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スピーカー 1
のらじお
こんにちは、のらじおのMuroです。
スピーカー 2
こんにちは、かえです。
スピーカー 1
前回からの続きということで、息子さんに対応するときに、我々が大学のときにいた研究室の比較宗教学研究室というのがあるんですけど、
比較宗教学研究室というのは、方法論としての文化人類学というのを参用していて、
文化人類学というのは、主に他の文化とか社会とかの人たちを研究するという学問分野なんですけど、
その学問分野で主に使われるやり方というのはフィールドワークといって、
その文化とか社会とかの、みんなが暮らしているところに一緒で暮らすというやり方があるんですけど、
フィールドワークの中で非常に重要なやり方の一つに、産与観察というのがあって、
みんなと一緒に生活したり、みんなと一緒に行事をやったりしながら、
みんながどういうふうな動きをしているのか観察をしたり、しゃべって情報を取ったりするという、
そういうやり方のことを産与観察というんですよね。
かえちゃんが産与観察的に子どもと対応しているという話が前回でした。
スピーカー 2
そうですね。これは教育方針とかではなく、完全に私の趣味なので、
そういうようにして受け取ってほしいんですけど、
私が観察をするときにそのやり方が一番興味深く見れるので、
一番はフィールドワークの対象に対して質問しすぎる危険さみたいなのを、
たぶんね、はっきり覚えていないけど学んだと思うんですよね。
質問が答えを誘導しちゃうみたいな。
スピーカー 1
僕たちの先生は心理学も勉強してたんですよね。
心理学の質問法とかの授業も受けて、
そのときにインタビューをするときとかの注意点として、
僕たちがいろいろなことをバーッて聞きすぎると相手が萎縮しちゃったり、
スピーカー 2
相手が僕たちの望むことを答えようと頑張ったりしちゃったりするんですよね。
スピーカー 1
相手の回答というのを汚染、根溜めしないように、
なるべく相手の自由発話、ナラティブって言うんですけど、
その自由発話に任せようっていうやり方ですよね。
このやり方でフィールドワークとか作業観察をしようとすると、
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スピーカー 1
本当に根気が許されるようになるんですけど。
スピーカー 2
そうです。時間はめちゃくちゃかかるけど、
その分、湧き出てくる何かしらの言葉とか様子をキャッチできるみたいな感じ。
子供とかだったら圧倒的に立場が私の方が上なので、
親だし大人だし、
やっぱり全然影響をしてないかっていうと、
それは絶対してるけど、できるだけ言葉で誘導しないようにした方が、
自然に発生してくるものについて観察できそうで面白そうっていうのがあるので、
そこはすごく気をつけてるんですよね。
だから映画とかドラえもんの時間の考察についても、
私からあまり、これについてはどう思う?とか、
これってこういうこと?こういうこと?とかを言うと、
彼らのアザの中でその言葉で固定されてしまうところがあると思うので、
例えば私が次男に、それはバタフライ効果っていうのがあって、
こうこうこうこうこういうことなんだけど、それかなっていうふうに質問をしてしまったら、
次男の中でバタフライ効果っていう言葉で考えが固定、定着してしまったか固定されてしまうので、
そういうのをしないようにしたい、みたいなのがあります。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
それは大学で学んだことを参考にしてるんですけど。
スピーカー 1
多分、かえちゃんの子供の話が面白いのは、その視点があるからだと思うんだよね。
観察的だよね。
この話、たぶんかえちゃんにしたと思うけど、僕が子供の頃のビデオっていうのはたくさん残ってるんだよね。
子供の時のビデオを、まあ親父がビデオ撮ってるんだけど、それ大体僕が泣いてる時のビデオなんだよね。
僕が泣いてる時に、一番初めに親父のナレーションが少しだけ入る。
龍之介初めて赤チンを塗る、とかが入ってる。
その後、僕が泣いてるのがジーって撮られてるんですよ。
スピーカー 2
本当、親父から僕に対する声かけとか全くないんですよ。
スピーカー 1
僕が母親に甘えてたりとか、泣いてたりとか、グズってるのをジーってのがしてるんですよね。
これなんか変だなって。
