まさきの自己紹介とキャリアの始まり
今回はゲスト、まさきに来てもらいました。よろしくお願いします。
まさき】】お願いします。
側**ぱちぱちぱちぱちぃ。
まさき】】よいしょ。
側**最近、シリーズ化してると言ってもいいぐらい、このJCCの同期と対談するというか。
俺が話を聞くみたいなのがメインですけど、今回もJCCの同期のまさきに来てもらって。
前編はキャリア後編はあのザックバラにいろんな 話ができたらなと思って言いますと
で早速なんですけど簡単にまさきの自己紹介を お願いします
はいっ では皆さん初めまして名前は北向きまさきと言います
年はですね1990年の34歳ですね ぐっちゃんと同い年ですはい
でもともと中学校の教員をしていました 今日はですね楽しく話したいなって思ってますのでよろしくお願いします以上です
お願いしますありがとうございます お願いします
まあ多いか少ないかで言うとそんなに割合多くはなかったかもしれないけどやっぱり この jcc にも教職から
キャリアを変えるとかそういう人が一定数いるなっていうふうには感じてて そうですね
確かに 意外と教育関係者はいますよねゴール b でもねうん
やっぱりそこで感じるなんか感じたことがあるからそういう なんやろ選択職を変えるみたいな選択をしてると
いうのを感じる部分が何回かあってそのあたりも含めて聞いていきたいので 簡単にあのキャリアというかどんなことをまあ学校時代とかどんなことをしてたか
っていうのを教えてください はいではえっとキャリアですよね
うーんとちょっと教員の前にも民間で働いてたんでちょっとそこから話していきます ねはい
ルーン大学卒業してから8食品会社で営業してました これ2年間やってましたでえっとすごく車でですねこう
都内をまあ関東全部回ってたんですけどそういう営業していて ある時ですねなんかもうめちゃくちゃ嫌になっちゃって仕事
何がなったかっていうとこう今まで自分はずっと部活とか 頑張ってやってきた人間だったんですけど
挨拶してもちゃんと挨拶をしてくれない大人がたくさんいて あれみたいなそうあれってなんで逆に今まで俺
アイスと頑張ってきたんだろうな部活でみたいな感覚があってそこから いやほんとに何やりたいのかなって考えるようになりました
それがだいたいまあほんと入社して2年目ぐらいの いう頃今でも忘れない12月ですよ
考えた時に何かやっぱりこの会社じゃないなって感じて その瞬間あの課長に喋ってましたいやちょっとやめたいと考えてるんですけどみたい
で それを言ったら自分は中古上司に
いや最近来た時大丈夫かとか あなたどうなったんだって声かけられるかなってちょっと期待して喋ったんですよちょっとこう自分
が結構いっぱいいっぱいになっちゃっててそういう話したんだけれども あの1ヶ月経っても何の落とさともなく大丈夫かの一言もなく
俺ここにいるべきじゃないなってその時に決断をしてやめよってなりましたはい なるほどそうそうそうそう
ここまでがねあの第1キャリアですね 私は
なかなかなんでそういう雰囲気の会社やったってそれがつも冷たい上司の人だった っていう感じの
いやなんかねえや一応個収穫も結構 なんか食品だけしか見てないけど50歳ぐらいね
足を運んで説明会行ったりとか結構やってたから 内定3つもらっててで全部基準はね人で選んでたから
入ってからね人間関係で苦労したくないなっていうのがなくこう漠然とあって だから最初の人たちはめちゃくちゃいい人たちだったの他の部署だとか
a を自分は営業に配属されたけど他の部署との人とのやり取りとかはすごく楽しかったんだ けど
なんかそう営業の上司 上司もそうだし取引先の社長さんとか取引先の担当の方とか
がすごくこう様しているというか冷たいというか でもなんかこう自分が猫欲しいようなコミュニケーションをとってくれる方はすごく少なく
て 仕事が多かったんだけれどもそこにやっぱちょっとギャップを感じたってところかな
あーなるほどね うん
そうか結構 なんか今の就活生を見てても
なんか今の会社自分が勤めてる会社で新卒の子たちに何でランダンとかって聞いたら なんか人人が良かったんですみたいなを聞くのあってまあとはいえ
あのまあ合ってる人数で言ったらそんな合ってるわけじゃない人事の人と面接して あと1、2回面接した面接の人が良かったみたいな意味やから
なんかそこで判断するんやみたいなのはやっぱたまに思ったりするな そうそれは悪くはなかったけどでも入ってから人がいいけどじゃあ何したいのとかは
なかったのぶっちゃけの話 これをこうしていきたいとかね例えば会社にナンバーワンになりたいから全然そういうのも
なくて本当に人で困りたくないな ただそれだけだったから別にぶっちゃけその会社じゃなくても良かった
自分は うん
一番なんかねこういろんな意見言える会社なのかなっていうところがあったから入ったけど 逆に入ってから
