ルールだからさって、いやもうやるの決まってるからさって言われたら、そうかなって思っちゃうけどね。
でも引っかかってるんだよね、だいちゃんの中では。
いや引っかかるよ。だって、なんのための学力テストですかって。
僕正直分かんなかったし、今でこそやらないっていう自治体が出てきてるわけですよ、いろんなところでね。
で、異を唱えたりとか、その学力テストとはもともと効果としてね、本当に有効なのかっていうのを異を唱えてる教授もたくさんいたわけだし、
その子たちはそれに気づいてたのかって思うとすごいじゃないですか。
僕大人としては、いややるもんだからやるでしょってバイアスかかってたところを、
その子たちはクリティカルに、それがほんと何の意味があるんですかって気づいてたかもしれないじゃないですか。
09:04
で、そこをなんかちゃんと聞くとか、何かしらコミュニケーションが測れると、
理不尽って言葉から少し違うフェーズに行けたんじゃないかなっていうのはね、今なら思いますけどね、ずっと引っかかってるエピソードなんですよ、これは。
へえ、先生も覚えてるもんなんで。
覚えてますよ。
なんか今のはちょっとでかいエピソードだったんで、ほんとちっちゃいことで言うと、
じゃあ子供がね、ルール破りましたと、なんか廊下走ったとかね、
それでもう何も聞かずに怒鳴っちゃうみたいなのも僕やったことあるわけですよ。
でもそれよく聞いたらさ、なんか友達が校庭で怪我しちゃったって言って呼びに来てくれたっていう時もあったし、
なんかちゃんと聞かないで理不尽に怒るとかも、たぶんほんとね、数え切れないぐらいやってますよ。
だいちゃんですらその時はあるんだね。
あるよ、あるあるある、全然あるよ。
思った、そう、だいちゃんですらあるんだなと思って安心すると同時に、大人やっちゃうんだなっていうのもありますね。
私ももちろんあるわけですよ。
親として接してるときがほとんどですけど、子供に対して接するのは基本的に我が子が多いので、あるんですけど、
そういう時に、やっぱ自覚ありますよね。
今私大人の不条理を振りかざしてるな、みたいな。
急いでんだけど、みたいなのとか。
あるね。
時間ないから今ちょっとごねないでくれない、みたいな大人の事情を振りかざしちゃったりとか、
もうなんか、今ママ機嫌悪いの?みたいなことを素直に言ってみたりとか、
これは精一杯の私の中での言い訳なんだけれど、大人にもこういう瞬間はあるなと。
今あなたが悪いわけではないが、私はちょっと今、ほんとに今受け止められないみたいな、精一杯のなんだけど、
でも子供からしたら理不尽じゃないですか。
理不尽、確かに。
親の機嫌なんか知らんわ、みたいな話なので、申し訳ないなと思いつつも、
でもなんか思うのが、コントロールできない感情とか、自分自身の筋道とか、コントロールできなくてそうなってる時もあるし、
余裕がなくて、なんか選択肢として出てこなくて、話を聞くとかね、じっくり相手が何考えてるのかとか聞いてあげるとかっていうのができなくて、
そうなっちゃう時もあるし、あともう一個は、何でしょうね、自分がやっぱやられてきたことが自然と反射で出ちゃう。
おー。
分かりますかね。
子供の頃に?自分の子供の頃に。
そうですそうです。自分がやっぱ親とか先生から言われた、大人たちから受けてきた反応っていうのに、
当時は反感を覚えて、何よって思ってるんだけれども、あまりにもやられた回数が多いので、条件反射的にそれが出ちゃう。
直前反射的に同じことをやってしまって、うわぁカルマだとか思ったりとかするんですよ。
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大人たちからやっぱ一緒に抗うんだけど、やっぱ残っちゃってる部分があるなっていうのをすごいうわって思いながらも出ちゃっている時はあるなって、
だからさっきのかいさんがめっちゃポジティブに考えてくれてて、もう申し訳ないなっていうぐらいね、感情的にやっちゃってる部分もあるなと思って。
ただもちろん先生のテストのやり方の変えるとかっていうのは、やっぱ生徒の例えばね、出来とかを見て、
あ、この子たちはもしかしたらもっとちゃんとやった方がいいかもとか、判断されてることもあると思うので、
大学の先生のそういう、ちょっとした授業の中の理不尽さはもしかしたらかいさんのおっしゃったような思いやりの結果のかなっていうのは思うんですけど、
親としての自分のは全然そんな遂行のものではなかったなっていう反省を持ちました。
これを聞いたかいさんはどう思ってくれたでしょうか。大人もまあそんなもんかなって許しちゃやろうかなって思ってもらえるといいですね。
じゃあさ、僕ね、こういうのをちょっと違う角度から見てみると、組織論的に見てみるとですよ、
実はその理不尽なことをしてる大人Aがいるとしたら、そのAさんは実は誰かの働きかけによってその理不尽な何かをしてる可能性があるっていう、これシステム思考の観点でいうと結構見えてくるんですよ。
じゃあ例えば、ちょっと学校の場面で考えてみましょうか。
じゃあ体育の授業をしているA先生がいて、そのA先生が体育の授業中にちゃんと並ばないっていうことでめちゃくちゃ怒り出して、
で、もう今日は体育やらないとか言って、よくありませんか、こういうの。すごい楽しみにしてたのになんか中止になっちゃったしみたいな経験って僕ちっちゃい時結構あったんですけど、
じゃあそのA先生はもちろん理不尽な働きかけだったなって思いますけど、何によってその理不尽が生まれたかって考えてみると、実はこの校庭でね体育してるでしょ。