大学の時、23歳くらいだと思うんですけど、コンビデを一旦全部デジタル化する作業をしたんですよね。
その時に、なんかおかしいなって思って見てたら、これあれだ、動物観察する時と一緒だと思って。
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スピーカー 1
うちの親父、魚とかの研究者なんですよね。
エンジニアなんですけど。
多分、魚とかを観察する時の、動物を観察する時のメソッドで、ずっと僕のことを見てたんだなって思って。
スピーカー 2
でも、分かる。それを私も目指してるっていうか、そこに面白みを感じてますね。
スピーカー 1
けど多分、親父は僕が何を言ったかとかにあんま興味がなかった。
もちろん、行動学的な観点でそれをやってたと思うんだよね。
スピーカー 2
面白い。
スピーカー 1
だから、親父が子供の話をしてるの聞いたことないから、それが面白いのか分からないけど、
スピーカー 2
少なくともかえちゃんの子供の話が面白いのは、子供を産業観察してるっていうのが多分面白いと思うんだよね。
産業観察してますね。
スピーカー 1
異文化と見てる。
スピーカー 2
そう。私も子供だったけど、客観的に。
だって、発生から知ってますからね。私の我が子については。着症から感じてるんで。
発生から知ってる。
こんなことないじゃないですか。
だってフィールドワークって言っても、期間を長くても数年とかだし、
いろんな研究者がいますけど、短かったら数ヶ月だし、
日中じゃないですか、なかなか寝るときまでずっと一緒で、食事まで知ることってできないけど、
私の子供については、発生から日常生活と夜中まで知ってますからね。
これはもう産業観察しない手はないっていう感じで。
発想がマッドヒューマン品種となる。
だからこれちょっと本当に、私の趣味であって、教育方針とかは思わないでほしい。
スピーカー 1
一応母親ですから、危ない場面とかは積極的に止めたりとかちゃんとしてるんで、心配しないでほしいんですけど。
一応ね、教育的指導は。
スピーカー 2
最低限の身の安全とか、これは悪いことだよって教えてあげたりとかするのは野放しにはしてないので、
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スピーカー 2
それは一応補足しておきますけど。
そうでもなさそうなことは、どうなるのかなっていう感じで見てる方が私が楽しいので、そんな感じですね。
スピーカー 1
確かに。面白いね。
僕の先生が、なぜマッドサイエンティストがいるのに、マッドヒューマニストはいないのかっていう話をしてて。
ヒューマニストっていうのは、ほら日本で言うと博愛主義者みたいな感じのニュアンスとして捉えてる人がいるかもしれないですけど、
一応学問分野って大きく分けて、人間科学っていうのと自然科学っていうのに分かれるわけですよ。
でもそれは社会科学と自然科学に分けて、社会科学と3つに分けるやり方もあるんですけど、人間科学、社会科学、自然科学っていう。
文化人類学は日本では一般的には人文科学、人間科学、それの英語はヒューマニティだったっけ、かなんかですよね。
自然科学はサイエンスですよね。
マッドなサイエンティストはよくSFで出てくるのに、なぜマッドなヒューマニストは出てこないのかっていう話を先生がよくしてて。
ここにいましたって感じで。
その先生も割にマッドだったけど。
スピーカー 2
その先生を嫉妬したわけですから、しょうがないです。
スピーカー 1
マッドな人結構いるなって思うけど、いない認識なのかっていう話なのか。
自分もそうだからじゃないですか。
スピーカー 2
うちの内側の視点だから気づいてないだけで。
スピーカー 1
一応親としては最低限の教育的指導はしているということですか。
スピーカー 2
もちろんです。ちょっとそこはちゃんとカットしないでくださいね。
親としてはちゃんと健康と倫理観、最低限の倫理観を伝えていけるようにとは思ってますよ。
でもまあどちらでもいいようなことは見守ってみたい。どうなるか。
私、できるだけ大人の影響を与えずに、どのような動きをするか知りたいみたいな感じ。
12:02
スピーカー 2
面白いですよ。
スピーカー 1
面白いね。
言ってることがすでに面白いもんね。賢くて。
かえちゃんみたいな育て方をすると、子どもってそういう風な発想になって。
僕、かえちゃんに言われてすっごい面白かったのが、子どもは子ども同士で大人みたいな喋り方をしているっていうのがすごい面白い。