困ったねすごくね何しようかなみたいな何やってくんだろう俺みたいな そうかその食品っていうところに絞ってたのはなんか理由があったの
食品はなんかこう大学が
理系ってか農学部だったからでそのなんか食品の学科だったの なんかそのまま大学でこういうことを学んでたから
まあそのまま行くよねみたいな感覚 本当に何も考えてなかったぶっちゃけ
あーなるほど大学で学んだことがあるからその延長線上で食品だろうって思っていろんな 会社あったがして人が良さそうだから入社した
そう なるほどそうなんですよそこで2年間頑張ったけどなんか違うなって思って
次転職するわけやんか その時になんかやりたいことが特にあるわけじゃないっていうの
なんかその時点ではなんとなく感じてた 本当にその
これやめようと思ったきっかけがあった瞬間にそこから考え始め何やろうかなみたいな なった時にもともと中学校の先生をずっとやりたいっていう気持ちはあったの
だけど高校3年生の時にまだ俺の時はセンター試験ってあったから センター試験がもうズダボロだったの
本当は教育大に行って教育学部に入って免許取って教員をやろうって 高校3年生の時考えてたけどそれがいかなくて
だから一回そこで諦めて大学でも途中まで教職取ってたけどなんかこう 別に教育学部じゃないからあのみんなが帰った後の7限とか
あと土曜日ね出てくるとかっていうのでなんか自分にいいように言い訳をして なんか俺がやりたいのってこういうことじゃないよなとか
なんで俺だけこうやってやってるんだろうなとかなんかいい なんですかまあ自己判定じゃないけどまず今ここで頑張らなくてもいいしとか
俺は教員やらなくても大丈夫みたいなのであの本当に逃げたんだよねうん 教育して本当はやりたいんだけどなんか周りもやってないし
俺だけやってるのなんかアホみたいだなぁみたいな そういうのがあってでもそれ辞めるって会社辞めるって決めた時に何したいなって
やっぱり人を育てたいなって感じたの本当に人と関わること大好きだし そうなんかねー
小中高で部活の部長とかいろいろやってたからやっぱり人と触れるとかすごく大好きで だからその時によし教員になろうってその瞬間に決めた
あーなるほどそう だからやめますってね上司に喋った時にお前なりすんだよってなってるって
いや教員やりますみたいなって 教員やるんだって免許あるのって言われたその時
教員免許あるの?いやないんですけどやりますって 決断が先だったんだよねあの教員免許まででなくて
だけどもう辞めるって決まってそれが3月31日だったんで いやどうしようかなってなった瞬間に免許ないからよし取りに行こうってなって
辞めて次の日から通信生の大学に通いながらアルバイトしながらね 通いながら2年間で免許取るっていう生活が始まったんですよ
私のキャリア すごその2年間勤めて辞めるって言ってから俺もともとやりたかった教職教員になろうって言ってそこから免許取るために通信生の大学に行ったんや
青森と川崎市での教職経験
そう だからそうなんだよ会社の人にも言われた 働きながら取れるんだってやればいいじゃんって言われたけど
絶対辞めてそれだけに集中するんだっていう謎の覚悟が生まれて 今考えればよくね2年間やり続けたなと感じててすごいなって自分ながらね
昔思い出してもそう感じるんだけど本当に毎日朝9時から昼の12時 3時間だけ毎日勉強するって決めてたから
昼の1時から深夜12時までアルバイトっていうのは週5、6続けてやってたって感じな すご
ひたすら その生活2年間やったの?まるまる2年間やった
すごいなその2年間で免許は取れる?その教育実習とかもある? もちろん教育実習も行くしあとそういう
施設の研修とかもあるから自習か そういうのも参加するしみたいな
様々全部やりました いやすごいなその2年本当にやりたいことに向かって準備というか必要な ことをする2年間やったんや
いやそうっすねひたすらやってましたね 今思えば
すごいなんかそれが3ヶ月とかやったらなんか勢いというか本当になんか その時の熱い感情だけで頑張れる期間な気がするけど2年って
もうよっぽど何か自分の中にないと続かへんやろうなって そうなんだよね
だからね絶対になりたかったんだよねその時ね 間違いなく
その2年間あって免許を取りました うん取りました
なった後ようやくそのなりたかった教員になるってこと? そうなるんだけども教員免許あれば学校現場で働けるからでも採用試験
っていうのがあるからすぐじゃあ正規雇用ですよってわけではなくて 初め合計6年教員やってたけど初めの3年間は
えーとまぁ何だろうね 契約社員みたいな形先生で言う免許はあるけど正式ではない
でちゃんと合格してから正式に3年間って形 初めはなんかこう地元に1回帰ろうってその時決めてたから
青森で1年間教員をやりました
青森だと全然なんか正採用慣れないなって感じて 理由があってあの青森県で全県採用だから先生って全県で何人とかあるの