それをいろんな先生がある意味教室から見れるわけじゃないですか。
あとはもしかしたらその校長先生とか上司にあたる人が見てたかもしれない。
そんな中でちゃんと並ばせなきゃとか、ちゃんとしっかりとしなきゃ無能と思われちゃうっていう非心理的安全性が働いたとしますと、
それによって厳しい怒鳴るとか中止にするみたいなのが出ちゃったりする。
それってA先生だけの問題ではないっていうか、それは見てたらB先生かもしれないし、なんかこうねちねち指摘してくるC先生って存在がいるかもしれないし、
日々なかなかコミュニケーションが取れない職場で見られて陰口言われたらどうしようかなっていう不安がいろんな関わりの中であるかもしれないじゃないですか。
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っていうシステム思考で、実は違うところに進言地があるっていう可能性があって、
その理不尽な場面だけを見てしまうと、これは本当このA先生理不尽だなと思っちゃうけど、実は違うところに解決ポイントがあるかもしれないっていう見方が組織論ではできるわけなんですね。
そうするとその理不尽な場面からちょっと辿ってみるといいですよね。
なぜこの先生はこれをやったんだろうって。
で、これをやったってことはこういうのがあるのかもしれないとか、
ちょっとこう見えない部分を想像してみると、何か解決策が見えてくるかもしれないなとは思ったんですけどね。
さすが。
持ち込みOKからNGになったのは、もしかしたら上の存在がいるかもしれないみたいな。
かもしれないですよ。
教授が変わったから方針がきっと学部の中できっと変わったに違いない。
そうそう。
あっちのところに行っとけばよりみたいな。
派閥戦争が起きてるかもしれないからね。
派閥戦争を根本から掴むことができるかもしれないですね。
そうなんですよ。
ちょっと一次元上の考え方。
ね。
さすがやわ。
じゃあ学生の皆さんもね、同じで未成ですから、あれと思ったらチームで根本から見直してみるっていうことをぜひ楽しんでやってもらえればと思います。
ハイレベル、ハイレベル、ハイレベル。
すごい。もうコンサルタントできるじゃん。
確かに。
課題解決。
素晴らしい。
でも目の前のことにおかしいよって思うこと自体はもちろん素晴らしいことなので、
それの裏があるかもしれないって思うとまたもう一歩目線が変わってくるから、
それまた今後の大人になってからも使えることかもしれないですね。
そうなんだ。一つ聞いてみるといいんですよ。
なんで急にそうなったのか、もし差し支えなければ教えてもらっていいですかって本当に気になるっていう思いを込めて聞いてみたら、
いや実はねって言ってくれるかもしれないしね。
確かに。
そこの上の存在を。
そうなんだ。コミュニケーションっていうのが何か一つ道なのかもしれないですよね。
確かに。だってカイさんが僕たちのためにやってくれたんですよねって言っても嫌味じゃないですもんね。本当にそう思ってる。
全然嫌味じゃない。
嫌味じゃない。本当に思ってる。
僕らのためにやってくれたってことでいいですかって言ったらちょっとしどろもどろするかそうだよっていうか試してみたい。
しどろもどろ。
そうなんだよね。
そうだけどみたいな。
ああさすがカイさんわかってるねみたいな。
なんかこういうさ理不尽の理ってさことわりって読むじゃない?訓読みで。
はいはいはい。
理不尽の理ってさある意味事実に対して解釈とか認識を入れて捉えてる部分だとして、僕がそうある出した学力テストのエピソードあるでしょ。
18:03
あれももう学力テストやらないという選択肢は難しかったかもしれないじゃないですか。
ただその聞いてくれた子供に対して僕が趣意説明って言うんですけどこういうの。
趣意をちゃんとこう伝えてもしかしたらその後に納得があるかもしれないし。
そこからその場はやるかもしれないけどその先に何かこう変革が起きるかもしれないしとかがあったんじゃないかなっていうのは自分でしゃべりながら思いましたね。
なるほどね。
理不尽はね、道理に合わないことっていう意味もあるけど道理を尽くさないことっていうのもあるからね。
理不尽の確かに。
だからどうしようもないことだとしてもそういうその趣意説明とかねちゃんと伝えてあげるっていうことをすれば理不尽にはならない。
それがうまくできてないときはたまには逆の方からの働きかけがあるとそのきっかけをね、こっち側ももらえてありがたいと思うのできっと先生もそういうふうに言ってもらえるのは別に嬉しいんじゃないかと。
確かに。
どうしたって1問目の自由とも関わってるかもしれないですけど先生はどうしても上から来ていうことを聞かないといけない学生さんっていうふうになってるけれども、
もしかしたら目線合わせてこの問題ってどうしたらよかったんですかねっていうふうに目線合わせてお話できるかもしれないですよね。
それは確かにコミュニケーションの問題とも捉えられるかもしれない。
これはちょっと新しい見え方さすがお二人でした。
ありがとうございました。
素敵なかいさんなんで別の見方も知りつつそのままでもいてほしいなというふうに思っております。
2問目、子供に対して理不尽に接していると思ったことはありますか。かいさんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
20:11

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