スピーカー 2
そうそうそうですね。
スピーカー 1
あれ、僕の観察、僕の視点から観察できないからさ。
あ、そっか。
あれってさ、ほら、僕の博士課程の時の指導教官ってすごく面白かったんだけど、壁に向かって柔らかくなれって言ってもならないじゃないですかって言ってて。
スピーカー 2
え?どういうこと?ちょっとよく説明してください。
スピーカー 1
自然科学の対象物っていうのは、ほら、すごくミクロなレベルではそうではないらしいんだけど、自然科学の対象では一般的に対象が我々の影響を受けないじゃないですか。
スピーカー 2
あー、なるほど。
スピーカー 1
別に僕らが見てようが見てなかろうが、話しかけてようが話しかけてなかろうが、鉄球は同じスピードで落下する。
スピーカー 2
あー、そうですね。
スピーカー 1
早く落ちてくれ、早く落ちてくれって言っても早く落ちないわけですよ。
で、壁に柔らかくなれって言いながら殴っても別に柔らかくならないわけですよ。
けど、例えばイギリス人の研究者がアフリカ人の研究対象に対して殴りながら、どう僕のことを信頼できる、僕のことを信頼できないって聞いたら、
普通、アフリカ人はイギリス人は信用できないって答えるんじゃないかっていう話で、有名な話があって、
エヴァンス・プリチャードっていう非常に古典的に有名な人類学者がいるんだけど、
その人はイチオピアあたりに住んでいるノア族っていう牧畜民、ヌエル族、ノア族っていう牧畜民なんですよね。
で、エヴァンス・プリチャードはノア人について猜疑心が強く人を信用しないって書いてるんですよ。
けど、後々の研究者が、なんかそんな感じでもないなみたいな感じになって調べてみたら、
数年前にイギリス軍がノア人と戦争してるんですよね。
そしたら、戦争直後にやってきたイギリス人の調査者に猜疑心が強いって当たり前じゃないっていう話になって。
スピーカー 2
本当だ、本当そうですね。
スピーカー 1
めちゃくちゃ中立的に観察してるつもりなんだけど、本人は。
けど、自分っていう属性が分かってないよねっていう話を。
15:08
スピーカー 2
だから、僕は子供は子供っぽく喋ると思い込んでるわけじゃん。
だから、子供に喋りかけるときは子供だと思って喋ってるわけだよね。
元気?何したの?
昨日学校楽しかった?みたいな。
スピーカー 1
そうすると子供が同じように返してくるわけだよね。
そうすると、僕の中では子供は子供っぽい喋り方するんだっていう先入観が強化される、認識が強化されるわけだよね。
実際にそうじゃんっていう、子供らしく喋ってるじゃんっていう。
スピーカー 2
だから僕の立場からは、子供は子供同士では大人みたいに喋ってるって観察結果がめちゃめちゃ醜いんだよね。
スピーカー 1
なんでかえちゃんに教えてもらってすごく面白かったわ。
スピーカー 2
そうですね。
こちらが何を期待してるかっていうのを察知するのがすごく敏感なので、子供は。
どのような態度を取れば大人が喜ぶかよく知ってるんですね。
それも私のフィールドワークのサイオン観察に似てるなと思って。
調査地に調査慣れしてる対象者っていう人いるじゃないですか。
お祭りだったら、もう何百回もお祭りのことについて聞かれたことのある人っていうのがいるんですね。
代表的なお祭りとかだと特に。
その人たちは聞かれなくても自分に何を求められるかっていうのができてる。
もう用意されてる答えが。
質問より先に用意されてるから、私たちが知りたいもっと深い素の部分っていうか、
もっと心情とかの部分にたどり着きにくくなるんですよね。
客観的に理解しやすい答えを先に用意されてしまうので。
スピーカー 1
僕たちが今はすでに結構情報化された社会なので、
僕たちが村の頃みたいな人たちで話を聞こうとして、生の一時情報とかを取りたいなと思ってるんだけど、
村の頃みたいな人たちが出してくるのが市役所が返算した資資とかを出して、これ読んでくださいみたいな。
スピーカー 2
ここに全部書いてありますよって。
スピーカー 1
これ日本だけじゃなくて海外の事例でも、前に来た人類学者が書いた本が出てきたりするらしくて。
これ読んでみて。
スピーカー 2
でも、私たちが言ってみたいのはそこじゃないけど、
その辺にいる人たちよりもそういう詳しくて調査慣れ知ってる人たちからそういうのを引き出すにはより時間がかかるじゃないですか。
18:04
スピーカー 1
それと大人に対して求められる態度をする子供っていうのが似てるって思うんですよね。
スピーカー 2