で自分は数学だったから 全県で4人しか採用なんないの1年間で あーそうなんや
いやそうあのこれ田舎あるあるなんだけど全然少なくて
でこれ待ってばいいのかなみたいな で結構順番待ちみたいなのもぶっちゃけあって
免許あるけどまだ正採用じゃない人とかがやっぱ10年間ぐらい犯人とかもやり続けながら だけどまだなってないっていう人は結構
青森とかゴロゴロいて いやすごい世界だ
いつなるかなみたいな だったらもっとスピードで早くやっぱ正採用になりたいなって感じたから
よしって言って関東出るぞってやって神奈川県の川崎市 えっと先生をその後5年やるって感じかな
うん なるほどその青森の1年と川崎市の5年って結構
何やろ違いがあったやっぱ地域による違いとかそういうのってあったあるもんな それがねまあありますね
あってなんかしかも青いの時は自分の母校だったんだよね あの端屋配属されたのがでこれもなんかすごい
巡り合わせだなと思うのが教育実習でえっといっ いった時の中学校2年生自分がね教育実習行った時で1年も戻ってきました
なったらその子たちの学年を持つことになったの 中3になった子たちもまた再会みたいな形で
でなんかね違いは地域ごとによって多分違いはあるけれども なんか自分は母校だったから自分の昔と比べたら何が変わったかなっていうと
もともと自分は中学校の時4クラスあったのがもう2クラスまで減ってたし 法配合とかめちゃくちゃ進んでたし
あのなんかうちの中学校は小中一環になってます ああそうなんやもう人が捨て出すすぎてとかそうそうそう
ガッカーンってなってて なんか生徒のなんか
様子で言うとこれも川崎と青森ちょっと全然違って 青森はうんとまぁ意味でのびのび育ってる感じ
素直めちゃくちゃ素直本当に純粋みたいな本当に素直でめっちゃいい 平等って感じ本当になんか
ほんと子供らしいっていうかね だけどやっぱり人数も減ってきてるし
で特に中3持ってたからなんかこそ競争心っていうのはやっぱどんどん薄れてって なって感じがした部活とかも昔はたくさんチームがあってねや
自分は野球やってたけどあったのがもう今半分以下ぐらいの本当にちょっとちって トーナメントで終わっちゃうみたいな
もあるし高校もどんどん定員割れとか あの学級すぐって減らしてるけどもやっぱり人足りないから
ぶっちゃけそんなに頑張らなくてもある程度結果が得られるような環境になっちゃって た
ブーブー だからやっぱり競争しみたいな部分はなんか物足りなさはすごく感じた働いてて
あれみたいな もっと何かガツガツ俺しないんだ中学生って感覚だったね青森は
川崎は川崎でまた違うと青森をほとんどと比べたら 純粋さあるけれどもでもなんかちょっとやっぱ大人びてるっていうか
やっぱりいろんな刺激があるからいろんな情報知ってるし いろんなねこう経験もしてるから
教員としての経験
ある意味で大人びてるなーって感じ だけどなんかこうちょっと子車に構えた
青い子がすごい純粋で人懐っこいっていう感じだけど 川崎の子たちは結構こう車に構える感じで大人ってさーみたいな
どうせわかってくれないんでしょ俺らのこととかね本当は構ってほしいけど あえて近寄らないってある程度距離を取るとかね
なんかそんな感覚がすごくあって どちらも良さはあるし
逆になんか川崎の方がやっぱ競争が激しいから 勉強もスポーツもそこはすごくガツガツしてたなって感じがしたね
なるほどなんかまあ思春期川崎の方が思春期って感じのなんか あぁそうねぇそうほんとザ・ザ・中学生って感じかな
なるほどその時まさきはその人を育てたいっていうのがあって脅威になったので いうとどっちもそれは満たされてた
なんとねーどっちかというとねー あっ
これはねすごい質問ですね今の質問 満たされてたかっていうとやりたいことはやっていた
自分がこうしたいとか 部下級経営とかも単人になった時にこういうことしたいってやってた
でも自分が求めてるところに イケてたかっていうとやっぱなんか物足りなさっていうかなんかこうモヤモヤした感じは
やっぱ教員時代はずっとあった なんかもっとイケるな俺だったらもっとイケるなとか
この子たちだったらもっとイケるのに いやなんかなんだよとかすごくモヤモヤながら働いてて
初めの会社の時よりは全然もうめちゃくちゃ楽しいし いやこれだなって自分転職だなって今でもね
あの思ってるけどでもなんか 全部が全部できたかなーっていうとやっぱこうモヤモヤする部分もあったかなっていうのが正直な本音だね
なるほどそれはそのモヤモヤっていうのはなんかこうまさきの中でのすごい理想があって その理想が高いが故に起きてたのかそれか
なんか理想とかじゃなくてやっぱり現実が結構その なんて言うだろう
いやなんかそうじゃないでしょうみたいなこう なんか既存のもう仕組みが変えられないとか
もう過去それは良かったことだけど今それはちょっともう古くないみたいなのが結構 はびこってるみたいななんかそういう意味だったりするのかな
どっちもだね どっちもなんだそう自分のこの像っていうかここまでいったら最高だなっていうところがめちゃくちゃ高い
すごく っていうのもあるし
そのやっぱ教育現場って本当にコンフォトスフォンはもう本当にもうすごいの 現状最適でしか考えてないからそれにもすごくやっぱ苦しめられたっていうか
教員辞職の背景
本当はやっぱ新しいことしたいしなんか違うことやってみたいけど でもいやあのね本当にね俺教員時代大嫌いな言葉があって例年通りっていう言葉が
すごいよ対応するの それがねすごい苦しかったのしかし例年ってやった方が楽なんだよ
まあそのままねやっててそれがねすごく自分はね苦しくて違うことをやりたかったし ちょうどね
コロナ真っ最中というか真っ直ぐの中だったの担任やった時は だから例年通りって俺そもそも例年通りできませんよねっていう感覚
全部がもう何も今まで積み上げてきたものがもうゼロの状態からスタートしたから なんかそこが良かったかなって自分はなんか
コロナ大変だったなってすごい感じるけどでもそこで本当になんかもう何もベースがない 状態で先生たちと協力しながらもっとこうやったらいいんじゃないですかとか
あの瞬間すごく楽しかったね あーなるほどあそうかそこはもう新しいことというかその新しいことっていうのは
なんか生徒のためにいやこうやった方がいいでしょっていう意味でのなんか改善 そうそうそうそう
基本的にそこで生徒のためか思ってなかったんだけど でも人によってはなんかやっぱ楽したりとかあるわけじゃないかね
やめていいんだけどそうそうどっちかって言った自分はね 生徒最優先って感じだったからそこは戦ってたねいろいろね
これやりましょうよとか言う その同僚の先生になるかなあの一緒に働いてる先生たちはやっぱりその
まさきのようになんか社会を1回経験してから先生になるんじゃなくてもう大学卒業 して先生になるっていう人の方が大多数多いかな
いや多いよねまだまだやっぱ多くてで最近ちょっとずつこう ね
がを経験してきている先生もまあ増えては来てはいるけれどもでもまだまだね 大学出てからずっとも教育現場
開けっていう人の割合の方がやっぱ多いなって感じがしますすごく そうか
やっぱりそこの違いなんかそのまあ楽したいのが悪いとかっていうのではその よしよしではなくて
本当にこうまさきの場合やりたいこととして教員っていう道にまた戻ってきた っていう人と
まあそれこそ教育学部出てるし1回先生納得みたいなもしそういうモチベーションの 人がいるのがわからへんけど
なんかそういうモチベーションの違いで生まれるんかな その中
ああ なんかここは何か完全なる憶測の話になるか全然全部の先生はそうではないかなとは思う
基本的に教員っていうか先生たちもやっぱ熱い思いはあるのやっぱ話しするとやっぱ こういうことしたいとかなんでなったんですかとかっていろいろ話し聞けば熱い思いがあるけれど
もこうやってくん こうなんだろうね
ある程度頑張らなくても知識とかその今までの経験だけでできるようになっちゃうから そっちの方がいいじゃん
正直楽だしだからそれでなんかこう 昔は頑張ってたけどなんか今年を取るとともになんか
うーんみたいなのはあるかなーって思いはねやっぱり一人一人話を面と向かってすると やっぱ持ってるし
なんか本当にどうでもいいっていう感覚の人やっぱ少ないかなってだけど 今さやっぱ教育現場もさこう結構ね問題騒がれているから
でもやっぱ首突っ込みたくないなっていう先生もやっぱ多いなっていう印象 やっぱ目の前で例えばね生徒がこう
例えばなんか良くないことをしてたとしてやっぱ指導対象みたいになったりしても やっぱ見て見ぬ振りをすることもできるじゃん
だってそっちの方が時間奪われないし自分の時間がね そこにこうやって介入することによって逆にこう問題が大きくなったりだとか
なんかねハレーションが起きたりとかまあいろんなことがあるんだけれども そこから目を染めて受けている人は事実いるかなって感覚はあったね
なるほど いやこれそうやんな確かにまあ教職に限らずやっぱり慣れてきた業務とかできる
ようになったことが続いた方が楽なのは間違いないし そりゃその方がいいってなるのはめっちゃわかるわ
そうでなんかやっぱ新しいことをするとね あのやっぱこう
保護者もそうだし生徒もそうだし教員もそうだけどやっぱ嫌なんだよね あの今までのパターンが覆されたりすると
でそこのなんか説明責任みたいなのがやっぱ発生しちゃうから そこらへんを逃げてる感じはするなーって感じ
普通しゃべればいいんだけどね 保護者に対してもこういう思いでやってますとか
まっすぐ伝えればわかってくれるから それをなんかこう勝手に解釈して
これやったら ダメですよねっていう感覚
なるほどね やってみなきゃわかんないよねって思ってたけど
なかなかそうはいかない現状もあったりとかして
なるほど そこで