もう、はいはいわかった、こうしたら。
多分ね、思ってもない、反射的に大人のかわいいと思う子供らしい子供っていうのをパッと出してくる。
でも、私が見たいのはそれじゃないじゃないですか。
うちの子もだけど、よその子供の友達とかでも、実態が見たいじゃないですか。
うちによく来る女の子たちがいるんですけど。
でもね、こっちが大人にしゃべりかけるようにしゃべりかけてると、向こうも慣れてきて、いつもの感じでしゃべってくれるんですよね。
大人向けじゃない対応が出てくるのがめっちゃ面白いですね。
スピーカー 1
なるほどね。
それは面白いね。
面白い。
それは面白いね。
めっちゃ面白いですよ。
2回言ってしまった。
いいな。
だからやっぱりこっち側の対応なんだよね。
こっち側を変えないと、大側のそういうナチュラルなというか、オリジナルな反応っていうのは実は出てきてないっていう。
だから僕たちが自分の認識を相対化するっていうのは、僕たちが思っているよりずっと本当は難しいんだよね。
なぜなら、だからその例えば文化人類学を学ぶと、いろいろな価値観に触れることができるっていうような言い方をする人もいるんだけど。
スピーカー 2
それはたくさんの文化を知ることによって、その差異がわかるとか、そういうレベルの話じゃ実はない話なんだよね。
スピーカー 1
自分のやり方を変えないと、相手が何を考えているかわからないっていう水準が理解にあるんだよっていう話。
スピーカー 2
そうですね。
それは僕たちが子供っぽい子供みたいなものが世の中にいるという思い込みが。
スピーカー 1
実はすごく、なんていうかな。
けど思い込んでいる僕たちは、その思い込んでいる行動によって、その信念に基づく行動によって世界を再生産しているわけだよね。
子供って子供っぽく喋るんだみたいな。
子供って甘いものが好きとか、子供って大人より愚かみたいな、いろいろな思い込みがあって、その思い込みに基づいて行動しているから、そっちに合わせてくれるんだよね、子供がね。
21:02
スピーカー 1
合わせてもらっているから、僕たちはわからないんだよね。
世界が本当は違うことに。
で、僕たちは僕たちの考えている、僕たちを信じている世界が本当の世界なんだって思い込んだままでてくれるみたいなことはね。
みたいなことが、文化人類学をやると本当はわかるんじゃないのかなっていうことで、異文化理解とか、文の相対化みたいなことが、もしかしたら言えるのかもしれないよねっていうことかもなって思うんだけどね。
スピーカー 2
私の近所のね、次男と同級生の女の子としゃべるときも、ちょっとそれを気をつけてて、自分の子よりよその子のほうがより子供的な対応をしがちだから、たまにしか会わないし。
でもそこに気をつけて、学校楽しい?とか聞いちゃいそうだけど、最近何やりたいの?とかいう話し方をずっとしてると、すげえ返してくれるんですよね。
いや、私最近さ、カラオケやりたいって思ってるんだよね、みたいに言ってて、8歳、8歳なんですけど、え、いいじゃんいいじゃんって、やりなよ、めっちゃかっこいいじゃん、女の子でカラオケとかさ、って言うと、
強くなりたいんだよね、私って言ってて、え、めっちゃかっこいいじゃんって、やりなよ、やりなよって言ってたんですよ。
そしたらその子が、でもさ、何のために強くなるんだろうって、言ってて、超おもしれえなって思ってた。
けど、え、空手やりたいんだ、みたいな話しかけ方をしてたら、たぶん言ってくれないんですよね。
スピーカー 1
なんで強くなりたいんだろうって。
スピーカー 2
でも何のために強くなるんだろう、みたいなことをボソッと言ってくれるのが、
スピーカー 1
おもしろいね。
おもしろい。
スピーカー 2
精進して気をつけます。
より子どもとの対話を楽しんでください。
スピーカー 1
これを利用して。
スピーカー 2
なるほどね。
じゃあちょっと、今回は、
スピーカー 1
子どもを、子どもとみなすのは、みなしているのは自分っていう話でしたね。
24:09
スピーカー 1
子どもを、子どもたらしめてるのは自分。
スピーカー 2
あと、かえちゃん家ではちゃんと子どものしつけしてますっていう。
野放し状態では一応ないので、そこはあしからずということで。
スピーカー 1
ということで、じゃあ今回は終わりにしましょうかね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
それでは、むろでした。
スピーカー 2
かえでした。ありがとうございました。