青森で働いて川崎で働いてそれからはどうなるの
その後ですかその後のキャリアの話ですか 辞めますと辞めますって言って辞めるんですけど
なんで辞めたかっていうと 本当にペットとガチンコで向き合って本当にこう
なんていうのかな めちゃくちゃ言われることもあったし
自分もね私はこうやってやってるってこういう思いがあるとかっていう話 本当になんか別に生徒と先生とかじゃなくて一人の人と人と向き合って
そのなんかやってきたことはめちゃくちゃ楽しかったけど
なんかまたこれ 振り出しに戻るってもう1回作り上げていくのってなんか大変だなって
生徒と関わるのめっちゃいいんだけどやっぱ先生とかのなんかそのなんだろうね 大人の兼ね合いっていうか同僚っていうかね
先生たちの兼ね合いがやっぱなかなかねこううまくいかないっていうか乗り越えなきゃ いけない
ハードルっていうか壁が多すぎて辞めるっていう決断に至ったんだけど そっからのがね大変でしたよ私は本当に教員辞めてから
その教員になった過程で言ったら 本当に自分のやりたいことを仕事にしてそこにやりがいというか
やっぱり楽しさ充実は感じてってそれを辞めるってなったら確かに その後どうすんのとは思う
なんか聞いてる側でも思うからなんかその時の なんか大変な道のりっていうのはなんとなくそうなるんだろうなって気はするんだけど
大変でした どんな大変でした?迷ってしまうみたいな
うーんなんかその当時なんか なんかなって考えたんだよね
でも辞める時は一応目標はあったの 海外の日本人学校に行こうって思ったの
その瞬間 これ理由があってなんかやっぱもっと本気でやりたいし 熱い仲間と仕事がしたいなっていうのはやっぱずっと根本からあったから
だからもっと熱い先生たちと働きたいなってなったら 日本じゃなくて海外に行ったら
寝るんじゃないかなって だから辞めますっていうそういう理由で辞めたんだけど
途中まで専攻とかね海外日本人学校の専攻とかするんだけどとある時にふと思ったのが
でも 海外に行っても
組織に属してたら何も変わらないんじゃないかなっていう いや行ってもないんだよ 全然行ってもないし話も聞いてないけど
なんか急にそういう不安が押し寄せてきて そこ行っても
また同じことが起こるんじゃないかな 日本でやってることと変わんないんじゃないかなって考えた瞬間になんかもう
嫌になっちゃったんだよね あーなるほど もう怖いなってなんかそこまで
日本を飛び出して行ったのに結局これかよって絶望しか待ってないなってなっちゃって そっからなんかもうよくわかんなくなったの人生
あーやばいって あーなるほど
そう決めてた辞めるって思った時に決めてたことをやろうと進んではいたけどそこになんか疑問を持ってしまったというか
不安になってしまった 本当にこのままそれで行っていいのかなとか
本当にそこに俺が求めているものってあるのかなみたいな 本当に今思えばめちゃくちゃ多色だなと自分で作ればいいじゃんって思うんだけど
すごくすごくそう感じて漠然とした不安を押し寄せてきて でもやっぱ違うとなってやめた
あーなるほど そこそれをやめてしまったら本当にこうじゃあ何しようって
なる 状況的にはなるってことやな
そうですまあそこからですねはいそうなんですよ 何しよっかなっていやマジで何しよっかなって
新たな挑戦の模索
その時なんか教員を辞めたから とりあえずゆっくりしたいなと思って正直なんか1年ぐらい働かなくてもいいかな
って感覚はあったけどでもあの1週間ぐらいでも無理でした なんかしてないともうなんか体がねもうおかしくなりそうで
でなんか だから半年ぐらい沖縄に行ってね石垣とかの方行ってリゾートバイトとかしてたんだけど
そうでもそれもやりながらもでも自分の本当にこのままでいいのかなって やっぱ年も年でねその時33とかだったから
まあ割り切ってはいたけどでもやっぱり これって本当に自分でやりたいことなのかなとか本当に自分って何がしたいのかなって
すんごいねこう モヤモヤしててだから
そうなっている自分も嫌だなってきて もう考えないっていう手段になるわけですね考えたらなんか嫌な気持ちになったりとか
不安も押し寄せてくるから考えないって なりますはいそうかそのグルグル回っていくねんなきっと思うが同じことを
考えない考えないようにするってなってなんか今のところこのこの迷路というか 迷っている明記をどう抜けるんかなすごい気になるんだけど
でしょ そうなんだよ
でそのなんか沖縄に半年ぐらい行くってなって あと残り1ヶ月ぐらいだってなった時があったの
でもさすがにずっとこのままじゃいけないなって まあそのまたねずっと楽しく働いてたりとかね飲みに行ったりとかその現地の人たちで
こう考慮を持ってたんだけど残り1ヶ月になった時 いや俺このままじゃいけないなってまたその瞬間考え始めるきっかけがあって
結構ガチめでどうしようかなとなった時いろいろ調べてたのバーって でもやっぱ教えること
まあ今までずっと教えることやってきたからなんかそういけばいいのかな ポンサルとかもいいのかなってこう調べてたのいろいろね
あそこで なった時にポンサルって調べるとなんかそのなんかついになってコーチングって言葉が出てくるわけよ
でもでもその当時の俺のコーチングの認識ってなんかやっぱスポットか そっちのコーチングみたいなのがすごく強くて
これって何なんだろうなみたいな で youtube を見た時にたまたま一番初めに目に入ったのがゴールビーの youtube だったの
体験コーチングの転機
ケンタロウさんとかそう でそれを見た瞬間にバスコーンってなんかぶっ壊れた感じがして
おおーみたいななんか気づいたら毎日この動画を過去に遡ってずーっと見てて だから1ヶ月ぐらいで多分全部見切った感じなんだよね今まで出てた動画を
なるほど ラインとか公式ラインとかも全部登録して
いやなんだんだみたいななんかめっちゃよくわかんねーけどすんげーしっくりくるな みたいな話が入ってくるなって感覚があって
でそっから なんかこれ面白そうだなってなんかバックゼンとねなんかこう
思って体験コーチングに12月去年の12月に申し込んで やって
めっちゃいいな 俺だ俺みたいな
ある意味なんか本当に自分の中だとラストチャンスって感じで
あのやったって感じ 正直なんかまあ良かったらやろうかなぐらいの感覚だったんだけど
もうや体験構築した瞬間にこれやんねーとダメだって なるほど
なんかスイッチが入ったというか うん
俺だなってあってあの体験コーチングの時とかに今
どうですかみたいな 今の生活何点満点ですかみたいな聞かれた時俺今でも覚えてるのが
もう即答で3点ですって言ったん 今の生活3点ですって100点満点中
やっぱりぶっちゃけ何が言いたいかもよくわかんないですし 今までやってきたものもなんか
本当に形にしたものっていうのはどれだけあるのかもよくわからないですし よくわかんないですみたいな
だから3点ですって言って 3点のままでいいんですかって言われた時に
いや絶対嫌ですって言った 絶対嫌ですみたいな だけど何したらいいかよくわかんないですみたいな
本当に迷子の状態 決断ですねって言われてやりますって言って
始まっていくっていうのがそこがやっぱ自分の 人生の転機かなって感じますすごく
感情との再会
なるほどそうか なんか
変遷が やっぱり1回自分のやりたいと思ってたことをやった上で
そこからまた迷いに入った時って 本当出口の見えない迷路みたいな状態になっちゃうんやな
でそこから何に反応したのかはわからへんけど そのウォッチングというところに何かが反応して実際体験してみて
これはっていう何か確信を得たものというか これをきっかけにもう自分はやるしかないんだみたいな気持ちになったっていう
どうだねなんかねー いろんなそこまでいろんな人の話とかも聞いてたんだけどなんかね
なんかすごい心に響いたんだよね もうなんかいいことを言ってるとかじゃなくてなんかこう言葉に重みがあるっていうか
ズバーンってボロいドーンみたいなのが来て あやーばいなんてもうやろうって
なんか決断する力は過去の人生を見ててもやめるとかね やるとかその決断はできる人間だから
まあ決断したら早かったけどそうそうそこはねすごく だね本当にね人生振り返って本当に教員に行けば
自分がモヤモヤが晴れるかなと思ったけど全然晴れなくてみたいな本当に迷い なんかこう
人生つくんだなってその瞬間本当に やっぱりもうそこまで感じるんや
教員だって教員に行けばだってみんな生徒のために頑張るみたいなベクトルの向きも
絶対ある程度揃ってるって認識だったから 確かに会社よりは揃ってたけどでも逆に今度はねベクトルの長さとか
大きさとか 度合いって全然違くて逆にそこにもめちゃくちゃギャップを感じたんだよね教員自体
なるほど そういうことかめっちゃあれやわ
ベクトルの例えば数学の先生なんやなって今ちょっとふと感じた そうね
なるほどそこからあのコーチの方を受けるって決断してから 現在というかっていうのはどんな
あそこからですかまたそこからの変遷ね 楽しいね
そう俺はねあの初めのコーチに会った瞬間に俺はこの人と会いたかったなって正直な感想を
思ったのねもともとその人も教員だったんだけど そうそうそう
いやー
なんてもっと早く私の前に現れてくれなかったんですかぐらいの段階だったんだけど
でも本当になんかこういう人と一緒に働きたいなっていう感覚があったんだよね
キャリスピ自体は去年の12月の本当に年末ぐらいになんかデイゼロやった感じだったかな
でも本当に今年に入ってから始まったって感じで
何をしようかなぁみたいな時にでもなんかいいなぁみたいなあのやられてる側だけど
コーチいいなってすごいやっぱそのなんかセッションを重ねるごとにすごく感じてて
でそのコーチからも山崎さんめっちゃ合ってるよみたいになっておーいいなぁなって
でその時にちょうど出てきたのがJCCのゼロ規制の募集だったんだよね
あーはいはいはいはい 1月末も今でも忘れません
応募しました でもダメでした ダメだったんですよ
なるほどね 結構ゼロ規制って狭きもんやった
そう ダメでした
で相談しましたコーチに いや落ちましたでも俺絶対行きたいです
でもなんか
あり方がダメってなんか言われたんですけどどういうことですかみたいな
山崎さんリブースっていうのがあるからねとりあえずリブース行ってきてみたいなって送りましたんで
リブース行きますみたいなって俺は2月にリブースを受けたのこっちの
でそれもねめちゃくちゃ良かったね
あのあんまりねリブースの内容って言えないんだけど
でも純粋に本当にね 泣けるようになったんですよ
あーそれまでは泣けなかったというか感情があったせなかったそういう
感情はねもうね社会人になった瞬間にね殺したの
へーなるほど
なんか そうだから俺ね教員時代さ自分が
中1中2中3で対応に持ち上がった3年間見た生徒の卒業式で涙出なかったの
いやーそうなんや 泣けないいやもう泣かないって決めたんだよ途中から
もう絶対泣かないって だからあのいくら嬉しいことあっても
そうなんか自分のグッドも受け取れない人間だったし泣けなかったんだけどそっからね 泣けるようになってね
めっちゃいいなーみたいな
その 学校教師時代泣かないって決めたのは
なんでそう泣かないって決めたの
うーんなんかやっぱり今思えばね
なんか別に恥ずかしいでもなんか弱い自分見せたくなかったんだよね
ラリー対象生徒に対しても先生に対しても保護者に対しても弱い自分を見せたくなかった
すごく
泣くイコールわかんないんですよなんか弱いとか
でもなんか部活で勝って泣くとかだったらめちゃくちゃいいなって頭の中では考え てたからなんか悔し泣きってなんかもうやめようと思って
あーなるほど なんかなんか自分に負けた感じがしてその当時はね
だからもう泣くのやめようって涙おさらばしたんですけど
そこでまた涙戻ってきました2月に
2月のリベストで涙と再会した
再会した マジで泣いた
なんか俺泣けるんだって逆嬉しくなったもんね
めっちゃ泣けるじゃんみたいな なるほど
そうなんですよ そこで涙というかその自分の感情をまあそのまま出すみたいな
そう
自分の価値の再認識
そこでなんかコーチに言われたなんかあり方的なことがなんとなく見えたって感じなんか
いやでもねそれがね なんとなくは分かるけどでも確信点なんなんだろうなみたいな
ずっとでもそこに関してはもやもやしてて
でもなんか絶対ねゴルビーで熱い仲間と働きたいなっていうところは行きたいなと思って
そっからですねあの私はですねその時まだあの 外部からねこうコーチが泣いたいですな時に多分入るルートがあったから
ゴルビーね俺3回ぐらい応募してるんだけど3回落ちてるんだよね あーそうなんや
そうそうそうそう あーダメだったか
その時にいやもうこれはもうJCCしかないなって言って 一斉がもうやるっていうのが決まってたからもう絶対もう出た瞬間に出そうって思って出して
まぁ言ってあるんだけどそこに俺のねドラマがあって 俺JCCの一期さ申し込みフォームあったじゃんあれ
俺ね2回出してるんだよね あーそうなんや
俺2回出してる エンタイム2回出してるの 謎でしょこれ何かっていうと
はじめ1回出してそのコーチが こうやって1回出したんですけどぶっちゃけ
なんかこう今までやってきたものとか成果とかって いや俺ないですよねってポロって喋ったのそのセッションの前にね
って言われたらいやいやまさきさん何言ってるのみたいな いやめちゃくちゃあるじゃんみたいなって言われた時に何がですかって言ったの
だって先生なんて別にこういい高校に入れたからとかそういう人数とかもあるわけじゃないし なんかこう
低量的なものってすごくないから教育ってそうそうそう いやないですよみたいになった時にいやいやあるじゃないですかって
ぶっちゃけ大人40人まとめより子供40人まとめの方 ぶっちゃけ難しくないですかって言われた時に
確かになでもやるですよねそういうことたくさんあってやってきました でもそれだけでもだってハブじゃないですかって言われた時に
確かになと思ってその瞬間にもあのセッション終わった瞬間にもう一回 もう一回打とうと言って出して
まあ無事ね JCCC一気に慣れたって感じですね私
なるほどなんかそこもやっぱり自分としてはそんなこと当たり前というか 教師ってそういうものだって思ってた
のの何やろうな違う見方をもらったというか ああそうね本当にそうなんか全然
教員をやってた自分なんて価値がないと思ってたのこれこっちも 大事世の中に出ればもうゼロに戻ると思ってたから
絶対もうゼロ あのやっぱ教員って異色な仕事だからもうなんかこう社会と俺乖離してるってその当時は
すごい考えてて なんか一歩外に出たらもう本当にもうなんか赤ちゃんみたいななんかもう何できるか
よくわかんない だけどまぁちょっとね2年間ぐらい民間で働いてたからそれぐらいしかないなっていう感覚
だから
それ言われた時には確かにスポーツはそういうなどだなって感じだね 俺やってきたじゃんとかっては感じた
うーんなくそこがつながらん勝手な自分のやってきたことやけど そんな何も実績ではないという価値で価値がないっていうふうにやっぱ捉えてしまって
てんやん いやうんで本当にこれこっちを持ってい
なかったしなんかねいややっしかに今思えばね めちゃくちゃ行ったよ本当に他の先生の場合以上行ったから
それは超自信あるも自身してるし だけどその当時はやっぱり全然思えなかったねいくらめちゃくちゃやってたとしても
全然なんか生徒のためにめっちゃあったのだって最後の1年間とか 学校行事と別に俺自分の学年でいろんなイベントしたいなって考えたりとかいろんな
猫作成物とか作りたいなみたいな 10個ぐらい行ったの01ですごいな自分で立ち上げて全部自分で立ち上げて生徒
こうやって告知して集めてやるぞって 全部一人行ったもん
すごいそんな先生おらんよな出会ったことないわ俺は少なくとも やばいでしょ本当にだから行事終わるごとに動画作ってねみんなに見せたりとかして
写真もねあのマジで俺年間1万枚ぐらい撮ってたから すごいだろう
で廊下に掲示したりとか学年廊下とか基本的に学年廊下俺 俺が全部ポスター作ったりとか掲示物作ったりとか生徒に作らせても貼ってたから
めちゃくちゃ充実したんだけどそう そうなんですよめちゃくちゃやってたんですけどそれを価値がねえと思ってたんです
なるほど もっとわかりやすい定量的なこれみたいな売り上げいくらーみたいなとか年間
mv みたいなのがないと価値じゃないと思ってた あーそうそう思ってたすごくなるほどそんなにさあの生徒のためにイベント
やったりとかそれこそ掲示物作ったりしてんのに なんか仲良くやってそうなのに卒業式とかを一切弱い姿を見てねー
こうなんか熱い先生なはずやのに何か卒業式は別に何か シュッとしてるみたいな
あそうねなんかある意味こドライっていうかが冷めてるというかね うん
まあそうだねぇ いやでも
すごいドラマというかなんというかその やっぱり人間の
こうさ奈美みたいな
やりたいことやったけどなんか結局何だったんだろう 自分のやりたいこと何なんだろうってなったりとか
やっぱり弱いとこ見せたくないとか自分のやってきたことを勝ちと感じれないみたい なそういう
やっぱり人間誰しも持っているものが いろんなところで出たっていう感じやなって今めっちゃそういう感じだ
ああそうですね やっぱりなんかこう肌から見るとねなんか俺とかは結構周りができるとかね
なんか楽しそうな人生歩んでるねってめちゃくちゃ言われるの だけどまぁ
そうじゃないんだけどな 今は今さ
今この 瞬間はねまあいろんなことがあったけどめちゃくちゃね
まさきの経験と葛藤
グッズだったなってねいろんな経験があったから今の自分がいるなって考えてたけど その当時はね
なんかわかってくれねえんだろうな すごいやっぱ寂しい
なんかこうわかってくれる人がいないっていうか なんか本当に仲間と言える仲間ってやっぱほとんどいなくて
本当になんか一匹狼みたいな感じでずっと生きてきたから だから弱さを出せなかったんだよね
なるほど そうか
いやー
なんかその当時はすごい辛いこととか迷ってうわぁどうしようってなってたんやろうなと思いつつも
思うししかも確かにまさきのキャラクターで言ったら なんかそういう暑いとか明るいみたいなのが多分先行し伝わりそうな気がして
確かにその裏側でどう思ってるかみたいなところまで 一見しては絶対わからなって思った
それを見せないようにしてたの 絶対見せないと思って
なるほどね そうかそういうコーチングへの思いがあって
コーチになりたいっていう思いでなんとか JCCに入ってきたってことやねんな
そうなんです そっからがね
すごかったね 確かにそこからは知ってるからな俺も
いや本当JCCの話とかも尽きないけれども 一旦この前編キャリア編はここまでで
いやでもほんまめちゃくちゃいろんな話 この
右を曲折というか本当にこう いろんな人にこれまでJCC中心の話聞いてても
やっぱ何かしらそういうきっかけ的な もう順風満帆に行ってる人の方が少なくて何かしらみんなやっぱり
きっかけみたいなのがあるなってめちゃくちゃ思うし そのきっかけは本当人によって違うなってめちゃくちゃ思う
いやーなんかそんな話を聞けるのがまた 俺は面白いなぁと思いながら
話はねいくらでもできますんで
じゃあちょっとありがとうございます前編ここまでにして 後編ちょっとまたちょっとだけ時間もらって
あのなんか気になる箇所がちょっとだけいくつかあったのでそこを改めて聞かせて ください
ok ですはいじゃあ前編ここまでで1回切りますありがとうございました ありがとうございました